MomokoKawanoの観てきた!クチコミ一覧

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イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

原爆が題材になってはいるものの、そこには様々な時代に地球のどこかで起きている戦争が重なる。ベトナムで、イラクで、911後のNYで、会った実際の方々の顔がよぎった。力強い脚本でした。日本人がアメリカ人を演じること、物語として成立させるものにすること……これはフィクションなのだということの、バランスをギリギリで責めているような力強さがありました。

なにより企画として、再演の機会のなさへの課題は長年言われているので、それを思うプロデュースでした(今回【名作リメイク】と題)。企画したのはコロナ禍で、上演困難な小劇場を応援したいという思いや、昴や青年座研修所で上演されてきた戯曲を新劇ルーツではない方々が創作する面でも、CoRichプロデュースの意味があると思います。

9人の迷える沖縄人

9人の迷える沖縄人

劇艶おとな団

那覇文化芸術劇場なはーと・小劇場(沖縄県)

2022/05/13 (金) ~ 2022/05/14 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

まずチラシやタイトルロゴが洒落ていて「おっ」と目を惹かれました。そこに9人、いるんですね。そして「9人」という人々がそれぞれ『有識者』『本土人』などのあるカテゴリーを背負っているのですが、それが、物語のための設定になりすぎず、そこに生きる一人ひとりの人間の存在として立ち上げられていました。それは取り上げたテーマの切実さでもあり、演劇への信頼と積み重ねがあるからではないかなと感じました。

ネタバレBOX

舞台は、1972年の本土復帰目前に集められた人々……を演じる現代の演劇の稽古場、です。この劇中劇の差がそれほどなく、物語としてはわかりづらいといえばそうなのですが、私はポジティブに受け取りました。1972年の9人の迷う声は、過去のものではありませんし、色褪せてはいけない。現代の自分達にとってもリアルな日常なのだ……という意志だと思えました。2つの時代がまざっていく感覚は、切実さでもありました。そう感じたのは、私の子どもの頃の沖縄での戦争研修にはじまり、その後何度か基地問題などに関わった実体験が呼び起こされたからかもしれません。とすると、観劇した人の沖縄との関係によって、感じたことや見える景色が違ってくるのかもしれない……他の人の感想がとても気になるなと思いながら客席に座っていました。
また、「役を演じているシーン(劇中劇=1972年)」と「演じていないシーン(現代)」が入り混じっていくことで、演劇(非日常)と演劇以外(日常)の境界が曖昧になります。それは、沖縄のなかでさまざまな演劇活動をする俳優達が集った今舞台において、「演劇ってけっこう身近だよ」「演劇を好きになってほしいな」というアプローチにも感じられました。沖縄で活動する9人の沖縄演劇人たちによる、演劇熱に満ちた作品だと思います。

復帰にまつわる情報量が多く混乱するところもありますし、構成としても「学び」感があります。けれども、息を抜ける工夫も散りばめられていました。スクリーンとイラストを用いるシーンでは客席からリラックスした笑いが起こり、深刻な話が続く中でちょっと離れた場所で太極拳(?)をする復帰論者(犬養憲子さん)は空気をまろやかにしていました。宮城元流能史之会の宇座仁一さん(文化人役)が踊るシーンは劇中において大きく空気を変え、それまで作品を覆っていた「言葉」とは違う手段で沖縄の歴史や文化を舞台上に出現させる印象的な時間でした。
また、地元で上演したからでしょうか、上演中に客席から「へえ~!」「あれってこうだよね!」など気負いないポジティブな声が聞こえてきたのも印象的でした。

ドラマティックな音楽や照明など、基本的には賑やかな舞台のなかで、音はせずに存在する扇風機がいいですね。風が吹き続けますように。

終演後、個人的に沖縄の味や踊りを楽しみ、またひめゆり平和祈念資料館や平和記念公園をまわりました。これまで何度か訪れた沖縄が、また違ったふうに見えました。劇場に入る前と出た後では世界が変わっている。それが身に染みた観劇でした。
これまで沖縄以外で上演されたこともあるそうですが、今後も再演していくにあたっては、県外の人に向けた「作品+沖縄の〇〇」のパックやツアーなどもあると、演劇と生活と自分の生活以外の現実が地続きになっていくのではないかな、それができる強度のある作品だなと思いました……と勝手な願望と妄想が膨らんでしまうほど、沖縄で観られて良かったです。
透き間

透き間

サファリ・P

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/03/11 (金) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

観劇前の第一印象は「難しい企画だな」というものでした。アルバニアの実際にあった“復讐の掟”を題材にした小説『砕かれた四月』と、コソボ紛争経験者との対話と、作者の祖父という個人的な要素をひとつの作品で同時に登場させようというのですから。現実に存在する他者の痛みと作り手個人の痛みを作品において繋げれば、「相手の痛みを奪っていないか」「芸術のもとに搾取していないか」という問いかけがうまれます。この時に、いかに題材となる他者を尊重し誠実であるか、あるいは自分の物語として最後まで覚悟を持ち切って創作を走り切るか……。いずれにしろ素朴ではいられない、と私は思っています。
というところで観始めた今作ですが……

ネタバレBOX

せりふのほぼないフィジカルな表現のため、上演からはそれらがなんの要素から立ち上がったものかは明言されません。当日パンフレットの<場面構成>を読むと、基本的には『砕かれた四月』を踏襲しているよう。そうした表現と構成の選択は、上演にあたって非常に良かったと思います。観客の想像力によって、ある地域のある大きな流れのなかに存在する問いが、徐々に私たち多くの人間が抱えているはずの課題や、(おそらくはからずも)現代の社会情勢と重なっていく。後半、妻(佐々木ヤス子さん)が、ほかの人びとに飲み込まれるような動きの時は胸が苦しくなりました。せりふを極力廃したことも功を奏していました。

冒頭、舞台上に敷かれた台の隙間から出てくる手が非常に美しかったです。一気に引き込まれました。その後の台の下での動きなど、シンプルながら分断と連なりを感じさせる空間の使い方も興味深かったです。ただ後半につれ、私の作品背景(アルバニア等)への無知さゆえかもしれませんが、なぜこの場面でその身体表現をもちいたのかわからなくなるシーンも、正直ありました。

当日パンフレットが上演に深く触れ、あまりにも充実していたため(作成、本当にお疲れ様です…!!)、その存在に気づかず受け取りそびれた人が数名いたようなのはもったいないなと感じました。コロナ禍において、たとえば手渡しできないなど劇場のルールなどもあるのかなと思うのですが、もうすこし目に付く形で当日パンフレットをもらう/もらわないの選択ができるといいなと思います。

20世紀初頭のアルバニア地域での価値観や文化背景について、私は深く知りません。そこに生きた登場人物たちにとって、慣習や起こる出来事はどういう意味を持っていたのか……。作品に入り込むほどに、その地で実際に命を奪われた/奪った人々・遺された人々の思いを想像しきれないということに直面します。最初に「痛み」について書きましたが、「痛み」「傷」「暴力」などは背景が変われば、当人にとって意味や正当性が変わる可能性があるものだということをあらためて忘れないようにしようと思いました。
ふすまとぐち

ふすまとぐち

ホエイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/05/27 (金) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

全編、津軽弁。あえて東京公演とのことで、基本的には津軽弁がわからない人に向けて、どこまでの言葉ならそこで起きていることが伝わるか/伝わらないか、意識的に言葉を整理されていたと思います。さらに事前の津軽弁講座がありがたく、教えてもらった言葉を探しながらせりふを聞きました。おかげで津軽の空気とともに、その場でなにがやりとりされているかも伝わったと思います。津軽弁の音も美しく、東京にいながら東北の土地の音を聞けたことは良い体験でした。

ネタバレBOX

冒頭のキヨ(山田百次さん)の爆発的なキャラクターからはじまり、登場人物たちがエネルギーにあふれていて引きつけられました。デフォルメされているとは思いますが、実は、一生懸命しゃべっている人達は実際あのように独自の威力があったりするので、ふと「見たことある……」という瞬間にも出会えるのも笑ってしまいます。
笑うだけでなく、迷惑をかけあっても離れられない不器用で複雑な思いが交差していく様には、物悲しくも、愛しくもなりました。また、血縁者は離れられないからこそ離れ、非血縁者であるからこそ離れない……「家族」とはなんだろうと考える戯曲構成でした。
また、俳優個々にパワーがあるため、言葉の端々から想像できる個別の人物背景は、もっと明確であってもよいのかなと思いました。それほど、今、ここ、で起きている生身の発信に力があったと思います。

居間と押入れの間との間に壁があり(←舞台上にはないですが)一度廊下に出なければいけない、また、闇の向こうにある玄関という舞台美術と照明がよかったです。見えないけれど、そこにある壁。しかし少し手間をかけてくるっとまわれば到達できる空間。しかしその奥にはふすまが閉じている。また、どこか外の世界へと続いている戸口。それらは人物たちの関係性や心理をビジュアル化しているようで、それが田舎の日本家屋と密着していて、「家」に飲み込まれそうでした。

公演期間中、また公演終了後に、Twitterのスペースでゲストを呼んだトークを企画したのがいいですね。上演時間が2時間ほどあり、アゴラで自由席だったので2列目までは低いイスだということを案内いただけたら腰が幸せでしたが……長くは感じませんでした。
残火

残火

廃墟文藝部

愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)

2022/05/20 (金) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

冒頭、唯一つけられていた道久のマイクと、作中のテロップ(年表)が、この作品における登場人物の物語とは別次元のデジタル的な演出でした。また、年表の項目のピックアップに法則性がなく個人的であること。それによって、今作で描かれる「時間(平成)」は、道久にとっての私小説なのだと思って観ました(もしくは作者の目線を通した平成)。

ネタバレBOX

道久を主軸とすると、道久から見た火花、道久から見た景色が描かれていき、それらが輝いて見えることが作品の引力となります。子どもの火花(瀧川ひかる)も、大人の火花(元山未奈美)も、難しい役どころながらとても魅力的でした。彼女の複雑な思いがほぼ表情以上で語られないのも、道久からの視点と思うと納得です。むしろ、もっと道久に焦点を当てる演出(立ち位置など)であれば、より全体の構成のメリハリがきくのではと思いました。もし群像劇であるのならば、幼馴染3人と皐月の関係性がより丁寧だとそれぞれの人生が折り重なってドラマ演劇としての深さが出ると思います。
一方で、一部の人しか手に取ることができないのは残念なくらい、事前清算チケット特典の短編小説が登場人物たちの厚みを担っていました。

震災については、事前に注意喚起アナウンスが必要なほど直球の描写でした。フィクションの地震が起こることや、その地震により火花に起きる出来事は、演劇というフィクションが描ける未来のifです。それらは道久の物語と考えるとすべて合点がいきますが、であるならばやはり道久をもっと主人公として引き立たせる構成(道久を中心に置いたり、または全員よりも一歩引かせたり)だと、後半の展開にも切実さが増すのではと想像します。
ただそこで、火花のおばあちゃんである初枝の長セリフが、突然のフィクションのシーンに強度を持たせていました。年齢的にも難しい役だと思いますが、おぐりまさこさんが丁寧に演じていました。

全体を通して俳優達が各シーンを引っ張っていました。小ホールとはいえステージには十分な広さがあるので、奥行きを感じさせる動線を引くと、より俳優が動きやすいのではないかなと感じました。
甘い手

甘い手

万能グローブ ガラパゴスダイナモス

J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)

2022/04/23 (土) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ドタバタコメディと言っていいのか……そういう印象を受ける元気の良さ、勢い、キャラクターの濃さ、賑やかさ、コミカルさなどが詰まっており、さらに細部へのこだわりもかなり練られていました。チラシのビジュアルとも重なるパッチワークのような美術が印象的で、サーカス小屋の入口のような、おもちゃ箱のイメージのようなワクワク感もあります。同じく当日パンフレットの顔写真つきの人物紹介も楽しい。音響や照明もベタな挿入だけれど描きたい世界がはっきりしていて思いきりがよく、さらに俳優もふくめて「うちの表現はこうだ!」という自信や信頼も垣間見えました。


ネタバレBOX

これまで九州ではいくつかの舞台を拝見したくらいですが、演劇に関わる人々の勢いと熱量を毎回感じます。今回はさまざまな俳優が出演していますが、九州のなかでどんなポジションやイメージなのかなど、客席と共有されている方が複数名いるなと思いました。劇団や俳優や演劇が、観客と関係を築いているのだなと嬉しくなる客席でした。実際、わたしも“ファン”になる気持ちです。

いろんな登場人物のエピソードが、よくこの時間内にこの人数分入ったなぁと驚くほど詰め込まれています。みんなが主人公で、みんなにドラマがあって、みんなに人生がある。どの人物も基本的には「誰か他者を思い、他者のために行動する」。そんなまっすぐな人物たちを生き生きと演じていて、デフォルメもされているけれどリアリティもきちんとあって、この学校に通いたいなぁと思うような(大変そうだけど、笑)、みんなを好きになっちゃう幸せな空間でした。
先生と付き合ってる(かもしれない)女子生徒というのは、一瞬「この設定大丈夫かしら…」ともよぎりましたが、先生側の思いが明らかになるにつれて納得できる展開に。女子生徒の恋心に限らず、いろんな型にハマっている若者の思いは肯定しつつ、その関係を肯定するわけではない作劇でした。昔ながらのキャラ設定ではあるのでもっと批判性をもって描いてもいいとは思いますが、基本的にはどんな思いの、どんな価値観の人物も、愛を持って作り上げられていました。

また、方言の響き(とくに語尾)が明るくて、その音の余韻が劇全体に漂っていく。方言であることが作風にとっても効果的でした。最高のエンターテイメントであるとともに、九州のことも好きになる地域密着の魅力がたっぷりでした。
マがあく

マがあく

シラカン

STスポット(神奈川県)

2022/03/30 (水) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

あるお部屋のお話。

ネタバレBOX

ドミノの舞台美術は触れたら倒れるのではないかとドキドキしましたが(固定しているのかもしれないけれど)、誰も触れませんでした。狭い空間にたくさんの俳優がいて、大きく動くシーンもあるにもかかわらず、です。広くはない「部屋」の空間を俳優達の身体が把握していて、そういった空間の感覚が第7番目の登場人物である「部屋」にリアリティを持たせていました。効果音や、マイム的な動きなどもふくめ、そういった細部の積み重ねが、劇空間をつくっていたと思います。

そのなかでの登場人物たちは、理不尽な主張の応酬だったり、あえて(だろう)わざとらしいせりふ回しといったいくつもの「違和」を登場させます。
違和感はあるけれども、なにかが起きそうなほどはなにも起きないので、そのもやもや感が居心地悪くもあり、その居心地悪さが面白くもあり、その面白さがすこしだけ物足りなくもあり、でもその物足りなさがクセになりそうでもあり……独特の不思議さをもった作風でした。
たとえば、不思議なゆっくりしたテンポでしゃべり、不思議にズレたテンポで会話する人物と一緒にいると、ちょっとクスリとしてしまうような、そんな感覚です。「なんだか、この人、好きだわぁ」と言いたくなるような、愛しい作品でした。
ひび割れの鼓動-hidden world code-

ひび割れの鼓動-hidden world code-

OrganWorks

シアタートラム(東京都)

2022/03/25 (金) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ギリシア悲劇の「コロス」という存在に着目し、かつて祭りのコロスから俳優が生まれ、時代とともに演劇、俳優、コロスが変容していく──その壮大な人類史と舞台芸術史を見たようでした。
舞台芸術がまだ今の形ではまったく無かった頃、人間たちの営みの背後に広がる大地、古代ギリシアの野外劇場の周囲に広がる町々、ステージという舞台にあがる人びと……そのような光景が見えるようでした。緻密で静謐。美しくも、なにか覗き込んだら食われるような深淵がある。タイトルは『ひび割れの鼓動』。そこに書かれた英字の『HIDDEN WORLD CODE』をまさに探すような、壮大な時空の旅でした。

ネタバレBOX

ギリシア悲劇を丁寧に考察/構築されていて、さらにそれを技術力のある俳優と、身体性の洗練されたダンサーとともに舞台にて表現しようという大胆さと的確さに驚きます。舞台芸術の本質が積み上げられるような、なんと貴重な第一歩だろう、と思います。
丁寧に組み立てられている反面、同時に、枠組みが際立つような気もしました。その構成が知的好奇心を刺激し、考察が優れているからこそ、頭で見てしまったかもしれません。そこに生身のカラダが躍動する身体表現による爆発力や空間の揺れのようなものを、感じたかったといえば望みすぎかもしれませんが……頭だけでなく五感への刺激がもう少し強ければ、さらに大きな高揚感があっただろうなと思います。

テキスト・ドラマターグは前川知大さん(イキウメ)。独自の世界観と言葉を持っている方なので、その特色をもう少し感じられたらコラボレーションとして現代的な面白さがあったかなと思いつつ、ダンスと演劇の背景を持つアーティストたちが共に古代ギリシアまで遡り、同じく舞台芸術に携わる者としてその歴史を立ち上げていく壮大な試みには興奮がやみません。
不思議の国のアリス

不思議の国のアリス

壱劇屋

門真市民文化会館ルミエールホール・小ホール(大阪府)

2022/03/24 (木) ~ 2022/03/25 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

壱劇屋が初挑戦する、パントマイムだけの長編公演。出演者5人のうちパントマイムに初めて取り組むという人もいる意欲作でした。

ネタバレBOX

ほぼ素舞台に、紐などで空間を生み出していく。しかも物語の舞台は宇宙空間!?ということで、これは5人の息がそろっていないとこちらにイメージが伝わらないというとても難しいことに挑戦しています。もちろんパントマイムとしては未上達というところもありますが、5人が互いを全身で意識しながら、そしてお客さんの存在もとらえながら、空間をつくっていく様子は印象的でした。演じる、ということついてホスピタリティの高い劇団なのだなぁと思います。

物語は、大人が未開の惑星?に降り立つという設定。キャラクターや展開や細部のエピソードなどは『不思議の国のアリス』をしっかり踏襲していながら、オリジナリティあふれる世界観になっていました。脚色・演出・振付の大熊隆太郎さんの描く「ヘンテコ」な景色を垣間見られて面白かったです。とくに、『不思議の国のアリス』でいうところのイモムシのイメージがありつつ、それが一人だけで演じられるのではなく複数人が同じ動きを繰り返して連なっていく様子は、身体表現やマイムの面白さが見られるキャラクター造形でした。

パフォーマンスの内容に対して会場が大きすぎる気もしましたが、舞台スペースを広く使っており、マイムによる演出もさまざまなアプローチをもちいるなど工夫がこらされていました。

また、劇団の初挑戦を応援するような客席の空気もあたたかく、「団体と一緒にリアルタイムに歩んでいく」という劇団の楽しさがあるなと感じます。
オロイカソング

オロイカソング

理性的な変人たち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

女の身体を持つ者たちによる、三世代の女たちの物語。私も女の身体を持ち女として生きる性だからなのか、私のパーソナリティなのか、女を描く物語や設定には、これまで親しんだ違和感のない手触りが多かったです。そういう意味では真新しさはなかった一方、丁寧に率直に真摯に、女が生きる世界を描こうという姿勢を感じました。

ネタバレBOX

年齢の違う三世代ですが、それぞれシングルマザーであったり性被害を受けたりと、女の生きづらさに遭遇しています。三世代を描くのであれば、世代間による違いはもっと感じられてもよいなとは思いました。あるいはどこかの世代にもっとフォーカスを当てて、観客の視点をもうすこし強く誘導しても良い気もしました(おもに現代の孫世代に焦点があたっていましたが、もっとそこを軸に過去を振り返る趣を強くするか、また個人的には二代目のお母さんを中心に据えても芯が立つと思いました)。

劇中で異彩を放っていたのが、戦隊モノのシーンでした。近年の女児主人公の戦隊モノ……とくに『プリキュア』の新作などは既存の価値観にクエスチョンを出す展開が多いです。「私達はこれでいいのか?」「世界はこれでいいのか?」「もっとこういう世界がいいんじゃないのか?」と問いかける戦士になって戦う──けれどもそれはまだ残念ながらフィクションである──という現代の女児主人公の戦隊モノを彷彿とさせるシーンは、まさにこの世界の女性達が置かれている現状でもありました。また、現実と戦うために、フィクションの力を借りて生き延びることにはリアリティがあると思います(そもそも近年の『プリキュア』がベースじゃなかったらすみません)。

空間の広さに対して俳優の演技が大き目なので、客席での居方を少し迷いました。慣れてくると受け入れられましたが、もう少し狭い空間における演技体でも良い気がします。俳優それぞれの演技がしっかりと太く、芯があるからこそよけいに空間に対して強く感じたのかもしれません。この作品をこれほどの狭さで上演するという、戯曲と空間はマッチしていると思いました。

また、提供のコンドームや特別映像など制作面と上演が関連しており、作品の厚みをうむ相乗効果をもたらしていました。オンライン裏話とのセット券もふくめ、上演以外にも興味を持ち世界が広がっていく工夫が凝らされていました。
 “Na”

“Na”

PANCETTA

「劇」小劇場(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

タイトルの「Na」ってなんだろうなと思っていたので、いろんな「Na、ナ、な」で遊ぶことが楽しくて、言葉には視覚・聴覚・舌感覚などさまざまな要素が詰まっているんだなと再確認しました。

ネタバレBOX

展開はシンプルで、誰でもわかりやすいのに飽きない!そして遊び心たっぷり。凝った笑いや、シンプルな笑いなど、ビジュアルで見せる笑いや(国旗ネタは爆笑しました…!)、音で楽しむ笑いなどさまざま。観客に呼びかけるという直接的なコミュニケーションのシーンだけでなく、全体を通して、観客の存在を意識し、相互関係を作ろうとしている様子を感じました。

4人の俳優と2人のミュージシャンが、全力でパフォーマンスしてくださるからこそ、時に組み込まれるダジャレ的な笑いもあたたかくなっていく。実は個人的にはダジャレというものが苦手なのですが、瞬間的にだけ瞬発力で笑わせようとするのではなく、出演者たちの真摯さ、前後の空気感の作り方、観客の反応とのちょっとしたキャッチボールなど、空間ごとつくっていく要素としてダジャレがあるので楽しめる。ダジャレを好きにさせてくれてありがとうございます(笑)。

そういった関係性の作り方にはドラマがあり、いくつもの小話が関連したりはしているのですが、もう少し全体を通したダイナミズムがあるともっと印象深くなると思います。
また、冒頭の「王様ゲーム」はハラスメント的なシーンですこし見るのがつらいのですが、そこに王様など登場人物の人間性や関係がもっと描き込まれるか、他のセットリストとの明確な関係性があれば、ハラスメント的なシーンの存在意義があり、また作品に厚みも出るかなと想像しました。

また制作面で、Na=「名」として、チラシのデザインやチケットがこだわられていて、細部への遊び心を感じました。当日パンフがQRコードになっていて、アクセスしてみて当日のラインナップがわかる流れに。個人的にはQRコードパンフはコロナ禍にも対応しているし嵩張らないし好きなのですが、スマホを持っていない人もいるのでそういう方は見られたのかな、と少し心配にはなりました(けれども相談したら丁寧に対応してくださいそうな受付の雰囲気づくりや、並ぶ観客への声かけの柔らかさも良かったです)。
黒い砂礫

黒い砂礫

オレンヂスタ

七ツ寺共同スタジオ(愛知県)

2020/03/14 (土) ~ 2020/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★

演劇を観に来た……!、という嬉しい興奮を味わえる開場時間。制作スタッフの方々に迎え入れてもらえるというこの感覚は、小劇場のひとつの魅力だなと思っている。空間もまた、近くの方々に愛されているのだろう空気が漂う。

ネタバレBOX

「山と女性」の話らしい、という情報だけで観劇したけれど、これは「女性と山」を主軸とした演劇だと感じた。女性の切実さ、無念さ、傲慢さ、特権などを盛り込んでいて、胸抉られるシーンや表情や主張が幾度も出てきた。それでも、そこに終始せずにだんだんと人間の傲慢さと欲望とが膨らんでいったことが好ましかった。また、登山部のメンバー達の明るさと、運動量と、あえての「部活」としての記号的な演出が、この作品を外に開いていた。

キーパーソンの女性登山家の葛藤とそこへの立ち向かい方は、今の世、もしかしたらこれからの世でもっと一般的になるかもしれない。演劇という方法で描こうとすることそのものに希望と強さを感じる。

山に見立てた美術の組立と、ロープのアイデア、そこから広がるイメージはさまざまなものを想起させた。ロープの色も、さまざま想像してみたが結果良かったと思う。強いて挙げるのであれば、クライマックスの巻き戻しの方法についてはなにか他の方法があるような気もしますが……俳優達の力強さによって説得力があった。

作品としても、劇団としても、個性がありながらもその一体感はとても力強いです。ずっと、あと何十年も上演できることを願います。また、もし実現できることがあれば、ニノキノコスターさんの書くこの物語の先の光景を観たいと思います。
インテリア

インテリア

福井裕孝

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2020/03/12 (木) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

まず大事な前提として、東京公演ではなく、京都公演を観た。おそらくこれはまったく違う上演だったのではないだろうかと想像する。本作は“部屋の中の生活というスケールから、人・もの・空間の相依的な関係の顕在を試みた”とある。三鷹SCHOOLでの東京公演はビルの一室を用いた「部屋」での上演、京都公演は「劇場」での上演となると、そもそも企画の意図と効果が違う意味を帯びてくるのではないだろうか。ちなみに本公演は、三鷹SCHOOLで上演される「#部屋と演劇」企画、のひとつだ。

ネタバレBOX

という前提のもと、「『インテリア』京都公演(劇場)」について振り返ると、そこはあくまで劇場であり、訪れた人々はあまりにも観客であった。来場者はなにかしら自分の部屋にある「もの(インテリア)」を持ってきてステージに置くが、『人・もの・空間の新たな出会い、新たな関係の形成』という意味では、パーソナルな家からパブリックな劇場に「もの」を運んできたことによって、劇場内におけるその「もの」はよそ行き顔の特別な「もの」になってしまっていた。さらには、その「もの」が作品内でなにか用いられたり、関係性を発するわけではないので、舞台美術の一部になれず、場合によっては無いものとして扱われていたようにも見えた。

そのなかでルンバが登場し、動きまわる。この「人(生命体)」ではないが動く「もの」の存在が、新たな関係性をうむ煌めく原石のようだった。劇場空間に対しては少しルンバのサイズでは小さい気もするが、きっとこれが三鷹SCHOOLの白い室内で観たならばかなり胸に刺さったと想像する。

それら「もの」の効果と、観客(「人」)との関係は、劇場での公演にあわせたあえての演出なのかもしれない。けれどもフィクションの空間においては(しかも観客はステージを見下ろすタイプのすりばち型の劇場なので、多少なり「異空間から眺めている」という関係性のもと作品がスタートしている空間)、「もの」はもう少しフィクション性を持たないと存在できないのではないだろうか。

#部屋と演劇、とあるが、「部屋」「空間」以外にも、「演劇」「劇場」とは……とあらためて考えさせられた。パフォーマンスではなく演劇であることの意義。演劇として劇場で上演することの意味。そのうえで、舞台上に人の身体が存在していること。では「もの」とはいったい……?

さまざまな問いと本質が入り乱れる、可能性の溢れる企画だった。丁寧に組み立てられているのだろう。また、当日パンフレットの引用群は、ものを持ってくる観客として作品に関わる「人」に対して、さまざまな波紋をうむ石を投げていたのはたいへん面白かった(もうすこしガイドがあってもいいような気もしなくもないけれど)。

ぜひ三鷹での上演を目撃したかったという気持ちもありますが、今後この作品が改訂を重ね上演されつづければ、ある程度どこで上演したとしても空間にフィットし、大きなインパクトをもたらす唯一無二のものになるかもしれない、希望が輝いていました。
是でいいのだ

是でいいのだ

小田尚稔の演劇

SCOOL(東京都)

2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

とにかく繊細で、真面目で、でも踏み込む大胆さもある、愚直なほどに。
入場時の案内からはじまり、そう感じさせるほど丁寧に重ねられていくシーン達だった。三鷹SCOOLでは、一列目の観客は手を伸ばせば俳優に触れられるほどの近さ。舞台上への照明によって観客の顔もよく見える。

ネタバレBOX

東日本大震災が起きた当日のできごとを、東京に暮らす人々の視点からモノローグ形式で繋いでいく。同じ東京とはいえ、出会ったことがなかった人々の別々の物語が、別々に語られることによって織り合わされていく。語り部となる4名の登場人物だけでなく、ステージ奥の卓(ミラーボールの回転なども手動で担当)との数度のコミュニケーションにより、「いろんなことの境界がさまざまな方法で無くなっていく」という感覚をじっくりと肌に馴染ませられた。

誰もが、さびしく、不器用で、うまくいっていないけれども、「是でいいのだ」という言葉がすんなりと入ってくる。

余談ですが、過去上演も観たことがありました。数度目の上演でありながら、繊細さと丁寧さを増しながら「是でいいのだ」という切実さも強さも増すように感じられたことには、再演を重ねることへの意義を見いだすことができました。
HOMO

HOMO

OrganWorks

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★★★

絶滅する人類の三日間、を踊った。
客席と地続きのステージは薄暗く、人の気配が漂い、緊張感に包まれる開場時。そして“人類”という大きなテーマ。一歩足を踏み入れた時から作品にかける思いが伝わるほど、劇場内には静かな熱量が漂っており、それはダンス公演だからこそかもしれないと感じた。それはつまり、この場が身体表現の空間であることを実感することでもあった。

演劇のように配役(カテゴリー分け)が当日パンフレットに書かれており、詩が綴られている。読み飛ばしてから観はじめたらもったいないとも思える情報が、さりげなく手渡されていた。

ネタバレBOX

踊り、というよりも、動く、傾く、重なる、蠢く、という印象。身体表現というよりも、身体の集合体をつくっているよう。表情の筋肉ひとつひとつ、喉の奥から落ちてくる声。それは一人の人のものではなく、複数名が重なり合い、「ヒト(HOMO)」となっていく。また、美術はDNAのようにも見える。空間全体も作品を通しても、詩的というのがいいのか、文学的というのがいいのか、もはや考古学的というのがいいのか。「2001年宇宙の旅」のような壮大さは、時として人類の歴史と同じく観るものを呆然とさせてしまう瞬間がある。プラネタリウムにいるような感覚に近いかもしれない。そのあまりの大きさに、興奮する人もいれば、力が抜けていく人もいるだろうし、余裕の有無によってはもしかしたら窮屈さや落ち着かなささえ感じるかもしれない。ただ、目を凝らせばそこには、生々しさと無機質さの同居がある。

この公演により、カンパニー主宰である平原慎太郎さんの作品に合うダンサーの特性が際立ち、広がったのではないだろうか。とくに出番も多かった渡辺はるかさんは、人類と新人類にかかる橋のように、新鮮さとのびやかさがあった。これから、このカンパニーが伸びていく未来の枝葉を見ているような瞬間もあった。作品としては完成度を追求しているのだろうけれど、カンパニーとしていろんな可能性がありそうだと感じられるのは、プロデュース公演とは違う面白さだった。

人類(ホモ・サピエンス)の旅を描いた「HOMO」。あえて抜いたのだろうが「サピエンス」とはラテン語で『賢い』。では、賢くない人とはなんだろう……言葉による物語とはちがう、身体と空間による物語を堪能した。
ゆうめいの座標軸

ゆうめいの座標軸

ゆうめい

こまばアゴラ劇場(東京都)

2020/03/04 (水) ~ 2020/03/16 (月)公演終了

満足度★★★★

『弟兄』。作品として素晴らしかったとともに、この演劇について話すのは難しい。

というのも……

ネタバレBOX

『弟兄』は、作品の呈としては「作・演出・主演の子どもの頃のいじめ体験を加害者の名前を実名で上演して、さらには本人達に怒られたので伏せ字にしたが上演は続けている」というもの。どこまでがフィクションかはわからないのでもちろん全部つくりものの可能性もあるし、すべて現実の可能性もある。

……という状況のなかで、観客はおそらく、観劇しながら自身の加害性や被害性を垣間みることになるだろう。

それとは別に、もし、これがすべて事実だと仮定すると、そこには『演劇の暴力性』がうまれる。この上演そのものが、かつて子どもだった加害者へのひとつの加害であり、それを楽しんでいる観客はその『演劇の暴力性』をうみだす共犯者たりえる。(もちろんあくまで仮定の話ではあるが、ゆうめいはその可能性を残して上演をしている)

また、(大幅な改定をせずに)再演をしつづけることによって、物語本来の切実性は薄れ、観客個々人のもっている作品の情報は多くなってくる。「作品を見ている」という前提が強くなるほどに、小劇場の客席から動きづらく発言もしづらい観客は「演劇の暴力を浴びている」という状態になる。つまり、再演をするほどに作品の意義や価値が変わってくる演劇ではないかと感じた。

作品としてのクオリティが高いことは、過去上演の成果や、今回公演のさまざまな感想からもわかるし、私もおおむね同意ですので細かなことは割愛させてください。脚本の構成、照明や音響や美術などをふくむ演出の仕掛け、フィクションとのバランス、俳優の表現力など、どれも魅力的でした。そして、「演劇ってなんだっけ」「表現ってなんだっけ」「芸術ってなんだっけ」という問いドキュメンタリーシアターとしても独自の芯が通っているからこそうまれる力強さがあります。

批判が多いほど、上演意義の深い作品だと思いました。
まほろばの景 2020【三重公演中止】

まほろばの景 2020【三重公演中止】

烏丸ストロークロック

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/02/16 (日) ~ 2020/02/23 (日)公演終了

満足度★★★★

なぜ山に登るのか。山とは何なのか。
東日本大震災を物語に横たわるひとつの土台として、さまざまな人々の生きづらさが交差する。

ネタバレBOX

ひとりの男は、山に登りながら、過去へと下っていくのだが、もしかしたら過去を振り返るのは「登る」という作業なのかもしれない……と思うほど、上も下も、右も左も、奥も手前も、時間もわからなくなっていく。観客の感覚を曖昧にまぜこぜにさせ、現実か幻想かわからない世界に誘うのは、杉山至氏の美術や、声や生演奏や風をもちいた演出、顔の見えづらい照明などによる。ひとつひとつ時間を刻んでいるのだという印象を受ける。

主人公を演じる小濱昭博さんを中心に、ひとつひとつ丁寧に積み上げてきたエピソードが、水のなかで舞う小菅紘史さんにより重さをともないながらも解き放たれるシーンは圧巻。

そのシーンをひとつの頂点として、六根清浄の浄化と生々しさが、“身体”という舞台表現によってそこに存在する。作品として精錬されていることと劇場空間に黒い余白があるために、その広大さを実感として見いだすか、夢うつつのような浮遊感を感じるかは、人によるかもしれないが……

2018年から上演されてきた作品ではあるけれども、何度も再演されることこそが、まるで登山のよう。この先もし形を変えようと「まほろばの景」が続くことが、わたしたちの誰もが背負った、まほろばへの旅なのかもしれない。
夕夕方暮れる

夕夕方暮れる

立ツ鳥会議

萬劇場(東京都)

2019/05/31 (金) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

優しい話。いろんな俳優さんがいて、いくらかに共感しました。個性がそれぞれ違うのでもう少し演技の質がかみ合っても良い気もするけれど、そのちょっとずつみんながおかしい感じも、良い。せっかく誰かに寄り添う話なので、台詞で語りすぎずに演技や行間で観ることができたら、演劇としてもっと面白かった気がします。
夕方、時間、公園。限られた場所のいくつかの時間というコンセプトはとても良かった。誰にでもきっとこんな場所はあるのだろうな。場所って、いつかなくなるかもしれないけど、その時には目に見えない場所ができていたらいいな。なんて思った。

「芸術家入門の件」

「芸術家入門の件」

ブルドッキングヘッドロック

吉祥寺シアター(東京都)

2019/05/18 (土) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

この題材に真剣に挑んだ誠実さにとても好感を持てました。ビジュアルも見応えがあり、俳優さんたちも魅力的。最後の結論はフィクションのようでも夢のようでもあったので、かなり好みがわかれそうです。
とにかく長いので、観ている方もかなり体力が必要なのが、良いのか辛いのか……。個人的には短い方が観やすいし、もっとよく観られたので、もう少し長いことの意味と体感が作品とリンクすると嬉しかったです。しかしこの上演時間+アフタートークを実現させたみなさんと劇場には頭が下がります。誠実な舞台でした。

お気に召すまま

お気に召すまま

ヌトミック

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/05/12 (日) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「お気に召すまま」だと思って観ると(頭ではなく)気持ちがついていけないので、途中からそれは考えるのをやめました。いい意味で俳優さんの力技な部分はおもしろく、同時に、ダンサーではない俳優さんが動くことの意味を考えさせられました。見せるもの、ではなく、解釈的な要素が強くなりがちだったかも。それを上回る「人間がそこにいること」がもう少し強くあれば、演劇である意味がもう少しあるのでは。
試みはとても面白いので、意図とは違うかもしれない(し制作面的なことにはなる)ですが、この際思いきりタイトルを変えたり副題を考えた方が、お客さんと良い関係を築けるかもしれないかなと思いました。

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