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今は昔、栄養映画館

今は昔、栄養映画館

みやのりのかい

OFF OFFシアター(東京都)

2022/08/12 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

当パンにも書いてあった演出家によるギャグの修正、ト書きの変更などが何だか裏目に出てしまったのではないか。そんなことを思いながら帰る台風の夜…。

FAMILY~夏が思い出させてくれたこと~

FAMILY~夏が思い出させてくれたこと~

ヒューマン・マーケット

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2022/08/02 (火) ~ 2022/08/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

登場人物の関係性を理解するのに、少し手間取りましたが、浴衣姿など夏を感じられて楽しかったです!

ネタバレBOX

謎の女は、最後まで謎でしたね!
HEISENBERG【Aキャスト全公演中止】

HEISENBERG【Aキャスト全公演中止】

conSept

ザ・ポケット(東京都)

2022/07/29 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/08/13 (土) 13:00

台詞量も多く濃密な会話劇でした。
小島さんのつかみどころのない女性役が素敵。
照明も綺麗だった。

「ともしびー恋について」

「ともしびー恋について」

メメントC

オメガ東京(東京都)

2022/08/10 (水) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

自身の問題意識や関心、ちょっとした興味まで「演劇」表現に投じ存分に楽しんでいる印象のある嶽本女史。仏道世界の旅から娑婆に戻った?前作(山の羊舎との合同)にてその筆力を改めて実感し、厳しい日程ながら今作は実演で観ようと出かけた。過去上演「ともしび」の改作との事で、男三人が夜伽に過去の女性経験を話す、という流れで複数のエピソードが再現される。人生を生きる当事者の主観と客観の隔たり、人間世界を俯瞰して突き放しつつ心に留め置く距離感が絶妙なチェーホフ作品には、(演劇では感情移入が標準的態度であるので、その対照である)虚無主義、ニヒリズムが際立つ。俳優が熱情を体現する程に嘆息は深くなる。
今作では楽器演奏が付き、回想劇に相応しい古きを懐かしむような楽曲が劇を彩る。また狭い劇場ながら装置がうまく抽象(比喩)性と機能性を兼ねて独特な空間を作り、そこに一番感心したと言えば感心した。若干噛みが多く集中を削がれる箇所もあったが、面白く観た。嶽本女史の世界には才気の煌く瞬間と、拘泥(恐らくは製作の動機に繋がる)による見えづらさとが同居する事があり、どちらもこのアーティストの特徴と過去の観劇の印象とも合せて思う。
その一つかどうか・・劇を貫く世界観としてチェーホフ(あるいは作者)がラストに男らに言わせる「この世は無意味」的な趣旨の台詞は、そこに持って行くまでに演出上または戯曲上の「何か」が欲しい。仏教的な無常感は「客観」真理を言い当てているのに対しチェーホフは人間の心情とその発露を描いている。前者から一気に後者へ飛躍した感じを持った。やはり今も仏道の世界を旅しているのだろうか・・。
楽曲の演奏者の一人がどうやら嶽本女史であると最後に気づいた(そして終演後やおら挨拶に立つ..冒頭を見逃したので知らかったのは私だけかもだが)。後でプロフィールを見れば女史は音大出身。多才な人である。

頭痛肩こり樋口一葉

頭痛肩こり樋口一葉

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/08/05 (金) ~ 2022/08/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

数ある井上ひさし戯曲の中でも、随分前にある知人が「あの」と枕語を付けたニュアンスで本作を紹介していた事が頭に残り、気になっていた演目。そこへ「ちりとてちん」の貫地谷女史が出演とあって自分にしては早い時期に予約した(席は大分埋まっていたが)。
宇野誠一郎作曲と思しい楽曲が心地よく流れ、歌が折々に歌われる。古い感覚が普遍性に届いていて心に沁みる。
女性のみの舞台である事に途中ではたと気づいたが、女人芝居にしばしば見受ける息苦しさがなく広がりがある。家長であり仕事人である一葉の風情(社会に開いている)にも拠るだろうが、面々の個性の棲み分け、幽霊の存在も「広がり」に貢献している、
「女性」の物語である事への気づきと共に胸を締め付けられるのは、後半の事である。男性の井上ひさしが、意図を悟られず周到に(難しいことをやさしく)、テーマを狭めず外堀を埋めてついに獲物をしとめるように核心を突く。達人技には唸るばかりである。

休憩中にチラシを手に取り「答え合せ」をすると、増子倭文江に、若村麻由美の名。そして音楽監修に国広和毅の名が目に止まる。今回、宇野誠一郎の楽曲を(間違いないと思うのだが)新音源に誂え直している。中音域のストリングスが、あの「白い巨塔」(70年代の方)のオープニング曲の音色そのもの(シンセか本物か判別困難なアレ)で耳に心地よく、今回は「古さ」にある良さを再生する国広氏の仕事であった。芝居への貢献に徹する仕事振りには毎度舌を巻く。

ネタバレBOX

歴史人物を描いた本作だが「創作」部分も秀逸だ。
一葉の周辺に時折化けて出る女がいる(若村)。これが違和感なく一風景に収まるのはこの日が旧盆で、芝居の冒頭には子供たち(演じるは本作出演の女優たち)が提灯を下げて「今年の盆の、、」と一しきり歌う。
場面変われば大方が明治○○年七月十六日とある。終わってみればこの芝居は死者を迎える「お盆」にまつわるお話になっており、死者と生者が出会う風習を背景画にして生と死を(つまり生を)考える内容になっている。
それはともかく、一葉にしか姿が見えないその女は、怨みを抱えて死んだらしい事は分かるが何を恨んで死んだかは覚えていないという。よくある話の範疇。樋口家の居間に出入りする女たちとの場面にもいつしか混じり、幽霊女がかつて身を沈めた廓時代に親しんだ芸者遊びの歌の一節も口から出たりする。ところが場面変り、一葉はその歌の遊びを好んだ芸者が一年前、ある男の身受けが成就せず死んだ、それがあなただと告げる。男は周囲を説き伏せて大きな借金をし、廓へ急いだが急ぐあまり五百両を入れた包みを落としてしまう。取って返すと辻曲りで一人の婆が懐手をして震えていた、だが問い詰めても婆は頑なに知らぬと突っぱね、絶望した男は身投げ、女も後を追った(だったか、もしくは絶望した男が詫びを入れに女の元へ行き、その足で二人してドボン)。そして決定的な証拠として、その婆は程なく大きな店を出した。
ここでは、力なく浮遊していた女がやおら「風格」に満ち満ちて怪談めき、敵の元へと消えるという転換がある。喜劇のアイテムだった幽霊が、悲劇(のヒロイン)性を帯びるのである。芝居のジャンルが違えば喝采が起きる瞬間だろう。作者はこの女に「花蛍」という名(源氏名だが)を与えている。

だがこの怨み晴しの顛末は意外な方向へ転がる。即ち彼女が化けて出た婆は、床を頭でこすって当時は息子が不慮の事で借金を背負わされ、つい目がくらんだ・・と事分けをする。これに「言いそうな話だ」と突っ込むのが一葉の方で、女の方は婆に同情する。そして婆の息子をだましたやつの元へ、怨み晴しに向かう。ところがそこにもやむ方なき理由があり、別の元凶が現われる。こうして己の恨みの源を探し歩いているという疲れ気味の女を一葉は労う。
この幽霊女の「怨み晴らし」話はさらに続き、ある時一葉こそ元凶と息巻いて飛び込んでくる。以前一葉がある宴席で粗相をした小間使いをこっぴどく叱った事でその小間使いは別の者に当たり、その者は別の後輩に当たり・・巡り巡って自分は思い人と添い遂げられなかったのだ、と言う。一葉は「なぜ自分がそうしたか」を説明する(女は「またか」とうな垂れるが、これまでそうして来たように女は「事情」に耳を貸す)。実は一葉はその日、他の者が新調した着物を着ていた中で自分だけ古着を着て参席したが、女中は汁物をそれに零した。一葉はそれに怒ったのではなく、それを見て皮肉を言って笑った席を設けた会長さんだかに対して抗議していたのだ、という(こうした女の衣裳に絡めて貧乏や苦労話を挿入する所が作者の芸当の一つでもある)。幽霊女は会長の元へ飛ぶ。
だがその後再び現われた時、怨みの因果はやんごとなき身分にまで遡及し、ついに皇后陛下まで辿り着いた事を女は告げる。ある会合である貴族に口を利かないというつれない態度を見せたのが、皇后の「落ち度」なのであったが、皇后は世の中に山積する事々を考えて物憂くなり、ついそういう態度をとってしまった、という。
女は自分の恨みの源が社会全体に及んだと見極め、復讐を諦めた、と語るのである。

この結末自体は読める。だが、井上ひさしが幽霊女を通して「やさしく」伝えた「難しいこと」を考える。この社会の全ての事象は(相互関与の可能性を排他的に証明できる場合を除いて)繋がっているということ。敷衍すれば、あらゆる犯罪も貧困も社会問題も社会的影響下で生じるという意味で全ての成員に責任がある、と言える。責任と言えば刑事責任の事を言い、法的拘束力のない「道義的責任」「社会的責任」「政治的責任」は問う必要がなく考える必要もない、という狭隘な社会観(というより倫理観と言うべきだが機能しない言語はやがて墓場行きと予測される)が、「繋がり」の社会観に対置されるが、急速に廃れ顧慮されなくなりつつある社会観でもある。日本の衰退の原因は他人が作った既存の「法律」を絶対視する、という態度に示されている。現状を不変と仮定し、そこでベターなポジションを得ようとするマインドが浸透した。実際にその固定した構造の中で息も絶え絶えの日々を送る者は、やがては法の埒外に救いを求める以外ないと気付くだろう。そこに悲劇がある。撃たれた安倍晋三は国の最高責任者としてどういう社会ビジョンを示そうとしたか。政治的責任など一顧だにせず「刑事訴追」がない事だけを己の政治生命維持の根拠とし、数々の疑惑を逃れるばかりか恣意的な検事総長人事を誘導した(法的責任はあっても起訴さえされなければ良い、という倫理的後退もお構いなしな態度)。
全ては繋がっている、そこに自分もコミットしている、という社会観なくして社会を改善する意識など生じない。安倍氏は変革を促す政治家ではなく、諦めさせる政治家だった。殺害されて当然、とは思わないが、何かを思わずにはおれない。(井上ひさしの風貌を思い浮かべると、このくらいの事は言いそうだな、と思ってしまうが、氏の存在はこういう社会の変化自体許さなかったのではないか。。)
『Q』:A Night At The Kabuki【7月29日~31日公演中止】

『Q』:A Night At The Kabuki【7月29日~31日公演中止】

NODA・MAP

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2022/07/29 (金) ~ 2022/09/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「フェイクスピア」そして「パンドラの鐘」で腑に落ちたNODA舞台の人気の理由(出演者の人気を差し引いた魅力=戯曲のフォーマット)を踏まえ、前半の表層から深層=「終局どの歴史事実に我々を引き合わせるのか」が気になっている自分がいる。ストーリーのベースは「ロミジュリ」。これをオリジナルの登場人物2人(松、上川)が、物語世界に介入し、何とか悲劇を回避しようとする翻案で、物語の「内部」のロミジュリには志尊、広瀬が配されている。
物語の果て(冥界?)に存在する(年を重ねた)ロミジュリの二人は、かつて二人が陥った巡り合わせと早とちりによる不幸を回避しようと「物語」に入り込み、あわよくば自分も青春よもう一度と若い「自分役」に己が成り代わろうとする等お茶目さを発揮しながら、「運命」を相手に二人は共闘する、という話なのであるが、本作ではオリジナル物語そのものが翻案されており、変数が絡み合って複雑である。

舞台は平安末期、堅物の源氏(総領橋本さとし)と享楽主義の平家(総領竹中直人)が反目する。じゅりえは源氏側、母(頼朝の妻)と乳母と共に登場、一方ろーみおは平家の一粒種である。
ここからは難癖である。
ファンタジーの法則性を観客は当然探りつつ見る。だが本作ではある時点で混迷する。ロミジュリの物語が走り出し、ロミオが相手側(源氏)の親戚筋の若者を刺し殺し(形状は銃であるが刀と言わせている・・このあたりで現代の戦争への連想が仕組まれていると知れる)、ろーみおに追手が掛かるあたりから悲劇臭が漂うのだが、更に進んでじゅりえがろーみおと相見えるため僧侶の入れ知恵(一時的に死ぬ薬で味方を欺く妙案)の段で、物語に介入するはずの外じゅりえ(松たか子)はこのオリジナルストーリーを知らず、自分が「良い方法を思いついた!」と、手にした薬を使って原作と同じ事をやらかす。松じゅりえは先刻から二人の恋路を阻む人物の背後に現われてはバットで殴り倒す、という行動で笑いを起こしていたのだが、仮死状態にするこの薬こそ、「誤解」による悲劇の源であるのにそれを「知らない」事になっており、しかも同じ筋がなぞられて同じドラマの盛り上がりを作るという格好になっていた。「知らない」事も笑いに収めようと作者は目論んだのかも知れぬが、原作と同じ道を辿るために、作者は松がそのストーリーを「知らない」設定にしたと見える。「知らない」理由は説明(正当化)されぬまま、本じゅりえ(広瀬すず)は仮死状態となりろーみおはそれを見て絶望死する、というオリジナルと同じ顛末を辿るので、「やはり運命は変えられななかった」という嘆きがわざとらしく聞こえる。じゃあオリジナルの二人が辿った「運命」の話は何だったのかと無粋ながら問いたくなる。幽霊だから色々と忘れる(直後に観たこまつ座「樋口一葉」ではないが)という事であっても良いのだが、「運命に介入する」構造の脚本では、如何に目まぐるしく劇が展開しようと、少なくとも「運命は変えられない」をキー・ワードにペシミズムやニヒリズムといった大仰な劇的感慨にアクセスさせるべきでなく、せいぜい強固な劇構造に挑んだ無謀を反省(お猿さんを真似ても良い)といった結語で事足れりとすべきであり、現実社会に当て嵌めて「何もしない・できない」己を(無力さへの憐憫という形で)正当化する余地を与えるべきでない、と思うんである。

ネタバレBOX

本作が絡めている歴史事実は、シベリア抑留である。これについても後日、余力があれば。
世の中と演劇する The three plays

世の中と演劇する The three plays

オフィスプロジェクトM

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/07/28 (木) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像にて鑑賞。
注目の「明日のハナコ」プラス2短編、第Q藝術には観に行けなかったが幸い配信で観ることが出来た。
視聴2回目で漸く集中でき、劇場の中を覗けた感じ。すると30分程度の一人芝居(語り)2作品、「ハナコ」(1時間弱くらいか)も良い感じで立ち上がってきた。短編二つはも含蓄あり見応えがある。
に男二人が加わり

そよそよ族の叛乱

そよそよ族の叛乱

THEATRE E9 KYOTO(一般社団法人アーツシード京都)

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2022/08/13 (土) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

満足度★★★

開始早々探偵が出てきたので、ミステリーものと期待も…。言いたいことはなんとなく理解できたが、そういった人種がいても良いと思うのは僕だけ…😓
最前列で拝見したが、最前でも寝てた人が…。そこ必要と思うところがかなりある中で、時間も…

華麗なる家路【一部公演中止】

華麗なる家路【一部公演中止】

しむじゃっく

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2022/07/30 (土) ~ 2022/08/07 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/08/06 (土)

価格2,700円

太陽Teamの動画配信を視聴(110分)。

コリッチ記載のあらすじとはかなり異なるw…はさておき、久美と珠美を中心とした ”幻のカレー”を追い求めての旅は、最後には二人それぞれにとって大切なものを見つけ…といった、ロードムービーとカレーグルメの合わせ技テイストの110分。
話の運びはかなり突飛でチカラ技満載だが、カレーのスパイスが効いたのか、うるっと来るシーンもチラホラ。フウフウ言いながら辛いカレーを平らげた後の満足感にも似た、爽やかな後口の作品だった。

演技陣では、これまで何回も舞台を観て来た妃咲歩美さんの、(自分にとっては)新たな一面が大変印象に残った。

ネタバレBOX

【配役~太陽Team】
猿田久美(不動産会社勤務。暴走族リーダー時代の暗い過去あり)
…妃咲歩美さん
根岸珠美(創作に行き詰った作家。昔味わったカレーの味を追い求める)
…加納遥陽(かのう・はるひ)さん
猪俣香菜恵(久美が通う街中華の娘。料理の分析力に優れる)
…別府理彩(べっぷ・りさ)さん
河淵千里(暴走族時代の久美を知る元・警官、現・探偵)
…眞庭美和(まにわ・みわ)さん(「「誰も死なない」の”オガミ”役)
春泥(キッチンカーで全国を回る料理人)/久美の上司
…鈴木貴大(すずき・たかひろ)さん
椎名桂一(久美の彼氏。独占欲?が強い)
…三尾周平(みお・しゅうへい)さん
黒部丁子(千里の探偵所の部下)…キムライヅミさん
黒部椒子(丁子の妹。久美の暴走族でのサブリーダー)…榊原あみさん
久美の母/女王…北本あやさん
ジジ(女王の部下だが、実は…)…シマザキタツヒコさん(「ダブルダブルチョコレートパイ」の”明石カメキチ”、「森に棲む魚とハルニレのウタ」の”八重樫ユキオ”、他)
リチャードニ世

リチャードニ世

G.Garage///

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2022/08/11 (木) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

主演はもちろん、どの俳優も上手く、高水準のシェイクスピア上演。あの狭い舞台ですべてを表現してしまうとは驚き。

猫のみた夢

猫のみた夢

朗読劇集団おーるほわいと

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2022/08/13 (土) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

朗読劇3話オムニバス。みんな上手すぎっ!びっくり!
良かったけど…冷房ききすぎて途中から集中できなかった事だけが残念…

今は昔、栄養映画館

今は昔、栄養映画館

みやのりのかい

OFF OFFシアター(東京都)

2022/08/12 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

開演5分前のドタバタ。終始にやにやしっぱなし!台風来てたけど行って良かったー!

夜明けのディストーション

夜明けのディストーション

劇団とりもち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/08/13 (土) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

天候は台風と予報された旗揚げ初日。
劇場に入ると美しく響き渡る音楽、白くて柔らかそうな布が一面に、
そして薄っすらとしかモノを写さない不思議な鏡(?)これが幾つも
足を踏み入れた瞬間から現実が遠ざかっていく感じ

安易に「そして彼女は王子様と楽しく暮らしました」とはならないファンタジー
内容は如何様にも解釈できそう。
個人的には、一人の若い女性の思考を介して描かれた一人称の世界観だったのではないかと
沢山の愛に囲まれていても、遠い街からやって来た美青年に告白を受けようとも、それが幸せへと直結しない他者との距離間。
キーワードのひとつでもある「死」
愛する者とひとつ道を進めなかった傷心と再生の物語とも受け取られ…
若い人の感性が飛び交って、それがとても美しかったり、ある意味こじれている気もしたり、でも若さってそういうものか…なんてグルグル思いを巡らせながら帰路に着いたのでした。

今は昔、栄養映画館

今は昔、栄養映画館

みやのりのかい

OFF OFFシアター(東京都)

2022/08/12 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

70分ずっと開場5分前という不条理劇でなんとも不思議な感じ。そしてどんどん悪い状態になっていくのが見ていて面白く2人が可愛い。
とにかく良く喋るので70分でもかなりハードそうでした。

第74回「a・la・ALA・Live」

第74回「a・la・ALA・Live」

a・la・ALA・Live

内幸町ホール(東京都)

2022/08/09 (火) ~ 2022/08/09 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

感想遅くなりましたが、みんな楽しそうに演じられていてよかったです。急遽一人芝居になったとのことですが、成立してましたよ。楽しい時間を過ごせました。

蝶々結び

蝶々結び

LUCKUP

上野ストアハウス(東京都)

2022/08/03 (水) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

とても面白かったです。とても良くできたセットで、とても丁寧なお芝居。最後にはいろんなことが繋がって、良くできたお芝居だったと思います。役者の皆さんの演技もとてもよかったです。次回作も気になりますね

世の中と演劇する The three plays

世の中と演劇する The three plays

オフィスプロジェクトM

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/07/28 (木) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/07/29 (金) 18:30

1回目の緊急事態明け直後だった2年前、舞台芸術はこの先どうなるのだろうと誰もが不安に思い、まさに手探り状態だった時に、劇場が万全すぎる対策を講じた上、出演者が防護服を着て『野獣降臨』(ドナルカ・パッカーン)を上演した際の中止人物、丸尾聡が今回の作品でも大活躍。緊急時に頼りになるオジサン。本当は劇場で見たかったのだが、いろいろあって、配信で観劇。ネット中継だと、こちらに届く時には耳にやさしくない音質になってしまっていることが多いのですが、この配信はそんなことはありませんでした。

世界は笑う【8月7日~8月11日昼まで公演中止】

世界は笑う【8月7日~8月11日昼まで公演中止】

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2022/08/07 (日) ~ 2022/08/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

大爆笑があるから良い演劇とは限らないと
パンフレットかTwitterで見かけた。いつもKERAさんの舞台より笑いは抑えめのような気がした。
イモンドの勝負はふざけすぎていて破茶滅茶だったから芝居としては今回のほうがおもしろい。

物語が少し平坦のため飽きやすい人は寝るかも
しれないが私は好きな作品でした。

破戒【7月28日~7月31日公演中止、8月9日&10日追加公演】

破戒【7月28日~7月31日公演中止、8月9日&10日追加公演】

劇団民藝

劇団民藝稽古場(神奈川県)

2022/07/30 (土) ~ 2022/08/10 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

岡本健一@民藝as directorは二度目なのだそう。奇縁から「演出」の岡本健一が実現した模様で、その希少価値ゆえか、狭いアトリエ公演ゆえか公演前3週間位で完売。ところがコロナの副産物、日程変更に乗じて予約できた。
半世紀以上前民藝で初演された作品というが、本作はまず村山知義脚本という点に注目で、美術家の枠を超えた(否演劇という枠も超えた?)ジャンル横断な活動家で、多く残した執筆の足跡も「何でもやる」感の剛力さを印象づけられる。演劇界の巨人が一体どういう筆致の戯曲を書いたのか、素朴で大きな関心であった。
演出が戯曲に手を加えたのかどうかは不明。序盤でめまぐるしく注意する登場人物(関係)識別に関して演出が無頓着なのか、あるいは戯曲の持ち味を生かしたのか、忍耐の末徐々に状況が見えて来るという案配。演出面では、というべきか判らぬが、岡本自身によるギター一本で奏でる1曲が開演前、劇中と舞台の基調となっている(比較的一般的なエレキの音だがエフェクトで多重的世界)。
楽曲としてはぼろをまとって蠢く部落民のイメージに重ねたような非業の運命に寄り添う響き。4コード程度で構成し、それをリフレインする。コードの構成音を下からつま弾いて3つ目でコード弾きして長く響かせる鳴らし方。まず単純なマイナーコード(メロ的には基音から短三度の音を長く響かせる)、次に基音から長三度下のメジャーコード、それから短三度下のマイナーコード、そして二度上のこれがメジャーコード(セブンス付)、といった感じのコード進行だったが、この4つめのコード(頭に戻る前の)が耳に残る。折々にこのギター曲が流れるが、最終場面で初めて異なるコードが出て来る。暗く影を落としていた世界に、光がともる。マイナーコードが濁りを残しつつもメジャーの響きが徐々に支配する。
言わずと知れた「破戒」の主人公(丑松)はろくな教育も受けられない部落民の中で才覚を発揮し師範学校に上って寺院付属の学校で教鞭をとっているが、ついに出自がバレてしまう。四民平等となった明治の世にあっても「部落」だけは埒外であった状況が人物の台詞を通してありありと描かれるのであるが、丑松が最後の授業で「嘘をついていた」事を涙ながらに詫び、自分が部落出身であった事、そしてそれが知られた以上教師を続けて行く事はできない、しかし皆には「立派な大人」になってほしいと告げる、これがドラマのクライマックスとなる。丑松に思いを寄せ、また丑松も同様であった(が自らの身分から言い出せず苦悶していた)志保という寺で働く女が、その苦労の生い立ちからと観客には想像されるが「その事がそんなに重要な事なのか」と意に介さず、むしろ思いを伝える(自らへの)責務の方が大切とばかりの必死の風情で、嘘を詫びようとする丑松と向かい合った瞬間、全てが氷解するという(芝居の中の目線では想像もしなかった)展開に全てが明るくなる。そこに先の楽曲の変化が重なる。物語はそこで終わりである。だが終始蠢く正体不明の者らが舞台上に上り、二人を奥へと押しやると、再び音楽は暗い調子へと戻り、恐らくは「現代」へと続く時間を暗示する。
不思議な感触の舞台だったが、嘘が許されない演技を見た感、演出の出し切った感を感じつつ劇場を後にした。

遡行の記憶にて

遡行の記憶にて

カスタムプロジェクト

コール田無 多目的ホール(東京都)

2022/08/12 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 この劇団の公演形式で面白いのが、観客参加型の推理劇であることだ。入場時に観客は事件の起こった街の地図と登場人物総ての役名、写真、プロフィールの載った当パンと封筒に入った捜査資料及び観劇をして答えるべき問いと、解答欄が入った用紙(筆記具つき)を渡される。当パンは自由に見て良いが捜査資料は開封指示が出るまで開けてはならない。つまり観客参加型なのだが、何と言っても観客が自分の頭を使って出された問いに自ら答えを見付けなければならない点で観客の主体的関与が必要になる。この点が実に楽しいのだ! 解答が正解であれば尚嬉しいには違いなかろうが、自分の頭を使って物事を処理することほど面白いことは、ざらには無い。

ネタバレBOX


 さて、板上は殆どフラットなのだがホリゾントやや上手にはかなり大きなスクリーンがあり、適宜役者陣の演技と組み合わせて効果的に用いられる。スクリーンの手前やや下手寄りに平台を2枚重ねた段があり、間を空けた観客席寄りに2×6尺サイズのテーブルにグリーンのクロスを掛け中央に白いクロスを置き、椅子1脚を置いた舞台美術。上手・下手にスピーカーが置かれている。出捌けは上・下手袖。
 上演形態は1部で事件と捜査過程のあらましを演じ、2部で封筒を開ける指示に従って捜査資料を見ながら3つの問いに答える時間が30分与えられる。3部は正解に至り着く為の解を描く芝居の上演である。この構成も面白いではないか! 推理物なので事件の詳細については書かないが、極めて面白いお勧め作品である。

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