最新の観てきた!クチコミ一覧

134421-134440件 / 191524件中
ジレンマジレンマ

ジレンマジレンマ

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

覚悟
3・11で起きた3つの事件が、それぞれ取調べ・調査という形で進んでいき浮き彫りになっていく様子にどんどん引き込まれていきました。

登場人物の誰もがかかえるジレンマと、その根底にある自身の正義。
正義があるから覚悟もできる。
覚悟がどういった結末を迎えてしまうのか、という怖さは感じました。

自分にとっての正義は相手にとっての不義になるかもしれないけれど、劇中(多分)一度だけ使われる言葉が、ジレンマを生み出し、またその言葉が言えないから対立するのかもしれないと思いました。

何気なくならこんなに簡単に言えるのに、物事が大きくなっていけばいくほど正当化しようとしてこんな簡単な言葉も言えなくなってしまう。
そして、大事になってしまえば言葉だけでは済まされない。

それは劇中にある3つの事件だけでなく、物事全般に対して言えることでもあり、自分自身に問いかけるものでもありました。

アフタートークも聞いてきたのですが、出演者の方がセットがヒエラルキーになっているのが面白いと言われてて、そこで初めて気づきました。
効果音について役者さん自身の解釈も聞けて面白かったです。

社会派の内容をきっちり伝えられるのは役者さんの力量がしっかりしているからだと思いました。

スケベの話

スケベの話

ブルドッキングヘッドロック

サンモールスタジオ(東京都)

2012/02/29 (水) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★

セイなる夜編
女々しくてシリーズ第3弾~セイなる夜編は第1弾を彷彿しました。
タイトルにスケベと入ってるけど、全然とは言えませんがそれ程でもなく、やはり“女”の物語でした。

照れや戸惑いがあると一気に恥ずかしくなってしまいそうですが、芝居であり台詞であり、また合間合間に細かい笑いが入っていて声を出して笑ったり、最後はしんみりさせられるブルらしい終わり方でした。

女が女である所以。
女とは。
女々しくてシリーズを見るとこんな事を考えます。

Final Fantasy for XI.III.MMXI

Final Fantasy for XI.III.MMXI

福島県立いわき総合高等学校

福岡明治安田生命ホール(福岡県)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/03 (土)公演終了

満足度★★

テーマ主義の弊害
 フクシマの高校の生徒たちによる、震災と原発を題材とした(明確に反原発をメッセージとした)演劇である。その事実を無視してこの舞台を鑑賞することは難しい。「あの事故を、実際にあの場所にいた生徒たちはどう感じたのか」。作り手の生徒たちが観客に伝えたいこともそれであろうし、我々の関心がその点に集中してしまうことも意識の流れとしては自然なことだからだ。
 しかし、そのために、「演劇として」この舞台を鑑賞する視点が客席から見失われてしまうことは、演劇部である彼らにとっては不幸なことなのではないだろうか。
 この舞台の欠点は、これが「テーマ主義」によって構成されているために、まずメッセージ性ばかりが強調されて、演技や演出についての分析を「口にしにくい」状況が生じていること(普通の芝居になら言える「へたくそ」という文句すら言いにくい。フクシマの学生が一生懸命作っているのにケチを付けるとは何事だ、というファンダメンタルでヒステリックな反発すら予想されるからだ)、そして、実際に被災地の当事者によって作られた物語であるにも関わらず、“被災地外の人間であっても作れる作品”になってしまっていることだ。
 恐らくは、その事実に気付いている観客も少なくはないと思われる。しかし、彼らにそのことを伝える大人はいない。誰も彼らを甘やかすつもりはないだろうが、結果的にはそうなる。彼らを評価するのは、こういうテーマがむき出しになった物語ではなく、もっと日常的な題材の演劇であったり、テーマを押し出さない純粋なエンタテインメント作品の方が適切なのではないだろうか。

ネタバレBOX

 「テーマ主義」の作品が誰にでも書ける、というのは別に私が言いだした話ではない。菊池寛の一連の作品に対して行われた、文芸評論家たちによる批判である。伝えたい主題が決まっているから、その表現手段、キャラクター設定や物語の展開も自然と決まってくる。誰が書いても同じ、と揶揄されるのはそのせいだ。菊池寛の戯曲『父帰る』が映画『男はつらいよ』シリーズにさしたる工夫もなく流用されている点でもそれは明らかだろう。
 だから、書き手側にしてみれば作るのに苦労しない方法ではあるのだ。高校生ら演劇初心者に“教える側”としては、テーマ主義を一概に否定されても困るだろう。

 しかし、その「苦労しない」ことが、この舞台では「安易さ」に繋がっている部分も、決して少なくはない。
 特に「震災と原発」という、決して短絡的には結論づけられない重要な問題について、明確に「反原発」という一点にテーマを集約して描かせることが、果たして妥当であったかどうか、疑問である。エチュードを中心にして、生徒自身にアイデアを出させる方法は決して悪くはない。そこには「自然な感情」が表現として昇華されるための萌芽があるからだ。
 だが、多くの生徒がアイデアを持ち寄っているにも関わらず、物語が一つのテーマに「一貫しすぎている」のは、なぜなのだろう。果たしてこの物語は本当に生徒たち自身の心から生まれてきたものなのだろうか。そこに教師による「過度の誘導」がなかったかどうか、それはいわき総合高校の演劇部が、「高校演劇は高校生自身の手で」という目標を掲げる姿勢を堅持しているのであれば、きちんと問われなければならないことであろう。

 物語は、初め、二人の少女の会話から始まる。
 ヒロコとキリカ。陸上部だった二人。あの震災で引き裂かれてしまった二人。「あの時、待ち合わせ場所に私も行っていれば」。後悔を口にするヒロコ。目の前の椅子に座っているキリカは、もうこの世にはいないのだ。
 全編を通じて、最も演劇的だったのは、この冒頭シーンである。一方は生身の人間で、一方は幽霊。しかし心を失っているのは生きているヒロコの方であるようにも見える。「罪悪感」が彼女の心を押しつぶしてしまっている。
 二人の演技は極めて静かで、か細い声であるにも関わらず、いや、だからこそヒロコの胸を塞いでいる思いの重さが、客席にまで伝わってくるのだ。高校演劇にありがちな、ただ声を客席奥まで届ければいいといううるさいだけの過剰演技はここにはない。現代口語演劇の方法が、最も効果的な形で実行されている。
 キリカの姿は他の部員には見えない。ヒロコにしかキリカは見えない。それがヒロコの心が孤独に蝕まれている証拠だ。このシーンは、ラストの、再びヒロコの前に現れたキリカが、今度ははっきりと、別れを告げるシーンに呼応している。
 別れを告げられなかった友への思い。あるいは家族への、あるいは仲間への、もう伝えることが叶わなくなってしまった思い。被災地で、同じ思いをした人々がどれだけいたことだろう。この二人のシーンは、あの震災を経験した者にしか伝えられない「心」によって描かれている。

 ところが、これから先の本編が、一気に失速してしまうのだ。「心」ではなく「アタマ」で作った、出来の悪いギミックでできた玩具のような、チャチなシロモノに成り果ててしまう。
 旧校舎に「復活の呪文」が隠されていて、それを探し出せば、全てが元に戻る。その情報を信じて、ヒロコや良輔たちは倒壊の危険がある旧校舎に忍び込んでいく。
 そこで、菅直人やら枝野やら東電の社長やら、さらに保安員だの原子炉だのラスボスのなんたらエコノミーだの、「敵」が戯画化されて彼らの前に立ちはだかり、そいつらをヒロコたちは倒していくのだが、このあたりがサッパリ面白くない。
 アフタートークで「観る人によって受け取り方に温度差があるのは当然だし、押しつけがましくなることを避けた」「ただ怒りをそのままぶつけるのではなくて、笑い飛ばしてやろうと思った」という発言があった。
 その姿勢自体には共感するが、「押しつけがましくしたくない」という目的は、結果的には成功していない。押しつけがましさを回避した表現としては、せいぜい登場人物たちに「声高に反原発を訴えさせない」といった程度のことしか配慮されていない。全体的にはやはり「反原発」以外の見方はされていないのだから、多角的な視点がない点においては、やはり「押しつけがましく」なってしまっているのである。
 さらに彼らには「笑う相手を最初から戯画化していてはからかいにならない」というギャグの基本が分かっていない。だからゲーム部分がことごとく「絵空事」にしか見えなくなって、たいして笑えないものになっていることに気が付かないのである。
 いや、原子炉を寒いギャグで冷やすっての、馬鹿馬鹿しくて好きだけど、面白いかと言われたら、ちょっと困るでしょう。ゲンシーロくんの「受け方」の間がよくて、笑えはしたけど。

 揶揄する相手は、真面目に描かないとからかえないのである。ふざけて描くと、相手もこちらも同じキャラになってしまうので「馴れ合い」が生じるのだ。漫才の両方がボケになってしまうようなものだ。
 からかう相手が権威的であったり糞真面目であったりするがゆえに、かえっていざというときのオタオタぶりが滑稽に見えるのだ。サム・ペキンパー『戦争のはらわた』のラストの壮絶なギャグシーンを思い浮かべていただければ、権威とか真面目といったものがいかにくだらなくて、益体もない馬鹿馬鹿しいものであるか、それをどのようにからかえば表現として効果的なのか、ご理解いただけることだろう。
 銃に弾倉を装填するやり方すら知らなかったシュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)の姿は、原子炉の構造一つ理解していなかった東電幹部と見事に重なっている。

 コトが起きたあとで、彼らの無責任を追求するのは簡単である。
 しかし、コトが起きる前、我々は信頼とまでは言わずとも、生暖かい眼で彼らを見ていたはずだ。
 現地の人々にとっては、東電の人々はごく普通の近所のオジサンたちであったろうし、親しく声を掛け合った人々もいたはずである。
 その「東電のおじさんたち」が、いきなり悪の権化として糾弾されることになる。「でんこちゃん」は国民を惑わすプロパガンダキャラクターとして排斥されることになる。いや、それをしてはいけないというのではない。彼らが故意か、好意的に解釈してやはり「想定外」だったのか、どちらにしろ事故の責任を回避できる立場にないことは厳然たる事実だからだ。
 だとしても、東電と「共存」してきた現地の人々が、彼らを批判するためには、自分の身をも切る覚悟が必要になるのではないだろうか。ただ戯画化したキャラクターにしてからかうだけでは、それは「部外者の発想」と変わりがないのではないだろうか。
 実際、この舞台の中盤の殆どは、被災地外の人間が書いたのではないかと疑われるほどに「他人事」になってしまっている。原発関係者が、「敵」として相対化されすぎている。「RPGゲーム」という形式を持ち込んでしまったために、それ以外の描き方ができなくなってしまったのだ。

 たとえば、現地には、「東電社員の子供」だっているはずだ。彼らは、避難生活を送りながら、「お前の親父のせいでこんな目に遭ったんだぞ」などといじめられたりはしていないだろうか。
 そういう子供は、この芝居の中には登場できない。テーマから外れ、テーマを揺るがしかねないキャラクターは「邪魔者」なのだ。しかしそういう子供を排除することが、被災地の「現実」、ひいては被災者の「実感」を伝えることになるだろうか。原発推進派の言い分にも説得力がないわけではない。それを受け止めた上でなお反論する構造がこの舞台にはない。一方的な攻撃であってもそれが説得力を持つのは、勧善懲悪のエンタテインメントだけだが、この題材は、一番、そうあってはならないものではないのだろうか。
 単純なゲーム構造を持ち込んでしまったことが、この舞台を善か悪かの単純な二項対立による、極めて幼稚なものにしてしまっているのだ。
 「家を流された人と、ほんの数メートルで助かった人と、それだけで被災の実感に温度差が生まれる」との発言もアフタートークで気になったものの一つだった。この舞台を観た時の違和感がまさしくその点にあって、「被災の程度が低い人たち」が作った芝居なんじゃないか、という印象が拭えなかったからだ。

 震災も、原発事故も、喜劇にして構わないと思う。
 しかし、この事故を引き起こしたのが特別な悪人でも金の亡者でもなく、たとえどこぞの国にヘイコラしてきた連中が裏で糸を引いていたとしても、彼らはごくフツーの人々であって、なのに彼らの思惑が複雑に絡み合った結果、総体としては国を狂った方向に押し流してしまっていること――その視点がなければ、いくら国や東電をからかって見せたところで、批評性は形骸化するばかりだ。そんなものに意味はあるまい。
 観客は「別れの切なさ」に涙を流し、ああ、いいものを見たなあ、という感覚だけを持ち帰って、日常の中ですぐに震災のことも原発のことも忘れていってしまうだろう。
 観客は、映画や演劇で感動した涙を、決して現実には反映させない。口では感動したとか考えさせられたと言っても、実際には何も考えていないに等しい。“そんな気になって満足しているだけ”である。そのことは、かつて伊丹万作が『映画と癩の問題』という小文の中で指摘し、作り手としてはそんな観客の反応に惑わされてはいけないと批判していることである。
 「芸術の徒としての私は、芸術鑑賞および価値批判の埒内においては人間の涙というものをいっさい信用しない」と。
 
 「高校生が作った芝居なんだから」という言い訳は、自分で自分の首を絞めることになる。それは「高校生にはたいしてものを考える力がない」と告白するに等しい。
 アフタートークで、ともかくこの芝居は震災3ヶ月後の、情報が錯綜して、怒りの矛先をどこに向けたらいいか分からない状態で作った、今は冷静になっているので、もっと別の見方もできるようになったと思う、という発言があったが、そのことを肯定的に捉えたいと思う。
 勢いだけで作った演劇であるから、決して賞賛できる作品には仕上がっていない。そのことは、いわき総合高校の生徒たち自身が自覚していることである。
 ネットの批評子たちが、本作をろくに演劇としてどうかという分析もせず、安易に「頑張って作ったね」と誉めるのはいかがなものだろうか。もうその発言の「偽善性」に、いわきの生徒たちも気付いていると思うけれど。
レシピエント

レシピエント

ドリームプラス株式会社

紀伊國屋ホール(東京都)

2012/02/29 (水) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★

社会と個
臓器移植と脳死がテーマの社会派な内容かと思いきや、ドナーとレシピエントという個と個の人間ドラマにもなっていました。

社会的に考える問題ではあるけど個を無視してはいけない、とは思いますが人間ドラマとしても中途半端でどっちつかずだったような気がします。
また、ご都合主義の展開に正直ついていくことができませんでした。

でも、今まで身近になかった問題なので知らない事が色々あり、考えるきっかけになりました。

スケベの話

スケベの話

ブルドッキングヘッドロック

サンモールスタジオ(東京都)

2012/02/29 (水) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

濃縮された笑いの塊
バットとボール編、観劇。すさまじい笑いのバリエーション。パッと見、僕が観た回は、観客の平均年齢高めだな(30代以上の方が多いな)という印象なので、やっぱ大人の楽しむ(懐かしむ)秀逸なコメディだなと感じました。下ネタが嫌いでなければ、見て損はないはず…と、ブルドッキングヘッロック初観劇の自分が言ってみる。どストレートなタイトルだけど、不快なエロは一切無かったです、と、男性の自分が男性視点で言ってみる。個人的には、明確な起承転結はあってないような物語なのに、生々しく躍動する登場人物の魅力が圧倒的な刺激で、大爆笑&大満足でした。平日なのに、当日券キャンセル待ちになるほどの人気で、その理由もわかるなというクオリティーでした。

ネタバレBOX

勘違いとエロを想起させる多様な隠語(韻を踏む言葉)が笑いの肝で、その構成がとても秀逸。大人な役者陣が、高校生になりきって、その設定を見事に演じ抜いてる。個々のキャラクターがきちんと立ってるので、女子マネージャーに自分をよく見せたいとか、抑え切れない性衝動への葛藤とか、観客の思い(次はこうなるのでは)の逆をいく感じに、グイグイ引きこまれてしまう。ここ数年TVで年末にやってる「笑っちゃいけない○○」ならぬ、「オナニーしちゃいけない甲子園出場高校球児」の話。やっちゃいけないと言われたら…そりゃーね。
LOST & FOUND (ロストアンドファウンド)

LOST & FOUND (ロストアンドファウンド)

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2012/03/02 (金) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

泣けましたね
いやーよかったです。泣けましたね。期待を裏切らない芝居でした。

藪の中

藪の中

セルリアンタワー能楽堂

セルリアンタワー能楽堂(東京都)

2012/03/08 (木) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★

藪の中なパフォーマンス
能楽師の津村禮次郎さん、バレエダンサーの酒井はなさん、とその道のベテランが能楽堂に集い、若手ダンサー・振付家の島地保武さんによって構成された、人を食った様なパフォーマンスを行う作品で、単純に美しさや幽玄さを表現するのではない、一筋縄にはいかない捻くれ具合いが面白かったです。

全体で90分程度の作品ですが、20分程度の第1部の後に10分の休憩を挟んで第2部が続くというイレギュラーな時間配分で、第1部は島地さんのソロ、第2部は島地さんは出演せず、他の4人のパフォーマンスでした。
途中までは抽象的ではありながらも概ね原作に沿ってダンスが進行するのですが、突然酒井さんがマイクを手にして自分のことについて話し始め、それまでアブストラクトな音響だったのがサティのピアノ曲に変わり、先の読めない展開になるのですが、その後の津村さんの話になった所で、原作における「不確実な記憶」というモチーフに繋がる構成で、破れかぶれな外見とは裏腹にまとまりのある終わり方でした。

構成は実験的ですが、ちゃんと出演者それぞれのソロでの見せ場が用意されていて、熟練の技を楽しめました。特に津村さんの声と体が素晴らしかったです。

matohuによる衣装は東京コレクションで発表しているものと同じ流れのデザインで、絶妙な色合いが能舞台に映えていて良かったです。
音楽は第1部で舞台上に置かれていたカバサや金槌の音で構成した、微かな響きが続くもので、不思議な雰囲気を生み出していました。

真実は笑わない

真実は笑わない

立教大学演劇研究会

立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)

2012/03/08 (木) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

素直に素敵だと思った
京都の中野劇団の芝居の脚本を
東京の学生劇団がなぜか上演するというのが気になって
ちょっと観てきました。

・・とは言っても、自分も立教大学なんてほとんど足を踏み入れたことが無く、
誰でもフリーな感じの早稲田※なんかと比べると、
知り合い以外の人が行くと「誰だコイツ?」みたいになるんじゃないかと
緊張しながら行きました(苦笑

ところが行ってみると、自分が思っていた以上に
役者・スタッフ共に前向きな意欲に満ち溢れていて、
純粋に作品を愛しているのを感じ、
小劇場にありがちな身内感が無いのがとても新鮮でした。

もちろん学生なのだから当然
「役に比べると実年齢が低い」という見た目のデメリットはあったりもするのだけれど、
それを吹き飛ばすくらい気持ちの溢れた演技をしていて、
その空気が、少なくとも自分の観た回(初回)では、
客席にも広がっているように感じられて、
良い意味での舞台と観客席を含めた一体感というか、
とても良いものを見せてもらったな、という気持ちになりました(笑

学生劇団というと、時として目新しい演出に飛びつきがちで、
物語として全体をみてみると、どうしても中身が薄く見えてしまうこともあるのだけれど、
(中身の薄さを誤魔化すための演出になり、それが更なる薄さにつながることもある)
この舞台は、
きっと役者・スタッフ一同で、自分たちが今なにを感じ、何を伝えたいのかについてきちんと向き合い
不器用でも精一杯伝えよう(それは物語とリンクするのだけれど)とし、
人の痛みとか運命の理不尽さについて
真正面から向き合っている気がして、とても好感が持てました(笑

自分は、役者さんたちの演技について、
「巧妙」というよりは、
役を通じて、愛とか、人の痛みについて一生懸命理解しようとしているようにも見えて、
それがこの舞台を、技巧的な舞台よりかは瑞々しくてステキだと、
自分が素直に思えた大きな要因であったようにも思われました。

※・・学内を近所のオッサン(それほど小奇麗ではない)が普通に散歩してたり、
   近所のオッサンかと思っていると、よくみたらただのこ汚い学生だったりした・・

レシピエント

レシピエント

ドリームプラス株式会社

紀伊國屋ホール(東京都)

2012/02/29 (水) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

臓器移植“入門”ドラマ
つっこみどころ満載なプロットも、G2の力技で、感動ドラマに。
サトエリの一作ごとの成長が素晴らしい。
前半の闇金たちの凄み方が不快ではある。

メモランダム~思い出あります。

メモランダム~思い出あります。

現代能シアタープロジェクト

遊空間がざびぃ(東京都)

2012/03/08 (木) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

新鮮です!
こういうスタイルは新鮮で良かったです。テーマもハッキリしているので、スーッと体に染み込んできます。若干「能」も取り込まれていましたが、もっとしっかり観たかったです。他の作品も是非観てみたい。

『夜のしじま』

『夜のしじま』

からふる

ギャラリーLE DECO(東京都)

2012/03/06 (火) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★

不思議
設定が少しわかり辛いかなぁ。淡々としちゃって残念です。
当然、静寂、沈黙の設定なので暗いイメージですから仕方ないと思いますが、好き嫌いが分かれるかなぁ。

II-Bass session.8

II-Bass session.8

激団リジョロ

APOCシアター(東京都)

2012/03/07 (水) ~ 2012/03/07 (水)公演終了

満足度★★★★★

大迫力!
舞台と客席がすごく近くて臨場感ありました!
役者さんの緊張感が見ているこっちまで伝わってきて私もドキドキしてました。
テーマ、シュチュエーション、キーワードのお題を自分が書くのも悩んだし楽しかった。
5月にもやるらしいので観にいこうと思ってます。癖になるイベント!

ネタバレBOX

団長の一人芝居は判定で罰ゲームになったけど私はかなり面白かったしジーンときたんだよね。その場で見た芝居をジャッジするのは難しい・・・。
ヤジが物語の一部になったり展開を変えることもある。お客にもアドリブが要求される。みんなで作ってくステージですね。
モナコ公国 モンテカルロ・バレエ団 Aプロ

モナコ公国 モンテカルロ・バレエ団 Aプロ

公益財団法人日本舞台芸術振興会

東京文化会館 大ホール(東京都)

2012/03/06 (火) ~ 2012/03/07 (水)公演終了

満足度★★★★

Aプロ:洗練されたコンテンポラリー
いずれも強引に前衛的ではなく、古今の調和がとれている。■シェエラザート:エロス。小池さんが見事、素晴らしいオーラが出ている。■ダフニスとクロエ:こちらもエロス。作品はよいのだが、絵が生々しすぎる。■アルトロ・カンロ1:古楽のシンフォニックバレエ。もっと小さい劇場で見たかった。作品の密度が空間に広さに発散してしまった感じ。・・・ロビーでチャリティオークションの企画展示があり気持ちは尊いが、モナコのホテルやクルージングでは日本で入札する人は少ないともう。

「ザ・シェルター」「寿歌」2本立て公演

「ザ・シェルター」「寿歌」2本立て公演

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2012/03/02 (金) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

初体験ですが
北村想作品、初体験。

「ザ・シェルター」は、一種、大人の寓話のような趣で、好感の持てる舞台でした。

「寿歌」の方は、いろいろな作家の持ち味をないまぜにした感じで、イマイチ、私にはよく掴めない作品でした。

とは言え、今回の2作品、共に、加藤さんの魅力満載で、加藤建一事務所の作品選びとしては、大成功だろうと感じました。

ネタバレBOX

ザ・シェルター」は、まず、キャスティングが絶妙。

シェルターの製品テストで、家族に協力を仰ぎ、3日間、地下に篭る予定で、途中、原因不明の停電になり、コンピューターが作動せず、閉じ込められた中で、昔の台風体験が語られる場面は、その主題歌が、BJMで流れるから、余計に、「スタンドバイミー」の大人版といった趣でした。
赤い傘が飛んでいくところは、「メリーポピンズ」を思い出します。

つまり、観ている側にも、過去の記憶を呼び覚ます仕組みが組み込まれている雰囲気。だから、何となく、郷愁を感じ、大人の寓話のような芝居でした。

何故か、突然、現状復帰して、それまで不安に駆られていた家族は、残るテストをやめて、日常に戻って行ける。

でも、実際の、震災後の日本の現状では、こういう選択は不可能なわけで、より一層、寓話感を感じました。

一方の「寿歌」は、別役さんとか唐さんとか、かつて観た不条理劇の様々なバリエーションが敷き詰めれた印象の作品。

だから、自分的には、あまり目新しさも感じず、他のお客さんほどには、楽しめない部分の多い芝居でした。

ただ、この芝居のゲサク役の加藤さんの佇まいは圧巻!それだけで、嬉しくなるような役作りでした。

違った役どころを、どちらも好演されている小松さんは、役の雰囲気作りは申し分ないのですが、どうも早口になると、いつものことながら、滑舌の甘さが顕著になり、台詞が聞き取れない箇所が出るのが残念です。

日下さん、占部さんは、共に、実力ある女優さんで、安定されていました。
うれしい悲鳴

うれしい悲鳴

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★

爆発したかな
解散!?と思いましたが、、改名???

身体ほぐしてくダンスかっこよかったです。
ゲキバカの足折った方、すっかり復活したのですね~。

衣装がよかった。。

ネタバレBOX

爆発にびっくりしました。

疑似リンチが痛い・・・><
CROSS BRAVE

CROSS BRAVE

劇団C2

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2012/02/23 (木) ~ 2012/02/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

なんてこった
迫力ある殺陣を観ていたら、キン●ダムハーツがやりたくなりました。
自分はあんな風にかっこ良く動けないですからね…せめて二次元の世界では…
なーんて思っちゃう位、今回も抜群にかっこ良かったのです。

殺陣だけでなく可憐なダンスに、笑いと感動がいっぱい詰まったお話に、胸はドキドキしっぱなし。おもちゃ箱みたいですね。

ステキなお芝居をありがとうございました♪
お疲れ様でした!

うれしい悲鳴

うれしい悲鳴

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

宇宙。
昨年、自然のパワーはすごい、実感した。
でも、最近、人間のもつパワーだってすごい、それが大勢なら、尚すごい。
演劇が生み出すパワーだってすごい。
そう思うようになりました。


人間賛歌のおはなしだと思います。

なんか、電力が作れそうなほど、すごい大爆破だったと思います。
おもしろかった。

『夜のしじま』

『夜のしじま』

からふる

ギャラリーLE DECO(東京都)

2012/03/06 (火) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

無題315(12-068)
20:00の回。19:15受付、19:30開場。LE DECOの3階は初めてです。床は板張り、パイプで組んだ席はなく、椅子席のみ、人数によっては座布団席ができるようです。入って右奥が舞台、コの字に配置された席、壁には暗幕、中央に柱がありその柱からはみ出るほどの2本の大きな時計の針、「12」の文字のみ、針は動いていません。柱の左右、暗幕には短い布がたくさん留められています、黒い川を游ぐ鯉にもみえますが、どうも右は暖色系、左は寒色系…ぽいです。床にはこれもコの字に端切れのようなものが繋がって客席との境を示しています。ピアノ曲が静かに流れ、床の落ち着いた色とあいまっていい雰囲気です。「しじま」からの連想…静寂、寂寥、チラシのイラスト、深い緑、赤い月、星の姿を隠すぶ厚い雲、水に映る少女、水は心の鏡。お話しはとても好き、でも、ちょっと違うようにも。21:32終演。

ネタバレBOX

映画だったらもっと見せ方に工夫ができるのに…、小説もいいかも、と思いながら観劇。少女を取り巻く人物がどうも不自然(多分に好みの問題かと自覚)、少女とのつながりがよくわからない、同じ館にいただけのようにもみえるし、居候のようにも、草を扱うにしても「それらしさ」がみえない、リアルであっても/なくても、結果、死ぬにしては場当たり的、もっと、チラシから伝わる、月の狂気、森の不気味さ、底無しの湖の恐怖みたいなものがあっていいと思うのです、そうでなければ「二人の少女」が何だったのが…えっそれで…?で終わってしまいます。お話しが進むにつれ、みている側に、混乱、不安、懐疑、いろんな想いを抱かせ結末に導くようなものであったら、と思いました。

突然、「パンズ・ラビリンス」が思い浮かび、そうか、もっとダークなファンタジーだったら、と。
節電 ボーダー トルネード

節電 ボーダー トルネード

クロムモリブデン

HEP HALL(大阪府)

2011/12/01 (木) ~ 2011/12/04 (日)公演終了

満足度★★★★

熱砂!
なんともスタイリッシュ。

都会的でアバンギャルド。



会場に入って舞台を向いて左右の壁に吊られたスピーカーを見て、これらの轟音パラダイスにワクワクする。



展開もいつも通りにシュールでありながらの・・・展開。

しかしそれを可能にしているのが全員の身体能力。

本当に間のとりかたから何からが完璧に抜群のタイミングで行われるのだ。

これはもう至高の芸である!



また今回、クロム初参加の七味さんから目が離せない。

その存在感が本当に素晴らしい。

絶対的吸引力が半端ない。

幕末紅蜀葵

幕末紅蜀葵

劇団ZTON

ギア専用劇場(京都府)

2011/12/02 (金) ~ 2011/12/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

熱血エンタメ!
「僕の観た今年の時代劇で最高峰!これぞ大活劇!立見でも観るべし!頭空っぽで観て最高!」




そう瞬間的に言えるほどのエンタメ活劇だった。

男の子が好きになる要素を全てぶち込んで、更に全開にバカをする!

言葉で言い表すならば、





『忠実な手塚治虫芝居』



そう言っても過言ではない。

このページのQRコードです。

拡大