失禁リア王
柿喰う客
吉祥寺シアター(東京都)
2013/09/05 (木) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
満足度★★★★
楽しい。
女体シェイクスピアは毎回観てますが今回はミュージカル仕立て。道化がエロいです。今回は舞台セットが印象的でした。
「リア王」を観たことがなかったので事前に原作の文庫を流し読みしましたが、流し読み程度だと、誰と誰がくっついて、誰が何を書いた手紙を誰に託して誰に届けたのか、ひじょうにこんがらかったのですが、「失禁リア王」は強調されるべきところが強調されていたので分かりやすかったです。
ネタバレBOX
「エッチな手紙」なんかは混同させないための工夫ですよね、おそらく。
セリフを言ってない役者さんが「自由に」演じているように見えましたが、実は、段差の多いセットを組んで空間としては意図的にせせこましくしているみたいなことアフタートークで聞いて、感心しました。
BUMP!
ステージタイガー
道頓堀ZAZA HOUSE(大阪府)
2013/09/06 (金) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★
全身に魂を漲らせて熱い!
今回も全身に魂を漲らせて熱い!
特に主役の白井宏幸さんとネコザメタボさんは印象的‼
…とここから感想が進まない…(ーー;)
いつもなら観劇後、込み上げる気持ちのまま
スラスラと感想が出てくるのですが…
今回はなかなか言葉が見つからない…
それは私の中でストーリーの構図がハッキリとしないまま
進んでしまったのが原因です…
ウランの推進派と反対派で分かれて争っているのは理解できたのですが…
東京へ行って研究して帰ってきた
後藤(谷屋さん)が何故?裏切りモノになったのか⁈
ウランの影響?で知的障害になった主役のカンジ(白井さん)が何故?
住民に殴られるのか⁈などなど
名前もプロレスラーの名前にして、
その名前の人物がプロレス界の影響と
話をリンクさせてたと思うのですが…
※後に観劇マスターの感想Blogを読んで内容が理解できました
いつもの様に熱くパワフルなステージタイガーのお芝居でしたが
観劇後いつもステタイで感じる高揚感は少なかったかなぁ…
それは私だけかも知れませんが…
PS:プロレスの題材なら初めてステタイと出会って感動した
「リング・リング・リング」のインパクトが強かったからかも知れません!
http://s.ameblo.jp/hkhk0720/entry-10919606942.html
あの時の小野明日香さんの高角度後方回転エビ固めには驚いたなぁ!
QOL(キューオーエル)
THE TRICKTOPS
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
前向きに!
現実から小説へ、小説から現実へのシンクロ具合が素敵でした。
ネタバレBOX
自分が乳癌に罹った現実を基に読者に受ける小説を書き始めたものの、身近な人たちを見るにつけ小説から元気をもらって現実を前向きに生きてほしいと考えた女流作家の話。
自分をモデルにしたアキハについてはどうしようと構いませんが、目の前の悪性リンパ腫の女性や肝臓癌の男性をモデルにした登場人物はそりゃ簡単に死なすわけにはいかないですよね。
癌を根治するシナリオに変えました。前向きになると闘病に対するモチベーションも上がります。しかも、大腸から転移して発症した肝臓癌は切除によって根治できる可能性が認められるなどの実際の治験の状況を踏まえているところが良かったです。
生存のためには指先の器用なオタク医師を手術担当に変更しておきながら、恋愛対象としてはイケメン医師を狙い続けるアキハの生物学的本能には恐れ入りました。
ところで、あれは手術用の手袋には見えませんでしたが、いずれにせよ大きさが合わなかったのか、オタク先生の手袋は指先がだぶついていて無残でした。
花と魚(第17回劇作家協会新人戯曲賞受賞作品)
十七戦地
インディペンデントシアターOji(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
満足度★★★★
演劇的なSF作品
最後はかなり性急な感はありますが、核心にじわじわと迫ってゆくストーリー展開の手腕は非常に巧みで素晴らしいと思います。照明、音楽の使い方も場の緊張感を高める上でたいへん効果的であったし、役者さんの力量の高さに加えあてがき的な要素もあったとは思いますが、登場人物と役者さんのイメージがとてもよくマッチしていたのもよかったです。
ただ、他の舞台を観てもよくあることですが、方言のセリフははっきりとした発声をしないと聞き取りにくいところが出てくるのですが今回もそれがあったのは少し残念。
春よ行くな【15日(日)18:30に追加公演決定!!!】
悪い芝居
駅前劇場(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
満足度★★★★
深層可視化演劇
悪い芝居はお初でしたが、人の内面や人間社会の実相を斬新な手法で顕在化させる“深層可視化演劇”ともいうべき新手の劇をたいへん面白く鑑賞。それだけに、客をポカーンとさせるラストシーンで終幕したのが残念至極。
ネタバレBOX
そこまでがとても精緻に作られていただけに、劇そのものを放り出すようなあの結末ではもったいない。仮にそれが正視に耐えないものになろうとも、底(主役の若い女性の名前)自身も言及していた“69歳の底”の姿を、底の末路を見せてから劇は閉じられるべきだった。
そうは言っても、結末云々が瑣末事に思えるほどに力強く、面白い劇だったのは否定しようのないところ。
何よりまず、“超リアリズム”とも言うべき方法に圧倒された。
悪い芝居は初体験だったため、この方法が本作に固有のものなのか、他作品でも使われているのか判然としないが、人間や世界の実相を表現するため、役者たちがおそろしくリアリティを欠いた演技をするのである。
「実相」を表現するため「リアリティを欠いた」演技をするとはなんだか矛盾しているようだが、そこに矛盾はない。
先に本作を“深層可視化演劇”と称した通り、役者たちは世界や心の内奥を表現するべくわざと反・自然体の演技をするのである。
変に声を張らず、変に身振りを交えず、変に力まない。我々が「自然体の演技」と聞いてイメージするものとは真逆の演技を悪い芝居の役者たちはあえてする。変に声を張らないどころか多くの場面で叫ぶようにセリフを発し、変に身振りを交えないどころかケイレンするように荒々しく体をよじって心の震えを体現し、変に力まないどころか多くの役者は力み返って芝居をする。
それもこれも、すべては実相を表現するため。恋人に去られたショックから立ち直れない主人公の底をはじめ、本作の登場人物の幾人かは大きく心が荒立っており、その荒立ちを表現するためあえて上のような芝居をするのだ。
激しい演技で人間の、世界の実相を表現する役者たちを見ていると、劇世界に生きてはいない我々がいかに心の荒立ちをひた隠して生きているかを思い知らされる。
劇世界に生きてはいない我々はたとえ恋人に去られようともそんなことなど無かったように何食わぬ顔で社会生活を営み続け、別の登場人物よろしく父親の蒸発を体験しても動揺を表に出さず真人間を装い続けるだろう。
だからこそ、激情を隠そうともせず思うままに振る舞う舞台上の役者たちは我々の代弁者のような役割を帯び、思うさま振る舞いたくとも常識に縛られてそうはできない我々にいくばくかのカタルシスを与えてくれる。
自然体でないのは演技だけにとどまらず、会話も然り。劇世界に生きる彼らは実社会に生きる我々が対話者をはじめ各位に配慮し“心の声”にとどめておくような事までをあえて口に出し、現実世界ではありえない“互いの心に土足で踏み込み合う”ような露骨な会話を当然のように繰り広げ、そんな会話など出来っこない我々にやはりカタルシスをもたらすのだ。
このような劇の有り様はむしろ古典劇に近く、「静かな演劇」「現代口語演劇」などと呼ばれる、20年ほど前に生まれて今もその影響下にある劇が後を絶たない“リアリズムの劇”の有り様とは大きく異なる。
そのような劇が“リアルでない”との理由から長ゼリフを排し、同じ理由により声を張るのを歓迎しないのに対し、悪い芝居の役者たちは“心の声”をも口に出して長々と、しかも声を張り上げて絶叫調で喋る。この点からも、悪い芝居が最近の口語劇より古典劇に近いことは明らかだろう。
そして、今なお読み継がれ演じ継がれる古典劇の多くがそうであるように、悪い芝居の本作も紛れもない悲劇である。
恋人に去られた若い女が途方もない喪失感に呑み込まれて苦しさに身悶える、文字通り“身悶える”この劇が悲劇でなくていったい何であろうか?
興味深いのはなぜ“今”このような劇が作られ、支持されているのかということだ。
それは本作の主人公・底が抱えているような暗黒が、多くの日本人にとって他人事(ひとごと)ではなくなったからだろう。
ネアカがもてはやされた80年代が終わり90年代に突入した頃、サブカルチャーの世界で“暗黒”がもてはやされたことはバルブと同世代の演劇ファンならご存知のことと思われるが、いま「もてはやされた」と書いた通り、そのころ“暗黒”は我々を蝕むリアルな敵ではまだなく、“面白いから”と金で買われる流行品だった。だからこそ、人や世界の暗黒をカタログ化した『危ない1号』のような雑誌が売れ、人や世界の暗黒をユーモアにくるんで描いた大人計画がウケたのだ。
だが、大人計画が売れ始めて約20年、暗黒は笑いの対象にできるような“遠くの火事”ではもはやなくなり、ユーモアにくるんで描けるような他人事ではなくなった。
市場原理主義が地球を覆いつくして世界規模での安売り合戦が起こり、労働者の賃金までが買い叩かれる昨今、近代国家が理性で抑え込んできた弱肉強食の世界が再来し、“富める1%”からあぶれた者は社会にコマとして使い捨てられる“消費財”として生きることを余儀なくされつつある。
そんな絶望的な時代に暗黒を描き痛みを描く“悪い芝居”が現れたのは偶然ではないだろう。
もとより、本作の主人公・底を苦しめているのは恋人の失踪であり、市場原理主義ではないが、底は恋人から、少なからぬ現代日本人は社会から見捨てられて“己の無価値”を感じている。生きるよすがを失って苦しんでいる点において両者は同じなのだ。
自分を自分たらしめてくれるものを失った主人公が自分を取り戻すためにあがき、悶え、自壊する本作はまた、“自分探しの劇”、“自分探しの果てのアイデンティティ崩壊劇”という側面も持ち、その点において六、七十年代のある種の映画や小説にもまた似ている。
映画でいえば『東京戦争戦後秘話』をはじめとする大島渚の一部の作品、小説ならば『箱男』『他人の顔』などの安部公房作品がそれにあたり、いずれの作品でも“自分探し”は重要なテーマだ。
この時代に自分探しを主題とした芸術作品が目立ったのは、「実存主義」や「人間疎外」「自己疎外」といった言葉が多用された時代相と無関係ではありえまい。
だとするなら、それから四半世紀以上を経た今また悪い芝居のような“自分探し”を描く集団が現れたのは、“人間疎外”がまた進み始めている証左なのではないだろうか?
本作にはそういえば、労働というものが引き起こす“人間疎外”を描いたシーンがあったはずだ。世界の実相を分かりやすく描き出すため超リアリズムの手法を採るこの劇団の方針に従い、かなりデフォルメされて描かれたそのシーンは滑稽味さえ感じさせたが、失踪した彼氏のことを気に病むあまり仕事に身が入らない主人公を上司たちがいびり倒す場面で彼らがしていたことは“人間疎外”以外の何ものでもありえない。
もちろん、“自分探し”の劇は80年代にも90年代にも00年代にもあったに違いなく、鴻上尚史などはこれら3つの年代にわたってそうした劇を積極的に作ってきたが、悪い芝居の“自分探しの劇”からは80年代以降の“自分探しの劇”にはない切実さ、のっぴきならなさが感じられる。
自分を探してしっかり守り抜かないことには、再来した“弱肉強食社会”の荒波にさらわれてしまう! そんな危機意識がひしひしと伝わってくるのだ。
この劇団が採用している、一見すると奇を衒っているかに見える斬新な“方法”に嫌味が感じられないのは、切実に訴えたい何ものかをこの劇団がしっかと持ち、それを表現するのに最適な方法として上の方法が不可抗力で選ばれているからだろう。その意味において、この劇団における内容と方法の関係、もしくは内容と形式の関係は極めて健全であると言える。
やはり演劇は“内容ありき”でなくっては!
方法に淫して内容が二の次になっているあの劇団やかの劇団は悪い芝居を見習うべきだ。
風ノート2
放課後ランナー
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2013/09/05 (木) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
感動でした。
あっという間に時間が過ぎました。
登場人物それぞれの感情がすごく伝わってきて、笑って泣けて、すごく感動しました。
Hedda
演劇集団 砂地
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/18 (水)公演終了
満足度★★★★
問題提起なのだ
安易に批評されることを拒む作品である。先ず始めに、それが近代的或いは近代の病弊を描いたなどと評されることを拒むであろう。そも、近代とは何か? 機械化、科学技術が進み、労働による増産が拡大すると共に工場労働者として要求される読み書きなどの教育が普及した結果一挙に、大衆の知的レベルが底上げされ、識字率の高まりと共に権利意識が当然のものとなりつつあった時代、団結することを覚え、革命主体となろうとしていた時代、それ迄、一部の権力者のみが享受し得た精神の果実に大衆の黒い手が延びた時代。それが近代というものであっただろう。
ネタバレBOX
では、其処で生活する者達は、その激動を如何に捉え、また如何に生きたのか? それは、各々の階層によって頗る異なったものになったハズである。この作品の原作者は、「人形の家」の作者、H.イプセンである。イプセンはこの作品に於いてノラとは異なる女性像を描いている。その階層は中流階級の上というレヴェル。夫は、研究者で博士、大学教授の内定を貰っている。友人は、矢張り、天才研究者であったり、法曹関係者であったり、と典型的なインテリ階層である。彼らの回りの女性も高学歴で博士クラスの研究の助手を務めるという手合。何れも社会的には名誉ある地位を占めているとみて良い。即ち、今迄の体制にあっても時代精神の理論的中核を為してきた保守の中枢であり、時代の激動期にあっては革命理論を編み出す中心階層でもあるのである。つまり変革の理論をも紡ぎ出す人材を輩出するインテリ階層である。それだけに時代精神の鬩ぎ合いも辛辣且つ時代の奥底を穿ったものたらざるを得ない。全体としてこの作品のトーンが暗いのは、このような事情からであろう。
さて、現代にイプセンのヘッダを蘇らそうとした創作者達の試みは成功したといえるだろうか? そもそも、成功し得る見込みがあったのだろうか? 答えは否である。近代の問い掛けた問題群そのものが、現在も未解決だからであり、それは、我らの生活の中に更に深く、隠微に浸透中だからである。現代、イプセンが蘇ったとしたら、どういうことを言ったであろうか?
ところで、表現することの意味は、問題提起することを含む。その意味では大切な問題提起である。
花と魚(第17回劇作家協会新人戯曲賞受賞作品)
十七戦地
インディペンデントシアターOji(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
これだけ多くの要素をよくぞ纏めた
2011年初演の今作は、十七戦地の旗揚げ公演、同年12月には第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作品の再演である。(ネタバレ一部掲載、追記2013.9.20)
ネタバレBOX
2011年初演の今作は、十七戦地の旗揚げ公演、同年12月には第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作品の再演である。自分は今回が今作の初見であったが、蛭子伝説を踏まえた神話と都会から見捨てられた地域の繋がりが、神楽とそれを演ずる坐子、女たち。祀られた神と蛭子との神話的因果関係と土地との関係に神話起源と思しき伝承が絡む、謂わば神々をない混ぜた民話の世界に、現在の生活、愛憎、共同体と外部、利害関係、政治、科学的知見が絡む時、人は、どのように行動し、どのように己自身を起てるのかを問うた問題作。
2011年初演の今作は、十七戦地の旗揚げ公演、同年12月には第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作品の再演である。自分は今回が今作の初見であったが、蛭子伝説を踏まえた神話と都会から見捨てられた地域の繋がりが、神楽とそれを演ずる坐子、女たち。祀られた神と蛭子との神話的因果関係と土地との関係に神話起源と思しき伝承が絡む、謂わば神々をない混ぜた民話の世界に、現在の生活、愛憎、共同体と外部、利害関係、政治、科学的知見が絡む時、人は、どのように行動し、どのように己自身を起てるのかを問うた問題作。
この作品が書かれた経緯を説明しておく。2010年暮れに柳内 祥緖君が着想を得、翌年3.11、3.12を挟んだ2011年7月に脱稿、同年初演、12月には新人戯曲賞に輝いた。震災、F1事故後に日本中が襲われた脱力感は、多くの演劇人をも苛み、苛立ちや諦念、自虐を産みだしていたことを思い出す。
このような状況下、柳内君は指摘する。その中である演劇人だけは、非難を恐れず敢然と言い放った。「今、演劇にできることは観察すること、記憶すること」と。この発言の前後には、海外に居た蜷川 幸雄が、“この事態を外から見る訳には行かない”と発言、急遽帰国している、とも。折しも東京では、次々とし知識人が脱出していた。それを冷静に観ていた柳内君は、こう結論する。思想とは、事態に対し、どのように反応するのか、そのリアクションのことだ、と。自ら演劇人として、己と同じ世界に暮らす人々の論説、行動に注目しつつ、知識人一般の行動をも射程に収め、同時に自らの立ち位置を定める根拠となる思想的土台にもそのたおやかな感性と知力を傾けている、彼の姿勢にこそ、これだけの作品を書き上げた才能の秘密が隠されているだろう。
必ず負けると分かっていても、人は抗わなければならない。酒田の発するこの一行が、これら総てを集約する表現となって、かくも多くの、一見、無関係に思われる要素を集約する点でも見事である。
この酒田の発言「必ず負けると分かっていても抗い続ける」は、柳内君のスタンスにも重なろう。この科白一行に込められたものの意味する所は、限りなく深く美しい。
フォアローゼス
ゲキバカ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
女子がたくさん
初めて観ました。
お客さんには若い女性がたくさん。
お芝居が始まってちょっと納得しました。
かっこつけてるのがちゃんとかっこついてました。
コントみたいだったりテーマパークみたいだったり、
エンターテイメントがぎゅっとしてました。
特別な訳ではありませんが、
ずらっと並んだカーテンコールはいいですね。
白戦
東京マハロ
小劇場 楽園(東京都)
2013/09/10 (火) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
プロットは面白いと思う。
広山さんが居なかったら、かなりキツかった。
我らジャンヌ~少女聖戦歌劇~
劇団ゲキハロ
サンシャイン劇場(東京都)
2013/09/06 (金) ~ 2013/09/13 (金)公演終了
ゲキハロとしては
ファン以外でも普通に楽しめる芝居?に仕上がっていると思う。
半音外して歌うのは、このメンバーにはきつい。
前説が効果的だった。
ID
劇団だっしゅ
萬劇場(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
創立20周年おめでとうございます
今、旬の「オレオレ詐欺」の手口に脱帽。キャスティングが良いですね。
ストアハウスコレクション 日韓演劇週間<生きる>ことの考察
ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★★
温泉ドラゴン
真ん中に冷蔵庫があるシンプルな舞台だが、その中から物を出し入れし、状況を設定する仕組み。4人の俳優による熱演。目を離せなかった。
ストアハウスコレクション 日韓演劇週間<生きる>ことの考察
ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
コスモルキル「鼠」
力のある俳優によるブラックユーモア。韓国語なので、字幕にたよりながらも、最後まで楽しめた。いつか共演したい。
風ノート2
放課後ランナー
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2013/09/05 (木) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
感動!
自分は風ノートは見れなかったんですが、
最初から涙が止まりませんでした。
最後に全部が繋がってさらに感動しました。
hedge
風琴工房
ザ・スズナリ(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/18 (水)公演終了
満足度★★★★★
圧倒的完成度
2時間10分全く飽きさせない。修正点を探す方が難しい。鳴りやまない拍手。チケプレで拝見したがお金を払ってみる価値のある演劇だった。初見でしたが素晴らしい劇団ですね。後日、追記します。
犬、だれる
劇団HOBO
サンモールスタジオ(東京都)
2013/09/10 (火) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
大人の夏休み
いつの間にか40歳も超え、バブル景気も多分あまり体験出来ず、ロストジェネレーションにも入らなかった男女が、最南端の離島を舞台に緩い日々を送る話だが、戦争の名残りや老後の事もチラホラ見え隠れしたりする。が、登場人物の性格によるモノか、その土地の空気感が伝わる特色故か、終始穏やかな気分で深刻にならず見られる。オリジナルの民謡島唄も聴いてて心地いい。悩み事ある人はこれ見て笑い飛ばすのも良いかも。
姿を見せない犬も名演技。
安定の手慣れの枯れ専男優陣と、それらを掌で転がしているような女優陣。女3人、その会話がいかにもお酒呑んだ時の世間話のあるある内容で聞いててついつい頷きそうになったり。面白かった。約110分
ネタバレBOX
プログラムでは「大家」さんになっていたが、「大矢」さんだよね?
その大矢さんの発言や表情が、子どもの時に接していた近所や親戚のおいちゃんみたいだった。ゆるキャラの顔が林さんに似てなくもない、と思ったりして…。
須賀子さんの水商売ママは板についている。ゆるキャラは手縫いだった事に驚く。器用なのね。
いろんな願望を持っても侭ならない暮らしぶりの正子と直子姉妹。
小さい不幸が知らず知らず積み重なると、現実から逃げ出したくなる気持ちはよくわかる気がする。ほぼ出ずっぱりの正子さん、好きな人の前では一層可愛く見えた。手榴弾投げつける行為はスカっとするだろうーなー。
オヤジ達のお酒吞む時の格好とゲスいエロ馬鹿話、滑稽で笑える。しかし、あの姿で外を歩くと虫に刺されるんではないかw? お酒はホドホドにねw
かっぽれ!〜夏〜
green flowers
あうるすぽっと(東京都)
2013/09/06 (金) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
かっぽれ!夏を観劇
初めて拝見しましたが、とても好感を持ちました。
最初の高座風の前説から始まり、次々と起こる事件(?)にドンドン引き込まれていきました。
あ~あ、こういう勘違いありそう、という素直な共感!
わかる~!…と、思わず笑いがこみあげてきて…
最後の落ちまで、みなさん、ちゃんと「生きて」いました。
受賞、納得です!
フォアローゼス
ゲキバカ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★
初見、初日観劇
チケットプレゼントにて観劇。
既に固定観客が多く、開演前が学祭のような賑わいでズブン所在なかったっす。
ある殺人事件を巡り元刑事の探偵とチンピラとヤクザ、現職刑事等がそれを追う。男だらけの出演者。息抜きの様な小ネタは冗長であまり面白さも感じられなかったが、周囲の笑いも大きかったので個人の主観の違いかなと。
話自体は途中から展開が想像ついてしまったが、ダンスや後半のアクションと見せ方が上手い。
劇中歌に随所「バラ」のフレーズが入る選曲も心憎い。
初日だから?開演時間5分程遅れて約130分。芝居の前半、もう少しブラッシュアップさせてみせてほしかった気も。
気になる役者さんが何人か居たので、これから注目していこうと思う。
ネタバレBOX
国民的漫画サ○エさんの登場人物になぞらえた配役は、もう少しオリジナル性が欲しかったかな。
出所後、退職刑事が差し出す洋酒のボトルの意味はよくわからなかった。前作からのお約束事なんでしょうか。
犬、だれる
劇団HOBO
サンモールスタジオ(東京都)
2013/09/10 (火) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
楽天主義の素晴らしさを再認識
忘れかけていた楽天主義の素晴らしさをこの劇からあらためて教えられ、いくらか心が軽くなったような…。貴重な演劇体験をありがとうございます。
高橋由美子さんと松本紀保さんを生で見られたのも一ミーハーにとっては大きな収穫。ただ、紀保さんの胸もとが思いのほか豊かで、紀保さんがボディコンシャスな服を着て演技する中盤以降はその部分に目が釘付けに…。
とはいえ、演出の方や衣裳の方は仮にこれを読まれても服を変えたりせぬように。初志貫徹。これは何事においても大事なことだと思うので…。
松本幸四郎さんが万が一このけしからぬ書き込みを読まれたら、その寛容なお心でお目こぼし頂けるものと信じます。
ネタバレBOX
南神無島(みなみかんなきじま)という、沖縄の孤島を彷彿させる架空の島の小さな民宿。その一室を間借りしているアラフォーの駆け落ちカップルと宿の支配人、さらにはよく宿へ暇潰しに来る島の巡査や観光課の男、駆け落ちした姉を探しに来たその妹らが繰り広げる人情劇。
何より良いのは、先にも触れたが、作品全体がそこはかとない楽天主義に貫かれている点。宿には島の居酒屋の女将もよく顔を出し、その情夫が過去に詐欺事件を起こしていたことが終盤になって発覚するが、島の楽天的な風土に染まった登場人物一同は“なんとかなるさ”とばかりに男へ船での逃亡を勧める。この“なんくるないさ~精神”にバルブは打たれてしまった。
登場人物は全員イイ大人。年を重ねるにつれ忘れがちになる楽天主義を彼らによって呼び覚まされ、同じくイイ大人のバルブは観劇前よりいくらか楽な心持ちで劇場を後にしたのだ。
役者さんでは島の観光課の男を演じた本間剛さんが図抜けて良かった。
駆け落ちした姉を探しに来たその妹・直子とメイクラブに至るシーンはバルブにとって本作一の名場面。本間さん演じるお人好しな役人が夜空に見つけた満月についてウンチクを語るのを聞きながら、その博識ぶりに惹かれた直子が「合格(笑)」と手で丸を作ってトイレへ役人を誘い、ウマが合うのにどこかつれない直子にジリジリしていた役人がトイレへ躍り込むくだりでは悲願を果たした役人を心の中で思わず祝福してしまった。
色んな人が行き来する民宿が舞台なので色んな話が作れそうだし、本作はシリーズ化しても良いのではないだろうか?
林和義演じる宿の支配人が除霊師でもあるという設定が本作ではあまり生かされていなかったので、除霊師としての支配人にフォーカスした作品を次にバルブは観てみたいもの。