実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2022/03/31 (木) 14:00
座席1階
「珠子がいなくなった」をまず、鑑賞した。
女三人姉妹の家族。父(モロ師岡)も含め喪服姿で、葬儀を終えて疲れた顔をしているところから始まる。2番目の珠子は結婚していて、その夫の姿も。珠子は母の遺骨をずっと抱えている。「何か食べた方がいいね」と財布をバッグから出そうとするのだが、抱えた遺骨を離さないため、財布を出すのに苦労している。この場面が、劇作の縦糸として最後まで物語を決定づける。
母の遺骨を抱えた珠子と夫は自宅に帰るためにバス停に寄る。バスはなかなか来ず、夫はタクシーを探しに行く。その間に、遺骨とともに珠子は消えてしまった。どこへ行ったのか。ネタバレになるので書かないが、ここから物語はどんどん展開を始める。このバス停というのが、同時上演の「月と座る」で劇作のモチーフになっているバス停だ。舞台の構造は2段になっていて、手前が父が住むこたつのある家、奥がバス停で、舞台は両方で切れ目なく進行する。なかなかの演出だ。
珠子の言動がとても興味を引く。設定では「小学生の時に牛乳瓶を職員室に投げつけるなど、奇行癖がある」とされるが、奇行ではなく、単に正直に行動しているだけではないかと思われる。その謎を解くヒントが、珠子が持って離さない遺骨にある。きょうだいたちもそのヒントを知らない。だから、「珠子は昔から変わっているから」で片づけられ、父や姉妹は珠子がいなくなっても特段探そうともしない。
こんな家族、ないだろうと思われるかもしれないが、自分にはすぐ隣にいるような人間関係だとも思える。少しだけ書くが、父親がぼけ始めたとか、ぼけた父親を介護するのは誰なのか、とか。片方の老親を見送った子どもたちの間に、よくある話だ。
また、父親は「子供には迷惑を掛けない」と言って施設にでも入ると考えているが、「それではお父さん、かわいそうすぎる」と介護を拒否する姉を妹が非難する。そうしたよくある話を体現する会話劇に、客席は自分の身近な物語としてどんどん引き込まれていく。
居なくなった先の珠子の行動に、共感できる部分がある。遺骨をわきに置いての行動は奇行ではない。珠子と亡き母親の会話劇というように感じる。
秀作だ。見ないと損するかも。明日の「月に座る」の観劇ががぜん、楽しみになった。