MomokoKawanoの観てきた!クチコミ一覧

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湿ったインテリア

湿ったインテリア

ウンゲツィーファ

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2025/05/19 (月) ~ 2025/05/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

愛というものの歪さ、生きることのままならなさ。それでも希望を託したくなる。

ネタバレBOX

「子どもが親にしてくれる」というようなことはよく言われますが、親になる準備が心身ともにできていない時に親になる人はきっと多いでしょう。合計5人の大人が親であることをもがく姿は、人は誰かの子どもであることをあらためて感じさせます。誰も彼も、様々な親を持ちその影響から逃れられない。新しいひとが生まれるという時に、そのことがじめりじめりと迫ってきます。

3世代、2家族。いずれの登場人物も価値観が異なり、なぜそういう生き方なのかの背景が見えていきます。それらが台詞によって織りなされている戯曲はとても巧みでした。
さりげなくも多層な台詞を、俳優たちがさらに深く立体的に立ち上げていきます。タク(藤家矢麻刀)の葛藤とエゴ、チア(豊島晴香)の自分の人生を生きようとするかたくなさ、カキエ(松田弘子)の喪失との向きあえなさと向き合い方、タナコ(根本江理)の自分と他者との折り合いの付け方、ジュウタ(黒澤多生)の他者と他者とを繋ぐ佇まい。すべての登場人物が優しく、わがままで、愛おしい。
音楽、美術、照明、音響が、横に縦にと空間を広げていて、リビングの天井を越えて、劇場の高さ4000とは思えない、ずっと宙遠くまで続いているように思えました。

それらの総合力で、もうなにがなんだか愛というものがよけいにとらえられない宇宙のような複雑さを見せていきます。
それでも、そのなかでたった一人だけ、言葉ではなく泣くことでしか自己主張ができないソラ。大人たちの抱える複雑さをシンプルにしてくれるような存在でしたが、ソラが自分で泣くことすらできなくなったときに、大人たちそれぞれの主張がハレーションを起こしていきます。
終盤、どこに行きつくのかわからないこの物語に、生きていると、他人は思い通りにならないし、自分自身にだって納得がいかない。後悔はそこかしこにあるし、どうなるのかもどうしたらいいのかもわからない……よなあ、きっと、幾つになっても、と思いました。
薄く折り重なる多層さゆえか、その場で宇宙へと放り投げられるようなインパクトやカタルシスがあるというよりも、数日たってじわじわと気配を感じさせる日常に潜む宇宙のようでした。観劇後も続くこの観劇体験が、今も心地よく胸にあります。

「再演をする」というところから話が始まったことは当日パンフレットでも明言されています。「Corich舞台芸術まつり!」の審査とは別の話にはなりますが、受付にたどりつく前から飾られた赤ちゃん用品や、子どもが生まれたばかりの夫婦のリビングを舞台にしたこと、スピーカーを用いた赤ちゃんなどは過去公演と同じでありながら、まるで別の作品でした。登場人物や焦点を当てられている部分は異なり、前回描かれた「演劇」の話題からは離れています。これほど似ていながら、これほど違う作品なのだと、面白くもありました。作品と創り手を離した改定に、確かな技量を感じた上演でした。
牧神の星

牧神の星

劇団UZ

アトリエhaco(愛媛県)

2025/05/10 (土) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

新たな場所がひらく。アトリエhaco前からながめた愛媛の街並みは、記憶に残る一枚となった。

ネタバレBOX

柿落としとなるアトリエhacoは、2024年8月に閉館した「シアターねこ」閉館を受けて、劇団UZのメンバーらによって立ち上げられた場所です。「シアターねこ」が四国・愛媛の小劇場の力強い拠点であり、UZの公演場所でもあったことで、演劇を続けるために稽古場として利用していた倉庫をhacoとして生まれ変わらせました。こうした新たな場所と、劇団/劇団員が苦悩する作品が重なり、現実とフィクションが層のように編まれていきます。

戦争と、それを演じる劇団員たち。虚構と現実を行き来する登場人物たちは、さらにそれを観る観客の現実とも呼応していきます。
自分たちの身近なところから手探る戦争や、演劇を続けることの身近な課題が描かれていますが、内輪に閉じてはしまわない。脚本は、現代のさまざまな社会問題や、未来の行く末など、多重な要素を地続きに描いていました。全編通して力強いこともあり盛りだくさんな印象もあるので、もうすこし力を抜くと見やすいようにも思いはしますが、むしろつねに高密度なことが切実さでもありました。その骨太な2時間を体現する、俳優の力強さに圧倒されました。
ラスト、チェーホフ『三人姉妹』を思わせるような女性3名の喪失と未来へのまなざしと抱擁。そこで一言発された生活に根差した台詞に、ブレのない、生きて演劇をいとなむことの実感があるように感じます。まだ不確定な未来を共にまなざすことができた気がする一瞬でした。

劇場外では、近隣の飲食店による出店、四国の様々な公演のチラシの展示や、舞台感想会の実施など、UZや演劇関係だけにとどまらないいろんな取り組みが開催されていました。
またチケット代金には、県外在住者割引、UZ割引(失業や休業、離職など何らかの理由で「観劇したいけど…」という方のための割引)などが設定されています。とくに県外在住者については、利用者も多いのでしょう。県外ナンバーの車を何台か見かけました。終演後には、シアターねこの閉館を惜しみ、アトリエhacoの門出を応援する人々の姿が。みなさんが他県から訪れ顔を合わせる様子に、場を持つことの希望を感じました。
hacoは山に入ったところの倉庫のため、劇場のような環境が整っているわけではありません。会場に辿り着くまでの道は整備された道路とはいえ狭い坂道で、展望台に行く人が迷い混むこともあるとか。トイレは自分でペットボトルから水を流すスタイルだし、倉庫内の気温調節は至難の業でした(夜は寒いと聞いていたが、まさかの昼が激暑でした)。しかし事前の案内や、トイレの備品などにはさまざまな配慮を感じます。
負荷のある環境ですが、まだ道は始まったばかり。「劇団公演」という言葉をこえて、この地にアゴラを作っていく過程に同席する機会をいただけたこと、ありがとうございます。
絵本町のオバケ屋敷 〜愛!いつまでも残るの怪!〜

絵本町のオバケ屋敷 〜愛!いつまでも残るの怪!〜

優しい劇団

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2025/04/19 (土) ~ 2025/04/19 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

作家性と企画の相乗効果。その日出会った俳優たちと、もう一人の出演者に万雷の拍手を送りたい。

ネタバレBOX

まず主宰の尾﨑優人による前説で、企画の概要が話されます。この段階で、客席の多くが引き込まれていくのを感じました。そもそもすでに最初から「1日で出会って上演して解散します!」という企画を楽しみにして来ている方も多い様子なので、あらためて主催者から丁寧に概要を説明されること自体が期待を増幅させる時間なのかもしれません。
説明される企画のポイントはかなり多いですが、飽きさせずに興奮を湧き立てる尾﨑の前説によって、「想像する」「俳優や作品によりそう」という観劇の土台ができあがっていき、わくわく感が募ります。

だからこそ、開演してすぐに暗がりから一人目の俳優……物語の舞台となる絵本町でメルヘンをもとめる絵本作家(土本燈子)が登場する導入が、非日常へといざなってくれて心地よい。作家にメルヘンを語る役割が、尾﨑演じる老婆(事前公開あらすじでは劇作家)であるという設定も、メルヘンと演劇愛にあふれていました。そして10名の俳優たちにより、次々と繰り出される天下一武闘会のような目まぐるしい共演という饗宴に、舞台に向けて意識が集約されていたところ……終盤、客席後ろの会場出入口から、あらたな出演者が登場します。視野が広がり、メルヘンの世界にすこし現実の風が吹いたように感じました。後説では、彼らが学生であることも紹介されました。全体をとおしてフィクションと現実を接続する巧さに舌を巻いた企画でした。

作品では、この町で起きた様々な恋が語られます。初対面の別地域同士の俳優による4つの物語は新鮮で、企画としても、1日で出会い作品を作りまた別れるというのも恋かもしれません。さまざまな恋物語を語る劇作家と、メルヘンを求める絵本作家の出会いもまた恋なのでしょう。それはそのまま、観客が演劇に出会うさまが恋だといわれているようでした。

これが恋だというのなら、私の恋心を奪ったのはもう一人の出演者でした。10名の出演者にその呼吸を逃すまいと見えない熱い眼差しを送り、自身は影ながら照らし続けた照明の、その動きと佇まいと生み出す効果によってこの空間が下支えされていたと思います。

この公演がすべて「1日で」おこなわれていると聞くと作品の不安定さを懸念するかもしれませんが、むしろ現段階では「1日で」あることで作家性が引き立っているようにも感じました。作品の構成が1対1になっており即興として成立させやすく、様々な先人を想起させる演出手法やイメージを共有しやすい作風で世界観を統一させられるかなと想像します。もしこれがオリジナル脚本による本公演であれば期待されることが増えるかとは思いますが、ことこの企画においては強度があるていど担保される状況ができているのではないでしょうか(準備などを見ていないので断言はできませんが…)。
今後シリーズが回を重ねると、より安定し、即興による高揚感は薄れるかもしれません。しかしそんな懸念よりも、どうなったとしても新たな胸躍る企画をうちだしてくれるんじゃないかという信頼感が手放せません。芯のブレない企画に、演劇の楽しさをあらためて思い起こさせていただきました。
kaguya

kaguya

まぼろしのくに

ザ・ポケット(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

『竹取物語』を下敷きに、原罪や家族との血のつながりなどさまざまなモチーフを散りばめ、物語は縦横無尽に時間と空間を行き来します。

ネタバレBOX

まず、怒涛の台詞量に対する、俳優の力強さが目を引きました。出演者たちは勢いがあり、言葉が明確で、各々のシーンをそれぞれが牽引しています。
自分たちを「かぐや姫の末裔」だと信じる家具屋一家。長子ども部屋宇宙のまんなかにいる15歳のノゾム(二瓶大河)の素朴さと抱える感情の大きさが、いつしか作品の芯になっていきます。ノゾムをとりまく家族たち(ミヤツコ/渡久地雅斗、マダム/町田達彦、アダムス/玉木葉輔)のパワーが強く、ノゾムをノゾムたらしめている説得力がありました。3人の女や空中飛行士たちなど個性ゆたかな面々にノゾムは翻弄されています。だからこそ、ノゾムがkaguya(高畑亜実)に出会うことで世界が変わり、とくに後半、高畑の佇まいはこの物語の根底を下支えしていました。出演者みなさんのパワーが強いところは魅力的な一方で、ほとんどの時間が「動」「in」の状態にも感じられて落差がすくないことが、全体のインパクトを削いでいるように感じられました。

入り乱れる多くの要素を具現化し、彩っていくスタッフワークが力強く印象的でした。衣裳とメイクの意味付けは大きく、美術の転換や小道具の仕掛けに工夫がありました(様々な仕掛けと工夫が用いられているのですがクレジットがなく、もしや皆さんで考えて作られているのでしょうか…!?)。しかも次々と変化が繰り出されます(舞台監督さんお疲れ様です…!)。変化の量に比して空間の動きが小さくも感じられたので、たとえば変化に緩急をつけるとか、あるいは作品の構造をもうすこし整理にするなど、全体に通す太い芯に動きをつけられれば、空間全体を変化させ大きな衝動をもたらすことができるのでは、と思いました。

「CoRich舞台芸術まつり!」の第一次応募文・団体紹介にて「作品は、唐十郎氏や野田秀樹氏などといった小劇場ブーム時代の特徴を感じると観客から評されることが多い。」と書かれています。たしかに具体的な作品名を想起させる台詞や演出はいくつかありました。また音楽についても様々な作品で使われているものがあり、すでに観客のなかにあるイメージへの影響は受け手によってかなり異なるのではないかと想像します。
しかし作者の視点や見解は面白く、とくにkaguyaの存在やキャラクターが提示するものは現代的で、過去と未来をも横断し鑑賞者の思考を広げる効果がありました。全体的にエピソードもパワーも盛りだくさんであるため、たとえばこのkaguyaが周囲にもたらす影響に焦点をあてて人物背景の描写を深めていくなどすると、より深みが出たように思います。

観劇にあたっては、チラシの段階で上演時間がわかっていることと、「観劇あんしんシート」(さよならキャンプ作成)があったことは非常にありがたく、それら懸念点についてとても安心して客席に座ることができました。
なんかの味

なんかの味

ムシラセ

OFF OFFシアター(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/09 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

小津安二郎監督の『秋刀魚の味』をモチーフにした、フィクションの力を持つシンプルなドラマ。とあるスナックを舞台に、なんだかお客さんたちもスナックを訪れたような、すこしの余所余所しさが心地よくも、妙にあったかい時間をすごした。

ネタバレBOX

冒頭、まずは制作の方の快い挨拶から。そして幕が開き、繊細さと大胆さの同居した巧妙な脚本と、豊かで鮮やかな俳優たちに引き込まれます。
台詞は、説明せずとも4人の人物とそれぞれの関係の背景を想像させ、さりげないとある言葉……小さな引っかかりは感じるものの気にならない程度のものが、後半のある展開につながっていく。
人物造形も同じく、説明されずともいつしか「ああ、この人はそう思っていたんだな」と腑に落ちる。現実の生活でも物語でも、ある人の気づかなかった一面に思い至ったとき、それまでの言葉や時間そしてその人自身を愛しく思うことがあります。そうしていつしか、客席から見ている4人のことそれぞれを、自分にとっても大切な人のように感じられていることに気づきます。たとえば平川迪子(橘花梨)の、頑なで不器用だけれどその後ろにある寂しさと強さ。父・秋平(有馬自由)のわがままな愛情と口にできない弱さ。お店のママ・薫(松永玲子)のあふれる気遣いとまげられない自分。バイト・璃(中野亜美)の若さともなうしなやかさと意地。いずれもさまざまな顔が当然のように同居している。4人それぞれの言葉にしない思いや背景が感じられることで、20年以上の時間や各々のそれまでの人生が想像できる、とても豊かなドラマでした。
物語をとおして、家族のつながりとしがらみが浮き立ちます。また、結婚における仕事や年齢や家庭環境などの格差といった不均衡も見えていきます。「家族」というものには当然ながら、良い面も悪い面もある。そこに答えを示すわけではない。うまくいかない愛情と寂しさを抱えて、きっと多くの人が今を生きているのだと。

全体の建て込みが丁寧だった美術のなかでもとくに、トイレが印象的でした。出ハケの都合かもしれませんが、過去のシーンの出入りでトイレという個の空間が使われていること。プライベートの大事な扉は、他者へも過去へもつながる風穴のように感じられました。きっとあの扉をあけて外へ出ると、いろんな香りがするんでしょう。もしかするとシチューの香りが。

そういえばクリームシチューのCMにはだいたい家族団らんが描かれています。ハウス食品の「シチュー」のCMソングは山崎まさよしの『お家へ帰ろう』であり、植村花菜の『世界一ごはん』(※歌詞に「お家に帰ろう」とある)でした。
ちなみにビーフシチューは長時間煮込むと美味しくなるけれど、クリームシチューは煮込みすぎると材料が分離してしまう。煮込まれすぎないほうが、家族も美味しいのかもしれません。物語ラスト、煮込まれていないできたての「うまっ」は、今の4人の最適距離なんだろうなと感じました。
悲円 -pi-yen-

悲円 -pi-yen-

ぺぺぺの会

ギャラリー南製作所(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/31 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

新NISAをテーマに、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』をベースにした日本のとある葡萄農家のようすを描く。会場は大田区の元工場を利用したギャラリーで、チケット代は毎週の日経平均株価の終値を反映するなど、コンセプトやさまざまな取り組みが楽しい。

ネタバレBOX

新NISA演劇、だそうです。投資演劇ではなく新NISA演劇。そもそも「新NISA」という制度は手軽に投資することを推奨するような制度で、果たしてそれが市民の救いになるのかは……なんだか煙にまかれているところもある制度だなぁと思っていますが、本作は……都会から離れた葡萄農家が舞台。一家の妹の元夫でいまは有名なYouTuberであり投資家の瀬戸先生(村田活彦)が、農家の売却を提案してきます。かつて瀬戸を信頼していた、農園で働く小池さん(石塚晴日)の息子の良夫ちゃん(岸本昌也)を筆頭に、あえて棒読みのような台詞の言い方や立ち姿は、空虚ながら生活の空気も残しており、会場のコンクリートの壁のように冷えた印象と、だからこそそこにある生命の消せない温度を漂わせていました。一変して激しく賑やかな『U.S.A.』のダンスシーンなど、作品としてまた演出としてもとても練られています。
こだわり組み立てられている一方で、盛りだくさんにも感じられました。戯曲としても『ワーニャ伯父さん』の物語を反転させるくらい本作独自の世界により引き寄せてもよかったようにも思います。またアメリカを強く意識しながらも、そこにアメリカと複雑な関係を保つロシアの戯曲をベースにしたことの皮肉もより明確であっても上演の説得力に繋がったのではないかと想像しました。

トランプ関税等の影響によって株価が大きな影響を受け、投資家たちが沸き立ったのが記憶に新しい昨今。演劇というリアルタイムの虚構が追いつくには世の中のスピードがとても速くなっています。現実との接続は難しいなか、日経平均株価を反映するチケットの値段設定はとても良く、キリの悪いチケット代を見てわくわくしました。

会場は、大田区の元機械工場をリニューアルしたギャラリーでした。
町工場は高度経済成長を支え、日本のなかでもアメリカ(はじめ国外)の影響を強く受けた分野です。とくに大田区には町工場が密集していましたが、時を経て激減してしまった。ある意味で、日本の経済と発展・衰退の象徴のような地域ともいえます。そのような場所であるからこそ、工場を舞台としたことを重ねられれば、より身近なこととして実感できたように思えました。
舞台奥のシャッターから車が出入りするさまは、かつてはきっとなにげない日常だったでしょう。しかしそのなにげなさ(車の出入り=取引があるということ)こそ、繁栄の象徴のような光景だったのかもしれません。
 wowの熱

wowの熱

南極

新宿シアタートップス(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

WOWの熱、舞台の熱、客席の熱、公演の熱。すべてが熱かった。

思い返せば、小劇場というものに出会った数十年前、こんな熱気の虜になった。
現実とフィクションが入り乱れ、個が強くありながらも集団でしか行けない場所へ。「劇団」というものの成せる熱狂が、劇場の外にも充満していた。

ネタバレBOX

物語は、南極の劇団/劇団員と、劇中の演劇とが重なり、さらにそこで上演される作品、そして作品のなかの登場人物の……とメタフィクションの構造になっています。その構造が仕組化されていくまでの前半は演劇としては冗長にも感じられましたが、よく練られていて楽しみました。
しっかりと組み立てられている一方で、後半、勢いと情緒的なカタルシスで押し進められるように感じられるきらいもありました。俳優個々のパワーが強いからこそよけいに、粗くともその荒波に飲み込まれていく……この力技が爆発力を持たらしてもいるのですが、もうすこし「その展開なぜ?」という部分を緻密に組みたてていられれば、安心してのめりこめるだけでなく、観劇の興奮についての曖昧さが減りより深く確実に刻まれる体験となったように思います。けれども、少なからず客席からも舞台上にむけて熱風が送られており、ともにこの公演をさらなる高みへと昇らせていました。その劇団としての総合力はなにものにも代えられません。
その熱気は上演だけにとどまらず、公演最終日にかけては、当日券を求める人たちが集まっていたようです。客席には観劇がほぼ初めてだろう人も見受けられ、「期待感」という空気もまた熱気となっているように感じました。

俳優の名前と役名が重なるなどの構成もあり、作品単体を観るというよりも、劇団「南極」の第7回本公演として観ることでまた違った魅力を感じる公演だとも思います。同時代を生き、リアルタイムの生身に触れ、ともに日々を進んでいく。そんな劇団公演の魅力が詰まった舞台です。
ワオ/端栞里が演劇に出会ったように、南極の劇団員がここに集っているように。それが思わぬ出会いだったにも関わらず、鮮明に記憶され、気づけば人生を変えてしまうことがある。そんなことを思い出し、端栞里(※役名)の語りに導かれ自分の人生を旅する瞬間もありました。メタフィクションの構造にすることによって、役に共鳴するだけでなく、役者や劇団に共鳴した人もいたかもしれない。作品だけでなく、劇団として観客に突進してくるような今作には「よし、南極という船に乗ろう」と思わせる力強さがあります。

作品からすこし話がそれますが、ときに劇団公演には、作品における俳優のポジションやキャラクターが固定化していくことによる楽しみがあります。今後、ポジションやキャラクターを強化していくのか、それとも変化させていくのかで、楽しみ方が多少なり変わるかもしれません。南極がどういう選択をし、どこへ向かうのか。それすらも共に時間を過ごし楽しみを味える、今の小劇場における海賊船のような存在の行く末にわくわくします。
零れ落ちて、朝

零れ落ちて、朝

世界劇団

JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)

2025/03/22 (土) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観劇にいざなう説明文では「シロかクロか、そのどちらか」と問われている。モチーフのひとつであるグリム童話『青髭』と、医師の戦争犯罪が重なっていく。

ネタバレBOX

童話と同じく、青山という男(本田椋)のもとに娘(小林冴季子)が嫁いだばかりの頃から始まります。娘は、舞台中央にある扉だけは開けてはならぬと言われており、それ以外の屋敷をすべて美しく掃除しなければいけません。娘は屋敷を美しく磨き白く保とうとしますが、結局、その黒い扉を覗いてしまいます。
白い屋敷のなかにある、黒い扉。その扉の向こうでおこなわれている行為はいわばクロ。加害行為を知ってしまった時、そこに立ち向かわなければその人はクロでしょうか、シロでしょうか。「白くありたい」と言う娘ですが、扉の奥の秘密を知る前から黒い衣装をまとっている彼女はを見ると、娘の背負う「クロ」とはなんだろうかと考えてしまいます。
嫁いだ娘が家じゅうを掃除する行為は、家父長制の象徴のようでもありました。それは、国に従い戦争行為に望まざるとも加担してしまった市民、という構図にも重なります。

寓話と史実を、小林冴季子のやわらかだけれどハリのある身体性と、シェイクスピア『マクベス』の三人の魔女のような近所の市民たちが繋いでいきます。本田椋は加害者の内面の矛盾や苦悩を体現し、バネのような身体がこわばり今にもはじけ飛びそうに見えることも。

本作冒頭では、娘が観客を作品世界へ誘います。そのため、さまざまな加害とその罪が描かれ、クロとシロが入り乱れるなかで、「加害を目撃する」あるいは「はからずも加害の共犯になる」という娘の立場についてをもうすこし深く覗いてみたくもありました。たとえば客席でなんらかの物語を「目撃している」ということに作用があれば、加害についての多重的な構造を体感としてより実感できたかもしれません。
しかし客席との接続という意味でいえば、中央の台が八百屋になっていること、それを伝う水などは効果的であったと思います。今回、わたしは3都市ツアーのうち、広島のJMSアステールプラザで観劇しました。会場によって美術も違うとのことで、それぞれどのような影響をもたらしているのか気になります。

第二次世界大戦の終結から80年。日本あるいは日本人が行った(被害をともなう)加害は、今の私たちの世界とどう接続しており、どんな未来へと繋がっていくのか。劇中には「人を殺して許されるはずはない」という台詞が出てきますが、その価値観はいつ誰のどんな背景によって信じられ、疑われうるものなのか。現代に上演するからこそ、演劇をとおしての過去との接続が未来に繋がっていくといいな……そう願ったのは、広島で観劇したからかもしれません。劇場からほんの数分歩き、原爆ドームをふくむ平和記念公園がいやおうなしに目に入る頃にはあらためて、加害と被害は地続きで、傍観と加担もまた切り離せないことを考えました。

初めての場所での観劇。施設入り口から会場にたどりつくまでに迷ってしまったので、開催室名や階数、矢印、誘導などの案内があるとありがたいです。
おかえりなさせませんなさい

おかえりなさせませんなさい

コトリ会議

なみきスクエア 大練習室(福岡県)

2025/03/14 (金) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

冒頭、客席の頭上からツバメが渡ってくる。ツバメは同じ場所に巣をつくりつがいで子育てをすることから、「家族」の象徴として創作物に登場することが多い。また、渡り鳥なので「帰郷」や「回帰」の象徴としてもよく扱われる。

ネタバレBOX

舞台は、とある家族の思い出の喫茶店。母が「メモリー」と口にしながら家族の思い出を語ります。そんな家族のメモリ(記録)が刻まれた場所で交わされる会話は、人間とツバメをかけあわせた存在であるヒューマンツバメになるかどうか。ヒューマンツバメになると家族のメモリ(記憶)が消えてしまう。そんな思い出にまつわるやりとりは、家族というものは何なのかを問うと同時に、人間とは、存在とはなにかを問うてくるようです。

人間とはメモリの蓄積なのでしょうか。愛とはメモリが無くなれば消えるのでしょうあか。──そういった問いは数々のSFで描かれていますが、コトリ会議の特徴と魅力のひとつが、劇中に何度も登場するツバメの兄妹(パペット)のやりとりにあるように思います。コトリ会議ではこれまでの作品でも、たとえばセミになった時には俳優の頭にセミのフィギュアを乗せていたことを思い出しました。
今回の2羽のツバメは、兄妹というにはあまりに密接な繋がりを感じさせ、見た目はかわいらしくもどこか気持ちの悪さ・不安さを漂わせています。さらにヒューマンツバメは、俳優が羽を背負いくちばしをつけています。パペットや着ぐるみの登場は、不条理にコミカルが加わり、しかしシニカルで、そして不穏です。
そんな不穏なSFで、家族の愛が描かれています。しかし愛というには不穏すぎる。メモリをめぐる家族の会話が交わされるうち、互いに愛情のような歪な愛憎を抱えており、誰もがそこを曲げきることができないことが浮き彫りになっていきます。戦時下という作品背景のなかで、そこには個の実感や愚かさや愛しさがありました。

ツバメは、「再生」や「希望」の象徴とも言われます。
ツバメに未来をゆだねるヒューマンツバメは、人類の希望でもあります。
しかし、ヒューマンツバメはメモリを消し、あらたな存在として再生するのです。
鳥のように空を飛ぶ戦闘機が破壊をおこなったすえにある再生は、誰にとっての希望なのでしょう。戦争ののち、彼らはいったいどこに帰郷するのでしょう。

記憶、家族、アイデンティティ、戦争、いくつもの愛──様々な要素が想像力を広げてくれる一方で、すこしごちゃついた印象もありました。ヒューマンツバメひとつとっても、羽とくちばしをつけて耳がのびて高い戦闘力を持ちスタンプカードを集めているという盛りだくさんな存在です。さらに展開としても、理屈で追えば無茶に感じさせるところもあります。しかし、俳優たちのフィクションを信じさせる力に引き込まれました。戯曲が持つ何層もの深みが、コミカルな作風と手触りのある俳優らにより、独自の世界へと構築されていく。そして説得力と集中力を持続させる劇団の総合力には大きな安心感がありました。「この脚本をほかの団体が上演したらこうはならないだろう」ということは、強い魅力です。

キビるフェス参加作品のため九州で上演されるという時に、ホームではない観客のために「近隣のおすすめスポット」や「遠方割:1,000円」を設定していたことがありがたかったです。全体として自分たちの公演の客席にいる観客の顔を想像している姿勢に、劇団としての蓄積を感じました。
ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

あまい洋々

インディペンデントシアターOji(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ちぃちゃんが消えた。8年後白骨化した遺体が見つかり、ちぃちゃんの死をめぐってさまざまな人たちが登場する。一緒に児童養護施設で育った友人から、学校の友達、話したことのない同級生、そしてまったくの他人であるルポライターまで……ちぃちゃんとの距離感はさまざまで、それぞれがちぃちゃんに現実/虚構を問わずなにかを重ねている。

ネタバレBOX

ちぃちゃんについて取材する2人が、「見る/見られる」という外側からの眼差しを体現していることに、空恐ろしさと希望を感じました。

「真相をあきらかにしたい」としながらも自分の主張にちぃちゃんを当てはめていくルポライターの高務(櫻井竜)と、まったく仲良くもなかったのにちぃちゃんを弔うために事件を映画化しようとする同級生の乙倉(櫻井竜)。高務はその暴力性・搾取性におそらく自覚的で、乙倉は無自覚なのでしょう。
いずれも口では「誰かのために」と言いながら、それは善意の顔をして「自分の思い描くように、自分のやり方で世界を整えたい」というエゴにも見えます。ほかの登場人物もそうで、若尾颯太演じる同級生なども、自分のやり方で主張を押し通すための明るさが怖くもあります。

人はなにかを発信しようとするときに、誰かを消費しえます。それは人権かもしれないし、存在かもしれないし、心かもしれない。では、対象となる人に対して誠実に向きあえばその暴力性はなくなるのでしょうか。そうとは言い切れないように思います。世に出す、ということは、受け手が存在する。「これを発したい」という時に発信者は、受け手のことをもまた消費している可能性があります。
そういった「見る/見られる」だけでなく「見せる」という構造についても視野にいれるには、高務の思いではない個人的な背景がより示されると、群像劇として立体的になるのではないかと感じました。また、乙倉の変容はこの現実の先に光をともすものであるため、その変化の様子がもうすこし見たくなりました。そうれば、乙倉が選択した未来のその先に他者とともに社会を生きるヒントが見えてくるのではないか、劇場を出た後にもこの作品を携えて明日に進めるのではないかと、勝手ながら期待してしまいます。

また、劇中では、アイドルのライブシーンが登場します。本物のライブ会場のようなインパクトに残る楽しいシーンでした。一方で、アイドルという名のとおりまさに「偶像」によるライブの完成度が高く見ごたえがあるほどに、客席にいる自分自身のもつ消費性について居心地の悪さが募りました。誰かに偶像を押し付けられるちぃちゃんが、偶像に安らぎを見出している皮肉もまた、人間の側面なのでしょう。

俳優みなさんが力強く魅力的でした。パライソに集まる人たちのやりとりは軽快で作品のハリがきいていて、かつて高校生だった頃の3人には灰色の校舎の隙間から青い風が吹くようでした。
舞台美術、照明、場面転換などもシームレスにメルヘンと現実を繋いでおり、とくに美術のケーキが形を変えてその中身が見える時には、隠していたものが暴かれる居心地の悪さがありました。ショートケーキの中にあるイチゴって、まわりの生クリームに甘酸っぱさが滲んで、甘いだけじゃいさせてくれない。甘くも酸っぱくもあるケーキを見ないものとせず、カットして「一緒に食べよう」と言えることが、生きることかもしれません。暴力性や搾取性など多方向からの視線を描くときに、会話による構成で物語が進むと、より甘さと酸っぱさとそして苦みが口から離れない作品になったように思います。けれどもこれを書ききった胆力と切実さ、ともに体現していくチームの強度に、優しく逞しい未来が見えるようでした。
波間

波間

ブルーエゴナク

森下スタジオ(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

上演される森下スタジオで創作されたことの効果を感じさせる、空間との丁寧な融合が印象的でした。とくに、横長の空間が、光により伸び縮みするさまは、夢とも記憶とも知れないあわいの空気を醸成しています。

ネタバレBOX

そこ(舞台上)に人がいるのにどこか現実感がなく、でも生々しさも顔を覗かせます。それこそ波間のように曖昧模糊としながらも、隙のない緻密さ。この空間の集中力をつくりあげた総合力と胆力が素晴らしかったです。

しかし使われているのは、イスやハンガー掛けなど、おそらく会場施設で手に入りやすいものばかり。その現実的な物体たちも、あわいに溶けていくような、物質としての違和感がなくむしろ曖昧な存在として成立していくのは、組み立てられた動線と、やはり照明を主とした空間の構築にあると思います。

丁寧に編み、計算された人とモノの動き。世界観を全員で作り上げ、こまやかに行き届いていた良さの反面、それゆえか俳優の動きにときに制限があるようにすこし見えてしまうところがあったのは残念に感じもしました。

物語に散りばめられた、自死に至る人物の、手触りのあるエピソード。その人の生活や小さなこだわりが見えることで、いつかのどこかの誰かの死や喪失ではなく、形をもった人間にとっての生と死となっていくようでした。

スモークがたかれているため、事前に飴とマスクが配られた配慮に助かりました。全員に配られているので、飴の袋をあけることにもそこまで罪悪感が強くなかったのもありがたかったです。
べつのほしにいくまえに

べつのほしにいくまえに

趣向

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

自助グループのシーンと、シェイクスピア作品の、交差が鮮やかでした。丁寧で控えめでありながら、堅実に大胆に確実に。“ケア”への理解と知識とともに、演劇の知識や技術が折り重なって、安定感のある作品でした。

ネタバレBOX

丁寧な脚本もさることながら、俳優がいずれの方も良かったです。『夏の夜の夢』をはじめシェイクスピア作品の役柄を背負いつつ、そのぶんそれぞれの役割が明確だったのかもしれません。ひとつひとつの台詞を各立場からしっかりと置きつつ、各人の良い面も悪い面も描かれています。
とくに前半と後半で大きく役回りの変わるロビングッドフェロー役の和田華子さんは、軽やかさがありながら、要素の多い物語を安定して繋いでいました。自助会主催者のコーデリア役の梅村綾子さんは、緩急の効いた演技でロビングッドフェローとはまた違う作品の目となります。台詞を確実に置いていく技術の一方で、後半、その繊細な一言で「舞台上と客席を繋いだ」「観客を当事者にした」と思われる場面もありました。作品を跳ねさせ観客を沸かせていた小林春世さん(ティターニア役)の思いきり良い強さや、戸惑いのなかに芯の強さを少しずつ見え隠れさせていくKAKAZUさん(ヒポリタ)など、挙げればきりがないですが全員が個性と役割を持ち魅力的でした。
演技体は違う面々を、ひとつの舞台で入り見だせさせつつわかりやすく見せた演出も安定しています。趣向過去作のなかでも、オノマリコさんの脚本と、扇田拓也さんの演出が良いマッチングだったと思います。

生き方が違うだけで、どこにも悪い人がいない。それぞれにとってのより良いあり方がある。さまざまな立場の人へ行き渡る戯曲そのものが、ケアを丁寧に実践しています。
すでにある枠組み(夏の夜の夢)や、それほど具体的に推敲されるわけではない「互助・共助のための結婚制度」など、現実に対してファンタージに思える要素が大きいけれど、それはそれで良いのだと思います。
余談ですが、隣りの席の観客が、いつ舞台に上がるんじゃないかと思うほどのめり込んでいました。位置的にも仕込みの俳優かと思ったほどです。それほどまでに、客席を当事者として誘う作品だったと思います。特定のテーマによる自助グループという設定もあり、その親和性は観客によるだろうけれど、この舞台に救われ、人生を支えられる人はいるだろうなと心強く思いました。
さるヒト、いるヒト、くる

さるヒト、いるヒト、くる

ポケット企画

扇谷記念スタジオ・シアターZOO(北海道)

2024/05/03 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

北海道をめぐる歴史や課題にかかわるワードやエピソードが散りばめられている本作。

ネタバレBOX

説明的ではないことに表現としての矜持や生活の手ざわりの重要性を感じる一方で、どこまで誰に伝わるのだろう?という疑問もありました。これは私が北海道で生活してきている人ではないからかもしれません。(ただ、東京でも上演する、ということだったので、ワードをふんわりと知っているけれどその地に実感を持たない観客がもしいるのなら、作品としてどう受け取られるのかの懸念もありました)

北海道やアイヌに関わる言葉や背景以外にも、台本を読んで初めて気づいたことが多くありました。気づかなくても成立していますし、作品を損なうものではありませんが、伝わっている方が面白がれたかも…と思うことも。

ツアー公演を踏まえてだと思いますが、風船などをつかった移動しやすい舞台美術は、明るさと暗さをあわせもち、自然の雰囲気もよく出ていて良かったです。音響も、音量や方向性など意図的に配されていました。全編をとおして、手をかけ頭を悩ませた創作の堅実さを感じました。

上演では、広い道内の同世代の作品との同時上演を企画したり(しかも新作)、トークテーマを「北海道の演劇についてトーク!北海道での生活、アートとの関わり方が作品創作にどんな影響を与えているのかを考えてみます」としたりと、自分達のいる場所、自分達の立つ足元を踏みしめようと感じられる、地に足のついた創作と上演に真摯さと力強さを感じました。
北海道の演劇の未来がとても楽しみです。
天の秤

天の秤

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

実際の事件をもとにしているため展開は想像がつくものの、人物の描き方によって、正義とはなにかや、後進を育てる立場のあり方など、ある程度の年齢や立場となった大人の迷いや覚悟が浮き彫りになっていきます。ハイジャックという特異なシチュエーションだからこそ、おそらくだれしもがいつか社会のなかでぶちあたる、育てられるものから、育てるものへの移行の困難が感じられたようでした。

ネタバレBOX

会場となる楽園は、二面舞台でその間に柱があります。今回、アクティングエリアを柱をまたいで奥まで設けたことで、視界の悪さがハイジャックされた機内と重なり、良いストレスとなりました。
緊迫感や人間ドラマなど基本はずっとシリアス。とくに機内は、たった1人でハイジャック犯役として健闘していた杉浦直さんは、なかなかの荷を背負ってのことだったと思いますが、(現実の事件でも)考え方が甘いと言わざるを得ない若者なりの信念には芯が通っていました。地上も右往左往していましたが、日本航空専務役の高橋亮次さんなど、緊迫したままにその頼りなさに頼りなさを感じさせ、かつ客席を沸かせることも何度かあり、私自身もその緩急のおかげで集中し続けられました。

余談ですが、終演後が誘導により1列ずつの退席だったため、待ち時間のあいだに隣席の年配の男性から「よど号って知ってる?」と聞かれました。その、どこかのめり込んだような口調から、リアルタイムでニュースを見聞きしていた方の感想は、また違うのだろうなと、思いました。
(あたらしい)ジュラシックパーク

(あたらしい)ジュラシックパーク

南極

インディペンデントシアターOji(東京都)

2024/03/28 (木) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

段ボールなどで作った小道具は「お、南極ゴジラ!」という感覚にもなり、またそれが良く機能していました。

ネタバレBOX

舞台では、アラの見える小道具はそれが少量であろうとあえてであろうと劇世界を壊すにはじゅうぶんなので、そうならないために、映像やダンスを用いたり、マイムや語りで説明したりという表現はよくあることです。
けれども今作で、いかにも段ボールなどで作ったものたちが成立していたのは、まず物量が多かったという点にあるかなと思います。空間に対して要素が多く視点を散らす美術や、キャラクターを立たせテンポよく展開させる俳優たち、全1,324話のうちの1~4話である設定など、100人キャパの王子小劇場に空間も時間も詰め込んだ、詰め合わせボックスのような世界観のスジが通っており、それが熱量と魅力になっていました。

また、小道具などの手作り感に反して、たとえばシャークウィーク役の瀬安勇志さんが後半姿が変わってからの躍動感ある動きは、世界観への大きな説得力となっていました。

全編とおして、湾田ほんとの成長譚です。それを描き切った胆力と、その一貫性が、要素とキャラクターが多い作品のなかで観客の視点を引っ張っていました。一方で、湾田を主観的に描いていくため、変化やその後がわかりにくいキャラクターがいたり、彼らを振り返らず自分の人生に邁進していく湾田に「その生き方でいいのだろうか」と応援しきれないところもありながら、カタルシスを感じさせる勢いがありました。
更地

更地

ルサンチカ

戸山公園(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/25 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

雨の中での観劇。ときどき人が通りがかり、鳩が横切るなかで、とある夫婦がかつて自宅があった更地にやってきて……。柱だけが立つその場所は、更地というよりも廃墟というきらいもあるけれど、「かつてここに生活があったのだ」という感覚が夫婦の会話とともに立体的になっていきます。

ネタバレBOX

設定は星空の下なので、日中だとやや空々しく感じられてしまうシーンもありましたが、しかし、散らばった舞台美術や小道具の運搬、すべてを覆う白布などによって、空間を広げたり縮めたりし、360度の空間を変える光景は、なにもない空間だからこそダイナミックでした。
布の下からさまざま聞こえる音の仕込みも、空間を立体にしていました。ただ、説明していた部屋の間取りを横切ったりなどして、間取りが崩れるような時には多少混乱する場面も。

演出構成の意欲的な堅実さで、更地の再生と解体がおこなわれていく。物質はいつか形を失っても、人間は再構築していけるという甘やかな希望であったり、それでも自らの意志とは異なり更地にされて/なってしまう現実とに、思いを馳せるのは場所の力もあったでしょうか。
戯曲の設定は初老の夫婦ですが、演じているのはまだ若いふたり。ふたりの作る雰囲気の深さからときどき年老いた夫婦に見える瞬間もありましたが、静かな野外という場所の静謐さもあり、もうすこし夫婦としての関係性や生々しさが観たくもありました。

余談ですが、翌日風邪を引いて熱を出してしまった。この季節の野外公園には念には念を入れて臨むべし…(野外観劇の醍醐味でした)
新ハムレット

新ハムレット

早坂彩 トレモロ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

原作を読んだときの苦悩とバカバカしさが、演じることによって厚みを持った人間としてより深く面白みを感じました。

ネタバレBOX

冒頭の転換。薄い膜のむこうに俳優たちの身体が見えている。その生々しさののち、デフォルメしたコミカルな演技・振る舞いが、人々のフィクション性を高めていきます。とくにポローニヤスを演じるたむらみずほさん、クローヂヤスを演じる太田宏さんの、緩急幅の広さが、シェイクスピア『ハムレット』を下敷きにした太宰治のレーゼドラマ『新ハムレット』の舞台上演という幾層もの構造を演劇的な立体にし、ガーツルード(川田小百合さん)やハムレット(松井壮大さん)の抑えた熱も生々しい。オフィリヤ(瀬戸ゆりかさん)とレヤチーズ(清水いつ鹿さん)のシーンはストレートでありながら言外のやりとりも楽しかったです。
また、語りの男(黒澤多生さん)が登場することでメタフィクションとして成立し、かつ、男以外の個々の役柄に太宰が投影されているように見えてくる…軽やかながらひとつひとつ積み上げていく確実性を見ました。

抽象的な舞台美術と演出により、演者の目線が変化していく様子により、広くはないアゴラ劇場の空間が伸び縮みしていく。

後半の展開は太宰独自のもので、おそらく当時の世相も反映されているでしょう。戯曲を丁寧に読み込み立体的かつ躍動感を持って上演する力強い安定感を感じました。
雨降りのヌエ

雨降りのヌエ

コトリ会議

扇町ミュージアムキューブ・CUBE05(大阪府)

2024/03/09 (土) ~ 2024/03/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

1か月ロングラン短編集公演。公演、トーク、展示、仕込み……行けば人がいて、なにかしら手づくりの催しがやっている。仕事終わりや休日にちょっと覗ける時間割。熱量と労力満載の、大人の文化祭のようでした。

ネタバレBOX

ひとつひとつの短編には、死んだ人がそこにいる不穏さがあります。けれども、軽やかな台詞による可笑しみと、心地よさも感じるのです。そうしているうちに、他の回に上演している別の短編ももっと見たくなる。そう思えるのは、個々の上演の精度の高さゆえでしょう。全編観ると書き下ろしの関連戯曲がもらえるというのも、作品世界が拡張していくようで楽しい試みでした。

共通する家族の物語ではありますが、それぞれが独立した短編です。上演以外の周辺の企画もふくめ、すべてを網羅することが大変なのが良いなと思いました。どの上演回を見るかで短編の組み合わせが変わったり、全部見た人だけが書き下ろし戯曲をもらえるほか、1ヶ月の公演期間中に毎日更新されていく廊下のイラストなど、足を運んだタイミングによって目にうつるものが変わる。それこそ文化祭だな、と。

どこかで紡がれている誰かの物語に、その期間だけ、扇町に行けば会える。その1か月だけ、とある家族と繋がる扉があく。ゆるやかでSFチックな時空の出現が、作風とも劇団とも合っていて、コトリ会議ならではの世界観を上演を超えて楽しみました。
この世界は、だれのもの

この世界は、だれのもの

ながめくらしつ

現代座会館(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

パフォーマーそれぞれの持つ経験や技術が、ときに机や椅子やボールなどを媒介としながら、互いに行きつ戻りつしていく。それぞれの異なる技術の高さ、有機物と無機物が、同じ板の上で融合していく。……舞台上に在るものの異なる経験と個性がバラバラにならず、相互の関係性の揺れを感じられる時間でした。そこには、音や光の役割が大きくあります。

ネタバレBOX

ピアノの生音は、空間を包むように震えています。音と身体、音と空間の共鳴を感じる瞬間。客席もふくめ、そこに在るものを結んでいく柔らかな網目のような存在となっていました。
光は、空間を深く遠く広げます。薄暗いなか、身体を柔らかく照らしたり、ぎゅっと集約させたり。どこまでも奥行きが続いていそうで、ぽんと体ひとつで闇のなかに投げ出された気持ちになりました。そうなると、自分という個の孤独を意識してしまう瞬間があります。テーマとして事前に書かれている「他者への関心」について思いを馳せました。

パフォーマーたちは、他人のように見えることも、恋人のようにも見えることもあるし、全員が無表情なこともあり無機物と無機物の交錯に見えることもある。ただ、振りによっては意味のあるカタにはまっていて、見る人の生活や価値観によって受け取り方が変わりそうに感じることもありました。
けれども総じて、モノと身体、身体と身体、音と身体の共鳴を、肌で感じる充実した作品でした。
エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

数か月経ってもなお、俳優の細やかな仕草を思い出します。
強く左右に引かれた口もと。遠くの宙を見つめる目じり。バスタブに置かれた指先の緊張。
役者が今そこにいる熱気を思い出します。
今作の感想に、熱演、という言葉をいくつも目にしました。熱演、を辞書で引くと「熱意をもって演じること」というように書いてあります。けれどその言葉以上に「心身ともに熱気を浴びた!」と感じる客席でした。それはもちろん出演者ふたりの俳優としての熱量、どんなシーンも保ち続けられた演じるテンションの高さがあります。なにより俳優ふたりの相互の影響。片方が発し、片方が受け止め、また発する。互いに打ち響き合い、大きなうねりを作っていく。ふたり芝居の醍醐味を感じました。
また、二面舞台でほかの観客や角度を意識してしまう空間の影響や、演出のリズム感もあったように思います。演出の堀越涼さん(あやめ十八番)ならではの音やリズムが、俳優の熱量を促進しているように感じました。

これらの融合により、この座組でのみうまれた『エアスイミング』の舞台空間でした。

ネタバレBOX

もともと戯曲としては複数の解釈があります。入り乱れる2つの世界。それらがいったい何を意味するのか。台詞のスピードとリズム感により、すべてが虚構のように聞こえてくることもあれば、場面やふたりの関係性の変化がわかりにくい部分もありました。
また、本作は1920年代イギリスが舞台であり、設定は実話に基づいています。当時の規範を逸脱したとされ「異常者」と呼ばれ収監されたふたりの女性。変化し続け議論され続けるジェンダーや社会規範の在り方、その表現について、現代の視点で読み解くのは難しいため、当時の背景がなにかしらの方法で示されていたなら、より作品と観客の距離が縮まったのではないかとも思います。

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