満足度★★★★
確信犯的ローテク
5月のD.C.POPから実に4ヶ月も観劇してなかった!!!!!
なんとか都合つけて久しぶりに小劇場へ。
幾多のメンバーチェンジを繰り返し、
活動の場を様々に変えながらも
進化し続ける小櫃川桃郎太一座の新作を観る。
小櫃川桃郎太一座は6年前からほとんどの作品を
観ており、座長の人格と身体表現のスキル、
マイノリティーの視点を忘れずに浮世を斬る姿勢を
ソンケーしている。
今回の公演は3作品のオムニバス。
まず前菜としての短編2作。
『まんじゅう怖い』と『道具屋』を上演。
出演者を紹介し、一座の空気をオーディエンスに馴染ませる。
休憩を入れて3作目『狐の嫁入り』へ。
3作目を魅せるための2作だったように感じた。
なので、レビューは3作目で書く。
【脚本・演出】
劇中で時間堂 菅野貴夫が叫ぶ
「どっちにも嘘をつきたくないんだ!」
が印象に残った。
「芝居」で「嘘をつきたくないんだ!」と叫ぶってのは
考えてみると不思議なシチュエーションである。
さらに不思議なことに、観ている俺にはそれが
「嘘」には思えなかったのである。
まさに狐につままれたような作品であった。
時代劇ともなれば、使われる言葉や衣装も
現代とは違ってくるし、ある意味芝居らしく(嘘っぽく)
なるように思うけども。
この一座の芝居はどこまでも俳優の人間性を
一番旨い出汁として滲ませており、ホントっぽい。
座組の面々の人間的魅力を、脚本演出が無理なく
活写しており、上記のようなマジックに至ったのだと思う。
それは「メソッド」ではなく、「愛」でもなく、
座長 小櫃川桃郎太と俳優陣との「感覚の一致」や「関係」が呼び起こす
芝居本来の機能なのだと思う。
機能がついていても、機能させるのは難しい。
昨年、小櫃川桃郎太の演出を受けた俺は
彼の審美眼や人間性が、実にナチュラルに
嘘を本当にすることを知っている。
「本当」さえ客席にもたらすことができれば、
劇場が辺鄙であろうと、
トイレに手を洗う蛇口がなかろうと、
装置が安っぽくとも
灯体が30個もなくとも、
若い出演者 綾小路ルキアにキャリアがなくとも、
そんなのカンケーないのだ。
劇場に足を運ぶ意味が生まれるのだ。
それをわかって演っているから、
俺はこのカンパニーが好きだ。
【役者】
台詞を極端に廃したD.C.POP 堀奈津美の最後の微かな笑み、
菊池美里の飄々とした立ち振る舞い、
鉄砲水の回想シーンでの巌鉄 危村武志の勇壮な口上など、
本人達にしてみればたいしたことのないプレーであっても
2000円を支払う価値のある技量を感じる瞬間がいくつかあった。
一方で、『道具屋』で唐突に登場した三沼千晶扮する
「道具屋の女神」の珍妙な味わいに代表される、
演技スキルを超越した面白味も健在。
菅野貴夫の翳を匂わせたナチュラルなプレイと、
ジンギスカンの音楽に乗って踊り狂う滑稽さとが
並立していたのが今作を象徴する出来事だった。
やはり、新しい出演者が加わったことで
一座の表現の幅がより広がったように思える。
ディズニー映画『ロジャーラビット』では実写とアニメが同居し
俳優とアニメキャラクターが会話するが、
極端に言えばそれと同じくらい幅があった。
初期の小櫃川桃郎太一座を支えた中心俳優、
渡瀬雪絵や吉田ミサイルは、人間離れした狂気性や
孤独感を漂わせるプレイで『四谷怪談』・『竹取物語』・『雪女』など
幻想の世界の構築に一役買った。
しかし、クリエイターレーベルex.43より独立し
座長のソロプロジェクトとなってからの一座が目指すのは
あくまで庶民の暮らしに根ざした人間ドラマである。
(座長曰く、宮部みゆきの時代小説)
今回の座組のポップ感は、庶民のドラマにぴったりであったということも
芝居を引き立てた一因だろう。
集団での創作は、「一人一つずつ必殺技を持った庶民」
で行うのがベストなのかもしれない。
【おしまい】
みんなおつかれーい!!!!
また、どこかでねー!!!!