Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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レ・ミゼラブル

レ・ミゼラブル

東宝

帝国劇場(東京都)

2019/04/15 (月) ~ 2019/05/28 (火)公演終了

満足度★★★★★

文句なしに良かった。最後、コゼットを幸せにして、満足して天に召されていくジャン・バルジャン(福井晶一)の姿に一番感動した。一方、ベジャール(川口竜也)が自殺するのはなぜかは、やはり難しいと思った。ただ、単に川に飛び込むのではなく、舞台奥に吸い込まれていくように消える演出は予想外で、印象的だった。

二宮愛、唯月ふうか、小南満佑子、そのほかいちいち名を上げないが、メインキャストの皆さんは、本当にみんな良かった。それぞれに一人で歌う場面があるので、歌が良くないとそこの場面が台無しになる。しかし、皆そんなことはなくてその実力に素直に感心した。

この作品、オペラのように、全てのセリフにメロディがついていて、レチタティーヴォになっている。見るまで知らなかったが、それも良かったと思う。それだけキャストの歌唱力が舞台を左右するわけだが、素晴らしいキャスト陣であった。

恐るべき子供たち

恐るべき子供たち

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2019/05/18 (土) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

愛玩する弟を奪われないために、相思相愛の仲を裂くわがままな姉。南沢奈央がその一番怖い、嘘をつく場面を、純粋さゆえに犯す過ちとして、まっすぐに演じていて、引き込まれた。弟と姉の関係は近親相姦だったのかいなか。どちらとも取れる演出をしていたと思うが、いかに。

弟に最初に怪我を負わせ、また最後は毒を送ってきて、最後の悲劇の原因を作る美少年がいる。影のような存在で、出番は少ないのだが、実はメフィストフェレスのようにこの悲劇を司っているように感じた。そういう外部の力がこの姉妹のドラマをじつは動かしているという点は、コクトーの作劇術としてどうだろう。あまり問題にする人はいないのだろうか。

蝶々夫人

蝶々夫人

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2019/06/01 (土) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

蝶々夫人は一昨年も見たから2度目。ほかにMETのライブビューイングも見たことがあるし、あれも良かった。そうした蓄積もあって、今回はいままでになく余裕を持ってみることができた。音楽とドラマの緊密な結びつき、切ない場面、コミカルな場面、重厚な場面など変化に富んだ構成、メロディーを大事にする親しみやすい音楽、こうした多面的な聴きどころを堪能することができた。

蝶々さんが最後は自害する、その理由はどこにあるのか。自らの名誉を守る自立した女性なのか、愛を盲信した一種の狂気と絶望なのか、子供のために身を引く自己犠牲なのか。様々に解釈できるところが、何度も上演されるこの作品の魅力なのだと思った。

シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!

シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2019/05/27 (月) ~ 2019/07/16 (火)公演終了

満足度★★

チェーホフのシベリア旅行を、6頭の馬たちが、代わる代わるに作家の残した手紙や紀行文を読み上げて、再現していく。その間、馬たちは、広い演技空間をずっと走る真似をしている。普通の戯曲、演劇とは全く違う。はじめは新鮮だったが、1時間20分を飽きずに見ることはできなかった。ただ、チェーホフのサハリン旅行の、行けども行けども同じ景色が続く、単調で、不快で、疲労困憊した気持ちに少し近づくことができた。

ざくろのような

ざくろのような

JACROW

座・高円寺1(東京都)

2019/05/29 (水) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

組織の中で生きることと、自己を生かすことは両立するのか。業績不振でリストラが始まった電機メーカー・サントー(三洋ー電機がモデル)の開発職場を舞台に、どの会社、どの組織にも通じる問題を、問いかけるように描いて見事だった。

職場、特に大手企業の職場の人間関係を描く演劇は珍しいのではないか。おもに6人(プラス人事担当2人)の登場人物の、上司と部下という立場の違い、能力の違い、性格・生き方の違いが引き起こす軋轢が、見ごたえあるドラマになっていた。職場空間をいくつかのユニットの組み合わせで作った美術もよかった。中央の塔はなんだろうと思っていたら、最後は、日中の企業の勢いの違いを象徴的に示していた。

ネタバレBOX

ラストで、主人公の開発リーダーが「おれはいままで、この会社の自由に研究できる環境が好きなんだと思っていた。でも違った。おれはおれを必要としている人のために働くのが好きなんだ」と語る。そして、サントーはもう俺を必要としていないから辞めると。この言葉には、組織の中の働きがいの核心があると思った。

二年前の「テアトル」4月号掲載の受賞作を見ると、このシーンで会社を辞める理由はただ「上司と喧嘩したから」だった。これが完全に書き換えられて、くだんのセリフに新たに発展していた。再演の大きく向上したところだと思う。
オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」

オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」

松竹

新宿FACE(東京都)

2019/05/22 (水) ~ 2019/05/29 (水)公演終了

満足度★★★

中村獅童のギラギラした若さと、一線を超えてしまうあやうさが見ごたえがあった。大人計画の荒川良々が殺される女の夫役など二役をしていて、歌舞伎とは異質のユーモアが、舞台を新鮮にして面白かった。ただ、特設舞台の四方をパイプいすを並べて囲むので、観劇条件はあまりよくない。5列目の私の席からは前の人が邪魔で見えないところが多かった。とくに舞台の上をのたうち回る殺しの場面に身切れが多かった。これは残念だった。
油まみれの凄惨な殺しの場面が有名だというが、予想していたほど血なまぐさくなかった。あまりむごたらしい演出は流行らないということだろう。

それにしても、中村獅童の主人公・与兵衛は遊び人だが根は素直で、悪い人には見えない。しかしいったん殺しに手を染めた後は、虫も殺さぬ顔で相手の家に線香をあげに行くふてぶてしい人物になる。この人間の心理は測りかねた。ラスコーリニコフとは対照的。人格の一貫性を重視する近代的な人間理解とは違うということだろうか。

骨ノ憂鬱

骨ノ憂鬱

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2019/05/21 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

冒頭は東京、荒川沿い。一平が妻を殺したという告白から始まり、「僕の少年時代は7歳で終わった」と、50年前の東京五輪のころ、九州の山村の旧家の大家族の話に飛ぶ。殺された妻も常に舞台の隅にいて、夫の7歳の時の体験を見ることになる。

そこは、祖父の大旦那が林業で成功して人財産を築いたが、今は長男が後を継ぎ、林業も斜陽が始まり、家族関係もギクシャクし始めていた。一平の父は次男で家業を手伝い、、三男は中学校教師である。隠居しても精力的で圧倒的な存在感のある1代目と、善良だが小人物の2代目の三兄弟。そして、いつも母親の陰に隠れている3代目の幼い一平。代が下るほど生活力を失っていく構図は「ブッデンブローグ家」のようだと、これは後で気づいたことである。

原田大二郎が破天荒な1代目を生き生き演じていた。客演の斉藤とも子が祖父の後妻として、この崩れそうな旧家を支える気丈な女性を演じて貫禄があった。個人的感想としては「黄色い叫び」よりよかった。一平役の稲葉能敬は、少年時代はずっと、黄色い帽子を目深にかぶり、感情を見せないナレーター役で影のような存在だったが、このナレーターがメリハリがあってよかった。

旧家の素朴な人たちのズレと諍いが、時にユーモラスに時に力強く演じられる。どこに感情移入してみるか、多焦点のドラマでモヤモヤした。ただ、愛していながら、愛がうまく伝わらない、自分の思いとは全く違うことをしてしまう、人間の切なさ、悲しさが最後には残った。

ネタバレBOX

一平の父が起こした決定てきな事件(ひき逃げ)がもとで、一家は財産を失い、バラバラになる。でも、この事件が一平の妻殺しの原因というのは無理があるし、作者もそう書いてはいない。結局、平成の夫婦のもつれと、昭和の家族の軋轢が結びつくようで繋がらない。そこは物足りないし、見ていても不完全燃焼の思いが残った。
ドン・ジョヴァンニ

ドン・ジョヴァンニ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2019/05/17 (金) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

ドン・ジョヴァンニとツェルリーナの誘惑の二重唱から、ソプラノのアリア、地獄落ちの迫力ある音楽まで、間然することのないよい舞台だった。聞かせ処の曲曲を聞くという点では、コンサートのように考えると良いかも。タイトルロールがソプラノでもテノールでもなく、バスというところがこの作品のユニークなところ。そこいくと、テノールのオッタービオの歌は優等生的な愛の歌でつまらないな~と思ったのだが、それは素人の浅はかさ。テノール歌手の出来は最高だったらしく、カーテンコールではテノールのガテルが一番拍手が大きかった。

また、その伝でいえば、筆頭ソプラノのドンナ・アンナよりも、二番手のはずのドンナ・エルヴィーラに女心の複雑さと奥深さを魅力的に感じた。捨てられても捨てられてもドン・ジョヴァンニへの愛を大切に持ち続け、最後もジョヴァンニを救うために駆け付けるのは、行動的で、ただの馬鹿な女とは言えない。

獣の柱

獣の柱

イキウメ

シアタートラム(東京都)

2019/05/14 (火) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

ありえない超常現象を、リアリティーをもって舞台に引き起こすという点で、前川知大のイキウメは抜群のセンスと力量を持つ。今回も、高知の片田舎の隕石拾いの話でしっかり足固めしたうえで、人々に幸福感を与える巨大な柱が空から次々降ってくるという超大風呂敷を現出させてしまう。あっぱれというしかない。その転調の頂点ともいえるのが、主人公の二階堂進が消える場面。そこでは観客の時間さえも恍惚感のなかで盗まれていた事が分かり、我々も舞台の異常現象の当事者になってしまうのだ。

柱は人が増え過ぎた都会を壊滅させ、人々は田舎に分散して暮らすようになる。作中でも言及されるバベルの塔の暗喩につながるものがある。2051年の世界では、新しい暮らしを始めた人々の間で、昔と同じように有力者の身勝手が始まり、それにへつらうおべっか使いが増え始める。決して前面に押し立てるわけではないが、現代文明批評の要素もあることはこの劇団の強みである。

山の声 ― ある登山者の追想 ― オリジナルバージョン

山の声 ― ある登山者の追想 ― オリジナルバージョン

オフィスコットーネ

Geki地下Liberty(東京都)

2019/05/17 (金) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

「山の声」は昨年10月に見たが、今回は大阪のオリジナルキャスト(二人)による初の東京公演。初めて見た時の「冬山体験」が再び味わえた。今回は、加藤文太郎が愛妻と愛娘の写真を相棒に見せて「どや?」「どや?」と、相手が「かわいいなあ」というまで、しつこく迫るのがおかしかった。遭難死する最後の、妻子の夢と同様、妻子への愛が前回以上にくっきり見えた。

作者大竹野正則の評伝劇「埒もなく汚れなく」では、天才・大竹野と凡人の妻の軋轢や、大竹野に対する妻の不審と嫉妬が強烈だった。しかし、遺作「山の声」で、大竹野は妻恋歌をうたっていたのだとわかった。

ネタバレBOX

「埒もなく」のアフタートークで話していたが、舞台には2人しか出ていないのに、猛吹雪のために裏で6人の役者が紙吹雪を散らしているそうだ。今回の舞台は、その吹雪の陣頭指揮を大竹野の奥さん小寿枝さんがとっていたそうだ。プロデューサーの綿貫凜さんは「愛情をもって雪を降らしていて、とてもかなわない」と、今回のトークで話していた。吹雪の降り方もこの芝居の見どころなのだろう。
佐倉義民伝

佐倉義民伝

劇団前進座

国立劇場 大劇場(東京都)

2019/05/11 (土) ~ 2019/05/22 (水)公演終了

満足度★★★

重い年貢にあえぐ佐倉389村の農民たちを救うため、将軍への直訴を決意した木内宗五郎。身を捨てて宗五郎を助けた甚兵衛の渡しの場と、死罪を覚悟して妻子と別れる「子別れの場面」が見どころと言われている。今回初めて見たが、渡しの場の甚兵衛の活躍はあまりに一瞬で、感動する暇がなかった。「子別れの場」はセリフとしては簡単至極、いわばとんとん拍子に心が通じていき、「あれっ」と思ったが、家を宗五郎が出た後、追いすがる子供と、それを振り離す宗五郎の「所作」がみどころとわかった。
今回、一番の物語の肝になったのは、51年ぶりに演じたという「光然祈念の場」。いたいけな子供たちが、宗五郎夫妻の前で首を切られた様子を語るセリフに、客席でも一番忍び泣きが聞かれた。

現代劇のように親子のつらい別れに感情移入することはできなかったが、いいものを見たという心地よさは長く残った。それはなぜかと考えると、日常生活とは別世界の体験に、心が浄化されたのではないかと思う。あるいは様式的な舞台の「美」にふれた効果だろう。加藤周一が「見るなら古典劇。伝統なき現代劇は見てもつまらない」という趣旨のことを言っていたのは、この「美」があるかどうかの違いではなかったろうか。

ネタバレBOX

子別れは大雪の冬。その後の将軍への直訴は紅葉の寛永寺。1年近くたったことになるが、つらい別れの後、年貢問題を脇においたまま1年潜伏か何かしたとは考えにくい。しかも、最後の場面はサクラサク春で、子別れから1年半たったことになるが、乳飲み子だった三之助は乳飲み子のまま。(季節の通りならもう2歳だろう)直訴場面をもみじの美で華やかに見せるための季節の設定と思うが、ストーリーとはずれる。季節のちぐはぐについて、製作側はどう考えているのだろうか?
いずれおとらぬトトントトン

いずれおとらぬトトントトン

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/21 (火)公演終了

満足度★★★

1964年の東京五輪直前の精神病院を舞台にしたナンセンスコメディー。舞台は病室を模し、6人の患者がいるところに、7人目の男が刑務所から回されてくる。この男が、規律・規則・禁止で骨がらみにされた患者たちの心に、再度自由な精神を取り戻させていく。騒動を起こす男は、そのたびに治療と称して電気ショックで痛めつけられ、最後は骨抜きになったように見えたが…。最後のシーンに、夢を追うことのすばらしさを感じた。小さな別世界での寓話である。
1時間40分と短めの芝居なのだが、途中、精神病患者たちの妄想や強迫観念に付き合わされるのはくたびれた。

1001

1001

少年王者舘

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2019/05/14 (火) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

とにかくすごい。妙に心地よい言葉遊びと、悪夢のような反復と、戦争の罪の歴史さえも記憶の断片が元に戻るギャグにしてしまう。物語のカギを握る少年は分裂し増殖し、向かい合わせの二枚の鏡の間に立った時のような、無限に続く自分の鏡像をのぞき込むような体験。現実と演劇の境界さえ崩れ、終わるようで終わらない、果てしない物語に身を任せる2時間15分。
総勢38人が登場する少しずつずれた群舞と、見事にそろった群舞の、それぞれが対比して醸し出す美と調和もすばらしい。
いろいろ演劇は見てきたが、今まで見たこともない唯一無二の時空間の舞台。舞台のセリフと同じく、「終わりたい」(「終わらない」「終りない」…)と口では言いつつ、無意識ではいつまでも続いてほしいと願っていた。

木の上の軍隊

木の上の軍隊

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2019/05/11 (土) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★

沖縄戦が終わってから2年間も木の上に隠れ続けたふたりの兵士。村人たちが島に帰ってきたのを知って、若い現地兵が「戦争は終わったんじゃないかな」というのに、上官は「こんなでかい敵軍の宿営地があって、終わったわけがないじゃないか」という。そのとき、ぱっと、今の沖縄の米軍基地のことが思い浮かんだ。そうか、米軍基地が沖縄に居座り続けて、日本の戦争はまだ終わっていないのだと。
芝居では若い兵士が「日本は戦争に負けたとうことですよ」と、続くのだが。

再再演で私も3回目の観劇。上官が出征前に駆け込み結婚した醜女の妻を、初夜に抱こうとしなかったら、妻から「私にも選ぶ権利があるわ」と逆肘を食う場面は今回も笑ってしまった。

WILD

WILD

東京グローブ座

東京グローブ座(東京都)

2019/04/28 (日) ~ 2019/05/25 (土)公演終了

満足度★★★★

スノーデンをモチーフにした社会派戯曲ということで見に行った。3人の登場人物の、いったりきたりの、わかりにくい会話が延々と続くので、「これ、社会派なの?」と、いい加減じれてくると、最後に意外な結末が待っている。ジャニーズのイケメン・中島裕翔目当ての若い女性客で客席はいっぱい。

米国の追及を逃れてロシアのホテルに隠れ住む主人公のもとに、謎の女が現れ、「仲間になれば支援する」と持ちかける。女がいなくなったかと思うと、別の男が現れてやはり「仲間になれ」と。謎の二人の正体は? 主人公の選択は? と思わせられるが、会話は堂々巡りやすれ違いで、ほとんど話は進まない。
ネットの監視や、権力の介入の話もほのめかされる程度で、具体的に新味のある話はでてこない。

この戯曲の社会派たる所以は、個々のセリフや(スノーデンが暴露した)政府による監視・検閲活動への批判にあるのではない。最後の最後になって、私たちの足元の大地がぐらりと揺らぐように、周囲の現実がすべて不確かであることが明らかになる。観客も今まで見てきたことが全て崩れるような不安とめまいに襲われる。セリフではなく「舞台」そのものを通じて、現代の情報化社会がいかに不確かで不安定であるかを体験させる。


改訂版「埒もなく汚れなく」

改訂版「埒もなく汚れなく」

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

孤高の劇作家・大竹野正則の評伝劇。天才は寡黙で正体がつかめないところが、天才だ。それを支える妻は、凡人ゆえに、身勝手が天才に振り回される悲哀を免れない。西尾友樹、占部房子の主演のお二人がよかった。とくに、夫婦げんかの場面。占部さんの悲痛な叫びは胸に刺さった。

ネタバレBOX

去年からオフィスコットーネの大竹野の芝居をいくつか見たが、いずれも大変ユニークで、面白い。趣向が破格で、人間を深く探っている。
終演後のトークで聞いたが、大竹野は存命中、全く無名だったそうだ。平日は仕事があるから、芝居は週末三日間の5ステージくらい、動員数は150-300人だったそうだ。この戯曲の水準から見て、信じられない数字だ。それが死後、戯曲集が出版され、ぐんぐん評価を高め、東京でも上演され、評伝劇さえ作られた。

大竹野は寡黙で一人になりたがったが、なぜかいつも周りに人が集まってきて、彼を支えていたそうだ。突然の海での遭難後も、その延長で、遺された人たちが大竹野の芝居を世に広めた。現代の石川啄木、宮沢賢治ではないだろうか。
ハムレット

ハムレット

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

岡田将生のハムレットは、従来の憂鬱な悩めるハムレットではなく、活気あふれる行動的ハムレットであった。オフィーリアも、狂気にすごみがあった。回り舞台と、塔を配して高低差のある装置もすばらしい。オフィーリアとハムレットの衣装がどんどん変わっていくのも新鮮だった。その衣装はだんだん崩れていくもので、物語の進展をビジュアル化していた。有名な「生きるべきか、死ぬべきか」の独白場面を、塔の上で首を吊るかどうかという仕草で見せるなど、演出も見事だった。

王妃ガートルードは悪女なのか、事情を知らない罪のない女なのか、評価が分かれるところだが、今回は、罪のない浮気な女だった。それが無理がないように思う。

ノルウェーの王子フォーティンブラスの話は、最期以外カットされることが多いが、今回は冒頭と中盤でも出てくる。おかげで復讐のための軍拡という物語の背景がうかびあがり、そこに現代性を感じさせた。

休憩は別にして2時間半。通常の上演より短い。それでいて、カットを感じさせない。(でも、オフィーリアの死を報告するガートルードのセリフはカットされていると感じた。本来は凝った情景描写のある長いものだから。でも、カットしたほうがよかった。)上演台本もよくねられたもので、よかった。

名セリフをひとつ。「この世のタガが外れてしまった。それをただすために生まれてきたのだ。俺は」。故北条元一さんが論じたように、この「Time is out of joint. Set it right」(大要)に、この芝居の核心があると思った。そのためには、自分も含めた多くの犠牲が必要だったわけだが。

拳KEN ~土門拳とその弟子たち

拳KEN ~土門拳とその弟子たち

平石耕一事務所

シアターX(東京都)

2019/04/23 (火) ~ 2019/04/26 (金)公演終了

満足度★★★★

舞台の最前列に腰までの高さの黒い板(台幕?)をおき、人形劇のような出入りで俳優たちが動く、変わった演出だった。しかも音楽劇。いつもとは一味も二味も違う舞台経験だった。土門拳役の俳優・根岸光太郎は、平石耕一事務所の看板俳優で、今回も舞台の中心にどっしり構えて全体をよく引き締めていた。

ネタバレBOX

ラストの、死んだ親友が降らせてくれたかのように、室生寺に待ちに待った雪が降ってくる場面はぐっと来た。
ブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」

ブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」

アミューズ/フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京

東急シアターオーブ(東京都)

2019/04/16 (火) ~ 2019/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

三浦春馬(とエンジェルス)の歌とダンスが抜群によい。小池徹平の歌も素晴らしく、とにかく日常を忘れてノリノリに楽しめる舞台だった。
イギリス製造業の倒産・失業の危機を、アブナイ(ショー)ビジネスに活路を見出すというのは「フル・モンティ」を連想した。パンフをみると、キンキ―ブーツの演出家はフル・モンティの演出もしていたそうで、なるほど!と納得した。第2次産業から第3次産業(サービス産業、特に娯楽ビジネス)へという歴史観は三谷幸喜の「日本の歴史」とも共通している。

人生問題の一つ一つの掘り下げをもう少し深めたら、去年の「メアリー・ポピンズ」に並ぶ、さらに感動を増す舞台になると思う。

良い子はみんなご褒美がもらえる

良い子はみんなご褒美がもらえる

パルコ・プロデュース

赤坂ACTシアター(東京都)

2019/04/20 (土) ~ 2019/05/07 (火)公演終了

満足度★★★

演劇を見たというより、コンサートに行ったという感じの舞台だった。音楽は、不安と憂鬱の現代音楽、オーケストラを認められた喜びの曲、大佐の登場に合わせた滑稽なほど大げさで荘厳な祝典曲、など意外とバラエティーのある音楽だった。それぞれに劇の内容を観客に伝える大きな役割を音楽が持っていた。

ただ台本は少々抽象的すぎて、ぴんと来ない。70年代のソ連での自由はく奪が、今の日本にどれだけ意味があるのか。もちろん大事な問題だと頭ではわかるのだが、体と心がついていかなかった。

ネタバレBOX

最後に、二人は大佐の勘違い(機転?)によって釈放される。政治犯のアレクサンドルが、楽器は何もできないんだと劇の始まりでは言っていたのに、最後に、オーケストラの指揮台に昇って、タクトを振る。そして調和の和音をオーケストラが奏でて大団円(ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のように)となる。

冒頭の「楽器は出来ない」という発言を、「音楽は出来ない」ととると、自らに枠・限界を設けていた最初の状態から、その枠を破って精神の自由を得たラストととる事も出来る。
作者は当時のソ連批判を強く意識して書いたらしいから、私の解釈が作者の意図と沿うのかどうかはわからない。ソ連的統制社会はそのままでも、考え方次第で自由は得られるとなってしまうから。

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