Hedda 公演情報 演劇集団 砂地「Hedda」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    問題提起なのだ
     安易に批評されることを拒む作品である。先ず始めに、それが近代的或いは近代の病弊を描いたなどと評されることを拒むであろう。そも、近代とは何か? 機械化、科学技術が進み、労働による増産が拡大すると共に工場労働者として要求される読み書きなどの教育が普及した結果一挙に、大衆の知的レベルが底上げされ、識字率の高まりと共に権利意識が当然のものとなりつつあった時代、団結することを覚え、革命主体となろうとしていた時代、それ迄、一部の権力者のみが享受し得た精神の果実に大衆の黒い手が延びた時代。それが近代というものであっただろう。

    ネタバレBOX

     では、其処で生活する者達は、その激動を如何に捉え、また如何に生きたのか? それは、各々の階層によって頗る異なったものになったハズである。この作品の原作者は、「人形の家」の作者、H.イプセンである。イプセンはこの作品に於いてノラとは異なる女性像を描いている。その階層は中流階級の上というレヴェル。夫は、研究者で博士、大学教授の内定を貰っている。友人は、矢張り、天才研究者であったり、法曹関係者であったり、と典型的なインテリ階層である。彼らの回りの女性も高学歴で博士クラスの研究の助手を務めるという手合。何れも社会的には名誉ある地位を占めているとみて良い。即ち、今迄の体制にあっても時代精神の理論的中核を為してきた保守の中枢であり、時代の激動期にあっては革命理論を編み出す中心階層でもあるのである。つまり変革の理論をも紡ぎ出す人材を輩出するインテリ階層である。それだけに時代精神の鬩ぎ合いも辛辣且つ時代の奥底を穿ったものたらざるを得ない。全体としてこの作品のトーンが暗いのは、このような事情からであろう。
     さて、現代にイプセンのヘッダを蘇らそうとした創作者達の試みは成功したといえるだろうか? そもそも、成功し得る見込みがあったのだろうか? 答えは否である。近代の問い掛けた問題群そのものが、現在も未解決だからであり、それは、我らの生活の中に更に深く、隠微に浸透中だからである。現代、イプセンが蘇ったとしたら、どういうことを言ったであろうか?
     ところで、表現することの意味は、問題提起することを含む。その意味では大切な問題提起である。

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    2013/09/13 12:23

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