ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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マッチ売りの少女

マッチ売りの少女

CHAiroiPLIN

d-倉庫(東京都)

2014/11/06 (木) ~ 2014/11/09 (日)公演終了

満足度★★★★

表層と深層
 スズキ 拓朗氏のソロ、火の用心は、巨大マッチとのバランスダンス。マッチ売りたちのダンスは組みダンス。(こういう言い方が正しいかどうか分からないが)いつも通り、バランス感覚の良いダンスだが、元々を辿ればアンデルセンの悲劇童話だ。が、今作のテキストは別役 実バージョンである。

ネタバレBOX

手元に別役テキストが無いので確認できていないのだが、今作では、マッチ売りの少女が模範的な市民の住まいを市役所で確認した後訪ねてゆくシーンがある。
生じ入れられた家では、丁度、お茶を飲んでおり、少女もお呼ばれに預かるのだが、出されたカップは1つ。然し背後には同じ身なりのマッチ売りの少女がまだ7,8人は居る。その約半数は、男の役者である。而も招かれた少女を含む全員がオープニング直後のダンスシーンでは、マッチを擦った後、股間に灯りが点るダンスを披露している。答えは自ずと明らかであろう。因みに少女の年齢は7歳である。
 少し、世間を知ると言う者なら、マッチする束の間に、彼女達は生者の果てのない闇を見せていたのだ、とでも言わねばならないだろう。それは、行儀よく、模範的小市民として暮らしている夫婦の居間の暖かさの陰には、陰惨で鬱々とした年端も行かない男娼、娼婦の現実が横たわっている現実を示しているのだ。
 そして、招じ入れられた1人の少女の背景にたくさんの同じ格好をした子供達が居るのは、無論、彼女1人が例外ではないどころか、子供達の行きつく先が此処にしか無いことを暗示している。その意味で、マッチを売る総ての子供が、「善良」な市民の子なのである。おまけに、7歳の子供から、こんなことを思いつくわけでもあるまい。
 少女の訪ねた一角には、暖かい火の灯った家は2軒あった。2軒の間に小さな隙間があった。朝、少女の命は消えていた。彼女は手に殆ど燃え尽きたマッチの束を抱えていた。“彼女は寒かったのです”とナレーションは告げるが、彼女の寒さは単に冬枯れの寒さのみではあるまい。親切や善良を売りにしている小市民の陰の部分、普段決して他人に見せることのない、本能に支配された部分をひた隠そうとして様々に偽装する。その浅ましさにこそ凍りついたのではなかったか?
IN/GO rewrite

IN/GO rewrite

EgofiLter

ワーサルシアター(東京都)

2014/11/06 (木) ~ 2014/11/10 (月)公演終了

満足度★★★★

ユニーク
五島に僅かに残るカクレ(キリシタン)は、長く激しい弾圧の為に様々な偽装を凝らして信仰を守った。
(内容のもう少し細かい点については、楽日以降に追記する。普段は経験しないであろう、価値観やそれらの価値観をベースにした物語に取り敢えずは浸って欲しい。)

ネタバレBOX

 1612年から1899年迄288年に亘った弾圧の歴史である。弾圧の具体的在り様は在所によって異なり、継承は明文化された聖書によるものではなく基本的には、口伝であった為、内容は伝える者の記憶に曖昧さや間違いがあれば、そのような形で伝わったハズであるし、伝えられた者も、その内容を次の者に正確に伝えたか否かもハッキリ言って分からない。その上、大々的に皆が集って会議を開くこと等出来なかったわけだから、各々の教義は在所によって相違を見せるに至った。
通常のキリスト教と異なる点を少し挙げておくと、供え物は、パンの代わりに餅、ワインの代わりにお神酒という具合だ。マリア・キリスト母子像やキリスト磔刑像などは、表に出す訳に行かないから納戸神に姿を変えた。更にこれらの偽装はその域を越え、納戸神を偶像化して崇拝するような流れや、禁教令時代の宗教指導者を聖者と崇めて新たな経典、天地始乃事を絶対化するなど、独自の進化を遂げた。結果、キリスト教が明治政府によって認められた後、やってきた宣教師からは、異端とみなされる始末であった。然し、一方で、カクレの先祖が288年もの間、命崖で守ってきた信仰は、欧米のキリスト教諸派の教義とはことなるものであったから、通常のキリスト教に改宗する者とカクレのまま過ごす者の間には、微妙で根深いずれが生じていたのも事実である。
今作は、こんな状況を背負った過疎の島の最後のカクレの死に纏わる物語である。
家族れしぴ

家族れしぴ

KobuTa Run De Boo

ギャラリーLE DECO(東京都)

2014/11/06 (木) ~ 2014/11/09 (日)公演終了

満足度★★★

シナリオをもう少し練らないと
寺本家は14歳になる園花と弟でサッカー少年の淳平、父の渉、母、麻里の4人家族だ。家族と仲の良い、隣の家の専門学校生、尚が、夕食を作りに来たり子供達の面倒を看たりとなにやかや世話焼きをしているが、何かがおかしい。隠されているようなのだ。

ネタバレBOX

 何が隠されていて、それが、どう解かれるのかが一つの楽しみ方。
 もう一つは秘密が明らかになった後のケアである。初日が6日だったから、後のネタバレはしない。

子役 下川 恭平 小暮 尚役 阿部 駿一郎が気に入った。
棚からハムレット

棚からハムレット

CAPTAIN CHIMPANZEE

ザ・ポケット(東京都)

2014/11/05 (水) ~ 2014/11/09 (日)公演終了

満足度★★★★

おちゃらけたフリして結構やるにゃ~
 シェイクスピア生誕450年の今年は、例年にも増して彼の作品の上演が目立つが、今作は、そのシェイクスピアの良く用いる劇中劇の手法を換骨奪胎しながら、独自の価値観を表明している。その独自の価値観とは、(追記2014.11.6 )

ネタバレBOX

 かつて田村 隆一が喝破したように“詩は必敗の歴史だ”、ということと似ている。つまり、敗けても敗けても挑み続ける者は、果たして敗者であろうか? ということである。上演中なので、これ以上は述べない。然し、シェイクスピアの手法を借り、元の筋を様々な程度・形で活かしながら、現代日本の小劇場劇団員たちの実情を描いている点で評価できる。

ヴェニスの商人 [Kingdom Come]

ヴェニスの商人 [Kingdom Come]

獣の仕業

pit北/区域(東京都)

2014/11/01 (土) ~ 2014/11/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

Who am I?からWhat am I?へ
Who am I? この科白がシャイロックの口から何度も発語される。(英語表現ならばこうなる所だろうか)彼は、キリスト教徒同様、呼吸もすれば、息も吐く。同様に病にも罹れば、同じ薬で治癒もする。怪我をすれば赤い血を流すことも同様だ。呼吸をするにしても、皆と同じ空気を吸い、吐き出しているのに、吸って居る空気は、誰をも区別しはせずに、与えてくれるのに。何故、自分達は、謂われなく唾を吐き掛けられ、訳もなく蹴飛ばされ、罵声を浴びせられても黙って耐えていなければならないのか? Who am I? という問い掛けは深刻である。(追記2014.11.5)

ネタバレBOX

 ところで、シェイクスピアのこの作品が、初めて出版されたのは、1600年だという。当時、今作は喜劇として扱われていたのだとか。だが、今回、構成・演出を担った立夏さんの解釈は、悲劇を越えた悲劇としての喜劇だとか、コインの裏表としての悲劇と喜劇ではなく、寧ろ綯い交ぜになった悲喜劇とも称し得るものを描こうとしている。シャイロックを中心に据えることによって。この試みはほぼ成功している。シェイクスピアの作品を良く読み込んだ上で、現代日本を生きる若い感性のレベルから、真摯な再構成が為されている。この点を先ずは評価したい
 さて、では、綯い交ぜになった視点からは、1600年当時、何故、この作品が喜劇に分類されていたか? に対する答えは明確に出せるだろうか? 出せないだろうと思う。綯い交ぜと自分は書いたが、リーフレットの表現では、コインの片側に悲劇がその裏側には喜劇があって、コインを回転させて倒れた時、どちらの面を見せているかで悲劇、喜劇が決定されるのではないか? と問い掛けている。ということは、喜劇になるか悲劇になるかは、偶然に支配されるということだろう。だが、自分はそのようには捉えない。当時、「ヴェニスの商人」が喜劇と捉えられていたのは、ユダヤ人差別は社会的問題として扱われていなかったことを意味するだろう。即ち、問題化されることすらないほど、ユダヤ人差別は自明のことだったと考える。
 閑話休題。そうは言っても、獣の仕業という集団は、その根底に未だアモルフではあるものの、確かな違和感を持ち合わせていると考える。だからこそ、通常の解釈をせず、シャイロックを主人公としたのであり、彼の見た、世界。彼に関わる世界と彼の実存を鋭く抉ることに成功しているのである。差別は、差別される者のアイデンティティーを多重化したり、極端な場合には破戒する。
 シャイロックがWho am I? と問うている間は、彼のアイデンティティが幾重にも重層化される過程である。だが、自分は、彼の最後の問いは、What am I? であると捉えたい。何故なら、彼は最早、他者・人間社会から人間として認められない存在になったからである。それは、社会からの抹殺を意味し、実存の闇を意味する。彼は、最早、自分が何者であるかが分からないのみならず、何であるかが分からない。存在の闇を引っ掻きながら落ちてゆく存在なのだ。丁度、ハイデッガーのdaseinの最も昏い部分のように。
 だが、若い人たちの感性は、ここ迄、シャイロックを追い詰めはしない。瑠璃色のスカーフに纏わる故事に絡めて、シャイロックを人間界に留めている。
 役者では、シャイロックを演じた“小林 龍二”とランスロットを演じた“きえる”が気に入った。きえるは“目”が良い。
泣いた雫を活かせ

泣いた雫を活かせ

ねじリズム

OFF OFFシアター(東京都)

2014/11/02 (日) ~ 2014/11/09 (日)公演終了

満足度★★★

シナリオのメタ化が必要
 自分としては、もっと社会性や普遍性のあるシナリオか詩的なものが好みだ。

ネタバレBOX

 時間軸をずらすということが、仕掛けとしてはメインなのだから、当然、空間もずれが意識されていなければならないはずだが、単に移動レベルで考えられているようである。この時間・空間を構造化し、メタ化できていれば、シナリオは遥かに面白く知的なものになっていたハズである。映画の話がたくさん出てくるが、映画の文法と舞台の文法は全然異なる部分も多い。この点に留意し、キチンと芝居の文法を確立して欲しいのである。
 役者に関しては、丸山 正吾氏が気に入った。
鳥山ふさ子とベネディクトたち

鳥山ふさ子とベネディクトたち

ENBUゼミナール

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2014/11/01 (土) ~ 2014/11/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

哲学的
 Enbuゼミナールの中間劇場公演 Autumn Party 2014と銘打たれた本公演は、2本立て。(追記2014.11.12)


ネタバレBOX

「ふさ子」
 こうじとふさ子はベンチに座ってデートの最中。ふさ子が、飲み物を買いに行っている間に、とんでもないことが始まっていた。ひとみは、こうじに気があったらしく彼の前にしゃがむと始めたのだ。彼女のテクニックは、とても凄く、こうじは、メロメロになってしまう。その現場に買い物から帰って来たふさ子。余りの事に、財布も買ってきた飲み物も取り落としてしまうが、どうにか気を取り直すと、ひとみとの対決に至る。然し、ふさ子は下手で、すぐこうじに拒否されてしまう。再び、ひとみの番になると、こうじは昇天しそうになる。が、彼女のポジションを占めていたふさ子がせがむので最後のチャンスを与えるが、彼女は、歯を当て、それが痛くてこうじは悶絶!
 と下ネタから入ったが、無論、皆恥ずかしさなどから、セックスに纏わる作品は、オブラートに包んで出してくるのが、通常だ。Enbuゼミナールの公演は、その作品の多くが、真っ直ぐ事実を見つめる、という姿勢に裏打ちされているように思う。性は、煩悩の問題としても、種の維持にとっても、様々な倫理、風習、社会的規制や哲学・芸術にとっても極めて重大な問題である。一方、そうだからこそ、タブーであるという点も見逃せない。一見、下世話な風を装って、短い導入作品として「ふさ子」が演じられている構成も見逃せないのである。
「ベネディクトたち」
 さて、「ふさ子」に導かれた今公演は、超人、ベネディクトの話に移る。今作は、ベネディクトという超人を尊敬したチェルフィッシュが、娘に語った話ということになっている。
チェルフィッシュは、若い頃、ビルの窓ふき清掃の仕事をしていた。そこで出会ったのが、ベネディクトと名乗る超人であった。ベネディクトは、その強いカリスマ性で関わる人間に大きな支配力を持つタイプの人間であったが、彼を崇拝する側は、自分を失う感覚に悩むのが常でもあった。つまり、崇拝者は同時に植民地化されたと感じていたわけである。
超人ならぬ彼ら、彼女らの至り着く先は皆同じ、ベネディクト殺害であった。先ず、最後に残ったベネディクトガールズ2人(シナモンアップル、ランラン)の共謀による不意打ち。然し、こんなものは、容易く打ち破られ、女達は、グーの音も出なかった。チェルフィッシュも、この為に長年鍛錬して来た結果を目にもの見せようと挑んだが、敢え無く返り討ち。おまけに、チェルフィッシュの彼女えんちゃんは、ベネディクトの魅力に魂を抜かれメロメロ状態にされてしまった。
 業を煮やした襲撃者達にベネディクトは、「自分は、哀しみと同じようなものだ。皆が自分を乗り越えたいならば、哀しみを受け入れるように自分を受け入れ乗り越えて行くしかない」と正論をぶつ。然し、ベネディクトの魅力から身をもぎ離したい彼らは、頑として聞き入れない。何故なら、ベネディクトの魅力に取り付かれた彼らの願いは、彼を認めないことだったからである。為に、彼の正論は言い逃れ、詭弁、言い換えなどとしか反駁されず、「自分達に分かるように説明しろ」と強要される始末。だが、暴力的排除や殺害を除けば唯一の解決法は、ベネディクトの存在を皆が認めること以外にはない。そもそも、論理は、論理でしか越えられないことは、子供にも分かる道理である。而も多くの大人はこの事実を理解しない。仮に理解しているにしても実践しないで擬制に順応する。恰もそれが大人になることでもあるかのように。
 まあ、こんな流れの中、ベネディクトの味方は、えんちゃんのみになっていたのだが、更に、彼を狙っている者が現れた。長年の修練虚しく、彼はベネディクトの強さを証明したに過ぎなかった。が、チャレンジャーは諦めきれない。業を煮やしたベネディクトは、超人としての力を見せつける。光を世界から奪ったのだ。流石の愚者達も彼の力に恐れ戦き逃げ去った。
 再び独りっきりになってしまったベネディクトは、静寂の中に完成に近い音楽を聴き、タクトを振っていたが、ふと、気付いて仕舞う。自分こそ、最後のノイズだと。彼は姿を変えた。一本の大木に。5年後、チェルフィッシュが来て讃え、シナモンアップルと意気投合して結婚したものの、直ぐに別れた。その2年後、ランランが戻って来て大木を切り倒し、逮捕された。了。


宇宙へのマーチ

宇宙へのマーチ

タッタタ探検組合

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/10/30 (木) ~ 2014/11/03 (月)公演終了

満足度★★★★

面白真面目
 宇宙開発は、現在我々ヒトが、直面する謎の最大のものの一つだろう。あとは深海と脳だろうか? 何れにせよ、地球上の生命を簡単に滅ぼしてしまうだけの技術を持ってしまった我々の将来と地球上の生命が掛かり、また、インセンティブの面でも多くの人を引き付けてやまないジャンルであると同時に、軍事利用が最も懸念されるジャンルでもある。歴史的にみれば、軍事の副産物としてその莫大な研究開発費が賄われてきた。そのことが、いかに大きな弊害を齎すか。シナリオを書いた岡田氏は、良くご存じだからこそ、国家と軍事を離れたプロジェクトとして描いているのだ。この視点は、宇宙開発の実体を知らないからではなく、良く知っているからこその願いなのである。面白真面目に面白い路線での作劇と観た。(追記2014.11.5)

ネタバレBOX


 今作、シナリオ的には遊び要素を絞っている。科学的に正しいと考えられていることを余り崩せないし、岡田氏は、宇宙に関する本も書いている方だから、非科学的なことは書けない。この点が、喜劇としては足枷になった点は否めない。喜劇の難しさは、こういう点にもある。タッタタ探検組合は、喜劇の劇団で自分が最も好きな劇団の一つであるし、レベルも高い。これ程の劇団でも、ヒリヒリするような際どい笑いを満載することは至難の業である。だが、無論、そういう時には、他の面で工夫がある。今回は、舞台美術が、その部分を受け持った。兎に角、大道具、小道具に至るまで、舞台美術が素晴らしい。限られたスペースで同じ物をまるで別の物に見立ててしっくりくる。例えば火星に作られた基地をシュミレートする基地で、椅子として用いられていた物が、宇宙での無重力を表す場面では、カプセルのジェットノズルとして機能する場面などだ。後で、述べるが、ラストシーンも凄い。
 また、シリアスなレベルでは、イスラエルの特殊部隊出身のメンバーが、喧嘩の仲裁に入って発する科白「お前は、命乞いして泣き叫ぶ女、子供を殺したことがあるか?」と現実にイスラエル兵士や特殊部隊が行っている国家テロを描いてもいる。宇宙開発が、軍主導である以上、当然、こういう人物が、実際には、選抜メンバーに入ってくる可能性は大だろう。だが、喜劇であるから、ランダムに選ばれたことになっている。それにしても、兵士は、まだましである。国際法にも違反し、人道的にも許されない入植者がパレスチナ人に対して行っているテロは、軍より非道である。そして、イスラエルのプロパガンダとテロ国家アメリカの支援により、どんなに相応しくとも、パレスチナ人が選ばれないであろうことを、今作は、メンバーに入れないことで示したと自分は解釈した。
 ちょっと政治的になり過ぎたと言う読者も居るであろう。だが、世界人民の意志でなく、国家イデオロギーに洗脳された国民の意志で宇宙開発が為されるならば、人類などという夢想でしか成り立ちえない幻想の共同体が瓦解するのは日の目を見るより明らかである。其処には軍事の敵対があり、我々は何時でも核武装出来るからである。実際、被爆覚悟であれば、臨界量のウランなりプルトニウムなりを入手できれば、原爆は、大学の原子物理専攻の学生レベルで原理的には作れるだろう。あとは連鎖反応を起こす為の起爆力確保と核物質を閉じ込めておく容器の問題だけなのだから。今時、先進国でこれが出来ない国は無い。そして、これを世界中がやり始めたら、どんな馬鹿でも、世界の終わりを間近に実感するであろう。だが、そんな時には既に手遅れであることも確かであろう。
 宇宙開発は、以上のような前提で行われている。アメリカは、既にレーガン時代に宇宙空間からレーザーを用いての軍事攻撃を考えていた。予算の関係もあって実現こそしなかったものの、今、宇宙物を演じる深い意味はこのような軍事的宇宙開発の危険に対して警告する意味があるのだ。観客には、其処をしっかり受け取って欲しいのである。
 演劇の話に戻る。
 ラストシーンでの屋台崩しである。これは見事、劇場のキャパを最大限に活かし、尚且つ臨場感と共に観客に今作のスケールの大きさを感じさせる。
 最後に、もう一度言っておく。今作のメッセージが“国家と軍事を離れたプロジェクト”として提起されているのだということの意味を!!
鏡の国のアリス

鏡の国のアリス

学習院女子大学 pafe.GWC実行委員会

学習院女子大学 やわらぎホール(東京都)

2014/11/01 (土) ~ 2014/11/02 (日)公演終了

満足度★★★★

アリスの立体捏造
今回も、昨年の「女子大生100年日記」で演出を担当した3人の演出家の1人、横田 修氏が演出を担当。ルイスキャロル原作のデタラメを、立体的に捏造することを目指して作劇されている。
 チケットがユニークだ。ビー玉かおはじき、どちらかを選ぶことができる。詩的でお洒落ではないか? 
 物語は大学の演劇研究会を中心に展開するが、無論、ここには、アリスの不思議な世界が、仕込まれている。現在、劇研は2つの派閥に分かれている。アリス派とりんりん派だ。とはいえ状況に応じて、適宜協同もしてはいる。最上級生は、もう直ぐ卒業してしまう。次期部長(テッペン)の座をを目指して切磋琢磨する下級生たちだが、本命はアリスの妹だ、という通常の物語の流れが一つ。
 だが、本作で注目すべき点は、他にある。一旦、キャロルの論理を解体した後で、再構成してあるのだ。それは、時間の不可逆性を廃し、時間の不可逆性に干渉することである。ではそれは、具体的には、どう行われているのか?(追記後送)

東京スカチャラ物語

東京スカチャラ物語

貴楽屋

ウッディシアター中目黒(東京都)

2014/10/30 (木) ~ 2014/11/02 (日)公演終了

満足度★★★★

スカしてチャラついて!
シナリオが説明過多という印象を持ったが、その視座は揺るぎなく、主張には道理がある。例によって政府の掛け声は威勢が良い。

ネタバレBOX


 舞台が設定されている昭和32年(1957年)には、既に戦後ではない、ト宣ウ。極楽蜻蛉しかいないのだから、当然と言えば当然。尻拭いは、常に弱者である民衆に回される以上、為政者はふんぞり返って、貴腐ワインにうつつを抜かし、秘密のベールに守られながら、色と時化込む算段をつけ、払いは、自分を担ぐ連中に回して、後は、寄らしむべし、知らしむべからず、でやっておれば、痛くも痒くもない生活を送れる。
 ところで、このスカチャラ横町の住人たちはそうではない。戦後は終わっていないどころか、近いうちに道路の拡張で追い出されるのだ。
愛を語る資格

愛を語る資格

ブートレッグ

Geki地下Liberty(東京都)

2014/10/30 (木) ~ 2014/11/05 (水)公演終了

満足度★★★★

難題
 実際に起こった事件をもとに作られた作品。序盤、履き物などに若干、不自然な感じがあったり、最近、若い人達が良く入れるダンスが、何の必然性もなく入ってきたりしたが、中盤以降は、見違えるように良くなった。(追記2014.11.13)

ネタバレBOX


 娘を惨殺された父は、殺した少年たちを許すことができない。彼の時は、15年前、彼女の惨殺遺体が発見された時から止まってしまった。以降、妻とも別れ、稼げる会社を立ち上げて復讐資金を稼ぎに走った。収入は以前の4倍になった。だが、心の傷は、相変わらず。15年の時が経ち、主犯格も出所。父は、主犯に娘が味わったと同じ地獄を味あわせようと、彼を追う。事件を知る者達からデータを集め、終に彼の居場所を突き止めた。だが、主犯も、付き合う女ができ、彼女は身籠っていた。
丁度その頃、亡くなった娘に瓜二つの娘に会う。彼女は父の話を聞き一緒に行動を取ることにした。先ずは関係者が集まった飲み会に合流。殺された娘と関わりながら、助けなかったばかりか、無理やりさせられていた売春の客になったり、ヌード写真をばら撒いて犯罪に加担していた2人を味方につけて、その場に居なかった主犯をスタンガンを使って拉致させた。そして父親の借りたスタジオの地下室に幽閉。椅子に縛りつけた上で復讐の始まりである。然し乍ら、娘がやられたことと同じことを実行することは父にはできなかった。
 結局、飲み会に参加していた連中を含めて、過去に犯罪を犯した者が、生き、今後人並みの幸せを手に入れて良いか否かの採決をとろうとするが、答えは容易に出ない。そこへ、娘そっくりの少女が提案を出す。彼女は、殺された娘の父親との間に、娘そっくりの娘を作ると言う。父親は年をとっているから結婚はしなくても良い。唯、娘と自分に瓜二つの娘が生まれたら、一義的に生まれた娘の面倒を見るのは、主犯とその妻になった女。そして、犯罪に関わった者達は、学用品や机等をプレゼントする義務を負うことで側面援助するというもので、これで新たに人の命が奪われることはなくなり、犯人達にも、償いの機会が与えられた。父はまだ迷っていたが、迷いに迷った挙句、少しずつ、犯人が生きてゆくに必要な要件を認めてゆく。決して許した訳ではないが、犯人も生命の灯をともし続けられるよう、幽かな希望の灯を灯したのである。
 無論、最後の場面で観客は救われた気分になる。誰しも、殺人は、気分の良いものではあるまいから。
愛フォンブース

愛フォンブース

劇団フルタ丸

「劇」小劇場(東京都)

2014/10/29 (水) ~ 2014/11/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

バッチグー
 着眼点の面白さに十人十色の性格描写を溶け込ませた作りは見事。(追記2014.11.12)

ネタバレBOX

 欠けた林檎マークの新発売製品は、唯でさえ秘密主義のこの会社 にあってさえ、今迄無かったほどの秘密主義は、マニアを更に熱狂の渦に巻き込んだ。新製品をゲットする為に集まった10人。愛フォンブースという名称とサイズのみが明示されたが、スペックや値段、特性など、顧客が通常購入の際に必要とする情報は、伏せられたままである。而もこのメーカー、情報を秘匿すること、センスの良さ及び発想の奇抜で、ユーザーの疑心暗鬼を煽り巧みに誘導して、購買衝動をエスカレートさせる。その上で、飢餓感や品薄感を用いて虜にするという高等テクニックに長けている。集まった人間の殆どが、それらを重々承知の上で集まっているのだが、その他の人々も排除しないのが、今作にことよせて上手さを見せるフルタ丸の力である。具体例を挙げよう。10人の内、1人だけ、マニアで無いどころか携帯さえ持っていない主婦が紛れ込んでいるのである。
 彼女は、何故、此処にやってきたのか? ちょっと前まで、ママ友も、互いに回覧や固定電話によって連絡を取り合っていたのだが、携帯・Iフォンの普及によって皆ラインで繋がるようになり、これらの機器を持たないこの母子は、仲間はずれにされ馬鹿にされてしまった。それを見返す為に、此処に並んでいるのである。この辺り、こういうキャラを持ち込むシナリオの上手さ、現代文明批評の鋭さは、流石にフルタ丸である。
 ところで、1番は中村という名の男。2番はジュエルというハンドルネームのこの業界では名の売れた男。矢鱈、知ったかぶり&仕切りたがり屋でプレシオジテ臭フンプンの都会人を装った田舎者である。おまけに、新製品だから過去製品から類推することも難しい。発売される個数も不明な為、並んだ順番が重要になる可能性もある。そんな訳で、順番を買う者迄現れた。然し、必ずしも順番が総てに優先するという保証もない。
 こんな何もかも分からない状況で、煽られるだけ期待は煽られた。その結果現れるのは、其々の人間が持っているエゴである。このエゴのぶつかり合いこそ、今作の描こうとするものであることは言う迄もない。
 ところで、最後に落ちがある。順番を買ったり、大事な所で、ちょっと言葉を挟んで直前に発した言葉に何食わぬ顔をして責任を取らせてきた男は、スタッフであった。一種のスパイである。こんなことまでシナリオに織り込む所が、この劇団の作家の鋭い所である。綿密な計算を意識させない出来なのだ。本物である。
In The PLAYROOM

In The PLAYROOM

DART’S

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2014/10/31 (金) ~ 2014/11/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

my game
 サスペンスものなので、筋などは、発表されているもの以外に書かない方が良かろう。約110分の作品だが、筋の組み立てが巧妙で引き込まれ、一瞬たりとも気が抜けない。どんでん返しが、次々に出てき、観客もゲームに参加しているような緊迫感と共に観ることができるので、時間は、あっと言う間に過ぎよう。ラストの部分がやや失速したような感じだが、面白い。

泥の子

泥の子

劇団 きみのため

劇場HOPE(東京都)

2014/10/29 (水) ~ 2014/11/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

デジャビュ
感がある。自分のホントに小さな時、ここ迄悲惨ではないものの、雰囲気は残っていたからだろうか。(追記2014.11.12)

ネタバレBOX

敗戦3年後の東京、ニコライ堂の鐘の音が、響く病院アパートには、大家面した元小使いの老婆が、爆弾にやられたこの建物を人々に貸して日銭を稼いでいた。彼女、爆発で耳をやられて音が聞こえない。然し、その日の宿代の払えない者は遠路無く追い出すという冷静な面を持ち合わせている。中々因業な老婆である。
 現在、部屋を借りているのは、元鬼検事と自称する初老の男、何やら般若心経やら、観音経やらを誦し、鈴を振る。綽名は、先生だ。年齢は初老といった所か。帰還兵も居る。曹長だったとかで、中国大陸では若娘に酷いことをしたらしい。年中魘されている。猫を被ってはいるが、悪には違いない。綽名は復員。シナリオライター志願のヒロポン中毒者、ポン中。血を売ってはシャブを買っている。知識はあるが、ナイーブな男。靴を盗んでは金に換え、何と銀行預金を12万3千円もしているカッパ。自称大地主の息子で農地改革で財産を失った男。凶暴な犯罪を犯すタイプでもないが、ちゃらんぽらんな所もある。因みにカッパはカッパライから来ているのは、誰にも直ぐ分かるだろう。
その他姉弟が1組。貧しさから奉公に出されたが、年頃になると、器量の良いことから妾にされた。そんな暮らしが嫌で飛び出した後は、ストリッパーやパンパンをしながら中学生の弟を養って来たが、学の無い娘に他にどんな仕事があったというのだろう? それでも、弟に悪影響を与えられないと売春を止め、バーで女給として働くことで何とか身を立てていたが、彼女の美しさが仇を為した。チンピラヤクザにヤサを見つけられ、レイプされかかった際に、聞き及んだ居たヤクザの顔役の名を出して撃退したことから、このヤー公のレコにアヤをつけられた揚句、ヤー公から焼きが入ってレイプされた。おまけに、唯一の夢であった弟のマーボーは結核性の病に倒れて、薬の手配もままならない。唯一、治療に効果のありそうなペニシリン注射は1回1000円もする。薬代を稼ぐ為に再びパンパンに身を落としたが、名前を使った件に関してのレイプを1回で済ませ、シャブ漬けにもアヘン漬けにもしなかったのは、彼女の気性をヤー公が評価したからだった。然し、目を掛けたスケが誰彼構わず股を開いたとあっては、このヤー公の顔が立たねえ、となって2度目の焼きを入れられた訳であるが、本人は出張ってこない。手前のバシタのやっかみが怖いということもあるだろう、格好をつけて舎弟と例のチンピラを寄こした。舎弟がこのチンピラ命じた為に、この間のカラクリがばれていたこともあり、チンピラにも焼きを入れられる始末。
 それでも、鶴は弟の前で、金の心配をさせまいと「人気のある踊り子だから金は手に入る。心配はない」と嘘をついていたのだが、姉の不自然な態度をいぶかしんだ弟に質問されて、事実は、元パンパンの同僚、トンボの口から漏れてしまった。父と同じ病に罹ったと知っている弟は、父が患ってからの母の苦労を思い出し、姉の負担をいやがうえにも想起させた。優しい弟は終に自殺してしまう。
 弟を大学へやって世間を見返す為もあって、男断ちの誓いを立て、被ってきた泥を清めたハズの鶴であったが、レイプされて穢れ、たった一つの生きる目的・希望であった弟に先立たれて、ショックの余り床についてしまった。
 鶴の看病をしていたトンボは、就職してマッポになったを幸い、カッパを逮捕した復員に2万で手を打ってパイにして貰ったが、復員のあくどさはこんなものではなかった。復員が2万どころか彼の通帳を狙って首を絞めて来たので、反抗して自分も復員の首を絞めたが、気付いた時、復員の息は無かった。それで一旦、ヤサへ戻り、看病の為に其処に居たトンボを復員から奪ったワッパで拘束してトンコしてしまった。
 畳の上で往生したがっていた先生は、本当は鬼検事などではなく、主人家族を殺した殺人犯で、空襲で務所に火が回ったドサクサに紛れてトンコした脱走死刑囚であるとホントの事を話し、穏やかに息を引き取る。この辺り、最終的に、ホントのことを誰かに聞いて貰いたい、という人間実存の欲求を示してリアルである。
 一方、鶴は思うのである。死刑囚が観音に願って願いを聞き届けられ、畳の上で穏やかに死んだのに反して、苦労しかしたことのない姉弟が、人としての尊厳を踏みにじられたのみならず、最愛の者を奪われ、友人を失い、惨めさに泣くことさえできぬような苦悩を負わされる。そんな、神や仏とは何か!? と問う鶴の叫びは悲痛である。
 そして、このような叫びは至る所に在った。井上 ひさし作の東京セブンローズでも描かれていることであるが、戦い破れ、武器を取り上げられてしまった男なんぞ、何の意味もない。実際、戦後のどさくさに家族を守ったのは、女性達である。パンパンを余儀なくされた者もあったであろう。女を武器にした者もあったであろう。然し、現実に、戦前の飢饉や戦費調達に実質的に大いに貢献したのも女性の力が大きかったことを考えれば、売春をしていたからと言ってそれだけで彼女達を非難することは過ちである。からゆきさんの墓は、墓碑銘が総て古里に背中を向けていると言う。それだけ深い絶望を彼女らに味あわせたのが、我々の過去なのだ。そして、この過去を我々は未だ引きずっている。何故なら、既に多くの日本人がこの過去を忘れ、嘗て、売春婦を嘲ったように現在も差別し続けているからである。自分は、故あって無神論者である。然し乍ら、死者に対する冒涜とは、忘れ去ることであることぐらい知って居る。そして、忘れ去るとは、儀式化も含む。死者は、我らに、我らが生々しさを以て感じ続けることを要求するのだ。
 今でも、劇中のトンボの科白「自分は汚れている」という深い心の傷を抱える女性は多い。実際に、そういう傷を抱えながらも立派に社会復帰を果たし、他の人の面倒も見たりしてしっかりした生活を送っている方も多いのだが、また、知的職業に就いて、良い仕事をしている方もいるのだが、彼女達の心の傷は生涯癒えない。それでも、生まれてしまった彼女ら・我らは、誰しも自らの傷を生き延びねばならない。今作は、そのような覚悟の作品である。
 因みに神も仏も疾うに死んでしまったが!!
注:トンコ 脱走、逃亡のこと。
  シャブ 覚醒剤
  レコ 女
  バシタ ステディ
  パイ 釈放
  ヤサ 家、住まい
  ワッパ 手錠
  マッポ 警察、警官
『母の死』『大臣候補』

『母の死』『大臣候補』

オフィス樹

シアターX(東京都)

2014/10/28 (火) ~ 2014/11/01 (土)公演終了

満足度★★★★

名作劇場
「母の死」能島 武文の作品だが、上演記録が無い。実際に上演されなかったのか、それとも上演されたのだが、記録がないだけなのかは不明である。然し、前者であっても、不思議でない気がする。シナリオに曖昧な部分が多いのが、原因である。逆に言うと、演出次第でどうにでもなる。但し、難しいのは、如何に観客に納得させるかである。余り、恐れてもいけないし、なめてもいけない。自然に見えながら、尚、ドラマチックである為にどうつくるかである。兄と呼ぶのは、妹ではなく姪であるし、父が帰ってくると彼女の居る場所が不安定になるのだから、母方の命だろう。その姪が何故三五郎を兄と呼ぶのか? 「たまにして!」の意味する所は? 姪、よねの、はるに対する感情表現などは? 等々演出すべき所は多々ある。
「大臣候補」長谷川 如是閑の作品。全然、古びていないどころかまっさらのような作品。痛快である。(追記後送)

押入れのちよ

押入れのちよ

演劇集団 笹塚放課後クラブ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2014/10/28 (火) ~ 2014/10/30 (木)公演終了

満足度★★★★

国を創った女性達
 恵太は、セレブ相手の営業マンで、営業成績は常にトップ。そろそろ、プロポーズしようと思う純子という名の彼女がいる。純子と申し込んだフレンチレストラン、3カ月待ちで漸く席が取れた。(追記2014.11.13)

ネタバレBOX

 新任の課長、駒沢が大阪から赴任して来て、恵太の上司になったが、新居を購入、そのパーティーに誘われたが、レストラン予約日と日時が重なってしまった。パーティーに出席しなかったことを根に持ち、課長は、恵太をいびりだす。問題のある顧客ばかりを担当させ、ちょっとでもクレームが来ると、罵倒した。恵太は辞表を提出して、会社を去ったが、純子のことは忘れられぬ。然し、新しい仕事が決まり、課長を見返す迄は、頑張ろうと、綺麗好きな純子の為に、風呂付格安物件を探した。漸く見付けたマンション、予算の月5万よりずっと安い3万3千円で借りられたが、マンションとは名ばかりの3階建て、築35年の古いマンションだ。3階には3部屋。入居したのは302。301、302、303号室があり、303号室には、早大受験を目指す受験生が居た。301は、パワーショベルの運転を生業とするヨマンさんを含む仲間11人が、多分、同じ間取り、6畳(押し入れつき)とダイニングキッチン、風呂のスペースで暮らしている。然し、観光ビザで来日したままなので、警察を警戒している。
安い物件に、多少の疑義は抱きながらも、恵太は、経済的負担が少なく、取り敢えず、純子が来ても大丈夫な条件を具えたマンションに引っ越して来た。然し、その夜から、おかしなことが起こった。見ず知らずの女の子が、市松人形のような和服を着て、自分の部屋に居たのである。名前を訊くとかわかみ ちよ、14歳と名乗る。生まれは、明治39年だと言う。「出て行って欲しい」と言う恵太に「行く所が無い」とちよは応える。最初は幽霊だと怖がっていた恵太だが、事情を飲み込んで行くと、放ってはおけない気持ちになり、ちよに同居を許すが。
 ところで、今作、ハッピーエンドで終わらせて欲しい、と観劇中に思わせた稀有な作品である。ちよが背負わされていた世の中の余りの理不尽が、観客の心をそのように動かしたのである。ちよ役の田中 香子の熱演に拍手!【これ以上のネタばれは現時点では控える、楽日以降に追記することを約束しよう】
 以下、追記である。ホントは、この他にもう一つ、オチがあるが、トーンが変わるので書かない。
 アイスクリンを食べさしてやると、島原の叔父の家から300円で売られ、女衒に連れ出されたちよは、長崎から出港した船で南方へ向かった。カラユキさんとして僅か14歳の生涯をマラリヤで閉じる為に。カラユキさんの多くは、島原や長崎の貧乏な百姓の娘である。物同然に売られ、苦界に沈められた年端も行かない娘たちが、売春を強いられ、体を壊せば隔離されて碌な治療を受けられないどころか、役立たずとして食事さえ満録に与えられずに死んでいった。だから、カラユキさんの墓は、総て墓碑銘が故郷の反対を向いていると言う。その悔しさ、哀しさは筆舌に尽くし難いものであっただろう。その念が、ちよの霊に形を与えたのだろう。ちよの遺体を掘り出したのは、パワーショベルの運転をしているヨマンさんに違いあるまい。日本に来て彼の肩凝りが治ったのは、ちよの霊が離れたからであろう。何れにせよ、カラユキさんら、この「国」の犠牲になって異国で儚く亡くなった多くの方々に対して、無神論者としての立場も弁えず、冥福を祈りたい。
アポトーシス

アポトーシス

0 LIMIT

浅草リトルシアター(東京都)

2014/10/28 (火) ~ 2014/10/29 (水)公演終了

満足度★★★

もう少し、大人の笑いが取れると素敵
 折角、アポトーシスなんて難しい言葉を用いているのだから、わざとらしく声を張り上げるて滑稽味を出すような擽りや稚拙な演出でなく、アポトーシスサイドからのブラックユーモアも欲しかった。

ネタバレBOX

 
 エリーの動機は、無論、それなりの説得力を持つが、それとは次元を異にするレベルで死んで行く3人の死の描き方にセンスの良さが見て取れる。演出、演者双方が、真に人生の苦みを知れば、もっと大人のブラックユーモアの作品をものすることが出来よう。
【全日程終了】葉桜/ぶらんこ 【ご来場ありがとうございました】

【全日程終了】葉桜/ぶらんこ 【ご来場ありがとうございました】

7度

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2014/10/24 (金) ~ 2014/10/26 (日)公演終了

満足度★★★★

7度
 7度という劇団名について、良く質問を受けるらしい。リーフレットの説明によると、音楽用語だという。ドから7つ目の音、即ちシの音を7度の音と言うそうである。そして、この7度の音を用いて、西洋音楽に新たな地平を切り開いた作曲家が居たと言うのである。彼の名はエリック・サティー。「ジムノぺディ」「干からびた胎児」「世紀ごとの時間と瞬間の時間」「夢見る魚」「逃げださせる歌」等々、数々の名曲を残したパリの場末のピアノ弾きである。だが、20世紀の作曲家の中で、現代人に、これほど愛されている作曲家がいるだろうか? 彼以外に。まあ、自分の感傷などどうでもよい。(追記後送)

月の出る国

月の出る国

夢幻舞台

中野スタジオあくとれ(東京都)

2014/10/24 (金) ~ 2014/10/26 (日)公演終了

満足度★★★★

To be or not to be, that is the question.
無論、ハムレットの有名な科白である。総て、この世に生を受けた者がハムレットのようである必要はないし、民衆には、そんなことに悩む暇も金もないのが実情、という事情もあろう。然し、思春期から、どんなに遅くとも青春期のある時期に、ハムレットである必要はある。即ち、人生が生きるに値するか否かを真剣に問うべき時期が、誰にでもある。この作品は、その古くて新たな問題を、自分自身の視点から問い直した作品である。ストーリー展開としては、ベタだし、決して器用ではない。然し、人間として、そして、これから、大人になって行く過程で、まともな人間なら避けては通れぬ問題を真正面から、取り上げ、取り組んでいる姿勢が爽やかである。ラストの一行は美しいぞ!!

読書劇「岸上大作全集全一巻」

読書劇「岸上大作全集全一巻」

オフィス再生

秋葉原アトリエ「ACT&B」(東京都)

2014/10/24 (金) ~ 2014/10/26 (日)公演終了

満足度★★★★

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1960年12月5日未明に自殺した学生歌人、岸上 大作の名を知る者は少なかろう。自分も名を知っていたのみである。まあ、結果から言えばそれで充分な歌人と言わざるを得ない。1冊しか出版していないからではない。そんなことならば、Baudelaireは生前“Les Fleurs du Mal”1冊しか出版していない。侃々諤々はあったものの、19世紀彼の評価を普遍的なもの成らしめたのは、この詩集1冊だけの功績である。而も、彼は、世界の大詩人である。この詩集が出ていなければ、その後の世界詩壇は大いに違ったものになっていたであろう。だが、岸上は、無論、大詩人でもなければ、詩人ですらない、と自分は思う。
では、何故、彼は、もてはやされたのだろう。少なくとも、一時期。(追記後送)

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