闇に咲く花 公演情報 こまつ座「闇に咲く花」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    こまつ座の「闇に咲く花」は七演目という。僕にとっては、初演のテレビ放送を見て、初めて井上ひさし劇に目覚めた、エポックメーキングな作品。99年の再再演の時には、井上ひさしに初めて取材することができた。そういう点でも思い出深い。おみくじで次々大吉が出るくだりが、涙と笑いで大傑作である。作者は「ああいうことはいくらでも書けちゃうんだよね」と、こともなげにおっしゃっていた。ウーム、天才の天才たるゆえんである。

    今回は、11年ぶりだそうだが、神主の牛木公麿が、亡くなった辻萬長から山西淳にバトンタッチ。松下洸平といい、おめん工場の戦争未亡人5人(4人と記憶していたら、5人もいた!)といい、世代変わりが顕著。でも、変わらぬいい舞台を作っていたと思う。数えてみれば、13人も出るので、こまつ座としては大掛かりな芝居である。5人の戦争未亡人のアンサンブルが面白いのだけれど、人数が多いので、それぞれの人生が一筆書きにとどまるのが玉に瑕か。

    ギター弾きの加藤さんのそこはかとない旋律が、乾いた切なさをかもしていい。実は初演からずっと同じひとだという。演者によって変わりそうなアドリブ的な弾き方なのに、道理で、毎回同じ音色に聞こえたわけだ。水村直也さん、お疲れ様です。応援してます。

    遅ればせながら気づいたことは、健太郎の記憶喪失と、日本人の戦争協力の忘れっぽさとが重ねられていること。「忘れちゃだめだ、忘れたふりはなおいけない」という健太郎のセリフが、最後、ブーメランのように返ってくるのは、残酷である。この残酷さには初めて思い至った。

    3時間5分(休憩20分)と井上戯曲らしく長いが、どこもゆるみがない。後半の4場、捨て子の里親探しの下りが少々長く感じるが、これも物語のリアリティーを丁寧に積み上げていくための重要な場面なので、簡単に削ればいいとも言えない。さすがである。蜷川幸雄の公演のために、後年かなり作者自らカットした「天保十二年のシェイクスピア」とは、円熟度が違う。

    ネタバレBOX

    健太郎をグアムのC級戦犯裁判に送り込む手助けをした巡査が、最後、愛敬稲荷神社の仲間になっているのは、考えてみれば日本的だ。集団主義の日本だから、巡査の冷酷な行為は、職務でしたことで本人に罪はないと、神社の皆が受け入れる。個人主義的なフランス、アメリカでは、巡査の個人の責任を問うて、簡単には許せないだろう。

    BC級戦犯の裁判自身が、そうした個人主義の欧米と、集団主義の日本のズレが生んだ悲劇だった。上からの命令でやった末端の兵士あるいは(媒介役の)通訳に対し、欧米所管の法廷は、その個人責任を問うたのである。「私は貝になりたい」から帚木蓬生「逃亡」、鄭義信「赤道の下のマクベス」まで、考えさせられる問題がここにはある。

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    2023/08/06 18:11

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