各団体の採点
チケットを受け取って階段を下り劇場入り口に着くと、壁にビニールが貼られていました。早くもロビーから養生されているんですね。客席のパイプ椅子を含む劇場全体にビニールが張り巡らされています。バナナ学園純情乙女組(以下、バナ学)の客席は安全地帯ではありません。水だけでなく他にも色んなものが飛んでくるのです(観客全員に1つずつレインコートが配布されます)。これを1日3ステージ上演することに、まず驚愕します。凄い!
諸事情により最前列で拝見し、始まるやいなや出演者数人に着替え用の服やタオルを預けられたり、七味まゆ味さんに何やら頼まれたりして、観客というより作り手の一部(演出部お手伝い?)になった気分で拝見することになりました。これまでにバナ学は4作品観たことがありますが、作り手側にぐっと寄りそった(参加した)視点になったのは初めてでした。
開演前はマイクで複数人がアナウンスをし続けています。ツイッターの感想を読みあげたり、鑑賞中の注意事項をノリノリで説明してあおったり、否応なしに恐怖混じりの期待が高まります(笑)。制作さんがバナ学の舞台を「ディズニーランドの"スプラッシュ・マウンテン"みたいなもの」とおっしゃったのには納得でした。アトラクションだと思うとそれなりの覚悟ができますよね。ただし内容はかなり大人向けで過激ですが(笑)。
今回は"おはぎライブ"×"演劇"ということで、シェイクスピア作品など有名戯曲からの引用が多数ありました。でも、セリフが聴き取れることを重視していないし、複数の作品が重なっていたり、全く関係ない(と思われる)要素が次々と加わって来たりして、一度で詳細をつかみ取ることはできない構造になっています。大量の情報を洪水のように暴力的に浴びせ続ける熱いパフォーマンスは、これまでの作品と同様、現代日本を鮮やかに表していると思いました。ただ、私が観客らしい受け身の視点でなかったせいもあってか、限界に挑戦する出演者の雄姿に心打たれ、ちょっとした恍惚状態になるまでに、時間がかかりました。
バナナ学園の群衆演技は、一見破天荒に見えて、二階堂瞳子の緻密な演出でなりたっている。あれだけの人数を演出しきるというだけで、彼女の能力に感心する。
今回暗黒AKBがシェイクスピアの世界に降り立ち、演劇界のシェイクスピアブームを蹂躙してみせたような作品。賛否両論であることこそが彼女の狙いであろう。
彼女の演劇革命家としての姿勢が魅力的だ。今回の作品で彼女がやろうとしたことの全てが成功したとは言えないが、目指しているところは深い。
シェイクスピアの各作品のカットアップに加え、なぜか『三人姉妹』や『ゴドーを待ちながら』(どこでやってたの?)をミックスさせた混成軍が、例によって水やワカメを投げつけてカオティックな世界を顕現させる。過去に観たバナナ学園の中でいちばん水に濡れました。油断した……。まあでもそれは笑い話になるわけです。
わたしがバナナ学園の良さだと思っているのは、完全に複製物や偽物まみれになってしまった現代における、その、もはやイミテーションでしかありえない身体の絶望を、オリジナルへの懐古や回帰によって埋めるのではなく、むしろ過剰に複製/模倣していくことによって死屍累々を築きながらも乗り越えていこうとするその無謀さである。殉死、殉死、それも大量の殉死……。それが感動を呼び起こす。
しかし今回は、確かにディズニーランド的な楽しさはあったけども、やや狂騒的なアトラクションの方向に傾きすぎた印象も。そして今ひとつ「圧」が足りなかったと感じるのは、方向性が明瞭ではなかったせいでは? 二階堂瞳子自身、あるいは参加する役者たちは、自分たちの狂騒ぶりをどのように考えているのだろうか? 今回は、舞台上で役者が観客にセクシャルハラスメントを仕掛けるという事件が発生したらしい。わたしは性犯罪というものを心底憎んでいるし、被害者がそれを告発することが相当な勇気を要するであろうこともできるだけ理解したいと思って日々を生きているけれども、この事件をもってバナナ学園の(過去作品も含めた)全てを否定しようとは思わない。ただ6月10日現在、その行為が演出家の指示もしくは容認だったのか、役者個人の暴走によるものだったのかは明らかにされておらず、二階堂瞳子自身の肉声(?)が聞けてないことも含めて、正直ちょっとモヤモヤした気持ちは残る。なぜそこに誰も歯止めをかけられなかったのか、と組織の在り方にこれ以上不安を抱かせないためにも、できうるかぎりの事実は明るみに出したうえでの再出発を図ったほうが、今後バナナ学園に関わっていくかもしれない人たちも、気持ちに整理がつくのではないかしら。
劇場は、観客の価値観が揺らぐような場所であってほしい。その意味においては「危険」だし、決して「安心・安全」な場所ではないとわたしは思っています。しかし肉体的な危険性はできうるかぎり排除してほしいし(できれば俳優たちにとっても)、その責任が主宰者側にはあると思う。バナナ学園が水やワカメを飛ばすのは、それが服を濡らすことはあっても、観客の身体を傷つけるものではないからだと思っていた。とにかくこれを機に自分たちがやりたいことの原点を見つめ直して、また元気に暴れ回ってほしいと思います。あとは当人たちの判断だと思うので、現時点でわたしから言えることは以上です。
ちなみに今回、わたしは上記のような行為を直接は目撃していないのですが、そもそも舞台で何が起きているのか、感じられる時間が少なかったように思う。レインコートを過剰に気にして防御的になり、感覚をひらいていくことが難しかった。できうるかぎりそうしようと努力したのですが……。
役者では、「菊池」の名札を胸に貼り付けたブルマー姿の浅川千絵の勇姿を久々にバナナ学園で見たけれども、やっぱり水を得た魚というか、群を抜いた存在感を発揮していた。今回は謎の黒人(!)とのコンビネーション……。七味まゆ味の『三人姉妹』演説はさすがの存在感。中林舞のダンスもこのカオスの中にあって異彩を放っていた。ただ全体的に群舞がモヤッしていた印象もあり、相対的に、個々のプレイの持ち味も100%は活きなかったような。
最大のネックとも思えるのは、せっかくシェイクスピアを使ったわけだけれども、セリフやシーンを聞かせるのか、聞かせないのかもどっちつかずだった感じ。うまくいけばシェイクスピアを成仏させることさえもできた気もするんだけど……。
まず、配布されたレインコートのあり得ない薄さに「ひぃ!」となりました。手早く手荷物をビニール袋に包んだ際、パンフレットも入れてしまったのですが、目を通してから観た方がよかったかなと後悔。
私の観た回は客層も多種多様で、日ごろ小劇場、ましてや王子では見かけることができないような雰囲気のお客さんもいて、現象としてのバナ学を感じました。1日3回公演ということで、片付けや客席の準備が大変なのは推察されるのですが、開場を待つお客さんが劇場前に放置になってしまっていたのは気になりました。彼らのパフォーマンスを評価するためにも、そこはちゃんとして欲しいところです。
内容は「演劇」で「シェイクスピア」であることをうたっていましたが、そのために表現が狭められたというかパワーが削がれてしまった感はありました。しかし、終盤の「田園」からガガ様にかけて襲ってきた高揚感は何なんでしょう!?演者の力一杯のパフォーマンスに心打たれる、これぞバナ学!
そして、あの空間にあっても、七味さんの惹きつけるパワーはすごい。惚れました。
余談ですが、帰宅後すぐに倒れこむように寝てしまいました。観る側にもパワーが必要なんです!