Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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多重露光

多重露光

(株)モボ・モガ

日本青年館ホール(東京都)

2023/10/06 (金) ~ 2023/10/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

なんといっても稲垣吾郎のための芝居。そこにいて声を出すだけで舞台が成り立つ。他のキャストは出入りが多い中で、稲垣吾郎だけほぼ出ずっぱりであることに、この芝居の構造が集約されている。間口の広い舞台なのに、まったく隙間を感じさせないオーラは、やはりスターである。
したがって、泣いたり叫んだりのオーバーアクションをしない、彼の自然体のたたずまいが舞台のトーンを決める。稲垣の独白の多い戯曲とあいまって、安定して落ち着いてみられる芝居だが、激しい衝突や修羅場も、意外とあっさり終わってしまうのは否めない。

冒頭、橋爪未萠里がキャンキャンせめて場を盛り上げ、竹井亮介が、天然のボケに徹して笑わせに行くのだが、、どうも笑いがはじけない。それも稲垣吾郎の、柳に風と受け流すのがあまりに自然だから、周りが浮いてしまうからだろう。

ネタバレBOX

いくつか仕掛けが仕込まれているが、その生かし方がもったいない。一つは純九郎(稲垣)が、小学生時代、仲睦まじい近所の一家に憧れて、家族写真を盗み出してしまっていたこと。これを後半で麗華(真飛聖)がその写真を見つけて、責める。しかし、観客にはあらかじめ純九郎の独白で明らかにしているので、驚きが弱いし、麗華の責め方も中途半端になってしまう。
もう一つは、戦場カメラマンの父親(相島和幸)が生きていたこと。これも、途中の母親(石橋けい)の回想シーン(ここだけ稲垣吾郎はいない)でネタバレしている。母親が昔、急に寝込んだことがあった、きっと父の死の知らせを受け取ったのだろう……だけで寸止めしておけば、クライマックスの父帰宅の意外感がもっと違っただろう。母との回想も最後にとっておいてもいいのではないか?

純九郎が高校の運動会の撮影をすっぽかすのも、やりようによってはもっと修羅場になるところだ。
眠くなっちゃった【10月1日~10月7日昼公演中止】

眠くなっちゃった【10月1日~10月7日昼公演中止】

キューブ

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/10/01 (日) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ケラの世界にどっぷりつかる3時間半。筋が3つも4つも絡んで、芝居はパッチワークのようだ。一つの話が進んだかと思うと、別の話に変わり、と変化が多い。一つ一つの場面がよく作りこまれていて、完成度が高い。そのせいか、3時間半(休憩15分)の割には、全然長さを感じさせない。そこは芝居作りが上手なケラ・チームである。しかし、だからどうなの? と終わってみて考えると、何か核になるものが弱い。井上ひさしがニール・サイモンを評して言ったことが当てはまる気がする。あるいは、全体よりも部分に凝る「土着世界観」的芝居と言えよう。

乳飲み子を抱えた女(篠井英介)が、門番にミルクを求めるプロローグ、回想のサーカス(サーベル飲み、ナイフ投げが見事)。本編が始まって、主人公ノーラ(緒川たまき)の貧しい家。夫(音尾琢真)が言葉を全く同じに繰り返すから、何か変と思うと、実はロボット…というのも面白い。そこに管理局の男(北村有起哉)がやってきて…。これがプロットの第一の柱。

娼婦(依田朋子)が、息子の密告で逮捕される街頭(このシーンはこれだけで終わる。残念)、第二の柱は、娼婦シグネ(水野美紀)がマフィアのゴーガ(山内圭哉)に囲われてる部屋。シグネの夫(斉藤悠)が監禁されてるが、この夫、ボロボロになってる設定で、ほとんどセリフない。なのに後半はライナスの毛布のように連れまわされてかわいそう。手下のナンダ(野間口徹)はダークな道化と言えよう。「これナンダ!」「はい」「お前じゃない!」というような、ボケ役である。

第3の柱は大家のウルスラ(犬山イヌコ)の家族、その周辺(マザコン男とその母、遺書を見せ合う男女)。屋根の上に上ったノーラとナスカ(奈緒)が、下にいる男女の遺書をのぞき聞きする場面は、映像も生かして面白い。

この近未来の管理社会(舞台の照明・色調も終始くらい)で人々はひっそりと生きている。そこに、歌手のボルト―ヴォリ(篠井英介)が、ウルスラの記憶を盗もうとゴーガをけしかけ、ウルスラたちの逃避行が始まる。

ネタバレBOX

結局、最後はほとんどみんな死んでしまうが、からっとした終わりである。ハッピーエンドは嘘くさくなりやすいが、アンハッピーエンドにするのは実に簡単だと思った。シグネが息子(人形)を燃やされたことにキレテ、ゴーガに復讐するなど、若干唐突なのだが、決して嘘くさくはない。
新編 糸桜

新編 糸桜

新派の子

日本橋公会堂ホール「日本橋劇場」(東京都)

2023/10/12 (木) ~ 2023/10/13 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地味な題材だが、美しいせりふと、花のある役者を得て、いい舞台だった。波乃久里子が一本気な江戸っ子を、べらんめえ調(と言っても女性なので抑え気味だが)で小気味よく演じる。養子の繁俊(尾上菊之丞)に、芝居の本読みをしこむ「第五夜 雷鳴の夜」は絶品。床に就くところなどかわいげもある。第2幕「第一夜 三つ巴の日々」の親子喧嘩の波乃久里子もよかった。

勘当されたヤクザな三五郎(石橋直也)も、真面目な人ぞろいのなかで、ちょいと斜に構えた小ワルを粋に演じて印象が強い。彼のセリフは黙阿弥のような七五調やべらんめいを取り入れて、心地よい。尾上菊之丞は初めての芝居とは思えない存在感がある。新人の勢い、新鮮さとともに、芯のある安定したたたずまい。姿勢がいいのは日本舞踊の踊り手だからだろうが、声もいい。二人の女中役(村岡ミヨ、鴫原桂)も、わきで舞台を支えてよい感じだった。

今回「新編」ということで、前の上演台本に手を入れた。一番大きな変更は、関東大震災で母子妻がはぐれて、炎のなかを逃げ惑うシーンと、再会の場面を入れたところ。それぞれの必死の姿に迫力があり、メリハリがついて、動きのある芝居になった。幕開けも、震災後の糸と繁俊から始まる。(前の上演では、「人形の家」の稽古から、坪内逍遥の養子縁組話という流れだった)

バックの箏曲、太鼓・笛も生演奏でぜいたくな音響。雰囲気を盛り上げた。2時間30分(休憩10分、前半80分、後半60分)

ネタバレBOX

地震の火災の様子を目にして、繁俊が「鬼が引く炎の大八車」云々と、比喩も豊かに描写するのは一つの見せ場。ただ、状況の緊迫感にあうかどうかという賛否はあるだろう。糸の晩年、夢に見た黙阿弥の前で、「おとッつぁんがほめてばかりいるから、こんなのができちゃったじゃないか」は、波乃久里子の実人生からとられている。黙阿弥の娘・糸と17代目中村勘九郎の娘・波乃を重ねてのセリフに感心した。

客席の最後列に尾上松也と渡辺えりがいたし、ほかにも女優・俳優が結構見に来ていた。作・演出の齋藤雅文さんの人徳だろう。
My Boy Jack

My Boy Jack

サンライズプロモーション東京

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2023/10/07 (土) ~ 2023/10/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

前半は、自己満足のために息子を戦場に行かせる真島秀和のひどい父親ぶりに、いろいろ考えさせられた。前半最後の、突撃前のジャック(前田旺志郎)の孤独と緊張も引き込まれた。息を詰めるようにしてみた。後半は一転、倉科カナの息子の死を嘆き悲しみ、夫を責める、まさに迫真の演技に圧倒された。本当に涙と鼻水でぐちょぐちょになっていた。ジャックの戦死の様子を証言する、戦争神経症の兵士ボウを演じた文学座の佐川和正も、恐怖と悔恨と、使命感のいりまじった大変な迫力で、素晴らしかった。15分休憩含む2時間55分だが、長さを感じさせない。一幕の最後の塹壕の場面があるのが、室内劇が続く中でのいい気分転換になった。

ラドヤード・キプリングのように、国の戦争に協力して(嫌がる)息子を軍隊に行かせて、戦死させた知識人は日本にもいるだろう。ただ、具体的におもいつかない。無学な父親は、周囲に従うだけで、本心は嫌かもしれないが、自覚的に息子を死に追いやった知識人は、それをどう考えるか。恋人としてなら岡部伊都子がいたわけだが、親としてとはまた違う。教師だと、「教え子を少年航空兵に推薦した」などあるが、それも具体的にだれ、とは言えない。日本の戦争の記憶の空白部分になっている気がする。インテリ嫌いの劇友は「知識人は、金を出して子供を危険なところにやらないようにするんじゃない?ずるいから」と言っていた。そういう例もあっただろうが、それだけではあるまい。

個人の責任があいまいな日本では、徴兵制でいやおうなしだったと「仕方がない」と考えがちなのだろう。そうした反省を発言した例が残ってない、あるいは、埋もれてしまう。戦場での残虐行為と同様に。

ネタバレBOX

死を徹底的に恐怖と醜悪と痛みで描く。美化を許さない。それは戦争詩人たちのイギリスの遺産を生かしたものなのだろうか。

キプリング(父親)が「俺のせいだと考えない日が、一日でもあると思うか。毎日考える。一日何度も考える」と泣き崩れる。一方で「大きすぎる犠牲ということはない」「ジャックは立派に死んだんだ」と、自分のやったことを合理化する。その矛盾は矛盾のままとして我々に提示される。実際のキプリングはどうだったか、わからないが。

息子が負傷して行方不明の知らせが来た最初に「(18歳の)短い人生だったが、死は生涯最高の瞬間だったろう。おめおめ生き延びて、最高の瞬間を逃さなくてよかった」と、ひどい事を云う。2年後、妻にその言葉を指摘されても、キプリングは覚えてないし、そんな事を云ったことに愕然とする。この皮肉はうまい。
三人姉妹

三人姉妹

アイオーン

自由劇場(東京都)

2023/09/23 (土) ~ 2023/09/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

奇をてらわない正攻法の演出で「三人姉妹」を堪能できた。先日のパルコ劇場のサイモン・スティーヴンス演出「桜の園」はだいぶんボードヴィルに寄せて、コミカルに演出していた。それはそれで大変な成果だったが、今回のオーソドックスな演出も、チェーホフらしいいい芝居だった。重厚な太い大理石の円柱が並んだ舞台、19世紀ロシア的な衣装、あれこれ夢を語るばかりで救いのない人々。モスクワ芸術座のチェーホフもこういうふうだったのではないか。チェーホフの、ロシアの無気力な貴族・知識人たちに対する批判、俗物たちのいうがままになるしかない無能さはよくわかった。

ひげよ、さらば

ひげよ、さらば

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/09/09 (土) ~ 2023/09/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

猫たちが、迫りくるタレミミ(犬)の脅威にどうたちむかうか。冒頭、一匹の猫が大きな生きものたちに食われるところから始まる。その死骸のあった場所に現れた猫がヨゴロウザ(中島裕翔)。彼を片目(柄本時生)が猫たちのくらすナナツカマツカの丘へ連れていく。
食われた猫はなみだといい、片目に「(犬に対して)猫たちはまとまらなければならない」と言っていた。片目はその遺志を継いで、ヨゴロウザを猫たちのリーダーにしようとするが、ふと「俺がなみだをタレミミに差し出した」とつぶやく…。

猫たちは自分勝手で互いに自分がリーダーといって譲らない。そんな猫の丘に、タレミミの側近ナキワスレ(石田佳央)が現れ、「誰がリーダーだ」と勝負をもうしこむ。一番威張っていた黒ひげ(一ノ瀬ワタル)は決闘を迫られると、腰が抜けて命乞い。そんななか、ヨゴロウザが「タレミミと話がしたい」と単身、犬の住むアカゲラフセゴへのりこむ。しかし…。

外から襲われる危険への対応という話は「七人の侍」の設定を思わせる。対応のなかには戦前の日本を戯画したようなところもある。ヨゴロウザが強権的なリーダーになって、みんなを軍隊にしてスパルタ的に特訓したり。いやがっていたねこたちも、しだいに「不思議な連帯感」が生まれるのは日本ぽい。しかし「不思議な団結」が生まれ、そして抵抗に立ち上がるのは、日本の過去からずれていく。
みんなが一致団結して犬を追い払うという単純な話にしないところがみそ。戦争をできればしたくないという思いや、「俺たちは服従(?)も支配も屈服もしない。猫としての覚悟をもって生きていく」というヨゴロウザのセリフに、蓬莱竜太のメッセージが感じられた(劇トモの意見)

全体としては大味だが、学者猫(音月桂)の、息子なみだを遠ざけ失った後悔と傷心には、蓬莱竜太らしい心理描写がある。片目の裏切りも、もう一つのカギなのだが、こちらは「命が惜しかった」「(なみだが)そこにいたから」という答えの、その裏が描かれず、物足りない。

原作では学者猫は犬に食われて死に、片目も焼死する。芝居で猫はなみだ以外は死なない。原作よりはソフトに、ハッピーエンドに作ってある。ただ、冒頭のなみだが食われるシーンは、象徴的にえがきつつ、イメージが目に浮かび、怖く、ぞっとする。この恐怖とおぞましさが底流にあることは、この芝居のポイントである。

ネタバレBOX

ラストの丘がすべて燃える炎(舞台一面の赤い布と照明、音響で表現)と、降りしきる雪が、蜷川幸雄のように派手なスペクタクルであった。

原作は780頁の大長編。10年前に、全4幕8時間、総勢26人の芝居にした猛者の劇団もあったようだ。今回は2時間40分(休憩20分)、主要キャスト8人+猫と犬のアンサンブル・コロス6人。芝居でラストの火事は、犬たちを焼き殺すため、ほかの猫は逃がして片目が火をつけ、ひとり命を投げ出す。しかし、原作は犬との戦いはすでに終わっており、猫の共同体づくりの夢破れた片目がヨゴロウザを道連れの心中を図って火をつけることになっている。そのとき、ヨゴロウザは失った火の記憶を取り戻すのは同じだが。

原作になみだの死=片目の裏切りのエピソードはないようだ。ここが、自分を責める心理的葛藤を描くのを得意とする蓬莱竜太脚色の一番のポイントになっている。
アメリカの時計

アメリカの時計

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2023/09/15 (金) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

冒頭、白いスーツの語り手(河内大和)が「アメリカにとって、全国民をまきこんだ国民的体験は第一次大戦でも第二次大戦でもない。南北戦争と大恐慌だ」と語る。大恐慌直前からの、ニューヨークのある家族のおよそ5年の生活の芝居である。まさにアメリカの国民的惨事を追体験できる。

アーサー・ミラーの戯曲は、自分の青年時代の体験が反映して、さえている。息子(矢崎広)、母(シルビア・グラブ=好演)、小遣いを息子に借りる父親は中村まこと。平時はいい父親なのに、いざとなるとまるで頼りにならない好人物を自然体で演じていた。息子の学友たちも、就職も決まらず、借金がどんどん膨らんでいく。一家は場末のアパートで、借金の取り立てを恐れながら息をひそめて暮らしている。「しばらくすれば」「来年にあれば」事態は良くなると言いながら、何の打つ手もない。

ネタバレBOX

大富豪モルガン家にも自殺した青年がいたとは知らなかった。アイオワ州での農民の暴動、競売判事を脅して財産を取り戻す実力行使がすごい。息子はミシシッピー河のボートで肉体労働し、マルクス主義を正しいと考えつつ、共産党には入らない。「ストライキの労働者たち60人と話したんだ。誰も社会主義を理解していなかった。それでも革命は来ると信じられるのか?」と。アーサー・ミラーの切り取った苦い真実であろう。
いつぞやは【8月27日公演中止】

いつぞやは【8月27日公演中止】

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2023/08/26 (土) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

すばらしかった。特に冒頭から、無駄の多い、たわいもない会話を「演劇」として見せる手腕がさえている。脱帽である。私は「面白かった」が、つれは「重かった」といっていた。友達が若くしてがんで余命1年という話が、作者の体験した実話に思えたらしい。導入から、作家役が客席でキャンディーを配りながら、舞台の上ってスーッと自分の話をし始める。そういう現実と地続きな演出が、実話と思わせたのだろう。そういう点でも大したものである。

イノレバカ

イノレバカ

ゴツプロ!

本多劇場(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

那須凛が、男にこびない女の強がりとかわいげを演じて、よかった。体も顔もでかい男4人の僧の弟子たちがそれぞれキャラがしっかりしていて、外からは人格円満で仲良く見せる一方、実はいがみ合ったり、けん制しあったりという表裏の使い分けがコミカルで笑えた。塚原大助、佐藤正和、44北川、浜谷泰幸。女住職役の田中真弓は、あの「ラピュタ」のバズー、「ワンピース」のルフィの声優と後で知って、びっくりした。

ホテル・イミグレーション

ホテル・イミグレーション

名取事務所

新宿シアタートップス(東京都)

2023/09/15 (金) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

リビングルームで入管問題に迫る芝居。平凡な主婦が、入管問題を知って一歩行動に踏み出す。観客も登場人物とともに、日本の入管行政の遅れ、収容者への無法な扱いを知っていく。本作が啓蒙的な演劇でおわらないのは、そういう入管の非道を支えているのは、無関心な「あなたたち」ではないか、と問いかけるところにある。

柴田春江(田野聖子)の家に、突然、息子祐一(吉田晴登)が父親の家を出て、転がり込んでくる。息子は家に知らない外国人の男がいて驚く。春江は、非正規滞在者のカンボジアの青年ヤン(椎名一浩)を家にあずかっていたのだ。そこに「不法滞在の外国人には出てってもらってくれ」と隣に住む町内会長(山口眞司)が文句を言いに現れる…という滑り出し。春江の中学以来の親友知子(井上薫=好演)も、子と外国人の事となると、偏見が強く、春江に反対する。息子の祐一も。そんな二人にわかってもらおうと、支援団体のリーダーで弁護士の杉浦(田代隆秀)にレクチャーしてもらう。それでも、春江と知子はけんかわかれしてしまう。杉浦自身も春江に「妻に、非正規滞在者を家にあずかるのを反対されて」とうちあける。

家の周りには「不法滞在の外国人は日本から出ていけ」という張り紙を毎日のように張られ、町内会長は「ヤンが粗大ごみのパソコンを盗んだ」と警察沙汰にしようとしてくる。、四面楚歌の春江だったが、それでもヤンを置くことを辞めようとしないのは、彼女なりの理由があった…。

ネタバレBOX

平凡な主婦がなぜ、面倒をしょい込むのか。その理由として、ひどい夫ともめた離婚以来、10年間、アルバイトで細々暮すだけで、「何も変わらなかった」自分を変えたいという春江の思いを描く。後妻の誘惑から逃げてきたという息子を抱きしめて「よく逃げてきた」「会わせてもらえなかったから」というシーンは、春江の肉付けとして重要な意味がある。(ふりかえると、突然、祐一が来た時の春江のリアクションが、割と平静で、弱いけれど)

ラスト近く、ヤンと祐一が飛び降り自殺を目撃するという突拍子もない事件が起きて、それで芝居は収束へ向かう。自殺したのは、町内会長の息子で、13年引きこもりだった。張り紙もその息子の仕業だったとわかる。ヤンは自殺事件直後「私のせいだ」と叫ぶが、落ち着いてくると「私は何もしていない。私のせいではない」と。でもヤンは帰国を決意する。日本で無為に過ごすのは「私の心が死んでしまう。心が死んだら、ただ生きていても意味がない」だから、「命は危ないけれど、カンボジアへ帰る」というのだ。
ヤンが「またあいましょう(そのために自分は死なない)」とカンボジア語であいさつし、春江も同じく返すラストはシンプルで美しい。
玄海灘

玄海灘

玄海灘を上演する会

調布市せんがわ劇場(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

金達寿の『玄海灘』は必要があって数年前に読んだので、どのような舞台になるかと興味があった。西と白の二人の朝鮮人青年中心の話に、特高巡査の李(二宮聡)をもう一人の重要人物に据え、朝鮮独立同盟の地下の同志たちと、それを弾圧する警察署内の動きも具体的に見せ、わかりやすい舞台になった。(原作では、西と白の視点だけなので、こうした裏事情は直接は描かれない)

いいせりふもいっぱいあった。西(高井康行)が、東京で会ったときの白(和田響)の憔悴ぶりを思い出して、「外ではみじめな顔をするな。そんな朝鮮人がいるからますます馬鹿にされる」となじる。「朝鮮語で話しかけたら子犬のようについてきた」とバカにする。

日本人の公子(萩原萌)に対して、西は、道端で雑草をつむ朝鮮人の娘たちをみて「かわいそう」といったとなじる。「朝鮮人を憐れんでる(対等ではない、上から目線だ)」と。しかしその哀れみは実は西自身の心だった。「僕の眼は日本人の眼だ。蔑む位置に立って、自分を否定している」と苦しむ。

独立運動をしていた中学教師(堀光太郎)が逮捕され、彼を慕う教え子もまた逮捕される。御用新聞記者の西は中学生に責められる。「見ているだけで、何もしないんですか」と。原作が描いた植民地朝鮮の青年のかかえた矛盾と葛藤を、的確にとらえた芝居だった。

ネタバレBOX

最後、西が独り言をいった(と思う。)「見てるだけでいいのか。(日朝を隔てる玄界灘を)渡ろうとしているのかもしれない」

調布市民割1000円というのは破格である。金曜夜の客席はほぼ満席。土日公演も完売しているようだから、この安さにつられてきた人も多いと思う。
俳優が50代中心で、それぞれ設定の20代の若者より30歳以上年が上というのは、少々残念。落ち着いた舞台にはなったが、若者の振幅の大きさ、エネルギーは出がたかった。
ミュージカル『ファントム』

ミュージカル『ファントム』

梅田芸術劇場

東京国際フォーラム ホールC(東京都)

2023/08/14 (月) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

本作の最大の特徴は、ロイド・ウェバー版「オペラ座の怪人」のあくまで悪の世界に住む不気味な怪人と違い、音楽を愛する純真な怪人を創り出したところにある。城田優は子どもっぽい声と口調で、ファントムの無垢を表現していた。

ネタバレBOX

もう一つは、クリスティーヌ(真彩希帆)がファントムの素顔を見せてと懇願し、「あなたを嫌いと言われるまであきらめないで」とまで言って、その気にさせておいて、いざ醜い素顔を見ると、手のひらを返してしまうところ。ファントムの犯罪・怒りも同情すべき理由があるとしている。

以上の事から、ファントムと父ゲラール(岡田浩暉)の絆を後半の話の中心に据え、父の告白と愛の回復によって、ファントムを救っている。悪人ではないのだから、救いがもたらされる必要があるのだ。父に甘える存在だから、ファントムは子どもっぽく演じられる。
ふるあめりかに袖はぬらさじ

ふるあめりかに袖はぬらさじ

松竹

新橋演舞場(東京都)

2023/09/02 (土) ~ 2023/09/26 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

大竹しのぶのちょっと蓮っ葉でかわいげのあるお園が光る。杉村春子の持ち役だったが、いま杉村春子を継ぐ存在と言えば、まず大竹しのぶに指を折るだろう。そういえば「女の一生」も大竹しのぶが継いでいる。

話は、客の期待や店主の求めのままに、あれよあれよと「攘夷女郎」の美談をお園が作り上げていく。もともとおしゃべりで芸達者のお園の持ち味がそこに発揮されるわけだが、彼女には悪気も迷いもない。すべては成り行き任せで、お園に葛藤がないから、話の深みにかける。

有吉佐和子は「恍惚の人」「複合汚染」を読んで、僕は大変な才女だと敬服している。しかし文壇的には「物語性は強いが、人間の掘り下げ(特に作家自身の内面)がない」とみられていたらしい。そういう有吉の長所と弱点がよく出た作品である。ただ、女性が引っ張る芝居であることに有吉の女性としての矜持とが見える。亀遊(美村里江)と藤吉(藪宏太)の恋が、物語を動かす源だが、この恋の主導権も、異人の身受けを嫌ってさっさと死んでしまう決断力も亀遊のものである。
時代の風潮が美談をこしらえてしまうという社会風刺性も、社会批評家・有吉の面目躍如である。

「露をだにいとう大和のおみなえしふるアメリカに袖はぬらさじ」とは、よくできた歌である。元の話を書いたのは江戸末期から明治時代に活躍した戯作者・染崎延房だ。延房は著書『近世紀聞』で、亀遊(著書内では喜遊と表記)の死を臨場感あふれるお涙頂戴の記事に仕立てた。ただ、この本が出たのは事件があったという年の12年後。典拠も「噂話」とある。史料では亀遊という女郎が実在したかどうかも不明、というのが本当のところだ。1900年の「文芸倶楽部」に橘家円喬の人情話として載っている。

ネタバレBOX

四場のお園の語る、講談調の「亀勇(!)自害の巻」は圧巻。最後にウソがばれて、攘夷の志士たちに斬られそうになる時の恐怖と慌てふためきぶりも、迫真の演技だった。
ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~

ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~

Bunkamura

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/09/10 (日) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ノゾエ征爾は名前は聞くが、今まで代表作を見たことがなかった。彼の戯曲は、5年前に短編「踊るよ鳥ト少し短く」を下北沢の地下の小さな劇場で見ただけである。でも、天井の扇風機に髪が絡まって動けない女性という奇抜な設定で、今でも印象は強い。

今作は再演を繰り返しているノゾエの作・演出の代表作。「チョーク一本で芝居はできる」という斬新な演出に彼の真骨頂があるらしい。この作品の初演の翌年、「〇〇トアル風景」で岸田戯曲賞を受賞したが、こちらもチョークを使った芝居らしい。

舞台の壁面も床も真っ黒で、ここに人物がチョークで文字を書きながら、芝居が進んでいく。冒頭は、路上でピエロしている派遣の青年(流星涼)のもとに、特養を抜け出した老女(高橋惠子)が転がり込んでくる様子を、パントマイムで見せる。青年の部屋を兄夫婦(藤井隆=好演、山田真歩)が訪ね、部屋に女がいるのを見て共起するところから、芝居になっていく。物語の一本の筋に収れんするのではなく、互いに関係の薄い5-6組の2人組のコントがつながっていく。オムニバスの作り。特養のダメ職員の二人(体の大きい山口航太、眼鏡の山本圭祐)派遣の新入社員(芋生悠)にちょっかい出す先輩(青柳祥=好演)、老女の娘と孫、中学の先生と結婚した女性等である。
チョークでは、青年が電灯やテレビの絵を描いて部屋を造り、藤井隆が「兄」、山田真歩が「妻」と書いて役柄を示し、山本圭祐が人生と進化について語って「生赤少青中老死」と一生を凝縮して見せたりする。セリフで説明しないで(あるいは語りながら)文字で見せるのは斬新。ただ、演出で済ませられる分、セリフがやせ細っていく。チョークの内容は戯曲でどこまで指定してあるのか。

青年と老女の同居生活には大きな波乱はないが、周囲の人々の細部の動きや、個々のコントに見どころがある。(青年が電動ベッド=上半身が起き上がるやつ=を買い、その動きを二人でやるところは笑えた。老女がおもらしして、ベッドはさっそく汚れて、青年は怒るのだが)でも、最後に、何か大きな人生的感慨や、掘り下げた人間観の手ごたえが欲しい。井上ひさしがニール・サイモン「おかしな二人」に、「傑作だがやはり一つ物足りない」と注文を付けていたように。そこが、うまい作家と井上ひさし・永井愛・野田秀樹ら「うまいだけではない作家」との違いだろう。

ネタバレBOX

最後、老女は施設に戻り、青年はスーツに着替えて部屋を出る。それを取り巻くように、「ボレロ」の音楽に合わせて、俳優陣が列となって足音高く練り歩く。進化の行進であり、人生の一歩一歩の日々を感じさせる。

そして、「バスに乗れない女」に奇跡が訪れ、ついにバスに乗る。この女性、全体との脈絡は何もなく、なぜ何度もバスに置いてきぼりになるシーンがあるのだろうと思ったら、その無駄が最後に生きる。そのバスに、青年も含めた全員が乗り込み、なんと「ウイ・アー・ザ・ワールドの大合唱。ちょっと調子を外したり、青年一人だけ置いてきぼりにしたりして、単純な感動の盛り上がりをあえて外すのはノゾエ流。人は同じ地球号に載った仲間、同じ街・同じ時代の乗り合い客だ、声を合わせ、協力してやっていこうというメッセージともうけとれる。
橋からの眺め

橋からの眺め

パルコ・プロデュース

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2023/09/02 (土) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

よかった。いろいろ考えさせられる。港の労働者のエディ(伊藤英明)が20歳そこそこの姪のキャサリン(ケイト=福地桃子)をあそこまで縛ろうとするのは、なぜなのか。性的欲望があるのかないのか、その微妙な線は微妙なままに、とにかく事態だけは破局へと突き進んでいく。そこが大変スリリングだった。何かにとりつかれた人間の愚かさ・怖さを伊藤がよく出していた。一方の、福地も無邪気さとコケティッシュさの両方をバランスよく出して、若い魅力を存分に発揮していた。

奥行きのないコンテナの中のような部屋。安っぽい蛍光灯が並ぶ天井が上下して、メリハリと心理状態と、場面転換(アパートと弁護士事務所)を示す。ジョー・ヒル=ギビンズの演出は、労働者仲間などわき役3,4人をカットし、戯曲の本筋だけをくっきりと示す。90分という短さにも、その凝縮ぶりが出ている。

作者はギリシア悲劇・喜劇を意識して本作を書いたという。エディの異様ともいえる偏執・偏向ぶりも、ギリシア悲劇の人物がもとになったと考えれば、うなずける。かつて鄭義信の「たとえば野に咲く花のように」も、「あの男を殺して」という妄執にとりつかれた女性エキセントリックだったが、これもギリシア悲劇「アンドロマケー」を下敷きにしたからだった。

もやしの唄

もやしの唄

テアトル・エコー

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

経済成長でどんどん生活が便利になっていく60年代の日本。そこで6時間ごとに2時間の水やりをしなければならないという、超手間のかかるもやし栽培を家業とする泉家。長男の恵五郎(根本泰彦)はいつも眠い。長女の十子(吉川亜紀子)は結婚を控え、新しい家電製品に目移りするばかり。次男の一彦(松沢太陽)は6年行った大学もそろそろ卒業、しぶしぶ就活に回る…。やもめの恵五郎に見合いの話が起こり…

11年ぶりの2回目の観劇。懐かしいセットがまずいい。しっかり井戸の水が出て、家の縁の下や軒もリアルに再現。もやしが育つ室の中のシーンは圧巻だ。会社社長の父に反発して家出してきたという村松(川本克彦)、近所の中華料理店の娘なのに、やもめの恵五郎が気になっていつも手伝いに来る高野九理子(小泉聡美)。初老の大人なのに、なぜか子ども帰りをしている喜助(後藤敦)。それぞれのわき役もいい。特に自分の思いを打ち明けられない高野がいじらしい。

お尻にスイッチがあって、座ると眠ってしまう(息子のカンタ=小1の作文)という恵五郎のキャラが本当におかしい。そのうえギターがうまい。ギターがしたくてほんとは最初、もやしづくりが嫌だったというのもうなずける人物だ。

ネタバレBOX

室の中で、もやしづくりの喜びを語るクライマックスはさすがに印象的。それは覚えていたが、後はほとんど忘れてしまっていた。とくに家出人の村松が実は松〇電器の御曹司で、16年後のもやしづくりをたたむ場面まであったとは驚きだった。村松を「松村」といつまでも呼び間違えるギャグも笑えた。
桜の園

桜の園

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/08/07 (月) ~ 2023/08/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

チェーホフが好きだったヴォ―ドビルを意識した、笑える「桜の園」で、私は大満足。30年近く前によく見た、原作を奉った退屈な「静かな」自然主義チェーホフより数段面白い。しかも、ラネーフスカヤ(原田美枝子)とガーエフ(松尾貴史)の無為で無気力な妹兄のだめぶりと、新しい時代に載ってどんどん事業を広げていく元農奴のロパーヒン(八嶋智人)の対比は、いろいろな形でくっきり見えた。また「万年大学生」(今回この定型表現はないが)のトロリューモフの「僕たちの関係は愛を超越している」云々の歯の浮くようなセリフ、言葉だけの理想主義の薄っぺらさもよくわかる。

ヴォ―ドビルの要素は、エピホードフ(前原滉)のどじぶり(「世界で最も運の悪い男」といって、「22の不幸せ」の定番表現はこれまたない)、シャルロッタの完全に場違いなことばかりやるすっとびぶり(アーニャの家庭教師らしいところ何処にもない)、自分の金策のことばかり考えてるピーシチク(市川しんぺー)などに見事に割り振られている。ガーエフが演説を始めるところはマイクを持たせて演説ぶりを戯画化するなど。第2幕の屋外の日光浴の場面の頓珍漢ぶりはコミカルで、第3幕のパーティーの乱痴気ぶりもスピーディー活気があってよかった。

開幕とともに、コンクリ製の大きな壁が持ち上がって、記憶のふたが開く。芝居の間は、ずっと「頭の上に落ちてきそうな家」のようにコンクリの壁が頭上にのしかかり、幕を下ろすとともに、再び壁が下りてきて記憶のふたを閉じる。簡素な舞台装置と、現代に近い服装の抽象度の高い舞台が、戯曲の骨格を一層くっきりわかりやすくした。先に触れた定番表現を使わないことも含め(これらは英訳にはあるのだが)、さまざまな先入観と古い滓に埋もれてきた「桜の園」を新鮮によみがえらせた舞台だった。

闇に咲く花

闇に咲く花

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2023/08/04 (金) ~ 2023/08/30 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

こまつ座の「闇に咲く花」は七演目という。僕にとっては、初演のテレビ放送を見て、初めて井上ひさし劇に目覚めた、エポックメーキングな作品。99年の再再演の時には、井上ひさしに初めて取材することができた。そういう点でも思い出深い。おみくじで次々大吉が出るくだりが、涙と笑いで大傑作である。作者は「ああいうことはいくらでも書けちゃうんだよね」と、こともなげにおっしゃっていた。ウーム、天才の天才たるゆえんである。

今回は、11年ぶりだそうだが、神主の牛木公麿が、亡くなった辻萬長から山西淳にバトンタッチ。松下洸平といい、おめん工場の戦争未亡人5人(4人と記憶していたら、5人もいた!)といい、世代変わりが顕著。でも、変わらぬいい舞台を作っていたと思う。数えてみれば、13人も出るので、こまつ座としては大掛かりな芝居である。5人の戦争未亡人のアンサンブルが面白いのだけれど、人数が多いので、それぞれの人生が一筆書きにとどまるのが玉に瑕か。

ギター弾きの加藤さんのそこはかとない旋律が、乾いた切なさをかもしていい。実は初演からずっと同じひとだという。演者によって変わりそうなアドリブ的な弾き方なのに、道理で、毎回同じ音色に聞こえたわけだ。水村直也さん、お疲れ様です。応援してます。

遅ればせながら気づいたことは、健太郎の記憶喪失と、日本人の戦争協力の忘れっぽさとが重ねられていること。「忘れちゃだめだ、忘れたふりはなおいけない」という健太郎のセリフが、最後、ブーメランのように返ってくるのは、残酷である。この残酷さには初めて思い至った。

3時間5分(休憩20分)と井上戯曲らしく長いが、どこもゆるみがない。後半の4場、捨て子の里親探しの下りが少々長く感じるが、これも物語のリアリティーを丁寧に積み上げていくための重要な場面なので、簡単に削ればいいとも言えない。さすがである。蜷川幸雄の公演のために、後年かなり作者自らカットした「天保十二年のシェイクスピア」とは、円熟度が違う。

ネタバレBOX

健太郎をグアムのC級戦犯裁判に送り込む手助けをした巡査が、最後、愛敬稲荷神社の仲間になっているのは、考えてみれば日本的だ。集団主義の日本だから、巡査の冷酷な行為は、職務でしたことで本人に罪はないと、神社の皆が受け入れる。個人主義的なフランス、アメリカでは、巡査の個人の責任を問うて、簡単には許せないだろう。

BC級戦犯の裁判自身が、そうした個人主義の欧米と、集団主義の日本のズレが生んだ悲劇だった。上からの命令でやった末端の兵士あるいは(媒介役の)通訳に対し、欧米所管の法廷は、その個人責任を問うたのである。「私は貝になりたい」から帚木蓬生「逃亡」、鄭義信「赤道の下のマクベス」まで、考えさせられる問題がここにはある。
こんにちは、母さん

こんにちは、母さん

義庵

調布市文化会館たづくり・くすのきホール(東京都)

2023/07/26 (水) ~ 2023/07/31 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

新国立で初演を見たのは22年前ということになる。いい戯曲であることはすでに折り紙付き。
今回見て、父の戦争体験、母の戦争体験が要所要所に、短くではあるが深く描かれていて、びっくりした。母の新しい恋人も、戦争で死んだ兄の悔いから決意した若き日のことを語る。そのくだりが、「昭夫さん、あなたもね、もっと朗らかに生きた方がいい」とつづき、一番聞かせるセリフになっている。

老いた母の恋に戸惑う息子の話、とばかり思っていて、全然忘れていた。考えてみれば、この初演の頃の老母、老父は戦争体験者だったのだ。当時、記憶に残らないのは、メインストーリーから見れば枝葉のエピソードだからだろう。でも、今戦争体験に目が向くのは、見る目が熟したせいか、ホームドラマに戦争体験が出ることが珍しくなったせいか。

息子がリストラ担当で、それに首にされた同僚(伊原豊)が、芝居のよきカンフル剤として配されているのも忘れていた。面白かった。

生の芝居だからこそ、誇張や、頓珍漢なやり取りでコメディーになるが、映画ではこうはいかないだろう。まして主役が吉永小百合では。映画もいいという話だが、舞台には舞台ならではの変わらぬ値打ちがある。

俳優はみな好演。その中では、戦争体験者を自然体で演じた一柳みる(福江、母)と山崎清介(直ちゃん、恋人)が、舞台をきっちりと成り立たせる要の役をよく果たしていた。

ネタバレBOX

初演では、最後に母親と息子が物干し場に並んでいたような気がする。今回見ると、最後は花火を見ている。が、今回は1階に母、2階に息子だった(気がする)。二人並んだ方がいいんじゃないかなあ。
ストレイト・ライン・クレイジー

ストレイト・ライン・クレイジー

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

行政・政治家の善意と先見性が大事なのか、住民・ジャーナリストの声が大事なのか。いまだに解決のつかない永遠の問いを、あらためて考えさせる舞台だった。

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