厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇― 公演情報 厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇―」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★★★

    番外でも
    2年前の「賽の河原」以降 毎回公演を観続けている 鬼の居ぬ間に

    どの公演でも 人が鬼になる瞬間や経緯が美しい
    いつ始まって いつ終わるのか 想像つかない演出
    明るくなって残る 苦い味 切なさ

    今回は 劇場ではない普通の家での芝居
    どんな演出でくるのかと期待していた
    これがまた 良かった
    その時代を思わせる古民家で 役者さんの出入りで流れ込む冷たい空気
    同じ場所で見ている気になる

    知らない役者さんばかりの公演
    それでも 鬼で納得する
    いつもの重厚感もいいけど 少しだけlightな鬼もまたいい

  • 満足度★★★★★

    違う
    初日は夜の公演だったので 会場内が暗かった
    薄明りの中 絶妙な演出だと思った
    千秋楽は夕方だったので 多少の明かるさの中で観る

    同じ演出で違う芝居に観える

    劇場で 同じ芝居を観るのもいいけど
    自然状況で変わるのもまたいい

    いつもながら 鬼の公演は人の中に棲む悪意や鬼に変わる瞬間について
    考えさせられる

  • 満足度★★★★★

    真の怖さ
    親殺し、子殺し共に観劇。
    古民家での舞台はまるでタイムスリップし、他人の家をのぞき見しているような錯覚を起こさせる。
    明かりは裸電球一つ、あとは外からのほのかな日の光のみ。
    どちらの劇もあまりに自然な演技の為、きつすぎる境遇に始まってからすぐに泣きそうになってしまった。
    心が痛くなる話なのだが、本当にこの劇団はいいなぁ、また見たいなぁと思わせる。

  • 満足度★★★★

    古民家が似合う内容
     最初、タイトルから自分が判断したのは、人一人しか通れない崖っぷちで、のっぴきならない事情により、父が死ぬケース、子が死ぬケースというトゥーバージョンの芝居であったが、両方拝見して全く内容が違う作品であった。

    ネタバレBOX

    「父殺し編」
     殺さざるを得まい。だがもう少し尺をとって、父の歪な性格を作り上げたものが何だったのかを示唆する部分か、娘への異常なまでの溺愛の原因が、その美しさにあったのであれば、年頃の女性の美が持つ魔性を強調しても良かったかも知れない。何れにせよ、この辺りもバランスをどうとるかで観客が受ける印象も大きく変わるので難しい点ではあるが、もう少し攻めのシナリオ、演出にしても良いような気がする。
     自分の複数の友人からも、実の娘を性の対象にする父が居るという話は聞いたことがある。悍ましい関係だが、世の中には、このような地獄で悩む女性が居ることも確かであろう。自分は主人公のえりこを責める気にはなれない。もし自分が彼女の立場であったら、もっと早く父を殺していたであろうから。
  • 満足度★★★★

    古民家で寒々と・・
    「厳冬 ―父殺し篇―」観劇。かなり良いです。でも、劇場の方が丁寧に舞台装置を作り込んでいてより一層怖く感じるかも。

  • 満足度★★★★

    切ない・・・
    【―子殺し篇―】
    登場人物それぞれに自身を重ね合わせ、「もし、自分だったら・・・」と、胸が痛くなった。

    自然光を活かした、薄暗い中でのラストシーンは目頭が熱くなった。

    重たい空気感の50分。

    ネタバレBOX

    感染症は怖いが、国策はもっと恐ろしいのだ。
    “ハンセン病患者の隔離政策”、療養所とは名ばかりで、その信じられない実情に愕然とする。
  • 満足度★★★★

    生々しい芝居
    【―父殺し篇―】
    当日パンフによって、この作品は、○○市で実際に起きた事件と知るが、
    その事件自体、記憶にないので、興味深く観せていただいた。

    古民家が舞台ということもあり、生々しい芝居に終始惹き込まれた40分。

    帰宅後、当事件を調べながら観劇の余韻に浸りました。

    ネタバレBOX

    昭和43年、栃木県矢板市で起きた“実父殺し事件”
    しかし、とんでもない父親がいたもんだ。

    こんな父親、殺したって罪にはならんと思う。。。
  • 満足度★★★★

    無知は罪。
    子殺し編を拝見。恥ずかしながらハンセン病のことを知らず、終演後の帰り道に別の観客の方からその件をお伺いし、それを踏まえて思い返したら恐ろしさの質が大きく変わりました。雪の予報の夜、古民家で観たお芝居は、それはそれは厳しい物語でした。

    ブログに感想を書きました。
    http://ameblo.jp/kangeki-jyoshikai/entry-12123626278.html

  • 満足度★★★★

    -父殺し編-観劇
    初見。チケットプレゼントにて観劇。
    古民家の一室そのものが舞台を彩る江戸間8畳ほどの和室、その奥は30席ほどの客席、アイテム類も昭和期の世界観。
    久しぶりに黒電話のダイヤル音を聞いたが、「0」の番号音を耳にした瞬間にいろんなことを思い返しそうな、我にかえる「間」というか。
    鬼畜の所業と執念深さに出口の見えない娘、一手報いても残酷な結末に言葉が出ない。
    「面白い」とは言えないけど、印象に残る作品でした。
    約40分。

    ネタバレBOX

    希望があるとすれば、当日会場までのアクセスを公式HPに記載して欲しいことと、当日アンケートの記入余白が舞台タイトルと被っていたので、もう少し記入しやすいデザインにして欲しい。
    ピンクの唐草風呂敷、可愛い。
  • 満足度★★★★

    事実は小説より鬼なり。
    肌寒い空間でしたがそれがよかったかと。
    夜に観たらさらによかったでしょうか。


    しかしまあ、事実に基づくと思うと胸糞悪くなる話であります。

    ネタバレBOX

    「父殺し編」となっているので
    冒頭数分でどんな展開で最後どうなるか予想ついてしまった感はありました。
    なので「どう見せるのかな」の方に気持ちがいってしまったというか。

    「父殺し」というタイトルでなかったら「どうなるのかな」という展開への興味で最後まで観れたのかもしれませんね。

  • 満足度★★★★

    解放 (父殺し篇)
    回り込む廊下の軋みに気圧されつつ、黒電話の鈴音のけたたましさの中で沈黙する、その'間'がいくつもの生臭い想像を逞しくさせる。非道と憎しみの地獄絵図から「おまえがすべて」な寂寞と愛憐の下地が透けてくる。'現場'ならではの濃密さに締め付けられた。

  • 満足度★★★★

    厳冬「子殺し篇」
     ハンセン氏病に対する差別と官僚共の民衆蔑視による幾重もの鵺社会に於ける差別を被差別者の生活を通して描いた作品。

    ネタバレBOX

     この劇団のカラーは日本社会の弱者をどちらかというと受け身で捉える点で特色を発揮するのだが、受け身でありながら追い詰められると、極端で爆発的・盲目的攻撃性を発揮するのが、鵺社会で受け身の立場に置かれた主体であろう。だが、勘違いしてはいけない。それは、矢張り鵺的手法によって、一つ一つ着実に潰されてゆくのが現実であることは、今作でも電気会社が、滞納を理由に電気を止める訳だし、社会保障を受ける為には、娘が施設へ戻ることが前提となる。そして戻された施設では懲罰坊に入れられ1年でもそれ以上でも、糞尿垂れ流しの生活を余儀なくされるばかりではなく、医学研究のモルモットとして生かされるのが落ちである。今作でも、次女で施設から逃げ出した癩患者の繭子を演じた吉田 多希の科白には、撃たれる物が多いのは、こういう状況があってのことである。同時に、父役の大塚 尚吾や隣人の妙の科白も、当時の差別の何たるかを反映して痛い! 繭子が既に嫁いでいる姉、蝶子に発症後持つコンプレックス(複合意識)の表現も良い。罹患者の名が繭に関連し姉が蝶であるのは無論意味がある。
    ところでこれは、燐光群が「お召列車」でやってしまったので使わなかったのかもしれないが、癩が、どの部分に一番最初にその病の特徴を表すかについての科白もできれば入れて欲しかった。この病を患った者は、山間の道も一般の者の通る道を歩かなかった。癩患者専用の道があったことは、宮本 常一の「忘れられた日本人」にも出てくる。聖書のヨブ記は癩の話だし洋の東西を問わず業病として恐れられた病であるだけに、問題化されたケースも多い。豊田監督による「小島の春」という大傑作も癩に対する差別を批判的に描いた映画である。
     このように芸術家が、反差別という描き方をしているのに対し、日本の糞官僚共は相変わらず下司としての発想しかできない。この故に彼らは下司なのであるが。彼らがどれほどの下司であるのかちょっと具体例を挙げておこう。1943年ファジェイ博士は「プロミン」の有効性を確認した。1950年代以降、プロミン後継薬ダプソンが世界中で使用されるようになった。 だが’60年~’70年代にかけて、ダプソンに対する耐性菌が発生、研究者は複数の薬剤(リファピシン、ジアフェニルスルホン、クロファジミン)の併用によって耐性菌を防ごうと試み、 1981年WHOの研究班がようやく「多剤併用療法(MDT)」を確立した。
    MDT の構成要素であるリファンピシンは、1回の投与で癩菌の99.9%を死滅させる。従って、この薬を用いて治療を始めた患者からはほかの人に感染することはなく、後遺症が残るかつての患者からも感染することはない。現在でもこの治療法は効果的で、癩菌感染力を短期間で失わせるため、ハンセン病は完全に治癒する病気である。更にWHO統計によれば、MDTの開発により、’80年代に500万人を超えていたハンセン病の登録患者数は、 2011年には約18万人にまで減少している。
     にも拘らず、日本では1996年迄癩予防法は廃止されなかったのである。1943年の件は措くとしても日本国民の税金で養われている公僕たる厚生省の官僚が、MDT以降も漫然と事態(極めて深刻な被差別)を放置していた怠慢は厳しく追及されるべきである。時効が成立するか否かとか、法的に追及できる法が無いとか在るとかの問題ではない。人間としてどうなのか? という問いである。こんな問いを発するのはF1人災に於いても関係省庁たる
    経産省(旧通産省)、文科省(旧文部省)が日本国民に対して犯している罪について看過できるような目明きが居ようか? 当然皆無でなければならないからである。



  • 子殺し。
    古民家の一間を観客席に、もう一間を芝居のスペース。貧困に迫る芝居で好きだが、自身の席だからか現代の配線コードやら色々見える。工夫は欲しかったです。通路から全体使って四方からのアプローチは良し。長すぎず、両方とも見たい内容。

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