風がつなげた物語 公演情報 風がつなげた物語」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.9
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    セリフがセンスあるし、伏線もしっかりしているし、節々で伏線から新しい展開が生まれ、ラストまでよくできた芝居だった。「月と座る」を拝見。

    バス停で本(実は漫画「モーレツ!ア太郎)をよむ女性・瀬戸(旺なつき)に、ひったくりにスマホも財布も取られた千波(野々村のん)が話しかける。「突然、話しかけられて迷惑ですよねー」という感じで。通りがかる女性4人が、なんとなく知り合い、しゃれたセリフから、それぞれの重い人生が見えてくる。

    千波が高さ16,17センチはあろう、派手な赤い厚底ハイヒールに文句言うシーンは笑えた。
    三十路の地下アイドルの大原瑠花(後東ようこ)の、若さの陰りかけを払い飛ばそうとする精一杯のいきがりぶりがいい。大原のいきつけ(押しかけアイドル?)のスナックのママ田代(鬼頭典子)のうらぶれた色気もいい。最初は一瞬、母娘なのかと思うが、大原は母に捨てられ、田代は、未婚で産んで実家に預けっぱなしの娘に拒まれた。互いに親・娘を思う気持ちで共通するのに、弱みを見せまいと素直になれないで否定しあう姿も切ない。

    もちろんバス停は、ホームレスの高齢女性が引きこもり男性に殺された場所。ささげられたガーベラの花が、女たちの間をぐるりと回ってまたバス停に備えられるくだりも絶妙。瀬戸は、女性が死んだ後で「友達になった」という。知らなかったことが申し訳ないと。

    座席数100人程度の小劇場がこの繊細な会話劇にピッタリ。口コミサイトの評判もあって、満席。本多グループ経営とはしらなかった。

    ネタバレBOX

    冒頭、病院の予約に遅れそうで、と言っていた千波は、がんの健診結果が出たのだとわかる。瀬戸は、大原の同級生の母親で、それは、シフォンケーキのにおいから思い出す。瀬戸の息子は今は引きこもり。瀬戸にとっては、殺された女性だけでなく、殺した男も、他人ごとではなかった。

    最後に、その息子も出てくるのは意外だった。引きこもりが出てくるのは矛盾なのだが、出したのがよかったかどうか。が、息子の言葉で、大原の言う昔の誕生会の美しい思い出が美化されたものだったとわかる。実は嫌われ者同士二人が集まってケーキをがっついただけの悲惨な会だったと。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    小劇場の繊細な会話劇。母の遺骨を抱えた珠子と夫はバス停に来ます。バスはなかなか来ないので、夫はタクシーを探しに行くのですが、その間に遺骨とともに珠子は消えてしまうのです。問題はこれが珠子の奇行癖なのかという点です。姉妹は「珠子は昔から変わっているから」と言っていますが、それは真実なのでしょうか。そして父親は定年退職のタイミング。最終的に珠子は家に戻ってくるのですが、姉妹は年老いた父の世話を誰がするかの話に移ります。その時々の微妙な心の変化を実力派の俳優陣が演じています。三姉妹の個性が豊か、実像の女性の生き方を描いています。そしてモロ師岡、味のある父親役です。色々な芝居がある中、劇場でしか観ることの出来ないような濃密な芝居、劇場で観てこそ感動が伝わる家族劇と言えます。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/04/01 (金) 14:00

    座席1階

    今日は「月と座る」を観た。舞台中央にバス停。「珠子」と同じバス停だが、この舞台ではバス停が主役だ。バス停に次々と現れる女性たちはいずれも人生に問題を抱えている。舞台が進むと、その全貌が明らかになってくる。

    このバス停は東京・幡ケ谷に実際にある。住む家を失った女性が未明、終バスが出てから始発が通るまでの間、小さなベンチで体を休めていた。ところが、近所の男に邪魔者扱いされ、撲殺される。この事件は注目を集めた。生まれ育った広島では劇団員として舞台に立っていた女性だ。亡くなる前はスーパーの試食販売の仕事をしていたというが、このコロナ禍で仕事を失っていた可能性が高いという。一つ間違えば簡単に路上に放り出される現実。「彼女は私だ」とプラカードを掲げての追悼デモも行われた。

    舞台でも、この亡くなった女性について語られるところがある。彼女は行き場がなくてこのバス停に来ていたのではなく、この場所を見つけて「生きようとした」のだ、と。このせりふが「月と座る」を貫く重要なひと言である。未明にバス停に訪れた女性たちも、けして人生をあきらめているのではなく、もがきながらも生きようとしているのだ、と。

    この舞台を観て、この登場人物たちの来歴や人生を考え出した劇作家の豊かな創造力に脱帽する。ラストシーンに近づいて明かされる、ある意味で衝撃的な展開が秀逸だ。「珠子」でも語られたが、家族の介護を当然のように女性に担わせるという世間的な空気に、この両舞台は異議申し立てをしている。

    この二作は観る価値がある。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     「月と座る」を拝見。可成り衝撃的な作品だが、役者陣の熱演が素晴らしい。話が微妙なので詳細は更に考えてから書く。(追記後送)

    ネタバレBOX

     物語は常にバス停及びその面前で展開する。オープニング、板中央に位置するバス停の下手足下には、誰か犠牲者を追悼するように花が一輪立てかけられている。中央に椅子、背面は曇り硝子が嵌められており、満月に近い月の移動に従って明暗が変わる。
     今作の作家は女性であるが、登場する人物の殆ど総てが何かしらオカシイ。その微妙だが異様な言動は、何が起因していたのか? 何故殆ど総ての登場人物に異様性が見られるのか? を疑問に思いながら観ることで今作への足掛かりができるような気がする。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初日観させてもらいました。
    バス停のところだけで女性4人が繰り広げる芝居。女性は知らない人でも直ぐに話しかけられるので、展開したんですね。若し男性だったら、あーはいかないかなと思いました。
    とても良かったです。有難うございました。 #月と座る

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    一番感激したのは、モロ師岡さんを目の前で観れたこと。
    コメディアンでもあるので、いろいろ笑えておもしろかった。
    もう、個人的にはこれがとても満足。
    最後は、かなり衝撃的だった。
    まさか、こういう展開に...
    しかし、モロ師岡さん、いいですねー。
    かわいいお父さんという感じ...
    ますます、好きになった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/03/31 (木) 14:00

    座席1階

    「珠子がいなくなった」をまず、鑑賞した。
    女三人姉妹の家族。父(モロ師岡)も含め喪服姿で、葬儀を終えて疲れた顔をしているところから始まる。2番目の珠子は結婚していて、その夫の姿も。珠子は母の遺骨をずっと抱えている。「何か食べた方がいいね」と財布をバッグから出そうとするのだが、抱えた遺骨を離さないため、財布を出すのに苦労している。この場面が、劇作の縦糸として最後まで物語を決定づける。

    母の遺骨を抱えた珠子と夫は自宅に帰るためにバス停に寄る。バスはなかなか来ず、夫はタクシーを探しに行く。その間に、遺骨とともに珠子は消えてしまった。どこへ行ったのか。ネタバレになるので書かないが、ここから物語はどんどん展開を始める。このバス停というのが、同時上演の「月と座る」で劇作のモチーフになっているバス停だ。舞台の構造は2段になっていて、手前が父が住むこたつのある家、奥がバス停で、舞台は両方で切れ目なく進行する。なかなかの演出だ。

    珠子の言動がとても興味を引く。設定では「小学生の時に牛乳瓶を職員室に投げつけるなど、奇行癖がある」とされるが、奇行ではなく、単に正直に行動しているだけではないかと思われる。その謎を解くヒントが、珠子が持って離さない遺骨にある。きょうだいたちもそのヒントを知らない。だから、「珠子は昔から変わっているから」で片づけられ、父や姉妹は珠子がいなくなっても特段探そうともしない。

    こんな家族、ないだろうと思われるかもしれないが、自分にはすぐ隣にいるような人間関係だとも思える。少しだけ書くが、父親がぼけ始めたとか、ぼけた父親を介護するのは誰なのか、とか。片方の老親を見送った子どもたちの間に、よくある話だ。
    また、父親は「子供には迷惑を掛けない」と言って施設にでも入ると考えているが、「それではお父さん、かわいそうすぎる」と介護を拒否する姉を妹が非難する。そうしたよくある話を体現する会話劇に、客席は自分の身近な物語としてどんどん引き込まれていく。

    居なくなった先の珠子の行動に、共感できる部分がある。遺骨をわきに置いての行動は奇行ではない。珠子と亡き母親の会話劇というように感じる。

    秀作だ。見ないと損するかも。明日の「月に座る」の観劇ががぜん、楽しみになった。

    ネタバレBOX

    「母親は家を出て行って孤独死した」という設定。一人で死んだ母親がかわいそうだったとみるか、夫から逃れて自由に生きて死んで幸せな一生だったとみるか。姉妹の見方は異なるし、おそらく客席の見方も異なるだろう。
    ネタバレボックスと言っても書くときっとしかられる。それくらい、この舞台は生で見て楽しむ価値がある戯曲である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「珠子が居なくなった」…可笑しみの中に、じわっとくる温かみ 滋味ある好公演。お薦め。
    前作「風吹く街の短篇集(第五章)」の「朝、私は寝るよ」は55分、二人芝居で素晴らしかったが、この公演は少し時間軸を長くして、家族の物語を紡ぐ。

    常識という概念からズレているような主人公・珠子の思考や行動、それに振り回される周囲の人々の可笑しみ。表層的にはシニカルな感じもするが、ラスト 父との会話によって滋味溢れる物語へ変転させる上手さ。珠子も その家族もどことなく変な人達だが、全否定できない微妙な感覚のズレを見事に表している。少し変わっている家族に対し、珠子の夫を常識人(対比)として描くことによって、一層変なズレを際立たせる。家族であるが、家族になりきれない夫の歯がゆさ、苛立ちは観客の共感を得るところ。しかし家族には家族にしか分かり合えない絆・繋がり、そして歴史がある。それがラストシーンに…。
    (上演時間1時間35分)

    ネタバレBOX

    舞台セットは、二段平行構造で場所の違いを表す。一段目は珠子の実家。二段目は外の光景で、バス停(「月と座る」のモチーフ)であり温泉旅館の一室。実家の上手には炬燵、下手にはダイニングテーブル・イスがある。時間も並行に流れる演出の妙。時々、状況を説明する字幕あり。

    物語は、ずいぶん前に家出した母が孤独死をした、その葬儀の日から始まる。父(モロ師岡サン)は自失なのかどことなく所在なげで、食事の心配をする。三人姉妹の二女(既婚)・珠子(ししどともこサン)は、母の遺骨と遺影を放さない。出前を取ることにしたが、なかなかカバンから携帯電話や財布を取り出せない滑稽な姿。ここに作劇の意図を籠める。父は葬儀の翌日、〈定年〉退職を迎える。寝付けない父、長女(田口朋子サン)、三女(鈴木朝代サン)がいけないんじゃない、と言いつつ駄菓子やコーラでプチ宴会。そして乾杯(父の定年)いや献杯(母の冥福)といったどちらが大切かの言い争い。一方、珠子は夫(益田恭平サン)と共に遺骨を持って自宅へ帰ろうとバス停へ。夫がタクシーを探しに行った間に出会った男(若狭勝也サン)と…。

    珠子が居なくなっても、心配しない家族。小さい時から変わり者。小学生の時、学校に牛乳びんを投げ停学!になった。少しくらいのことでは驚かない。夫は、そんな家族にイライラを募らせる。捜さないのは、非常識なのか?噛み合わず漂流するような会話の可笑しさ。台詞というか言葉の妙を至る所に散りばめ、会話劇の面白味を引き出す。

    珠子は親(母)離れできないのか。自分が幼い頃、家出をして結局帰ることなく、孤独死をする。可哀そうという気持、一方 妹(三女)は自由に暮らせて幸せだったと言う。同じ姉妹でも母への想いは異なる。なぜ珠子は居なくなったのか、直接的には夫への欲求不満のようであるが、自分の生(存在)の確認のように思える。母から、父は男の子を望んでおり、珠子の誕生は喜ばれなかったと。三女は堕胎して、とまで言ったそうだ。しかし、父は野球が好きでキャッチボール(別シーンで車のキーのキャッチ伏線?)がしたい、そんな単純な願いだった。遥か昔のこと、母は亡くなり本当のところは分からない。そこで父がとった愛情表現が切ない。

    さて、珠子は戻ってくる。夫は詰るが、家族はホッとし「お帰りなさい」ではと、逆に夫を非難する。珠子はひょんなことで骨壺を壊してしまい、それによって母から解放されたような。居なくなったのは、母の思いと行動に重ね合わせたかった、かのようだ。逆に母は登場しないが、珠子を通して母親像が立ち上がってくるような面白さ。

    物語が寄り添ってくるのは、定年〈諦念か〉で時間を持て余す「父親がボケ始めた」の台詞。行く所は母と出会った「バス停」だけという悲哀。そんな父親の面倒を見るのは誰か。一方、父親は「子供には迷惑をかけない」、施設への入所も考えている。面倒を見ることを嫌がる長女を三女が非難する。身近に聞く話、それを会話に取り込み観客の共感を誘う。

    役者は、夫々の人物キャラクターを立ち上げ、バランスも良い。特にモロ師岡さんの飄々とした演技が、可笑しさと滋味の両方を巧く表現しており、公演の印象そのもの。
    次回公演も楽しみにしております。

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