カノチカラ ~リグラーの変態~
JACROW
「劇」小劇場(東京都)
2017/02/28 (火) ~ 2017/03/04 (土)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2017/03/04 (土) 20:00
2017.3.4(土)20:00-
センターツラで堪能。
話の筋は大変シンプルで、序盤は生の舞台で演る旨味はどこにあるのだろうと思ってしまった。
しかし、普通のドラマの中に一点アクセントとして入ってくる「携帯のバイブ音は蚊の羽音に似ている」という台詞にいろいろなニュアンスが込められており、後半になると会場内にいもしない蚊が飛び始め、物語がじわじわ深みを増した。
蚊という存在は人間のネガティブ感情に似ていると思った。ひっ捕まえて殴れない上、次から次へと湧いてくる。平手で潰したとしても、「痒み」という遺恨を残す。
一方で、現代において携帯のバイブ機能は、誰かが誰かを想っていることをなるべく控え目に知らせてくれるツールだ。それは一見して明るい出来事のように見えるが、たとえば自死によってこの世を去った人からのメッセージであったらどうだろう。人によっては、なるべくなら早く止んで欲しい蚊の羽音になるに違いない。
本作では、一人として悪意を持っていない人達がすれ違い、主人公が傷つく様子を通して、平手で抹殺されてしまう蚊のような想いを確かな重みをもって感じることができた。「蚊の重み」というと矛盾した表現だが、今日もどこかでもがいている一億二千万分の一(もしくは六十億分の一)の気持ちというのは、地球サイズで見れば軽いようで、その実は重いのだと思う。
★蛇足
金網を使った舞台美術の机と椅子が、シーンによってはハエ叩きや、線路を見下ろす歩道橋のようにも見えた。限られた条件の中での最小限の舞台美術で様々な想像を掻き立てられた。最初は机に脚が無いことの意味がよくわからなかったが、合点がいった。
オシラス
電動夏子安置システム
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2014/07/08 (火) ~ 2014/07/15 (火)公演終了
満足度★★
脚本のレベルと俳優のレベルが合っていない
◆公演終了後につき、ネタバレBOXに入れずに書かせていただきます。
出ずっぱの俳優達のグルーヴ感がとても心地よく、
元気をもらいました。
2ヶ月に1回ほどしか観劇しないのですが、各々のカンパニーの
場の作り方を鑑賞できるのがとても楽しいです。
『オシラス』では、たくさん喋る俳優・そのシーンを動かす
キーになる俳優だけが目立っていたわけでなく、
全員にポジションがあり、連動していたのが観ていて美しかったです。
サッカーに喩えるならば、攻撃の中心選手も労を惜しまず
地味な守備をやっていたりして、チーム力がありました。
その反面、残念な点もあり、紙面でのアンケートという形ではなく
ネット上に残る形で意見発信したいと思い、今日は書き込みます。
3000円の観劇料金にしては、脚本が冴えなかったと思います。
いくら俳優達が躍動しても、肝心の戦術部分にブレがあると
トータルで観た時に不満足感が残ります。
キャリアのある劇団がそれをやっていると、
いつでも応援してくれる固定ファンのための興行になってしまい
新規のオーディエンスは引いてしまいます。
以下、自分が観劇していて、やや引いてしまった点を挙げます。
①「つくり」がハッキリしない
ラストに全ての辻褄がピタリと合うタイプのロジカルな作品なのか、
全体的に破綻しているカオスで破天荒なパーティーなのか、
よくキャッチできませんでした。中途半端であった気がします。
設定や辻褄の細部を考えたら、矛盾点がたくさん出てくるような気がします。
(あまり意味が無いのでここでは列挙しません。)
しかし、そういった細部を無視して気楽に観ていると、
ついていけない部分もでてきてしまう。
どちらかに方向性を揃えなくてはいけないわけではありませんが
観ていて「しっくりくる」ようにまとめるのは
脚本家にしかできない仕事です。
どうしても映画「12人の優しい日本人」と比べてしまい、
作家の仕事が甘いと思ってしまいました。
②ラストの急転が唐突
今回の作品、好きな俳優である堀奈津美氏・根津茂尚氏が
出演していたので観に行きました。
この両名が今作における「オチ」の部分を担っていたと思うのですが
ラスト10分の「オチ」の展開は少々強引に感じられました。
「オチ」が重要なものなのであれば、もっと事前に予兆や伏線を
増やした方がよいでしょうし、重要でないものなのであれば
必要だったのだろうか?と思ってしまいました。
ただ賑やかなものを観て、笑って帰るだけでもよかったのでは
とも思ってしまいました。
そう思ってしまうくらい、客席から観ていると開演後の1時間50分と
終盤10分に無理のある落差がありました。
実は、自分が「この芝居、長いな」と感じて腕時計を観てしまったのが
ちょうど1時間50分頃でした。長いと感じた理由は、ドタバタした
コメディー調の展開がずっと続いていたことです。
しかし、「オチ」できっちりとこの作品を締めるならば、
1時間50分頃に最も観客の集中が高まるような構成であるべきと思います。
1時間50分がジェットコースターのように起伏だらけであれば
オーディエンスもリズムに慣れるのですが、あれだけ似たような空気が
充満した上で最後に急転すると置いていかれます。
堀・根津両氏の役のメインの仕事が「オチ」を担うことであったことを
考えると、客演を活かしきった采配ができていたのかどうか、
脚本家のバランス感覚に疑問を持ちます。
※最後に
客出しの際、劇団員の道井良樹氏が「好評価は口コミで拡散をお願いします。
低評価はできるだけ黙っててください(笑)」という冗談を言っていましたが
今作の脚本のクオリティーを考えると、危険な冗談だったと思います。
自分が今回の観劇に支払った金額・かけた時間を考えると、
複雑な気持ちで帰途につきました。
どうしても書きたくて書きました。
長文失礼しました。
エモーショナルレイバー【ご来場ありがとうございました!】
ミナモザ
シアタートラム(東京都)
2011/01/20 (木) ~ 2011/01/23 (日)公演終了
満足度★★★★
退化する都市部の人類に捧ぐ歌
2011年の東京で暮らしていると、
なんかもう誰にとっての幸せが何かとか
一人一人あまりにも違いすぎて、
難しい世の中に感じる。
10年前ならそういうのは
「価値観の多様化」と言ったんだろう。
もう多様化じゃなくて崩壊だ。
昔は仏教説話とかが機能していたし、
権力者の支配力も強かった。
オルタナティブなものを作るときは
それに対して唾を吐けばよかった。
もう江戸幕府はないし、
石原裕次郎や美空ひばりや黒澤明はいない。
じゃあ何になりたいか?
何をしていたいか?
誰に反抗すんの?
この作品は、そういった「迷いの空気」が
立ちこめる中で生まれた物語だと感じた。
今は戦後ではなく戦前だとよく言われるが
それどころではなく戦国時代、
いや縄文弥生の頃にまで戻っているように思う。
身体を動かすと気持ちいい。
家族といると暖かい。
火を通した食べ物は元気がでる。
身内を殺されたら悲しい。
そういう段階からもう一度感じ直す流れが
きているように思う。
スマートフォンがいくら便利でも、
テレビが地デジ対応でも、
Wi-Fiが張り巡らされていても
都市部の人類は退化している。
この作品はフィクションだが
そんな東京がそのままパッケージされているから
善悪もなければヒーローもいない。
みんな自分の事情でしか生きていないから
誰かを思いやる一言や行動が
恐ろしく鮮やかに目立った。
美しかった。
ちょっと前に夜の海で見た
豆粒くらい小さな
遠くの打ち上げ花火のような、
奥ゆかしい美があった。
友達が全員死んだ
チェリーブロッサムハイスクール
ザ・ポケット(東京都)
2010/10/07 (木) ~ 2010/10/11 (月)公演終了
満足度★★★★
泣き虫パワーポップ
ベタにもほどがある!
ってくらいわかりやすく丁寧な作品。
おそらく賢ければ小学生でも楽しめるし、
健常なら70歳だって守備範囲だった。
誰にでも楽しめる味付けで、
流れるように時間が過ぎた。
説明的な台詞や、俗に言う「芝居の嘘」のクドさが
気にならないのは何故だろうか?
(キャラメルボックスだったらすごい気になるのに)
そこは、演出家のバランス感覚の良さであろう。
「添加物使ってますが、美味しくするためですよ。
出来うる限り量は抑えてるし、素材の旨味を大事にしてます。」
という姿勢が透けて見えた。
だから、きっと観劇初心者から玄人まで納得いっただろう。
すごいことだ。
もう少し謎を残して、余白をつくったほうが
ゲージュツとして観客が参加する余地ができると思ったので
敢えて☆は4つにしておきます。
しっかし、そのままテレビドラマにできそうな明快さだったなぁ。
しかも、トリックにも人情にも偏ってないニュートラルな作風。
あ、さんざんキャッチーだの守備範囲が広いだの書いちゃったけど
決してセルアウトだとは思わなかった。
肝心のところは演劇の旨味を活かした
鮮やかな演出手腕でグッときた。
ラストシーン近く、登場人物達がそのまま
少年時代に遡って過去に起きた事故の様子が再現される場面だ。
目の前の人間がフェイドインで少年少女になっていくのは、
それまでの時系列に沿った物語の流れからすると
えらいドラスティックな変化で難しかろうが、
そこに持っていくまでの出演者全員のグルーヴが自然で
観ていて抵抗なく乗っかることができた。
そして、事故が起きる瞬間の緊張感とダイナミズムは
ちょっと80年代・90年代の小劇場ブームの香りがして興奮した。
若い劇団なのに、かつての離風霊船や南河内万歳一座の
カッコのつけ方を見せて幕を閉じやがった。
熱い!
(まあ、俺の偏見だけども)
スタイリッシュで知的で平熱な作品が跋扈しているような印象が
勝手にしている近年の東京の小劇場シーンにおいて、
ちょっと甘酸っぱくて暑苦しくてベタなことを
ここまで丁寧にやってくれると嬉しくなる。
もっと需要はあるはずである。
さらにドカーンと売れて欲しい。
中高生とかにも人気がでそうだ。
多くの人に観て欲しい。
清水那保一人芝居 ~曇天少年/共震少女~
ネリム
スタジオアキラ(東京都)
2010/09/04 (土) ~ 2010/09/05 (日)公演終了
満足度★★★★
涙する、ストリップ。
女優自身が脚本を書き、一人芝居で演じるという企画。
「自身の脚本」というところに興味を持ち、観劇した。
清水那保という俳優は、好きだし応援しているのだが
長い間顔を観ていなかった。最後に話したのは2年前である。
当時の自分から見た清水那保は、役柄が憑依したかのように見える
高い集中力を持った役者で、感情の起伏が激しく、
己の力を持て余しているような印象だった。
脚本・演出家の手によって、様々な化粧が加えられ
商品化(料金をとる状態)にこぎつけている印象だった。
本来、俳優は俳優に専念していればよいのだから
それでもよいのだが、自分はもう少し監督と選手が
フラットな関係でゲームメイクをするチームを観るほうが好きだ。
(化粧「してもらう」ってのはペットみたいでどうかと思う派である)
今回の作品は演出家がいるものの、
脚本の言葉そのものは清水那保の果汁を絞ってできている。
つまり、自分でも化粧している。
そこがフレッシュだった。(良い意味で)ほとんどストリップだった。
そして、久しぶりに観た清水那保のプレイは
以前とは印象が違って、冷静だった。
もちろん、まだ20代半ばだし、俳優としてのスキルアップや
人間として成長したことも、印象が変わった一因だろうと思う。
でも、最大の要因は
「自身の脚本を一人で上演した」ことにあったように思う。
複数の人間を演じ分けながら、時間軸をクロスカットで転換させ、
その度に衣装・小道具に魔法をかけて年齢も性別も変えていく。
そんなアブストラクトのDJのようなスキルフルな操作をしながら、
物語から集中を切らさず涙する。
(「私はお母さんの子であればいい」という台詞、染みた。)
情熱と冷静のバランスがすごく良くて心地よかった。
本業が脚本家ではないことなんて、どうでもいいと思った。
その人がその人の物語を喋ることの面白味、
それによって育まれる俳優のバランス感覚、
観る側にも演る側にも有益だったと思う。
もっとこういった企画が増えて欲しい。
あ、そういえば、今年の春に観たこれ↓も近い魅力があったな。
http://stage.corich.jp/watch_done_detail.php?watch_id=62511
企画と清水那保にビガップ!!!
カナリアの心臓【公演終了・ご来場誠にありがとうございました!】
キコ qui-co.
神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)
2010/06/11 (金) ~ 2010/06/14 (月)公演終了
満足度★★★★
堅守速攻
qui-co、初めて観劇。
劇場のセレクトも演目もどちらかといえば
イマドキではなく、熱くて人間臭い。
しかし、黒澤世莉のサッパリした演出と
女優 堀奈津美の華やかさが
その暑苦しさに涼やかな風を通しており
作風に反してとっつきやすかった。
作家と演出家の組み合わせがよかった。
また観たい。
≪演出についての感想≫
ある教団がかつて起こした「事件」。
登場人物達の家庭に起きた「事件」。
それによって、家族関係・人生までもが
大きく軌道を変えてゆくというお話。
芝居は「とある事情」で郷里を離れていた兄が、
父の葬儀で久しぶりに実家を訪れたところから始まる。
舞台は黒を基調とした抽象舞台で、
喪服の男が二人出てきてフツーに喋っているだけ。
二人の複雑な関係や、事件の全容など肝心のところは
語られないので、冒頭はとても地味な時間帯であった。
黒澤世莉の演出作品は過去に5回観劇していて、
人間関係や場の空気を丁寧に創って見せる
ドラマのような作品が多いと感じていた。
よって、「やばい。飽きるかも。」と思った(笑)。
ところが、今日の観劇でキュンときたのはこの後の展開で
芝居全体のリズムが途中から起伏を持ち始めたのだった。
特にラスト20~30分は急速にスピードアップするのと同時に
登場人物達が冒頭30分では押さえ込んでいたいろんな感情が
鮮やかに爆発し、物語にグッと引き込まれた。
脚本の良し悪しは自分には判断がつかないが
楽しめた最大の要因は演出であろう。
「芝居のリズムに起伏が~」と書いたけれど、
「リズム」というのは台詞が刻むビートのBPMという意味だけではない。
観客に提示される情報量、投入される照明の光量、音楽、
女優の衣装替え、立ち位置の変化、動きなどが連動して
「リズム」のようなものとして感じられたのだった。
粋な試合運びだった。
また、特筆すべきはそのリズムが機能するために
冒頭の地味な(と自分には感じられた)時間の存在が不可欠であり、
黒をベースにしたディプラッツの一部のような
渋い抽象舞台も一役買っているという点である。
(後半では時間空間をシャッフルして舞台が様々な使われ方をする)
なんか海中生物とかで、ずっと砂の中に身を潜めていて
獲物が近づくと物凄い勢いで襲い掛かるヤツがいたりするけど、
そんな感じのする芝居であった。
≪役者 堀奈津美についての感想≫
約10ヶ月振りに観た。
これまでネガティブな感情吐露が冴え渡るイメージがあったが、
今回の配役はポップな一面でも舞台に彩をあたえており、
守備に攻撃にバランスよく参加していた。
実年齢に近い年齢設定であったように思え、そこがプレーに安定感を
もたせていたように感じた。
描かれているのは人間やし、喜怒哀楽みたいなシンプルな感情だけしか
出さないわけではない。
今回の配役は特に色で喩えるなら「赤を下地に上塗りした藍色」とか
「黄色と灰色のマーブル」とか、ねじれた、微妙な、難しい感情表現が
多かったように思える。
うまく文章にするのは難しいし、作家と俳優が表現したかったことが
全て受け取れたとは言い切れないけど、
ちゃんと一人の人間の人生に触れた感がした。
2500円の見ごたえがあった。
---【蛇足】---
また、こういった実際の事件をベースにした演目を
例えば新転位21の俳優が極限状態まで稽古して中野光座で
上演したって、ポップなオーディエンスは遠ざかるだけだろうと思う。
堀奈津美が演ることにも意味があったとも言える。
足を運んだお客さんはラッキーだったと思う。
事件と家族についてちょっと考えてみたくなった。
ずっと気になってた塩田監督の映画『カナリヤ』も観てみよっと。
なっちゃん、せりさん、御馳走様でした!
Fight Alone 2nd
エムキチビート
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/03/17 (水) ~ 2010/03/21 (日)公演終了
満足度★★★★
薄っぺらい携帯電話で薄っぺらい友達と会話
緑チームの演目 「三鷹の女」がよかった。
出演は福原冠。
作・演出の友寄総市浪氏は福原の所属劇団である
国道五十八号戦線の作家で、
かねてよりサイエンスフィクションを得意としている。
設定が突飛な作品が多いこともあり、
この作家の芝居には状況説明や情報伝達のための台詞が
ちょっと多いように感じられ、過去に7作品観たが
どうしても自分は受け付けないのであった。
人間よりも、構成やトリックが目立って感じられてしまい。
でも、今回ばかりは違っていた。
今作「三鷹の女」は福原冠の原案?というか提示したコンセプト?
というかキーワード?が15分の中でだいぶ幅を利かせており、
独白調の作風も手伝ってかなりフレッシュな印象。
福原冠という俳優の持つ、やけにこざっぱりした狂気や
人間失格な部分、醒めた部分、など少し込み入ったパーソナルなところが
脚本に滲んでいて一人芝居企画ならではの醍醐味があった。
それなりに挑戦している小作品であるが、
演じる福原はあくまでゆったりと構えており、
他の一人芝居と比べてだいぶクレバーなところがニクイ。
「これ、やってみよう」とするのに必要な熱を(舞台上では)
一切外には漏らさずに老獪に演じていた。
グレイト。
※「三鷹の女」の感想だけで申し訳ありません……。
ROMEO and TOILET
開幕ペナントレース
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2010/03/02 (火) ~ 2010/03/03 (水)公演終了
満足度★★★★★
徒労の美
昨年末、アサヒ・アートスクエアで上演された
開幕ペナントレースのニューヨーク凱旋公演「ROMEO and TOILET」が
装いも新たに3月のシアターグリーンにやってきた。
再演といっても開幕ペナントレースの再演である。
それはそのまま再構成という言葉に置き換えられる。
キャストの一部に新メンバーを迎え、
新しいアレンジを加えての上演は非常にスリリングであり、
東京芸術見本市2010の関連で初めて観劇した者はもちろんのこと、
彼らの舞台を観るのは5回目である自分にとっても
刺激的なライブだった。
正直な話。
アサヒ・アートスクエアの凱旋公演よりVJが加わった開幕のステージに、
自分は支持者として一抹の不安を感じていた。
ただでさえ高さのある会場でのアクトに、揃って低身長のパフォーマー、
大スクリーンに大写しの映像、という取り合わせは
本来彼らが最大の武器としてきた身体の存在感を薄めてしまうのでは
と思ったからである。
意図したものなのかはわからないが、
実際、昨年末の「ROMEO and TOILET」は、ビギナーに対して
ある意味親切であり、ポップなつくりをしていたように思われる。
身体の存在感がやや薄かった。味付けがやさしかった。
たとえるなら、ロックバンドにターンテーブルが入った演奏のように
公演全体から「気に入らなければ流せる」ような風通しのよさを感じたのだ。
今回の公演の知らせを聞いたのは、開幕ペナントレースがこれ以上ポップに
ならなければよいな(今のバランスなら常人から変態まで広く楽しめる)
と思っていたまさにその矢先であった。
で、3月バージョンを観た。
結果……よかった!!!!!!
身体が濃かった。味付けがしつこかった。
ポップなんてとんでもない、恐ろしい地獄絵図がそこにはあった。
途中失笑すること複数回。えらい興奮したのである。
ビギナーにとって快適だっかたはわからないが(笑)
本当にあきれ果て、シビれた。
その「痺れ」はメンバーの人選と劇場のつくりによるところが大きいと思う。
彼らの狂態に拍車がかかっていたこと、
また、(Box in Boxシアターの構造上)客の視界にその狂態から
目を逸らす場所がなかったことがよかった。
なかでも、特に目を引いたのはサポートメンバーの存在。
マンガばりの特権的肉体を持つヤナカケイスケ 改め 谷仲慧輔、
そして郷家まさゆきの怪演である。
鹿殺し 高橋戦車の不在を一切感じないほど客演陣が充実していたのだ。
一方、フロントマンであるテンション番長 高崎拓郎 改め 高.ok.a.崎拓郎の
尋常ならざるテンションは過去最高潮。
劇団員 あらいたろうが便器に暴虐の限りを尽くされるお馴染みのネタや
劇団員 大窪祐々 改め 大窪寧々の情けなさが炸裂する定番
「サーカス一のスター I am a オロチ」など
最早伝統芸能のようにリピーターに定着している演目も健在。
つまりは彼らの身体パフォーマンスって団体競技であり
エースが点獲って、新人が目立てば、もう再演だの何だのって
カンケーなくなるのだ。単純に気持ちいい奇行の観戦時間。
つまり、何度だってまた観たくなる彼らになるのだった。
気の利いたギャグはタイトルだけ。
美女不在。
涙を誘うストーリー皆無。
それでも目を離せない狂態を、個人技ではなく演出で創っているのが凄い。
俺は一生忘れないと思う。
「ゲットマッスルアイアンボディー!」と何度も絶叫して倒れた
ヤナカケイスケの全くの徒労を。
全身タイツの男が白目を剥いてゲロゲロ悶えているのを
ただ客席でじっと見つめているだけの全く意味のない時間を。
あれ?あの公演、VJあったっけ?くらいのほうが開幕のライブはいい。
それは、身体の勝利であったということだ。
あれ?あの公演、VJあったっけ?
生きてるものか【新作】
五反田団
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/10/17 (土) ~ 2009/11/01 (日)公演終了
満足度★★★
実験と観察
寺山修司の
「人は不完全な死体として生まれ、
何年かかけて完全な死体になる。」
という言葉を初めて知った時は吃驚した。
19歳くらいだったか?
その切り口を知って、10年経ってからこれを観ると、
あまり大きな衝撃は受けない。
細部の観察なくしては楽しめない感じになっちゃう。
観劇というよか
実験を観察するちゅう感じやね。
これは完全に好みの問題になる。
自分が観察して、
何かじんわり受け取って
「観てよかったなあ」という気持ちになったのは
妊娠したショウコの最後の台詞だけだったかもしれない。
もちろんそんな瞬間に恵まれたのだから
価値があったのだけど、
ちょっと俺には作風がドライ過ぎた。
知人の久保亜津子さんを目当てに
五反田団を初めて観たのだけど、
このような「見方が決まってない観察型の作風」ではなく
主観的な作品も創るのだろうか。
主人公が一人いて、時系列に展開するタイプの
オーソドックスなレパートリーがあれば観てみたい。
沼袋十人斬り
THE SHAMPOO HAT
ザ・スズナリ(東京都)
2009/10/14 (水) ~ 2009/10/25 (日)公演終了
満足度★★★★
寿司喰いに行ったら美味しいケーキが出てきて吃驚
近年観た赤堀雅秋氏の脚本・演出作品
『 その夜の侍 』 ・ 『 東京 』 ・ 『 葡萄 』 が3つともよかったので
わくわくしながら観に行く。
結果、完全に予想を外れた展開におおいに驚く。
これまで観てきたシャンプーハットの作品と
味わいの異なる世界があった。
いつものお家芸である(と俺が思い込んでいた)
「静けさ」・「重さ」・「現実感」がほとんどない代わりに、
「怒号」・「スピード」・「仮想現実感」を前面に出した新演出。
まるでSABUやタランティーノの映画でも観ているかのような
爽やかな弾けっぷりだった。
旗揚げメンバー全員がショーレストランを拠点とした
パフォーマンス劇団の出身で、
「喜劇的であり続ける」のが身上というシャンプーハット。
旗揚げから10年以上もの長い歴史を考えれば、
今回はむしろ新展開ではなく原点回帰なのかもしれない。
魔夏の白昼夢を何故か10月末の秋深まる肌寒さの中で観る
という珍妙な逸品。
もちろん珍妙であることを狙っており、不自然でおかしなシーンが
次から次へとやってくる。
105分の上演時間の間、客席では随所に笑いが起こった。
物語の表面上は、いつものように「生活の苦味」や「犯罪」が
並べられるのだが、何故かとびきりファンキーに描かれている。
寒冷地のやってらんねー暮らしをウォッカでブッ飛ばすような、
主婦の覚醒剤や高齢者の万引きのような鬱屈した冒険を
インディージョーンズの冒険に強引に変換しちゃうような、
やけっぱちみたいな試み。(を意図的にやっていた)
そして、これまた珍妙なことに全体を通して観ると
大変ハートフルな作品だった。(これも意図的)
登板した役者は7名。
主将の野中隆光・中盤の要 黒田大輔を欠き、
客演も一切迎えなかった今回の布陣。
意外にも、近年で最も華やかな快作(怪作?)に仕上がった。
サッカーに喩えれば、赤堀雅秋をドンとセンターに置き
全てのボールを集めるという単純でダイナミックな戦術。
とても観やすく、安心感があった。
舞台上には安心感があるのに、物語や演出は今までにない
トリッキーな試みが多く、着地点が読めない。
そのバランスが絶妙だった。(もちろん意図的だろう)
赤堀氏を取り囲む劇団員一同、全くキャスティングに無駄がなく
その辺りもクールだ。
例えば、梨木智香は下着を見せるだけで十分ポジションを果たしていた。
いつも思うのだが、「完全に客観的に自分達のクルーを見つめる目線」
がなければ、創作ってあそこまでカチッと狙い通りにいかない。
狙いを外さないところに畏敬の念を抱く。
また、見終わってしばらくして、
「いや、そんなに明るい話じゃねえぞ…」
ってなるのも凄いところだ。
評価の☆を5つではなく4つにした理由は、
愉しみ方を理解するまでにしばらく時間を要したことと、
辻褄やリアリティーを削ぐと、いくら面白くても
心の底から揺さぶられるような感動はやって来にくいことから。
作品よりシャンプーハットそのものの魅力が勝った新演出だった。
目当てで観に行った先輩の吉牟田眞奈さんは、
顔芸・関西弁など持ち味を使い切ったスキルフル過ぎる好演。
ただでさえ忙しなくカラフルな展開に、さらに華を添えていた。
眞奈さん、お疲れ様でした☆
『ヘアカットさん』 / 『朝焼けサンセット(朝公演:朝食付き)』
岡崎藝術座
こまばアゴラ劇場(東京都)
2009/10/16 (金) ~ 2009/10/25 (日)公演終了
満足度★
客が寝るとき
ヤル気満々で観に行くが、3分の2を眠って過ごす。
よって感想が書けない。
だから、何故寝たかを考えてみる。
皆さんはどんな時、芝居で眠くなりますか?
俺が考えた「客が寝るとき」は以下の3点です。
≪客が寝るとき≫
1.コンディションの問題 …寝不足など
2.リズム(刺激)の問題 …目や耳が捉える状況変化が単調
3.当事者意識の問題 …内容や演者についてこれず意識が離れる
以下、上記3点をふまえた上での感想
アフタートークを聞いてて思ったのは、
演出家とオーディエンスに隔たりがあるのではないか
ということだ。
演出家は何を思いどう創ったか、当事者なのに
わかりやすく客に解説することはできない様子だった。
この演出家は「リズムを調整して刺激を与えよう」だの
「みんながわかるように見せよう」だのには
おそらく興味がない。
だから、きっと彼の視点は非凡でも
それを作品からキャッチできる人は
けっこう限定されるのではなかろうか。
(キャッチできないと当事者意識は下がる。)
音楽好きな人がFUJIROCKやSUMMER SONICに行くのは
ありふれていても、観劇好きで利賀村に行くのはレアだ。
俺の周りには利賀フェス出演経験者は多いが、
利賀フェス観覧経験者はいない。
つまり、利賀フェスでの評価は
一般客に通用するかはわからない。
神里さんは、自分の視点を作品に起こしたら
「どう見せるか」という、いわばサービスをもっと考えて
オーディエンスに寄り添ったほうがいいと思う。
独り言みたいな作品ならエッセイにするか、
現代美術として展示するか、5分くらいの歌にまとめてくれたら
受け取りやすい。
余談だが、
今回と同じく応援している役者 折原アキラを目当てに
今年の初めにアゴラで観たデスロックはその点凄かった。
芸術作品としての色あいを濃く保ちつつ、
魅せ方に工夫があり、わかりにくいことをわかりやすく提示してあり、
3時間近い観劇でも一切眠気は起きなかった記憶がある。
これだけ書いておいてあれだけど、
まー内容はキャッチできなくても別に平気っちゃ平気だ。
俺はタイニィアリスで韓国のアングラを楽しんで観たし、
英語がわからないから、大好きなバンド
ナインインチネイルズの曲は一つも何言ってるかわからない。
公演はライブなんだから、リズムで聴いたり、
絵として観たり、役者の身体を眺めてれば飽きない。
ひょっとこ乱舞を観るとき、ストーリーを緻密に追って
分析する奴はそれほど多くないと思う。
維新派の所作や美術に込められたコンセプトを
逐一キャッチできる奴はそれほど多くないと思う。
今作での岡崎芸術座も同じく。
でもね、眠くなる客の割合は今作の岡崎芸術座が
(ひょっとこ乱舞・維新派と比べたら)一番高いと思う。
それは、俳優の使い方が原因の一つだと思う。
俳優が人間とオブジェの中間みたいだった。
オブジェにするなら飾り方や置く向きなどが重要になる。
人間にするなら出来事と感情変化を
どのような順番でオーディエンスに公開していくかが重要になる。
どっちでもなかった気がする。中途半端に感じた。
特に折原アキラは人間にもオブジェにも適したプレイヤーなので
どちらかでばっちり使えば、(内容がわからなくとも)
折原アキラでオーディエンスの当事者意識を保つことが
できたかもしれない。
俺にはアフタートークの時の俳優のほうが
各人がその人らしく振舞っていて魅力的に映った。
これが一番印象に残った感想だろうか。
この作品は役者を人間として扱い、
フツーに時系列に沿って話を並べたほうが伝わったと思う。
演出家の手腕に問題があると思う。
最後に…
神里さんは演劇(というより生ライブでの観客との対話)に
あまり向いていないと俺は思うので、エッセイを書いたり、
ショートムービーを撮ったり、
武谷氏を聞き手にしてトークショーをやって欲しい。
考えていることを文章にして「説明」してくれるか
より自身の視点を強く出せる「短時間」の映像に落とし込むか
「ツッコミかつフォロー」の相方を迎えて、その人と喋るか
そうしたら面白いと思う。
これは誹謗中傷ではなく、本気で思ってます。
だって「評価されている気鋭の若手クリエイター」
の作品なのにつまんなかったんだもん。
演出家・劇作家のエッセイだと
宮沢章夫の「牛への道」とか最高だが、
「牛への道」くらいは書けそうな
変わったセンスがありそう。
「賢くて繊細な人だけがわかる演劇」をつくり続けるのは
ちょっともったいないし、
俺のように「愚かで繊細でない人」は
彼の才能を享受できないのでかなしい。
どっちにも広く受け入れられたら一番いい。
マシーン日記
Not in service
タイニイアリス(東京都)
2009/10/02 (金) ~ 2009/10/04 (日)公演終了
満足度★★★
レシピと厨房と材料と腕前と
大胆な脚本の改編など特になく
地道なカバーに思えたが、
配役の妙・音響プランなど戦術が確かで、楽しめた。
特に、村岡さん演じる兄アキトシが
ハンマーで殴られてトイレにぶっこまれた後
血塗れで出てきた時の空間の歪みが好きだ。
「あ!合コンかぁー!」
大変痛快だった。
また、奥野亮子演じる3号ことケイコが
算数について語る長ゼリが秀逸だった。
「1-1=0。わかったのよ。
小学校4年にして算数の意味が。」
痺れた。
こういった後から思い出してもグッとくる瞬間
(サッカーなら得点)を生んだのは
演出の非凡な手腕のなせる業に他ならず、
後悔しない観劇になった。
が!!!!!
大学の施設で1000円で上演するのと
魔窟 タイニィアリスで2000円で上演するのとは
意味合いが違う。
また、杉田鮎味を上演するのと
松尾スズキを上演するのとは意味合いが違う。
メンバーが10人前後いるのと
4人とでは意味合いが違いすぎる。
タイニィアリスの僅か120席クラスの空間を埋めるのも
この4人には重荷であるように感じた。
4人とも身体・声共に小さく、それも物足りなかったが、
それ以上に単体で2000円とれるメンツではなかった。
ベテランが混じってないと厳しい。
脚本と劇場の存在感が、役者を上回っていた。
大人計画は実は2作品しか観劇の経験がないのだが、
鑑賞して強く実感したことがある。
技のデパートである凄まじい俳優陣が、
特に照れ隠しの要素でもある「笑い」をがっつりとった上で
鋭いメッセージが乗っかると
松尾スズキの戯曲は最大の破壊力を発揮するということだ。
誰にでも操縦できるもんじゃない。
そればかりは数ヶ月の稽古ではすぐに解決しない問題だと思う。
「シーンを成立させた」だけだったら、
料理が出来上がっただけに過ぎないと思う。
それらを予測した上で、当日は最前列に座った。
ぎりぎりだった。
一番後方の席に座っていた観客に4人のバイブスは
届いたのだろうか?(特にサチコの)
今回、2000円は作品の値段じゃなかった。
「社会人劇団になって経費が増したことから
必要になった値上げ」に見えちゃった。
昨年10月の作品が1000円分の価値で、
今年10月の作品が2000円分の価値だとは
思ってないのでは?
かつて、ペニノがマンション公演をやったように
本当にプレハブみたいな手狭な閉鎖空間で
1200~1500円での上演が妥当だろう。
プロトシアターやアトリエセンティオ、
実際に工場跡であるKAWAGUCHI ART FACTORYなど
アリスを7日借りるより低予算で済みそうな場が
あった筈である。(狭ければ迫力も増す)
大人計画誕生の地とか、観客には関係ない。
はちみつ
こゆび侍
王子小劇場(東京都)
2009/09/23 (水) ~ 2009/09/28 (月)公演終了
満足度★
作演の采配を疑う
昨年観た「ドンキホーテの恋人」がよかったのと、
過去10回共演しているハマカワフミエが客演していたのと、
今年から毎月一緒にイベントをやってるミ世六メが音響だったのと、
好きな俳優である廣瀬友美の舞台であったので観劇。
結果、ドンキホーテと比べるとかなりつまらなかった。
好意をもっている上記の3人も
そこに彼らが必要である理由はそれほど見当たらなかった。
フライヤーにあるように不毛をひたすら描くのかと思っていた。
でも、観劇してみると違うように感じられた。
大切に描かれていたのは、
不毛の先にある
「捕食される側だって腹が減る現実」とか
「巣が壊されても生きてれば再び待っている労働という現実」
のように感じた。
そこでようやく救われ、チケット料金に見合うだけのものを
ぎりぎりラスト10分くらいで佐藤みゆきの芝居に観た。
遅いっつーの!
問題は全て作演にあって、俳優もスタッフワークも美しかった。
作演の采配に疑問を持ったところを2つ挙げる。
2つしかないけど本当に大事な2点なのだ。
1.主人公二人の描かれ方の比重が青年に偏っていること
女店長と学生の話なのに、出てくるのが学生ばっかで
彼一人が主人公なのかと思ってしまった。
映画サークルの友人やメイド喫茶の女の子など
登場人物の多くが青年に関わるからだと思う。
(また、厳密に言えば彼ら4人はいなくても
作品は成立する。大事じゃないのに厚ぼったい。)
それらの人間関係の活写に割いた時間の半分くらいで
女店長と花屋夫妻は食物連鎖や不毛を体現していたように思える。
役者の実力差でもある気がするが、
登板の配分を決めたのは作演だ。この采配には違和感を感じた。
ニーズ(知名度)もテーマを体現する力も佐藤みゆきが勝るのに
作品のメインを青年にする必要があったのだろうか。
また、ニーナよりも花屋の夫のほうが遥かに女王然としていて
説得力があった。なんかバランス悪かった。
2.ニーナの描き方
自分が感じたニーナの説得力のなさは
ハマカワフミエのせいでは決してない。
作演の描き方の浅さによるものだと思う。
ファンタジックな作風なわけで、
当然リアリティーのない設定や台詞も多い。
そこを差し引いても、あのニーナじゃ納得いかなかい。(俺は)
もっと青年をフツーな男子にして、
ニーナを控えめにしたら怖かったと思う。
今回の二人の描かれ方はあまりにも安く、
両者ともに愚かしすぎて、移入できなかった。
いそうじゃなさ過ぎる?というか。
その移入にしくい二人が前半特に中心になって
登場するからステージに引力がなかった。
そのまま後半の土下座して踏みつけられるシーンへ
行くから痛い。本来ならばシーンの空気感で
痛みを表現しなければならんところを
シーンの寒さで痛かった。
深夜枠とかで昔やってたケータイ小説のドラマ化みたい。
(Deep Loveとか)
ギャグならありだが、役者の様子を観ていると
ギャグやってるようには思えなかった。
最後に
自分が思ったのは、このカンパニーは現実世界に
近いものを描けば描くほど不具合が出るのかもしれない
ということだ。
ギャンブラーの友人がいきなり部費を渡したのは
いくらなんでも不自然とか。
2作しか観てないのに、偉そうで申し訳ないが
2作を比べたら違いはそこだ。
考えてみたら俺が感銘を受けた「ドンキホーテの恋人」だって
主人公は「いそうじゃなさ過ぎて」感情移入できなかった。
でも、それは恋に狂っちゃっているドンキホーテ(ほぼ妖怪)として
描かれていたから「あり」だったのだ。
また、奇才 廣瀬友美の「あり」にしちゃう力量もそれを手伝った。
もうちょいヒロセを重用し(これ大事!)、
ぶっとんだ設定でやったらまた違ったのかもしれない。
これだけ批判するからには観客といえども
代案を出したほうが男らしいと思うので
極端な例を挙げれば…
ニーナは蜂で、日が沈むと人間になってセックスがすごくイイ。
でも、グレムリンのギズモみたく飼うにはルールがあって、
やたら金もかかるから、ニーナに本気でイカレている
昆虫マニアの男は、借金まみれになりながらも
人生削って飼ってるとか。
全然恩を返さない鶴の恩返しみたいな。
こんな設定だと女店長とつながらなくなっちゃうけど
そのくらいぶっ飛んでたらいろいろ気にならないし、
幻想的な照明・音響・舞台美術もさらに映えると思う。
勝手言って大変失礼。
でも、そんなに感情的には書いていないつもりだし、
僻地までわざわざ行って2500円を払ってるから
ハッキリ言わしてもらいました。
休日の貴重な4時間を、この作品に費やしてらんねんだよ。
という奴もいるんだってことで。
参考にしてください。
あ、これが無料公演だったら☆☆☆だ。
キツネの嫁入り 他短編
小櫃川桃郎太一座
atelier SENTIO(東京都)
2009/09/04 (金) ~ 2009/09/06 (日)公演終了
満足度★★★★
確信犯的ローテク
5月のD.C.POPから実に4ヶ月も観劇してなかった!!!!!
なんとか都合つけて久しぶりに小劇場へ。
幾多のメンバーチェンジを繰り返し、
活動の場を様々に変えながらも
進化し続ける小櫃川桃郎太一座の新作を観る。
小櫃川桃郎太一座は6年前からほとんどの作品を
観ており、座長の人格と身体表現のスキル、
マイノリティーの視点を忘れずに浮世を斬る姿勢を
ソンケーしている。
今回の公演は3作品のオムニバス。
まず前菜としての短編2作。
『まんじゅう怖い』と『道具屋』を上演。
出演者を紹介し、一座の空気をオーディエンスに馴染ませる。
休憩を入れて3作目『狐の嫁入り』へ。
3作目を魅せるための2作だったように感じた。
なので、レビューは3作目で書く。
【脚本・演出】
劇中で時間堂 菅野貴夫が叫ぶ
「どっちにも嘘をつきたくないんだ!」
が印象に残った。
「芝居」で「嘘をつきたくないんだ!」と叫ぶってのは
考えてみると不思議なシチュエーションである。
さらに不思議なことに、観ている俺にはそれが
「嘘」には思えなかったのである。
まさに狐につままれたような作品であった。
時代劇ともなれば、使われる言葉や衣装も
現代とは違ってくるし、ある意味芝居らしく(嘘っぽく)
なるように思うけども。
この一座の芝居はどこまでも俳優の人間性を
一番旨い出汁として滲ませており、ホントっぽい。
座組の面々の人間的魅力を、脚本演出が無理なく
活写しており、上記のようなマジックに至ったのだと思う。
それは「メソッド」ではなく、「愛」でもなく、
座長 小櫃川桃郎太と俳優陣との「感覚の一致」や「関係」が呼び起こす
芝居本来の機能なのだと思う。
機能がついていても、機能させるのは難しい。
昨年、小櫃川桃郎太の演出を受けた俺は
彼の審美眼や人間性が、実にナチュラルに
嘘を本当にすることを知っている。
「本当」さえ客席にもたらすことができれば、
劇場が辺鄙であろうと、
トイレに手を洗う蛇口がなかろうと、
装置が安っぽくとも
灯体が30個もなくとも、
若い出演者 綾小路ルキアにキャリアがなくとも、
そんなのカンケーないのだ。
劇場に足を運ぶ意味が生まれるのだ。
それをわかって演っているから、
俺はこのカンパニーが好きだ。
【役者】
台詞を極端に廃したD.C.POP 堀奈津美の最後の微かな笑み、
菊池美里の飄々とした立ち振る舞い、
鉄砲水の回想シーンでの巌鉄 危村武志の勇壮な口上など、
本人達にしてみればたいしたことのないプレーであっても
2000円を支払う価値のある技量を感じる瞬間がいくつかあった。
一方で、『道具屋』で唐突に登場した三沼千晶扮する
「道具屋の女神」の珍妙な味わいに代表される、
演技スキルを超越した面白味も健在。
菅野貴夫の翳を匂わせたナチュラルなプレイと、
ジンギスカンの音楽に乗って踊り狂う滑稽さとが
並立していたのが今作を象徴する出来事だった。
やはり、新しい出演者が加わったことで
一座の表現の幅がより広がったように思える。
ディズニー映画『ロジャーラビット』では実写とアニメが同居し
俳優とアニメキャラクターが会話するが、
極端に言えばそれと同じくらい幅があった。
初期の小櫃川桃郎太一座を支えた中心俳優、
渡瀬雪絵や吉田ミサイルは、人間離れした狂気性や
孤独感を漂わせるプレイで『四谷怪談』・『竹取物語』・『雪女』など
幻想の世界の構築に一役買った。
しかし、クリエイターレーベルex.43より独立し
座長のソロプロジェクトとなってからの一座が目指すのは
あくまで庶民の暮らしに根ざした人間ドラマである。
(座長曰く、宮部みゆきの時代小説)
今回の座組のポップ感は、庶民のドラマにぴったりであったということも
芝居を引き立てた一因だろう。
集団での創作は、「一人一つずつ必殺技を持った庶民」
で行うのがベストなのかもしれない。
【おしまい】
みんなおつかれーい!!!!
また、どこかでねー!!!!
その人を知らず
東京デスロック
こまばアゴラ劇場(東京都)
2008/12/26 (金) ~ 2009/01/05 (月)公演終了
満足度★★★★★
文句なし
正月早々に09年ベスト観劇かもしれない。
まったく難解ではなかった。意外だった。
人がいて、生きていることの素晴らしさと哀しみ。
それがただあるのみ。
表現姿勢は極めてロックでありながら、
『フォレストガンプ』や『ダンサーインザダーク』並に
キャッチー。
小道具や人の配置が
絶妙な演出効果を産み、ハッとさせられること度々。
暗喩のデパート。技のデパート。
きちんとお金になる「見せ方」を目の当たりにした。
09年はデスロックを追いかけて
観客も東京を出てみるのも一興かも。
proof
コロブチカ
王子小劇場(東京都)
2008/12/25 (木) ~ 2008/12/29 (月)公演終了
満足度★★★★
キャスティングの妙によって、昨年より生々しい。
キャストが違うといろいろ変わった。
父は神経質な感じから
とらえどころのない飄々とした印象に。
姉はタフで生真面目な感じから
さっぱりした(やや軽い)パンピー風に。
この布陣の違いだけでも昨年観たものとは
だいぶムードが違う。
また、セットがあるかないかでも違う。
少女漫画と単館映画ほど違う。
大人の娯楽っつー感じでデート日和でした。
グレイト!
※展開も知っていて台詞もある程度覚えているので
(=再演までのブランクが短いので)
初見の時よりか興奮度は下がった。
そういった意味での☆4つ。
そまりえ
黒色綺譚カナリア派
ザムザ阿佐谷(東京都)
2008/10/03 (金) ~ 2008/10/13 (月)公演終了
満足度★★★★
なりすまし。に、なりすまし。
初めてカナリア派を観劇。
まず、チラシやタイトルから喚起され続けてきた
パブリックイメージと中身が全然違って驚く。
力のある俳優が奇をてらわずにきちんとプレイし、
物語は明快で筋道が立っている。
かつ、けっこうハートフル。唐組っぽくはない。桐朋っぽい。
出演者に尋ねたところ、今回はライトな内容とのこと。
これは映画にもできそうだし、高校生が観たって
老人が観たってわかる。意外だった。
俺はファンタジーが好きで、
物語の筋道を超越したパフォーマーの
プレイに惹かれる観劇者なので少し残念だったが、
完成度が高くて充分に楽しめた。
作品内容は「なりすまし」にまつわる物話を
役者たちが「なりすまし」て演じるというもの。
男女がそれぞれ違う性別を演じた。
そもそも芝居自体が「なりすまし」だから
3重の意味で「なりすまし」の公演だった。
男女はそれぞれペアになっており、
台詞を言い合ったりしているのを
観ながら頭の中でその配役を逆転させたり
して観たら面白かった。
思うに、この作品はあの綺麗な抽象舞台ではなく、
もろ新劇風の屋敷セットで上演したほうがもっと変で
良かったのではないだろうか。
俳優座劇場とかで(笑)。
男女の反転のみが際立って、かえってますます妖しいと思う。
役者では中里さんが吐くほど良かった!
砂時計は壊れている
はらぺこペンギン!
ザ・ポケット(東京都)
2008/10/08 (水) ~ 2008/10/12 (日)公演終了
満足度★★★
小劇場で昼ドラ。
丁寧なつくりで、きちんと訓練された俳優が、
まっとうなスタッフワークの中、前向きな芝居をしていた。
OFF OFFでの前作を観ていたので、
このカンパニーは、モテるために爽やかな
作風を維持しているのではなく、
本当に暖かな人間ドラマを描きたいんだなと思った。
でも、やはり、ちっと、ここまでベタだと
かえって清くない。昼ドラのようないやらしさを
感じてしまうのだ。
21世紀になってから、松尾チルドレンの活躍も
あってか、ファッションとして荒んだ世界を描く
カンパニーも散見され、そりゃあまりいい気は
しなかったけど、はらぺこペンギンはその逆。
必要以上に作家のシュミが清い。
せっかくの俳優やスタッフワークが
もったいない気がした。
主要人物全員に影があるなんてなんか変だ。
悪者のボスが死ぬ前に必ず改心する
「北斗の拳」を思い出した。
漫画の原作とかドラマとか書いたら
よいのではないだろうか。
生身の人間が人前で演じるには恥ずかしい
不自然な世界だ。
演出・俳優・スタッフワーク ☆☆☆☆
脚本 ☆☆
総評 ☆☆☆
振り返れば俺がいる
開幕ペナントレース
OFF OFFシアター(東京都)
2008/10/08 (水) ~ 2008/10/13 (月)公演終了
満足度★★★
諸刃の剣?
本公演を初めて観て驚く!
とんでもない運動量。
しかも見返りが全く期待できない運動量(笑)。
男性ばかりのメンバー達が、
短いシュールな身体表現を繰り返していく
パフォーマンス。
面白い動き・言葉・位置関係など
かなりこだわって創ってあった。
ラストシーンの銀河鉄道999(全員が連結されてハイハイで出てくる)
は意外性たっぷりで最高だった。
パン食って終わるのもなんか傾いてて熱い!
と書くとなんだか絶賛しているように見えるけど
実は☆☆☆の手ごたえだった。
観る気満々で行って、ツラで観たのに
前半部分(おしゃぶり)で早くも集中が切れ、
ボーっとした時間帯ができてしまった。
寝なかったけど、どうも入り込みにくく。
(サーカスの綱渡り以降は楽しめた。)
理由はパフォーマンスの種類によるものだと思う。
70分なくてもよいかもしれない。連続して観れば観るほどに
最初の衝撃は薄れ、慣れていってしまうのだ。
自分の中では45分が適正な上演時間であった。
また、ラストに近づくにつれて、台詞があったり
状況が分かりやすかったりする演目が増えたので
集中しやすくなった。
抽象画ばかりでなく、もっと具体的なアイテムを
入れたり、時には台詞全開の演目を入れたりと
全体の構成にもっともっと緩急をつけたほうが親切だと思った。
力技のシーンが15分以上続くと、せっかくの
持ち味が逆効果になってしまうのではないだろうか。
だらだらデレデレした開幕も観てみたいし、
超スローな開幕も観てみたい。
テンションと肉体は必殺技として、キメるべき時に
出せばよいのではと思った。最初と最後とか。
もしくは凄いテンションで突っ走り、50分で終わらすとか。
中身があんなに濃ければ短時間でもみんな納得すると思った。
(チケット代を下げてもステージ数を増やせば良いし)
博愛
Not in service
早稲田大学学生会館(東京都)
2008/10/10 (金) ~ 2008/10/13 (月)公演終了
満足度★★★★
カバーで悪いか。
26.25団の作品をカバー。
単なる憧れだけじゃなく、きちんと消化した。
脚本が☆☆☆☆☆
演出が☆☆☆☆
役者が☆☆☆
平均して☆☆☆☆
あまりにも観やすくて驚いた。
けっこうドープな作品を
ほとんど大学生のライトな布陣で巧みに調理。
演出の作品に対するきちんとした解釈を感じた。
限られた持ち駒を最大限に使ってるキャスティングが
センスよし。
伏田英樹という役者の個人技が目立ってよかった。
清水恵利子・村岡正喜・奥野亮子・松澤孝彦の安定感が
座組みを整えていた。
笑えるとこは笑えるし、
すごく繊細な緊張感が必要なシーンも
なんとか咀嚼して、これはこれでオリジナルになっていた。
「誰の信じるものがマトモなのか、どんどんわからなくなってくる」
という流れが秀逸。観客は信心の滑稽さを笑いながらも
ドキッとする。博愛を蔑みながらも讃えるという
本当にいいホン。
26.25団が観たくなるし、この演出家 村岡正喜の手腕も
信用に足ることが証明される一石二鳥企画。値段も適正。
初心者にも向いている。
これが村岡正喜の自作だったら☆☆☆☆☆だったかもしれない。