
悪い芝居vol.20.5『アイスとけるとヤバイ』
オフィス上の空
ブディストホール(東京都)
2018/08/08 (水) ~ 2018/08/12 (日)公演終了
劇中劇をぶっ壊した時は「いいぞッ!」「面白くなりそうだ!」と思ったのですが、あそこがピークだったみたい。
私はそんなに良いとは思いませんでした。
少なくとも過去に見た上の空プロデュースの2作品に比べると落ちるかなあと。

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了

涼風至る
Minami Produce
ギャラリーしあん(東京都)
2018/08/04 (土) ~ 2018/08/12 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/08/11 (土)
夏祭り編 観賞♪
観劇というより観賞の方があっている感じがするのであえて。
3つのお噺はどれも知っているのだけれど、こうして立体的にみるとまた面白い。
衣裳のセンスも好き。古民家とマッチしていて、ちょうど降って来た雨音も良いBGMに。
夏の粋を感じました。

その頬、熱線に焼かれ
On7
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2018/08/09 (木) ~ 2018/08/12 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/08/10 (金)
アゴラ劇場での初演を観ていたので、会場が大きくなりどのように変わるのかとても興味深かった。それはまた別物として観劇できた。分かり易かったかもしれない。訴えどころが違っていた様にも感じている。

「天守物語」〜夜叉ケ池編2018〜
椿組
花園神社(東京都)
2018/07/11 (水) ~ 2018/07/22 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/07/12 (木) 19:00
入場してまず気付いたのは夏恒例の花園神社野外劇としては異例の(私見)きっちりとした装置。確かに天守閣だかの設定とはいえテント芝居には不似合いというか終盤で後方の明治通りを借景にする演出は?などと余計な心配をしてしまう。
で、中心となる天守物語は2008年10月にアサヒアートスクエアでCOLLOL、2010年7月にテアトロ・ド・ソーニョ(現・シアターノルン)で舞活道 自由童子によるものを観ていたのだが、今回も含めてその内容ゆえ(?)独特な演出が多いな、などと思いながら観ていると、しっかりした装置は罠(笑)であり、クライマックスの屋台崩しで明治通りの借景は健在、やっぱりそうでなくちゃね。(笑)
ただ、ラストの布での水の表現(それはそれで見事だったが)に「せっかくのテント芝居なのだから本水を使えば良いのに」という声があるのも理解。装置と併せてどちらかと言えば一般の劇場での上演に近かったのはちょっと残念。
なお、紀保さんの登場時に大向う(?)から「高麗屋ァ!」と声が飛ぶのは想定内だったが、田渕さんの時に「たこ焼き屋ァ!」と飛んだのは予想のはるか外でワロタ。

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★
「蒼のトーテム」観劇。
竹内敦子さんの一人芝居。ショウダウンさん独特の一人芝居を継承していて、そのポテンシャルの高さが窺えます。ただ、ナツメさんの脚本は大変好きなのですが、今回は私には難解で正直良く分かりませんでした。演出は、良い意味で林遊眠さんに良く似ている部分も多く大変楽しめるのですが、少し似すぎているなとも思いました。(同劇団なので当然かもしれませんが)
音響、照明とも相変わらず素晴らしく、また良く竹内さんの動きにリンクしていました。
今回は脚本が難解ではありましたが、竹内敦子さんの一人芝居をまた観てみたいと思いました。

したため#6『文字移植』
したため
こまばアゴラ劇場(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/14 (火)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/08/12 (日) 19:00
多和田葉子の小説を原作に演劇化した作品だが、原作は読んでいない。しかし、幻想的な小説を書く印象がある作家なので、おそらく原作のテキストはほぼ変えていないと推測する。その幻想性を、不思議な発話や、4人の出演者で語り手を順に変えていくという形式で表現しようとしているのではないかと思う。ただ演劇として見たときどうなのか、という疑問は残らないではない。役者陣はしんどいと思うけど、よく頑張っているとは思う。

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★★
「マナナン・マクリルの羅針盤 2018」
林遊民さんの一人芝居だが、一人芝居の枠組みを超越した超大作。舞台上に一人しか居ないのに、何十人もの登場人物の生き様を感じた。
大興奮の冒険活劇的な心に残る良い作品だった。
林遊民さんの繊細かつダイナミックな表現力とパワーとスタミナに敬服。

『首無し乙女は万事快調と笑う』&『漂流ラクダよ、また会おう』
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターサンモール(東京都)
2018/08/10 (金) ~ 2018/08/15 (水)公演終了
満足度★★★★
■『首無し乙女は万事快調と笑う』鑑賞/約135分■
面白かったが、首無し乙女という存在を生かしきれていない印象も。

『首無し乙女は万事快調と笑う』&『漂流ラクダよ、また会おう』
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターサンモール(東京都)
2018/08/10 (金) ~ 2018/08/15 (水)公演終了
満足度★★★★★
「漂流ラクダよ、また会おう R18」を鑑賞。
テイストの違う短編が問いかけてくるのは「存在」ではないか。
信じていた「自分」が相手には「別の自分」として映っていた。
自己の存在のはかなさ、自己主張の虚しさ、
所詮自分は“相手に委ねられている”ことの腹立たしさ・・・。
自分を見失いがちなのも当然、私たちは“人の思惑”で生きている。
そんな真面目なテーマを内在させながら、R18で崩してみせる、
このバランスがいつも楽しいんだな。
少々の下ネタでブレるようなテーマではないから出来ることなのだろう。
「君といつまでも」の静かな狂気に寄り添う哀しみが素晴らしい。

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★★
「マナナン・マクリルの羅針盤」
文句無しの星5つです。看板女優・林遊眠の脅威の身体表現力で数多の登場人物が生き生きと描き分けられ、時にロング、時にクローズアップ、とカメラが切り替わる。舞台上の表現でここまで映像が浮かぶのはなかなかお目にかかれない。クライマックスで創造を超える神の視線へ飛びます。大航海時代の海賊絵巻を2時間超、1人で演じ切るパワー、さらに一日3ステこなす精神力も含め、脅威としかいいようがありません。もちろん脚本、音響、照明その他、超ハイレベルです。
「蒼のトーテム」
そして上記が休演の合間の時間に掛けられた新作のこちらも一人芝居。新鋭・竹内敦子が、看板に続けと奮闘。ただこちらは脚本がかなり難解。ファンタジーものかと思いきや途中から観念の話になり終盤で読解力が追いつかなくなってしまった。残念。しかし、全くタイプの異なる2人の女優の一人芝居を、ダブルで東京に持ってきて、さらに2週間後には新作の本公演が控えているという、作演出ナツメクニオ&劇団の体制に驚愕せざるをえない。2週間後の新作にも超期待!

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★
「マナナン・マクリルの羅針盤」を観劇
リアル北島マヤでしたね。
正直、最初の15分くらいはたくさんの役を演じ分ける軽業的面白さしか感じず、これで2時間はきついなあと思っていましたが30分を過ぎるあたりからすっかりのめりこんでしまいました。ただし私はファンタジー物は苦手なのとセリフが早口で聴きにくいところがあったり噛みが多かったりしたので満足度としては4つ星に留まります。
セリフだけを聴いていると落語にも聞こえ、リズムのあるところでは講談にも聞こえました。張り扇風にパパンパンパンと音を出しながらしゃべるところがあっても良いんじゃないかと思いました。

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★★
再演時に拝見したときよりも今回の観劇でもっと作品の世界が好きになり,カッコ良いシーンをたくさん見せて頂いたステキで凄い一人芝居です。オススメ。

大脚色
Dangerous Box
浅草六区 ゆめまち劇場(東京都)
2018/08/08 (水) ~ 2018/08/11 (土)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/08/11 (土) 13:00
2018.8.11㈯PM13:00 浅草 ゆめまち劇場でDangerous Box『大脚色』を観た。
今回、この『大脚色』とこの後に上野ハウスで上演される『雪華、一片に舞う』とがどうやら関係するらしい。
この『大脚色』の主人公、木暮一片(こぐれ ひとひら)、次の『雪華、一片に舞う』も木暮一片の話。
膚にベッタリと蒸し暑さが纏つく、土曜日のお昼に、私は、Dangerous Boxの『大脚色』を観る為に、浅草にあるゆめまち劇場に居た。
劇場に入ると、真ん中にランウェイの様に設えられた舞台の両側に、1人がけのテーブル席があり、その後ろに役者が駆け回れる通路分の間を置いて4人がけの席、階段を上がると丁度その4人がけの席の上が二階席になっている。
私は、左側の出入口に近い、1人がけの席に着いた。舞台の上には、私から見て左手奥の正面に二人がけのソファーと白い本棚が両側に並べられ、ソファーの受けには、白いホープで吊るされたブラコンのようなものがあり、右手端にもそのソファーと相対する様に二人がけのソファーが置かれている。舞台装置はそれだけ。
飛んでもない世界の幕が開く。
人気作家の突然の死と残された一冊の小説。それは、担当編集者に残された最新の原稿。残された原稿に取り残された編集者が巻き込まれていく「嘘」というの名の真実と嘘を真実と思い込むために、嘘が真実に塗り替えられて行くパラドックス。
現実が小説にリンクするのか、小説に真実がリンクして行くのか、はたまたそれさえも、誰かが書いたシナリオなのか。答えを求めた時、結論は嘘に包まれ、何が真実かなのさえ靄に包まれる。
ざっくりあらすじを説明するとこういうはにしなのだが、一度観ただけでは目で追えきれず、その目で追えきれなかった部分にまた、別の真実が隠されているような気がしてしまう。一度観ただけで、この舞台を語ることは難しい。
飛んでもない熱量と膨大でリンクし合い、交錯し、ぶつかり合い、重なり合う台詞、幾つもの世界の端っこが互に重なり合った部分が、現実に、小説と小説の世界に関わり、干渉し合っているような、目まぐるしく展開される話と時間、クラクラと目眩に襲われながらも、気づけば『大脚色』という大きな話の世界に巻き込まれ、呑み込まれ、引き込まれて行き、気づけば2時間が経っており、現実に引き戻されても尚、不思議な時間軸の中にいるような気分になる舞台。
幾つもの円が重なり合ったという所から、観ながら、小学生の算数で習った、円の重なり合った部分の面積を求めましょうという図形がずっと頭の隅に浮かんでいた。
『大脚色』は、その重なり合った部分の物語で、面積の代わりに真実を求めると言うような話なのではないかと思った。
『カーテンコール~ポアロ最後の事件~』は、とある殺人事件の真犯人が実はポアロ自身であり、自ら掲げていた信条に則り、自らを裁き死ぬという結末を迎える。ポアロの殺人の動機は、この話とは違う所にありはするのだが。
幕開け早々、二人の小説家が現れ、死ぬ。
1人は人気小説家緒方乱、1人は小田修一。この2人があるに突然、死んでいるのが発見される。他殺か事故かはたまた…。事件を解決する為に、一通の手紙を受け取り、小田家の屋敷を訪れた、妹に頭の上がらない中二病の探偵木暮一片が現れ、やがて、結末は思いもかけない終焉を迎える。
石橋知泰さんの端正で美しく知的で気品溢れる小説家小田修一に目を奪われ、REONさんの木暮一片と石橋さんの修一をずっと目で追っていた。
血の繋がらない兄弟姉妹、清楚で控えめな美しい使用人楓を想う修一、その修一を想う故に楓にきつく接する妹雨音、楓に恋情を抱く故に兄を疎む弟俊之、その弟俊之に密かな思いを抱く故に楓に酷く当たる姉の真梨。
こんな複雑な横溝正史か江戸川乱歩の小説には出て来そうな環境に生まれ育ちながら、どこまでも繊細で優しい修一。けれど、それ故に胸の中に孤独や懊悩が巣食ってはいなかったろうか。漠然とした不安、絶望の影が忍び込みはしなかったろうか。その中で、楓への思いだけが一時修一に安らぎを与えはしたが、その楓への思さえも抑制しなければならなくなった時、修一の中の何かが限界を超えて、あの結末へと向かったのではなかったか。
そんな修一を繊細に端正に描いて見せられたのは、石橋知泰さんだから成し得たように思う。
REONさんの木暮一片は、駄目な兄に見せながら、どこか危うい魅力があった。自分の夢の為、殺人事件だと思っていたものが、実は犯人が存在しない自殺だと知った時、自らが次々と殺人を犯し、推理するというサイコパスな役なのに、禍々しさや怖さよりも切なさを感じてしまうのは、REONさんの木暮一片だからなのだと思う。
それまでの、中二病で妹に弱い、どこか飄々として憎めない木暮一片、ただ探偵として事件を颯爽と解決したかっただけ、すわチャンスかと駆けつけた事件が自殺だった時、自分の夢の為に、次々と小田家の人々や果ては妹まで殺すのは確かに身勝手ではあるのだが、そうと一言のもとに弾劾出来ない何かが、REONさんの木暮一片にはあった。それが、木暮一片が持つ翳りとそこから来る切なさなのだと思う。
個人的にREONさんが歌い、踊りながら台詞を言う場面が、色っぽくてカッコよくて好きだった。
林里容さんの入山三郎は、緒方乱の小説の中に登場し、木暮一片と同じ状況。ここでふと思う。緒方乱の小説と小田修一の小説は、鏡合わせの、鏡の向こうとこちらのかんけいなのではないかと。とすれば、入山三郎と木暮一片も鏡の中とこちら側の関係だとすれば、入山は木暮、木暮は入山、だから、入山もまた大好きで大嫌いな妹を殺してしまったのではないかと。
優しくて頼りない兄から、狂気が迸る瞬間、その中にも、妹に対する愛しすぎたが故にまた、憎しみもし、手にかけてしまった痛いまでの切なさを感じた。
『大脚色』の中で展開される小説と幻日がリンクした世界は、実は、篠原志奈さんの小説家森田が書いた小説世界かと思わせて、森田もまた殺される。いや、もしかしたら、森田を殺したのは森田自身なのかも知れない。
森田の台詞を聞いて、作家になると決めた小学生の時に、よく思っていた事を思い出した。この世は、この世界は、神様の描いた大いなる小説で、その中で生きる私たちの人生も神さまが書いた小説なのかも知れないと。
だとしても、であったなら尚更に、今の私は思う。神様の書いたシナリオ通りになんか生きたくなくかないと。今までの人生だって、自分でのたうち回りながら選び取って生きてきた人生なのだと言い切りたい。
例えそれさえもが、神様の書いた小説だとしても。やっぱり、私は私として私を生きてやると言いたい。
そんな事をふと思った。
愛は面倒くさい。愛し過ぎても、愛が足りなくても、人を殺す時がある。それは、命を奪うという直接的な事ばかりでなく、心を殺す、愛を殺すという事をも含めてであり、また、生きることも果てしなく、面倒くさい事が山ほどある。
けれど、生きているだけで、命があり、明日という時間があると言うだけで、本当はとても幸せな事なのかも知れない。
たがらこそ、神様が書いたシナリオに抗ってでも、自分を生きたいと思った舞台であった。
文:麻美 雪

『首無し乙女は万事快調と笑う』&『漂流ラクダよ、また会おう』
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターサンモール(東京都)
2018/08/10 (金) ~ 2018/08/15 (水)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/08/13 (月) 19:00
『首無し乙女』はしばらく前に隣の小さな会場で見ましたが、覚えてるつもりだった詳細は頭の中から消えてたので、再び見れて嬉しかったです。普段よりシリアス度の高いPMC野郎を堪能。『ラクダ』はガンガン笑える短編集でしたが、最後はしっとり。不真面目なようでいて、弱くて小さい者たちにもやさしい目を向けている心あたたまる作品群だったと思います。赤かぶとちゃんの甲殻類は何度見ても面白い!

マナナン・マクリルの羅針盤 2018
劇団ショウダウン
シアター風姿花伝(東京都)
2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了
満足度★★★★★
蒼のトーテム 竹内敦子一人芝居 を観劇
良かったです。期待以上に良かったです。ホント2回公演だけではもったいない。回数を重ねれば,竹内敦子さんももっともっと深みも遊びも出てくるだろうし,あー,可能であれば,あと数回上演した後のこの芝居も観たかったなぁ。演技だけを言うと,さすがに林遊民の一人芝居には及ばないものの,音響,照明をも効果的に使い,総合力でこの一人芝居を盛り上げていました。さすが劇団ショウダウン!自分としては外せない劇団さんです。
数週間後,池袋演劇祭で別の芝居をされるとのこと。場所が「あうるすぽっと」じゃないのが残念だけど,こちらも大いに期待しています。

疑惑の教室にて
カスタムプロジェクト
調布市せんがわ劇場(東京都)
2018/08/10 (金) ~ 2018/08/12 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団初見。いや~犯人捜しはホントに難しいですね。サッパリ当たらなかったです(苦笑い)。推理はともかくとして、芝居自体は結構楽しめました。

ナイゲン(2018年版)
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2018/08/10 (金) ~ 2018/08/20 (月)公演終了
満足度★★★★
スタンダードと化した青春会話劇。何度も観ているので、ストーリーを気にせず細かい所に目が行くようになって、毎回違った楽しさがありますね。今回は直接会話に関わってない登場人物の動きに注目してみました。

排気口
イデビアン・クルー
世田谷パブリックシアター(東京都)
2018/08/09 (木) ~ 2018/08/12 (日)公演終了
満足度★★★★
井手茂太氏による「演劇」舞台以外での、つまり舞踊でのパフォーマンスの鑑賞は初めてが。「それ」と思い出す事ができるのは少し古いがMODEのカフカ作品で、一人苦悩する主人公とその周りでシステマティックに集団化された動きとの対比が演劇的効果を上げていた。
舞踊という抽象性の高い表現形態では、表現された形(シニフィアン)がどの意味(シニフィエ)に対応するかを測りかねる事など「ごく普通」と言えるが、今回はある面で判りやすく、ある面で判りにくい・・その塩梅に特徴があるなとまず思った。
舞台は日本旅館の広い四角い一室、そこをメインに、スケルトンで左右・奥へ広がる空間が「黒」の中に浮かび上っている。要はそこが「旅館」であるのは間違いはなく、判りやすい。登場する人らの衣裳の殆どが着物で、旅館の仲居、小間使い、芸者、番頭といった風なキャラ分けがあり、着物以外を逗留者とするなら三、四人という所。
「何が起っているか」は具さに判らないがニュアンス的なものはしっかりと存在している。「音」が隙なく空間を彩り(音響:島猛)、全体に流れていた音楽が一ヵ所に絞られ、ラジオから流れ出る音に収まるといった、空間を意識させる技から、微かなノイズでも意図的だと分かる技術(性能)が、照明ともども空間の解像度を密にしている。これに見合う緻密な身体パフォーマンスになっているかと、目を凝らしている瞬間があった。
旅館での様々な人間模様が、描かれているに違いない。ただそれら一つ一つの「出来事」よりは人間観察の眼差しの行き着く先(人間観、のようなもの?)が、表現したいもののように思われる。ただそれが何かを明示する事はできない。できないが、終りに向かうにつれ輪郭と呼べるものを掴みそうな予感、のようなものはあった。
目に入ってくる形には「意味」を意識させるものがある(これが井手氏の振付が演劇向きな理由か)、が、実際のところ「逐語的」意味は伝えたい目的ではない。技術的に高度なのかそうでないのかも私には判らないが、快い瞬間は多々ある。ただ身体パフォーマンスの視覚的な快感に素直に浸れないのは、「意味」がチラついてそれを読み取ろうとしてしまうからだが、終局、そうした「意味」の片鱗は全体の中に溶け込んで、「意味」を成しえないものとしての人間の風景を見た、という着地であったように思う。時折見えた人物の表情や何やが、「見た」実感を支えていて、自分が「見ていた」のは人物たち(それぞれが担った役の?)だった気がする。
観劇の大きな要因は宮下今日子の名を出演者に見出した事で、今作でも私の目にはこの役者の実在感が半端でなかったが、特徴的な存在は他にももちろん居て、「場面を演じる」姿として強く色づけされている。総員がキャラを担って「物語」を構成しているらしい事は、判る。残影は群像劇の躍動より、そのバラバラ感にあり、哀しげであるのだが。

その頬、熱線に焼かれ
On7
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2018/08/09 (木) ~ 2018/08/12 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/08/12 (日) 14:00
座席1階B列12番
on7第2回公演の再演、劇場をこまばアゴラからシアターウェストに移して。
on7は、第3回公演の「ま○この話~あるいはヴァギナ・モノローグス~」から観劇を始め、正式公演ということでは、今回は3回目となる。
第2回公演の口コミが絶賛の嵐だったので、遅れてきた者としては観れなかったことが悔しくて。再演ということを抜きしても、実験性に溢れた企画、芝居を追求するon7と、次々と称賛をを獲得する劇団チョコレートケーキの脚本・演出コンビのコラボとなれば、観に行かないことの方が不思議だろう。ましてや、この2つのユニットに、一度ならずも魅了されてしまった者としては、見ないこと自体があり得ないこと。
今回は終戦記念日を挟んだ公演日程で、時宜も得ている。こうしたテーマ性の高い芝居には、旬であることも重要だと思う。
さて、当日は東京の千秋楽、客席も満員でテレビ録画も入っているらしく、カーテンコールでは大きな拍手と、役者の皆さんも感極まって落涙している方もいる。
なのだけれど、どうもしっくりこない。悪いというわけではないのだけれど、期待を超えていないのだ。失礼を怖れずに言うと、「劇団民藝」の戦時・戦中芝居を観ているような感じなのだ。
まず、on7側から言わせてもらうと、「ま○この話~あるいはヴァギナ・モノローグス~」や「かさぶた」でみられたような、軽快で緻密、即興性に溢れながら、常に解体と構築を繰り返すような高い挑発度がないのである。
戦争の悲劇を通して人生の儚さや苦しさを描き、予定調和的に結末に向かうような舞台。そこに待っているのは諦観と僅かな希望だ。そうした芝居が悪いのではない。
ただ、今のon7がやるべき芝居なのかと思ってしまう。
劇団チョコレートケーキ側から言うと、いつもなら史実や歴史的現象を、自らの解釈と理解に首根っこを引っ張るように持ってくる古川脚本が、今回は自ら寄り添うようにして書かれており、一向にダイナミズムを感じない。
この物語では、原爆女子と呼ばれた7人(全体では25人)が、それぞれ異なる境遇と想いをぶつけ合う。ともすれば第三者からは、ステレオタイプに理解されている存在は、あくまで1人1人の個人であることが強調され、会話を通じて寛容と癒しと平穏を獲得していく物語である。しかし、舞台からはそこに至るまでの心の機微や、それぞれの気付き、驚きが感じられなかった。
この理由は、会場のパンフレットを見たときに思ったのだけれど、役者も演出側も、取材や理解を通り越して、再演に当たり当時からご存命中の方々に寄り添いすぎてしまったからではないだろうか。掲載されている写真には、当時を知る関係者の方々と肩を並べるon7の皆さんの写真が何枚も掲載されている。
こうした機会を得て、新たな発見や親和性を得たことは想像に難たくない。
しかし、そうして生じる気持ちの高揚は、ともすると舞台上にのみ熱量を持たせ、それが観客席に拡散していくことを妨げることにもなりかねない。役者相互に気持ちが行き過ぎてしまうのだと思う。
脚本や演出法に、前回公演とどういう違いがったのかは判らない。だけれど、もしかしたら、古川氏や日澤氏にも、前回には突き放せて描けたことが、登場人物1人1人に強い親和性が生じたことで、描けなくなってはいなかったろうか。
そう考えると、やはり前回の公演を観られなかったことが、一層悔しく思われてくる。