中田くんのお見合い
め組のよぎんち
劇場MOMO(東京都)
2012/02/01 (水) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
ああ面白かった!!
ギャグ満載、少し泣けてみんなハッピー、最高に楽しかったです!
ネタバレBOX
路上ライブの人が道化役を演じるのかと、いちいち歌歌うのかな、ああ面倒くさいと最初思いましたが、すぐ止めてくれて杞憂に終わってホッとしました。
それからどんどん面白くなりました。
中田君が出会った人たちがみんなお見合いパーティーに参加していてビックリ。別れたカップルがくっついたり、恩人で憧れの人と出会ったり、中田君も病気のおばあちゃんのために誰でもいいから花嫁さんを見つけようと必死になって、そして初恋の人と巡りあえたりして幸せになりました。ああ楽しい!
一つ一つのギャグが良く出来ていたのには違いありませんが、役者さんが堂々としていて、スベリかけても何のその、堂々と押し進めて笑いを取る、素晴らしかったです。
麻薬犯を捕まえたときの、マ、マ、マの付く…、万引きーと勘違いするギャグなど最高でした。
あの日はライオンが咲いていた
PocketSheepS
萬劇場(東京都)
2012/02/02 (木) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
脚本にチカラあり
実は二軸な物語ながら「軸がブレた」印象でなくきちんと「シフトさせている」構成が巧み。
また、中盤で全体の構造と真相に関するヒントを提示することやくすぐりなどの小ワザを程よく仕込んでいることも上手い。
ネタバレBOX
劇中で触れた「ハッピーエンドとは何か」を受けるかのように、安直な「めでたしめでたし」のありきたりな所謂ハッピーエンドにしないのもポイント。
dogma/黒髪と魚の足とプレシオサウルス
劇団パラノワール(旧Voyantroupe)
サンモールスタジオ(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
「黒の章」観劇
この劇団の世界観が好きだ。今回の作品「黒髪と魚の足とプレシオサウルス」も吐き気を催すほどの狂気にあふれ,ゾクゾクする。役者さんの演技も申しぶんない。ただ,これは前公演の作品の中の1作品のリニューアルとのことであるが,この作品だけを単独で,しかも,あの終わり方だけでは何か途中で切り上げられたみたいで,この後が見たいのにという気持ちが強く残ってしまう。短編であれば3~4作品を見せて,狂気の蓄積を演出したほうが良かったように思う。今回の芝居ではないが,物販が非常に充実していたのは嬉しい限り。特に前々回公演のDVD,2作品とも劇場では上演されなかった先の大戦,正解,真のラストなどとても気になるところも収録されており,それが劇場特別価格であり,飛びついてしまった。うまいやり方と感心するとともに,以前の作品をさらに楽しめ,ファンにはとてもたまらない。
戯伝写楽-その男、十郎兵衛-
シーラカンスプロデュース (古代魚企画)
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2012/02/01 (水) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
凄く素敵な作品でした!!
一人ひとりの思いや私たちに投げかけるメッセージが本当にたくさんで、
色々とこみ上げていく思いがたくさんありました!!
みれば見るほど味がある作品だなと思いました!!
今夜だけ / × / ママさんボーリング(公演終了!感謝!御感想お待ちしています!))
MU
駅前劇場(東京都)
2012/02/02 (木) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
「ハセガワアユムは器用貧乏かもしれない」
と思っていたが、本当は「不器用」で、そこに知らず知らずのうちに「共鳴」してしまうので、MUは面白い、のかもしれない、という個人的で、あるいは的外れかもしれない考察あれこれ(ここまでがこの感想のタイトル)。
「笑い」と「日常」を、いつものアレとかに、うまく被せてきた。
ハセガワアユムの器用さと不器用さが混在する作品。
「笑い」はオフビートなユーモアで、前から作品中にあったのだが、こう正面切って堂々と見せてくることには正直驚いた、というより大歓迎した。
また、「日常」も常に作品にあったのだが、今回の「日常」はまたニュアンスが違うように感じた。
ネタバレBOX
こういう言い方はアレかもしれないのだが、「ハセガワアユムは器用貧乏かもしれない」と密かに思っていた。
今もそう思っている観客は多いかもしれない。
短編から中編あたりの、脚本や演出のうまいまとめ上げ方は、言うまでもなく、観客のほとんどは感じているだろう。それが「器用さ」なのだが、「器用すぎて」作品の「ホンネ」のような毒々しさを、直接には感じないのではないかということだ。
ファンの一人としては、「それが観客伝わっているのか?」という忸怩たる想いでいつも観ていた。「もっと不器用でいいじゃないか」と。「上手すぎるからなのか?」とも。
そして、今回は、さらに「笑い」にまぶしてしまった。
しかし、常に、根底に流れているのは、「自分の中にポッカリと空いているどうしようもない空白」とのせめぎ合いであり、それは「笑い」と「日常」にまぶしていても、隠れようもない事実なのだ。
ハセガワアユムさんご本人はどういう方なのかは知らないが、舞台の上の創作物を見るにつけ、それを感じずにはいられない。
確かに一見創作は「器用」に見えるかもしれないのだが、根底にあるのは「器用」とか「スマート」とかとは異なる「不器用さ」ではないだろうか。
捻くれた見方だと承知で書くとすれば、「器用に」あるいは「スマートに」しか見せることのできない「不器用さ」が、実はあるのではないか。
そしてさらに言えば、作品の根底に流れている「自分の胸に空いてしまった穴」を、どうしても覆い隠すことができない「不器用さ」もある。
内にもやもやしている「毒」のようなものの対処の仕方で、「演劇」という手段でそれを吐き出すというテクニックをうまく活用しているのだが、自分の中でのその「もやもや」のようなものは日々肥大し続けているのではないかと(勝手に)思うのだ。
ヘタに「コトバ」にして、さらに「誰かに演じさせる」ことで、自分の中のそうしたもやもやに、逆にスポットを当ててしまい、一瞬の快楽とともに昇華されたようで、実は次の「もやもやのタネ」を確実に蒔いている、という自家栽培的な中毒症状に陥っているのではないだろうか、「不器用」に(それが「次の創作」に向かうから、私たちは「次のMU」にまた会えるということでもあるのだが)。
ハセガワアユムさんにとっての、ラジオ番組『今夜だけ』は、演劇だったりして…。
そうした「不器用さ」は、誰も持っているもので、「スマート」で「器用」そうに見えるハセガワアユムさんの作風にも、そういう「不器用さ」があって、それをさらけ出している、ということに(無意識であっても)観客は共鳴しているのかもしれないと思ったりしている。
つまり、今回で言えば、表面上に見えている人妻を巡るアレコレの面白さという具体的ことではなく、その根底に流れているモノに共鳴した者には、ちょっと痛みを感じる作品なのかもしれない。
そう考えるとクリエイターという人たちは、意識、無意識にかかわらず、結局、観客へ向けて何もかもさらけ出してしまっているのだと思う。
ハセガワアユムさんについて言えば、(たぶんだけど)好みのタイプの女性とか(これは確実だけど)団体の気持ち悪さとか、そんなことを露呈させてしまっているように思える。
それを恐れることなく立ち向かった作品は、MUに限らず、確実に面白いものになっていると思う。
だから、後に書くが、本来1本で上演するはずだった作品を、連作にせず、別の作品2本を足したのは、そういうことへの、無意識な危険回避だったのではないかと思う。
「今」はまだ上演できない、ということ、だ。
『×』
=「罰」というのはわかりやすく、しかもストーリーは、「全部つながっている」という、気持ちの悪い(あるいは良い)展開のバカバカしさに、大笑いしてしまう。
「中二」なんていうわかりやすいアイコンを入れ込んだあたりの、作者の意地の悪さ(笑)は素敵すぎる。
そういう意味での「人妻」アイコン、「ホームレス」アイコン、「バカっぷる」アイコンもとてもいい要素だと思う。
ただ、MUらしくないガチャガチャ感に溢れすぎていて、ハセガワさんならば、もっと統制のとれたガチャガチャ感が演出できたのではないかと思うので、そこが少々残念ではある。
また、これは素人の考えなのだが、ラストのキメの台詞は、「一体にその台詞は、誰に向かって言っているのか」という演出はさすがだと思ったのだが、一言、あるいは二言ぐらいの短い台詞で十分だったと思う。確かにそういう幕切れは、ありそうな形にはなるけれど、丁寧になぞって説明しなくてもよかったように思うのだ。あるいは延々台詞を言わせて、フェードアウト的な観ているほうが苛つくようなラストでもよかったのではないだろうか。
全体のガチャガチャしたところからの、ラストの展開と台詞にはシビれたので、そこをもっと印象付けてほしかったということなのだ。
『ママさんボーリング』
素敵すぎる短編。もうなにしろタイトルが良すぎる。観る前から面白いことはわかっていた。
そして、実際に面白かった。
キメキメの「演技」というような演技がとても功を奏しており、シモだけど、まさにスマートなMU作品にまとまっていて、気持ちいい。
さらに言えば、ハセガワアユムさんは、実は(笑)変態ではない、ということを露呈してしまった(笑)作品でもある。
アイコンとしての「スカトロ」というか(笑)。本気でやられたらシャレになんないけどね(笑)。
バツイチ島崎役の橘麦さんの好演が光る。
店長役の太田守信さんの、前の『×』からの印象の引っ張り方もうまい。こういう「演出」に「器用」さを感じてしまう。
『今夜だけ』
これは一番MU度が高い。
なるほど、本来はこの1本だけだったのがよくわかる。
しかし、なぜ連作3本にせずに、この長さにまとめたのかもわかるような気がする。
つまり、夫婦間の話が、ハセガワさんにとってキツくなり出したのではないか、ということだ。
戯曲を書き、演出をしていくと、キツさの先に見えそうなものが、リアルだったり、抜き差しならないものだったりする可能性を、直感したのではないだろうか。
だから、「今」ではなく、少し寝かせた上で、新たに連作として上演できるとき(タイミング)が来たら、見せてもらえるのではないだろうか。
そのときまでの楽しみとしてとっておこう。
失っている者同士の夫婦の設定の面白さ、ラジオ番組『今夜だけ』をみんなで聴いたときの違和感など、面白要素はたくさんあるので。
どうでもいいことだが、夫の弟のぬいぐるみとのベッドシーンはチャック開けるぐらいの気味悪さは欲しかったかも。あとガンジャ吸いは、息を止めたほうがそれっぽいかも。あの葉っぱのTシャツ着てたりするとバカすぎて楽しかったかも、なんてことを思ったり。
あと、前の『ママさんボーリング』から「臭い」を引っ張ったのは偶然なのかな? にしても3本のゆるいつながりが、やっぱ「器用」(笑)。
「団体や徒党を組む」ことに対しての嫌悪感を正面に掲げているように思えるMUというか、ハセガワアユムさんだが、今回は、劇団化した第1作。
まだそれの影響や結果は見えてこないが、今後それ(劇団という団体)とどう付き合っていき、どう作品を見せてくれるのか、非常に楽しみである。
東儀秀樹 雅楽ワークショップ&ミニライブ
そぴあしんぐう
そぴあしんぐう(福岡県)
2012/02/04 (土) ~ 2012/02/04 (土)公演終了
満足度★★★★
掌上のミクロコスモス
会場のそぴあしんぐうは、新宮町の片田舎、交通アクセスも頗る悪い位置にあるので、いつどの公演を観に行っても、満席になっていたのを観たことがない。このCoRichにも企画制作としても劇場としても一切の記載がなく、演劇ファンからは殆ど無視されている有様だった。
時折、おもしろい公演もあるので、もったいないよなあと思って、関係者でもないのにこうして公演情報をアップしてみたのだが、そぴあにしては珍しく、今回の公演はチケット完売、595席の大ホールが満席であった。さすがは東儀秀樹、ということなのであろう。
テレビなどで雅楽を漫然と聴いたことはあるが、専門的な知識のない全くの初心者なので、東儀さんのお話はすべて新鮮な驚きに満ちていた。漠然と抱いていたイメージに「言葉」が与えられることで、「そうだったのか!」と目から鱗が落ちる喜びである。
雅楽初心者向けのワークショップであるから、どのステージでも同じ内容のレクチャーをされているのであろう。従って一度体験したら、あとは普通のコンサートに行くなり、CDを聞くなりすればよいものなのであろうが、やはり実際に鳳笙(ほうしょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)と言った和楽器を吹けるのが嬉しい。機会があればまた参加したいものだ。
600人を相手のレクチャーであるから、残念ながら東儀さんに手取り足取り教えて貰うというわけにはいかない。
吹き方だけを教えられて、あとはロビーで用意された楽器をご自由に、という流れではあったが、いつでもどこででも触れられる類のものではない。不器用ゆえに何とか音らしきものを出せただけで精一杯だったが、それで充分満足であった。
ネタバレBOX
狩衣(かりぎぬ)姿の東儀さんが、鳳笙を吹きながら客席に登場する。ステージに上がって、まずは当時の貴族の服装についての解説。「狩衣は当時の普段着で、もちろん私もコンビニに行く時はいつも狩衣で馬に乗っています」と会場の笑いを誘う。
基本的に当時の衣装はワンサイズしかなく、にもかかわらず大男でも小男でも着ることができたのは、伸縮自在な「仕掛け」があるから。型紙も正方形で、畳むのが楽でシワにもならない。単衣(ひとえ)は何枚でも重ね着ができて、四季の変化に対応できる。実は洋服よりもずっと機能性に優れているのである。
以前から感じていたことではあるが、日本人が和装をやめてしまったことは全くもったいない話だと感じた。
続いて、雅楽は現存する世界最古の管弦楽、オーケストラであり、音楽そのもののルーツだと言えることを論証していく。
シルクロード起源の音楽が、東西に分かれ、東は中国、朝鮮半島にもたらされ、日本において、唐楽(とうがく)、高麗楽(こまがく)、国風歌舞(くにぶりのうたまい)の三つの様式の完成形を見る。雅楽は全て「口伝」で次代に伝えられるので、千三百年前の形が、全く変化しないまま、現代に残されているのだそうだ。シルクロードの音楽文化は完全に消滅しているので、音楽の発祥が最も原初的な形で残されているのは雅楽しかない。これは既に「人類の遺産」と言うべきものであると。
そして、三種の管楽器は、それぞれに「天」「地」「空」を象徴している。
鳳笙は「天から射す光」を。
篳篥は「地上の人の声」を。
龍笛は文字通り「龍の鳴き声」を。
東儀さんの専門は篳篥であるが、なるほど、篳篥の音色は人の声のように常に「揺らいで」いる。西洋のリコーダーは、穴の押さえ方で音階を正確に刻むが、篳篥は穴を押さえただけでは音程は一定しない。口で「操作」することによって、音色を作り出すのだ。だから下手が吹くと、どうしようもない音しか出ない。
清少納言『枕草子』の一節に、「篳篥はいとかしがましく、秋の虫をいはば、轡虫(くつわむし)などの心地して、うたてけぢかく聞かまほしからず」とあって、さて、あの美しい音色が清少納言にはどうしてそのように耳障りに聞こえたのだろうと、長年、謎に感じていたのだが、東儀さんによれば、「彼女の周りにいた人たちが、みんな篳篥を吹くのが下手だったんでしょう」ということであった。当時も篳篥吹きの名人が全くいなかったとは思えないが、確かに雅楽師でなければ吹きこなせるしろものではない。下手くそは上手の何十倍もいただろうから、東儀さんの指摘には根拠があるのである。
東儀さんが雅楽の道を志し、それが間違ってはいないと確信するに至ったあるエピソード、それがちょっと耳を疑うような話なのだが、一番印象に残った。
モンゴルかどこかの外国に演奏旅行に出かけた時のことである。草原で、東儀さんが一人、スタッフと離れて、時間潰しに笙を吹いていた。すると地平線の向こうから、何かが群れをなして近づいてくるのが見える。牛だ。
牛の群れは、笙を吹き続ける東儀さんに近づき、ちょうど2メートルほど手前でぴたっと止まった。気付いたスタッフはみんな血相を変えたが、東儀さんは不思議と恐怖を感じなかった。牛たちみなは笙の音に聞き入っている。東儀さんが演奏を終えると、牛たちは踵を返して、また地平線の向こうに去っていった。
また、こんなこともあった。やはり外国の海で、クルーザーに乗って、甲板で笛を吹いていたところ、船に併走するようにイルカの群れが泳いでいることに東儀さんは気がついた。単に進む方向が同じだけなのかと思って、東儀さんは船を止めさせた。すると、イルカたちは、笛を吹く東儀さんの船の周りをクルクルと回り始めたのである。
「もしかしたら、私の吹く音が『本物』だと、牛やイルカたちが教えてくれたのかもしれません」。
東儀さんのお話を伺いながら、私がぼんやりと考えていたことは、日本文化における芸術のありようには、等しく共通点があるのではないか、ということであった。
いささか牽強付会に聞こえるかもしれないが、それは「宇宙」と「自然」の「ミニチュア化」ないしは「フィギュア化」ということである。ミクロコスモスを身のまわりに感じようという意識が表現を伴ったものが日本的な芸術と見なされるということだ。
日本庭園は、そこに山水を、渓谷や森や人里を作り出す。花鳥風月を詠むことを奨励した和歌・俳諧の歴史は、宇宙をわずか十七文字、三十一文字に凝縮させた。絵画はもとより、子供たちの玩具や折り紙、陣取りやかくれんぼといった遊戯に至るまで、小さな世界の中の宇宙を私たちは無意識的に感じてはいなかったか。
そして雅楽の「天・地・空」も、そう広くはない方丈の上で表現される。宇宙は我々の生活の中にあった。この伝統は、現在もプラモデルやフィギュアやジオラマや、漫画やアニメーションの小さなコマの中に息づいていると思う。
シルクロードの人たちも、遙か彼方の星々を、身近なものと感じていたのだろうか。
おまけのミニライブの内容は以下の通り。
1,『JUPITER (ホルスト:組曲《惑星》作品32 第4曲:木星より)』
2,『Boy's Heart(ボーイズハート)』
3,『誰も寝てはならぬ~プッチーニ:歌劇《トゥーランドット》から』
アンコール,『ふるさと』
宇宙の広大さも、青春の繊細さも、軽やかなユーモアも、切ない郷愁も、全てはこの掌の上にある。
アテルイ ―北の燿星
わらび座
ももちパレス(福岡県)
2012/01/31 (火) ~ 2012/01/31 (火)公演終了
満足度★
阿弖流為の叫びは聞こえるか
なぜか、わらび座には縁があって、いろいろなツテで観劇する機会が多いのだが、興味深い題材に惹かれ、意欲的な舞台作りに感心はしても、心の底から満足できる舞台に出会ったことは一度もない。
それは、俳優たちの演技が古臭く単調な(キャラクターの描き分けができておらず、みんな同質の芝居をする)せいかと思っていたのだが、『アテルイ』を観ると、そもそも原作を咀嚼する能力(即ち「モノガタリの魅力とは何か」を読み取る力)自体、わらび座には欠けているのではないかという疑念が湧いてきた。
映画に比べて、時間と空間の制約が大きい演劇は、逆にその制約を利用して、いかに観客のイメージを増大させるか、「無から有をいかに生み出させるか」が成功の鍵となる。しかしともすれば舞台は「あれもできない、これもできない」という「引き算の法則」でイメージを貧困化させることになってしまう。
結局、この舞台は、長大な原作を消化しきれず、ぶつ切りのダイジェストに収めることになってしまった。歴史のロマンも、まつろわぬ民たちの魂の叫びも、英雄アテルイの勇気も感じられない。今はただ「私はここで何を観たのだろうか」という寒々しい思いだけが胸に去来しているのである。
ネタバレBOX
高橋克彦の原作『火怨 北の燿星アテルイ』は、文庫本にして上下巻、千ページに及ぶ一大長編である。主人公の「阿弖流為(跡呂井)」および「母礼」は八世紀に実在した蝦夷の棟梁たちだが、『続日本紀』ほか、いくつかの資料に坂上田村麻呂によって降伏させられた記載があるが、それ以上の詳細は詳らかではない。人物設定や物語は、殆ど高橋克彦の創作によるものである。
一部の著作で、UFOや終末論を信じている旨、トンデモ発言を繰り返している高橋克彦のことであるから、考古学的な考証はかなりいい加減なのだが、その是非はとりあえず置いておく。原作のキモとなっているのは、東北の蝦夷たちはもともと出雲族、大国主命の末裔であって、日本の先住民族であると設定されていることだ。大和朝廷、つまり天皇家は渡来系であって、蝦夷たちを東北に追いやった「侵略者」であるという認識である。原作にはその「反天皇」の思想が色濃く描き出されている。
かつて蘇我氏によって滅ぼされたはずの物部一族の末裔・天鈴が、蝦夷に内通して生き残っているのは、その「まつろわぬ民」たちのネットワークが未来においても決して滅びることはないという思いを込めているからだろう。東北出身の高橋克彦の魂は、未だに過去の蝦夷たちの地の底からの叫びを感じ取っているのである。
一応、そのこと自体は、舞台でも語られてはいる。説明的な台詞が多すぎて、小説ならばともかく、ドラマとしては「もたつく」ばかりなのだが、原作にできるだけ忠実に、という姿勢がそこにはうかがえる。
ところが舞台版は、原作ではにぎやかしの脇役に過ぎない阿弖流為の妻・佳奈(もちろん原作者のオリジナルキャラクター)をクローズアップする。その恋模様を前面に押し出したせいで、原作のテーマがどこかに吹き飛んでしまっているのだ。
田村麻呂との三角関係を描き、更には阿弖流為を慕う女戦士・滝名を登場させて、四角関係にまで仕立てる。おしとやかな姫様である佳奈と、男勝りの滝名、なんて、ありきたりなゲームキャラクターそのままで、原作はそこまで露骨ではない。
そんな色模様を描かなければ、物語が持たないと脚本の杉山義法は考えたのだろうか。思い返してみれば、杉山はテレビ時代劇スペシャル『忠臣蔵』でも『白虎隊』でも、お涙頂戴のベタなドラマばかり書いていた。過大な期待を寄せる方が間違いだったのである。
つまりは「観客への媚び」である。これは観客に感動を与えたいという意識とは似て非なるもので、「このツボを押せば客は泣く(=人が死ねば客は泣く)」という安易な手法に過ぎない。それでも客が感動できるのならいいじゃないか、というご意見もあるだろうが、たとえば懐かしアニメの番組などで、『フランダースの犬』の最終回だけを観て涙をこぼすタレントらを見て、あれがマトモなドラマの鑑賞の仕方だと言ってもいいものだろうか。それまで50話に渡って積み重ねられてきたドラマを一切無視して、ただ主人公が可哀想な死に方をしたという、それだけでゲストも視聴者も泣いてしまうのである。
阿弖流為と田村麻呂との恋のさや当てなんて、たいして掘り下げて描かれているわけでもない、佳奈は「田村麻呂様のことは尊敬しているだけです」であっさり終わり、タキナも敵の矢を受け阿弖流為に抱かれて「お前に抱かれて死ねるのが嬉しい」とベタな台詞を口にして退場する。こんなん、わざわざ原作の英雄的な漢(おとこ)のキャラクターを削りまくってまで挿入しなければならないエピソードなのかと訝しむが、客なんてその程度でもオロロンオロロンと泣くものだと、作り手側から舐められているのだ。で、実際、泣いてる客もいるしな。
この「ツボ押し効果」は、手塚治虫がやっつけで仕事をする時に多用した方法である(たとえば映画『西遊記』では、手塚が無意味にヒロインのメスザルを死なせようとして、宮崎駿らの大反対に会い、撤回するハメになった)。そう言えばわらび座は『火の鳥鳳凰編』や『アトム』でも、この手塚式の安易な手法をしっかり「継承」していたのであった。
フツーの感性があれば、この適当さは怒っていいレベルだと思うんだが、わらび座ファンは、この程度のお話で満足しているのだろうかね。
何とか「見られた」のは、和太鼓を伴奏にした「剣舞」だが、これにも難点はいくつもある。
古代の土俗的な音楽でミュージカルを作ろうとする意欲は理解できるのだが、太鼓だけでは「鼓童」の勇壮さには敵わない。そして我々は既に、映画『日本誕生』や『わんぱく王子の大蛇退治』などで、古代のイメージを和洋折衷のオーケストラによって表現し、世界的な名声を得た伊福部昭という巨匠の存在を、財産として持っているのだ。甲斐正人の音楽は、それよりも一段も二段も劣るものとしか聞こえない。
その「剣舞」もまた、舞台上で殺陣を繰り広げるだけの余裕がない(そもそも俳優たちにろくな殺陣ができない)ための、やはり「引き算の手法」による苦肉の策だろう。しかし、敵が誰一人いなくて、ただ剣を振り回し、飛んだりのけぞったりするだけで敵がいるように見せようというのは、相当なマイムの技術が必要になる。その技術がないから、「何を“エア殺陣”やってるんだ、『血がだくだくと出たつもり』かよ」と失笑するばかりなのだ。
それでもこの剣舞のシーンがミュージカルとしては一番マシで、あとの合唱のシーンは普通の現代音楽、と言うかただの歌謡曲である。人間だものとか自由がなんたらとか、現代の感性を描きたいのであれば、古代を舞台にする意味がどこにあるか。これが再演、再々演を繰り返しているわらび座の代表作で、しかもミュージカルファンが相当数付いているというのであれば、日本のミュージカル全体のレベルは欧米に比べて著しく低いと言わざるを得ない。
実際、わらび座に限らず、劇団四季も東宝ミュージカルも、海外のミュージカルをそのまんま持ってきているだけで、モノマネに過ぎないんだけどね。オリジナルで勝負し続けているわらび座の方がなんぼかマシと言えなくもないが、五十歩百歩である。
もう一つ、細かいことではあるが、阿弖流為の息子・星丸役で、東日本大震災に被災して、福島から福岡に非難してきた子供が出演している。それを記事にするか記念にするかなのだろう、出演シーンでやたらフラッシュを焚いて写真を撮っていたが、これは予定されていたことだったのか、家族が勝手にやったことなのか。
そもそも東北救済のための公演であるから文句が言いにくいのだが、事前に何らかのアナウンスがあって然るべきではなかったのか。被災のことは被災のこと、観劇のマナーとは別問題だと思うのである。
『ZIPPY』 ジッピー
anarchy film
新宿アシベ会館B1(東京都)
2012/02/01 (水) ~ 2012/02/11 (土)公演終了
満足度★★★★
おもしろく。
そして過激で、訴えの多い芝居でした。
なるほど、という感じもしたし、共感できない部分もあった。
ただ、良い作品だとは思います。
この時代だからこそ出来た、若者感が満載でした。
カラミティ・ジェーン
梅田芸術劇場
ル テアトル銀座 by PARCO(東京都)
2012/02/04 (土) ~ 2012/02/11 (土)公演終了
満足度★★★
上質のエンターテイメント
役者個人個人の技術が素晴らしく、
エンターテイメントとしてとても良くできていて面白かった。
あの衣装であのセットなら、あのお値段にも納得。
でも、やっぱりストレートプレイが好きなので、
岡田達也さんが出演していなければ絶対観ないだろう作品。
ネタバレBOX
音楽劇の類は全くといって良いほど観ていないので、
劇中の拍手や手拍子といったルールが全く分からずアウェイ感満載。
カーテンコールのスタンディングオベーションにも驚き。
女の一代記といった内容だったが、
一つのエピソードをクローズアップするのではなく
全体を大河ドラマのように見せる感じのため内容は薄い気がした。
また、ラスト近くが冗長過ぎる感じがした。
歌も踊りもアクションも「プロ」の仕事を魅せてもらった。
個人的には金児憲史さんの声がツボ。
ロゼット〜春を待つ草〜【ご来場有難うございました!】
ハイリンド
「劇」小劇場(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★
しみじみ
友情、恋愛、兄妹愛。
一筋縄ではいかない気持ちとか人間関係とか、
リアルに感情移入できる作品でした。
多根さんの役はいつものイメージと違っていてちょっと新鮮。
客演の岡内さんは役のイメージがピッタリでした。
そして、今回も美術が良いなぁ。
龍を撫でた男
オリガト・プラスティコ
本多劇場(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★
現代演劇のテーマ
現代の芝居は非常に精神病理を扱ったものが多い、
その中でも特に多いテーマが
健常者の異常性、障害者の相対性であると思うが
この作品は60年前の戯曲であるのにも関わらず
その相対性が非常に巧みに描かれている。
演出のケラ氏が、その現代に通じるテーマをいかに伝えるか
それを、非常に深く考えたのが見受けられる。
当時独特の雰囲気は残しつつも、
現代の風をしっかりと失わない精巧な作りであった
ネタバレBOX
芝居の構成が狂気を狂気で塗り固めるという
難解な作りなのであるが
キャスト陣の繊細な演技によって、
非常に巧みな構成になっていた。
終盤、主人公が狂い「龍を撫でた、非常に冷たかった」
というが、これは何の象徴であろうか?
自分なりの答えは出たが、ここでは書かないことにする
90ミニッツ
パルコ・プロデュース
キャナルシティ劇場(福岡県)
2012/01/28 (土) ~ 2012/01/29 (日)公演終了
満足度★
一度目も二度目も悲劇
28日(土)、29日(日)と2回観劇したが、2回に分けて詳述するのは面倒なので、まとめて書く。
「三谷幸喜大感謝祭」の掉尾を飾る作品として相応しかったかどうかと問われれば、今イチ、今ニ、いや、今サンくらいかな、と言わざるを得ない。
「90分」というタイトルが先にあって、それに合わせた内容を後付けで考えたことが明白な舞台である。勢い、設定と展開にかなり無理が生じる結果になった。三谷幸喜は事前のインタビューで「今回は“笑い”を封印します」と宣言していたが、実際にはかなり「くすぐり」を入れて、もたつきがちな展開を何とか繋いでいる。しかし果たしてこの題材は「笑い」に相応しいものであっただろうか。テーマと方法論にも乖離が生じているように思えてならなかった。
その無理や乖離を、二人の俳優が何とか演技で繕おうと懸命になるのだが、如何せん、西村雅彦の方が役をかなり掴み損ねている。三谷幸喜は殆ど役者への当て書きでしか戯曲を書かないが、当ててもなお、その役をこなせないほどに西村の演技力は拙い。
それでも1日目よりは千秋楽の方が、二人の掛け合いの間がよく、その分、客席での笑いの反応もよくなっていたのだが、前述した通り、ここで笑わせてしまっていいものかという疑問が、私の胸にわだかまっているのである。
ネタバレBOX
冒頭から結末まで、ほぼ途切れることなく、舞台中央に一条の光が射し、天井から床に砂が落ち続けているように見える。もちろんこれは「砂時計」の比喩的表現だ。刻一刻と迫るタイムリミットが、二人の人物の間を流れ続ける。そしてそれが「途切れる」瞬間が訪れる。
この演出は、舞台に静かな空気を漂わせながらもサスペンスを産み出すという見事なものだった。しかし、これがこの舞台の誉めどころとしてはほぼ唯一。あとは三谷幸喜の才能の枯渇を実感させられるものばかりだった。
9歳の子供が交通事故に遭い、緊急手術が必要になる。ところが父親(近藤芳正)はある「信仰」に従って、輸血を拒否する。医師長(西村雅彦)は何とか父親を説得して手術に踏み切りたい。それがこの舞台の基本設定だ。
最初に映像で「現実の団体や思想を誹謗中傷する目的のものではありません」というテロップが流されるが、これが「エホバの証人事件」をモデルにしていることは明白だ。現実の事件では、医師がインフォームドコンセントを行わないまま輸血手術を断行し、信者から訴えられ、病院側が敗訴している。この舞台では、輸血の必要性はきちんと説明をしたものの、父親の同意が得られなかったため、最終的には医師が根負けし、「父親には何も説明しなかった」という形を取って、手術の指示を出す、という形にされていた。
物語に無理が生じている、と感じたのは、まず、このようなデリケートな問題が、たった二人だけの対話で進められるリアリティの無さである。
もちろんその不自然さをごまかすために、脚本は「電話」を駆使してはいる。父親は、妻が病院に駆けつけられない距離にあるとして、何度も携帯で状況を説明、相談をする。医師は手術室の担当医たちと手術を実行するか中止するか、頻繁にやりとりする。しかし父親側はともかく、医師長のところに担当医や看護師が誰一人談判に来ないのはどうしたことなのか。のんびり指示待ちとはおかしくはないか。おかげで手術室の悲壮感や焦燥感が全く伝わってこないのだ。
また、頻繁に「笑い」を入れるのは、結局は信仰や宗教を嘲笑する結果になってはいないか。例えば、「牛肉は食べないが牛乳は飲む」という父親の言葉に、「矛盾しているじゃないか」と医師が突っ込む。父親は妻との相談した上で、「じゃあ牛乳を飲むのを止めます」と言うのだが、その途端、客席からは笑いが起きるのだ。これが「嘲笑」になるのではないか、というのは、「当事者が真剣になればなるほど他人から見ればそれは滑稽に見える」という法則、即ち「他人の不幸は蜜の味」というシステムに則っているからだ。
このような会話でも「笑わせない」演出は可能だ。「間」を外せばいいのだ。だいたい、既に牛乳を何度も飲んでしまっているのだから、今さら「飲まない」で済ませられることではないだろう。父親はここで自ら罪を犯した意識に囚われなければおかしい。
このほかにも、「信念と信念のぶつかり合いによるサスペンス」よりも「笑い」を優先した演技、演出の方が目立つのだ。全ては「二人芝居でできること」「90分というタイムリミットを設けてできること」から逆算して物語を構成したために生じた不具合である。初めからテーマを設定して物語を構成したなら、これは決して二人芝居にはならなかっただろう。
西村・近藤が同じく二人芝居を演じた『笑の大学』の場合は、タイムリミットにも二人だけの密室劇であることにも必然性があった。その意味で、『90ミニッツ』は『笑の大学』よりもはるかに劣る。
しかし『笑の大学』もそのテーマ(検閲官と劇作家の攻防による「表現の自由」の問題)も実は「後付け」であって、不自然さを感じないのは「偶然」に過ぎない。読売演劇大賞を受賞し、「三谷幸喜の作家としての決意表明だ」と高く評価されたが、流山児祥は『テアトロ』で「三谷幸喜にそんな決意はない」と喝破していた。
『笑の大学』も『90ミニッツ』も、物語の構造は、『12人の優しい日本人』と同じで、基本的には「本格ミステリー」なのである。即ち「事件」があって、それを「裁判」においてどう解釈するか、弁護側と検察側とがお互いに「証拠」を出し合って、いずれかが勝利を得る「論理ゲーム」なのである。「信念」やら何やらと言ったテーマは、それに付随するだけのものでしかない。だから平然と「ないがしろ」にできるのだが、それを観客は笑って観ていていいものなのだろうか。
どんなテーマ、題材であろうと、「笑い飛ばす」という姿勢を、三谷幸喜が持っているのであれば、それはそれで立派である。たとえ不謹慎だ、世の中には笑っていいものとよくないものがあるだろう、と非難されようが、黒い哄笑、ブラックユーモアの意義を認め、「どんな権威も認めない(弱者も弱者であることを主張することで権威となり嘲笑の対象となる)」という覚悟と矜持があるのであれば、たとえ身障者や病人や老人や女性や黒人であろうと、笑い飛ばしたって構わないと思う。しかしそんな決意が三谷幸喜にあるのか。
そこが、筒井康隆が『十二人の浮かれる男』でディベートそのものをナンセンスと笑い飛ばしたのに比して、『12人の優しい日本人』が「和の精神(“なあなあ”とも言う)」でテーマを収めてしまった違いとして表れているのである。
『90ミニッツ』のラストで、父親と医師のどちらが折れるか、医師が手術決行の電話を取るのが、父親の承諾書へのサインの決意よりも「3秒だけ早かった」ことが明かされる。父親は「私の父親としての愛情より、あなたの医者としての信念の方が3秒分、強かった。私はこの3秒分を一生、後悔し続けるでしょう」と語る。ここで客席からはすすり泣きすら聞こえてきたのだが、三谷幸喜の正体を知る者なら、これが物語に収まりを付けるためだけの「解説」にすぎないことに気付いて白けるだけであろう。
「心を持った人間」なら、こんな説明的な告白はしない。感極まれば言葉が出ない方が自然であるし、そんなことをわざわざ口にすれば、かえって決断した医師を苦しめることになる。実際、医師は「そうなの?」と返事して、そこでまた客席は「笑い」に転化してしまうのだ。
笑えねえよ。
一九一一年【ご来場ありがとうございました!】
劇団チョコレートケーキ
インディペンデントシアターOji(東京都)
2011/12/16 (金) ~ 2011/12/20 (火)公演終了
満足度★★★★
圧倒されました
凛とした、張りつめた空気。シンプルな舞台と絶妙な照明の中で、役者さんたちの熱演に圧倒されました。
絢爛とか爛漫とか
演劇企画CRANQ
ザ・ポケット(東京都)
2012/01/31 (火) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★
観てきました
モガ版を観てきました。
女流作家を目指す少女たちの青春群像劇。笑いあり涙ありであっというまの二時間半でした。
演者さんが皆本職の声優さんたちだけあってセリフがとても聞き取りやすかったです。
こじんまりとした劇場でしたが、舞台セットがしっかりしていて、衣装、小物、四季折々の演出も含めた和モダンな雰囲気がとても良かった。
ネタバレBOX
悩みや葛藤がストレートに表現されていて、演技も迫力があって良かったのですが、どうやってそれらを乗り越えたのかという肝心な部分が端折られていた気がします。そこだけが残念。
FAST LANE ファースト・レーン
Performance team PADMA
アトリエフォンテーヌ(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
肉体の素晴らしさに酔いしれた夜
客入れからDJが回してるので早めに会場入りした方がより楽しめると思う。
ダンスではないパフォーマンスを見るのは初めて。
スペシャリスト達の繰り出す技の数々。こんな身体の使い方があるなんて驚いて思わず口があきっぱなしに。(ネタバレ1に続く)
パフォーマンスだけではない。コントという名の寸劇がこれまた面白い。
要所要所に入ることで手に汗握るパフォーマンスの緊張感から開放されフラットな状態で次のアクションを見ることができた。
笑い、驚き、高揚、涙、最後は笑顔になること間違いなし!
子供から親の世代まで誰が見ても楽しめるステージ作りになっていた。
言葉では言えない楽しさ満載なので、是非会場へ足を運んで体験してほしい。
最前列や通路側で観劇予定の方、素敵なハプニングが起こるかも⁉
パンフレットは写真たっぷりで広げるとポスターにもなります。
役者紹介もあり、500円とお買い得なのでオススメです。
ステッカーもらっちゃいました。ありがとうございます!
PADMANって誰なんだー!
ネタバレBOX
*1 三宅綾子さんの頭と足を持ち、縄跳びの縄のようにブンブンと回し身体がしなるしなる。衝撃を受けた。
三宅さんのご家族のかわいいワンちゃんに和みました。いい子~♪
MTBであんなことこんなことができるなんて!
モデルの女の子は仕込み?度胸に拍手!
美女の弄りが上手くて手馴れてるなぁ。みんなモテるに決まってる!なんて思いながら見てました。笑
男性陣、女性陣ともに美男美女揃いで眼福。
筋肉に魅力を感じたことはないのに、知幸さんの鍛え上げた肉体はヨダレものですよ。女性目線ではなく、男も憧れるってもんです。
なんだか変態な感想になってきたのでこの辺で。
後日加筆予定。
カップルズ
鵺的(ぬえてき)
「劇」小劇場(東京都)
2012/01/27 (金) ~ 2012/01/31 (火)公演終了
満足度★★★★★
秀逸
初見だったこともあり過去作品の評判を見たせいで、その嫌げな話の乗りにおっかなびっくりで観に行きましたが、とても面白かったです。
えげつなく悪趣味な冒頭から、爪と皮膚の間に細い針を入れられてるんだけど、そこがツボになってて痛いけど気持ち良いみたいな変な感覚に陥りながら見入ってしまいました。生理的には嫌だけど、精神的には好感触でした。
そして、心を抉る様な変質的な話の本質が次第に見えてくるにつれて、猥りがましい人々の印象が変わっていき、最後の淫猥な台詞も凄く正直で純粋な言葉になるのも見事です。
半島にて
オックスフォードパイレーツ
明石スタジオ(東京都)
2012/02/01 (水) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★
楽しめました
いやーよかったです。見事な恋愛群像劇。切なかったり、ほのぼのしてたり、イジワルだったり、ちょっとヤバかったり、いろいろ楽しめました。
揮発性身体論「EVANESCERE」/「 密かな儀式の目撃者」
金魚(鈴木ユキオ)
シアタートラム(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
自分はとても好きですけど・・
ダンス1時間半+トークが1時間で、結局4時から7時まで、
土曜をほぼ使い切る感じでしたけど、
その甲斐はあったかなぁ、と思いました。
一日金魚。
ネタバレBOX
「静止」のようで静止ではない。
一瞬の後には、どこかに振り切れるかもしれない・・。
そんな緊張感のある刹那が多く観られて良かったです。
たとえば、自分がライブ等に行って踊ったりしているときの夢想。
(動いてるとき)このまま千切れるように弾けたまま静止して、一瞬の後に
また体の動きすべて逆回転しながら踊り出せれば
最高にカッコ良いのではないかなぁ・・みたいな(苦笑
止まった瞬間は、右か左か、上か下か、どちらに動き出すか分からない
可能性を持った瞬間のようにも思えるので、とても素敵なのです・・
(そんなにキレイではないですけど、できないわけではないんですよ、
もちろんプロの金魚のやってることとはレベルが全く違いますけど。
つまり、金魚のやってることは、自分が観たいと思っているものを
遥かに凌駕した、美しい静寂と重さを持った動きのように見えるので・・
体の中に、刹那がぎっしりと蠢きながら、次の駆動し出す瞬間を待っているとき・・・
とでもいうのか、
はたから見ていると静止しているだけとも見えるのですが、
そうした、どちらかに動くのを待っている瞬間というのは、
非常にスリリングで、
単純に体を動かし続けているのとは、次元の違う緊張感を与えてくれる気がします・・。
もちろん、そのうごきの中には、体幹がきっちりと定まっていなければなりません。
でなければ、ふわふわとした柔らかいものになってしまうから。
小劇場向けと言われればその通りで、
ただし、間近で見ると、その存在感に圧倒されてしまうようにも思います。
ふだん体をあまり動かさない人、というよりかは、
例えばブレイクダンスとか、体を動かし続けるタイプのダンサーの人なんかは、
こういったダンスの凄さを特に実感できるような気が・・。
(この前ライブに行ってブレイクダンス踊ってる人たちと飛び跳ねてた影響かな・・(笑
また、動きは激しくても、
そこにある感情はとてもクールでコントロールされているというのか、
まるで、野生動物の筋肉の動きを目で追っているとか、
蒸気が自分の意思で群れ踊っているとでもいうのか、
野蛮で激しい(←雰囲気として)動きの中に冷たい水脈が流れているようでいて、とても素敵です。
なかでも、自分には、前半の鈴木ユキオ氏ソロが圧巻!
後半も、それぞれの色が全く違う女性ダンサーたちの混じり合うような動きは、
宝塚なんかのラインダンスや何かとは全く違う魅力があって
とても見応えがありました。
静止・・と言っても、ボヴェ太郎氏や岩淵氏なんかのとは
全く違う刹那である気がして、とても興味深くもあり・・。
『渡り鳥の信号待ち』
世田谷シルク
ギア専用劇場(京都府)
2012/02/04 (土) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
身体がしゃべっていました
加速減速、自分がどこにいるのかわからなくなった。時間がモノクロームに染まり切り取られた感覚。すごく良いです。ダンスやらなんやらの身体パフォーマンスがちりばめられているのですが、なんというか、ぴったりくるというか、ぐっときます。陰の感じ。陰というのはマイナスではもちろんなく、何となくモノクロームな感じがするので。また明日も観ます。ぜひぜひおすすめ。
中田くんのお見合い
め組のよぎんち
劇場MOMO(東京都)
2012/02/01 (水) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★
よかったです
ありえねーコメディーなんだけど、理屈抜きに楽しめますね。中田くんのいいひとっぷりには泣けます。