厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇― 公演情報 厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇―」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-15件 / 15件中
  • 満足度★★★★

    【子殺し篇】“観る”というレベル以上のもの…
    「父殺し篇」に引き続いて鑑賞。
    通しの客は「父殺し篇」終演後も外に出ることなく、そのままの状態で開演を待つ。 

    3分遅れで開演。上演時間55分強。 

    (以下、ネタバレBOXにて…)

    ネタバレBOX

    女が野菜の煮物を盛った器とおじやの入った鍋、お椀を盆に載せて登場。彼女はこの家の長女・蝶子。彼女は離れた村の農家の長男に嫁いでいたが、父・民夫が急病ということにして久々に実家に戻っている。
    民夫と蝶子が次女・繭子の準備ができるのを待っていると、隣家の寡婦・妙がおかずを持ってやって来る。妙はこの家の経済状態が良くないのを察して、いつも食事を差し入れていた。が、妙は土間のところから中には決して入ってこようとはしない。実は繭子は業病に冒されていたのだが、収容施設の辛い扱いに耐えかねて逃げ出してきていたのだ。
    業病とは今ではハンセン病と呼ばれているが、かつては癩病というのが一般的だった。映画「砂の器」で本浦秀夫(=音楽家の和賀英良)の父親・千代吉が罹患したのがこの病気で、そのために父子は村を放逐され全国を放浪せねばならなくなったのだ(因みに原作では和賀は電子音楽の作曲者となっているが、野村芳太郎監督の映画がヒットして以降はTVドラマなどでも全てピアニスト兼作曲家となっている)。史上最多のアカデミー賞受賞を誇る映画「ベン・ハー」でも、当初は「らい病」と字幕が出ていたが、最近のDVDなどでは「業病」と訳されている。
    繭子は蝶子が作った煮物を美味しいと喜んで食べるが、すぐに気分が悪くなって奥の部屋に運ばれる。 

    蝶子が婚家へ戻った後は、また民夫と繭子の2人だけの生活が始まるが、民夫は繭子の世話をするために次第に勤めにも出なくなり、生活は困窮を極める。やがて2人は口論をするようになっていく。「戦争が終わって少しずつ暮しやすくなっているのに、いつまでも国から逃げながら暮していくのがいいことか」と施設に戻るよう説得する民夫に、繭子は「あそこで私がどんな仕打ちを受け、どれだけ苦しんだかわかってないんだ。正論言えば納得するしかないと思ってるんでしょう」と叫ぶ。感染力は非常に低く、現在では治療法も確立しているハンセン病だが、以前は外見や感染への恐怖心などから患者への過剰な差別が生じていた。包帯も満足に取り替えてやれない現状に比べれば、施設に戻すことで少しは病の進行を止められるのではないかと思う民夫は「期待したいじゃないか。期待しちゃいけないのか」と呻くしかない。 

    全身いたる所に包帯を巻き、歩くこともできずに床を這いずる繭子の姿が悲惨である。古民家をそのまま使うことで、客席の後方にある奥の繭子の部屋の襖が開け閉めされる音や、繭子が民夫の肩を借りて茶の間に入ってくる気配、廊下を這いずってやって来る音などがそのまま客席に伝わってくる。
    芝居とは思えないリアルな環境の中での鑑賞は否でも応でも、その悲惨さが観る方の全身にも沁み透ってくる。“観る”というレベル以上のものだ。隣家との雑談も親類との交流も凡そ無い、隔絶された家庭の、厳しい冬、厳しい生活、閉ざされたどうしようもなさ…この芝居には昭和初期を彷彿させる厳冬が確かに存在した。 

    後半の繭子があまりにもひどい状態であるため、序盤で蝶子が作った料理を不自由な手で美味しそうに食べるときの笑顔が哀しくも印象的だ。吉田多希の鬼気迫る演技が素晴らしい。それだけに、せめて妹の前では明るく振舞おうとする蝶子の姿もいじらしい。
    そういえば蝶子役の佐々木史は昨年12月のえうれか「岸田國士 短編四作品上演」でも卓袱台が脇を固めていた。卓袱台が似合う女優に思えてきたゾ(笑)。サザエさんや母親のおフネさんのように卓袱台とは切っても切れない仲になったりして。これからは“ささきふみ”じゃなく“ささきフネ”と呼ぼうかナ(あ、彼女は魂刀流志伎会という剣術道場の会員だった。木刀で殴られそう、爆)。 

    それにしても前週の日曜は記録的な寒波襲来の中での夜の野外芝居、今週の日曜は昼間ながらも底冷えのする古民家で心の底まで冷たくなるような芝居の鑑賞…思い出に残る1月の日曜日となった(笑)。
  • 満足度★★★★

    【父殺し篇】鬼畜の所業の果てに…
    鬼の居ぬ間には私が好きな劇団のひとつだ。どろどろとした人間の情念を密度の高い舞台として観せてくれる。誰にでもオススメできるという性質のものではないが、私はもうハマりっ放しだ。別段、私の心に暗い情念が渦巻いている訳ではないのだが(本人がそう思っているだけかもしれないが…)。 

    その鬼の居ぬ間にの番外公演は西武新宿線の鷺ノ宮駅から歩いて10分弱のところにある古民家での上演。「父殺し篇」と「子殺し篇」の短編2本立てだが、日曜日の午前中から通しで観ることとし、まずは「父殺し篇」から。 

    鷺ノ宮駅の南口を出て川沿いに歩き、オリーブ橋の手前で左手にある公園を横切る。そこから坂道を登り、路地に入った先に古民家asagoroがある。木立の奥に隠れたように建つ木造の家の玄関脇の郵便受けの上に傘を差したてるてる坊主が3体置かれている。そのおかげか、この週末も冷え込むとの予報だったのが、前日の底冷えするような寒さが消え、快晴の穏やかな天気。受付は開演の15分前だったのに30分前と思い込んでおり(笑)、さらにその15分前に会場に着いた身にとってはありがたかった。玄関前に1脚だけ置いてあった椅子にブランケットを置いて勧めてくれる心配りも嬉しかったし、受付の美女の微笑も寒さを忘れさせるものだった(爆)。 

    演劇等で使用される古民家というと目白の“ゆうど”や新御徒町の“しあん”、上野桜木の“市田邸”、世田谷区下馬の“土間の家”などが頭に浮かぶが、このasagoroの内部はそのいずれもと異なって、いかにも妖怪変化が出てもおかしくないような雰囲気を湛えている。
    土間をあがったすぐの座敷が舞台として使用され、ひとつ奥の座敷に座布団が敷かれて客席となっている(座布団の下に敷かれていたのはホットカーペットだった)。後ろ2列は椅子席だが、やはり舞台が遠く感じられるので、最前列中央に座る。私の困ったところは、若い頃南アルプスの北岳への山行で下山中に岩場に滑落して腰を骨折(骨折しているとは思いもよらず、痛いのを我慢して東京まで帰ってきた!)して以来、胡坐がかけなくなっていることだ。その分、正座はかなり長時間我慢できるのだが…。 

    舞台となる座敷の照明は裸電球がひとつきり。後は障子越しに入ってくる外光だけだから、夜の上演時はかなり怖さが増すだろうことが予想される。
    中央に丸い卓袱台と座布団が2枚。上手手前には電話台の上に黒電話。 

    5分遅れで開演。上演時間40分。 

    (以下、ネタバレBOXにて…)

    ネタバレBOX

    男に引き摺られるようにして玄関を入ってきた女が座敷に突き飛ばされる。男はこの家の家長である継男、女は娘の絵里子である。母親は5年前に出て行って、この家には継男と絵里子の2人で住んでいる。継男の激高した言葉から、印刷所に勤める絵里子が同僚と駆け落ちしようとしたところを連れ戻されたらしいことがわかってくる(絵里子の持ち物といえばハンドバッグと衣類を包んだ風呂敷だけ。この風呂敷というところから時代が察せられる)。さらに絵里子には2人の子供がいるが、その子供たちを母親に預けて駆け落ちしようとしたことにも「俺の立場がない」と怒りを隠さない。
    その後、絵里子の恋人・賢治郎が結婚の許しを請いにやってくるが、継男は賢治郎に酒を勧めた上で、絵里子の2人の子供の父親は自分だと言い、さらに絵里子が14歳の時から毎晩肉体関係を結んでいることを明らかにする。賢治郎が悄然と出て行った後、継男は絵里子に「お前が出て行ったら、子供を殺す」と言い放つ。さらに酒を飲み続ける継男の後ろにまわった絵里子は継男の首に紐を巻きつけ、馬乗りになって絞め殺す…。 

    この物語、法律を少し齧ったことがある人ならば、すぐに思い当たるだろう(私は大学は経済学部だったが、経済嫌いになった私はゼミは政治学、原書講読は憲法学と生物学を選択していた。そもそも経済学部にそんなゼミや原書講読があること自体が異例だが、笑)。最高裁判所大法廷が違憲立法審査権を発動し、既存の法律を違憲と判断した最初の判例(法令違憲)となった事件を扱っている。自己または配偶者の父母、祖父母、おじ・おばなどを殺すことは「尊属殺人」と呼ばれ、一般の殺人よりも刑が重く、死刑または無期懲役に処せられていたが、この事件を契機に尊属殺人罪を定めた刑法二〇〇条は“法の下の平等”を定める憲法十四条に違反しているのではないかという問題がクローズアップされたのだ。結局、最高裁で違憲とされ(事件は1968年10月に起こり、最高裁で刑が確定したのは73年4月)、この刑法二〇〇条は95年の改正で削除されている。 

    この父娘の間には実際には5人の子供がいた(内2人は死産)が、さらには中絶の繰り返しで生命の危険があるほどに身体がボロボロの状態だったともいう。まさに鬼畜の所業だろう。この父親がどうしてそういう鬼畜道に堕ちてしまったのか、娘に絞め殺されるときに漏らす「お前に殺されるのは本望だ。悔しかねえ」という言葉にこの男の絶望感が滲んでいる。これが40分の短編ではなく、長編の本公演であったなら、娘だけでなく、この父親の心の奥の闇に迫ったものになったろう。ぜひ長編化してほしい。 

    私はかつてこの劇団の「観てきた!」に“美吉弘恵、こんなに薄幸の女がよく似合う女優もそうそういないのではないか。その素顔を見るのが躊躇われ、彼女が終演後の客との面会に出てくる前に早々に劇場を後にしたのだった”と書いているが、今回絵里子を演じた立川せりかも全身これ不幸の塊(笑、いや笑ってはいけないか…)という雰囲気を醸しだして、哀れさが迫ってくる。幸いにも「子殺し篇」終演後に外に出たときは立川の姿はなく、芝居の印象を壊すことなく駅へ向かったのだった。継男役の高松良成も見事。
  • 子殺し。
    古民家の一間を観客席に、もう一間を芝居のスペース。貧困に迫る芝居で好きだが、自身の席だからか現代の配線コードやら色々見える。工夫は欲しかったです。通路から全体使って四方からのアプローチは良し。長すぎず、両方とも見たい内容。

  • 満足度★★★★★

    違う
    初日は夜の公演だったので 会場内が暗かった
    薄明りの中 絶妙な演出だと思った
    千秋楽は夕方だったので 多少の明かるさの中で観る

    同じ演出で違う芝居に観える

    劇場で 同じ芝居を観るのもいいけど
    自然状況で変わるのもまたいい

    いつもながら 鬼の公演は人の中に棲む悪意や鬼に変わる瞬間について
    考えさせられる

  • 満足度★★★★

    事実は小説より鬼なり。
    肌寒い空間でしたがそれがよかったかと。
    夜に観たらさらによかったでしょうか。


    しかしまあ、事実に基づくと思うと胸糞悪くなる話であります。

    ネタバレBOX

    「父殺し編」となっているので
    冒頭数分でどんな展開で最後どうなるか予想ついてしまった感はありました。
    なので「どう見せるのかな」の方に気持ちがいってしまったというか。

    「父殺し」というタイトルでなかったら「どうなるのかな」という展開への興味で最後まで観れたのかもしれませんね。

  • 満足度★★★★

    -父殺し編-観劇
    初見。チケットプレゼントにて観劇。
    古民家の一室そのものが舞台を彩る江戸間8畳ほどの和室、その奥は30席ほどの客席、アイテム類も昭和期の世界観。
    久しぶりに黒電話のダイヤル音を聞いたが、「0」の番号音を耳にした瞬間にいろんなことを思い返しそうな、我にかえる「間」というか。
    鬼畜の所業と執念深さに出口の見えない娘、一手報いても残酷な結末に言葉が出ない。
    「面白い」とは言えないけど、印象に残る作品でした。
    約40分。

    ネタバレBOX

    希望があるとすれば、当日会場までのアクセスを公式HPに記載して欲しいことと、当日アンケートの記入余白が舞台タイトルと被っていたので、もう少し記入しやすいデザインにして欲しい。
    ピンクの唐草風呂敷、可愛い。
  • 満足度★★★★

    無知は罪。
    子殺し編を拝見。恥ずかしながらハンセン病のことを知らず、終演後の帰り道に別の観客の方からその件をお伺いし、それを踏まえて思い返したら恐ろしさの質が大きく変わりました。雪の予報の夜、古民家で観たお芝居は、それはそれは厳しい物語でした。

    ブログに感想を書きました。
    http://ameblo.jp/kangeki-jyoshikai/entry-12123626278.html

  • 満足度★★★★

    解放 (父殺し篇)
    回り込む廊下の軋みに気圧されつつ、黒電話の鈴音のけたたましさの中で沈黙する、その'間'がいくつもの生臭い想像を逞しくさせる。非道と憎しみの地獄絵図から「おまえがすべて」な寂寞と愛憐の下地が透けてくる。'現場'ならではの濃密さに締め付けられた。

  • 満足度★★★★

    厳冬「子殺し篇」
     ハンセン氏病に対する差別と官僚共の民衆蔑視による幾重もの鵺社会に於ける差別を被差別者の生活を通して描いた作品。

    ネタバレBOX

     この劇団のカラーは日本社会の弱者をどちらかというと受け身で捉える点で特色を発揮するのだが、受け身でありながら追い詰められると、極端で爆発的・盲目的攻撃性を発揮するのが、鵺社会で受け身の立場に置かれた主体であろう。だが、勘違いしてはいけない。それは、矢張り鵺的手法によって、一つ一つ着実に潰されてゆくのが現実であることは、今作でも電気会社が、滞納を理由に電気を止める訳だし、社会保障を受ける為には、娘が施設へ戻ることが前提となる。そして戻された施設では懲罰坊に入れられ1年でもそれ以上でも、糞尿垂れ流しの生活を余儀なくされるばかりではなく、医学研究のモルモットとして生かされるのが落ちである。今作でも、次女で施設から逃げ出した癩患者の繭子を演じた吉田 多希の科白には、撃たれる物が多いのは、こういう状況があってのことである。同時に、父役の大塚 尚吾や隣人の妙の科白も、当時の差別の何たるかを反映して痛い! 繭子が既に嫁いでいる姉、蝶子に発症後持つコンプレックス(複合意識)の表現も良い。罹患者の名が繭に関連し姉が蝶であるのは無論意味がある。
    ところでこれは、燐光群が「お召列車」でやってしまったので使わなかったのかもしれないが、癩が、どの部分に一番最初にその病の特徴を表すかについての科白もできれば入れて欲しかった。この病を患った者は、山間の道も一般の者の通る道を歩かなかった。癩患者専用の道があったことは、宮本 常一の「忘れられた日本人」にも出てくる。聖書のヨブ記は癩の話だし洋の東西を問わず業病として恐れられた病であるだけに、問題化されたケースも多い。豊田監督による「小島の春」という大傑作も癩に対する差別を批判的に描いた映画である。
     このように芸術家が、反差別という描き方をしているのに対し、日本の糞官僚共は相変わらず下司としての発想しかできない。この故に彼らは下司なのであるが。彼らがどれほどの下司であるのかちょっと具体例を挙げておこう。1943年ファジェイ博士は「プロミン」の有効性を確認した。1950年代以降、プロミン後継薬ダプソンが世界中で使用されるようになった。 だが’60年~’70年代にかけて、ダプソンに対する耐性菌が発生、研究者は複数の薬剤(リファピシン、ジアフェニルスルホン、クロファジミン)の併用によって耐性菌を防ごうと試み、 1981年WHOの研究班がようやく「多剤併用療法(MDT)」を確立した。
    MDT の構成要素であるリファンピシンは、1回の投与で癩菌の99.9%を死滅させる。従って、この薬を用いて治療を始めた患者からはほかの人に感染することはなく、後遺症が残るかつての患者からも感染することはない。現在でもこの治療法は効果的で、癩菌感染力を短期間で失わせるため、ハンセン病は完全に治癒する病気である。更にWHO統計によれば、MDTの開発により、’80年代に500万人を超えていたハンセン病の登録患者数は、 2011年には約18万人にまで減少している。
     にも拘らず、日本では1996年迄癩予防法は廃止されなかったのである。1943年の件は措くとしても日本国民の税金で養われている公僕たる厚生省の官僚が、MDT以降も漫然と事態(極めて深刻な被差別)を放置していた怠慢は厳しく追及されるべきである。時効が成立するか否かとか、法的に追及できる法が無いとか在るとかの問題ではない。人間としてどうなのか? という問いである。こんな問いを発するのはF1人災に於いても関係省庁たる
    経産省(旧通産省)、文科省(旧文部省)が日本国民に対して犯している罪について看過できるような目明きが居ようか? 当然皆無でなければならないからである。



  • 満足度★★★★★

    真の怖さ
    親殺し、子殺し共に観劇。
    古民家での舞台はまるでタイムスリップし、他人の家をのぞき見しているような錯覚を起こさせる。
    明かりは裸電球一つ、あとは外からのほのかな日の光のみ。
    どちらの劇もあまりに自然な演技の為、きつすぎる境遇に始まってからすぐに泣きそうになってしまった。
    心が痛くなる話なのだが、本当にこの劇団はいいなぁ、また見たいなぁと思わせる。

  • 満足度★★★★

    古民家で寒々と・・
    「厳冬 ―父殺し篇―」観劇。かなり良いです。でも、劇場の方が丁寧に舞台装置を作り込んでいてより一層怖く感じるかも。

  • 満足度★★★★★

    番外でも
    2年前の「賽の河原」以降 毎回公演を観続けている 鬼の居ぬ間に

    どの公演でも 人が鬼になる瞬間や経緯が美しい
    いつ始まって いつ終わるのか 想像つかない演出
    明るくなって残る 苦い味 切なさ

    今回は 劇場ではない普通の家での芝居
    どんな演出でくるのかと期待していた
    これがまた 良かった
    その時代を思わせる古民家で 役者さんの出入りで流れ込む冷たい空気
    同じ場所で見ている気になる

    知らない役者さんばかりの公演
    それでも 鬼で納得する
    いつもの重厚感もいいけど 少しだけlightな鬼もまたいい

  • 満足度★★★★

    切ない・・・
    【―子殺し篇―】
    登場人物それぞれに自身を重ね合わせ、「もし、自分だったら・・・」と、胸が痛くなった。

    自然光を活かした、薄暗い中でのラストシーンは目頭が熱くなった。

    重たい空気感の50分。

    ネタバレBOX

    感染症は怖いが、国策はもっと恐ろしいのだ。
    “ハンセン病患者の隔離政策”、療養所とは名ばかりで、その信じられない実情に愕然とする。
  • 満足度★★★★

    古民家が似合う内容
     最初、タイトルから自分が判断したのは、人一人しか通れない崖っぷちで、のっぴきならない事情により、父が死ぬケース、子が死ぬケースというトゥーバージョンの芝居であったが、両方拝見して全く内容が違う作品であった。

    ネタバレBOX

    「父殺し編」
     殺さざるを得まい。だがもう少し尺をとって、父の歪な性格を作り上げたものが何だったのかを示唆する部分か、娘への異常なまでの溺愛の原因が、その美しさにあったのであれば、年頃の女性の美が持つ魔性を強調しても良かったかも知れない。何れにせよ、この辺りもバランスをどうとるかで観客が受ける印象も大きく変わるので難しい点ではあるが、もう少し攻めのシナリオ、演出にしても良いような気がする。
     自分の複数の友人からも、実の娘を性の対象にする父が居るという話は聞いたことがある。悍ましい関係だが、世の中には、このような地獄で悩む女性が居ることも確かであろう。自分は主人公のえりこを責める気にはなれない。もし自分が彼女の立場であったら、もっと早く父を殺していたであろうから。
  • 満足度★★★★

    生々しい芝居
    【―父殺し篇―】
    当日パンフによって、この作品は、○○市で実際に起きた事件と知るが、
    その事件自体、記憶にないので、興味深く観せていただいた。

    古民家が舞台ということもあり、生々しい芝居に終始惹き込まれた40分。

    帰宅後、当事件を調べながら観劇の余韻に浸りました。

    ネタバレBOX

    昭和43年、栃木県矢板市で起きた“実父殺し事件”
    しかし、とんでもない父親がいたもんだ。

    こんな父親、殺したって罪にはならんと思う。。。

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