実演鑑賞
満足度★★★★
「ねえ、何食べたい?」と聞かれて無意識のうちに相手の好きなものを答える…。
そして毎日がそのパターンになっていく…。
かつて私もそうだった…。(すげー若いころ)
自分が何を食べたいのかなんて一瞬たりとも考えない。
あの時の気持ちをありありと思い出して息苦しくなるような話だった。
ネタバレBOX
相手が自分に期待する自分を演じてしまう高校生奥田君、
それが高じて自分を表現することが出来なくなっている。
幼馴染の櫻井君と、奥田君を崇拝する堀君が、保護者のように観客のように(?)彼を見守る。
同級生の徳橋さんにやっとのことで告白したものの、母親との板挟みで言葉が出てこない奥田君。
この逃げてるんだか闘ってるんだかよくわからない奥田君が
たまに吠える台詞のなんと効果的なことよ!
誰もが耳を傾けるではないか。
言葉にならない奥田君の気持ちを通訳かイタコのように解説するのは堀君だ!
怒涛の台詞をあの活舌とスピードで堪能させてくれる。
奥田君がモゴモゴしている部分は大体堀君が解説してくれるのでとてもわかりやすい。
堀君のほっぺが少しシュッとなったのは、あの台詞を今日千秋楽まで全力で吠えたからだと思う。
素晴らしい。
客席に転げ落ちるほどのたうち回る伊達先生も素晴らしい。
“立ってるだけでもう売人”の澤さんも素晴らしい。
びっくりするほどストレートに「優しさと自己中のせめぎあい」の苦悩が描かれて、
青春恋愛騒動記みたいだが、時にこれが年寄りになっても続くから人生はままならぬ。
多かれ少なかれ大人になってもこんな忖度ライフはついて回る。
大人には、櫻井君のようにずっと後ろから見ていてくれる友達も
堀君のように“イタコしてくれる”友達もいない。
ましてや60万円を「しょうがねえなあ」とチャラにしてくれる売人もいない。(チャラにしたんですよね?)
だからいまだに肝心な時に限って忖度したりして自分を見失ういい大人は、
こういう芝居を観ると本当に切なくなる。
櫻井さんの“壊れてる部分と修復された部分”がバランスよく共存しているところが好き。
実演鑑賞
満足度★★★★★
腹の底から搾り出すような、やり場のない怒りと悲しみの台詞に圧倒される。
怒涛のように笑っても歌ってもつかみ合いの喧嘩をしても、
深いところには涙の川が流れている。
宿命とか運命とか言ってあきらめるにはあまりにも過酷な人生。
国って何だ? 人を幸せにしない国って何なんだ?
それに耐えて生きている人々の姿に、ただ泣いているだけの自分が情けなくなる。
ネタバレBOX
1970年大阪万国博覧会があった頃・・・大阪国際空港に近いこの一角は、在日の人々が
肩を寄せ合うように暮らす地域だ。
そこに「焼肉 ホルモン」という看板を掲げる小さな店があった。
人々がこの店を「焼肉ドラゴン」と呼ぶのは、太平洋戦争で左腕を失った店主、
金龍吉の名前に“龍”の文字があるから。
店主は先妻亡き後、二人の娘を連れて再婚し、後妻とその連れ子の娘、二人の間に生まれた
長男、という複雑な6人家族となった。
この店に出入りする人々、とりわけ男たちの焦燥とあきらめ、そこから逃げるように
毎日酒を飲んで歌う様子に女たちが怒鳴り散らすのもうなずけるというものだ。
在日の人々の制限の多い社会で、濃密な人間関係が否応なしに絡まってしまう、そのジレンマ。
長女も次女も三女も、申し合わせたように結婚はトラブルだらけだ。
進学校へ進んだもののいじめに遭い、多分そのせいで「あ~」と発するだけの“失語症”に
なってしまった長男が哀れでならない。
彼だけは“日本生まれの日本育ち”であり、大人たちのように酒や歌で憂さを晴らすことも知らない。
逃げたり帰ったりする故郷を想像して心を慰めることもできない。
辛酸をなめ、逆境の中で生き抜いてきた父親の強さもない。
出席日数が足りずに中学校を留年することになり、親からは転校も許されず、絶望の果てに二階の屋根から飛び降りて死んでしまう。
唯一彼が自ら選んだ選択肢がそれかと思うと、差別の激しさと何に対してなのかわからない悔しさで胸がいっぱいになる。
その長男が、物語の冒頭屋根に上って大声で叫ぶように語る。
「この町が嫌いだった…」
そしてラスト近く、死んだはずの彼は再び屋根の上から叫ぶのだ。
「今は…この町が好きだ」
ことばが出なくなった時間を取り戻すかのようなその声が、登場人物の中で一番切羽詰まって聞こえた。
立ち退き、取り壊し、バラバラになる家族、と最後は別れを惜しむ時間をたっぷり
取ってくれたおかげでずっと泣き通しだった。
この先の運命を知っていると余計に希望が持てなくて暗澹とする。
それでもきっとドラゴンは、その片腕で生きていくのだろう。
そのへんのヘタレとはわけが違う。
でもだからこそ、余計に涙が止まらないのだ…。
韓国語の訳がタイミングよく表示されるので勢いが損なわれることなく話が進む。
人を根本から支える母国語の強さを感じる。
そのことばを失った長男の孤独が、痛みを伴って際立つ。
開演前から演奏されるアコーディオンと太鼓の演奏、劇中歌われる当時の流行歌、テレビのCM等
時代を彷彿とさせる要素が盛りだくさんで、当時の日本の空気感が色濃く漂う。
ハマリ過ぎの配役に考える間もないほどの台詞の応酬、完全に持っていかれた3時間強。
最後の「ドラゴン」を観たいけど、泣き虫の私は観られないかもしれない (/_;)
実演鑑賞
満足度★★★★
ポップンらしいタイムループファンタジーにほろりとさせるエピソードを絡め、
時に思い切り振り切れてぶっ飛ばす。
このメリハリと両極端が両立するのがポップンの素晴らしいところ。
NPO法人さん、頑張ったなあ!野口オリジナルさんも老け役頑張ったなあ!
ネタバレBOX
とある老人ホームが舞台。
入居者はみな個性あふれる人々だが、スタッフも負けず劣らず個性あふれまくり。
妻に先立たれて入居した影山一郎(野口オリジナル)は、なかなか周囲となじめずにいる。
時折訪ねてくる娘といつも喧嘩になっては婿が間に入ってなだめる、というパターンの繰り返し。
だがある日一郎は、昨日と同じことが今日も繰り返されている“タイムループ”に陥っていることに気づきパニックになる。
そんな彼の話を信じてくれたのは、SF好きの婿(辻響平)とホームのお調子者ドライバー(井上ほたてひも)だった。
婿の「誰かの、思いを遂げられない気持ちが残っていて、それが引き起こしているんじゃないか」という言葉に、3人はその“思い”を叶えて、タイムループから脱しようとする…。
“年寄りもの”はポップンの鉄板ジャンルだが、今回はまた強烈な爺さんたちが楽しかった。
“元大工で踊る(?!)”蓮台寺さん(岡野康弘)や“栗を拾って足で剥く”刈羽さん(今井孝祐)、
“上からゴージャス”な感じの赤城さん(増田赤カブト)と、バリエーション豊か。
タイムループから抜け出すために、初めて周囲の人とかかわらざるを得なくなった一郎が、
次第にほかの入居者と言葉を交わし、仲良くなって、態度が柔らかくなっていく様がほのぼのと描かれる。
ラストの怒涛のハッピーエンドがまた楽しくて、さっきまでじわっと涙が沸いていたのが吹っ飛ぶ感じ。
この泣いたり笑ったり手拍子したりがポップンなんだなあ!
老人たちとスタッフのやり取りがおかしい、それに婿のオタクっぷりも面白くて随所に笑いあり。
井上ほたてひもさん、今やポップンの重鎮なのにそれを感じさせない天然ぶりが(素なのか?)と思わせてほんと素敵。
終演後外へ出た時、昔このステージカフェ下北沢亭へポップンを観に来て、開演前に下で吹原さんとお会いして短いことばを交わしたことを思い出した。
長編でも短編でもいい、もっと毒ッ気があってもいいし、振れ幅大きく泣かせて笑わせてナンセンスでもいい。
NPO法人流ポップンテイストがこれからどんな進化を遂げてくれるのか、楽しみにしています。
で、二代目、次の公演はいつ頃でしょうか?(^^♪
実演鑑賞
満足度★★★★★
オーストラリアで、消滅したと思われていた言語を話す女性が発見され、言語学者が採集を試みる。
そんな言語をどう表現するのか、興味津々で劇場へ向かったが「その手があったか!」
という驚きの手法。
侵略者に奪われたのは言葉だけではない、民族の存在そのものであった。
その罪を一体誰に問うべきか?
出演者の努力と、この戯曲・演出の素晴らしさを忘れることはないと思う。
ネタバレBOX
頑なに言葉を発することを拒んでいたミラが、言語学者の問いにぽつぽつと答え始める。
ミラは片言ながら英語を解し、言語学者との会話はすべて英語、その日本語訳はスクリーンに
映し出される。
そして消滅していたと思われていたユーリア語は日本語で話される。
この言語表現の設定に慣れるまで少し時間を要した。
言語学者の大声の英語が、”よくあるアメリカ映画のテンション高く隙間を埋めるあまり重要でない台詞”のように聞こえたのが要因のひとつ。(努力の賜物と理解している)
だがネイティブに近づけるための彼の発音、リズム、感嘆詞などに少し慣れてくると、
”ネイティブが発する生身の言語”と”あとから獲得した言語”、そして”話さなくなって久しい言語”の
違いが際立ってくる。
圧巻はやはり森尾舞さんの「ミラ+3役」だろう。
亡くなった祖母、母、叔母と交信するかのように過去を語り、ともに旅をするミラ。
祖母とミラ、母とミラ、叔母とミラ…。二人による会話を(まるで落語のように)自然に切り替えながら紡いでいく。
この交信の際のユーリア語は流れるように語られる。
大切なことはすべてユーリア語で学んだのだと解る。
そして侵略者たちが何をしたか、なぜミラの歯ぐきから出血が止まらないのか、私たちはそれを知ることになる。
重いテーマのラストがほの明るいものであったことに救われる。
ミラはユーリア語の最後の話者ではなかった、そしてこの作品は語り継がれていくのだという確信の故である。
西尾友樹さん、森尾舞さん、作・演出、そして素朴で美しい美術等すべてに感謝します。
実演鑑賞
満足度★★★★★
エドガー・アラン・ポオの2作品「おしゃべり心臓」と「盗まれた手紙」を元に
再構築と深掘り検証を加えるという凝った造り。
脚本のテイストとかはづ書屋との相性の良さもあって極上のエンタメとなった。
ミステリーにはつきものの説明的な長台詞をものともせず、流れるような展開に引き込む
役者陣が素晴らしい。
ネタバレBOX
「第一話 エディプスの心臓」
神経症のような行動をとってしまう若き子爵は、密かに林教授に助けを求める。
教授は木々高太郎の名で探偵小説を書いており、作品の中で探偵は精神分析を用いて事件を
解決する。
教授は、子爵と彼の父、父の後妻の3人の関係を解きほぐし、一旦は表面的な解決を見出した
かのように見えた。
が、そこから子爵の計画をあぶり出し、決して表に出してはならない秘密へとたどり着く。
隠された憎悪の念がすさまじく、張り詰めた空気が客席にまで伝わってくる。
教授役の森尾繁弘さんが精神分析の手法でそれを引きずり出す過程が大変面白かった。
子爵の思いがけない行動の理由と、ラストの着地のコントラストが鮮やかで印象深い。
「第二話 ふみどろ」
こちらは町中の碁会所が舞台。
まもなく席亭の一周忌、後を継いだおかみさんが席亭の残した日記を持ってくる。
ポオの作品の中でも傑作と名高い作品、その結末にどうしても納得がいかない、
別の真実があるのではないか、という意味のことが書かれている。
碁会所の常連で探偵作家の小栗忠太郎はほかの常連客を巻き込んで”別の真相”求めて
推論を戦わせる。
落語を織り込みながらのにぎやか且つ鋭い推論から、原作のほころびを追求していく。
作家役の島田雅之さんがさすがの作家ぶり。硬軟自在で進行にメリハリが生まれる。
原作を読んでいなくても心配は不要、巧みなリードでその先の世界へ連れて行ってくれる。
完成しているはずの論理のほころびを見つけ出すとは、どんだけ読み込んでからの創作なのか?
創作のスタートそのものを自ら難しくするような柳井氏のチャレンジがたまらない。
実演鑑賞
満足度★★★★
真面目で一途な人々が、それぞれの方向性の違いを真摯にぶつけ合う…って
ハタで見てるとこんなに可笑しいのか!
登場人物のキャラの作り込み、台詞の間、肝心なところで声が…
あー変に可笑し過ぎる!
ネタバレBOX
劇場に入った途端、下手から上手までゆったりと広がる居心地よさげな空間に
びっくりする。何、このバーラウンジのような、素敵な部屋は?
と思ったら「マナー牧場」という全寮制のマナースクール、しかも完全無料。
ここで「マナーとは」のやり取りが繰り広げられる。
コントのようなくすくす笑いが随所に散りばめられているのだが、
「マナーとは何か」「マナーの先にあるもの」という芯があることと、
登場人物の設定が面白いのでストーリーに引っ張られていく。
バラエティ番組の”場を盛り上げようと必要以上に力んでリアクションする”
感じにうんざりしている私としては ”静かな可笑しさ”が新鮮で楽しい。
セットの素敵さ、フライヤーのしゃれ感とナンセンスのギャップがまたいいんだな。
個人的には「温ちゃん」と、純朴な「いなり寿司」のキャラが好きです。
マナー牧場、稼いで頑張るんだ!
実演鑑賞
満足度★★★★★
ああ、日本はもうすぐこうなるんだな、
もう既に小さいのは、あちこちで始まっているんだなと思う。
安く都合よく外国人労働者を使い、そのために移民を受け容れ、
増えすぎてコントロールが出来なくなり社会が分断される・・・。
それを移民一人ひとりのリアルな視点から複合的に見ている。
翻弄され、追いつめられていく”個”の物語が痛切。
ネタバレBOX
架空の日本が舞台。
人手不足を補うため、海の向うから移民を受け入れている。
彼らは業務の得意分野ごとに居住地を割り当てられ、安い賃金で下請けをしている。
当日パンフには、登場人物の日本人の名は漢字で、移民の名はカタカナで書かれている。
日本人社長とその息子拓也、
「解体」を請け負う下請け会社の移民の社長、社長の娘アカリと、社長の姉カナエ、
移民たちのために奔走する日本人弁護士昌美、
そこへやって来た流れ者のような、戦士のようなトラックドライバーミドリカワマキ・・・。
移民たちは見た目も言葉も、ほとんど日本人と区別がつかないほど達者だ。
たった一つ「ザ行」を「サ行」と発音してしまう事を除いて。
これは”未知の価値観とどう対峙して新しい社会を創るか”という問いを与えられた
国を試すような”現在進行形の”テーマだ。
ミドリカワマキの影響を受けて、若いアカリの価値観がひっくり返る様がダイナミック。
平体まひろさんの、壁に正面からぶち当たりながら無茶苦茶に進むアカリが清々しいほど。
そのミドリカワマキを演じた森尾舞さんが素晴らしかった。
ただ者ではない雰囲気が漂っていて、孤高の旅人でありながら人を惹きつける。
複雑な人間像を全身で表現していてとても魅力的。
日本人社長の息子として、移民の会社を管理する拓也の立場の辛さが痛々しかった。
おそらく現場で一番苦しむのは、この拓也のような人間だろう。
失敗の許されない窮屈な日本人社会と、祖国を離れ安全な国で自由を謳歌したい移民たち。
国の無策を最前線で浴びるのはこういう人たちで、拓也は結局負け組として堕ちていく。
それを冷やかに突き放す父親のことばに慄然とした。
西山聖了さんは、生真面目で要領悪く、自分を責めながら生きる拓也の孤独を
哀しいほど見せて共感を呼ぶ。
作品の冒頭、ミドリカワマキがアカリの元に現れるシーン、
そのシーンがもう一度最後に再現される。
ああ、祖国へ戻ってテロリストとしての最期を選んだミドリカワマキが
アカリに会いに来たのだと判る、この構成が秀逸で泣いてしまう。
移民たちの祖国では、高校生くらいの少女が、親の決めた結婚をさせられる、
そしてSNSで他国の情報を知ると、自分の未来に絶望し自殺するという。
彼女たちは、一体何を選択すれば幸せになれるのだろう。
16歳で花嫁になるか、日本に来て搾取されるか、祖国のテロリストとなるか。
そのことを考えさせてくれた名取事務所とスタッフの皆さんに感謝します!
実演鑑賞
満足度★★★★★
沖縄戦と言っても教科書とニュースでしか知らない私たちをがつんと打ちのめす。
ノーテンキな令和の日常を根底から揺るがす緊張感MAXの台詞を浴びて、
初めて私たちは戦争を「情報」ではなく「疑似体験」する。
こんなことが出来るのはやっぱり芝居、それもチョコレートケーキの圧倒的な力だ。
ネタバレBOX
全編ガマの薄暗い空間で展開する。
敵の攻撃を逃れてこのガマに逃げ込んだ6人の、ここまでの経緯が少しずつ語られる。
戦時下における教育の賜物のようなひめゆりの少女、
少女に助けられた、部下を全員死なせてしまった少佐、
助からないとはいえ負傷した教え子を置いて逃げた教師、
そして二人の脱走兵と、
彼らの道案内をして来た住民の老人。
全員が死んだ人間を思い、生きている自分に負い目をもって息を殺している。
そして死ぬチャンスを待っているように見える。
それでいて心のどこかに生きることへの渇望が蠢いている。
印象的だったのは、人間に価値観を植え付ける教育の力だ。
ひめゆりの少女が、傷つき死んでいく兵隊を山ほど見ても尚、天皇陛下のために死ぬと言い、
そうすれば沖縄県民は立派な日本人として認められるのだと言う、
その頑なまでの訴えに”死ぬことを怖れぬ国民は使い易い”という怖ろしい目的を見る思いがした。
純粋なだけにお国の教育を疑うことが出来ずにもがくひめゆりの少女を演じた
清水緑さんの迫真の台詞が素晴らしかった。
「白旗を挙げた者を攻撃はしない、捕虜を傷つけることもしない」と皆を説得するのは
病気で妻を、3人の息子を戦争で亡くした孤独な老人知念さんだ。
脱走兵と知りつつ騙されてやる優しさ、頑な少女の心を解きほぐす素朴で力強い言葉、
自責の念に駆られる者には「それでも生きるのさ、命は宝だから」と諭す温かさ。
キャストを知っているからそれと判るが、久々に拝見した大和田獏さんは
イメージを覆す見事な老人ぶりで、柔らかさと信念の強さがあって素晴らしく魅力的。
台詞はどれも朴訥で、声高に相手を変心させようとはしないのに、
やさしい言葉で「それでも生きて欲しいのだ」と心を尽くす姿にボロ泣きした。
字面で読んだり映像を見ただけの情報から、一気にあの時代のあの空間へ引きずり込まれた。
全編ガマの中の限られた空間が舞台で薄暗く、その分集中して時空を遡ることが出来る。
ラストで白旗を掲げた6人がガマから外へ出るシーン、その時初めて
強いライトが全員の顔をはっきりと正面から照らす。
恐れと、不安と、だが知念老人のことばを信じて明るい方へ向いた表情が力強かった。
外へ出た時、どこか「戦時下体験テーマパーク」から出て来たような錯覚を覚えた。
戦う体験ではなく、戦いたくない側の壮絶な体験だった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
何というピュアなラブストーリーだろう。
登場人物の唯一無二のキャラと怒涛の叫び、そして不意打ちの切なさ。
MCRを頭から浴びた満足感。
ネタバレBOX
舞台は奥に向かって3段階に上がっていく。
モノクロの背景に長方形の箱のみ。
手術のできない脳腫瘍で入院中の男、小野君。
病気のせいで妄想と現実の区別がつかず、ちょっと困った患者のようだが
優しい看護師の女性が傍についてくれている。
もはや回復は見込めず、ぼんやりすることが多くなった小野君。
「立っていられないほど泣いちゃうからお見舞いに行けない」という同級生。
「私のことを看護師さんだと思っているんです」と見舞客に説明するゆかりちゃん。
そうか、あの看護師さんはゆかりちゃんだったのか、と判った瞬間の切なさ・・・。
高校時代のエピソード、ゆかりちゃんとの結婚、コンビニのバイト、そして脳腫瘍。
これ以外は小野君の妄想の世界かもしれない。
ラストで私たち観客は、ここまで小野君の妄想を一緒に見ていたのだと気づく。
そしてどの妄想も、小野くんとゆかりちゃんが幸せになるために描いた夢だった。
「手を握る」という行為がひとつのキーワードになっている。
現実と妄想の区別をするために、本当の自分の気持ちを確かめるために、
小野君にとって大事な必須の行為だ。
高校の授業中に告白された時と、今 死が近づいている時。
大事な時はいつもゆかりちゃんの手を握って確かめる。
大丈夫、これは現実だ、これが幸せだ・・・、その行為が彼に心の安定をもたらす。
高校の授業中の怒涛の告白と堀先生のやり取りが秀逸。
あの台詞の聴きとりやすさと絶妙なタイミングはMCRの真骨頂だ
帯金ゆかりさんの周囲を見ない一途さと、堀先生の必死さが素晴らしい。
堀先生は見る度に成長して(体格が)ほっぺぷるぷるに磨きがかかっている。
あり得ない設定と展開にケラケラ笑っていると
最後の方「ゆかりちゃんの漫画」のくだりで、夫婦の互いの思いに泣かされてしまう。
何だよ、櫻井さんってこういうの書くんだっけ?
と思いながら泣いたのだった。
殺し屋の男が社会的にもきちんとしていて、とても素敵なのが面白かった。
高低差のあるセットで、時空を飛び越え場面を切り替えるイメージが
とても解りやすい。
胡散臭い宗教だか自己啓発だかの勧誘が出て来るところと、
日常の中にすうっと「殺し屋」が出て来るところが、MCRっぽくて好き。
そしてやっぱり、あの「手」のシーンが忘れられない。
実演鑑賞
満足度★★★★★
200年前のイギリスで実際に起こったセンセーショナルな殺人事件を舞台化した作品。
虐げられた女たちの、泥にまみれたエネルギーに圧倒されまくった120分。
理不尽な社会に対するささやかな復讐が、この理不尽な手段で何が悪い?!
社会や戦争、そして男どもを羽交い絞めにするような作品を紡ぎ出すOn7に相応しい
愛と怒りに満ちた舞台だった。
ネタバレBOX
冒頭から、血にまみれたマライアが客席に向かって訴える。
「私が死んでからもう1年になりますが、まだ誰も私を見つけていません」
そして自分を騙した男が拳銃で自分を撃ち、まだ息のあった自分をさらにスコップで
殴ってとどめを刺したのだと語る。
そんな衝撃的な最期を遂げたマライアにも、貧しいながら明るい少女時代があった・・・。
領主と、その土地を借りている農場主、彼らの権力の下で食うや食わずの暮らしを
している村が舞台。
仲良し5人娘は夢を見ながらも現実に流され受け容れて、食べるために売春まがいのこと
をして不本意な妊娠を繰り返したりしている。
その中でマライアは農場主の息子トマスと恋に落ち、妊娠するも赤ん坊は死んでしまい、
トマスも不慮の事故で死んでしまう。
次の恋の相手はその死んだトマスの弟ウィリアム。
結局このウィリアムが、自分の子どもを産んだマライアを騙して納屋に呼び出し、
殺してしまうのだ。
貧困から抜け出すには金持ちとの結婚しかないという選択肢の無さ、その結婚を
周囲の誰も認めないという行き止まりの中で、信じた男に裏切られたマライア。
彼女の人生の中で救いとなったのは父親の再婚相手アンだ。
ふたりが初めて顔を合わせるシーンは、よくある継母と娘の凡庸なぶつかり合いでは
なく、緊張しつつも互いを尊重して素直に認め合う、この作品の中で一番温かく安心
できるシーンだった。
この継母アンが「夢にマライアが出てきてここにいると言った」と赤い納屋を訪れる。
何度も同じ夢をみて、ついにアンは変り果てたマライアを発見する。
そして残された仲良し4人と継母アンは、意を決して復讐を果たす。
客席のすぐ近くで、ゆらゆらと明々と彼女らの顔を照らし出す炎。
自分たちの正義を信じ「こんなのおかしい!」と行動を起こした5人の表情が清々しい。
有頂天でも、絶望しても、彼女たちのエネルギーの凄まじさは、令和のひ弱な人間を
圧倒する。
あれは豊かな暮らしの中では決して生まれないエネルギーだ。
極秘出産したのち、次第に理性を失っていくマライアがリアルで怖いほど。
復讐するのだ、と皆を説得するセアラには、舞台全体を揺さぶる強さがあった。
アンは、たとえ憎まれ口をきいているときでも、その表情は慈愛に満ちている。
200年経って、私たちの時代はマライアの生きた頃から変わっただろうか。
厳然と残る階級や因習や誰が作ったのかわからない”常識”に縛られる社会は、
進化どころかますます縛りがきつくなっているように感じる。
友達だって、極秘出産を助けに来てくれたり、復讐してくれたりはしないだろう。
そしてもちろん、私の死体を見つけてくれる人もいない。
それだけは、マライア良かったね、と思う。
実演鑑賞
満足度★★★★★
じれったいようなもどかしいようなテンポかと思うと、リアル過ぎて怖い台詞の応酬が
ぽんぽん!このソファー、きっと私も捨てられないと思うとボロ泣きした。
お父さん、あなたはどんな気持ちで、あのソファーに座っていたのだろう。
ネタバレBOX
舞台上には茶色い革張りの、古い大きなソファーがひとつだけ。
ゆるくカーブを描くソファ―、これが今日の主役か。
ひとり暮らしだった父親が亡くなり、実家の取り壊しが決まっている家。
時々実家に来て父親の世話をしていた妹から「最後に相談したいことがある」と
招集がかかり、久しぶりに兄弟3人が顔を合わせる。
「映画監督になりたい!」と東京へ出た長男。
再婚してえらく若い奥さんをもらった次男。その奥さんも来る。
そして夫とは別居中の妹。その別居中の夫も来る。
東京にいて大した手助けもしなかったくせに、近くにいた次男と妹に不満を言う長男。
妹が父に車の免許返納を説得し、することが無くなった父は庭いじりするしかなかった。
その結果庭で転倒して死んでしまったのだ、と言う長男。
妹は後悔の念に苛まれ、最後に父がいつも座っていたソファーをどうしても捨てられない、
捨てることは父親を2度殺すことになるから。
だからどうしたらいいかを相談したかったのだと心情を吐露する。
時折差し込まれる過去のエピソードによって、一家の歴史が語られる。
「ママ」として夜働く妻が、酔って客のひとりである地元の金持ちの和菓子屋を
連れて帰宅した時のエピソードは、配役の妙もあって感情移入せずにいられない。
互いが大切なことはわかっているのに妻は「優しいだけが取り柄の男」と口にし、
夫は「この人を連れて帰ってくれ」と和菓子屋にタクシーを呼んでやる。
ソファーがまるで父親の魂が乗り移ったかのように、ふんぞり返って座る和菓子屋を
床に放り投げるシーン、この超常現象(?)の場面だけは痛快だった。
妻が次第に帰って来なくなっても、父は毎晩
「電気つけっ放しにしてこのソファーで帰りを待ってた」と妹は言う。
このソファーは父の誇りであり、孤独であり、愛情の全てだったのだ。
妹のこの一言に父親の無念さや寂しさがあふれていてボロ泣きした。
このソファーを、捨てられるわけがない。
結論の出ないソアーの処遇をめぐってぐだぐだと兄弟が言い争う中、
次男の若い妻が要所要所で放つ天然のひと言がスパイスのように効きまくる。
妹の別居中の夫も、クッションとしての役割を期待されつつ時にそれを自ら
かなぐり捨てて極めて能動的に場を回す。
この外様(?)の二人が冷静に、時に熱く一家に絡む存在感がすごい。
グチグチのあるあるのリアルさ、漫画のような急展開のバランスが素晴らしい。
ラストはソファー(イコール父親)のみた幸せな夢なのだろうと思った。
実演鑑賞
満足度★★★★
”教科書的出来過ぎキャラ”オンパレードの原作よりもはるかに人間臭い作品だった。
畑澤氏の前説で青森県と太宰治の強い絆(?)や「走れメロス」の元ネタの話などが
語られ、とても興味深かった。いやー今さら、そうだったのか青森県と太宰治!
ネタバレBOX
開演前の舞台を見ると正面に十字架が掲げられ、その下に今風のギターがある。
なんでギター?と思っていたら、全編を通して大活躍だった。
妹の結婚準備の買い物に来た町で、「王様は自分の身内や側近を次々に殺している」と耳にして「成敗しなくちゃ」と立ち上がるメロス。
案の定捕らえられて処刑されるという段になって「妹の結婚式のために3日間だけ時間を下さい!代わりに親友のセリヌンティウスを牢屋に入れといて!必ず戻りますから!」とトンデモ提案、いい迷惑なセリヌンティウスもまたこれを受け容れて・・・いい人過ぎるだろ!
というおなじみの展開だが、舞台では牢獄のセリヌンティウスと悪徳王ディオニスとの
濃密な会話がメインだ。セリヌンティウスを助けようと手を差し伸べる人々に
「メロスは必ず戻ってくる!」と脱獄を拒否するセリヌンティウス。
メロスの帰還を阻止しようと企むディオニス王は、セリヌンティウスを処刑し、間に合わなかったメロスが、自分を殺害してくれることを願っている。
この屈折した心理は王が密かに詩を書いているからであり、”詩人として世に認められたい”という切なる望みから来ている。
”真の悲劇は、自分が殺されて初めて完成する”と信じているのだ。こじらせ詩人!
結果、メロスは裸でゴールイン!間に合ってセリヌンティウスと抱き合って喜ぶ。
王は二人を赦し、国民は王を称えて万歳。
あー、なのにこの作品では意外な結末。あっけなく王は殺されてしまうのだ。
くるくるとメロス役が入れ替わりながら怒涛の台詞が紡がれたり、
あのギターがドンピシャのタイミングでBGMをかき鳴らし、全員が歌って踊るミュージカル調になったり、テンポ良くきゅっと引き締まった90分。
何気に軽~く訛っているところが好き。
段ボールに描いたイラストが素朴に巧くて出て来る度に笑ってしまう。
刺された王が最期に満足気な微笑を浮かべるところが、最も彼の人間味を感じさせる場面だった。
演じる三上陽永さんの繊細な表情と台詞が、屈折した王の多面性を自然に見せて素晴らしい。
「真の正直者などいるはずがない」と言う猜疑心の塊の王が、実は最も正直だったのではないか。
原作とは違うエンディングがその彼の孤独と苦悩を際立たせていて、教科書のハッピーエンド「走れメロス」よりもずっと深い余韻が残った。
実演鑑賞
満足度★★★★
劇作家で演出家で俳優の5人に、若手俳優1人を加えたチームによる芝居。
期待通り達者な台詞でクセ強めのキャラも面白い。
これで”センセイ”かあ...、という人ばっかりが出てくる第七中学の休憩室が舞台。
ネタバレBOX
テーブルと椅子もあるけど、小上がりみたいな畳のスペースもあって
居酒屋か夜勤スタッフの仮眠室みたいな、のどかな雰囲気の休憩室。
ここに、常に休憩中みたいな教師たちが入れ代わり立ち代わり出入りして騒動が起こる。
軽いドタバタだがキャラ設定は面白く、台詞の絶妙な間に何度も笑いが起こる。
そこに人生の哀愁やほろ苦さ、切なさが描かれるのをつい期待してしまうが、
そこまでの味わいや毒っ気はない。
作家さんそれぞれの個性を際立たせた小品を、オムニバス形式で観せる!
なんてだめなのかしら?
ほろりとさせたり、矛盾を突いたり、怒りを爆発させたり、いろんな教師が出てきて
面白いと思うけれど、そもそも”徒花”と銘打っているのだからこれで良いのかも。
若手俳優の荒澤守さん、タッパも華もあって素敵でした。
爽やかな若者も、すんごい悪い奴も、どんどんやってください!
実演鑑賞
満足度★★★★★
開演前の舞台下手奥、壁に1枚の鏡、机がひとつ。
その机に向かって1人の男が座っている。
微動だにしないその後ろ姿を見ていると、彼こそが幽霊なのかと思ってしまう。
やがてこの屋敷に棲みついて人々の人生を狂わせていく幽霊の正体が視えてくる・・・。
ネタバレBOX
北欧の名家アルヴィング家の一室。亡き夫の名を冠した孤児院の開所式を明日に控え、
夫人と牧師マンデルスが打合せをしている。
画家修行のためパリに滞在していた息子オスヴァルも帰って来ている。
屋敷の使用人レギーネは、孤児院の建設にも関った大工エングストランの娘だが、
父親が計画している新しい事業を手伝う気は毛頭ない。
牧師マンデルスが、相変わらず伝統的な倫理観に固執して夫人の人生を否定した時、
アルヴィング夫人は真実を白日の下に晒す決意をする。
すなわち
亡くなった夫は、人々が信じていた名士などではなく、放蕩の限りを尽くしていたこと、
かつて一度だけ夫を捨ててマンデルス牧師の元へ逃げて来たアルヴィング夫人を、
牧師は諫めて家へ帰したが、その後も放蕩は収まらず偽りの結婚生活を続けたこと、
亡き夫は使用人の女性に手を出して子どもを産ませ、その子がレギーネであること、
夫の放蕩と業病から7歳の息子を遠ざけるためにパリへ行かせたこと・・・。
これら積年の恨みを上辺しか見ないマンデルス牧師に一気にぶちまける。
おまけに自らも業病を患ってしまったオスヴァルは、血のつながりがあるとは知らず
レギーネに手を出そうとしている始末。
この期に及んでマンデルス牧師の「息子は父親を尊敬するべき、妻は夫を支えるべき、画家
など諦めてまともな仕事をするべき、娘は父親を助けるべき、云々」という形式的な倫理観は
滑稽なほど説得力がない。
当時の人々の暮らしが宗教と古い価値観の中にあって、がんじがらめだったことがわかる。
アルヴィング夫人に行動を決意させたものは、人生の半分を偽善に費やした悔しさと、マンデルス牧師に対する失望、息子の人生をも狂わせてしまった後悔の念だと思う。
まさに、死んだはずの「幽霊」に憑りつかれて道を誤ったのだと思わざるを得ない。
一方真実を知って、それならと前へ進もうとするのは若いレギーネだ。
医師からもう長くないと告げられて絶望の淵にあるオスヴァルが、最後にすがったのが
レギーネの愛情だったが、「こんな田舎で病人の面倒を見るつもりはない」と素晴らしい一撃で屋敷を出て行く。野心も金銭欲も旺盛で牧師様の言うことなど歯牙にもかけない言動には
爽快感すら覚える。
アルヴィング夫人は古い因習に真っ向から立ち向かった。
敵だらけの中、正攻法でぶつかったので傷も喪った物も大きかった。
これに対してしたたかなのは大工のエングストランだ。
常に利害を見て姑息に立ち回る彼は、開所式前日に孤児院が全焼してしまうという事件を
得て、出火の原因を”牧師がミサの火をちゃんと消さなかったからだ”と指摘する。
身に覚えがないまま自信を失って「牧師の資格をはく奪されるかもしれない」と意気消沈する
牧師に、私がお助けいたします、と言葉巧みに自身の事業用寄付金集めの片棒を担がせる。
日頃のご立派な説教はどこへやら、ホイホイそれに乗っかる牧師の情けない倫理観。
「太陽、太陽」と力なく呟いて意識が遠のいていく哀れな”依存心の塊息子”に、モルヒネを
託されて苦悩するアルヴィング夫人・・・。
物語はここで終わるのだが、一人ぽっちになったアルヴィング夫人はどうするのだろう。
息子も、使用人も、かつて心を寄せた牧師も、皆行ってしまった・・・。
これほどの代償を払わなければ、人は幽霊から脱却することが出来ないのか。
レギーネ やエングストランのように、庶民の方はとうの昔に幽霊から脱却している。
牧師の説教より日々の生活が優先されるのだから。
たぶんアルヴィング夫人はわが子にモルヒネを投与するだろう。
そしてひとりで初めての自由をかみしめるだろう。
孤独ならとっくに連れ添っている。
その表情は清々しく、昂然と顔を上げて生きていくのだと思う。
アルヴィング夫人役の千賀由紀子さん、ダメ夫に代わって事業を成功させるほどの頭脳と
強い意思を持つ女性を、くっきりした口跡と声で魅力的に演じて素晴らしかった。
エングストラン役の高田賢一さん、下手に出ながら牧師様をも操る卑しさとたくましさの両面を持つ、庶民のリアルさに惹きこまれた。
コンパクトになったこの「幽霊」は、私たちの今と見事に重なる普遍性を抽出して見せた。
イプセンが140年前に書いた物語は、現代と何ら変わらない様相を呈している。
タブーに切り込めば説教されて、伝統を押し付けられて、異端児扱いされる。
今イプセンが生きていたら、どんな賛否両論を巻き起こす作品を書くだろう。
ただ、現代ならば多くの劇場がこぞって上演したがるはずだ。中でもハツビロコウは。
そう願って止まない。
実演鑑賞
満足度★★★★★
このジャンキーたちの疾走感はどこから来るんだろう?
ムショから出たり入ったりを繰り返す行き当たりばったり人生の、どこからこんな
転がるようなスピード感がほとばしるんだろう?
怒涛の台詞に見ている自分が前のめりなっていくのが心地よい1時間50分。
終わり方がまた心憎い。
ネタバレBOX
対面式の客席を挟んで長方形の舞台。
四隅には固いベッドが置かれ、ハケた役者はそのベッドへ倒れ込んでいく。
ディック(千葉哲也)はジャンキー仲間でも策士で通っている。
今も銀行のATM強盗計画を立てて、昨日7年ぶりにムショから出てきたばかりの
バグ(塩野谷正幸)を仲間に引き入れようとモルヒネで誘っている。
もうクスリは止めたんだ、と言いながらまた昔と同じ生活に戻って行くバグ。
ドニー(若杉宏二)は人の好いコソ泥、薬のせいで内臓のほとんどは移植が必要な状態。
短気で暴力的なバグを怖れているが、ドニーもまた、ディックの計画に無くてはならない
メンバーだ。
そして一人だけ、ムショ暮らしの経験が無い色男ビリー(小川輝晃)も今回初めて
一緒に仕事をすることになる。
みんな破たんしたような人生なのだが、一人ひとりを見ると誰もが持つ弱さを体現していて
その個性は哀しいほど魅力的だ。
銀行の前に止めた盗難車の中で、仲間割れしそうなメンバーを必死でなだめる
ディックの呼吸につられて、観ている私の肩に力が入る。
いつ爆発するかと息をのんでバグを見ているときも、どもりながら言い訳を重ねる
ドニーを見ているときも、”殺られる前に殺る”気分でナイフを突きつけるビリーを
見ているときも、、彼らに感情移入せずにいられない。
一緒に切羽詰まって追いつめられて、私の気分もどん詰まりだ。
そしてものの見事に、計画は失敗に終わる。
ビリーの挑発を受けて、逆に彼の手からナイフを奪って刺し殺してしまうバグ。
血にまみれたナイフを、気を失ったドニーの手に握らせて逃げるバグとディック・・・。
なのにあの終わり方、爽やかな明るさは何だろう?
ドニーは刑務所から病院へ送られ、必要な臓器移植手術を受けて元気になった。
そしてバグの「なあ、ビリーは俺に殺されたかったんじゃないか?」という意味のひと言。
救われないジャンキーが皆救われて、また笑って次の計画を考え始める。
失うもの、守るべきものを持たない彼らジャンキーは、ある意味最強だ。
この4人全員に感情移入させる役者陣が秀逸。
台詞もキメッぷりも凄まじいほどのリアリティに首根っこを押さえつけられた感じ。
すごいホンだなあ。
モルヒネさえあればハイ・ライフ!
次の銀行強盗に失敗しても、ハイ・ライフ!
実演鑑賞
満足度★★★★
フライヤー、当日パンフ、そして2時間40分(途中休憩10分)という尺、
すごい力作だということがビシビシ伝わって来る舞台。
完璧なタイミングで入る生演奏のBGMが美しい。
ネタバレBOX
下手側に演奏者のスペース、少し離して上手にはダビンチの絵画「最後の晩餐」
を思わせる長テーブルが伸びている。
長いクロスを外すと、このテーブルはいくつかのブロックに分解され
それを組み合わせることで、農園主の屋敷内食堂や書斎、庭や屋敷外等に場面が変わる。
農園主殺人事件を解決するのは、引退したシャーロックホームズだ。
だがすべて解決した後で、犯人として自殺した弟の残した事件の記録
「逆さまの日記」を手に、双子の姉はホームズにもちかける。
「時系列が逆に書かれたこの「逆さまの日記」の通りに、
結果からさかのぼってもう一度事件を検証してみよう」と・・・。
そしてラスト、とんでもない事実が明らかになり、全てがひっくり返る。
これまでの景色ががらりと変わって見える構成だ。
”原案”としてコナン・ドイルの「ボスコム渓谷の惨劇」、
江戸川乱歩の「探偵小説の謎」、そして
Inspired by ピエール・バイヤールの「アクロイドを殺したのはだれか」
と当日パンフにある。
なかなか凝ったアイデア、しかも時間を少しずつ遡るという構成に
観客は、時刻表示の映像の助けを借りつつ一生懸命アリバイを頭に入れる感じ。
他の人は余裕で理解できたかもしれないが、私は結構大変でした・・・。
例えば2時間ドラマでよくやる”捜査本部のホワイトボードで表にする”ような
途中何かまとめがあったらもっと解りやすいと思った。(変な例ですみません)
これで終わりかと拍手したら続きがあったという、そこがこの作品の最大の見どころ。
一件落着と見せて驚きのどんでん返しで意外な結末を迎える。
シャーロック・ホームズファンとしては大変面白く観た。
ちなみに江戸川乱歩の「探偵小説の謎」を初めて知って青空文庫で読んだら
これが面白くて止まらない。
探偵小説におけるトリックの分析・分類が解りやすくまとめられていて一気に読んだ。
1956年頃の物らしいが江戸川乱歩の”緻密な頭脳の凄さを改めて思い知った。
ピエール・バイヤールは精神分析家であり、大学の仏文教授。
アガサ・クリスティーやコナン・ドイルの作品を読みこんでトリックの穴を見つけ出し
「真の犯人はこいつだ!」と原作の結末をひっくり返す作品を書いた人。
これら癖強めの材料を駆使して脚本を書いた石川湖太朗さん、大変な努力をされたと思う。
何処から書き始めたのだろう?と思わせる。
キャラ設定に役者陣がはまって、人物像がくっきりしているのが良い。
緊張した場面の中で、時折警部が放つ力の抜けた台詞には客席から笑いが起こる。
ホームズ役、誰だろうと思ったら伊逹暁さんだった。
原作の気難しいホームズとは違ってちょっと明るいが、伊達さんにはとても合って魅力的。
2時間40分がもう少しコンパクトになったら、客はもっと集中して犯人捜しを楽しめる。
例えば歌は客入れと終わりだけにして、劇中はBGMだけにするとか、
逆さまでなくストレートな時系列で展開するとか、何か良い方法があればと感じた。
この時代設定と世界観、癖になりそうで素敵だ。
ぜひまたミステリーとか精神分析系とか、ひねりの効いた作品を見せて下さい!
実演鑑賞
満足度★★★★
メイジー・ダガンは本当に死んだのか?
なんてどうでもよくなってしまうほど、彼女は歌って叫んでスコップを振り下ろす。
このバランバラで一人ひとりがどうしようもなく壊れかけている家族は
血まみれになりながら、どこでどうすればよかったのかを問い続けている。
彼らが信じたのは暴力しかなかった・・・。
ネタバレBOX
灰色一色のキッチン、粗末な木のテーブルといくつかの椅子。
上手には入り口のドア、下手にはストーブと冷蔵庫。
正面奥には左右から木の枝が伸びていて、開演後にそれが揺れた時は
驚いたのと不気味なのとで ”あばらや感”がMAX。
ここでこれから壮絶な家族の黒いバトルが始まる。
最初にブチ切れて喧嘩を仕掛けたのは母親メイジー・ダガンだ。
長年夫の暴力に耐えて来た彼女は、自分の死亡記事を新聞に出し、
娘のキャサリンはそれを見てロンドンから帰って来た。
キャサリンは殴られる母親を見て育ち、愛する女性を殴ることで
自分への愛情を確かめようとする。
こんな風になったのは、殴られるだけの母親を見て来たせいだと思っている。
キャサリンの弟は両親と同居しているが、言動からは障害があるらしいと感じる。
生活力もなく現実に対応できない。
人が死ぬプロセスに異常な関心を持ち、過去には姉が可愛がっていた猫を死なせたらしい。
諸悪の根源メイジーの夫は今やただの飲んだくれで、女房と娘の憎悪の対象であり、
最期は娘からさんざん暴行を受け、女房にとどめの一撃、スコップで殴られる。
母親のブチ切れに始まり、他のコミュニケーション手段を持たない4人は、それぞれの方法で
家族を威嚇し合い、常に「猫のやんのかステップ」みたいな戦闘体勢。
激しい罵り合い、今さらの告白、それによる怒りのエスカレート、そして最後はやはり暴力。
暴力で服従させ、自分への尊敬や愛情を測り、足りなければ殴り、
足りていれば ”ではこれならどうだ” とさらに殴る、そうやって生きて来た家族。
途中差し込まれる映像が効果的でとても面白かった。
伝統的なアイルランドの家庭でよく掲げられるというイエスの絵画からイエスが抜け出て
巨大なイラストとなって飛び回るところ、思いがけない迫力にびっくりした。
と同時に、こんな暴力的な家庭にも、伝統的な神の絵が飾られるところに可笑しさを感じる。
作品の解説にある「ダークな軽快さとシャープなグロテスクさ」という
戯曲のタッチを楽しむ域に、とても私は達していない。
ただオヤジを殺して初めて少し朗らかになった女房を見ると、本当にこれから
3人で家族再生ができるんじゃないか、と言う気がするから不思議だ。
実演鑑賞
満足度★★★★
詐欺って心理戦だ。警戒心が強い人々は簡単には騙されない。
そう思って観ていたら、騙されていることに最後の最後まで気づかない者もいた。
出ハケも難しそうなあのスペースを上手く使って、凝縮した人間関係が渦を巻く。
詐欺師、誠実そうな座長北川さんが演るからますますそれっぽくて良い。
ネタバレBOX
開場して中へ入るとウナギの寝床のようなスペースが奥の方へ広がっている。
奥が舞台スペース、演者の出ハケは客席の横を通るしかない。
正面黒板の前に横長の机、古びた木の丸椅子が点々と置かれている。
詐欺師佐宗がカバンを持って現れ、化学や技術で皆を煙に巻く詐欺の幕開きだ。
斜陽産業石炭、その燃えカスである灰から再び石炭を作り出す技術を開発した、
という触れ込みで詐欺師佐宗が化学者を連れて平坂村へ乗り込んできた。
昭和38年、エネルギー政策は石油への転換期を迎え石炭はもはや見向きもされない。
石炭を掘って運んできたこの村は今、存続さえ危ぶまれる危機に瀕していた。
やがて平坂村は一丸となって、夢物語のようなこの話に乗ってくる。
だが詐欺師も予想しなかった事態が起こる・・・。
詐欺の話でまず重要なのは、騙し騙されるその状況設定だろう。
社会的・時代的に追いつめられた村・・・ひとりや二人ではない、
この”村”規模がそのまま金額のデカさにつながる。
キーマンとなる土地の有力者三姉妹が、所謂世間知らずでもただのお嬢様でもない
知識も社会性も持った女性であることが、騙されるプロセスをリアルにする。
ダイナミックな展開と繊細な人物像が相乗効果を生んでいる。
そして騙される人間の心理が刻々と変わっていく様が面白かった。
一転して状況が良い方向へ変わると見た時の我を忘れるような高揚感、
合意が集団になった時のうねりの大きさ、暴力的なまでのエネルギー。
結局詐欺計画がほころびるのも、それら騙される側の熱い心理が原因か。
だが本当にびっくりしたのはラストのどんでん返し。
詐欺がばれて逃げるとかいうよくある展開ではない。
詐欺師自身が騙されていたということ、
そして何より、詐欺師を騙していた者の深い思いだ。
伏線をこんな風に回収するところが、サスペンスを得意とする柳井さんの持ち味。
「戦争が終わって、騙されていたことに気づいてから、みんな元気になった」
と言う言葉が、唐突ともいえるラストに不思議な明るさをもたらす。
三姉妹のキャラが鮮やかで、騙されたと知ってからの行動も力強く素晴らしい。
気弱な科学者がラスト、情熱と自信を取り戻して吠えるところがとても好きだ。
詐欺師が必要以上に饒舌でなく、むしろ個別に女性たちと話す時には物静かで
ひょっとすると改心して計画を断念するのか?と思わせるところが絶妙過ぎる。
北川さんのたたずまいが詐欺師に見えないので、逆に詐欺師にぴったり。
詐欺師を騙した”すごい策士”の心情をもう少し聞きたい気がした。
それとも語らせないからこそ、私は終演後こうしてずっと考えているのだろうか。
十七戦地の舞台はいつも、後から反芻せずにいられない。
実演鑑賞
満足度★★★★★
稀代の悪妻として有名な斉藤茂吉の妻の、数多ある逸話から
何と強く魅力的な女性を立ち上がらせたことか。
歴史上の人物に躍動感あふれるいのちを吹き込んできた、劇チョコならではの真骨頂。
マイナスイメージのエピソードさえ、今の彼女を彼女たらしめた栄養分になってしまう。
すごい脚本、演出、役者さんが揃って、すごい家族の話になった。
斎藤茂吉にこの家族あり、である。
ネタバレBOX
歌人斎藤茂吉の晩年を描く、いわば前編の「白き山」に続く後編だが、
こちらは妻、長女、次女たち茂吉を取り巻く家族の話がメイン。
茂吉は脳出血で倒れて左半身に麻痺が残っている。
彼自身自覚しているように、集中力が続かず思うように歌作が出来なくなっている。
同居して彼を支えているのは、悪妻として名高い輝子と次女昌子。
堅実な長男は病院を継ぎ、経営に悩みながらも頻繁に父の様子を見に来ている。
次男は勤めていた病院を辞め、見分を広めたいとヨーロッパへ行く手段を探っている。
また斎藤茂吉の弟子、山口茂吉も献身的に師の「全集」を出そうと奔走している。
輝子を演じる音無美紀子さんが素晴らしくて、”天下の悪妻”のイメージが覆ってしまう。
自分のやりたいことを貫く強さと同時に言い訳もしない潔さ。
10年以上茂吉と別居しながらも歌人茂吉の価値を認め、尊敬の念を持って世話をしている。
育ちの良さと旺盛な好奇心、度胸満点で怖いもの知らずのお嬢様がそのまま年取った感じ。
茂吉の鬱々とした苦悩の表情に対して、輝子の振り切れた人生観はいっそ清々しい。
この母が、偏屈ですぐ怒鳴り散らす茂吉に臆することなく己を貫くさまを見て子は育った。
嫁に行った長女百子は贅沢な暮らしが好きな、またそれをさせてもらえる人生を送っている。
帯金ゆかりさんのきれいな襟元と邪気の無い言動が自然で印象に残った。
次女の昌子が際立って優しく清純で、よくこの両親からこんな良い娘が生まれたものだと思う。
本当に昔の映画に出てくる良家の子女かと思っていると、
「見合いの相手が決まったらまず自分に知らせて欲しい、医者と文学をやる人は嫌」と
びっくりするような条件を付ける。しかも穏やかな表情で。
「ずっと家族を見てきましたから」ってそりゃそうだと納得するが、すごいお嬢さん。
演じる宇野愛海さんが見目麗しくはまり役で、茂吉を包み込むような空気感を纏っている。
今回の作品で飛び交う会話の、容赦ない物言いと率直な本音が、”稀有な家族”らしくて
良かった。腹に溜め込んで後から黒いものが吹き出すような、陳腐な家族ではない。
仲が良くない時も大いにあったこの夫婦も、子どもたちも皆自分らしく生きている。
相性の悪い輝子と、他人の山口茂吉でさえストレートにぶつかり合う。
これら会話のテンポが心地よくて小気味よくて、客席からは何度も笑いが起こる。
全員に斎藤茂吉へのリスペクトがあり、全てはそこから発しているからこその人間関係だと思う。
本人にしてみれば不本意なことが山のようにあるだろうが、何と幸せな老後だろう。
人生をかけて成して来た仕事のひとつ、病院は長男が後継者として引き継いでいる。
そして何より歌人としての茂吉を皆が尊敬の念を持って大切に接してくれる。
老いて思うような歌が作れなくなっても、かつての強い家長でなくなっても、である。
弟子の山口茂吉が、かつての師ではなくなっても尚、絶対的な師と仰ぎ、指示を仰ぐ。
自信もプライドも崩壊しかけた老人にとって、これほどの心の支えがあるだろうか。
茂吉が、凡庸に見えてもありのままの自己を歌う境地に至ったのは、この支えあってのことだ。
老いは口惜しく情けない、受け入れるにはエネルギーと時間を要する。
緒方晋さんはありのままの自分を受容して力の抜けた茂吉を、
その肩のあたりに滲ませてしみじみと魅せる。
新宿の大京町といふとほり わが足よわり住みつかむとす
大京町の終の棲家に、穏やかなつきかげが差し込むような気がした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
つかさんの芝居は大昔の大昔、風間杜夫が主役の「熱海」を
新宿紀伊國屋ホールで観たのが最初で、その時は何が何だか判らなかった。
生れて初めてか2番目くらいに観た演劇だったし(歌舞伎教室を除いて)、
「あたしを立てるのよ!」という絶叫しか覚えていない。
その後2本くらい「熱海」を見たと思うが、本当の伝兵衛、アイ子の心情を
感じて泣けたのは今回が初めてだった。
訓練された怒涛の台詞に圧倒され続けた末に
ラストあんなにしみじみ涙が出るとは思わなかった。
ネタバレBOX
木村伝兵衛と速水はともに棒高跳びのオリンピック選手、
大山金太郎はその補欠で、
山口アイ子は砲丸投げの選手だった。
アイ子は長年のコーチを殺害し、
金太郎はアイ子を殺害する。
そして伝兵衛には速水殺しの疑いがかけられ、速水の弟が伝兵衛の下に赴任してくる。
それぞれの事件の背景と本当の理由が、次第に明らかになる。
彼らの苦悩と告白は、炎のような熱量を持って吐き出される。
これまで過剰なまでのテンションで罵倒し合ったのは、
この告白を引きずり出すためだったかと思う。
MAXまで熱くなったところで一転、ラストはしみじみとその心情が哀しい。
皆何と純粋な気持ちで生きているのだろう。
伝兵衛の最期のしんとした心が痛いほど伝わって来て泣けてしまう。
岡田竜二さんの、まばたきが極端に少ない視線の強さに惹きこまれる。
彼らが皆、世間的に”下に見られる”立場の人間であったことが
あの暗いエネルギー源となったような気がする。
そこを出発点とする作者の視点の優しさが沁みてくる。
時代が違うから差別的表現も多いが、それこそが当時の社会の匂いだ。
あの強烈な屈辱と疲労感は、当時のことばの中でこそ生まれたものだったろう。
出演者が皆素晴らしくて、次は違う作品でも観てみたいと思った。
それにしても「熱海」、何とすごい脚本なのだろう。
改めてつかこうへいさんに感謝して、これからも観ていきたい。