かずの観てきた!クチコミ一覧

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集金旅行

集金旅行

劇団民藝

俳優座劇場(東京都)

2021/11/24 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/11/26 (金) 13:30

座席1階

劇団民藝が全国各地で巡回する公演でロングランを重ねている演目という。自分は初めて拝見した。井伏鱒二の原作を、コメディータッチで描く。アパートの部屋代を踏み倒して逃げた元借主から家賃を回収する旅に出る売れない作家。これに同行したのが、かつての交際相手から慰謝料をふんだくろうとする女性。夫婦に見えてまったく違う、風変わりな男女の珍道中、といった物語だ。

アパートの大家が突然亡くなるところから物語は始まる。住人たちはお人好しの大家とこのアパートを気に入っていたのだが、借金のかたにアパートを取られるということが分かって、住人たちがこのアパートを守ろうと考えをめぐらす。そして、少しでも借金返済に充てようと、お人好しに付け込んで部屋代を踏み倒した連中から回収しようと、集金旅行という発案になる。

井伏鱒二が別名で登場し、集金旅行の主人公として描かれる。アパートに転がり込んでくる大学生の太宰治とか、文豪の名前が次々に出てきて面白い。
借金の取り立てといってものんびりしたもので、列車に乗って旅館に泊まり、家賃を踏み倒した人物のところを訪問してお金を返してもらう、というゆったりとした時間が流れている。電話もあるにはあるが、交換手を通してつないでもらうという時代。そういう時代背景もあってか、借金取り立てというぎすぎすした雰囲気はまったくない。
一方、別れた男から慰謝料を取ろうと考えた女性もこのアパートの住人なのだが、一緒に旅に出るというシチュエーションに、何となくお互いの気持ちを通わせていくというのが、少し微笑ましい感じだ。旅先でのドタバタ劇もあったりして、笑えるところがたくさんある。

井伏鱒二が自分を売れない作家として描いているのも興味深い。実際、売れなくて苦労を重ねたという。代表作「山椒魚」で描いたこの魚の心は、井伏の実感だったのかもしれないなあ、と舞台を見ながらぼんやりと考えた。こうした自虐的な物語は、日本の文豪たちには珍しいのではないか。

休憩を挟んで3時間近いので、長いと言えば長い。しかし、このゆったりとした時間はこの芝居のベースにあるべきものなのだろう。通信手段が発達し、新幹線で目的地まであっという間という世界に住んでいると、何かしらこの時間の流れがとてもうらやましく感じる。

シアトルのフクシマ・サケ(仮)

シアトルのフクシマ・サケ(仮)

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2021/11/19 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

座席1階

なぜ仮題となっているのかは、劇の最終盤で示される。珍しいタイトルだが、まさに、地震・津波や原発事故で痛めつけられた福島を象徴する主題だとわかる。

物語はフィクションだが、極めてリアリティーの高い描かれ方をしている。それは、背景にある原発事故を政府が「アンダーコントロールされている」と強弁したところや、放射能で汚染された古里の土地についての地元の人の思い、試行錯誤の観光振興の取り組みなど、現実世界をベースに描かれているからだ。それは、この物語を構想した坂手洋二さんの真骨頂なのだろう。

津波や原発事故で廃業の危機に直面している浜通りと中通りの酒蔵が、お互いに手を取るようにして米シアトルで日本酒づくりをするという夢のような物語だが、実現したら本当にいいだろうな、と思う。現実にはこの物語でも描かれた酵母菌だけでなく、コメ、水をどうするのかということになる。カリフォルニア米はあるものの、日本米のように日本酒になったときに深みのあるあじわいを保てるのか、水の質も違うだろう。でも、それを乗り越えて生きようとする人たちの姿はとても力強い。半面、原発事故の罪深さを浮き彫りにしている。

舞台の左右に大きな酒の樽が鎮座する。これが、福島第一原発でメルトダウンした炉心を冷やすために使われた後の汚染水タンクとオーバーラップしてとても興味深い。造り酒屋の樽でなく汚染水タンクが果てしなく連なる現実を悲しまずにいられない。

セイムタイム,ネクストイヤー

セイムタイム,ネクストイヤー

演劇企画イロトリドリノハナ

オメガ東京(東京都)

2021/11/11 (木) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/11/11 (木) 14:00

座席1階

不倫劇というより大人の恋物語という言葉が似あう舞台だ。カリフォルニアのコテージの部屋が舞台であるせいかもしれない。それよりも、この二人が後ろめたさをぶつけあいながらも前向きに自分の人生を理解し、複線の生き方をまじめに、力強く進めているある種のすがすがしさが感じられたからかもしれない。

ブロードウエイの傑作であるという。いつもの出張先で知り合って偶然にも一夜を共にした男と女。二人とも家族持ちであることから最初の朝にこれきりにしようという雰囲気も流れたが、お互いへの思い絶ち難く、年に一回コテージで会うということになった。まるで七夕の織姫と彦星だが、その年に一回の関係が二十何年も続く。
それだけ時が流れれば、お互いの家族の子どもが大きくなり、仕事が行き詰まったり、引っ越したりいろいろなことが起きる。だが、この二人はそれらの多くを隠さずにまるでエピソードを楽しむように語り合い、体の関係だけでなく、物理的な距離は離れているが心は支えあっているという絶妙な関係を築き上げていく。

途中休憩を挟んで2時間半近く。長せりふもバンバンある熱のこもった二人芝居に拍手を送りたい。ソワレとマチネでダブルキャストで行う構成で、私が見たのは公演を主宰した森下知香。今回は演出家ではなく主演女優ということだった。もう一つのペアの平野綾子も演劇ユニットを主宰している演出家であり、女優とのこと。女性主導の舞台だから全体がきれいに流れていた、という面もあるかもしれない。

とてもよかったと思う。森下、平野のオリジナル作品も見てみたいと帰り道で思った。


ネタバレBOX

驚いたのは、彼女の方が臨月に近い体でコテージに現れたことがあったことだ。既に3人の子どもを産んでいるから、自分の体の変化は良くわかっている。この逢瀬の時に破水し、医者を呼ぶこともできず、夫の子を不倫相手の男が取り上げるという想像もつかない展開になる。

こうした毎年のエピソードが二人の関係を絶ち難くしたのだろう。いろいろ事情を抱えたままで最後はまるで夫婦のようになっているところが、なんとなくホッとしたりする不思議な感覚なのである。
廻る礎

廻る礎

JACROW

座・高円寺1(東京都)

2021/11/04 (木) ~ 2021/11/11 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/11/09 (火) 14:00

こうしてみると、本当に終戦後の昭和史は舞台になる。演劇だから多少、強調されている部分はあるだろうが、登場する人物のそれぞれが個性的で、エネルギッシュである。戦争の惨禍からこの国をどう復興させ、残った日本人が生き抜いていこうとしているか。舞台はこのドラマを十分に堪能させてくれる。

ジャクローは田中角栄元首相をいろんな角度から描いたシリーズで知られるが、毎度感心するのは役者が演じる政治家によく近づいているということだ。狩野和馬の田中角栄はもう、はまり役といっていい。今回も新潟から当選してきたばかりの1年生議員としてまず、登場する。主役の吉田茂を演じた谷仲恵輔にしてもそうだ。自分は本物の吉田茂を見たことがないが、小説吉田学校を読んでのイメージや写真を見て思い描いた人物像そっくりだったから驚いた。イメージが一致したのは自分だけかもしれないが、だからこそ自分には、この演劇が極めてリアリティーの高い物語として胸の内に入ってきた。このほかにも、山口シヅエはよく似ていたと思う。

舞台の構成も秀逸だ。開幕前のアナウンスは、吉田茂の演説会に観客がきているという設定で行われる。客席は開幕前からこの政治の舞台に引き込まれているわけだ。開幕前に流れる当時の流行歌も雰囲気を高めている。

今回のテーマは日本国憲法。GHQに押し付けられ、軍備を捨てざるを得なかった当時の状況や、朝鮮戦争が起きると百八十度態度を翻して再軍備を迫るというアメリカのご都合主義に翻弄されながらも、自分の中にある筋を曲げようとせず立ち向かっていく政治家の姿はすがすがしささえ感じる。安部政治の一強に文句も言えない今の自民党メンバーとは雲泥の違いで、どうして政治家たちは志や哲学を失ってしまったのかとため息が出る。

そして、やはり終戦直後だ。保守も革新も、軍隊を持つか持たないかという立場を超えて、もう戦争は二度とやってはいけない、という強い信念にあふれているところは感動的ですらある。日本の国土と国民をどう守っていくか。特に外交で紛争を解決していこうとする吉田茂の信念には、本当に拍手を送りたい。敵基地を攻撃するしかない、みたいなことを言っている自民党政調会長はこの演劇を観るべきだ。

もちろん、今の国際情勢は当時とは違うし、軍備の性能や規模も違う。だが、軍備でなく外交交渉こそ国を導く手腕であるという吉田茂のせりふは、今も色あせていない。
この舞台は社会派劇の妙味であるドラマチックな展開と、現実世界との交錯、そして歴史の教訓、いろんな楽しみ方ができる。座高円寺という少し広い劇場で行われているのも、この舞台にふさわしい。公演終了まで幾日もないが、観ないと損するぞ。

ネタバレBOX

タイトルにある礎(いしずえ)とはこの舞台では国家の土台である憲法を指している。その礎が廻る、とはどういうことか。非常に示唆的なタイトルである。
フタマツヅキ

フタマツヅキ

iaku

シアタートラム(東京都)

2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/10/28 (木) 14:00

「フタマツヅキ」とは二間続きの部屋のことだ。落語家の夢を追ったが鳴かず飛ばずでぬれ落ち葉のようになり、一人息子に蛇蝎のように嫌われている初老の男と支え続けた妻。その男が高座を持った小劇場でお笑いを続けるピン芸人と、ひょんなことからファンとなって結婚し、支え続けようとする女性。この二つの夫婦が二間続きの舞台で縦横の糸のように交錯する物語。構成がすばらしく、2時間ほどの上演があっという間で、さわやかな感動を残してくれる秀作だ。

芸のためなら女房も泣かす、という昭和演歌を地で行くような貧乏な家庭だ。妻に家庭を支えてもらっている負い目を心に刻みながらも落語を捨てきれない悲しさ、どうしようもない自分に対する怒りみたいな感情を、モロ師岡が熱演する。ほかの俳優たちも鍛えられていて、本音と違うことを言ってしまう男女の胸の内をうまく演技に乗せている。

お金はないが夢はある、と聞こえはよいが、夢を追うにも生活がある。その厳しさをストレートに表現しているから単なる夢追い物語に終わっていない。人間は支えあって生きていくものだとは分かっていても、支える心が相手を追い詰めたりすることもある。そうした一筋縄ではいかない人の心を、この芝居は丁寧に物語に織り込んでいた。

大阪出身の劇作家横山拓也率いる演劇ユニット。初めて拝見したがファンになりそうだ。

太秦ラプソディ

太秦ラプソディ

劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)

サンシャイン劇場(東京都)

2021/10/22 (金) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/10/26 (火) 13:00

座席1階

 スーパーエキセントリックシアターの舞台でいつも期待するのは、座長の三宅裕司と小倉久寛の掛け合いだ。今回も盛り込まれてはいたものの、主な笑いどころは劇団員たちによる軽妙なギャグの数々だった。それはこの舞台が大部屋俳優たちを主役にしているからであり、タイトルにもあるように「名無し」の出演者たちの軽快な動きが今回の舞台を支えている。
 
 コロナ感染対策?のため1回に制限されているカーテンコールの後の恒例のトークで、三宅さんは「SETは非常に幅広い年齢層で構成されている」と言っていた。舞台のテーマである「いつかは主役を」という夢にあふれる大部屋俳優たちのような劇団であるようだ。老若男女が入り乱れての今回の構成に、それこそ幅広い年齢層が集まっている客席もみんな、よく笑えるわけである。
 SETが時代劇を取り上げたというのもいいな、と思う。描かれている通り、時代劇はテレビの主役からとっくに締め出されていて、今や専門チャンネルのBSで固定ファンをつないでいる状況だ(NHKだけは頑張っているが)。そのテレビも若者たちは見なくなっていて、人気ドラマという言葉さえ存続が怪しい。パンフレットに「時代劇基礎知識集」が載っていたのは、なんだか寂しい気もしたが、時代劇というジャンルを次世代に引き継ぐためには必要なのだと思う。
 時代劇では定番の「人情」を描いているためか、今回の舞台は派手な笑いが起きる仕掛けにはなっていない。だが、私としてはSETの面白さは思いっきり笑える舞台だと思っている。そういう点では少しおとなしい舞台であった。

大人のメルヘン絵本シリーズ 『霧野仙子』

大人のメルヘン絵本シリーズ 『霧野仙子』

Project Nyx

満天星Cafe(東京都)

2018/11/20 (火) ~ 2018/12/11 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

座席1階

2021年10月8日から17日にかけての公演を拝見した。
これまでに5回?公演があったというが、今回はニクス15周年記念公演と銘打ち、新宿梁山泊の芝居小屋満点星で行われた。

霧野仙子とヤルセナカスが4組。それぞれバージョンが違う。拝見したのは、霧野仙子役に吉田直子、ヤルセナカス役にジャン・裕一という大人の風格漂う「ジュテーム」組だ。前振りや舞台回しを受け持つ「ラズベリー隊」に、ニクス率いる水嶋カンナを筆頭に20,30,40代女性のトリオで舞台を仕切った。

そもそも、漫画家やなせたかしとイラストレーター宇野亞喜良が組んだ最初で最後の絵本のオマージュ作品だ。だが、リーディングのスタイルでなく、絵本をベースに宇野亞喜良の絵をふんだんにつかった、1時間余りのニクスらしい妖艶な舞台が展開する。
自分が見た「ジュテーム」組は、霧野仙子の何とも言えない色っぽさが物語を支配する。吉田直子のゾクッと来るような美しさに見入ってしまう。一方のラズベリー隊は、前振りですべるところもあったが、やなせたかしの歌詞を奏でるコーラスは満足できる。バックのギター演奏もよかった。そのメロディーに「天国への階段」があったのにはとても感動した。

新宿梁山泊は12月に、李麗仙追悼公演と銘打って「少女仮面」を上演する。水嶋カンナの熱演をここでも期待したい。

二代目はクリスチャン

二代目はクリスチャン

9PROJECT

シアターX(東京都)

2021/10/08 (金) ~ 2021/10/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/10/09 (土) 13:00

座席1階

映画化もされたつかこうへいの著名な作品。これを、つか作品をやり続けるこの劇団がアレンジして新たな装いで舞台化した。神戸を仕切るやくざの親分が殺された。親分には、修道院に預けられて育った敬虔なクリスチャンである娘がいた。二代目を襲名した彼女だが、愛したのは自分の父親を殺した男だった、という展開である。

主演の高野愛は上演の時が流れるほど存在感を増し、ラストシーンになだれ込んでいく。組の親分であった父親を殺した男をつかこうへいの劇団でも出演した吉田智則が演じた。最初は多数の組員が入り乱れるようにして進んでいくが、終盤に近付くにつれ、この二人に物語が昇華していく。その筋立ては非常におもしろい。

特に、かよわい感じのした修道女の高野がその小柄で、細い体から猛烈な熱量を発出する後段は見逃せない。長い日本刀を使っての殺陣は、よく訓練されていると言っていい。飛び散る汗、つばき、そして涙。これが舞台上でキラキラ輝くのだから、その迫力には客席も満足だろう。

それぞれの役者が、つかこうへいが散りばめたと思われる印象深いせりふを発散していく。「なぜ? 大したことじゃありませんよ。ただ、気に入らねえだけです」というのは組員の一人だが、こうした脇役にも深いせりふを与えている、会話劇としてもいい感じで楽しめる舞台である。

舌っ足らずの関西弁はご愛敬か。

がん患者だもの、みつを

がん患者だもの、みつを

うずめ劇場

シアター風姿花伝(東京都)

2021/10/06 (水) ~ 2021/10/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/10/06 (水) 14:00

座席1階

かつては宣告されたらもう人生おしまい、という病気だったが、今は二人に一人が患者となる時代。若くしてがんになった人も治癒して社会復帰している人もたくさんいる。それでもやっぱり、日本人の死因の1位であるだけに怖い病気だ。今作は、がんを患ってストーマ(人工肛門)をつけるようになった内田春菊さんが、劇団に書き下ろした快作である。

設定の妙というか。乳がんと診断されることになる職場の先輩と、励ましているのか迷惑がっているのかよくわからない後輩のアイドル系ユーチューバーという年が離れた二人の女性。これを軸にした舞台は、暗さをまったく感じさせないポップなムードで進んでいく。

大腸がんでストーマを造設した男性がこの二人の女性の間に入って微妙な三角関係を作っているというのもいい。笑える場面はたくさんあるが、先輩の女性がユーチューバーのオタク女性を「オタクだから生身の男性と付き合ったことなどないだろう、ましてリアルなセックスなど」と思い込んでいたのが、実は子どもまで作っていたという衝撃の場面だ。このほかにも、タイトルにあるように「がん患者だもの」という現実世界で「あるある」の小ネタがたくさんあって、飽きることはない。

初日だったので、内田春菊さんが舞台終了後に登場してミニライブをしてくれた。ちょっとしたお得感があった。不勉強だが、「うずめ劇場」は初めて見た。また、新しい注目劇団を見つけたぞ、というお得感もあった。

子供の時間

子供の時間

劇団文化座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/10/08 (金) ~ 2021/10/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/10/08 (金) 17:00

座席1階

何という悲劇的結末。映画にもなったリリアン・ヘルマンの有名な戯曲で、その結末は分かっている。分かっていてもズシーンと胸に重たいものが響く、悲劇的な結末である。

最初は他愛もない子どものウソ、言い逃れだったのかもしれない。いや、言い逃れというには少し悪質なのだが、いずれにしてもちゃんと調べればウソだとわかる与太話だったのだ。それが、大人の世界の世間体とか、あるいは自分のかわいい孫を守りたいという思いとかが、大人たちの判断を狂わせる。そして、本来は平穏な毎日と達成感を得るはずだった大人たちが自滅していく。ここまで悲劇的だと、その原因を作った孫娘のメアリーがどんな思いを胸に成長したのか、という後日談を知りたくなってしまう。普通なら、正気で生きてはいられないだろう苦しみが、彼女にものしかかっていくだろう。

真摯な舞台を通して客席と向き合ってきた文化座が、80周年記念作にこの戯曲を取り上げたわけはいろいろあるらしい。だが、半世紀以上も前の、インターネットも携帯もなかった時代に書かれた戯曲が胸に迫ってくるのは、今の世の中を見通しているからだ。半世紀後にも、フェイクニュースや根も葉もないウソで命を落としている人が現実にいるという世の中を、だ。この戯曲が記念作に取り上げられた理由は本当はそこにあると、私は思う。

子供じみた悪口や、冗談のつもりで流したでっち上げニュースは、ネット社会にあふれている。プロレスラーの女性が自殺した事件は、ネットに悪口(もちろん真実ではない)を書き込んだ人は書類送検されただけだった。そうしたことを目の当たりにして、私たちはフェイクニュースの恐ろしさを知る。ネットに書き込む前に、その話が真実なのか、真実と信じるに足るものであるのか、私たちは考えなければならない。

ニュースを扱う世界では、発信されようとしているニュースが真実か、真実と信じるに足るものであるかを検証する作業、業界用語で「ウラを取る」なんて言われる作業を行っている。いや、最近は行っていないメディアもある。しかし、ウラを取らなきゃ怖くて書けない、という感覚は、ジャーナリストには最低限必要な資質なのである。ニュースがウソだったために人が死ぬなんて結果を招いてはならないのだ。

今回の舞台を見て、ズーンと重苦しい気分になったのは、この舞台があまりにも現代社会を深く映しこんでいるからなのかもしれない。そして、ここが舞台の力強さ。カレンとマーサを演じた二人の女優の、感情や思いが黙っていても胸の内からあふれてくるような見事な芝居。そして、文化座を今も率いる佐々木愛さんの、動きは少なくともどっしりと胸に迫るセリフが、舞台の迫力を支えているといっていい。

舞台転換の際の長さと物音が気になったが、休憩を挟んで3時間。長さを感じさせない舞台だった。

ファクトチェック

ファクトチェック

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/09/17 (金) ~ 2021/09/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/09/23 (木) 13:30

座席1階

中津留ワールド炸裂、といった3時間であった。15分の休憩を挟むが、長く感じられない迫真の舞台だった。

物語はある新聞社の政治部に、社会部の特ダネ記者だったアグレッシブな男が異動してくるところから始まる。現政権(自民党と菅内閣を風刺してある)の一方的で民の声を聴かない政治を、その政治の中枢に食い込んで変えてやろう、という男だ。彼は官房長官会見(当時、まだ菅氏は官房長官だった)に後輩記者を黙らせて割り込み、さっそく官房長官に質問を連発する。官邸の会見は報道官が仕切っていて、官邸クラブの加盟社が優遇されるようなところがある。この会社は加盟社なのだが、再質問なし、というルールを無視して質問を連発する。
もちろん、公式の記者会見なのだから、記者クラブの内輪のルールなど取材には関係ない。だが、日ごろルールをぶち壊すような記者はいないから、官邸サイドににらまれることになるかと思ったら、なぜか、官房長官が気に入って特定の記者だけの懇談に来ないかと誘う。

メディアは権力の監視が役割である。ウオッチドッグ(番犬)と呼ばれ、政権が怪しい方向に行くときに激しく吠えて警鐘を鳴らすのが役割である。この主人公の記者もまさに、このジャーナリズムの本質を行く男だったのだが、中津留ワールドのおもしろいところで、この男が官邸側のうまい取り込み(ここはネタバレするので書かないが)で外堀を埋められ、結局政権の首がすっ飛ぶような隠された議事録の部分を報じないという選択に追い込まれるのだ。

核心となる議事録のネタが、東京電力福島第一原発の事故による汚染水放出に関連したものであり、総理の前任者(安倍さんである)が東京五輪招致に際してアンダーコントロールと言ったことで官僚の仕事が捻じ曲げられていくところがあってとても興味深い。これは安倍前首相が「私の妻がかかわっていたら国会議員も辞める」と答弁したモリカケ問題の裏映しであるからだ。担当の官僚が自殺する(舞台では事件に巻き込まれたとにおわせるくだりもあるが)ところも、赤木さんの自殺をトレースしているようで、リアリティーが増してくる。

政治部の記者がここまで腐っているか、と言われると「実際はここまでひどくはないだろう」とは思う。しかし、結果的に政権のやりたい放題を許しているわけだから、「番犬」の仕事を果たしているとは残念ながら言えないだろう。

現実の政治やメディアの報道ぶりを想起しながら、エンターテイメントとしても十分に面白い、楽しめる舞台である。厳しい中津留ワールドに全力で応えようとした青年劇場の意気込みも感じる。
ただ、取材相手(家族にもだが)に対して怒鳴るような主人公の口調がとても気になった。芝居であるからある程度は仕方ないとは言えるが、取材相手をやり込めるようなやり方をする人は優秀な記者とはいえないからだ。この人は何を熱くなっているんだろうか、と私は冷めてしまった。それを割り引いても、この舞台はお勧めだ。

The Weir -堰-

The Weir -堰-

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/09/16 (木) 14:00

座席1階

 アイルランドでは、たくさんの不思議な話や妖精の話が今も伝えられているという。妖精というのはあの世に住む人たちであり、現世に生きる人たちと時々接点がある? まあ、その接点が不思議な話なのであり、科学や常識では説明がつかない不思議な出来事は妖精の仕業なのだとか。アイルランドの劇作家コナー・マクフィアソンの「堰」は、オカルトチックな不思議物語を紡ぐ舞台だ。
 この舞台は約2時間の上演時間、ずっとアイルランドのパブのセッティングで繰り広げられる会話劇。まあつまり、日本でいえばスナックのバーカウンターでマスターと客が話すよもやま話といったところだ。アイリッシュバーは日本でもたくさんあるが、サッカーの試合を大画面のテレビで流しているような日本風アイリッシュバーではなく、地元の人が止まり木に腰掛ける、どこの町にもある日本国内のバーという雰囲気である。酔っぱらう場所は万国共通だな、と思ったりもする。
 バーに来る客はこれまでの人生で傷ついたり、思いもかけなかったことに遭遇したりした経験を問わず語りに話し出すことがある。日本でもそうだ。マスターやママはじっと耳を傾け、酒を注ぎながら心を寄せてくれる。そうしてまた次の日、私たちは頑張って仕事に出ることができる。この物語でも同じである。
 こうしたどこにでもある風景が妙に懐かしく思うのは、コロナ禍でも外出自粛が続き、外に飲みに出ることがパタっとなくなったからだ。この舞台もコロナ禍で一年延期されたという。去年予定通り見るのと、今年、緊急事態宣言発令中の中で見るのとは、感じ方が大きく違う。コロナ禍がずっと続くわけではないと思うのだが、「ああ、こういう時間はもうないのだろうか」としんみりとしてしまう。
 傷ついた人をさりげなく励ます、言葉をかける。そうした優しい空間が懐かしい。酔っぱらいの騒々しい口げんかはまあ、あるけど。妖精たちの物語に、いつも以上に優しさを感じるのはコロナ禍だからだろうと思う。

ズベズダー荒野より宙へ‐

ズベズダー荒野より宙へ‐

劇団青年座

シアタートラム(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/09/14 (火) 14:00

座席1階

 科学技術の発展は軍事と切っても切り離せない。宇宙航空産業も例外ではない。特に、米ソの宇宙開発競争は、相手国にミサイルを撃ち込む狙いがへばりついていて、心ある科学者たちを悩ませた。今回の青年座は、2015年の「外交官」に続いての野木萌葱の書き下ろし。ソ連の宇宙開発をめぐる人間模様を描いた。

 野木作品は「外交官」でもそうだったのだが、息詰まるような会話劇が真骨頂だ。今回、登場する女性は一人しかおらず、あとは全員が男性だ。主人公のソ連ロケット開発最高責任者セルゲイ・コロリョフは、世界初の人工衛星スプートニク1号を成功させる功績のあった人だが、死ぬまで存在が西側諸国に知られることはなかったという。この人物を中心に、第二次世界体制敗戦国のドイツから米ソが奪い合った科学者たちを周囲に置いて、物語は進んでいく。その激しい、息詰まるようなやりとりが休憩15分を挟んで3時間、たっぷり楽しむことができる。

 宇宙開発は人命第一で進められたわけではない。アメリカでもチャレンジャーの爆発事故で7人の乗組員が亡くなっている。ソ連は有人飛行の前に犬を載せてロケットを飛ばしたが、その犬も犠牲になった。この舞台では、革命記念日に合わせて成果を迫る政府に翻弄される科学者たちが描かれるが、せりふの端々にも革命政府のために命を捨てて宇宙に行ったというところがあってとても印象的だ。物が違うといって叱られるかもしれないが、旧日本軍の特攻作戦を連想してしまった。

 野木のパラドックス定数の舞台でもそうだが、野木作品を見ていつも感心するのは、歴史上の人物も含めた人たちの激しいせりふのやりとりをどう、想像して書いているのかということだ。その会話劇は非常に説得力があるし、本当にこのような会話が交わされて歴史が動いていった、というように思わせる舞台である。これだけのせりふのシャワーをこなせる役者たちをそろえた劇団は、限られてくるような気がする。
 青年座と野木萌葱のコンビは、まだまだ見てみたいと思う。

うさぎ島霧深し

うさぎ島霧深し

Pカンパニー

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/09/09 (木) 19:00

 戦前から「うさぎ島」と呼ばれていたわけでない。しかし、旧陸軍の秘密毒ガス兵器製造工場があった当時、ウサギは実験動物として使われていたということだ。今回のPカンパニー「罪と罰シリーズ」の舞台は、いまは「うさぎ島」として世界的観光名所になっている大久野島の物語だ。
 戦争の惨劇を伝える史実では、大久野島の話は知られているので舞台を見る前は脚本に苦労したかもしれない、と勝手に思っていた。しかし、冒頭のシーンで結構、度肝を抜かれる。一見、下級民を見下している上流階級のお食事の様子だと思ったら、実はこれ、島に住む実験動物のウサギの一家であった。舞台はこのウサギ一家、特に姉妹のライフストーリーを軸に展開される。実験の対象にされる、すなわち命を実験に捧げるという立場から客席は島の毒ガス兵器開発を見るので、戦禍の犠牲になる立場からこの島の歴史を洞察することができる。脚本の勝利と言っていい。
 演出も印象的である。このウサギ姉妹、思春期のお年頃で箸が転んでも大笑いという明るさで始まっていく。物語が進むにつれ、この姉妹に断裂が走る。毒ガス兵器製造を真正面から取り上げていないのに、この戦争さえなければ、当時から今のような平和なうさぎ島なのにと痛切に感じられる仕掛けだ。
 ラストシーンでその思いは現実の姿となって登場する。ネタバレになるのでこれ以上は控えるが、ここも脚本の妙だろう。島の土、そして周囲の美しい海に刻まれた「毒」を私たちは語り継いでいかねばならない。そういう意味で、タイトルにある霧が晴れるのはまだまだ先なのである。

2時間というコンパクトにまとめられた作品。秀作だと思う。戦争を忘れてはならないと思っている人は、この舞台、見ないと損するかも。

ネタバレBOX

出演者の中でウサギ姉妹以外にも光を放っているのが、機密施設の所長である。この島では実際に終戦末期に風船爆弾を作っていたという史実があるが、おもしろいのは終盤で、所長が風船爆弾に乗って縞を脱出し、原爆を投下した米軍に立ち向かっていくという場面だ。
ここでも、旧日本軍が行った特攻作戦とか、人命を兵器とした旧日本軍のおろかな戦争の象徴として受け取れる場面である。
戒厳令

戒厳令

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2021/09/03 (金) ~ 2021/09/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/09/06 (月) 14:00

座席1階

迫力のある舞台だった。「罵りあい」のような激しいセリフの洪水。そして、様々な角度から現代社会を照らすような複雑なメタファー。基礎の出来た実力のある俳優たちだからこそできる、強烈で見ごたえのある2時間である。
平和な街に入ってきて独裁を遂げていく男と女性秘書。ペストをばらまいて市民を恐怖に陥れるのだが、秘書がデスノートを持っていて、狙いを定めた人物を消していくというのは舞台で見る物語の設定とすればよかったと思う。当然、今の時期だからコロナ禍をオーバーラップさせてみるわけだが、このデスノートの存在が、現実と適度な距離感を出して、「これは現実ではないのだ」というような安堵感を観る者に与える。そうでなければ、自宅療養者がバタバタ倒れている現実をストレートにぶつけられるようで、息苦しくなったかもしれない。
愛とは、正義とは、人生とは。そして、生とは、死とは。舞台からは次々に「考えてみろ!」と矢が飛んでくる。市民を代表するように戦うディエゴが、こうした矢が飛ぶ中で苦悩し続けるわけだが、特に独裁者と対決する最後の方のシーンは秀逸だ。
倒れる婚約者のヴィクトリアが美しい。ロミオとジュリエットのラストシーンを連想させるようでもある。
前作の「インク」も面白かったが、今回はその上を行ったと思う。原作をうまくアレンジした脚本の勝利だと思う。さらに、4つの大型モニターを使い、工事現場の階段のようなセットで立体的に役者を動かした演出もよかった。けいこ場の小さな空間で思い切り役者たちを駆け回らせたが、小さな空間だからこそ一人一人の役者の演技に同時に目が行く感じで、それこそ舞台から目が離せなかった。

パレードを待ちながら

パレードを待ちながら

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/09/04 (土) ~ 2021/09/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/09/04 (土) 13:30

座席1階

カナダにも国防婦人会があるとは知らなかった。「銃後の守り」として夫や恋人を戦地に送り出した女性に愛国心を強いていた国は、日本だけではなかった。カナダでは何回も再演されているというこの演目は、国を、国民の心を滅ぼす形で作用する戦時の愛国心が、万国共通でいかに愚かしいものかを教えてくれる。

民藝の舞台には珍しい、五人の女性だけによる舞台だ。いずれも個性的な女優たちで、それぞれの銃後を時には美しく、時にはかなりの迫力をもって演じている。日本の銃後の女性たちも、おしゃべりや小さな楽しみを見つけて笑いあう日常があったというのは想像できるし、ドラマや映画でもそのように描いたものがある。だが、この5人、カナダの女性たちはおしゃべりに加え歌やダンスでとにかく明るい。ある時は密造酒でパーティーを開き、泥酔したりする。カナダでは、ちょっと派手な格好をしたり敵性語のレコードを聴いたりすると「非国民」だと憲兵に告げ口されるようなことがあったのだろうか。そんな息の詰まるような度合いは、「連帯責任」という言葉が今も生きている日本の方が強かったのだろうかと想像する。

さらに、この舞台が教えてくれるのは、軍人になって命を懸けて戦うという価値観、つまり戦争に行くという男としてのある種の「優越感」が実は独りよがりではないのか、ということだ。愛する者を守るために俺がやってやる、といういわばマッチョの思想が、守られる立場から見るとかなり空虚なものだということである。
男が一切出てこず、女性だけの視点で語られる舞台だからこそだろうが、それだけに、この「愚かしさ」を示唆するような空気が、舞台からガンガンと伝わってくる。

男たちは何のために、命を投げ出して戦ったのか。国を守るためか。愛する妻や子を守るためか。この舞台の5人の女性から見れば、そうした「男らしい」価値観がまったくかすんで見えるからおもしろい。例えば映画「永遠の0」を見れば、男である自分はそれなりに感動するのだが、その感覚と今回の舞台とは交差するところがまったくない。

「国を守る」だとか、「愛する人のため」だとか。政府がそんなことを言い始めたら、この舞台をもう一度上演してほしい。女たちがその誤りを見事にさばいてくれるだろう。

おとうふ

おとうふ

劇団道学先生

OFF OFFシアター(東京都)

2021/08/27 (金) ~ 2021/09/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/08/30 (月) 14:00

座席1階

劇団道学先生は、座付き作家の中島敦彦さんが亡くなってから活動を休止していた。主宰の青山勝が選んだ復活作がこの「おとうふ」だ。中島さんが得意としていた会話劇で、「女3人の芝居を書いて」と座員に言われて1993年に作った作品という。

物語はテレビのバラエティー番組の舞台裏。番組の進行に従って客席で笑い転げる「笑い屋」の女性3人が主人公である。この3人、大道具倉庫のような狭い場所で待機させられ、時間を持て余しておばさんトークを続けるのだが、その3人それぞれに人生の光と影があり、泣いたり笑ったりなのである。どうにもならない人生の変転がおばさんトークで交差する。チラシにある「おかしくなくても笑います」というのはなかなか鋭い一文だと、舞台を見れば分かる。

この女性3人はいずれも客演なのだが、3者3様で非常にすばらしいキャスティングだ。3人ともおばさんトークの「あるある」を存分に表現・体現していて、とにかく笑える。劇団桟敷童子のもりちえ以外はダブルキャスト。両舞台を演じるもりちえは、期待通りというか、期待をはるかに上回るマシンガントーク。結婚4回でそれぞれ父親が違う子供がいるというプロフィールで、噂話と他人の悲劇が大好物のおばさんを演じたが、この早口でセリフをかむことは全くない。また、こき使われているADの青年など、舞台を盛り上げるキャラクターもしっかりそろっていて、最初から最後まで飽きることはない。

小劇場でこそ味わえる会話劇の迫力。緊急事態宣言下、しかも猛暑日のマチネだが満席だ。やっぱりみんな「おかしくなくても笑いたい」のである。

病室

病室

劇団普通

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2021/07/30 (金) ~ 2021/08/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/08/04 (水) 14:00

座席1階

価格2,500円

病室という閉鎖空間で繰り広げられる人生模様。病室は日常生活から見ると異空間のはずだが、この異空間をホームグラウンドにして、それぞれの患者がこれまで暮らした家、畑、そして家族に思いをはせながら繰り広げる会話劇を、客席はひたすら追う。

劇団主催の石黒麻衣の出身地の方言、全編が茨城弁でつづられている。茨城弁というのは女性が話すと何となく平板な感じがするが、男がしゃべるとかなり攻撃的な印象だ。四人部屋の主のような患者は脳卒中だけでなくがんもみつかったらしい。「俺は車いすで歩けない」などと同室の患者や見舞いの家族に無遠慮に話しかけるが、これが何か攻撃されているような感じだ。しかし、話を合わせる見舞客らはすんなりと流していて、茨城ではこのような会話スタイルが日常的なのか、と想像してしまう。

物語に抑揚はなく、それぞれの家族の内幕が4人部屋の中で語られる。ある患者は訪ねてきた娘に泣かれるのだが、この娘は離婚して実家に戻ろうとしていてそれを病床の父に打ち明ける場面だった。結構深刻な内幕だが、隣のベッドの患者に話はみんな聞かれていて、娘が帰った直後に「誰が悪いんだ」と部屋の主の患者からいきなり話しかけられる。結構シュールな場面が次々に登場し、新手の不条理劇かと思ってしまう。

介護施設はこのような四人部屋はなくなる方向だが、病院では個室は差額ベッド料がかかる特別な療養環境だから、こうした四人部屋はまだまだ続くだろう。劇団普通は会話劇を身上としていて、この本領を発揮する舞台設定では病室というのはある意味、ぴったりの世界だ。ただ、もう少し演出上の工夫があるとよかったと思う。だが、総じて、猛暑日の中もうろうとして劇場まで歩いた頭がシャキーンとする、面白い舞台だった。

ネタバレBOX

脳卒中で倒れて療養するお父さんたちが病室のメンバーで、それぞれ妻や娘、息子たちから距離を置かれていたりする。隣同士のベッドの患者が、退院したら一緒に暮らして楽しくやろう、という会話が出てくる。「老老介護じゃないか」と冗談も出たが、入院して知り合った患者同士が暮らす物語というのも、あれば続編を見てみたいと思った。
29万の雫-ウイルスと闘う-

29万の雫-ウイルスと闘う-

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/07/15 (木) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/07/21 (水) 14:00

座席1階

2010年の宮崎県での口蹄疫(家畜の伝染病)拡大をワンツーワークスや宮崎県の演劇人が取材し、古城十忍が構成した同劇団ならではのドキュメンタリーシアター。畜産農家、市職員、獣医師などから徹底的に言葉を集め、その言葉を紡ぐようにして戯曲に仕上げる。当時、宮崎で何が起きたのか、宮崎の人たちは何を考えていたのかを鮮烈に描き出した。

口蹄疫をテーマにしたのは、新型コロナウイルス感染症が日本、いや世界を覆う今だから客席にさまざまな思考を促す。これぞ、ジャーナリスティックな切り口で舞台を展開する古城の得意とするところだ。最初に出演者全員がコロナが怖いか、怖くないか、感染するのは時の運か、という質問にそれぞれ答えるところから始まるが、この部分がなくても、客席は新型コロナに翻弄される今と自分に登場人物を重ね合わせて見ることになる。

ウイルスを封じ込めるために感染した牛、豚を殺処分する口蹄疫と、ワクチン普及が切り札とされる人間の感染症である新型コロナとはその教訓は違うかもしれない。しかし、ウイルスという見えない敵におびえ、疑心暗鬼となり、口蹄疫を運んではいけないと家に閉じこもり、友人との交流も断念していたという当時の宮崎県の状況が舞台で再現されると、それは新型コロナによる状況に通じるところはあるし、さらに、宮崎での教訓が今回のパンデミックに生かされていないという忸怩たる思いが沸きあがってくる。

牛や豚は人間に食べられることで畜産農家の生計が成り立つのであるが、やはり生き物の命をいただく(食べる)というのと、ウイルス感染のため殺す(処分する)というのでは天と地の差がある。宮崎県で当時起きていたことは東京のメディアでは遠隔地で起きていることという距離感のせいであまり詳しく報道されなかったので(この距離感はメディアのいつものニュース判断の一つであり、反省すべき点である)、「飼っている牛や豚を処分するのは農家の人たちにはせつないだろうな」と何となく思っていたことを覚えている。今回の戯曲では、その点も農家の生の声をもってして鮮明に再現される。宮崎県に行って話を聞かないと描くことができない部分だ。ここが、この劇団のドキュメンタリーシアターのいいところである。

この舞台を見て「宮崎の人たちはたいへんだったんだねぇ」と振り返るだけでは不十分だ。自分の身に降りかかって気づくのでは遅い。世の中で起きていることを「自分のこと」として受け止められる想像力が問われている。

コメンテーターズ

コメンテーターズ

ラッパ屋

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/07/18 (日) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/07/20 (火) 18:00

座席1階

劇作家の妄想の世界なんだと思うが、この妄想はリアリティーがあって単なる妄想ではない。事実が先か妄想が先か。同時進行でパンデミックの中の五輪の行方を楽しめる、笑えるし笑えない鮮烈な舞台に仕上がっている。
設定が優れている。リアリティー満載だからだ。主人公は定年退職して年金受給までには早いおじさんで、退職後に勤めた会社がコロナ禍でつぶれてしまい、ネットで仕事を探すというところから始まる。口から先に生まれてきたようなおしゃべりで明るい妻は家計を助けようとスーパーのパートに出る。一人息子は見た目引き込もりだが、観察眼が鋭く家族との関係は悪くない。このおじさんがネットでの就活に飽きて暇を持て余してユーチューブを始める。ひょんなことから大当たりしてしまった結果、テレビの朝ワイドのスタッフの目に留まり、おじさんユーチューバーとしてコメンテーターに登用される。

コメンテーターはキャラ付けされていて、本音とは違う役割を演じるという「あるある」設定だ。コロナ報道で欠かせない女性医師とか、いつも政府の味方をする政治評論家、それに対抗して野党的立場から厳しい言説を展開するジャーナリスト。とまあ、現実のワイドショーを地で行く展開である。そこに「視聴率が取れそうだから」という局側の理由で起用されたおじさんコメンテーターは、庶民的目線とおやじギャクで人気が定着するのだが、ある時、自らの立ち位置と全く逆の意見を言ってしまう。

話題転換とか場を鎮めるためにと登場するミュージシャンの歌とダンスがライブで展開され、これがまたコロナ禍をうまく歌った秀逸なメロディーだ。政治評論家とジャーナリストのバトルもおもしろい。本物のワイドショーを皮肉っていることに加え、そのシュールな展開が笑いを誘う。だが、おじさんコメンテーターが思わず選択したコメントは、この世の中を鋭く突いていて、笑いながらも笑えないのだ。

どんな展開で締めくくるのか、妄想の終着駅を妄想してみたのだが、これが意外なラストシーンだった。あまりにもベタな、というと身もふたもないが、このベタさ加減に思わずウルっと来てしまう。久しぶりに聞いたこの言葉、70年代、懐かしのキーワードだ。ああ、あの頃はまだ、日本は右肩上がりで五輪を開く意味もあったなあ。帰りの電車で思わず、こんな妄想を繰り広げたのであった。

この舞台はおもしろい。劇作家鈴木聡は「この一年、こんなにも家にいてテレビのワイドショーを見た一年もなかった気がする」と書いているが、そのお陰でこんなシュールな妄想がさく裂した。十分、家にいた価値はあったのではないか。

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