実演鑑賞
満足度★★★★
ノゾエ征爾は名前は聞くが、今まで代表作を見たことがなかった。彼の戯曲は、5年前に短編「踊るよ鳥ト少し短く」を下北沢の地下の小さな劇場で見ただけである。でも、天井の扇風機に髪が絡まって動けない女性という奇抜な設定で、今でも印象は強い。
今作は再演を繰り返しているノゾエの作・演出の代表作。「チョーク一本で芝居はできる」という斬新な演出に彼の真骨頂があるらしい。この作品の初演の翌年、「〇〇トアル風景」で岸田戯曲賞を受賞したが、こちらもチョークを使った芝居らしい。
舞台の壁面も床も真っ黒で、ここに人物がチョークで文字を書きながら、芝居が進んでいく。冒頭は、路上でピエロしている派遣の青年(流星涼)のもとに、特養を抜け出した老女(高橋惠子)が転がり込んでくる様子を、パントマイムで見せる。青年の部屋を兄夫婦(藤井隆=好演、山田真歩)が訪ね、部屋に女がいるのを見て共起するところから、芝居になっていく。物語の一本の筋に収れんするのではなく、互いに関係の薄い5-6組の2人組のコントがつながっていく。オムニバスの作り。特養のダメ職員の二人(体の大きい山口航太、眼鏡の山本圭祐)派遣の新入社員(芋生悠)にちょっかい出す先輩(青柳祥=好演)、老女の娘と孫、中学の先生と結婚した女性等である。
チョークでは、青年が電灯やテレビの絵を描いて部屋を造り、藤井隆が「兄」、山田真歩が「妻」と書いて役柄を示し、山本圭祐が人生と進化について語って「生赤少青中老死」と一生を凝縮して見せたりする。セリフで説明しないで(あるいは語りながら)文字で見せるのは斬新。ただ、演出で済ませられる分、セリフがやせ細っていく。チョークの内容は戯曲でどこまで指定してあるのか。
青年と老女の同居生活には大きな波乱はないが、周囲の人々の細部の動きや、個々のコントに見どころがある。(青年が電動ベッド=上半身が起き上がるやつ=を買い、その動きを二人でやるところは笑えた。老女がおもらしして、ベッドはさっそく汚れて、青年は怒るのだが)でも、最後に、何か大きな人生的感慨や、掘り下げた人間観の手ごたえが欲しい。井上ひさしがニール・サイモン「おかしな二人」に、「傑作だがやはり一つ物足りない」と注文を付けていたように。そこが、うまい作家と井上ひさし・永井愛・野田秀樹ら「うまいだけではない作家」との違いだろう。