最新の観てきた!クチコミ一覧

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Call me Call you

Call me Call you

劇団6番シード

吉祥寺シアター(東京都)

2013/06/27 (木) ~ 2013/07/04 (木)公演終了

満足度★★★★★

自己
自己主張が強すぎてどんどん状況が変わって二転三転していくストーリーが、世相や人生と重なる中、交渉人の「ちょっと待ってちょうだい」の台詞が何度も見直すきっかけになってくれました。

顕示欲、保身、自己中、名声、自己愛、権力欲、自己満足などなど、自分の事しか考えれない人達の中心に、交渉人のあくまでも人を思い遣る姿勢があり、笑って涙してきました。

見終わった後は清々しさが残り、良い舞台を見れて良かったという気持ちでいっぱいです。
20周年おめでとうございます。

あやかし相談承り〼。萬屋ツジモリ

あやかし相談承り〼。萬屋ツジモリ

劇団だるま座

「劇」小劇場(東京都)

2013/06/25 (火) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★

妖怪らしからぬ妖怪!
皆さん実力者で素晴らしいのですが、個人的な好みは、コンスケと磯村和樹。
妖怪らしからぬ妖怪(格好は人間ですが着ている服で表現)も面白い。
ツジモトがなぜ玉を集めてたか?泣かせるねー!妖怪も心は人間と変わらないのだ。

ファミリーナ

ファミリーナ

雀組ホエールズ

OFF OFFシアター(東京都)

2013/06/26 (水) ~ 2013/07/01 (月)公演終了

満足度★★★★

鬼の眼にも涙!
下宿屋が舞台のコメディ。下宿人を全て含めてのタイトル名だろう。
主人公の頑固オヤジの声が兎に角でかい!びっくり!
下宿人男性は皆個性豊かな人物。ただ学生はひとりもいない珍しい下宿。
こんな下宿あればいいなあと思える楽しいそしてちょっとだけ切ない思いがしました。オヤジの挙動で皆の動きが止まる場面とても印象的でした。

「野菊の墓」ご来場有り難うございました!

「野菊の墓」ご来場有り難うございました!

NPO法人 演劇倶楽部『座』

シアターサンモール(東京都)

2013/06/27 (木) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

全てが引き立つ秀逸の舞台
伊藤佐千夫の美しく無駄のない文が語られる。
語り手の3人の方の素晴らしい朗読。特に穰さんと武藤さんの声素晴らしくうっとり。照明も美しく、民子の墓を映した時は久々に感動しました。
併せて、ピアノとチェロのから奏でる切ないメロディ。それも必要最小限に抑え、舞台の雰囲気を保持。
役者さんたちの表情・仕草のリアルさ。特に民子の祖母役の演技には目頭が熱くなった。
すべてが1級品だと思う。笑いやそれほど必要もない音楽に頼る舞台が多い中、
すべて原点に戻り、余計な物をそぎ取るとこのような舞台になるのであろう。
再演とはいえ、舞台ファン・関係者は必見だと思う。

不思議の国のアリスより

不思議の国のアリスより

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

サンモールスタジオ(東京都)

2013/06/20 (木) ~ 2013/07/01 (月)公演終了

満足度★★★★

Rabbits Rush Rapidly
客席に入って舞台美術を見た瞬間に「ありゃ?」と思うほどファンシーで出演者の衣裳も(一見)可愛らしいが、冒頭はその中でモロにアングラっぽい台詞が飛び交い、アンビバレンツぶりにニヤニヤ。
が、やがて可愛さ…ひいては価値判断の規準は何か?なテーマを語ってゆくなんてあたりはさすがだし、終盤でアリスが「アレ」を受ける場面での「ある引用」は知っている身には楽しい。
あと、ハートのヒールが可愛らしいアリスの衣裳は眼福♪(爆)

ネタバレBOX

さらに、最後に「壁を破る」ウサギがイイなぁ。
千年マチコ

千年マチコ

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/06/26 (水) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

これほど続編を切望させる作品も珍しい



続編が見たくて仕方がない。

当て書きが、見事なバランスを生む。

話さない肉体、表情にこそ、言葉がある。


突き刺さるメッセージと、ほのぼのとした銭湯ドラマ。

今日、改めて湯船に浸かりたくなった。

ネタバレBOX



一言でいえば、これほど「続編」を期待させる作品も少ないなと思った。

主人公であるマチコは、明らかに『火の鳥』とダブる。

生まれは2000年以上昔、スマートフォンを操る現代まで「子孫を巡る旅」を続ける30代とおぼしき女性だ。

老獪でもなく、老婆のような口調でもない。だが、見た目通りの30代の女性でもない。人間は案外、長い月日が経つと、下ネタも厭わないオープンな存在へと至るのだろう。


「銭湯」をテーマとし、日本の地域社会における交流を唱える、メッセージ性のある舞台だった。
日本は明治時代まで「混浴」制度が当たり前で、男女とも全裸だった。一方、「銭湯」と称する店のなかには、男性客をサービスする女郎が1名 待機しており、事実上の「風俗」の機能を持ち合わせていたことが判明している。

「混浴」制度は、最近では落語家の月亭可丁 氏が選挙出馬の公約として世に問うた。「壁を取り払う」と訴えたが、結果は落選。

そもそも、日本の伝統的な「銭湯」の在り方の一つとして「風俗」の要素があった以上、いくら地域の交流を訴えたところで有権者には響かない。個人的に反対ではないが、この国の人々は「本音ベース」を嫌う。


では、これからの日本に「銭湯」は いらないのか。


私は、地域コミュニティの中核として、大いに存在意義はあるし、世代間交流を促す施設だと考える。

舞台で描かれた「団塊の世代」と、青年のバトル、そして対話の様子は、まさに 「銭湯」の持つ社会的コミュニティ機能を具体化したものである。

近年、日本人は 地域コミュニティといった共同体ではなく、より利害関係の中で生活する傾向が強いのではないか。

「うちの子が人様に迷惑を掛けないか」

から、


「人様がうちの子に迷惑を掛けないか」

に変わってしまった。


『地域』は、民生委員、退職後の高齢者、主婦だけの所有物か。
いや、多種多様な人々が暮らす、パブリックなコミュニティ•スペースでなければならない。
そうした観点に立てば、「銭湯」は 仕事帰りに入る客もいる、日課で入りに来る客もいる、多種多様な人々が集まる施設であるはずだ。つまり、『地域』の代表を自称する人々よりも、「銭湯」の方がパブリックなコミュニティ•スペースを提供しているわけだから、後者こそ『地域』に他ならないのではないか。

先の大戦では、大日本国防婦人会が戦時総力体制に一役買ったが、政府が設立した組織ではなかった。「下から」造られた組織であって、あくまで加入は各世代に任せられたものの、実に9割を超える主婦が参加した。

私は、『地域』の組織=町内会を否定するわけではない。
地方の町内会は組織率が依然として高いため、そこに民意は保証され、『地域』を自称する正当性もある。
問題は、都市部だ。

とっとり総研 宮谷正信 常務利治は、次のような論を提示する。



「昨今、自治会(町内会)に加入せず、ある いは自治会から脱退する住民(世帯)が多く
なっていると聞
く。


〜中略〜



たいどれくらいの住民が自治会に加入してい ないのであろうか。鳥取市自治連合会では、 自治会加入者は約4万1千世帯としている
(平成14年4月時点)。その時点の鳥取市の総 世帯数は約5万6千であるので、未加入率は 約27%。おおよそ4世帯に1世帯が自治会に 加入していないことになる。
鳥取市のこの未加入率、私の想像を上回る 高い数字であった。そこで米子市に聞いてみ ると鳥取市とほぼ同じ未加入率であった。な らば東京、大阪周辺の市では鳥取市以上の高 い未加入率であろうと、いくつかの市に問い 合わせた。確かにそれらの市の多くは鳥取市 より未加入率が高い。50%近いところもある。 だが、神戸市は約23%と鳥取市よりやや低く、 横浜市は約12%とさらに低い。私の推測は必 ずしも当たらなかったが、都市部においては 自治会未加入率が相当高い」


組織率が50%を下回る町内会に、『地域』を自称する 資格はない。半数以上の住民が一切、加入しない町内会は、民意を保証しておらず、実体としては高齢者、主婦の溜まり場と化す現状だろう。


霞ヶ関は批判できるが、地域組織を批判できる人間は ほとんどいない。

ベンチャー企業「石巻2.0」を立ち上げた松村豪太氏は その数少ない一人である。

起業の背景を、東洋経済オンライン(2013.3.23)から引用したい。



「人々は、いつしか郊外の大型ショッピングセンターに買い物に行くようになり、町中は空洞化してシャッター街と化す。若者はさびれた街に嫌気がさして都会に出る。これは地方が持つ共通の問題だ。この根本を変えなければ、過疎化に歯止めはかからない。大震災でかぶった「ヘドロ」を除去して建物を元通りに直しても、問題は解決しないのだ。

「旧市街地を元気にするのが重要だ」

「街の再生の道筋を作れば、それが他の地方都市の未来にもつながる」

「元に戻すのではなく、風通しのよい新しい街に変えることが重要だ」

このような共通の思いから設立された団体が石巻2.0である。ちなみに2.0という名称には、従来からのバージョンアップの他に、一時期もてはやされた「web 2.0」と同じく、「双方向性を備えた=風通しがいい」という意味が込められている」


そして、本人のメッセージである。



「―結果として良い発見も、良い関係も出来ましたね。

はい。あと今まで気づいていなかったことがまだあって、行政や商工会議所の中にもやはり我々と同じような想いを持っている熱い方がいたんです。やはり、自分達だけでやってしまうのではもったいないと思うんですよね。



―これからどうなって行くのでしょうか?

ここから数年は、復興需要で物が売れたりすると思うんです。ただ、震災前から石巻の人口は減っていて、合併後2万人近く既に減っているんです。この先も流出は進むでしょうから…パイがどんどん減っていくのは間違いないんですね。その中でコストをかけて建物やお店を再建するっていうのは勇気のいることなんです。なんとか住める状態でも、今なら行政のお金で壊すのはタダですよっていう提案があるとみんな乗っかってしまって、毎日1戸以上建物が消えて、空き地がどんどん増えているんです。でも、そうやって出来た空き地の次のアイデアっていうのはハッキリ言って持っていないですね。だから、どんどん塩漬けの土地が増えて、街がどんどん死んでいく危険が切迫しているんですよ」(みちのく仕事)



松村氏は シンポジウムなどの機会に市の商工課、商店街組合の閉鎖性を批判している。


彼は、石巻の復興を考える第一人者であるが、『地域』を自称する人々の一部は圧力で抗する。


だが、やはり地域に携わる同士、組織に加入するか、しないか、ではなく供に地域を盛り上げなくてはならないのではないか。
そして、それは町内会にも通用する。もう一度言う。『地域』は、民生委員や、退職後の高齢者、主婦だけのために あるのではない。みんな のコミュニティ•スペースであり、歴史、文化を体現するパブリックな場所、存在である。


「銭湯」は、裸の付き合いから生まれるコミュニティ•スペースだけではない。
多種多様な客がいるからこそ、多角的な物の捉え方を身に付けることができる。
そうした お湯に浸かる家族に、
「人様がうちの子に迷惑を掛けないか」などという日本人として情けない思想を有した愚か者はいないと思う。




















息を止めるピノキオ

息を止めるピノキオ

劇団銀石

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/05/21 (火) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

21世紀版「RUR」か?
機械人間への情操教育、という出だしから21世紀版「RUR」か?と予見した通り、ピノキオの設定(の一部)を借りて語られるストーリーはRURや鉄腕アトムなどを想起させる。
そんな中に画一化教育と言うか、自分が思う1つの理想型に嵌め込むことだけを考え、せっかく芽生えた独自の才能を摘み取ってしまう育て方への警鐘を鳴らし、愛とは?人間とは?などを考えさせたり、人のエゴや嫉妬を示して見せたり、「ナンバーワンでなくオンリーワン」を訴えたりするのが素敵。
とはいえ中盤の鉄琴のあたりから謎の女が「愛」を語るあたりまでに共鳴して大興奮したためにそれ以降の部分が(客観的に観ればよくできているんだが)比較的フツーに感じられてしまったのが惜しいと言おうか何と言おうか…。
言い方を変えれば、そのあたりにテーマがぎっしりと集中してしまい、それをすべて捕らえようとするのはやや忙しい。(笑)
もう少し小出しにして分散させれば…あ、逆に散漫になるのか?
なお、あるシーンで「綾波?」と思ったが、佐野木さんにその意図はなかったそうで。が、そう思われたお客さんは他にもいらしたとのことで、「やっぱり!」みたいな。(笑)

きれいなお空を眺めていたのに

きれいなお空を眺めていたのに

こゆび侍

インディペンデントシアターOji(東京都)

2013/06/19 (水) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★

正直に
飽きなかった。

ネタバレBOX

パーが降ってきて世界が終わるといううわさがあって、桂蔵(日暮玩具)と妻・和子(佐藤みゆき)は、チョキで対抗しようとしている。娘の正子(小野寺ずる)は、和子の友人のカリスマ美容師・真亜子(小園茉奈)の夫・峻(白川哲次)と不倫し、息子の直也(勢古尚行)はひきこもりでヴァーチャルな彼女・ゆらら(篠原彩)とシケこんでいる。おまけに、桂蔵の妹・さび子(墨井鯨子)は連日デモに参加し怪我してくる。
ウェディングスタイルで家族写真を撮ろうと提案するも、皆自分のことばかり。当日、桂蔵と和子は皆を待つかどうかをジャンケンで決めようとするが、チョキのあいこを笑顔で続ける…そしてパーが降りてきた時に、皆チョキを天に向ける…。

家族から舐められながらも家族を愛そうとする桂蔵、結婚式も挙げられずにアラフォーになって寂れた美容室を経営する和子、父への反抗から犯した峻との関係を終わらせる正子、ヴァーチャルな関係から現実の世界に戻った直也、それぞれが人生に対して自分に対して正直になった、終盤の清清しさ(とか開放感とか)がキモかなと思った。桂蔵と和子のジャンケンシーンが眩しくて、素直になった表情が美しかった(照明も眩しかったけど)。

狙いかどうかしらないけど、中盤までの鬱屈したような閉鎖感(世界の終わりだから当然だけど)が、ややダルイ(和子と真亜子のやりとりシーンは見ごたえあったけど)。パーが降りてくるって要素が、すんなり受け入れられるようだったら、色々見方が変わった気もする。
万華鏡讃歌

万華鏡讃歌

流星揚羽

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/06/12 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

人間模様=万華鏡?
前半部分が説明調に感じてしまったのは残念でしたが、中盤以降の展開は殺陣も含めてよかったです。終わり方も好みでした!

ネタバレBOX

2度出てくる回想シーン、最初のはいまひとついきていないように感じました。
DOWNTOWN FOLLIES Vol.9 ~もっと男らしくもっと姦しく~

DOWNTOWN FOLLIES Vol.9 ~もっと男らしくもっと姦しく~

Aux-Sables

THEATRE1010(東京都)

2013/06/26 (水) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★

おっ洒落~
さすが島田歌穂のミュージカル・レビュー。DTFコードも相変わらずのシャレで、お子様もちらちら居たんだけど、お母様方どうしたんかしらん?歌穂さんの歌声(他の方ももちろんであるが、とにかくファンなので)は魅力的で、充分愉しめる内容だったんだけど、やはり最初に観たときに比べるとインパクトは薄れてしまう。ただ、これまでのシリーズを観たいという思いも一方ではある。次回の観劇では、今までを上回るほどの男らしさ?姦しさ?を期待したい。

ネタバレBOX

「岩清水弘」ネタは自分にとってはツボ。でも、どれくらいの人に通じているのだろうか?
Over The Line

Over The Line

EgofiLter

シアター711(東京都)

2013/06/26 (水) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★

とても
引きつけられました。。 終戦直後の元遊郭のカフェを巡る物語。 昭和レトロ?でダスティな雰囲気がとてもよく表現されていました。 ストーリーは形容し難くダークで幻想的な。 役者の方々の演技は素晴らしく、舞台の雰囲気とあいまって場面場面で目が離せませんでした。 ただ、ストーリー全体が結構複雑でちょっと分かりづらかったかな。。 スイマセン。。 あと、細かいことですが、アンビエント?ブレイクビーツ?チックな音楽がバックに使われてたのがちょっと面白かったです。笑。



「野菊の墓」ご来場有り難うございました!

「野菊の墓」ご来場有り難うございました!

NPO法人 演劇倶楽部『座』

シアターサンモール(東京都)

2013/06/27 (木) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

観てきた
演劇倶楽部『座』『野菊の墓』を観劇。かなり初期の頃に観て久しぶり。小説を観る感覚が、とても面白いし、日本語の美しさを感じた。原文上演。本を読んで新たに気付くものがあるけれど、それに近い新鮮な気づきがある。多分戯曲として演じられたら見えて来ないだろうもの。
人の肉声に近い楽器が、チェロだと、昔あるチェリストの方に聞いたことがある
今回チェロと人間の奏でる声との響き合いも素敵だった
ピアノもそこにアクセントになっている
日本語の美しさ、音の美しさ、素敵な時間でした。
いろんな方に感じて欲しいですね

OFFICE WARS ~金に綺麗も汚いもあるのか~

OFFICE WARS ~金に綺麗も汚いもあるのか~

Unit Blueju

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/06/20 (木) ~ 2013/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

お金は汗水流して稼ぐもの
今回両方観劇しましたがAに共感しました。小さい子供の時から親にお金とは汗水流して稼ぐものと教えられ育ち、また利で動くより義で動く方なので主役の三宅さんに共感します。自分自身の信念を絶対に変えないという真摯な姿に惜しみなく拍手を送りたいしこの世の中楽して稼ぐ考えの人たちが多い中久しぶりにスカッとした気分になりました。何と言っても人間はお金だけでは生きていけなくて結局は人と人とのつながりが一番大切だと思います。

世の中には人を蹴落としてまでお金に執着する人もいますが結局はつまらない事に使われているケースを数多く見てきました。
7人の女優さん達もそれぞれ適役で生き生きと演じられ又ダンサーさん達の
踊りも見ごたえがあったし脇をしめた男優さんたちの演技もキラリと光り見事
でした。
ストリーは全体的にまとまっており1回2時間の公演でしたが物語に引き込まれあっという間に終わりました。
演出、脚本の先生は短時間の中にあれほど充実した内容をおさめるのにさぞ多くのご苦労があったと思います。
ブルージュさんの公演は回を追っていく度に作品の内容が良くなって来ており次回の公演が今から楽しみです。

the colors

the colors

縁劇繍団つむじ

福岡市立少年科学文化会館ホール(福岡県)

2013/06/21 (金) ~ 2013/06/22 (土)公演終了

満足度★★★

微調整されたのかな。
観た回は、部分的に効果音が小さかったのでは。
殺陣がいや戦闘シーンがもっとスピードがあると良かったのではと。
広い舞台を緞帳を活用するという、ほかにもアイデアはみえました。
気になる部分はありましたが、個々の役者さんも良かったので、次にも期待いたします。

オセロ

オセロ

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2013/06/09 (日) ~ 2013/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★

演出家の仕掛けた罠
19世紀までの,シェークスピア上演史の特徴はというと,そこでは,演出家というのは,実質的には存在していなかったのである。19世紀末に,近代劇が生れ,シェークスピアは,時代によってちがう理解がされ,上演の仕方もバラエティに富むようになる。シェークスピアだから,何をやってもシェークスピア,それはそうなのだが,おもしろいものもあれば,さほどでないこともあったと思われる。

シェークスピア劇を,シェークスピアの生きたエリザベス朝時代に戻そうという動きもあった。そこでは,ごく一般的な「額縁舞台」でなく,エリザベス朝時代の「突き出し舞台」を再現することもあった。

演出家の時代に突入する。まず,ゴードン・クレイグは,照明装置でみなを驚かせた。次に,グランヴィル=バーカーは,劇全体の速度をあげて,演劇をだらだらとやらないようにする。1938年には,タイロン・ガスリーが,その時代の洋服で初めてハムレットを上演した。

何もない空間で有名な,ピーター・ブルックは傑出した演出家にちがいない。彼は,原則的に,シェークスピア劇の台詞をなるべくそのまま残して,それでもなお,まったく違う演劇を提示する。ピーター・ブルックのシェークスピア演出をもってして,シェークスピア体験が,現代人にとって,リニューアルされ,より身近な解釈ができるようになっていく。

日本では,最初,戦前であるが,千田是也のイアーゴ(オセロ)が有名である。戦後になると,芥川比呂志が,福田恆存の演出で,ハムレットをやるようになる。また,浅利慶太が,民藝で,S43ヴェニスの商人を手がけた。文学座では,出口典雄が十二夜に挑んだ。

ピーター・ブルックという人は,舞台と映画を峻別した。根本的にちがうメディアであると力説する。彼の,何もない空間は,とても魅力のある著書のひとつだろう。ピーター・ブルックは,あくまで,演劇に,シアトリカリティ,すなわち,演劇性を忘れない演出をする。そこでは,見るものを圧倒するような演劇が多い。

この点,モスクワ芸術座で,スタニスラフスキーが,チェーホフの桜の園みたいに,静かで,気分の演劇,泡だつような作品で実践したシステムと対極をなすと思われる。スタニスラフスキーの友人は,むしろ,演劇性は残るべきと争う。ただ,演劇は,ハイレベルになると,演じているのでなく,化身というか,憑依というか,なりきりだから同じ事かも。

興味深いのは,スタンダールが,シェークスピアをどう評価していたかだ。少年時代にひととおり体験したシェークスピア劇が,後年自分の作品に少なからず,インスピレーションを与えたことを述懐している。

役者が,演出家に飼いならされ,一糸みだれず特定の方向に動くのは困ったものだ。そうでなく,役者と演出家が対等に取っ組んで,初めて痛みわけになる。

だから,演出が決まったあとで,演出の型にはめて,役者を決めて良いものだろうか。白紙の状態で,ある技術を持つ役者を募集し,そこに賭けてみるのは,シェークスピア劇では大事なのかもしれない。

やったことない役作りで,抵抗はあるだろう。しかし,そこに,緊張感が生れれる。その緊張感が功を奏して,演出家の仕掛けた罠にはまり,舞台上で劇的な効果が生まれるのだ。

For example, in my opinion Othello is the gree-eyed monster.Desdemona has eaten the leek.But it’s foregone conclusion.Having no love, she has made a virtue of necessity by working hard.It’s cold comfort.

私にとっては,シェークスピアは,良くわからない。たとえば,オセロって,嫉妬の話かもしれない。デズデモーナってさ,ハンケチひとつで,あんな屈辱を受けた。でも,オセロは,そろそろ無用の時期だったから,最初から自滅していくって,わかっていたような物語。デズデモーナは,本当の愛が得られないから,余計にもがいただけで,それだけ空しいってこと。まったく,どこにも慰めなんかないんだ。

参考文献:現代演劇シンポジウム英米文学三(学生社)

断色~danjiki~

断色~danjiki~

ヴィレッヂ

青山円形劇場(東京都)

2013/06/14 (金) ~ 2013/07/07 (日)公演終了

満足度★★★

分からない方が幸せな事もある?
円形劇場での作品なので独特な雰囲気ですね。母と子を題材にした内容だが、クローンになってからの人格が別になるところがエグイ感じがします。生きていて楽しい幸せとは何かと思ってしまった。

不思議の国のアリスより

不思議の国のアリスより

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

サンモールスタジオ(東京都)

2013/06/20 (木) ~ 2013/07/01 (月)公演終了

満足度★★★

奇妙な感覚
現実と離れた演技に不思議な感情が芽生える作品でした。

『うそつき』/『屋上庭園』/『千両みかん』

『うそつき』/『屋上庭園』/『千両みかん』

アマヤドリ

スタジオ空洞(東京都)

2013/06/26 (水) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★

うそつき
面白い。

ネタバレBOX

港と砂漠のある小都市国家のはずれのガススタンド。顔に傷のあるギーコ(右手愛美)とおかし作りにせいを出すスランプ(笠井里美)と何かの研究をしているナイル(松下仁)の前に、板垣と名乗る男(渡邉圭介)がやってきて、ギーコに貸した金を返してとせまる…。

序盤のヒリヒリした空気が上手い。なんとなくしっくりくるもいかがわしい感じが上手い。
徐々に話が紐解かれていきつつ、ラストのギーコがエレファント(ナイルの作った人工物)だったという引っ掛けに繋がる。んで、板垣の心を探る面々。おまけにスランプがエレファントでしたというところで幕…ナチュラルに騙されて楽しかった。

戦争が身近にある近未来SFな設定と、舞台情報をきちんとコントロールしているとことで、世界の広がりを感じさせてくれる。セリフもキレてた。
「野菊の墓」ご来場有り難うございました!

「野菊の墓」ご来場有り難うございました!

NPO法人 演劇倶楽部『座』

シアターサンモール(東京都)

2013/06/27 (木) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

芳醇而贅沢
な時間を楽しみました。よく彫琢された伊藤佐千夫の原文の美しさをそのままに、ゆったりとしたテンポは当時の時間の流れを再現したかのよう。生のピアノとチェロも朗読や台詞の邪魔にならないよう音量がよく計算され、とても美しくて品格がありました。美術や衣装なども素晴しかったです。見事な朗読も気持ちの入った適格な演技も良かったですが、何よりも劇団の原作に対する敬意と謙虚さが感じられて、爽やかな感動を呼び起こされました。場内は感涙の嵐。次の「詠み芝居」が楽しみ。また観たいです!

ネタバレBOX

淡々と物語が進んでいるように見えるが2時間20分の長丁場を観客を飽きさせない工夫があちこちに。時々朗読者を替えたり、俳優に客席を歩かせたり、よく工夫されているな~と。舞台上で掻い巻きなど見たのも初めてです。
すごく丁寧に作られた作品ですね!
鴉よ、おれたちは弾丸をこめる

鴉よ、おれたちは弾丸をこめる

さいたまゴールド・シアター

大里生涯学習センターあすねっと ホール(埼玉県)

2013/06/22 (土) ~ 2013/06/23 (日)公演終了

満足度★★★

なぜ?
素人の老人が、それぞれの人生を背負って舞台に立つ。
そこには役者のプロには決して出すことのできないものが内包される。
その点に関しては、素晴らしいと思える部分もあった。

だが、なぜこの戯曲なのか?

蜷川さんの想いは理解できなくもないが、
演じる側にそれは伝わっていたのだろうか、、、
いや、その想いは共有できるのだろうか、、、

ネタバレBOX

これは1971年に現代人劇場で上演された芝居だ。
政治闘争も下火になってきた中での敗北を扱った芝居。
歴史は常に勝者の歴史だ。そこでは、負けていく者の想いは行き場もなく宙づりにされ続ける。だから、この芝居の主人公は老婆なのだ。
男ではなく、女。若者ではなく、老人である必要があった。

当時の劇評にはこうある。
「・・・この“民衆裁判”の末尾で老女たちは、同志であるはずの青年に対してさえ、「私たちの期待にこたえなかった」として、死刑を宣告する。この戦闘的な民衆像に三里塚の農民のたたかいが濃い影を落としていることは容易に見てとれるが、いずれにせよ、もはや若者によっては、根源的なアジテーションをなしえないこの“閉塞状況”に対する作者の切ない悲しみは充分に伝わってくる。」
(扇田昭彦「朝日新聞」71年10月21日 <劇的ルネッサンス』より孫引き>)

当時の文脈を考えれば、三里塚闘争ならびに学生運動が衰退していくことと関連付けて考えるのは当然だろう。
現在、この作品を観る場合には、より広い意味での敗北の歴史が視野に入る。

鴉婆(老婆)は言う「狂うといえば、あたしゃとうから狂ってるのさ。とうから憎悪の炎にせつなく身を焦がしてきたんだよ。百年、二百年、いや一千年前から・・・・・・わかってるのかい、お若けえの。あたしら子孫なんぞ、蝶よ花よと育てようとは思わなかったねぇ。あたしらのこの胸のうちに燃える憎悪を、どうやって子や孫に塗りこめるかそれだけが生甲斐。・・・」

学生運動の敗北とともに、多くの人は政治問題から関心を失っていった。それどころか、政治に関心を寄せることそのものが、悪いことであえあるかのようになっていった。それでも、政治と権力は厳然として残り続ける。そのツケがまわってきたかのように、原発事故が起こった。私たちはただ目を逸らしてきただけなのだと気づかされた。

原発推進も戦後のアメリカによる日本統治政策の一環でもある。それは、二号研究など戦前の日本の原子力爆弾開発の流れも汲んでいる。

いずれにせよ勝者たちの歴史。その陰にある敗者の歴史、想い、憎悪とは、、、。

自身も74年に商業演劇に転位した蜷川氏が、現代人劇場で問いかけていたことを、ゴールドシアターで問い直そうと考えたのかもしれない。

だが、ゴールドシアターに集まっている面々は、それぞれの人生を背負っている重みは感じるものの、その背負っているものは、蜷川氏のそれとは大きくかけ離れているのではないか。端的に言えば、政治的な憤りなど感じずに生きてきた人が多いのではないか。敗者の想いを背負って生きている人はそこにいないのではないか。勿論、そういう生き方が悪いとは思わない。それが圧倒的多数だ。ただ、この芝居を、素人がやる上で、その点が重なっていないと、必然的に強度のないものになってしまうと言いたいだけだ。実際、その演技はとても空疎だった。単にヘタだと言いたい訳ではない。演技の上手さなど端から期待していない。歴史に埋もれていく敗者の想いを少しでも見せてほしかったと思っただけだ。

また、蜷川氏の演出にも疑問が残る。
最後に、虎婆が「なんをぶーたれてんだい、死ぬんじゃない。くたばってたまるか。生きるんだ、若者の血をよみがえらせて生きるんだ……」
と言い、鴉婆が「真の闇よ……日本の一万年前にあった真の闇よ……あたしたちの憎悪をはぐくんでくれた真の闇よ……あたしたちに甦る力を与えておくれ。」と言い、闇の力を借りて、老婆たちが若者へと転身していく。
ここで蜷川氏は、ネクストシアターの本物の若者の肉体を持って、転身(若返り?)を表現した。
初演時の若者が老婆を演じていた設定ならば、老婆から若者へと歴史を背負った想いが受け継がれていくという解釈も成り立つだろう。
または、これがゴールドシアターの公演ではなく、ネクストシアターとの共同公演ということであっても、そういう解釈は成り立つ。
だが、あくまで、ゴールドシアターという老人が主体の劇団でのこの演出では、老人の身体が若者の身体に変わるということは、私には単に老人の肉体の敗北にしか見えなかった。もちろん、それが負けていくということなのだと言われれば、残酷なことだが、納得せざるを得ない。だが、そういう意図で演出されたようにも見えなかった。年老いた身体が若者の身体に転身するというきらびやかなスペクタクルとして演出されていたからだ。(ただ、このシーンのスペクタクル性は確かに感動的ではあった。)私としては、見た目は一切変らないのに、老人自身が、若者のような活き活きとしたエネルギーに満ちていくという姿が観たかった。

いずれにせよ、なぜ、この劇団でこの戯曲だったのか、、、私にはわからなかった。

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