★★★★夢の強度とその先

ふわふわしない、確かに奇妙な強度のある、おかしな「夢」の時間を体験しました。
一見キッチュ&ポップにごちゃごちゃと飾っているようで、実は(舞台面は)シンプル、という空間構成の妙が、移り変わりやすく荒唐無稽な「夢」の場を、うまくリードする役割を果たしていたと思います。そして俳優の佇まいもまた、「夢」というテーマに甘えない、不思議なリアリティを持っていて、魅力的でした。
とはいえ、ほぼ全編にわたる「夢」の時間は次第に無限のようにも思え、「アレ、今のコレはなんだっけ?」と目の前で起こっていることを見失ってしまう瞬間もありました。

★★★空間の使い方が巧みな実験的要素の強い演劇

 くらげのようなテーブル、イス、バス停の看板など、天井から吊り下げられオブジェは現代アートのような鮮やかな存在感。照明器具そのものも装飾品のようでした。舞台奥の透明ビニールのカーテンも含め、空間の使い方が巧みだと思いました。奥の階段は当たる照明の色や具合で表情を変え、作品中の意味も変化していました(出入口、結界など)。
 アイデアやイメージは個性的だと思いましたし、役者さんも一人ひとりが魅力的でしたが、1時間30分のお芝居を"夢"という1つのテーマで突き進むのは難しかったんじゃないかと思いました。

★★★★女優熊川ふみを堪能!

いつも新しい演劇のスタイルを生み出して驚かしてくれる範宙遊泳だが、今回は劇団員と劇団員同然の福原冠とで、これが範宙遊泳の原点とでも言うべき楽しい作品を見せてくれた。

それにしても熊川ふみという女優は素敵だ。あれだけ表情豊かな女優はなかなかいない。とてつもなく面白い顔から美少女のような美しさまで、秒単位でころころ変化していくのである。その熊川ふみを心ゆくまで堪能してもらおうというのが今回の芝居だ(というのは私の勝手な解釈。)

夢の中の不思議な世界は、時にアリスのように、訳がわからないけど素敵でわくわくして、そして詩的なのである。大橋一輝、埜本幸良、福原冠のバランスがよく、それぞれが独特な世界を持つ魅力的な役者達であることもうれしい。これからどれだけ大きくなっていくのか楽しみだ。

★★自由すぎた夢

 そもそも自由で無軌道すぎる「夢」を演劇でそれをどう統御するのか、あるいは逆にどう爆発させるのか。そこに今回の山本卓卓の挑戦があったんだろうし、誰が主体なのか不明瞭なまま物語を展開させていく語り口には、今後さらに掘り進めるだけの可能性もあるでしょう。しかしながら想像力が飛翔するタイミングを見失い、そのまま終わってしまった感じ。特に彼らの持ち味である遊び感覚が、今回は幼稚としか見えなかったのが残念。ヒロインである熊川ふみが頑張ってはいたものの、彼女の性別を消失・超越したような感じは、本来であればもっとこの「夢」の設定にハマれたはずなのになあと思ってしまう。他の役者さんたちもみな好きなのですが……。
 範宙遊泳の良さのひとつは、世の中のブラックな部分をユーモラスなやり方で舞台に引きずり出すところだとわたしは思う。決して綺麗でもなく、美しくもないもの、時としてどうしようもなくダメダメなものを、なんだか愛らしいと思わせてしまう。今作はその愛嬌が鳴りをひそめた。アトリエ春風舎の狭い空間であるにも関わらず、そしてわりと騒いでいるにも関わらず、終始どこかスカスカした感じがしたのはなぜだろう?
 山本卓卓は毎回手を変え品を変えいろんなことをやっていて、それはそれで素晴らしいアイデアの宝庫だと思うのだが、やはり長い物語を書いて上演するには、それ相応の筋力が必要だと思う。単発のアイデアを連射しても付かないような筋力が。長い物語では、うねうねしたグルーヴが生まれないとただのブツ切れの集積になってしまう。次回、再演となる『東京アメリカ』(2012年7月@こまばアゴラ劇場)はこれまで観た範宙遊泳の中で最も好きだった作品。彼らならではのグルーヴをぜひ見せて暴れてほしいなと思っています。

★★★夢ってサイケデリック

「これは夢の話です」と言い切ってしまうことで、かえって表現の範囲が広がるという構造は面白かったと思います。範宙遊泳らしいトリック。入口でチケットの代わりにピンポン玉が渡されるのも、もう演出なのか意表を突かれて面白かったです。
とにかく今回は、熊川ふみさんの魅力に尽きます! 所狭しと飛び回る身体、クルクルと変わる表情、七色の声を駆使して変幻自在に夢の多重構造の世界へ観客を引き込んでいってくれました。
内容は、もう少し物語が欲しかったところ。もっと何も考えずに見られたらよかったのかなぁ。でも、考えずにはいられないのです。クライマックスのピンポン玉は衝撃的。めくるめく夢の世界の狭間にふっと訪れる目覚めの瞬間があまりに静かでリアルでドキッとしました。このリアルこそが現実。

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