最新の観てきた!クチコミ一覧

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LADYBIRD,LADYBIRD

LADYBIRD,LADYBIRD

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/05/02 (水) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

ポスタービジュアルに惹かれて、出演者も内容も全然知らない状態での観劇でしたが、楽しめました。アン役の葛岡有さんは今後が非常に楽しみな女優さんです。多くの人に、特に学生さんに観てもらいたいです。

LADYBIRD,LADYBIRD

LADYBIRD,LADYBIRD

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/05/02 (水) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

こどもたちの真っ直ぐな表現とメッセージ、笑顔に元気をもらいました。親心で観てしまいました笑
大人も子どももお互いに影響しあって作り上げてきた作品なんだなとおもいました。

ごはん処 まよい軒

ごはん処 まよい軒

劇団ぼるぼっくす

東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)

2018/05/04 (金) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

悪い意味ではなく、私の少ない観劇史上ではありますが、最も日常的、最も平凡、最も刺激なし、でも何となくクセになる舞台でした。
平凡だけど見終わった後に、ほっこりとした感じが残る、安心できるいい舞台でした。劇場も小さく舞台との距離が近く、下町小劇場という感じでした。

わらえない

わらえない

劇団メイギザ

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2018/04/27 (金) ~ 2018/04/29 (日)公演終了

満足度★★★

劇が始まる前の会話はなんのか、お芝居の一部なのか、なんなのか説明があってもよかったのでないでしょうか。
お芝居の内容自体は面白かったです。
荷物が届かない件はもう一捻りあったほうがいいですね。

ネタバレBOX

学習塾をイメージしていたのであれば、なぜ、授業(講義)がないのか、実際に行わなくても、授業に行ってきますぐらいはあってもいいのでは。
Starting Over

Starting Over

“STRAYDOG”

ワーサルシアター(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

Aチームを観劇しました。
最初3列目着席したが1列目に人が座るとやっぱり観づらいので1列目に移動。
塩に、つばに、お塩の容器のキャップまで飛んできましたが、若い女性の役者とほんの数十センチの間近(かぶりつき)で観れたので最高でした。
歌にダンスあり。
主役の男性と不動産屋のおじさんの演技は見応えありました。
とれも面白くていっぱい笑わせていただきました。

サイキックバレンタイン

サイキックバレンタイン

たすいち

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

終始ドタバタ感は拭えませんでしたが、魅力的で個性的なキャストの皆さんのパワーで楽しい時間を過ごせました。ラストの意外な感じはとてもよかったです。
こわっぱちゃん家の舞台でよくお見掛けしていた細田こはるさんは、ここでも個性的で輝いていました。
ちょっとエスパー対支配したい人間という構図はありきたりな感じですが、とにかく楽しみたい方にはぴったりの舞台だと思います。

煙が目にしみる

煙が目にしみる

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2018/05/03 (木) ~ 2018/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/05/04 (金) 14:00

カトケン事務所の真骨頂。涙と笑いの舞台は本当に得意なのは分かっているのだけど、しっかり期待に応えるというか、安定感抜群なのである。
毎回のことだが、加藤健一の立ち回りがいい。今回は老女姿で派手な動きや台詞はないが、舞台が進むにつれ主導権を握り、存在感がぐっと増す。加藤の淡々とした台詞一つ一つに涙と爆笑を絞られる。ハンカチは必ず持っていきましょう。

ネタバレBOX

加藤健一の役はボケ老人。そのボケに何とイタコをやらせる。その脚本も秀逸と言わざるを得ない。
愛とか死とか見つめて

愛とか死とか見つめて

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2018/05/03 (木) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

約1時間15分。少子高齢化、過疎、市町村の統廃合、核廃棄物再処理場の誘致などを背景に、ごく身近な愛と死を見つめた「いたこ」コメディー。急展開の物語に引き込まれ、突然降りかかる不幸とやり切れない思いのひとつの着地点に納得。見せる場面転換がスマートで、各人物の個性、役割もはっきり。さすがの工藤千夏作・演出作。高校生はワンコイン500円!

ネタバレBOX

残された妻は、死んだ夫が乗り移ったとされる「いたこ」に対して、思いをひたすら告げて、どうにか心を落ち着かせる。生者の思いを受け止める者(いたこ)が必要なんだな…と思う。
サイキックバレンタイン

サイキックバレンタイン

たすいち

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

奇跡的に当日券で見られた舞台は、魅力のある役者さんが満載で、思わぬ収穫でしたよ! ・・・詳細はブログ記事をご覧下さい!→http://idolarayama.seesaa.net/article/459162592.html

三歩進んで二歩下がれっ!

三歩進んで二歩下がれっ!

天ノ川最前線

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2018/05/03 (木) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/05/03 (木) 19:00

価格1,500円

19:00の回(晴)

18:33受付開場(靴を脱いで)、ベンチシート&椅子席。

「リゲイン」が鳴っている。そんな時代だった...

ベンチのようなソファのような家具、卓上テーブルランプ、下手に格子(内と外)。

18:46/55前説(アナウンス75分)。

19:05開演~20:20終演。

初日です。よく観に行く上智大の関口美幸さんが外部公演、というので観に来ました。

過去みた公演では
岩崎雅高さんは「いとのまなざし(2017/10@王子)」
國井さえさんは「Replace Grace(2017/7@空洞)」
綺畸は「鴉神話(2017/6@小空間)」
だと思います。

男3+女3の同期旅行、一夜劇にして良質なコメディ。

それぞれの挫折(諦め)と復活(希望)。恥ずかしさが露呈しながらもキャラクターの人の好さは深まってゆき、スピード感ある展開、決してうまくゆくことがない「人生」それが等身大の不器用なカッコよさなんだろうと思うのでした。

純惑ノ詩―じゅんわくのうた―

純惑ノ詩―じゅんわくのうた―

野生児童

小劇場B1(東京都)

2017/08/23 (水) ~ 2017/08/27 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/08/23 (水) 19:00

前半が冗長であまり活きていない部分があったり(例:劇団関連の部分)一部の展開(対立・和解・殺意など)が唐突だったりする一方、原典の再構成の仕方やそれによって想起するものなどが面白く、冒頭部分とリンクさせて求婚の言葉通りに最期を迎える二人という幕切れが鮮やか。

原典である東海道四谷怪談の伊右衛門は心の弱さもありつつ基本的には「悪漢/ピカレスク」な印象だが、本作の登場人物は時には悪になるものの、基本的には故意・悪意がないので物足りないような気も。あの内容・精神を現代に不自然でなく持ってくるとそうならざるを得ないのか?
一方、伊右衛門・お岩の二人の役割を複数の人物に振り分けたことで犯罪臭が薄れむしろ悲劇の色合いになってあれこれ想起するようになったのは面白い。

主人公姉妹は悲劇的な結末を迎えるが、姉の方にはかすかな沙翁的なもの、妹の方にはかなりのギリシャ悲劇的なものを感じた。脚本を執筆した有田主宰によれば特に意識した訳ではないとのことだったが、悲劇のルーツがあのあたりということか?

X-QUESTの荻窪さんが、演技に取り入れている「あること」を探すのも一興?(笑) σ(^-^)は2つ気付いたけれど、そんなものやあんなものは残念ながら気付かず……

表参道文學其の九

表参道文學其の九

表参道文學公式

NOSE art garage(東京都)

2018/05/03 (木) ~ 2018/05/03 (木)公演終了

満足度★★★★★

朗読内容によって声色を変えて演出してくださりいつも最後まで引き込まれます。
目で見て、ヘッドホンで声に魅了される朗読劇。
毎回異なったシュチュエーションで楽しませて下さるので、次回も楽しみです。

1984

1984

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2018/04/12 (木) ~ 2018/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★

小川絵梨子演出を久々に観て、新国立とは相性が良いかも・・大きめの劇場機構でこそ技も光る・・という印象をもった。傍証として数年前の『OPUS/作品』。相前後した『クリプトグラム』(世田パブ)と合わせて、シンプルな構造、コンセプトが明確な作品を得意とする演出家か、との印象だったが、一見「複雑」に見える今回の戯曲についてはどうだったか。

(オーソン・ウェルズとごっちゃになる)ジョージ・オーウェルは「カタロニア讃歌」でも有名だが何より『1984』が伝説的である(と言っても読んでないが)。戯曲化は比較的最近かと思われたのは、小川が殆ど完璧と言える舞台処理を施し、その処理法が現代的(映像の活用など)、そしてそれらが仲睦まじい恋人よろしく戯曲と呼吸していたと見えたからだが、大きく外れていないと思う。
ともかく途中までは「これはめっけもの」と心騒ぎ、圧倒され通しだったが、終盤、そして締めくりである種の失速感を感じたのは、なぜだろう?
・・途中まで素晴らしかったしメッセージは十分伝わったから良かった、と言えるのか、それは「せっかく見つけた逸品にケチを認めたくない」心理のなせる底上げ作用で、やはり何か欠陥があったのか・・。いや、今結論を出すことはすまい。

「戯曲と呼応した流れるような演出」は、恐らく前半戦での正解。後半のホラー映画のような恐怖演出の効果がむしろ不要だったのではないか・・と、何となくだが思う。このあたりで物語の背後の論理構造(観客が必死で読み取ろうとしている)が見えづらくなる感じもあった。(だがパンフでの対談によればこのあたりで小川氏は勝負していた意識らしい。)むき出しの恐怖は思考を吹き飛ばす・・そういう舞台はあまり無かったかも知れない(映画ではむしろ今や常套となっている。アクション映画さえホラーのように驚かせてナンボだ)。

映画版『1984』にあったシーンと流れが舞台でもなぞられ、大方原作を踏まえている事が判ったが、映画では諸々説明不足があり、舞台ではそのあたりが明確で、映画では不明だった部分がよく判った。即ち、超監視社会であるオセアニアの支配側の末端で働く青年ウィンストンの思想的立ち位置、鮮烈な出会いから恋人となる女性との関係、総統であり人間でもない(党そのものだという)ビッグブラザーと、反逆者ゴールドスタインに関すること。

やはり「引っかかり」は終盤である。オーラス、「現実」に片足を置く観客を「架空世界」から現実へと引き渡す役割を、俳優が担う・・という意味では、小川演出は「架空世界」の内部で決着させた(事になった)。というのは--最後にこの話は冒頭と同じ読書会の場面に戻り、間に挟まれた話はそこで読まれていた「1984」の再現だったというメタ構造が示され、このオチで一旦観客は安堵するも、黙々と机に向かって何事かしている主人公がふと、客に向かって主人公の不敵な笑みを浮かべ暗転となる--。こう書けば「割と普通」「あり得る」とも思われようが、舞台上はあまりに強いフィクション性を帯び、観客は否応なくそこに入り込んでいる。俳優がシビアに完璧にフィクション構築の要請に応え、「作り込まれた世界」が濃縮された様相を帯びる・・それほどに堅固に演出された舞台の世界は、劇場の外の現実とは、乖離しているのである。(話の内容が現実の暗喩になっている事とは別問題。)
「夢から醒める」時点で、体験の記憶を身体にとどめるための「現実とのつなぎ」が、私は舞台が舞台の内部だけで完結しないために必要だと考えているのでこうぐだぐだ書いているが・・、小川氏は「内部」での完成を自分の使命とするゆえに、戯曲が指示するものを表現し切ったと言える所で、幕を下ろしてしまうのではないか。(その感じを持った小川氏の舞台を思い出した。)
戯曲の原産国(英国)では、国柄と社会状況という色の付いたキャンバスの上に戯曲が書かれ、必然に何らかの具体的メッセージを帯びるものであり、つまりは「現実」との関係が不可分にある、それが演劇の自然なあり方なのではないかと(勝手に)想像しているのだが、今回の舞台で私たちは「英国の状況」を想像すべきなのだろうか・・と言えば皮肉が過ぎるだろうか。
小川氏の手腕が、「演劇を日本の現実にどうコミットさせようとするのか」を意識した戦線で発揮されるとどうなるか、そこを見てみたい。

私としては「架空世界」の外膜を俳優が破って出てくるくらいのラストが、そこまでの流れの完璧さに見合う、ある意味でバランスのとれた形であり、即ち非常に上質な「私たちの舞台」として結実する事になったのではないか・・「if」を想像するが、自分の発想がアングラに傾き過ぎであるかも知れない。

諸々ありながらも、エライ舞台を見た後味は否めない。
舞台装置・照明は大いに動員され、フルに使いこなされている。ダイナミックな流れの中に速替え、マジックに等しい入れ替わり、出はけがさり気なく織り込まれる。俳優の立ち位置、配置が関係性を雄弁に表し、美的でもある。
・・理屈抜きの「快楽」の世界だが、それだけでは何か不足が残るのだろう。欲しいのは「構築」の方向性に対する、離脱の方向、だろうか・・また蒸し返してしまった。

舞台の魅力を言葉で掴み切れていないが、舞台処理の鋭利さは、『プルートゥ』とは比較しようがないが、仮に順位を付けるなら次点、近年の暫定2位だ。

最後の炎

最後の炎

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2018/04/14 (土) ~ 2018/04/28 (土)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2018/04/26 (木)

小さな町で起きた出来事・・・酔っ払い運転の車をテロの犯人と思い込み執拗に追いかけた婦人警官が、少年を撥ね殺した。

少年はその時、一人の男と向かい合っていた。男は少年のボールを拾ったのだ。

少年の母は、痴呆症の夫の母の面倒に明け暮れていた。

少年の祖母は、何度も少年の死を忘れ、日に何度もどこに行ったのかと探す。

少年の父は、少年の学校の先生と浮気をしていた。

そして、小学校の先生は婦人警官の友人だった。

婦人警官に追いかけれられていた男は、恋人の男をも避けて暮らすようになった。

一人の少年の死が、これだけの人の心に影を落とし、影響を与えた。誰もが悲しいのに、その悲しみの形はそれぞれで、受け止めきれず、心はすれ違い、苦しみ、もがく・・・・。

客席の真ん中に作られた白い回転舞台と一本の木が立つだけの舞台で、それぞれのそんな心がぶちまけられていく。

疲弊していく心、逃げても、救われない心たち・・・。

隣の人の体温が感じられず、どんどん孤独になっていく魂たち。

たえず誰かが自分の心の声を発し、言葉を発し、ト書きのような行動説明の発しているので、自分に彼らの心がいしつぶてのようにぶつかってくる・・・そんな感じでした。大きな悲しみの渦の中にいるようでした。

そんな中で、やっぱり私は母親に心を寄せます。

同じ悲しみを共有できるはずの夫とも心がすれ違い、夫の母親の介護に明け暮れ、心がどんどん磨り減っていくのです。鬼頭典子さんの母・スザンヌはいつまでも心に残りそうです。



素晴らしい舞台をありがとうございました。


誰かが誰かを愛してる

誰かが誰かを愛してる

むさしの芝居塾

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2018/05/03 (木) ~ 2018/05/05 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/05/03 (木) 19:00

テンポがよく、笑っている間にあっという間に二時間たちました。楽しい脚本です。お薦めします。

ありふれた幻想

ありふれた幻想

雨やどりの劇場

大阪府立北千里高等学校(大阪府)

2018/03/30 (金) ~ 2018/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

製作の方のレインコート姿、「雨やどり」の雰囲気作り、オモテナシを感じます。

とても透明感のある、とても不思議なお芝居。

信じてる。盲信なのに…
お互いを思いあっているのに…
すれ違う。

盲信なのに…観劇後、何故か、清々しく、前向きになれた。
面白かった。

もう少し観てみたい。
この後の展開が気になります。
(ただこれまでの展開は少し冗長な感じも…)

薄暮の静寂に叫べば

薄暮の静寂に叫べば

劇団 白の鸚鵡

in→dependent theatre 2nd(大阪府)

2018/03/30 (金) ~ 2018/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

地上と地下に分断された世界。
今日が昨日に、明日が今日に。

『疑わしきは罰せよ』の管理社会で、あの日、私たちは空へ…

曲が良い、歌が良い、思いのこもった演技も良かった。

前回(盗みは夜半の月のように)同様、少しSFチックな内容、好みです。
ラストも好き。
前回より人の描写も良くなってる気がしました。

フクロノネズミ

フクロノネズミ

劇団 EASTONES

駅前劇場(東京都)

2018/05/02 (水) ~ 2018/05/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

殺陣も、ダンスもキレキレで、見入ってしまいました。笑いもあって、演者もすばらしい。矢野いづみさん、五條詠寿郎さんに、ほれてしまいそうです。

イギリスの演劇

イギリスの演劇

朗読・演技 ワークショップ

東中野稽古場(東京都)

2018/04/17 (火) ~ 2018/05/03 (木)公演終了

満足度★★★★★

 一幕三場。途中2度、5分の休憩を挟んで約3時間の公演。
(追記2018.5.4)

ネタバレBOX

舞台は、犯人たちの住居の一室。中央に函。下手には荷物などの置ける台。下手奥にソファなど。スタンド式の帽子掛け、上手奥は部屋への入り口が斜めに設えられ入り口左手には電話などが置かれている。上手壁際には本棚や、お茶や飲み物の置かれたテーブルがある。
 真っ暗な中で舞台は始まる。Aは、危険を冒す為に殺人を犯した。完全犯罪を為したつもりだ。その為、遺体はこの部屋でこれから行われるパーティーの料理を載せるテーブルとして用いられる棺桶の中にしまわれている。このパーティーの客は、被害者の父B、大学の同級生の男C及び女D、インテリの代表と目される詩人E。他の登場人物は、召使Fと共犯者Gである。招かれている客のセンスから分かるようにAは自信家で虚栄心が強い。ガイシャは、スポーツで華々しい成績を残し、映画や音楽などの好きな誰からも好かれる爽やかな20歳の好青年。Bはサーの称号を持つ紳士で書籍収集家としても知られる。Aは最近亡くなった親族から貴重書などの蔵書を譲り受け、今日は、その蔵書をBに見せる約束もしていた。
 Gは、Aほど居直ってもいなければ自信家でも無い。従ってAが犯した殺人の共犯者としての自分の犯罪行為に怯えてナーバスになっている。謂わば小市民である。
 パーティーは21時からだが、20時45分に服装はどうするのか? について尋ねる為にEが電話を入れた時、ナーバスになっていたGは、うろたえた状態を悟られてしまった。而も、彼らが、殺したBの息子が、その日行っていたコンサート会場の入場券は、Eの入手する所となっており、Eは彼らの犯罪を告発するばかりになっていたのである。Eはパーティーの最中、折に触れて証拠固めをしてゆく。その間、参加者の会話や態度を通してイギリスの差別社会の実体、陽の沈まぬ国と言われてきた歴史の裏にある狡猾極まる外交と主として海軍力を用いて力によって支配を貫徹し、被支配地の少数派を支援することで被支配地を分断統治する冷徹さ、及び差別意識による道徳観麻痺などの策術など、英国式気取りの背景が浮かび上がる。この辺りの脚本の良さ、この雰囲気を浮かび上がらせる演出、演技の良さは見事である。(国外の作品を日本で上演する際、良く体験するワザトラシサや浮いた感じが無い。代わりにイギリスの上に挙げたような社会の在り様が滲み出てくるのである。)
 Eは、アイロニーを込めて己が足を引きずることになった原因として殺人を挙げる。その殺人は戦争に於いて犯した殺人であるが、彼にとってそれが殺人であることに変わりはないからである。この公平性にこそ、Eの真骨頂がある。彼は真正の芸術家として、偏見に囚われず真正な判断を下すことができた。その証拠に彼自身、己を許していない。そしてそれ故にこそ、最後の確証を掴むために、遺体を運び出そうとするパーティーの部屋に舞い戻ってきたのであった。この最後のパートでも息詰まる展開を極めて緊迫感のある演技で支えている。
 最期には喧嘩の強いAを、冴えた論理と冷静沈着で謙虚な態度のEが打ち負かして幕。
サイキックバレンタイン

サイキックバレンタイン

たすいち

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★

かなりドタバタ感がありますが、ちょいとシリアスなサイキック・ラブコメそこそこに楽しめました。しかしながら、超能力者と普通人との対立の図式は昔も今も変わりませんね。

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