最新の観てきた!クチコミ一覧

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逃奔政走

逃奔政走

フジテレビジョン

三越劇場(東京都)

2024/07/05 (金) ~ 2024/07/16 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/09 (火) 13:00

アガリスク勢はもちろんのこと、主役・準主役のベテラン陣までも「この人ってそういうイメージだなぁ」なアッパレなキャスティングによる政治風刺コメディ。
実際にあった「政治的不祥事」を揶揄しながらもバックレようとする人物を中心に巻き込まれる人々、という「王道コメディ」を貫き、さらに「こうであったらいいのに」で〆るのが見事。。
さらに導入部と終幕時の演出も好きだなぁ。
なお、先に目にした感想に「政治家諸氏はこれを観れば……」というのがあり一旦同意したが、本作を観て改心するような人物はそもそも不祥事などとは無縁なのではなかろうか?(毒)

涼月の記

涼月の記

日穏-bion-

テアトルBONBON(東京都)

2024/07/24 (水) ~ 2024/07/28 (日)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/07/24 (水) 19:00

ベテランユニットの「いい話」で、帰り道がほっこりする芝居。(5分押し)104分。
 栃木の田舎町で営業してた居酒屋が閉店するために店主の俊彦(剣持直明)が片付けをしているところに、古い常連の涼子(岩瀬晶子)がやってくる。開店時からの回想シーンに入り、1983年のスタートから何年かおきの様子が描かれる…。涼子の恋人の博己(綱島卿太郎)との顛末や、開店時に小学生(?)だった朱美(なかじま愛子)の変化、店に酒を入れてる酒屋の米田「一族」(←意味は見ると分かる。猪内けんじ)を交えた5人が展開する物語は、いつもの日穏よりちょっと分かりやすく作られているが、「いい話」であるのは間違いない。映画ファンが集まる店ということで、年代の変化を壁に貼ったポスターで表すあたりはちょっと洒落ている。5人とも熱演だが、笑わせて泣かせてくれる剣持の味がいい。

BACHELEAN バチェリアン

BACHELEAN バチェリアン

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2024/07/23 (火) ~ 2024/08/11 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

面白かったです。
肩肘張らず楽しめるストーリーと、個性豊かな登場人物に、どんどん惹き込まれました。
テンポも良く、所々のボケとツッコミみたいな台詞も良かったです。
女性陣、みんな綺麗で可愛くて、女の私でも口元が緩みました。
とても楽しい時間でした!

BACHELEAN バチェリアン

BACHELEAN バチェリアン

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2024/07/23 (火) ~ 2024/08/11 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★★

いつもながらとても面白かったです。個性豊かな女性たちのやり取りも見ものでした。華やかで皆さんきれいでした。楽しく、でも心暖まるそんな作品です。

べらんだぁ占い師シゲ子

べらんだぁ占い師シゲ子

四宮由佳プロデュース

新宿スターフィールド(東京都)

2024/07/23 (火) ~ 2024/07/28 (日)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★

ハートフルコメディといった物語だが、描き方によっては怖い話にもなる、そんな深みのある公演。少しネタバレするが、ナレーションと書かれた名札を付けた男が情況等を説明するが、それでも曖昧なところがある。だだ些細なことに拘っていると面白味、その醍醐味を見失うかもしれない。

タイトル・説明から、占い師 シゲ子が ひょんなことから自宅マンションのベランダで占いを始め、”よく当たる”と評判になるというもの。占ってもらいたい人々の内容とシゲ子のアドバイスが物語の肝。占い事は悩み相談でもあり、何か共通するものがあって収斂していくというよりは、ありがちな悩みを点描する。そこに現代人が抱える心情が浮き彫りになり、シゲ子のアドバイスが心に染み込んでいく。

これが国家社会が絡むと別の様相を帯びた物語へ変貌する、そんな紙一重の公演。また、自分はある小説をも連想し、色々な意味で楽しみ 考えさせられた好作品。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、上手/下手にベランダ柵の一部。そして下手の一部に穴が開き、その前に観葉植物を置いただけのシンプルなもの。
下村シゲ子(四宮由佳サン)が住んでいるマンションの隣室に勅使河原俊一郎という男が引越してきた。その挨拶をベランダ壁の穴を通ってくるという非常識さ、その後も頻繁にその穴からやってくる図々しさ。そして いつの間にか占ってもらいたい人を連れてくるようになる。図太い この男の目的は何か?後々解るが大した意味はなく、そのままの人物像だ。この人物が道化師的な存在、役割を担っているようだ。

シゲ子の占い=実は生まれつきの能力で、相手の体に触れると内心が分かる。将来を占うというよりは、相手の悩み事が分かり寄り添うアドバイスをする。例えば、カスハラ対策のため必要以上に丁寧な言葉遣いを求める上司との関係、全力で事(仕事や恋愛等)に向き合わず、失敗することを恐れ ある程度のところで妥協してしまう。親友と思っていた女子高生、しかし相手は恋愛(同性愛)感情を持っており 今後どう付き合えば、など現実にある切実問題を突き付ける。観客の中にも経験があるようなこと、それに寄り添うような言葉に納得や共感を抱くのだと思う。
一方、相手にしてみれば 自分の心の中が見透かされてしまう怖さ、劇中でもあったが学生時代の親友で兄の妻になったクミコの心を勝手に覗き、兄のことを まだ好いていることを確認してしまう。

占い一見(相談事)は回想として描き、それをオムニバス風に紡いでいく。心情としては実に分かり易い。キャストは 占ってほしい客であり回想シーンの人物、その複数役を担うがマスクをすることで人物像を違える。少し気になるのは、シゲ子の内心ーー生まれ持った能力を持て余す、または怖いと思ったことがないのか。その懊悩のようなものが感じられなかったこと。シゲ子曰く、自分のことは占えない(占った人々の思いを介して自分のことを知るだけ)。
なお、照明や音響・音楽といった舞台技術は強調していないが、物語を邪魔しないよう控えめ。それでも優しい音色は聞こえる。

シゲ子は「サトリ」の能力だが、一方「サトラレ」という能力もある。いずれにしても人の心が読める人間などは、国家機密/戦略上などの重要または危険人物になる。小説「家族八景」(筒井康隆作)では、主人公の少女が夫々の家族の内面を読んでしまい行く先々の家庭に亀裂や事件を起こす。続く<七瀬シリーズ>では超能力者たちは迫害を恐れ能力を隠していると。その意味ではコメディにもシリアスにもなり得る面白さ、その両面を併せ持つ好作品。本作は前者に特化して観(魅)せている。
次回公演も楽しみにしております。
髑髏城の七人

髑髏城の七人

劇団☆新感線

青山劇場(東京都)

2011/09/05 (月) ~ 2011/10/10 (月)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

2024年7月23日17時40分〜 ゲキシネ ブルク13
これ以前の「髑髏城」は捨之介と天魔王が一人二役だったそうですが、なんでそうしたのかいのうえさんに聞いてみたいもんです。Season風もゲキシネしましたが、一人二役は仮面を被って他の人がやることもできるわけですが、やはり大変かと思ったのでした。
今回の髑髏城、良かったです。ステアラ版よりも重厚感があったのは、劇場のせいかゲキシネになった時にそうなったのかわからないですが。
小栗捨之介の殺陣もカッコよかったし、狂気じみた森山天魔王も凄みがあり、何より早乙女蘭兵衛が素敵でした。
会場は「青山劇場」だったんですね。円形劇場ともども無くなったことがとても残念です。

ネタバレBOX

無界の里にやって来た千葉狸穴二郎衛門が指名するのは高田のおばさんかと思っていたらそうでは無いし、その後いなくなってしまったのであれ?と思っていたら、まさかの高田贋鉄斎。夫亡き後名前を継ぎ、自分で刀を打っていると言う女贋鉄斎がなんともかわいくて良かったです。
ステアラ版「髑髏城」では、蘭兵衛が髑髏城へ向かおうとする時に登っていく階段に彼岸花が咲いているので、先日スパイラルムーンさんの観劇時に購入した彼岸花プリントのTシャツを着て行きました。しかし、2011版で咲いていたのは胡蝶蘭だったので残念です。
Season鳥では早乙女蘭兵衛の着物にも彼岸花が描かれていたので、またこちらをゲキシネする機会があったら忘れずに着て行きたいものです。
蜉蝣峠

蜉蝣峠

劇団☆新感線

赤坂ACTシアター(東京都)

2009/03/11 (水) ~ 2009/04/12 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

2024年7月16日18時45分〜 ゲキシネ ブルグ13 
ゲキシネらしいと言うか、映画だからねという演出でいきなりモザイクシーンで笑いました。じきにモザイクは無くなって、そこにあったのは作り物の◯ン◯ン。やがて古田闇太郎が「2時間これではきついからね」とか言ってパンツを履いてくるんでした。なんともお下品なクドカン脚本?いや、だからこその演出か?
笑いとお下品で始まったのに、後半シリアスになって行って「髑髏城」に親しんでいた身には悲しい幕切れに泣けました。「こんな身に生まれてこなければ」みたいな闇太郎の言葉も悲しかったです。

ダダルズのサル

ダダルズのサル

ダダルズ

SCOOL(東京都)

2024/07/22 (月) ~ 2024/07/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ダダルズを初めて観た日から今後二度と見逃すものか、それもできたら初日にと心に誓い、今回も類に漏れず待望の観劇。脳や内臓を揺すぶられる様な体感は健在だけど、今回はこれまでより主題が明確で、そのことによりさらに思考の深淵へと臨んでいく様に感じました。

自転車の蛇行という記憶の風景を語りながら、それがいくつもの物事と接着や剥離を繰り返し、やがて部屋の湾曲に繋がっていく。物理的な意味合いでも精神的な意味合いでも人間の心身に発生する歪みや揺らぎ、つまりカーブ。同じことを体験したわけでもないのに痛くなるのは、同じではなくとも確かに自分の中にも、あるいはその部屋にも存在するそのカーブに触れられたからなのだと感じたり。そして、そのカーブは例えば老いゆく母の背骨や日々刻まれていく自分の皺を彷彿させ、やるせ無さがさらに募る。
人が生きていく上で抱えざるをえないトラウマとかやるせない気持ち。そういう個人的な「どうしようもなさ」にどこまでもどこまでも対峙して、今回もまたあんなにも溢れながら「渇き」を開示する大石さんに魅せられ、知らされました。

町や職場に見る"行き場のないオバハン"に母や自分の姿を重ねるときに湧き出る哀しみや怒り。「どうしようもなさ」にジタバタしてもがき、されどもジタバタしてもがくことを決してやめない大石さんの姿はやっぱり理屈とか理性とかを超越した何かを私の心身に残していく。
小5娘をチャリ後ろに乗せて帰宅してから観るにはあまりに痛切な主題だった。忘れない。
次回は10月。これも忘れない!

ダダルズのサル余談。初日は終盤ゲリラ雷雨に見舞われ終演後がそのピークに。
劇場ビルの入口で観客間で今後の雨足や最寄りコンビニを共有したりしつつ少しの間を過ごした。演劇の圧倒と雷雨の圧倒が少しシンクロする様な時間だった。
自分より先に雷雨の中を走り抜ける人の背に大石さんを重ねたりした。

神[GOTT]

神[GOTT]

ワンツーワークス

駅前劇場(東京都)

2024/07/19 (金) ~ 2024/07/28 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

この舞台ではドイツ倫理委員会の公開討論会という形をとって「医師による自殺幇助は認められるのか?」を議論する。討論会が開かれるきっかけは78才のゲルトナー氏(以下G氏)が妻を無くしてから生きているのが苦痛であり、薬物による自死を希望すると訴えたことにある。G氏は精神的にも肉体的にも健康であるという診断がなされており、二人の息子と幾度となくこのことについて話し合ってきて、彼の中では確固たる結論が出ているという。

ドイツ憲法の現在の解釈では自己決定権は不可侵であり何人も自死を阻止することはできない。今でも首を吊る、高層ビルから飛び降りる、電車に飛び込むなどの手段はあるが失敗したときは悲惨であるし、後者二つは他人への迷惑が半端でない。苦痛なく完全な死を迎えるためにはバルビタール薬剤が一般的である。しかしそれを誰でも入手できる状態にできるはずはなく、その入手と使用そして完全な目的達成には今のところ医師の介在が避けられない。自死は自由であったとしてもその安全確実な手段を憲法は提供してくれないのである。

現在でも不治の難病で日々肉体的な痛みに苦しめられている人の自殺を医師が幇助することはすでに合法である。しかしながらG氏のような健康な人については合意はできていない。そしてここでの検討対象には78才の老人だけでなく、人生に絶望した若者なども含まれていることを忘れてはいけない。またG氏は自殺幇助が合法ないくつかの国、たとえばスイスに行って目的を達成することができるが、自国で行うことを絶対的に希望している。

この問題に関して専門家が参考人として呼ばれている。法学者、医師会副会長、カトリックの司教の3人である。これらの方々に質問し討論するのはドイツ倫理委員会委員の医師とG氏の代理人である弁護士のビーグラー氏(以下B氏)の二人である。B氏はG氏の意を受けて、医師による自殺幇助を認めることに有利な発言を引き出そうとして、法廷のような戦術を使い、しばしば司会の倫理委員長から注意を受ける。

この「観てきた!」では議論を再現することはしない。大きな論点は網羅されている。基本は近代合理主義とキリスト教的人生観のせめぎ合いである。前者は我々もなじんできたところであるが、後者については天国に至る門は狭いというあちらの教えを、念仏を唱えていれば極楽浄土に行けるというこちらの思想から理解することは難しいと実感する。

気になったのは硬直的でヒステリックな医師会副会長の人物設定である。原文を当たってみると「司祭以外の役は性別を問わない」とあって、原文でフルネームが設定されていても変更して構わないことになっている。したがって医師会副会長が女性であることは演出家の意図である。もっとも全参考人の質疑応答が終わった後で一人だけ退席することは原文にもあったので基本的には原作通りではある。

同じ作者による「TERROR テロ」が2018年に橋爪功主演で公演されている。作者は弁護士で自身をモデルにした(と思われる)ビーグラー弁護士が活躍し、最後は観客による投票という形式は両作で共通している。そして10月にこの「神」も同氏主演で行われるお知らせが今回のチラシ束に入っていた。配役を見ると全員が男性である。おそらく男性というより中性的な扱いとし議論の純粋化を狙ったのだろう。

今回の投票では「医師による自殺幇助を認める」ことに賛成の人29名、反対の人42名であった。

アクサガ2024夏

アクサガ2024夏

インプロカンパニーPlatform

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2024/07/16 (火) ~ 2024/07/18 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

Cチーム観劇
パッパッと繋げて演じられてくのだが
間とかタメがないと
やる方も観る方も
なんかなぁという感じでした
休憩後の人狼ゲーム風の
芝居の組み立ては面白かった

即興は慌てる様を観るのでは無く
役者さんに多少でも
シンキングタイムを与えた方が
より良くなるんじゃないかなぁ
とか考えたデス

エンドゲーム

エンドゲーム

ルサンチカ

アトリエ春風舎(東京都)

2024/07/19 (金) ~ 2024/07/27 (土)上演中

実演鑑賞

満足度★★★

「幽閉者たちの悲喜劇」

 1957年に初演された本作はサミュエル・ベケットによる二作目の戯曲である。

ネタバレBOX


 アトリエ春風舎の急ならせん階段を降りた先にある劇場内に入ると、舞台中央に白いシーツがかぶさった状態で安楽椅子に寝たままの人物が鎮座している。開演前の客席にはうっすらと雑音が響き、天井に設置された蛍光灯が白、緑、紫、青と移り変わっていって、酷暑の汗がすっと引いていくかのような心地がした。

 奥から足を引きずりながら脚立を伴い現れたクロヴ(伊藤拓)は、上下の天井から垂れ下がっているカーテンの上方を開き、四角い穴からこちらを覗き込んで短く笑う。そうこうしているうちに安楽椅子に寝座っていたハム(川本三吉)が起きる。彼は目と両足が不自由で立ち上がることができない。二人の会話にはエコーがかかっていて、まるで二人とも半地下で幽閉されているかのように見える。上演会場に合わせたのであろう独自の設定がまず面白い。

 やがて舞台奥のバケツに入っているナッグ(瀧腰教寛)が顔を出し、「お粥くれよ!」とせがむがハムがいさめ、ハムの命によってクロヴがなんと犬用のビスケットを与え、さんざんに喚き散らすところを上から蓋をされてしまう。ハムの会話から察するにナッグはなんらかやらかして下半身を失ったようである。もうひとつのバケツに入っているネル(赤刎千久子)とはいい仲のようで、かつての甘い日々を回想している。どうやらふたりともあまり体調がすぐれないようだ。

 バケツに入ったままの二人を背景にしてクロヴとハムの対話は続いていく。犬を所望したハムにクロヴは一足が欠けたぬいぐるみをかしずかせる。外の天気が知りたいハムにクロヴは穴から望遠鏡を使って様子を見るが、そんなことはしなくていいと咎められる。蚤取粉をかけたり、バケツに入っているナッグとネルの様子を見に行かせたり……静止しているかのように感じられる空間と時間のなか展開する他愛のないやり取りに、観客はそれぞれ思い思いを重ねることとなる。

 『ゴドーを待ちながら』でひたすら待ち続けているウラジーミルとエストラゴンと異なり、クロヴはここから出ていこうとするが出ていかない。脚が不自由なクロヴは暴君のようにこき使うハムに悪態をつくものの、言うことを聞いて甲斐甲斐しく世話をしている。ふたりの支配と共依存の関係は現代にも通じる普遍性がある。職場や家族、恋人や友人、はたまた国際情勢にまで当てはめることは可能だろう。

 二人ともやや声が大きすぎるきらいがあった点は気になったが、この噛み合わない対話が面白いため川本三吉演じるハムによる数回の独白があまり盛り上がらなかったのは残念である。しかし終盤でこれまでの人生を回顧しながら救いについて問う独白は見ごたえがあった。
舞台『口笛』

舞台『口笛』

Smile Power Company

シアター・アルファ東京(東京都)

2024/07/23 (火) ~ 2024/07/28 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★★

初日を観劇しました。
若い演者さん達エネルギーを感じる素晴らしい舞台でした。

ネタバレBOX

伏線がもうひとつあるのかな?
と思っていたけど、純粋な恋心だったことがエピローグでわかってなおさら切なくなりました😭
べらんだぁ占い師シゲ子

べらんだぁ占い師シゲ子

四宮由佳プロデュース

新宿スターフィールド(東京都)

2024/07/23 (火) ~ 2024/07/28 (日)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★

Aキャスト観劇。占いはお悩み相談。誠にその通り。ミディアムテンポで分かりやすい丁寧なストーリー展開。まったりと楽しめました。しかしながら、能力者はつらいよなー。

べらんだぁ占い師シゲ子

べらんだぁ占い師シゲ子

四宮由佳プロデュース

新宿スターフィールド(東京都)

2024/07/23 (火) ~ 2024/07/28 (日)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★

7月23日Aチーム観劇しました。面白かったです。

ネタバレBOX

テンポがゆったり(しつこい感じも)で、私には合わなくて引き込まれませんでした。
【振替公演】三俣婦人会のWS公演

【振替公演】三俣婦人会のWS公演

三俣婦人会

EARTH(西成)(大阪府)

2024/07/18 (木) ~ 2024/07/22 (月)公演終了

満足度★★★★

WSとしていたので、演者は見たこともないかなと思いきや…
小屋も暑かったけど、演者の熱量も凄かった❗楽しめました‼️

百こ鬼び夜と行く・改

百こ鬼び夜と行く・改

仮想定規

中野スタジオあくとれ(東京都)

2024/07/18 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白いですね。想像よりスケールもメッセージも大きな内容でした。でも、楽しく歌とダンスをまじえて、見せてくれてとてもよかったです。
いいお話だったと思います。

ハマヨンズの冒険

ハマヨンズの冒険

HAMAYONS

座・高円寺2(東京都)

2024/07/21 (日) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

感想遅くなりました。とても良かった。自身は少し高めの50代ですが、なんかわかるなあという部分も多く、極端なエピソードではありますが、共感しながら拝見していました。あととにかく、楽しそうに演じられていて。お芝居が好きなのがとても伝わりました。皆さんお仕事のあるなか素晴らしいですね。また、もし、次回公演が決まったら拝見したいと思うみなさんでした。

デカローグ7~10

デカローグ7~10

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/06/22 (土) ~ 2024/07/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

Eプログラム(小川絵梨子演出)の2本も見応えがあった。
一つ目は、医師の夫(伊達暁)が同僚の医師から、彼の勃起不全が回復不能であると告げられる所から始まる。妻は「美しい」大学教員(万里紗)。二人の間に秘密があってはならないと考える夫は、触れたくない事らしいと察知して体をかわそうとする妻を彼に向き合わせ、「事実」を告げる。が、鷹揚な妻は「今までと変らない」と夫に告げる。だが事態はすぐに不穏に。夫が無言電話を取り、その主らしい若い学生(宮崎秋人)と妻は逢瀬にいたる。いつものルーティンのようにセックスをする。学生は妻が禁止した電話も自宅にかけるわ、車の助手席の下に自分のノート(だか教科書)をわざと置き忘れるわ、「大人の関係」に向かない。
夫は不信を募らせ、逢瀬の場所である妻の母の実家(今は転居して不在で引き払おうかとも話し、妻はそれに戸惑う)での現場を見てしまう(二人で中に入り、一回に掛かる十分な時間の後退出するのを目撃)。妻の態度は不思議なほど夫の前ではゆったりとしており細やかな愛情も感じさせる。夫が車の助手席下から見つけたノート、妻のバッグ中のノートにメモをした学生の電話番号、そしてたまたま妻が母から頼まれた実家にある品物を、夫に代りに取って来るよう頼まれた事。さらには、その日学生からの電話で「ラブレターを送っておいた」と聞かされた妻は夫が居る実家に電話し、品物があった事を確認しがてら、「郵便受けは見なくていいから」と言ってしまい、「物的証拠」を夫は手にしてしまう。
夫の職場である病院で、一人の患者とのやり取りがある。若い彼女は母親から歌手になるために喉の手術を受けるよう説得されているが、当人は「生きてるだけで丸儲け」と頓着しない。だが病院での日常、腕の良い外科医でもある彼の患者に対する責任は、妻の一件で到底負えず、休暇を取っている。妻への嫌疑の追求を彼は最後まで敢行する。実家の鍵を預かった彼は合鍵も作っており、電話の会話を別室で聞くための細工まで行なった彼は、「次の逢瀬」が明日である事を突き止める。そこへ病院から電話があり、手術を拒んでいた彼女が承諾し、明日行なうと言われるが「今はそれどころではない。頼む!」と同僚に委ねる。
妻が学生に電話をして「明日会おう」と告げた直前のこと、夫は妻とのやり取りの間にキレている。妻は夫の拒絶を悟り、すぐさま学生に電話したのだ。
夫は先回りして実家の一番奥の物置に隠れる。やって来た学生に対し、妻は「これっきりにしたい」と告げる。「それを言いたくて呼んだ」と言う。しつこく食い下がる学生をきっぱりと拒否し、追い返した妻がため息を付いた時、奥から嗚咽の声が聞こえる。夫が崩れるように出て来ると、妻は夫の挙動を責めた後、こう言う。「貴方がこんなに傷つく事を自分がやっていたなんて気づかなかった。」そして怪我を負った者を迅速に手当し、介抱するように夫を遇し、二人で家へ帰って行く。
話はもう一山ある。互いと顔をつきあわせるのが困難と見た妻は、当面は別居しようと提案し、自分は休暇を取って遠方にスキーをしに行く(地元に居ては学生との接点が疑われてしまうので)、と言う。その見送りの場面。ところが、その暫く後、スキーウェアに身を包んだ例の学生が空港に現われ、ゲートを通って行く。絶望に見舞われた夫は、自宅で遺書を書く。妻は自分を追って来た学生に驚き、問い詰めると、大学の同僚の教員から聞き出したと言う。ある直感が働いた妻は、夫に説明しなければならないと悟り、公衆電話に走る。まず病院に電話し、夫の同僚から「夫は来ていない」事を確認し、もし夫が来たら「自分は○○から戻っている」と伝えてくれ、と言い置く。そして自宅の方へ掛けようとするが、後ろの男が並び直すように言う。緊急だと訴えるが自分も急いでいると言う。これをじりじりと待つ妻は舞台下手、一方上手の自室で机に向かっていた夫は、遺書を書き上げ、ゆっくり立ち上がる。紙を手にとり、電話機の上にそれを置くと、漸く前の男の電話が終り、妻は懇願するように自宅の電話を鳴らすが、遺書が上に置かれた受話器は既にこの世の者との回路を断ち、夫はふらりと家を出る。自転車に乗る。以前自転車を飛ばし肝を冷やした断崖のある山間へ、向かった事が分かる。疾走する姿が上手上段のスポットに浮かぶ。妻は空港へ。そして自宅へ。電話器の上の紙を見て絶望する妻。夫は過去を振り切るように猛スピードでペダルを踏み、ダイブする。
暗転の後、包帯だらけの夫の前に、妻が現われる。驚いた夫に向かって、妻は「私はここに居る」と言う。

必死に夫との関係をつなぎ止めようとする姿と、いとも簡単に学生と関係し、簡単に関係を終わらせてしまう姿。妻の中の肉体的な欲望があるが、それを捨てる事を厭わないものが夫との関係の中にある・・・その事が「信じられるか」がこのドラマが観客に問う大きな問い、と思える。
万里紗と伊達暁との取り合わせが良かった。

締めとなる第10話も、面白い。「希望に関する」とあるが、冒頭は切手蒐集家だった父が死去し、息子である兄弟の手元に残された切手コレクションが莫大な価値を持っていた、と知る場面。希望とは何か。彼らがこれを処分しようと相談した人間から、切手の「換金価値」以上の価値(記念切手そのものが持つ希少価値)について聞かされ、一転して二人は「売る」のでなくこれを保管し、なおかつ「父が集め切れなかった三点セット」を入手してコレクションを完成させる事に、関心が向かう。180度の転換がここにある。兄は売れたロックミュージシャン、弟は真面目なサラリーマン。二人はずっと意気投合して話を進める。
が、紆余曲折あって、二人は全てを失う。互いに原因をなすりつけ罵りあう、ばかりか強盗の手引きをした張本人ではないかと疑い合う。だが、犯人については二人に思い当たる関係者が浮上し、にわか切手コレクターとなった二人は一枚も二枚も上がいたのだと最後には諦める。
或る時、郵便局に立ち寄った兄、弟それぞれが、切手を買う時にふと記念切手に目が行き、3つのセットを購入してしまう。再び訪れた何もなくなった父の切手保管倉庫で、互いに同じ切手を買った事を知った二人は、互いの心を理解し、笑い合う。
希望とは何か。父の「偉業」を継ぐ事に生きがいを見出したにわか蒐集家の息子らは、その夢を「断たれた」事を自覚したが、凡そ全てのコレクションは凡庸な一つの記念切手から始まる、という本質は変わらない。その事を理解してか否かは分からないが、始めの一歩を二人は刻もうとした。二人が生きている間に父のような崇拝されるコレクターになっているかは甚だ不明だが、切手を愛する事の本質は、「誰が持っているか」とは別の所にある。・・これは愛に似ている。そこに希望を見出そうとした。

デカローグ7~10

デカローグ7~10

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/06/22 (土) ~ 2024/07/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

公演の後半にDプログラム、最終盤にEプログラムを駆け込みで観た。順番に感想を書いていたら中々のハードルなので簡略に、まとめて。

Dは上村演出の2つ。一つ目の「ある告白に関する物語」は、「子どもは誰のものか」を問う物語。
母=エヴァ(津田真澄)の<娘>アニャ(三井絢月=Wキャスト)を<姉>のマイカ(吉田美月喜)が誘拐する。実際はアニャはマイカの娘であり、エヴァはマイカの母。
冒頭、夜泣きする赤子に手をこまねくマイカの姿がある。マイカは年端が行かないか世間知らずの(発達障害的な?)風情で、これを見かねたようにエヴァが赤子をあやす・・という象徴的シーンが切り取られる。アニャはやっと学校に上がった位の年頃で、<姉>のマイカにもなついているが、頼りにしているのはエヴァのよう。現状を納得していないマイカはかねてからの計画を決行する。ある日アニャと<母>二人が劇場に行った際、エヴァが席を立った隙にマイカがアニャを連れ去る。アニャは「誘拐」を楽しんでいる風だが、エヴァの方は顔面蒼白、夫(大滝寛)に告げて心当たりに電話をかけまくる。一方マイカは子どもの「父親」(章平)を訪ね、一晩の宿を請う。かつてエヴァが校長をしていた学校の生徒だったマイカは、若い国語教師だった彼と「出来て」しまい、子を授かったのだった。
エヴァは激怒して二人を別れさせ、男は教師を辞めたらしい。地味に暮らしていた彼はマイカを見て驚き、自分の子を見て戸惑うが、最初は拒絶感の強かった男もマイカの純粋で一本気な人間性を思い出してか、一個の人格として愛した過去が蘇ってか、宿を与え、彼女のために自分がやれる事をやって良いという気になった事が分かる。男の所にもエヴァから電話が掛かり、彼は「知らない」と答える。
夜、マイカは実家に電話を掛けるとエヴァはホッとするのもつかの間、マイカの強い決意を聞かされ、絶望する。夫はそんな彼女に、「なぜマイカを拒否するのか」と諫める。エヴァは自分がマイカをとうの昔に失っている、とこぼす。ここで母娘関係のしこりが見えて来る。そしてエヴァが「マイカの代わりに」アニャという娘を得たと思っており、仕方なくアニャを引き取ったのではなく「かけがえのない存在」として迎えたのだという事が知れる。十戒の「他人の財産を欲してはならない」が浮上する。私達は如何にマイカが力不足であろうと、子を奪ったエヴァに疑問を投げかけなければならない、と促される。そんな予感が押し寄せる。
マイカは早朝目が覚めると家を出て、近くの駅へ向かう。彼女の行く先はカナダ。遠い。男は彼女の不在に気づくと、エヴァに電話をかけ、マイカが居た事を告げる。酷寒の早朝、始発までの時間駅員は暖かい駅員室へ二人を誘う。うたた寝の間にマイカたちは捜索者に見つけられ、アニャは「ママ」とエヴァへ駆け寄る。ちょうど電車が着いた時だった。エヴァはほんの僅かな変化をここで見せる。アニャを諦め、一人でホームへ向かおうとしたマイカの背中に、「あなたが必要だ」と声をかける。直情的で決めた事に一直線に進む習性のマイカは、去る。彼女の内心は分からないが、娘を奪われた思いだけは消えずに持ち続けるだろう。母はそんな娘を受け入れられなかった過去をどうにかこの時、辛うじて「否」と言えた。マイカの挙行に見合うだけの内省を要請されている事に、気づいたのである。
キェシロフスキの書くエピソードはどれも悲しい運命と、僅かながらの光がある。

二演目めは、他の作品中最もストーリー性に乏しい(又は描き切れてない)話だった。テーマは最も社会的に重いホロコーストである。観察者である「男」(亀田佳明)が唯一、台詞を喋る場面がある。ポーランドの大学のゼミで教授(高田聖子)が与えたテーマを考察するために学生が持ち込んだそのエピソードは「デカローグ」の何作目かのもの、だからそれを「知っている」男がこれを代弁する(女学生は口を動かし、声は亀田のもの)形である。このゼミには訪ねて来たばかりの女性(岡本玲)がいる。教授の著書を英訳した女性であるが、それ以上の縁があった事がやがて明かされる。戦中、アウシュビッツで親を亡くした彼女に関わる事になった教授は、彼女を冷遇したのだった。(ただその具体的な出来事が台詞だけで説明されるその台詞がよく聞き取れず、把握できなかった。)
ユダヤ殲滅が企まれたホロコーストと、その行為がどう重なるのか、別物なのかが不明。ただし「赦し」がテーマである事は分かる。最後の場面までに演出的な趣向が凝らされた後、教授側から彼女へ手を差し出し、抱擁するという美しい形で幕となる。独特な語り口の話であったが、「何があったのか」がその説明台詞以外から汲み取るヒントが得られず、それはその事実を多面的に見る視点ないしは感情が人物を通じて見えてこなかったためではないか・・といった事を考えてしまった。

やはり短くは書けない(言っちゃってるし)。最後のプログラムは別稿にて。

かなかぬち

かなかぬち

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2024/07/10 (水) ~ 2024/07/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

椿組、39年続いた花園神社での公演にピリオドを。もう観られない名残惜しさを感じつつ、だったらば!と子ども(6歳と10歳)を連れて観劇しました。

拐われた母を探す姉弟の物語をかつて母乳を生成したこの身体で、しかもそれによって育んだ姉弟を視界に見切らせつつ観るのだから、母の心で見つめざるをえなかった。女が強い物語は清々しいな!と思っていた矢先にその強さの原料が哀しみや諦めであることを知る居た堪れなさよ。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

散り散りになった母と子を往来する中で、主に母から母乳や授乳への言及がある作品だった。(少なくとも私はそこに打たれるものがあったのでした)

離れていても(我が子でない)赤子の泣き声を町できくと、その声が呼び水?いや呼び乳の様になり胸が張ったり、乳が溢れたりした経験からは、なんというか、へその緒が切られても尚ある母子の同機の様なものを感じて、すごく強烈な体験だった。劇中でも度々母がそんな胸の疼きや痛み、吸われる時の体感を口にするんですけど、それが何とも言えない表情で印象深くて・・・。勿論それだけではないけれど、私はどうしても母に、今なお子どもと繋がっているように錯覚する乳房を持つ母にシンクロする様な気持ちで見つめていました。
最後の花園神社公演に立ち会えてよかった。嵐の夜のお祭でした。
ちなみに椿組デビューの子どもたちは、USJに行ったばかりの6歳が「もしかしてお芝居のアトラクションなんじゃない?」と言い、唐組大ファンの10歳が「いろんなテント(芝居)があるとわかった」と言っていました。
もう花園では観られないのだから最後に新世代の子どもたちを連れて行けてよかった!
そういう後世に与える影響も含めた意味で満足度は星5つです。

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