魔人ブウ*の観てきた!クチコミ一覧

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NODA・MAP

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2011/02/10 (木) ~ 2011/03/31 (木)公演終了

満足度

蒼井優さんの声量のなさが致命的
雪で同行予定者が急遽キャンセル。ということで、ちょっと早めに現地に行って、当日券狙いで並んでいる人の、最後尾の人に声をかけて、一枚定価で買ってもらった。大助かり。帰りに夜ご飯でもご馳走しようかと思ったけれど、シャイなので(笑)自粛。

さて、芝居。

ここ数作、分かりやすいというか、観客に対してとても親切な脚本が多かった印象のある野田秀樹さんだけれど、本作は久しぶりに「なにこれ」という感じの舞台になった。ただ、それは実は意図していないような気がする。なぜ「なにこれ」という舞台になってしまったのかと言えば、それは脚本のせいではなく、役者のせい、もっと言ってしまえば蒼井優さんのせいなのだ。

僕は蒼井優さんは結構好き、というか、かなり好きな俳優さんで、彼女が出ている映画は良く観ているし(中には『雷桜』みたいなすごい駄作もあるけれど)、彼女の演技力も高く評価している人間だ。だから、実は本作も宮沢りえさんや松たか子さんや大竹しのぶさんばかりの最近の野田作品に新しい才能が注入されるかな、しかも、蒼井優さんか、ということで、3公演分も予約してしまったのだ(笑)。でも、今日の舞台の、冒頭の部分だけで、「あ、これは駄目だ」となってしまった。何しろ、声が客席に全く届かないのだ。他の役者は芸達者な役者さんを揃えているからそんなことは全然ない。声だけなら、蒼井優さんの鏡像のような女性の役者さんの方がずっと存在感があるのだ。

ということで、主役である蒼井優さんの声が、L列までも届かないのだから、かなり大きな箱である芸術劇場中ホールでは、半分以上のお客さんには芝居が届かなかったと思う。僕のところもギリギリだった。いや、正直に言えば、届いていなかった。今の実力では、中ホールで野田作品の主役を張るだけのスキルは持っていない、というのが普通の評価だと思う。

内容は、いつもの野田作品らしく、日本人のアイデンティティを問うようなものになっていた。そこに白頭山などが出てきて、天皇、戦争なども絡め、色々と日本人としての「自分」を見つめ直すことを要求していたんだと思う。が、残念ながら、野田秀樹さんが意図していたような成果は出ていないと思う。それは舞台にいる野田さん自身が感じているんじゃないだろうか。前半の導入部における「天皇を利用した詐欺」の部分も、なかなか面白さが伝わってこない。面白くなりそうなのに、芝居がぶった切られてしまうのである。蒼井優さんの声が届かないから。

ただ、野田さんはこれまでも、ちょっと能力の足りない役者さんたちを上手に使い、そして上手に成長させてきた。この舞台を通じて、蒼井優さんも大きく成長できるかも知れない。問題は声量なので、短期間で一気に挽回する、というのは難しいかも知れないのだが、そういう一発逆転を待つべきだろう。野田秀樹さんの芝居は本人曰く「3回目が一番出来が良い」とのことだが、今日の3回目は全く不出来。そして、どうせ観に行くなら、公演も最後の方、3月後半に行くことをお薦めする。僕は2月中旬のチケットはすぐに友達に売ってしまった。3月末、最終版で舞台がどう変わっているかを楽しみにしたい。あるいは、5列目ぐらいまでなら楽しめるかも。

今日の段階での舞台の評価は☆半分。ただし、役者ごとの評価だとこんな感じ。

妻夫木聡 ○
蒼井優 ×
渡辺いっけい ◎
高田聖子 ○
黒木華 ○
銀粉蝶 ◎
藤木孝 ◎
野田秀樹 ○

とにかく、蒼井優さんで全部だめになってしまった。でも、演技はちゃんとしているんですよ。地味な顔立ちなのに、大竹しのぶさんみたいな可愛らしさがあって。とにかく、声。声なんです。いきなり中ホールって、無理だったんじゃないかなぁ。小ホールなら全然問題ないと思う。でも、今、小ホールで毬谷友子さんがやってるんだよね。逆だろ、と。明日観てこようかな・・・。

「ハックルベリーにさよならを」「水平線の歩き方」

「ハックルベリーにさよならを」「水平線の歩き方」

演劇集団キャラメルボックス

シアターアプル(東京都)

2008/06/08 (日) ~ 2008/06/29 (日)公演終了

満足度★★

ブログライター枠で無料で観劇
ネタバレなので、ネタバレBOXに書きます。

ネタバレBOX

水平線の歩き方
ブログライター枠で無料で見たので、20列目、10番という、シアターアプルではほぼ最後尾という、あまり良いとはいえない条件での観劇。

物語は、一人で生きてきたつもりだった青年が、一人で生きていなかったことに気がつくという話で、テーマ自体はそれほど新しいものではない。ポイントはそれをどうやって見せるか、なのだが、この芝居はマザコン青年のドラマとして仕上げているところがちょっとした工夫。そのことはさておき、特に物語の前半、あまりにも説明的なのが気になる。また、母親と主人公の置かれている状況に関するねたばれが早すぎるのはどうかと思う。これはこの劇団の良いところでもあり、悪いところでもあるのだが、観客に対して親切すぎる。謎解きは大体クライマックスと相場が決まっているもの。ラストは、アサミにあたっているスポットが徐々に暗くなると同時に、安部、豊川といった主要登場人物の声がかかり、スポットがあたり、そして照明を一気に明るくして終わり、とか、そういった、照明を使った工夫があったらどうだったのかと思う。この劇団の芝居ではいつも思うのだけれど、照明、下手ではないのだけれど、もっともっと効果的に使えると思う。これは技術的な問題ではなく、演出の問題なのだが。演出サイドに「照明をとことん効果的に使ってやろう」という貪欲さがないのかもしれない。

膝に故障を抱えたラガーマンの話なのだが、杖のつき方などは上手に表現していたと思う。実際に一年以上びっこで、松葉杖との付き合いが長い僕が見ても違和感はなかった。ときどき左脚が悪いのに松葉杖を左側につくというとんでもない演出にぶち当たったりするのだけれど、この芝居はそんなことはなかった。一方、故障の大きさと競技への影響に関する考察についてはイマイチと言えるかもしれない。再起不能の大怪我が初めての靭帯断裂、という設定はかなり違和感がある。靭帯断裂というのは僕もやっているが、決して選手生命が途絶えるような怪我ではない。スキーで見ても、一流どころの選手はほとんど靭帯断裂を経験している。また、サッカーでも珍しくない。ラグビーはサッカーやスキーに比べたら接触の機会は確かに多いが、選手生命が終了というのは大げさだ。

役者では、岡田♂が結構良かったと思う。今までの彼の演技の中では一番印象が良い。もともとひいきの前田さんは今まで通りの存在感なのだが、怪演というほどのはちきれ方がなく、やや型にはまってしまっている印象。今回の役柄なら、もうちょっと外れる演出があったらどうだったのか。

芝居初心者には結構お勧めできるが、芝居を見慣れている人にとってはやや物足りなさがあると思う。しかし、これは劇団のキャラクターでもある。結果的に飽きが早い、ということにつながるのだが(笑)。

前から7、8列目程度なら4000円払う価値があるが、それより後ろだと、ちょっと厳しい。

と、ここまでは普通のレビュー。しかし、この芝居の評価はここで終わりません。かなり厳しい評価が続きますので、読みたくない人はさようなら。ねたばれを含みますので、ねたばれが嫌な人もサヨウナラ。

この芝居、個人的に許せない点がある。それは主人公に飲酒運転をさせたこと。結果として主人公は事故を起こし、そして死線をさまようことになる。つまり罰を受けたわけだが、ではその事故が必然だったのかといえばそんなことはない。他にもこのラストにつなげる方法はあったはず。ラグビーができなくなって、やけを起こして、飲酒運転をして、自爆事故を起こして重体、って、なんじゃそりゃ、って感じ。そして、さらに筋悪なことに、飲酒運転をして事故を起こした主人公を許すという主旨の発言までもが含まれる。制作者サイドとしては決して飲酒運転を肯定するというスタンスではないと思うけれど、そういう形で誤解される可能性は否定できず、それなら最初からこんな本は書くべきではない。

僕は自分のブログで散々書いているけれど、飲酒運転というのは情状酌量のない罪だと思っている。それは事故につながろうが、つながらなかろうが、である。それが招くかもしれない悲劇と、飲酒運転の必然性をはかりにかければ、飲んでから乗るだけで重罪だと思っている。今回の芝居のラストの展開は、そうした僕の価値観から言って完全にアウツ。そして、そのことに劇団の誰もが疑問を持たなかったことに驚きを禁じえない。必要がないのに自殺について詳細に報道してかえって自殺の増加を招くことがあるのと同様、飲酒したあとに自動車を運転することがストーリー上重要な役割を果たすわけではないのに、酒を飲んで車を運転するという可能性を提示したというのはいかがなものか。そういえば、今日の前説では芝居の録音を禁止する一方で、「当劇団の上川はラジカセで録音したことがあります」と述べていた。これを聞いた客は「あぁ、やっても良いんだ」と思うかも知れず、「上川がやったことがある」というのは完全に余計な情報である。この劇団の関係者は犯罪を誘発することに対する感受性が低いのかもしれない。

ということで、この芝居の評価は☆ゼロ。たとえそれに至るまでがどんなにすばらしくても、そして役者の演技が良かったとしても、観る価値はないと思う。

今からでも遅くないから、主人公をあくまでも肯定する(部分的であったとしても)のであれば、ラストに至る経緯は書き換えるべきだと思う。酔っ払ってホームから落ちたでも、酔っ払って車道を歩いていて轢かれたでも、真冬の雪の中で酔っ払って凍死しかけているでも、他にやりようはいくらでもあるのだ。




ハックルベリーにさよならを
「水平線の歩き方」同様、ブログライター枠でただで観劇。観たのは20列、17番で、かなり後ろの方だけれど、中央というポジション。

一人になりたがっている子供がちょびっと成長するという話。この芝居、ストーリー上の難点として、「水平線の歩き方」同様、ねたばれが早すぎるというのがある。最初から大内と實川さんの関係がギクシャクしていて、その謎がはっきりしないところがこの芝居の肝である。ところが、そのねたばれが早い。その謎解きをラストに持ってきたらもっとずっと良かったと思う。

演出上の細かいところを言うと、何がボートになるのか、というところで工夫があるのだが、そもそもその小道具自体いらない気もする。そうした小道具を使わないと、結果として観客の想像力に依存することになるわけだが、そういう部分でこの劇団は観る側の能力を信頼していないところがある。ストーリー面でもそうだけれど、もうちょっと観る側に自由度を持たせたらどうなんだろうな、と思う。

實川さんの「男の子」の演技はいつも上手。できれば野獣降臨のブリアンの役などをやらせてみたい。少年役の名俳優は結構多いのだけれど、今の彼女は結構色々できそうな、おいしい時期にいると思う。ぜひ一度、野田秀樹演出の舞台に立ってもらいたい。また、坂口さんはいつもどおり安定した演技だけれど、いつも似たようなキャラ。もうちょっと新しいキャラを与えられないものか。大内さんは今回は存在感が今ひとつだった。彼は最近キャラメル以外で2回観ているのだが、客演のほうが生き生きしていた印象がある。井上さんの怪演っぷりが昔の伊東由美子さんみたいで面白かった。今後の活躍が楽しみ。

時間的には水平線よりもずいぶん時間が早く感じた。役者の面で言えば、この面子はかなり良い面子なので、ハーフではもったいない気もする。

本当に細かいところでひとつ気になったのは、逃げる→捕まえる、となるべき演技が、逃げると捕まえるが同時になってしまっていて、やや不自然だったこと。

ところで、今から10年前って、携帯電話はそんなにポピュラーなグッズだったかなぁ。まだポケベルとか、PHSとか、そういう時代だった気もする。

こちらも芝居初心者には結構お勧めできる。「水平線の歩き方」よりは若干工夫がある。前から10列目ぐらいなら4000円払う価値があると思う。

ところで、キャラメルボックスがこの手のハーフタイムシアターが赤字だと表明している。もちろんその内容は嘘ではないと思うのだけれど、見る側からすれば、この1時間の芝居に対して4000円というのはやはり割高感が伴う。普段の半分の分量なのに4000円かぁ、というのが正直なところ。劇場は2時間一本でも1時間二本でも基本的に賃料は一緒のはず(多少の変動はあるかもしれないけれど)。役者の日当も、8人を二本立てでも、16人で一本でも、基本的に変わらないはず。となると、パンフレットをつくったり、舞台装置にお金をかけたり、というところが二倍になるのが痛いのだろう。たしかに2時間一本よりは1時間二本の方が絶対にお金がかかる。しかし、その点で言えば2時間一本なら6500円のところ、1時間2本なら合計8000円なわけで、そのあたりの差額は吸収できていても良いのに、と思うのである。このあたりを考えると、ハーフタイムシアターに関しては通常公演よりも動員が難しいということなのかも知れない。しかし、ちょっとこの芝居に4000円より高額を払うのは難しいよなぁ、というのが正直なところ。僕はこの劇団のハーフタイムシアターが結構好きなんだけれど、赤字じゃぁなぁ。なかなか「もっとやってくれ」とも言えない。

それからもう一つ思うのは、もうちょっと座席ごとの金額設定を細かく分けたらどうなのか、ということ。最前列と20列目が同じ値段と言うのはいかにも解せない。最前列なら15000円、5列目なら10000円、10列目なら5000円、15列目以降なら2000円といった具合に、場所によって細かく価格設定をしたらどうなんだろう。キャラメルボックスの芝居は座席の位置によってかなり受ける印象が異なる。制作サイドはそういう指摘に対して大抵の場合、「後ろから観ると、芝居の全体像が観えて、それはそれで面白いんですよ」ということを言うのだが、それは方便。役者の能力にもよるが、やはり芝居は前で観るに越したことはない。汗が見える、涙が見える、つばが見える位置で見る迫力は、20列で見るそれとは全く異なる。そして、後ろに行けば後ろに行くほど、それは演劇から映画の領域に近くなる。今日は20列目でタダで観たわけだが、僕はこの場所での観劇には2000円でも払うことはない。「じゃぁ、ファンクラブに入るなり、頑張って発売初日にチケットを取れば良いじゃないか」という指摘がありそう。ごもっとも。しかし、それではファン層の拡大にはつながらない。コアなファンの、コアなファンによる、コアなファンのためのキャラメルボックスになるだろう。実際、劇団を取り巻く雰囲気はそういうものになってきている気がする。そして、そのせいもあって、僕なども観にいく機会がだんだん減ってきているのである。既存のファンも大事だが、新しいファンを獲得することも考えてみたらどうなんだろう。それがなかなか難しいことだということは百も承知なのだけれど。
きみがいた時間 ぼくのいく時間

きみがいた時間 ぼくのいく時間

演劇集団キャラメルボックス

サンシャイン劇場(東京都)

2008/02/28 (木) ~ 2008/04/07 (月)公演終了

満足度

テレビで観ました
いつもブロガー招待枠によってただで観ているのだけれど、上川隆也さんが出演するということでチケットが取りづらく、観ることができなかった本作。たまたま夜中にテレビでやっていたので観てみた。

最初に書いておくけれど、芝居というのはあくまでも生で観るべきもの。テレビで観ることを前提として作られていないので、その内容についてテレビを観てあーだこーだ言うのは正当ではない。しかし、公演が終了してすぐにこうやってNHKで放映するのは、大河ドラマに出演していた上川さんの影響がなかったとは言えず、また制作がNHKだったことから、それなりにお金もかかっていることが予想され、多分に営業的側面があり、「テレビで放映することによって批判されることを念頭に入れたコンテンツである」と判断した。

以下、ネタバレに書きます。

ネタバレBOX

さて、本作はここ数年キャラメルボックスがはまっている梶尾真治さんの短編小説シリーズ「クロノス・ジョウンターの伝説」が原作。キャラメルボックスはこのシリーズ作品を「日本のSF史に残る傑作」などと評しているのだけれど、とんでもない。突っ込みどころ満載で考証が甘い、かなりトンデモ系の作品である。そうした原作を使っているので、本作の内容もかなりいけてない。「タイムマシンの製作」という部分を非常に軽く扱っているのは良いとして、何よりその性能や与える影響についての考え方が非常にご都合主義。例えば、時間旅行については物語にとって都合の良い影響(カメオが消えてなくなるとか)だけがクローズアップされ、都合の悪い影響についてはスルーする。それでいて「バタフライ効果だ」などとそれっぽいキーワードを盛り込んだりするものだから、浅はかさが助長されてしまう。つじつまが合わないところは山ほどあって、例えば、伏線として盛り込まれていたいくつかの事象が発生している以上、前半で描かれていた部分は「時間旅行」の成功が前提になっているのだから、後半で「時間旅行の影響で世界が変わってしまう」ということ自体がおかしい。こうした詰めの甘さが観ているそばから「どっちらけ感を醸成してしまう。科学的にも突っ込みどころ満載で、人物描写的にも浅く、一口に言ってしまうと「つまらない」内容である。何かそんなものを観たよなぁ、と思い返すと、「日本沈没」であり、「クロサギ」である。

さて、こうした駄目な原作を、原作モノが苦手な成井豊さんが脚本化するのだから、物語として面白いものになるはずがない。とにかく説明的で(わざわざ説明をする狂言回し役がいるくらいに説明的)、見え見え過ぎてとても伏線とは言えないような伏線を張り、登場人物たちはいつもと変わらない役柄をこなしている。どうしてこの劇団はこうやって同じ役者に同じような役をやらせるのかなぁと不思議で仕方がないのだけれど、西川浩幸さん、坂口理恵さん、岡内美喜子さんといったベテラン、中堅どころはデ・ジャヴュかと思うような、いつかどこかで観たような芝居を展開する。

さらに、これはテレビで観たから余計に強く感じるのだろうが、とにかく怒鳴る演技が多い。これも成井さんの演出の特徴なのだが、緩急がなくて(正確には緩急はあるのだけれど、それがアナログではなくデジタル。「普通」と「強」しかなく、その中間が全くない)とにかく押し付けるように台詞をしゃべる。テレビでは生の臨場感とかがなく、第三者的な視点で観てしまうので、その「空回り感」が一層強くなる。あぁ、また怒鳴っているよ、というような。

そうした中、光っていたのはやはり上川さん。30代前半から70代までの男性をほとんど小道具を使わずに(杖は使ったけれど)、喋りで演じ分けていたのはなかなかに大したもの。彼にだけは緩急がきちんと存在していて、他の役者とは全く違う次元での表現力があることがわかる。もちろん、西川さんや坂口さんにもそうした表現力はあるのかもしれないが、それが演出の悪さによって顕在化しないのか、そもそも能力がないのか、そのあたりはわからない。とにかく、上川さんの演技はさすがと思わせるところがあった。その他で良かったのは完全な脇役、チョイ役だけれど、青山千洋さんだろうか。最近彼女は体を張った演技が多いのだけれど、本作でもそういった役どころ。それをきっちりとこなしていた。上にも書いたように成井さんの演出は同じ役者に同じような役ということを続けるのが特徴なのだけれど、彼女にはもうちょっと違う役を演じさせたらどうなんだろう。

客演でヒロインを演じた西山繭子さんについてはその実力のほどは不明。というのは、観たのがテレビだから。ただ、テレビで観ている範囲では標準的なところだったと思う。少なくとも、舞台の雰囲気を壊してしまうということはなかった。しかし、こう言っては失礼かもしれないけれど、西山繭子さんの登用によって営業的に大きなプラスがあったとは思えず、「それならなぜ劇団内でヒロインを配役できないの?」と思ってしまう。

シナリオのつめが甘く、展開がステレオタイプ。怒鳴るばかりで迫力もない。これといった深い人物描写もないままに恋人のために人生を投げ打って過去にすっ飛んで行ってしまう(大体いつも過去に行く人は舞台上の登場人物とだけしか人間関係がない、かなり特殊な人たちばかり)ので、感情移入も出来ない。おかげで科学的考証の甘さとか、演出のマズいところばかりに目が行ってしまう。かなりとほほな感じで、タダなら良いけどお金を払って観るのはちょっとなぁ、というのが正直なところ。
空中ブランコ

空中ブランコ

アトリエ・ダンカン

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2008/04/20 (日) ~ 2008/05/05 (月)公演終了

満足度★★

伊良部だって飛べるはず
宮迫博之、佐藤江梨子の競演で空中ブランコ。これは面白いかな?と思って、ちょっと高いけれど行ってみた。場所は池袋の東京芸術劇場・中ホール。

うーーーん、どうですかね、原作の方が大分面白いかな。

宮迫さんは初見ですけど、結構良い感じで伊良部を演じていたと思う。問題は脚本の方にあると思うのですね。何故かって、伊良部の活躍が今一歩だから。芝居だから、どうしたって主役以外の登場人物にも色々厚みを持たせなくちゃならなくて、おかげで主人公の伊良部の濃さが薄くなってしまうのは仕方ないんだけれど、それにしても脇役化が著しいというか、主役が完全に伊良部じゃなくなっちゃってるんですね。そういう脇役での伊良部ももちろん悪くはないんだけれど、「奥田の空中ブランコ」となって、主役が宮迫さんっていうのなら、嫌が上でも期待してしまうわけで。その期待を悪い意味で裏切られてしまったかな、という感じ。別に宮迫さんが下手なんじゃないんです。そこがまたもったいない。あとね、やっぱ、伊良部はデブじゃなくちゃね。確かに上半身裸になったときのしまりのない体は「ちょこっとデブ」って雰囲気がないわけじゃない。でも、あれじゃぁ駄目でしょ。どうせなら役作りのためにあと30キロは太って欲しかった。

佐藤江梨子さんは逆に、存在感がありすぎ(笑)。原作のマユミの良さは何もしないんだけど露出に目が行ってしまう、というところだと思うんだけれど、舞台では露出は抑え目、そのくせ色々活躍しちゃうので存在感はある、という感じ。こちらは原作のキャラをいじりすぎてしまって味をなくしてしまった感じがする。

と、メインの二人はこんな感じでちょっと演出、脚本上のマイナスが目立ったんだけれど、一方で演劇としてのストーリーはなかなかだったと思う。サーカスの中でのやり取りがかなりきちんと描かれていたので、物語が破綻しない。原作を読んでない人、原作のファンではない人には親切なつくりだったと思う。

が、それより何よりいただけなかったのは、この舞台のスピーカー設定。芝居の素人を揃えたにも関わらず箱が大きい、というのが理由なのかも知れないのだけれど、この芝居はマイク利用の芝居。マイク利用の芝居を一概に駄目だと切り捨てる気はないのだけれど、それがスピーカーを通して再現されたとき、音像が滅茶苦茶なのである。目をつぶって音だけを聞いていると、とんでもない方向から台詞が聞こえてくる。しゃべっている人は舞台の中央にいるのに、台詞は舞台の左端から聞こえてきてしまう。もちろんこれは座席の場所によるのだろうけれど(今回の僕の座席は前から10列目、ややサイド寄り)、じゃぁ、どの場所でこの芝居を観れば良かったのか、ということになる。結局、最初から最後まで、この違和感はなくならなかった。それならもうちょっと小さい箱で、マイクなしでやれば良いのになぁ、と思うのだけれど、出演者のギャラを考えるとそれは無理なのかもしれない。でもね、あの箱でマイクナシでやれないってことは、やっぱり役者としてそれだけの能力がないってこと。そういう役者に対してあれだけのお金を払ってしまう観客がいるから悪い、ということになる。そして、もちろん僕もその芝居にお金を払ってしまったのだけれど。やはり、芝居の人間じゃない人が大きな箱でやる芝居というのは、なかなか難しいところがあると感じた次第。

そして、最後に。あのラスト。ラストは、やっぱり伊良部が飛ばなくちゃ駄目でしょう。あの演出方法なら、伊良部だって飛べたはず。

どん底

どん底

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2008/04/06 (日) ~ 2008/04/27 (日)公演終了

満足度★★★★

まだ、やる方も観る方も手探り
日本人が大好きなゴーリキーの「どん底」を豪華メンバーでやってみようというこの企画。演出はケラ。さて、どんな感じになるのかな、と楽しみにしていたわけだけれど、なかなかに面白かった。ただ、価格(9000円)相応かというと正直微妙。僕自身は前から3列目という特等席で観てきたので、特に不満はなかったのだけれど、シアターコクーンの後ろのほうでこの価格だとちょっと、という気持ちになりそう。このあたりがシアターコクーンの難しいところ。

芝居は全体の流れは原作そのままに、乾いた、ちょっとした笑いをいろいろと盛り込んだ前半。そしてややシリアスに、というか、どん底の雰囲気を比較的そのままに再現した後半、という感じ。

役者さんたちは上手な人たちがそろっているので、安心して観ていられる。逆に言えば柱になる人がいなくて、群像劇そのままになっているのだけれど、これは当たり前といえば当たり前。主役のはずの段田さんが出てくるまでに凄い時間がかかった(笑)。

公演が始まってすぐということもあって、まだ観客も「ここは笑うところなのかなぁ」と考えているところがあるみたい。おかげでまだ舞台と観客との一体感がなくて、双方に戸惑いがあるような印象。4月半ばくらいになるとまた違った状況になってくるかもしれない。

(紙の上の)ユグドラシル

(紙の上の)ユグドラシル

innerchild

青山円形劇場(東京都)

2008/04/03 (木) ~ 2008/04/07 (月)公演終了

満足度★★★★

アタリ
「そろそろ新しい贔屓劇団を見つけようじゃないか」シリーズの一環でinnerchildの『(紙の上の)ユグドラシル』を観てきた。

以下、念のためネタバレBOXに投稿。

ネタバレBOX

もちろん、めくら滅法に観にいく演劇を決めているわけじゃなくて、今回は大内厚雄さんと石村みかさんが出演しているから。青山円形劇場という特殊かつ小さな舞台の面白さ、実力派をそろえた役者陣ということで、それなりの質は担保されているかな、と思ったわけだ。

それで、結論から言うとアタリだった。やはり、役者の質というのは舞台の質に大きな影響を及ぼす。小さな箱なら多少能力が低い役者でもそれなりに楽しめる、というのが僕の持論ではあるのだけれど、小さな箱で能力の高い役者が出演すれば当然のことながら舞台の質は高くなる。今回の芝居はストーリー的にはかなり盛り込みすぎの部分があり、それでいて複数の時代に散りばめられた重層的な世界同士の関わりが結果的にあまり干渉しあわないという、「いまひとつ役に立たない伏線の張りすぎ」的な状態になってしまっているのが非常に残念なのだけれど、そうしたストーリーの拡散具合(決して複雑なのではない。このあたりが重要)を補ってあまりある役者達の存在感だった。

大内さんが安定した演技をしているのはいつものことだけれど、それに加えて武智健二さんの悪役っぷりがなかなか良い。上杉祥三や唐沢寿明のような顔つきだけでかなりアピールできるのだが、加えて声も良いし動きも悪くない。脇役っぽく見せておいて実は一番オイシイところを持っていっている小手伸也さんと菊岡理紗さんも存在感がある。というか、存在感がありすぎで、ちょっとナルシストに見えてしまうくらいなのだけれど。物語の中軸になる石村さんもかなり安定していたと思う。役者の質が高いところで完全に統一されているかと言うとそうとも言い切れないのだけれど、主要な登場人物がかなり高いレベルで舞台を引っ張っているので、非常にまとまりが良く見える。

舞台自体は緩急を取り混ぜた演出で、ちょっと野田秀樹の影響のようなものを感じないでもない。考えてみれば演出をやっている小手伸也さんは『オイル』や『透明人間の蒸気』で野田作品に出演しているわけで、その影響を受けていても全然不思議じゃないのだけれど。

複数の登場人物が同時に声を合わせて同じ台詞を喋るのを多用するのは第三舞台っぽいのだけれど、驚いたのはその台詞が非常に聞き取りやすいと言うこと。第三舞台の芝居では声があってないのか、中心になる声がしっかりしていないのか、理由はわからないけれど何を言っているのかわからないことが多かった。今日はそんなことは全然なくて、結構感心した。

ところで、青山円形の舞台は名前の通り、ど真ん中に円形の舞台があって、それを観客がぐるっと囲むような構造になっている。今回はその円形の舞台の真ん中にかなり背の高い構造物が配置されていた。おかげでその向こう側で何かが行われていると、こちらからは声しか聞こえないという状態になった。そこの部分は観客の想像力で補ってくれ、ということなんだろう。僕が観たCブロックは一番良い場所だったようで、ラストの重要なシーンで主要な登場人物二人を正面から観ることができるポジションだった。それはそれで良いのだが「向こう側からじゃ、この二人の様子が全然わからないんじゃないかなぁ」と心配になった。

他に気になったことといえば、上にも書いたけれどかなりストーリーが拡散していて、手元に登場人物の相関図がないと何がなんだかわからなくなってしまいそう、ということがある。きっちりと時間軸どおりに並べてしまうという手もあったかもしれないのだが、そうすると後半に向けたつながりがうまく行かなくなってしまう。それで手元に「相関図」を配るという手段を講じたのだと思うのだけれど、衣装とか、舞台装置などでもうちょっとわかりやすく「今、どの時代を観ているのか」を直感的にわかるようにしてくれたら良かった(もちろん演技でそれが直感的にわかれば一番なんだけれど)のになぁと思わないでもない。観客席が明るかったおかげで相関図はいつでも確認することができたから、実害はなかったのだけれど。

この手の芝居としてはあまりに格好良すぎるオープニングと、ラストのあたりで「ちょっと格好つけすぎじゃないかなー(笑)」と思ってしまうところがなかったとは言えないのだけれど、劇団10周年記念公演ということなので(笑)。
路地裏の優しい猫

路地裏の優しい猫

“STRAYDOG”

赤坂RED/THEATER(東京都)

2008/02/01 (金) ~ 2008/02/11 (月)公演終了

満足度

頑張っている男優陣と頑張りましょうな女優陣
最近のキャラメルボックスはハズレばかりですっかり観る気がなくなってしまった。しかし、大内厚雄さんはコンスタントに良い演技をしているので、「じゃぁちょっと大内さんを観にいってこようかな」と思ってチケットを買ったのがこの舞台。

以下、若干のねたばれを含むのでネタばれボックスへ記述。

ネタバレBOX

結論から言えばまぁハズレ(笑)。もう、冒頭の猫のダンスのところで個人的にはアウツ。芝居にダンスシーンがあっても別に構わないし、導入でそれをやってももちろん構わないとは思うのだけれど、まず踊りが下手。上手な人もいるんだけど、その数が過半数を超えないのでバラバラな印象。加えて、バックの歌の歌唱力がいまひとつ。カツゼツも悪く、英語の歌は何を言っているのか正直良くわからない。いや、これはカツゼツじゃなくて発音の問題もあるのかもしれないけれど。

それから、この舞台の一番のポイントになるアッシさんがどうにも実力不足。熱演はしているんだろうけれど、空回りというか、力が入りすぎというか。小さい箱なんだから、そこまで力を入れなくてもと思うのだけれど、つまりはまだ八分目の演技というのができなくて、いつも100%で余裕がない。余裕がないのが見えちゃうから、観ている方が引いちゃう。狂言回しの重要な役なので、もうちょっとなんとか、と思わないでもない。

それから、シャボンさんもイマイチ。無邪気さはある程度表現できても悲しみが表現できない。良い場面で空々しくなってしまうのが残念。

結構頑張っていたのは後妻役の人。演技にも余裕があるし、声も通るし、ダンスも上手。それと、意外と黒川さんも頑張っていたと思う。

などなどと女優陣は「もうちょっとがんばりましょう」という感じだったのだけれど、男優の方はなかなか。贔屓の大内さんは相変わらず安定して良い演技をしているし、それを支える周りの役者さん達もなかなか頑張っている人が多かった。

ということで、結果的に男たちの魅力のある芝居の間にちょっと力不足の女たちの芝居が挟まる、という構成になってしまい、しかもその女たちの芝居がストーリー上それなりに存在感があったものだから、全体的にイマイチ感の強いものになってしまった。猫の世界の話はなかった方がずっと良かったと思う。が、それじゃぁ演劇が成り立たなくなってしまうし(笑)。

ストーリー的には不もなく可もなく。特に変わった趣向もなく、演劇ならではの展開もない。どうせならもうちょっと過去と現在を行ったり来たりした方が面白みが出た気もするのだけれど、そのあたりはまぁ人それぞれかな。先妻との別れがかなりあっさりしていて、それはそれでちょっと拍子抜けでもない。
どん底~化け物達の晩餐会

どん底~化け物達の晩餐会

立川志らく劇団・下町ダニーローズ

アイピット目白(東京都)

2007/12/25 (火) ~ 2007/12/31 (月)公演終了

満足度★★★★

値段なりの価値は間違いなくある
来年、段田さん主演でどん底があるわけですが、その前に下町ダニーローズ第8回公演「どん底~化け物達の晩餐会」というのがあって、観てきました。

なんか、色々チェックしている一環のように見えますけれど、僕はもう小劇場系の演劇ってすっかりご無沙汰でして、遊眠社、第三舞台、第三エロチカ、自転車キンクリート、全自動シアター、離風霊船あたりが解散やら何やらで定期公演をきちんとうたなくなってからは紀伊国屋ホールにしても本多劇場にしてもスズナリにしてもすっかりご無沙汰です。すっかり保守的になって、野田地図とか、キャラメル・ボックスなどのそこそこ安心して観ることができるものが観劇対象の中心なわけですね。

それで、なんで突然「下町ダニーローズなんですか?」って、いや、この劇団名すら知りませんでした(笑)。どうして観る気になったかって、昔大好きで録画してまで観ていた「ウルトラマン・ネクサス」でヒロイン役で出ていたお姉さんの五藤圭子さんがブログで「出ますー」って書いていたから(笑)。いやぁ、ブログでのプロモーションと言うのもやっぱり効果、ありますね。少なくとも観客が二人増えました。

それで、観てきました、どん底。原作はゴーリキーですが、僕は古典戯曲をあまり知らないので、もちろんこれも良く知りません(笑)。

でね、結論から言うと、3500円の今回の演劇の方が9500円の野田地図のキルよりもずっと面白かったです。

いや、正直、役者さんの個々の実力を比較したら、そりゃやっぱり野田地図の方が上ですよ。野田、勝村、高田の演技の方がずっと素晴らしいし、美術とか、衣装とか、照明とか、音楽とか、一つ一つはどこをとっても野田地図の方が上。でも、演劇としての完成度はこちらの方が上だったな。なぜかといえば、箱が小さいから。役者さんたちの力量が不足していたとしても、箱が小さいからちゃんと一番後ろの席まで芝居が届くんですね。僕は今日は後ろから2列目だったかな?前から5列目ぐらいのところで観ていましたが、全然問題なし。声も届くし、表情もわかる。演技がきちんと伝わってくるんですね。演劇で一番重要なのはこれ。野田地図が今やっているキルは、これが後ろまで届かない。もちろん、キルだって前から3列目とかで観ていれば全然問題なく楽しめるんだろうけれど、ちょっと後ろになってしまったらもう駄目。ところが、今日の芝居は観ている人ほぼ全員にきちんと同じように届いているんですね。これこそが小劇場の良さのはず。

「汗が飛んでくる」「つばが飛んでくる」というパワフルな芝居ではなかったけれど、役者さんたちそれぞれがきちんと自分の個性を発揮していて、なかなかに楽しめたと思います。少なくとも3500円の価値はありました。台詞重視の芝居の中でやや舌滑の点で問題がある部分もあったとは思うけれど、十分に許容範囲。あと、折角色々と手を加えているのだから、もうちょっと前半で笑わせてくれても良いかな、と思ったんですが、このあたりは人それぞれでしょうね。僕とかだと、もうちょっと前半と後半で落差があっても良いかな、とかは思いますが。

五藤さんは自分のブログで「出番はちょっとしかなくて、なんかずっと不機嫌な顔をしている役なんですが‥」と書いていましたが、僕が思ったよりもずっと出番も多かったし、不機嫌な顔じゃないシーンもあったと思います。貞子さんの方がずっと出番がなくて、不憫な役だったと思うし、ロリィタ族。さんみたいにイッチャう役でもなくて、安心して観ていられました。大体、「不機嫌な顔をしている」のは五藤さんだけじゃなくて、ほぼ全出演者ですよね。

どうでも良い話ですが、ロビーに練習風景(ゲネプロのときに撮ったものが中心だったのかな?)の写真があったんですが、貞子さんをやっていた原田果奈さんがなかなか可愛らしくてびっくりしました(笑)。あれはちょっと、いや、かなり役柄で損をしてますね(笑)。

まつさをな

まつさをな

演劇集団キャラメルボックス

サンシャイン劇場(東京都)

2007/04/07 (土) ~ 2007/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

最近不調のキャラメルボックスの中では良い部類
キャラメルボックスの「まつさをな」を観てきた。例によってブログライター枠で無料観劇。

結論から言うと、なかなか面白かった。

ネタバレBOX

キャラメルボックスの持ち球は大きく分けて3つ。未来モノ、現代モノ、そして時代劇。それで、今回のは時代劇。舞台は幕末、場所は小田原。時代劇の見せ場はダンスではなくて殺陣。

ストーリーはそれほど工夫がないというか、なんというか、「え?本当にそういう何のひねりもない展開なんですか?」とか、「あれ?貧乏武士が・・・・ってプロットはどこかで観たような??」とか、クエスチョンマークが頭の上を行ったり来ちゃったりしたんですが、役者さんはなかなかに健闘していたと思います。初日ということもあってかセリフのとちりとかも散見されましたが、そういうのがあるところも生ものの芝居の楽しいところ。

客演の粟根まこと氏(新感線)が非常に存在感があって、逆に「キャラメルの役者は???」と思ってしまう部分もあるのだけれど、浮いているというよりは上手に取り込んでいるという感じで好感。ストーリーとか、演出とかでは僕はあんまり成井豊さんって評価していないのだけれど、客演の役者さんの使い方はいつもなかなか上手だと思う。

キャラメルの役者で良かったのはやはり何と言っても大内氏。彼の演技はいつも安定しているし、声が良く通るのがなんといってもポイントが高い。逆に言えば、他の役者さんは演技がマンネリだったり(って、これはもしかしたら演出側が要求しているのかもしれないけれど。例えば坂口氏はもっと器用で色々出来そうなのに、いつも同じような役どころ)、声が聞こえづらかったりするってことなんだけど。

主役の温井氏はどうなのかなぁ、ストーリーのこともあるのかもしれないけれど、途中から存在感がなくなってしまったのが残念。前半では主役だったのに、いつの間にか脇役になってしまった感じ。

前回の「サボテンの花」に良い役者をあまり持っていかれなかったので、こちらに中堅どころが揃っていたのも舞台の質を高めた要因だと思う。あちらがナビスコ、こちらがリーグ戦、という感じか。

大内氏びいきで岡田達也氏の演技をそれほど評価していない(良い人っぽいけど)僕としては、配役が逆でも良かったんじゃないかなー、と思うのだけれど、役の難しさは大内氏の方が上だったのかも知れない。ちなみに殺陣はそれなりに上手だったと思う。サンシャインの二階席から観ていても「下手なチャンバラ」みたいな印象は全くなく、なかなかの見せ場になっていたと思う。

もうひとり、僕の贔屓の實川氏は相変わらずなかなかの脇役ぶり。もうちょっと良い役をつけてやってくれよー、と思わないのでもないのだけれど、この劇団に温井氏や岡内氏がいる限りは当分脇役のままなのかな。どこかで大内&實川コンビの舞台ってなかったっけ、と思い返すとそういえば「ブラック・フラッグ・ブルーズ」のヴィーナスキャストがそれだったかもなー。

と、いうことで、今回は満足して帰ってきました。最近観たキャラメルボックスものでは上位に来ます。

余談ですが、帰りの二階席からの階段で、「もう号泣だったよ~」「私も~」という会話が聞こえてきたのですが、泣き所なんてあったかな(^^;?いくら思い返しても思い当たるところがない(^^; まぁ、僕はキャラメルボックスの演劇では一度も泣いたことはないのですけれど。
カレッジ・オブ・ザ・ウィンド

カレッジ・オブ・ザ・ウィンド

演劇集団キャラメルボックス

サンシャイン劇場(東京都)

2007/07/05 (木) ~ 2007/08/05 (日)公演終了

満足度★★★

プロデューサーが舞台を壊した典型例
昨日から始まったキャラメル・ボックスの「カレッジ・オブ・ザ・ウィンド」を観てきた。ブログライター取材ということで例によって無料観劇。もう一年以上お金払って観てない気がする(笑)。

交通事故に遭った少女の話と、そのおじさんの話の、二つが交錯していき、それらが徐々に交わり、最後にそれが一本の糸になって収束する、という構成。

ネタバレBOX

これって、映画のシックス・センスの原作が書かれたのとどっちが先なんだろう。こちらの芝居が先に書かれていたなら、シックス・センスってこの芝居のパクリじゃない?って思っちゃうくらいに非常に良く似たストーリー。残念なのは僕が先にシックス・センスを観ちゃっていたということで、初演(それがいつなのか知らないのだけれど)のときにまっさらの状態で観ていたらもっと楽しめたと思う。だって、今日は「えーーー、そうなの?」と思う前に、「これってシックス・センスそのままじゃーーーーん!!」と思っちゃったから。

僕のお気に入りの大内厚雄さん、實川貴美子さん、それから最近結構評価している畑中智行さん、青山千洋さんあたりはなかなか良かったと思う。特に大内さんの演技は最近全くぶれがなく、安心して観ていられる。この劇団では岡田達也さんとか西川浩幸さんの方が高く評価されている節があるのだけれど、僕は大内さんが絶対に一押しである。で、その大内さんを中心として、他のキャストもなかなか頑張っていたと思う。

では何が駄目だったのかというと、ストレートに書いてしまえば主演の高部あいさん。この人、舞台やったことあるのかな?知らないんですが、いくらなんでもサンシャインの舞台は無理でしょう。こんなところに立たせてしまっては気の毒です。なんか、ちょっと前にも似たようなことがあったけど(^^;

普段はキャラメル・ボックスの役者さんって劇団内で「できる人とできない人の差が大きいよなぁ」と感じちゃうんだけど、今日はそれが気にならないくらい、格段に客演主役の能力が足りなかった。もしかしたら前の方で見ればまた違うのかもしれないのだけれど(今日観たのは20列目)、もう、声を後ろの方まで届かせるのでやっと。目一杯頑張っているのはもちろん伝わるのだけれど、頑張れば納得させることができるのかといえばそれはそれで話が別。常に全力でやらないと周りにおっつかないので、常に全力投球。常に全力だから、のりしろがない。のりしろがないから、抑揚がない。抑揚がないから、演技が単調になってしまって、退屈しちゃう。周りの達者な役者達が一所懸命それを引っ張り上げようとするのだけれど、それでカバーできるレベルじゃなかった。スズナリとは言わないけれど、せめて紀伊国屋ぐらいの大きさじゃないと、今の能力では無理でしょう。でも、これは高部あいさんの責任じゃない。彼女をこの舞台に連れてきちゃった人たちのせい。

全体のストーリーを引っ張って、主人公の感情を観客に伝えていく重要な役割のはずなのに、あれではちょっとね。大内さん&岡内さんのエピソードがきちんとまとまっていただけに、残念感が一層引き立っちゃった。

なんというのかな、高校野球のスター選手を大リーグのマウンドに立たせて、火だるまにしちゃった、みたいな。まぁ、この調子で2、3年投げ続ければ時々好投するだろうし、びっくりするくらいに急成長するかもしれない。でも、今はちょっと無理だなぁ。
THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

野田スタイルが良い意味で集約されている
シアタートラムで昨日から始まった野田地図の番外公演「THE BEE」を観てきた。

少ない役者、短い上演時間と、すっかり知力も体力も衰えてしまった僕には非常にありがたい芝居。

人間、小道具を次から次へとその役割を変えさせていく野田スタイルが良い意味で集約された感じで、安心して観ていられる。

ネタバレBOX

#今の野田秀樹のスタイルは、おおまかに言うと次の4つ。
1.道具を多面的に利用する(観客に想像力を要求)
2.一人の人間に複数の役割を与える(=オシムスタイル)
3.スピードを変える(=スローモーションの多用)
4.人間の良心への期待(落ち続けることが出来る夜長姫との対比)

今回、舞台で大きな役割を果たすのは一枚の大きな紙。これが最初から最後まで舞台の中央に存在し、そしてクライマックスまでに広げた風呂敷を全て包み込む役割までを果たす。特に影絵を投影するスクリーンとしての役割は秀逸で、またそこで展開される影絵と映像の混在具合が非常に面白い(影なのかと思ったら影ではなく、途中からそれが勝手に動き出すとか)。

短い芝居の中で受け取るメッセージは人それぞれだと思う。マスコミの、被害者に対する傍若無人ぶりとか、警官の役人的な対応とかに怒りをぶつける人もいるだろうし、絶対的な強者が弱者と表裏一体であることを再確認する人もいるだろうし、被害者が一転して加害者になることを目にしてイラク問題について考える人もいるはず。じゃぁ、僕は何を感じたのかというと、野田さんの芸風って、最近変わったなぁ、ということ。非常にストレートに自分の問題意識を芝居を通じて観客にぶつけるようになったと思う。どこまでも落ちていく夜長姫を殺すことによって「落ちていくことができない人間」を浮き彫りにしたのが以前の野田秀樹だが、今の野田秀樹は前作(今作はその前にロンドンで上映された芝居の日本バージョンだが)の「ロープ」同様、直接落ちていくことを表現している。

この感覚、最近何かで感じたなぁと思ったのだけれど、思い出した。

テレビのワイドショーやら、歌番組やらに出演している役者達の反応。物凄い勢いでうなずいたり、思い切り眉間に皺を寄せたり、そうそう、ホンジャマカの恵俊彰やら、東ちづるあたりがテレビで展開しているアレ。「お前ら、ブラウン管(そろそろ死語)の前にいる人間を馬鹿にしているだろっ」と思ってしまうようなわかりやすいリアクション。あれにちょっと似ている。昔はああいうリアクションって小林幸子だけだったけれど、最近はみんなやってるよねぇ。なんか、テレビの製作サイドに馬鹿にされているようなアレ。まぁ、そこまで極端ではないのだけれど(笑)。

いつから芸風が変わったのかって、やっぱり9.11以降なんだろうなぁ。

ちなみに役者の部分でも色々と見所があった。特に途中からは影に徹する浅野氏が面白い。
THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

もうちょっとお客が入っても良さそうなものなのに
日本バージョンを二回観たのだけれど、ロンドンバージョンも観てきた。

全体的なストーリーはほぼ一緒。使っている小道具が色々異なっていて、メインになるモノが日本バージョンでは紙だったのに対して、こちらはゴムひも。どちらが優れているのか、というのは微妙なところだと思うけれど、恐らく日本にフィットした、そして英国では英国にフィットした設定をしたのだろう。それは非常にわかりやすいレベルで成功していたと思う。

日本と英国でどこが違うのか。それは、日本がわび・さびの文化の延長というか、「沈黙は金なり」的な文化と言うか、「間」で演出できることに対して、英国では「表情」で演出して客に訴えるのが一般的、ということなのかもしれない。

ネタバレBOX

日本バージョンでは、影絵が重要な役割を果たす。モノクロの影だから、当然表情はない。しかし、そこから日本人は様々な情報を読み取ることができる。その情報を元に、想像力を書きたてられ、頭を使わされ、心地よい疲労感と共に演劇を観終わることになる。一方で、ロンドンバージョンは日本バージョンで紙を使っていたところにマジックミラーを使っている。当然のことながら、ミラーの向こうの役者の表情は非常に良く分かる。そこに繰り広げられるのはアナログの世界である。そして、そこからはたっぷりと役者から情報が放たれる。想像力は必要ないが、役者の勢いに圧倒されないように踏ん張っておく必要がある。

日英の文化の違いを良く考えた上で、同じテーマ、同じストーリーにも関わらず見事に二通りの舞台を作り上げた野田秀樹氏はさすがである。

残念なのは、こちらの英国バージョンの入りがイマイチだったということ。公演末期はそれなりに人が入っていたようだが、出足は決して良くはなかったようだ。わざわざロンドンまでいかなくても日本で観ることができるなんて、こんなラッキーなことはないのに。日本版と英国版が全然違う、ということをきちんとPRできていなかったこともあると思うが、ここまでセットが違うなら、半年ぐらい時間を置いた方が良かったのかも知れない。何にしても、日本の演劇文化もまだまだこの程度、と言う事かもしれない。

それはそうと、主役の女性は、ハリポタのHarry Potter and the Order of the Phoenixの裁判シーンで証人(フィッグばあさん?)をやっていた役者さんですよね?あのダミ声は地なんですね。野田秀樹氏自身、円城寺あや氏、そしてKathryn Hunter氏と、野田氏の女性の声の好みがわかります。そういえば竹下明子氏もあんまり声が透き通っているタイプではなかった。
キル

キル

NODA・MAP

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2007/12/07 (金) ~ 2008/01/31 (木)公演終了

満足度

名作がグダグダに
ここ数年、僕がほぼ欠かさずに見ているのは野田地図の芝居とキャラメルボックスの芝居。しかし、キャラメルボックスはここ2年ほど、当たりハズレの波が大きく(というか、ほとんどハズレ寄り)、お金を払って見るケースがあまりない。ほとんど全てタダで見に行っているし、先日はタダで、時間もあったのに見なかった。野田地図はというと「ロープ」とか「THE BEE」とかはなかなかで、「なんだかんだ言っても、日本の演劇を引っ張って行っているのは野田秀樹なんだなぁ」と思っている。今日はその第13回公演「キル」を見てきた。

ネタバレBOX

「キル」は、野田秀樹が夢の遊眠社を解散して、第一回の公演で新作として上演したもの。最初の舞台が94年で、このときのキャストは堤真一、羽野晶紀、渡辺いっけい。このブログで散々野田秀樹の舞台の作り方については言及しているけれど、野田秀樹は三谷幸喜と並んで日本を代表する「あてがき」作家。なので、キルはこの3人でなければベストにはならない。97年の第二回公演では主役の堤真一はそのままに、深津絵里、古田新太を配しての舞台となったが、深津絵里が能力不足という感じで、舞台をやや壊してしまった。しかし、深津絵里は農業少女で素晴らしい演技を見せているので、やはり羽野の役をこなすことができなかったというか、羽野のための役にはどうしてもフィットしなかったということだと思う。今回は10年振りの再々演ということで配役を一新しての上演だった。ちなみに僕は初演、再演ともに生で2回ずつ見ている。

この「配役を一新しての上演」というのは上にも書いた「あてがき」という部分からして大きな冒険になる。野田秀樹の作・演出の最大の特徴は、「役者の良さ、魅力を最大限に引き出す」という部分で、その才能は初演だろうが再演だろうが当然発揮されるのだけれど、どうしても再演の場合は制約が大きくなる。夢の遊眠社という枠組みの中での再演ではそれでもある程度の質が確保できていたのだけれど、野田地図になってからは「再演はまず間違いなく劣化バージョン」という印象が強い。そういう事情があって、今回の舞台は正直あまり期待していなかった。

さて、見た結果であるが、もう、舞台の第一声から「あぁ、やっぱり駄目だった」というのが正直な感想。何といってもまず妻夫木聡が全然駄目である。テレビや映画では通用するかもしれないが、決して小さくはないシアターコクーンという場は、彼には明らかに大きすぎる。彼のポテンシャルが高いか低いかはわからないから、もちろん数年後にはここでバリバリやっていける役者に成長しているかもしれない。しかし、今は無理。そして、その相手役の広末涼子も駄目。妻夫木と同じく、彼女にとってもシアターコクーンは大きすぎる。この箱は、決して誰でもがうまく使える箱ではない。紀伊国屋ホールとは明らかに違うのである。「キル」自体はシアターコクーンの設備を前提として書かれているから、当然ここで上演すべき本ではあるが、このキャストでやるべき芝居ではない。それは、開演5分後ですでにわかってしまった。広末は以前毬谷友子が「贋作 桜の森の満開の下」でやったような声の使い分けにもチャレンジしていたが、ベースの声さえ通らないのに裏声が通用するわけがない。その使い分けという演出は野田の指示かもしれないが、完全に失敗していたと思う。何しろ、テムジンは世界を征服しようとする野心家であり、シルクはそのテムジンを一目ぼれさせるだけの美貌と高貴さを兼ね備えていなくてはならない。両者とも舞台の中でそのカリスマ性をほとばしらせる必要があるというのに、立ち居振る舞いも、声も、全てにおいて脇役であるはずの結髪に圧倒されている。例えばテムジンの「ミシンを踏めっ」という台詞に全く迫力がないのだから、話にならない。

今、ちょうど映画館でやっている「椿三十郎」。この映画のネットでの評価は、「やはり映画は脚本。役者がタコでも脚本がしっかりしていればちゃんと楽しめる。織田は駄目だが、この作品は脚本を旧作と全く変えていない。おかげでエンターテイメントとして成立している」というもの。多くの観客が、旧作とは別物だが、それはそれで楽しめる、と書いているようだ。

しかし、残念ながら芝居は違う。どんなに素晴らしい脚本であっても、それを演じる役者がタコだったらやっぱりだめだ。今回は、夢の遊眠社のライバルとして小劇場界を引っ張っていた第三舞台のOB、勝村政信と、同じ時期に活躍し、野田地図の芝居にも多くの役者を出している劇団☆新感線から、高田聖子が参加し、舞台を強力に支えている。この二人の活躍はもちろん期待通り素晴らしいと思うが、それが素晴らしければ素晴らしいほど、主役二人の弱さが際立ってしまう。実際のところ、勝村、高田は自分達が目立ちすぎないように、特に高田は気を遣って存在感を消すような努力をしていると思うのだけれど、そんな努力もどこへやら。恐らくはプロデューサーや演出者の想像以上に主役二人の力は不足していたんだと思う。

一気にラストまで全速力で走りきる。難解でもやもやとした感覚の中にキラキラと輝く台詞が散りばめられ、イメージを拡散させるような言葉遊びを盛り込みつつ、ラストの決め台詞で観客にカタルシスを与える、それが野田演劇の魅力だと思う。「少年はいつも動かない。 世界ばかりが沈んでいくんだ。」「いやあ、まいった、まいった」「海の向こうには、妹の絶望が沈んでいます」「びしょびしょになったタマシイが、どうか姿をみせますように」といった名台詞に行き着くまでの2時間を、緊張しながら楽しむような。

しかし、今日の芝居を見て、わかった。誰もがそのラストへ観客を導くことができるわけではないということを。同じレールの上を走り、同じ終着駅を目指していて、一見同じように走っているのに、到着したのは全然違う場所だったのだ。そこには感動はない。わきあがる感情は、「あれ?キルって、こんな作品だったっけ?」というもの。スピード感がなく、迫力もない。疾走感が全く失われてしまっているのだ。一緒に2時間を走り終えた充実感などは全くなく、自室で寝転んでみかんを食べながら漫画を読み、つけっぱなしのテレビで放送されているマラソン中継のゴールシーンを見ているような、そんな第三者感。その視点から初めて「キル」を見て、「なぁんだ」という思いも寄らぬ感想を持ってしまった。最後にゴールに到着した自分を客観的に見て、「あれ?こんなところで何をしているんだろう?」と戸惑うような。全体を通しての衣装や舞台芸術は素晴らしい。照明も見事だ。そしてそれらが作り上げていくラストシーンの「蒼」は本当に美しい。もちろん、「とびっきりのこの蒼空を着せてあげて下さいよ」という台詞も美しい。しかし、それが心に響いてこない。

僕は夢の遊眠社のOB数人と知り合いで、頻度はそれほど多くはないけれど、飲みに行ったりすることもある。しらふのままでは聞きにくいのだけれど、お酒が入るとついつい昔の話を聞いたりもする。そして、彼らから感じるのは、「まだまだやりかたったな」という不完全燃焼感である。もちろん役者のみんながそういう気持ちを持っているわけではないと思う。上杉さんなどはさっさと劇団という枠から飛び出して自力でやっていきたかった部類なのかも知れない。しかし、そうではなかった人たちも少なからずいたんじゃないだろうか。でも、彼らは「大将がやりたいことは別のことだから仕方がない」という気持ちだったと想像している。野田秀樹という才能がもっともっと大きく開花することを楽しみにして、劇団の解散を受け止めたんじゃないかと。そして、それはファンも同じ気持ちだったと思う。「なんで解散しちゃうんだろう」「もっと遊眠社としてやってくれ」と思いつつ、野田秀樹が見せてくれるであろう新しい世界を楽しみにして、解散を受け止めた。少なくとも、僕はそうだった。

実際、野田秀樹氏は、劇団という枠が取り払われて、その可能性を大きくひろげ、そして自分の潜在能力を顕在化することに成功したと思う。それが初演のキルであり、赤鬼であり、農業少女であり、研辰の討たれであり、ロープだったと思う。しかし、その一方で首を傾げたくなるような作品も増えたと思う。そして、そのほとんどは役者に足を引っ張られているケース(一部は箱に原因があると思う)だと思う。

解散直後に演じた「キル」が傑作だったことが、劇団解散をファンに納得させることに一役買ったことは間違いない。しかし、初演から約15年経って、その作品がこんな形で再演されてしまったことは皮肉であるとしか言いようがない。

野田さん、劇団を解散してまでやりたかったのは、本当にこれですか?

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