各団体の採点
葉が世界を、構造を立ち上げる。その世界の中で俳優たちの身体が震え、客席と共振する。言葉(戯曲)と身体が織りなす、演劇のダイナミズムを体現するような芝居だったと思います。
理不尽で不条理な暴力が横行する近未来にあって、痛みを感じない男となんでも過敏症の女の結びつきを描く物語は、政治や社会状況への疑問を抱えながら、現状を甘受し続ける私たちの現在の写し絵なのでしょう。一つの役を複数の人物の証言や演技で表現するスタイルは、個と集団のさまざまな関係への思索を促す、とても刺激的なものでしたし、時おり差し挟まれる鮮やかな群舞(乱舞)もまた現代の群衆や大衆のあり方を思わせ、物語にさらなる奥行きを与えるものとなっていました。
いつもながら群舞が素晴らしかったです。選曲が個性的で飽きさせません。劇場のロフトを使い、奈落まで続く階段でシャープな空間をさらに広く見せた舞台美術でした。衣裳は一人ずつデザインが異なる現代服ですが、赤、青、緑、灰色と色を合わせることでスタイリッシュに見せていました。ただ、初日(プレビュー翌日)の仕上がりは一体感、緊張感、柔軟性などで今一歩。まだまだこれから成長する舞台だと思いました。
不感症(痛みを感じない)の男と過敏症(何もかもにアレルギー反応)の女を軸に物語は進みますが、彼らを演じる役者さんはあくまでも"代役"で、男のセリフを複数の男優が語ったり、女は2人の女優さんが演じ続けるなど、特定のヒーロー&ヒロインの物語に固定させず、誰にでもあてはまる普遍性を保っていました。
震災以降の空気も含め、日本という国を冷静に見つめる視点を持った社会派戯曲でもあり、演劇が持つ豊かな可能性を堂々と引き出す詩的なセリフも美しかったです。ひょっとこ乱舞の作品はそれほど多くは拝見していないのですが、戯曲は広田淳一さんの最高傑作ではないかと思いました。
ひょっとこ乱舞のいいところは独自のスタイルを持っているところ。群衆での動きからダンスに移るところなどは、オリジナリティが高い上にとても素敵だ。
今回はストーリー性に少し重点が行き、その分詩的な部分が抑えめであった気がする。舞台美術・音響・照明・演技、それらのひとつひとつが水準高く、そのトータルバランスがこれまた見事なのである。
それにしてもひょっとこ乱舞には素敵な役者が揃っている。劇団員だけでも豪華さを感じさせるくらいなのに、今回客演陣がまた凄い。次回、アマヤドリと改名して、劇団がどう変貌するのか、楽しみでならない。
得意としているのであろう群舞シーンはお見事だと思いました。本公演のパンフレット(面白かったです)によれば「全員で動く」ことは彼らの重要なメソッドであるらしいので、劇団名をアマヤドリに変えても、今後も何らかの形で継承・発展されていくんでしょう。
しかし残念ながら物語はわたしには退屈だった。「感度」が今作のテーマとのことだが、登場人物たちの「痛み」が今ひとつ伝わってこない。それは、あるセリフを吐く時の(吐かざるをえない時の)根拠が不足しているせいではないか。もっと逃れようのない場所にまで踏み込めたのではないか。「敵の見えない現代」を描きたいという意志は感じるけども、「自分にしかそれを描けない」というやんごとなきパッションまでは感じられなかった。
この物語は、いわゆる管理社会型ディストピアSFだけれども(ジョージ・オーウェル『1984年』や、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』、最近では伊藤計劃『ハーモニー』etc.)、その設定がどうにも幼稚に見えてしまった。例えば「アンカ」という処置執行システムを遂行する「オヨグサカナ」のメンバーの議論には、思想的葛藤や知的蓄積がほとんど感じられず、とてもこの人たちが国家の命運を左右しているエリート官僚だとは思えない。SF的な発想には今後も可能性があると思うし、個人的にも嫌いではないけども、リアリティが必要なところはしっかり描いてほしい。誤解のないように言い添えれば、リアリズム演劇が見たいわけでは全然なく、荒唐無稽で一向に構わないのですが、なまじロジカルな説明によって世界観を構築しようとしているのに、その論理が幼稚なのでは説得力に欠けてしまう。ただ、(小説や映画と違って)演劇でそれをやることの難しさも分からなくはないので、だとしたら思い切って説明的な部分を書かない、とかの英断もアリなのかもしれない。
演出・演技の面では、肝心の「感じない男」の長ゼリフが魅力的ではなかった。実力ある俳優たちはいたはずなので、個々の場面が生きてくれば、もっと豊かで起伏のある舞台にできたのではないかと思ってしまう。観た回がとりわけ良くなかった、という可能性もあるかもですけど。
脚本が秀逸。
改めてじっくり読んでみたい。
男と女、最小単位の人間の関わりを描きながら、表現しているものはスケールが大きく、我々が日ごろ気づいていながら見ないフリをしている現実。痛く、切ない。
乱舞の迫力は合唱におけるユニゾンのようなエネルギーと説得力をもって訴えてくる。身体表現のうつくしさ。演者の呼吸、感覚を合わせ、ひとつの乱舞にするには相当訓練を積んでいるのでは。
舞台美術も空間を上手く使っていてよかった。