ヒロの観てきた!クチコミ一覧

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かもめ ~断章~(コーラス・ガールも上演決定!)

かもめ ~断章~(コーラス・ガールも上演決定!)

劇団ING進行形

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2010/09/30 (木) ~ 2010/09/30 (木)公演終了

満足度★★★★★

心の造形美
いつもの言葉のぶつけ合いで展開していく形式とは違い、まさかここまでコンテンポラリーダンスを意識した作品を作ってくるとは思いもしなかった。

物語の展開にうまくストリートダンスやロボットダンスを取り入れるのはお手の物な団体だ。
が今回は語り手を二人に絞り、物語を単純化する一方で、人物の心理や葛藤を表現する踊り手を使い、観る人を飽きさせない独特の動きを取り入れた。

かもめは大変長い話で、今回は最後の四幕に絞る大胆な構成。

恋愛物や、青春ものに見えてしまう感じは仕方ないが、ニーナとトレープレフのすれ違いをはっきりと目にすることができたので、そこはさすがである。

心を映し出した肉体たちが、最後にトレープレフの体とともに吹き飛ぶところは、なんとも言えず寂しく、せつない。


コーラスガールは、前回も観たが少し上から見下ろすとまた違った雰囲気であった。

ストリップショーのようなつなぎは、ビックリしたが笑えた。

一日で、まったく違ったチェーホフに出会ういい時間であった。

劇場HOPEこけら落とし『かもめ』

劇場HOPEこけら落とし『かもめ』

ノアノオモチャバコ

劇場HOPE(東京都)

2009/10/15 (木) ~ 2009/10/20 (火)公演終了

満足度★★

演出と作品のズレ
はじめはトレープレフの舞台づくりをしているところをマイムで表現していて、おお!と思わせた。
そして、銘打っていたダンサーをどー使うのかこれもも楽しみの一つだ。




ネタバレBOX

ダンサーを使うのなら、役者達の動きはもう少し抑えてもよかったのではないだろうか。

意図はわかるのだが、チェスの駒のように左右から出てくるのは、なんか多すぎて途中からまたかぁってなってしまった。

ダンスは非常に楽しめたのだが、芝居と独立しすぎている。
だから役者の動きを減らして、彼女たちに意味のある動きをさせたら、もっと洗練され、芝居に締まりが出る気がした。

トレープレフの身に起きることを、暗示するかのように他の役者達が群れになって抽象的なものを表現するのは安易すぎる。
みんなと会話しながらトレープレフの心が動き、どんどん孤独になっていくところがかもめの醍醐味だと思うのだが、なんか周りに群がってくるとノイズのようになって、気がちってしまい彼の心がわかりにくくなる。

音響ではビョークなどつかっていたが、少し耳に付きすぎた。


いろいろ多すぎて、物語と人物に目が行きにくくなってしまっていたのではないだろうか。

役者たたちの演技のベクトルがどこに向かっているかがよくわからなかった。世界観をしっかりさせるには大切なことだと思うのだが。


この群れのような演出を得意とする演出家だろうからそれは続けるべきで、マッチする戯曲も必ずあるはずだ。
今回は作品と演出が合わなかったように思ってしまっただけだろう。

ちなみにかもめは喜劇である。
最後同情してしまったら…

私たち死んだものが目覚めたら

私たち死んだものが目覚めたら

shelf

アトリエ春風舎(東京都)

2009/10/09 (金) ~ 2009/10/18 (日)公演終了

満足度★★★★

静の中の熱
噂には聞いていた団体。今回初見でした。

すごく楽しかったと言えば嘘になる。
しかし、自分たちの演劇観、演劇の在り方というようなことを模索し続けてるように思えたのでとても共感を持った。

演劇の可能性はまだまだ広げられるのだろうか、これからもまだまだ見てみたい。

物語はイプセンの最後の作品であんまり上演されたことがないらしい。
一応原作は読んでいたのだが…

ネタバレBOX

まさかト書きまで全部やってくるとは思ってもみなかった。
動きは抑え、言葉で立体感をだすようなスタイル。
劇空間では日常的な動きを排除すると言っていた、鈴木忠志氏の芝居に近いものを感じた。

ゆっくり動いたり、客席を向いたまま目も合わせず会話をする。

まるで肉体が戯曲から逃げたいのだろうかと思わせられた。
なにせ、いちいち舞台背景や、人物の動きをト書きで説明してくれるのだが、一切その背景も、動きも実現されていないのだから。

このギャップが今回一番面白いところだった。

視覚よりも聴覚を意識した芝居とでも言うべきなのだろうか。
語りはとても劇的で、抑揚がありテンポも心地よい。感情も爆発する。
しかし体は座ったまま、ほとんど動かない。

舞台は戯曲をそのままのせるものではないと腹をくくりつつ、、しかし戯曲の言葉は劇を成り立たせる上で一番大切なものであると投げかけられた感じがした。

人形の家

人形の家

劇団ING進行形

pit北/区域(東京都)

2009/10/09 (金) ~ 2009/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★

奇跡の先
イプセンは時々妙なキーワードを投げかける。
今回『人形の家』では、奇跡。

ほとばしる人間パワーで、人形の家に挑んだ!

あとはネタバレにて。

ネタバレBOX

奇跡なんてのを信じているうちが幸せで、奇跡なんて未来は一瞬で絶望になり得る、とINGは突き出しているように感じられた。

未来より、今をしっかり生きるようとふと劇場を後にして思った。

まだまだ荒削りだが、さらに良くなる気配を感じている。

はじめとラストのコントラストでがうまく出て、INGらしい人形の家であった。
現代能楽集 イプセン

現代能楽集 イプセン

燐光群

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2009/07/25 (土) ~ 2009/08/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

ドキドキする構成
人形の家、ブラン、野鴨、ヘッダガブラー。

かなりうまい流れだったと思います。この中にブランが入ってるところが疑問に思わなくもないが…。

それぞれ手法が違ってとても楽しかった。

人形の家は見事に現代版になっていた。

ブランはコメディーを交えつつ、コロスたちは様式的だったりした。
声は聞き取りにくかったが、感情としては一番の飛躍が見られた。

野鴨はあまり全部を語らず、スリリングだった。群衆はコンテンポラリーを思わせる動きでドキドキを煽る。

ヘッダガブラーはストレートにと描いていた。赤い照明が印象深い。


暗転中の音楽がとてもよかった。観たい気持ちを高め、飽きさせない。


人間生きていかねばならないということをうまく、構成で見事に伝えてくれた。


マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人

マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人

DULL-COLORED POP

新宿シアターモリエール(東京都)

2009/08/14 (金) ~ 2009/08/17 (月)公演終了

満足度★★★★

物語としての面白さ
今回DULL-COLORED POP初観劇でした。
あらすじを見て、演出と脚本が気になり足を運んだ。

小劇場で古典的な作風に出会うことが少ない。
16世紀の作家達を思い浮かばせるようなセリフはとても巧みに作られていて関心した。

舞台はシンプルな素舞台で、作品に集中させてくれた。


うまく言葉が操れてない役者もちらほら…。
普段しゃべらない綺麗なリズムで紡がれた言葉は、感情だけではしゃべれない。この場合は作家の勝ちになるのかな。

世界観は統一されていたので違和感なく見ることができた。

とても完成度が高く、楽しめたんだが、何か物足りない。
額縁舞台の中で、観客に芝居をやってますって感じで終わってしまった気がする。
なんかよくわからないが、人間のパワーみたいなものが舞台上から客席まで迫ってこない。
臨場感がない。


マリーの存在が希薄に感じられ、あまりファムファタールに見えない。
周りの人物の恐怖からマリーの魅力や怖さを際立てようとしていたのだが、なんかうまくいっていないきがする。

マリーの人物像を深く描かないのであれば、もう少し全体のリズムを崩して気持の悪い演出や構成にしてもよかったのかなと。

綺麗で端整すぎるがゆえにマリーに対する周りの人物の恐怖が一辺倒になってしまったのでは。

いろいろ書いたが、演出さんの読物としての戯曲をそのまま舞台にしたという意図があったなら、これは成功である。

いろいろ書いたが
作品的にもとても好感がもてる作家さんです。違った作風でも、また古典的なものでも、いろいろ見てみたいと思わせてくれました。

ネタバレBOX

マリーが本性を見せる演技の切り替えが気になった。
せっかくうまく表面的に演じていたのに、本性が軽く見えてしまった。

少女のいたずらだったのだろう。


最後の、歩いているの見ているとこのセリフはとても綺麗で、それでいて尖っていてよかった。
溺れる家族

溺れる家族

アロッタファジャイナ

タイニイアリス(東京都)

2009/07/23 (木) ~ 2009/07/27 (月)公演終了

満足度★★

惹きつける工夫がない
アロッタファジャイナさんは初見でした。良い評判を耳にしていたので、劇場に当日足を運んでみた。

舞台に入ると客席は対面式になっていて、簡易だがオシャレな舞台が作られていた。
何が起こるのか、たくさん想像しわくわくしてしまった。が開幕から、終幕までもう一度想像力をかきたてられることはなかった。

場面転換が多いと私も思うが、それは転換の仕方の工夫で何とかなるはずだろう。
転換が気になってしまうのは、やはり登場人物の多さに問題がある。
何か問題を抱えた家族や兄弟を紹介してるだけにしか思えない。さらには物語全体での人物の役割も、シーンの意味も薄く、意味ないじゃんと思わせるところもある。
これらは多くの問題を見せたいという、脚本を成り立たせるためのご都合主義を浮き彫りにする。

そしてそのことを毎度場面転換ごとに思ってしまう。

全く熱が感じられない。

TVニュースのように無機質なものをやろうとしているなら話は別(それならそそれなりの表現があるはず、しかしどうも今回は違うと思う。)
ニュースじゃ伝わらない深い部分や闇を表現するために舞台にしているんじゃないのか。

ニュースより人物の境遇を詳しく説明してくれているのに、生々しくない。むしろ見えないところの多いニュースのほうが怖い。
それはこの舞台が、まったく想像力を必要としないところにあると私は思う。

見たり聞いたりした社会問題を、そのまま全部紹介されても、演劇としては全くこちらに伝わってこない。

もっと想像して、イメージを飛躍させ、大げさでもいいから自分の考えや意見を観客に伝えようとするくらいの姿勢がなと、演劇ならではの熱は発生しないと私は考える。
なんか思い切りのよくない、保守的な芝居に感じてしまった。

やはり的をもっと絞るべきだった。

誰も溺れもがいているようには思えないし、いろんな家族が作用しない、物語の構成上関係が並行である。やはり想像力をかきたてない。


演劇なら観客の目線を離させない工夫をしないと、観てる人は一人ぼっちになってしまう。
そーなると目の前の人間は無力と化す。

舞台装置は無限の可能性を秘めていてよかったと思う。

夢の痕 ~三途の川の桃から生まれし者どもよ~

夢の痕 ~三途の川の桃から生まれし者どもよ~

劇団ING進行形

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2009/06/05 (金) ~ 2009/06/07 (日)公演終了

満足度★★★★

パワー爆発
前回とは全く違った、ロードムービーのような構成。

相変わらず舞台には出入りの幕が張られるだけで、役者が立つのみ。

リズム感のある会話と縦横無尽な動きにより、シーンはどんどん変わり展開していく。
役者達の生命をじかに感じ取ることのできる、パワーみなぎる芝居。

あとはネタばれにて。

ネタバレBOX

ついていけなくなるのを必死で追いかける人もいるだろう、でもそれがあの何とも言い難い緊張感を生み出すのかもしれない。

言葉遊び、変身、アクロバット、見得、かつて演劇がふんだんに使ってきた方法をどんどんと前に押し出してくる。

最近では新しいことを考える団体が多いのか、小さい劇場ではをあまり見かけなくなったように感じる。

かつての演劇の財産をつかうことで、演劇の肉感を感じさせる演出。
古い、新しいの問題はここにはなく、演劇が人間によるものであるということをしらしめるため選択しているのだろう。

今回の芝居は、変身がとてもユニークに使われていて、笑いを生みだしていた。

とてもハードなことをやっているため、少し雑になりがちなところがある、それが少し残念。


戯曲は桃太郎と鬼を軸に、家族、争いの連鎖、国の英雄とはを、投げかけてくるちょっぴりヘビーなものだが、あまりそれを感じさせないポップな構成がよかった。

役者が体を振り回すダンスには、鬼気迫るものがある。



王女メディア ~私は世界を拒絶する~

王女メディア ~私は世界を拒絶する~

劇団ING進行形

pit北/区域(東京都)

2009/02/27 (金) ~ 2009/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★

古典劇からの思わぬ派生
この団体の古典劇を見るのは初めて。
少し軽い感じで始まったと思ったが、そこに様式美を持ち込み、そこから立ち上る独特の感情が激全体を包んでいた。
苦手な人は苦手なのかな。
今回の脚本よくよく考えると面白い構造になっていて、様式的な外面だけでなくじつは、すごく精神的、人間心理の深い所に潜ろうとしているのでは。

まだ固い所なども多々あるが、独特の緊張感がある。

ネタバレBOX

引退した大女優の身に、王女メディアと同じ境遇にあってしまう。
マスコミ、報道のメディア関係者がコロスの役割になっている。
第三者の彼らまで、女優の手によって、どんどんギリシャ悲劇メディアの世界に引きずり込まれ、悲しい最後を遂げる。


過去に演じた王女メディアに浸っている、女優を馬鹿にしていた夫は。
女優により、メディアの世界へ引きずり込まれる。夫は女優にあわせて、イアソンのセリフを口にしていたのだが、最後にはイアソンと同化してしまい、演じていることなど忘れてしまっている。
逆に女優は、その俳優の名前を口にし、物語の世界を客観的にみている。
女優はメディアの世界から飛び出した。
劇中劇をやってる人物が反転。虚構が現実になってしまったのだ。

最後に人物たちが、争いながら塔のようなものを作り、女優がその頂点に立って劇は終わる。

人間の繰り返される争いなどの醜い歴史。その頂点に立つメディアは神なのか。

彼女の罪は許されたのか、神に罪はないのか。男と女の心理。現実と虚構。
いろんなものがつまっているが、うまくギリシャ悲劇メディアから派生させていると思う。




ぼくのおうさま

ぼくのおうさま

アイサツ

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2008/10/24 (金) ~ 2008/10/27 (月)公演終了

満足度

たまたま見たのだが…
知人の知人が出演しているようで、誘われて見に行った。
この団体はリアルなコミュニケーションを目指しているとのこと。
セリフは日常に交わされる言葉のように書かれていて、確かにこんなしゃべりの人いるなと思わせるところもあり、その点はうまいと思いました。
考えながらしゃべったり、同じことを口にしたり、どもったり。

しかしこれらを舞台上にのせた時、リアルな表現になるとは限らない。
若い子のだらしない体をそのままのせて、普段そこらえへんにいそうな学生の言葉をしゃべらせても、見ている側には何も伝わらないし、話の筋を追う気にもならない。これは表現に至っていないのではないか。
その為脚本は一気に力を失っていた。

リアルなコミュニケーションというものを求めるのはかまわない(むしろどんどん模索するべき)だがその表現を使うことの利点とリスクをもう少し考えるべきではないか。

皇帝ガリレオ

皇帝ガリレオ

劇団ING進行形

池袋小劇場(東京都)

2008/09/26 (金) ~ 2008/09/28 (日)公演終了

満足度★★★

なるほど、初観劇。
土曜の夜の回を観劇。
CM大会で見せたときのようなダンスを、巧みに劇世界に持ち込んでいました。
少し硬いセリフで紡ぐ世界の中に、体をはった激しい動きを入れることによってエンターテイメント性も忘れてない感じが個人的に好きでした。
役者は激しく動きながらなので、セリフ大変そうだなと少し心配してしまうこともありました。劇団夢の遊眠社みたいな感じなのかなぁ。言葉遊びもたくさんあったな。
ガリレオや、彼に関係する実在の人物に新たな役割を与え、歴史劇ではなく、ガリレオ物語を作ったなと脚本はなかなかの出来栄え。
セリフは現在のしゃべり言葉ではなく、翻訳のような少し硬いセリフなので、役者が会話しにくそうだし、実際ミスも見られた。

しかし実際にクライマックスになるにつれ、なんかわからんパワー押し寄せてくる芝居であった。

現在のリアル?寄りの小劇場とはちょっと違う形として見ればなかなか面白い団体。

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