各団体の採点
「いま・ここ」にはいない人々の対話、ドラマを「いま・ここ」に呼び出す演劇は、そもそも一種の降霊会のようなものなのだと思います。それは、過去と現在が、虚構と現実が、同列に扱われ、語られる場でもあります。ですから命を扱ったこの芝居が、打ち捨てられたマンション建設現場で行われる「降霊会」の形をとっていることは、とても得心のいくことでもありました。
降霊会の会場は天上と地底とをつなぐ鉄製のエレベーター。参加者たちは、子殺しの母・クマコと地底人・ポールに導かれ、過去の凶悪犯罪の被害者、加害者、その死霊や生霊との対話を重ねます。愛のあり方や暴力について……時には詭弁めいた意見も交えつつ、しつこいほどに続くディスカッション。動きも少なく、どうしてもやりとりが観念的に思え、うまく飲み込めない部分も少なくはありませんでした。けれど、振り返ってみれば、あのしつこさには、通り一遍の善悪を超えた、人間の業に触れようという強い意志があった気もします。
終幕、クマコに殺された娘(の霊)は、その母を恨みつつ抱きしめます。(むろん、それもこの会に呼び出された幻にすぎないのかもしれませんが……)やはり、愛も憎しみも暴力も、一人の人間からは生まれないのですよね。他者の存在はいつも、喜びであり、哀しみでもある。
始まった瞬間からその独特の空気感と質感にしびれてしまった。一見ホラーかと思わせるような暗い作りだが、演出も務める寺十吾が出てくると、独特のユーモア感があり、不思議な魅力の作品に仕上がっている。寺十吾の存在感が圧倒的。
母親役(クマコ)を演じた大高洋子が、どすの利いた台詞回しで芝居を引っ張っている。これまた魅力的だ。
ただ、登場人物が多く、ひとりひとりの役どころがつかみきれなかったのが残念。たぶん、2回、3回と観ればますます面白くなっていく作品だろう。
霊を召喚できる一家が奇妙な難事件を解決していくミステリーとして、テレビドラマとかにシリーズ化できそう。内容が陰惨すぎておそらく無理だろうけど……。当日パンフに書かれていた通り「暗黒面」に向き合おうとする陰惨な芝居だった。世の中の悪事や犯罪を列挙し、内蔵やら血やらを描写し、加害者や被害者の心理をトレースしていくのだから、脚本を書くのは相当しんどい作業だったのではないかと想像する。わたしはこの「なぜ人を殺してはいけないのか?」という90年代の呪いみたいな問題に対して、個人的には猟奇的な面ではあまり強い興味を持ってないんだけれども、世の中のダークサイドはむしろ見えないところで拡大しているのかなとも感じています。
照明からしてとにかく暗い舞台だけど、地底人(寺十吾)が出てくるあたりからコミカルさが投入されて面白くなる。神なのか? 悪魔なのか? 人間を遙か遠くから見下ろすこの地底人キャラには、人間社会のウジウジした日常を突き放すような痛快さがあった(かなりキャラ濃かったな……)。淡々とした表情で的確にツッコミを放つ女(とみやまあゆみ)も、探偵ミステリーにおける助手的役割として印象に残ったけれども、後半は出番が急に減って、今ひとつ全体の中での位置づけがよく分からなかった感じ。登場人物の数のが多いせいもあるのかしら? もう少し、配役や、ひとりひとりの人物造形が丁寧であってほしかった。とある人物を演じた福原冠は、感情というものを表に出さない「透明な存在」を抑制した演技で好演していたと思う。へええ、こういう演技もできる人なんだ、と驚いた。ただ欲を言うなら、もうひとつ恐ろしい狂気を見せてほしかった。神戸の関西弁としてこれで果たして正しいのだろうか、とかそんなことが妙に気になってしまった。
囲み舞台ではあるけれども、人物の動きがあまりないので、場所によっては見え方がどうなのか、ということも気になった。特にディスカッションの場面になってくると、動きのなさが気になった。照明が暗いのも、演出上の効果を狙ったものとはいえ、あまり役者の表情が見えなくて少し残念。音楽の使い方もややもっさり(?)している感じ。若い観客にアプローチするにはそうした面での洗練が必要だとも感じる。現状では、演劇に馴染みの薄いお客にとっては敷居がかなり高いのではないだろうか。(以下、ネタバレボックスに続く)
「どうして殺しちゃいけないの」。
現代の倫理観では論じることさえ憚られるテーマについて深めていく時間でした。死後の世界なんかない、この現世が全て…という突き放しも良かったと思います。
寺十吾さんの地底人ポール役、飄々とした物言いに笑わされ、核心を突いたセリフにドキリとさせられましたが、ご自身で演出されて舞台に上っているのだと思うとちょっと反則かな。
ラスト、家族で食卓を囲むシーンで、もりもりとご飯を口へ運ぶ食べっぷりに、清濁併せのむ人間の逞しさが眩しいほどに感じられ、私も明るい現実世界へ戻ってこられたように思います。「死」を思うことは「生」を考えることなのだと感じる舞台でした。
あと私が観賞した日は、現実の世界では死刑囚の刑が執行されたことがニュースになった日で、偶然とはいえ重く心に刻まれる日となりました。