かずの観てきた!クチコミ一覧

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いのちの花

いのちの花

劇団銅鑼

練馬文化センター(東京都)

2021/07/13 (火) ~ 2021/07/15 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/07/15 (木) 14:00

座席1階

脚本の畑澤聖悟さんは秋田県出身で、青森の県立高校の教員だ。今ではもう、教員というより脚本家と言う方が名高いが、この舞台は彼のホームグラウンドの青森県。三本木農業高校は実在の学校である。

畜産や動物飼育を専門とする女子高生たちが、ある日先生に連れられてペットの殺処分の状況を施設見学する。鶏を絞めてから揚げにして食べるという「命をいただく」という授業を経験している生徒たちだが、二酸化炭素ガスで安楽死させ、焼却して残った骨をごみとして捨てているという現実にショックを受ける。そこから生まれた彼女たちのアイデアが、この舞台のメーンテーマである。

沿岸部ほど大きな被害がなかったものの、東日本大震災を経験した生徒たちの胸の内もしっかり描かれる。全編「命の授業」というだけに、小動物から人間までその命が持つ意味を問いかける舞台に仕上がっている。全国の小学校で公演したとあって、舞台は学校演劇の香りが濃いが、この日の客席は若い世代も含めて大人たち。時折涙も誘う感動の舞台になった。

シンプルな演出だが、映像をうまく使っている。特に終盤、植木鉢を持った人たちの笑顔がいい。女子高生たちが「受け入れられるだろうか」と悩んでいたことが杞憂だったと雄弁に物語る。
登場人物たち、つまり銅鑼の俳優たちの写真も出てくるが、撮影場所は銅鑼のけいこ場がある敷地内だろうか。どこかで見覚えのある背景だった。

今回は、劇団が力を入れているバリアフリーサービス付き。音声ガイドやタブレット端末による字幕、車いす対応、そして女子高生たちと同じ衣装(高校の作業着)を着た女性が舞台下手で役者たちが使っているのと同じ椅子に座るなどして手話通訳をしている。この通訳は女子高生たちのクラスメートという雰囲気がうまく醸し出されていて、手話通訳を見ない人にとっても演劇としての違和感はとても少ないと思う。「舞台手話通訳」は通訳が役者の一人として舞台に溶け込むスタイルを指すようだが、今回はそれに近い感じだ。

ネタバレBOX

緊急事態宣言下につき、客席は一人おき(自由席)。外は真夏なのに、空調が効きすぎて寒かった。
母と暮せば

母と暮せば

こまつ座

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/07/02 (金) ~ 2021/07/14 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/07/07 (水) 14:00

座席1階

 ついこの間の「父と暮せば」に続き、今度は「母と暮せば」の再演。それぞれ広島と長崎と場所は違うが、原爆で命を奪われた最愛の家族が登場し、生き残った家族とかわす会話劇である。「父と暮せば」は亡き父が娘に、そして「母と暮せば」は亡き息子が母と会話をする。死者が生きる者と会話に入る冒頭も、会話から抜け出ていくラストも極めて自然で、それぞれ客席に強いメッセージを届けるという舞台だ。連続しての上演は、井上ひさしの魂というか、こまつ座の平和への執念を体現している。
 医学部の授業に出ていて被爆した息子(松下洸平)。助産師だった母(富田靖子)が陰膳を供える場面から始まる。会話の中では、息子とその婚約者との微笑ましいヒトこまや、息子が被爆した瞬間の様子など、隠されたお話が次々に明らかになる。母がなぜ、助産師をやめていたのか。医学を志していた息子が母に助産師を続けるように説得する場面など、死者と現世に残された者との迫真の会話劇が続く。
 そこには、原爆投下による死亡からは免れたものの放射線の後遺症で次々に死んでいく人たちや、放射線を浴びた者へのいわれなき差別・偏見の場面もつづられる。客席はその会話を聞いて、あまりの理不尽さに怒り、涙する。
 再演ということもあるかもしれないが、役者としての迫力が前回より増しているためなのだろう。松下洸平も富田靖子も明らかに前作より強烈な熱波を発して客席を震わせた。また、二人芝居ゆえの長せりふを難なくこなしていく様子は、感動ものだ。
 終演後のスタンディングオベーションもむべなるかな、である。思い起こすことが今、必要な多くのことを舞台から受け取った。迫力のある、いい芝居だった。こうなると、やはり数年度の再演も期待したいところだ。

ネタバレBOX

緊急事態宣言下ではないので、本日の紀伊国屋ホールは満員御礼だった。マチネの舞台が理由ではないかもしれないが、客席の年齢層は高い。絶対に若者に見てほしい舞台なのだが。
七祭〜ナナフェス〜この夏、胸アツ!演劇2本に映画だ、わっしょい!

七祭〜ナナフェス〜この夏、胸アツ!演劇2本に映画だ、わっしょい!

On7

シアター711(東京都)

2021/07/02 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/07/06 (火) 14:00

座席1階

チョコレートケーキの古川さんによる「その頬、熱線に焼かれ」以来のオンナナ舞台。「七フェス」と銘打っているから底抜けに明るいお祭り騒ぎかと思いきや、映画は「その頬」にも負けるとも劣らずシビアな内容に少したじろぐ。ただ、舞台の方は、別役実かと思う場面もある不条理劇ふうの作品で、最後は歌やダンスもあって明るい舞台に仕上がっていた。

短編映画「うまれる」と二本の演劇で構成される約2時間の舞台だ。

まず、短編映画。下北沢の小劇場で映画を見るとは思わなかったが、この映画は強烈だ。いかにもありそうなシチュエーションとともに、「うまれる」というタイトルによる、「女」をテーマにしたかなり厳しい内容である。生まれる子ども、いじめで奪われた子どもの命。女には月に一度の出血があり、それは子どもを産むための生理であり、苦しみの末に生まれた子どもが血を流して亡くなる、そして女である母親はー。
この一本だけでもかなり見ごたえのある中身である。

5分間の換気休憩を挟んで舞台となるが、何の脈絡もなく映画から舞台へと移行したかのように見えるが、そこにはやはり、「女」としての血が流れている。青年座の尾身美詞の甲高い声がとても印象的だ。7人がそれぞれ、うまく持ち味を発揮している。

終演後「面白かった」の声が客席のあちこちに出た。「七祭(ナナフェス)」というタイトルの意味はやっぱり少し不明瞭だが、新劇の老舗劇団出身メンバーで作っているだけに、演技の迫力が違う。それは短編映画でも舞台でも違った角度から楽しむことができる。

お菓子放浪記

お菓子放浪記

チーム・クレセント

ザムザ阿佐谷(東京都)

2021/06/24 (木) ~ 2021/06/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/06/28 (月) 13:00

座席1階

チームクレセントが演じ続けている、西村滋作品。以前のミュージカルではなく、ストレートプレイで行われた。新聞用語では使えない「みなしご」であるシゲル少年の戦中戦後を描いた物語だ。

甘いものが大好きなシゲル少年は孤児院からの脱走の途中、空腹のあまりお菓子を万引きしたところを刑事に目撃され、捕まってしまう。その刑事は、シゲル少年に菓子パンを買って与えた。恩を忘れないシゲル少年は、そのパンの味をずっと胸に秘め、教官らの暴言と暴力にさらされた感化院での生活を耐え忍ぶ。
だが、感化院には富永先生という音楽好きの女性がいて、この先生が歌う「お菓子と娘」というフランスの歌をシゲルは覚える。この先生の存在と歌も、感化院を耐え忍ぶ力となった。やがて、身寄りのない老女が養子に迎えたいとして感化院を出たが、この老女は子どもを働き手としてこき使うのが目的の人だった。さらなる苦難が続く中での心の支えはやはり、あの菓子パンの味と、先生の歌。やがて日本は太平洋戦争に突入し、シゲル少年は老女の元を飛び出す。

テンポよく進む舞台。シゲル少年があざとく汚い大人たちに虐げられながらも真っすぐ生きる姿がとてもけなげだ。やはりミュージカルよりストレートプレイの方が感動できると思う。
劇中、シゲル少年が加わった旅の一座の女形に召集令状が届く場面がある。性同一性障害で女として生きることを決めて女形として舞台に立つ彼女だが、戸籍は男性のため召集されたのだ。あの時代、召集令状は絶対逃れられないものだった。「人を殺すなんてできない」と悩んだ彼女は、送別会を抜け出して首をくくってしまう。シゲル少年の物語であるのだが、彼を取り巻く多彩な人たちの物語も、この舞台を盛り上げてくれる。

千秋楽の観劇だった。小劇場を埋めたのは比較的若い世代。読書感想文の定番だった「お菓子放浪記」を読んだ世代よりもずっと下だろう。西村作品の心が、この舞台によってしっかりと引き継がれていったと思う。

インク

インク

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2021/06/11 (金) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/06/24 (木) 14:00

座席1階

何よりも演出がすばらしい。狭い俳優座けいこ場をうまく使っている。四角の角を挟んで客席を2ブロック配置し、残りの二等辺三角形のようなスペースを縦横無尽に使う。さらに、すだれのような幕を使ってその前後を分けたり、文字などを映写したり。ルパート・マードックのテレビインタビューの場面で、マードック役の俳優はそのカーテンの後ろにいて演技しているのだが、そのテレビ画面でしゃべるマードックを同時に幕に映しているという高等テクニック。近年の小劇場では出色の演出であり、舞台を盛り上げた。

物語は、英国の新聞業界が舞台。部数が低迷していた日刊紙「ザ・サン」を買収したマードックが指示して編集者たちを一新し、徹底的な大衆紙路線を推進する様子を描いた。
現代から見ると、日本でも日刊ゲンダイや夕刊フジなどのタブロイド判の「面白ければウソでもいい」、いや、言いすぎか、「裏が取れなくてもいい」というセンセーショナリズムと、お色気路線は珍しくない。だが、当時のイギリスは高級紙と言われるインテリ読者が読むような新聞が普通だっただけに、大変な反響を巻き起こし、それが部数の飛躍的増加につながっていく。

知人のある新聞記者が「面白ければウソでもいいんだよ」と言っていたことを思い出す。もちろん、大半の記事はきちんと裏がとられているはずなのだが、この言葉はある意味で、かなりいいところを突いている。一般の読者が求めているネタは何か、ということを新聞社の経営陣が考えた場合、そういう記事を読みたくてもなかなか言い出せないようなゴシップ、男性にしてみればエッチな記事が手っ取り早いということになるのは容易に想像がつく。面白いことが最も重要で、それが真実なのかどうか、さらに言えばそれを書くことで関係者が傷つくかどうかの検討などはおそらくなされない。
舞台では「女性にも性欲があるのよ」、と女性向けの性的記事の掲載の論議が行われる。容易に想像がつくと書いたが、大衆路線の導入は、当時のイギリスのメディア界では想像もできないような、時代を一新する出来事だった。

休憩を挟んで3時間の長丁場だが、演出の妙とテンポよく進むので楽しむことができる。圧巻は第二幕。当初はマードックの方がイケイケで、ヘッドハントした編集長の方が慎重だったのに、やはり編集者の性なのだろう。読者がガンガン増えると自らの編集に自信を持ち、その路線で突っ走る。そのため、サンを次々に悲劇が襲う。
ラストシーンが象徴的だ。開幕直後に出てくる5W1Hの一つ、Wに注目しよう。最終幕でこの文字が再び登場し、観ているものの心を貫く。

インターネットで自分に必要なニュースだけを拾うような時代になり、総覧性・一覧性が最大の特徴である新聞の衰退はどの国でも激しい。この物語は、ある意味で新聞に力があった、古き良き時代の物語であったと言えるかもしれない。

第70回公演「ベンガルの虎」

第70回公演「ベンガルの虎」

新宿梁山泊

花園神社(東京都)

2021/06/12 (土) ~ 2021/06/23 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/06/19 (土) 19:00

座席1階

新宿梁山泊の神髄である、唐十郎の演目。もちろん、状況劇場のころの舞台は見ていないけど、パンフレットで風間杜夫が語る「踏み込んだら危険な場所。怖いもの見たさでテントに入った」という言葉を想像しながら今回の舞台を楽しんだ。

平成、令和の世での梁山泊のテントは何度も見ているが、やはり最終幕のテント外の借景を舞台に取り込んだシーンが楽しみで足を運ぶ。前回は(前々回?)は下北沢で、背景の「スーパーオオゼキ」のネオン看板がちょっと残念だっただけに、今回は暗い花園神社の境内。今度はネオンに邪魔されず楽しめるぞと意気込んだ。結果はネタバレになるので書かないが、壮大なスケール、度肝を抜くアイデアとその美しさに体が震えた。

さて、物語は第二次世界大戦での悲劇の地であったインパールの白骨街道をモチーフに進む。客演の風間杜夫が、ビルマの竪琴で現地に残った水島上等兵がいた隊の隊長役。年齢を感じさせないパワフルでユーモアあふれる演技で感動した。風間杜夫は途中の換気休憩2回をはさむ3時間出ずっぱりで熱演し、これぞ役者魂!かという舞台だった。

梁山泊のお約束の若手女優人らによる歌とダンスは「うっせえわ」。この大熱唱がテント外の歌舞伎町に響いたかと思うと、それだけでおもしろい。今回の選曲は冒頭の曲がナンバーワンだと思う。

やはり観客を楽しませる仕掛けは満載で、その一つは、競輪の実演である。花月園の舞台設定で、「場外」を駆け回る競輪選手たちにはラストシーン同様、驚かされる。テントでしかできない演出だ。

さて、物語はビルマなど東南アジアと日本(錦糸町と鶯谷というちょっと猥雑な街)を行ったり来たりして進む。水島上等兵と水嶋カンナという名字の一致が時空を超えていろんなことを想像させる。カンナの母、ミシン売りの男。金守珍演じる産婆のお市など、多彩なキャラクターに彩られるが、何といっても白骨の化身で全身をくねらせて舞台を盛り上げた奥山ばらばはすごい。また、入谷の朝顔市の婆ァを演じたのぐち和美に開演前、客席へ案内され、間近で見る迫力にちょっとたじろいでしまった。

3時間はお尻もいたくなるし長いが、価値ある時間だ。コロナ禍ゆえ、終演後にゴールデン街でこの舞台を肴に盛り上がることができないのがいかにも残念である。

JACROW#30『鋼の糸』

JACROW#30『鋼の糸』

JACROW

駅前劇場(東京都)

2021/05/26 (水) ~ 2021/06/01 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/06/01 (火) 14:00

座席1階

田中角栄など自民党政治家の栄枯盛衰を描いた作品など、社会派劇で名高いジャクローが、今度は企業合併や出世競争だけでなく、働き方改革まで取り込んで、見ごたえのある2時間にまとめた。

昭和から平成にかけて、右肩上がりの経済成長とバブル崩壊、その後の長期不況という歴史の中で、日本企業は様々な姿を見せてきた。「出世争いは企業の活力」というセリフも出てくるが、今も基本的には変わっていない男社会の感覚かもしれない。
その競争社会では、「24時間働けますか」という、ジャパニーズビジネスマンをたたえるような流行歌に乗せて、栄養ドリンクが売れまくった。それが時を経て令和の世となり、残業などもってのほか、ワークライフバランスという印籠でもってして働き方をお上が中心になって変えようとしている。働く女性たちも男性とともに世の中を支える時代なのだから、男社会の感覚はお上に言われなくても払拭しなければならない。私見だが、この舞台はそうした時代の変化への対応にあえて真正面から取り組まず、バブルのころに入った新入社員の出世や人生を中心に置いて描き、昭和・平成時代の企業社会を生き抜いた観客の共感を得ている。

ライバルに勝つ営業成績を上げろという経営陣と、働き方改革だから残業はさせられないという所属長の板挟みになって咆哮する役員手前の部長が悲しい。「クライエントの秘密情報を取ってこい、それが営業成績向上の決め手だ」との𠮟責は、それが会社のためであり、自分のためであるという彼らの共通認識である。そういう昭和・平成の企業戦士の常識が、部下である所属長の抵抗によって打ち砕かれる。もちろん、所属長たちはその常識を分かっているのだが、自分の立場上、部下を残業させてまでその仕事を命ずるわけにはいかない。それこそ、部下の離反を招くどころか責任を問われることになろう。部下をがっつり働かせてなんぼの世界は終わり、部下をうまく休ませるのが優秀な管理職なのだ。

この舞台でも「じゃあどうすればいいのか」という答えは出ていない。会社の経営陣は「働き方改革の中で、成績を上げるやり方に知恵を絞れ」と言う。だが、その経営メンバーは24時間働くような従来のやり方で成績を上げてのし上がってきた連中だ。答えなど持っているはずはない。知恵を絞れという号令は無責任そのものであり、できもしないことを部下に押し付けている最悪の上層部である。「やればできる」という精神論で前線の兵士を破滅に追い込んだ旧日本軍の精神構造と全く同じである。
非常に面白い舞台だった。が、欲を言えば、そこまでつっこんでほしかった。

ネタバレBOX

上にも書いたが、前作で出色だった田中角栄役の狩野和馬のイメージが強烈で、それが色濃く残っている自分にとっては、角さんがサラリーマンの出世競争をしている、という感じにどうしても見えてしまう。田中角栄が抜けないのだ。そのイメージを一生懸命わきに押しやりながら舞台に没頭するのは疲れてしまった(笑)
獣唄2021-改訂版

獣唄2021-改訂版

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2021/05/25 (火) ~ 2021/06/07 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/27 (木) 14:00

座席1階

前回も☆5つを付けた感動の舞台。今回は2021年改訂版と銘打っている。やっぱり足を運んでしまった。
国家総動員法が制定され、戦時色が濃くなっていく九州の山村。ここの断崖絶壁に咲くという、幻のランを追い求める「ハナト」(ランを取る人)一家の物語だ。
ハナトである村井国夫の低くてよく通る声に舞台は引き締まる。その3姉妹は前回と同じ顔ぶれだが、明らかにパワーアップしていた。
断崖絶壁を登り、珍しいランを取ってくるという物語の筋を追っていくだけでも、この3姉妹のきびきびとした演技で、舞台から目が離せない。さらに今回、自分の胸に刺さったのは、戦争に対する憎しみをぶちまける一言だ。前回もこの場面はあったと思うが、思わず体が震えるような感覚だった。
客席は熱い。3姉妹を次々に襲う悲劇に、涙が止まらない女性も複数いた。舞台装置は前回の方が派手だったように思えるが、山の猛吹雪などは相変わらず迫力満点だ。
映像で見ても味わえない迫力と、それとは別にガンガン伝わってくる何かがある。やはり、舞台でないとだめなのである。予約で満席の客席がその答えだ。

いい舞台である。再演、ありがとうと言いたい。

父と暮せば

父と暮せば

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/05/21 (金) ~ 2021/05/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/24 (月) 14:00

座席1階

1994年の初演以来、コンビを替えて上演し続けている。こまつ座のDNAとも言える代表作だ。本日は幽霊の父親役が山崎一、広島の原爆から「生き残ってしまった」娘を伊勢佳代が演じた。

理不尽な戦争、災害。その惨禍を生き抜いた人はよく「自分だけが生き残ってしまった」という言葉を絞り出す。死んだ者は、「生きているだけで幸せ」と生き抜いてほしいと願う。だが、生き残った者は生きているという「罪」を悔い、重荷として背負う。

この舞台では、死んでしまった父親が幽霊になって娘の元に顔を出し、その恋を応援する。相手はとてもいい人のようで、娘も好意を抱いているのだが、「自分だけが幸せになってはいけない」と相手を避けようとする。それをユーモアたっぷりに諭しながら応援する父の姿がとてもいい。実際に父と娘が生きていたらそういう家族関係にはならないのかもしれないが、包容力豊かなお父さん、というキャラクターで、客席をほっとさせる。

二人とも再演の舞台だけあって、切れ味があるというか、緩急をつけたテンポのいい見事な演技だった。息がぴったり合っていて、原爆投下での惨状の場面などは、客席の感涙を誘う。

いい舞台というのは、何回見てもいいものだ。こまつ座おすすめの通り、続いて上演される「母と暮せば」とセットで観劇したい気持ちになる。

アルビオン

アルビオン

劇団青年座

俳優座劇場(東京都)

2021/05/21 (金) ~ 2021/05/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/21 (金) 18:30

座席1階

事業に成功し、かつて叔父が住んでいた広大なイングリッシュガーデンがある大邸宅を買って移り住んだ女性と、それに従う夫。娘も出版社に就職して自分の人生を歩み始めていたが同居を決めた。古き良き庭を再現したいと強い意志で周囲を引っ張る女性、オードリーを中心に、個性豊かな友人や庭師たちが繰り広げる人間模様。わりと硬派な劇なのかなと思ったが、この人間模様こそが見事で、3時間にも及ぶ舞台をけん引し、客席をくぎ付けにした。
 冒頭に、戦場で理不尽な死を遂げた青年がこの庭をさまよう。荒れ果てた庭は戦場に通じる。人間関係のもつれはまず、オードリーの長男であったこの戦死した青年の遺骨を母であるオードリーが独り占めし、青年の恋人とぶつかるところから始まる。オードリーの願いは、美しい英国風の庭を再現して家族と楽しんで暮らすというものだが、その夢は、すでにこの地で生活を営んでいるメンバーや、家族間のあつれきで思うように進まない。
オードリーのやや強引とも思えるやり方が障害になっているのだが、彼女は自分のやり方を変えようとはしない。人間、譲れない一線はだれも持っていると思うが、もう少し柔軟に生きられたら、オードリーも楽だったかな、と思う。その硬直したとも言えるオードリーは、英国のEU離脱を思わせる。
登場する人物の人間模様を庭の手入れが進み、衰えていくその移り変わりで表現をしている。また、雨が降ったり晴れたり安定しない英国の天気でも、表現されたりする。物語の空気がこうした演出の妙で、ストレートに客席に伝わってくる。
最後まで舞台にくぎ付けになる物語だった。それをしっかり支えた俳優たちの力に拍手を送りたい。

ネタバレBOX

緊急事態宣言下の上演ということもあるが、30分でもいいので今よりもう少し早い開演時間が設定されるといいと思う。劇場を夜9時30分に出るということになると、田舎に住んでいるものとしては少し厳しい。
みえないランドセル

みえないランドセル

演劇集団 Ring-Bong

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/17 (月) 14:00

座席1階

テーマは児童虐待。重い話になりそうだと思っていたが、多彩な登場人物を配置し、押さえるべきところは押さえてハッピーエンドに仕上がっている。
前回の緊急事態宣言で上演が延期になった。その時も申し込んでいたので、期待を膨らませて久しぶりのアゴラへ足を運んだ。
この物語が秀逸なのは、主要な登場人物の女性にそれぞれ「過去」を持たせているところだ。生まれたばかりの娘を放置して男と出て行ってしまう主人公・遥に寄り添い続ける助産師の雪だが、彼女は専門職としての倫理観からだけで「特定妊婦」であった遥の支援をしていたわけではなかった。(特定妊婦は、妊婦検診に訪れないなど、出産や子育てに課題があると思われる女性のこと。保健師などによる支援の対象になる)。ネタバレになるので詳しくは書かないが、遥が雪に「子供を産んだこともないのに、私のことなんかわからない」と言い放ったところから、一つの糸がほぐれて物語の幅を広げていく。
同様なことが、赤いランドセルを背負って夜間中学に通う84歳のみどりの過去でも明かされる。彼女も赤ちゃんの泣き声を聞きつけて何度も遥の家のドアとたたき心配をするのだが、彼女にとっても「子供を育てる」というキーワードに絡む一本の糸が舞台に絡んでいく。
いい脚本だと思う。すすり泣きをしている人が客席のあちこちにいた。自分も最近、NHKの「透明なゆりかご」の再放送で見たケースと同じような場面が出てきて、思わず感涙を誘われてしまった。
山谷さんの前回の上演延期でのメッセージなどから、コロナ禍と深く関係している物語かと思ってしまったが、そうではない。コロナ禍の生活という設定だけに役者さんは皆、マスクをつけている。マスクなどに絡んで笑いを取るようなところはあったが、この物語はいつ上演されても客席の心をしっかりとつかむ力があると思う。もちろん、コロナ禍での子育てがお母さんをより孤独にし、虐待を生むという背景は示唆されているのかもしれないが。

最後にもう一つ秀逸な点を。この物語の舞台であるパン屋さんの近くの広場に児童相談所の建設が計画されていて、登場人物の中にも「迷惑だ」という気持ちを述べた人がいたというところだ。子どもや年寄りのことなど日ごろはあまり関係がないと思っていると、児童養護施設や特別養護老人ホームなどによくない印象をもって「うちの近くにできるのは嫌だ」と感じる人は少なくない。この舞台では、最後は子どもの笑顔によって救われるという物語でありながら、児童相談所が迷惑施設だという会話を出しているところに、この物語を貫く作者の強いメッセージを受け取ることができる。

いい舞台だった。みどりが背負っていた赤いランドセルが、遥の娘・初音ちゃんに背負われる日が来ることを祈りたい。

雨が空から降れば

雨が空から降れば

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/05/12 (水) ~ 2021/05/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/13 (木) 14:00

座席1階

 昭和を生きた人なら口ずさむことができるだろう小室等さんの歌「雨が空から降れば」は、元々は別役実さんの戯曲の劇中歌だったという。その戯曲とは別に、1997年に別役さんが曲と同名の戯曲を文学座に書き下ろした。Pカンパニー代表の林次樹さんは別役作品に没頭して芝居の道に入ったという(パンフレット)が、この戯曲を2016年に上演している。今回は別役さんの追悼公演としてコロナ禍、緊急事態宣言の中をいつもの池袋の劇場で上演した。
 別役さんの不条理劇の中でも分かりやすい展開だけに、面白さ抜群である。流しの葬儀屋という発想がまず、ものすごい。何といっても最初のシーンがすごい。
 別役作品にはおなじみの笠のついた電球がぶら下がる「電柱」に、首をくくるロープがついている。そこに棺桶など葬儀一式のアイテムをリヤカーに積んだ葬儀屋が通りかかる。葬儀屋は死んだ人を探していて、別の葬儀屋との縄張り争いがあるというのも強烈な発想だ。
 ほかの別役作品がそうであるように、物語は次々と意外な方に転がっていく。生きていても仕方がないから死ぬのか、死んでもどうしようもないから生きるのか。電柱がある街角に続いて舞台は病院に移るが、縄張り争いをしている葬儀屋が院内を徘徊して「お客さん」を奪い合っている。医者は「あんたらは霊安室にいなさい」と命令するところなど、場面ごとにシュール感があふれる。
 「死を笑う」というのは当然、不謹慎ではあるのだが、ここで笑うのは死だけではなくその裏返しである生をも笑う。人間が心の中に隠している、いや、隠しきれない嫌味な部分を容赦なくさらけ出し、舞台は笑いに変えていく。
 別役作品だからか客席は高齢者が多かったが、若者が見ても絶対面白い。別役さんの追悼芝居はほかの劇団も行うであろうが、Pカンパニーのこの舞台はぜひ見ておきたい。一度見たらやめられないような「中毒性」がこの芝居にはある。見ないと損するかも。

囲まれた文殊さん【4月27日~4月30日公演中止】

囲まれた文殊さん【4月27日~4月30日公演中止】

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/04/21 (水) ~ 2021/04/30 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/04/22 (木) 14:00

座席1階

京丹後市の経ケ岬にある文殊の神様は、左を自衛隊基地、右を米軍基地に囲まれているという。Xバンドレーダーが配備され、ミサイル防衛の任務をしているという。しかし、もし仮に中国や北朝鮮からミサイルが飛んできたとしても、数分で日本に到達するミサイルをレーダーがとらえて(とらえたとしても)イージス艦に伝えて迎撃ミサイルで撃ち落とすのはほとんど不可能とされている。結局は、グアムなど米軍基地を守るための装備であろうと言われ、じゃあ、この基地は日本国を防衛するのに役立つのか、という話だそうだ。
前置きが長くなったが、そういう基地を作るために肩身の狭い思いをしてきた文殊さんを通して、この舞台が問いかけることは多い。

まずは、言うべきことは言わねば、ということだ。主人公の青年の実家で、その父親は米軍基地の建設にずっと反対をしてきた。今も反対をしている。沖縄もそうだが、基地で働いている地元民も多く(この舞台でもこのお父さんの義妹が営むクリーニング店が米軍人も重要顧客。基地でバイトしている女性も登場する)、反対運動を快く思っていない人は少なくない。だが、このお父さんは地域統合のシンボル的存在であった文殊さんに、毎日お参りをしながら反対運動を続ける。
もう一つは、反対運動によって地元が分断されないようとことん相手の意見を聴く、という姿勢だ。意見は違ってもお互いを認め合う、ということだろう。いずれも、とても大切なことだと思う。

この舞台のいいところは、そうしたメッセージを単に基地反対というワンイシューで語るのでなく、コロナウイルス患者に対する差別、という視点でも切り取っていることだ。地元に一人も感染者がいないため、東京から帰省する若者への風当たりは非常に強い。全国どこでも、今でもそういうことが起きていると思うが、感染者への差別はコロナ患者を診る医療従事者への差別につながり、感染者を取り巻く家族など周囲への差別につながる。「感染させるかもしれないのに東京から来るな」という地元の人々の内なる差別にも真正面から向かい合っている。とても共感できる物語だ。

青年劇場らしい分かりやすい筋立て、そして鋭いメッセージを発するにもどこか優しさを感じる舞台。今回もしっかりとそれを感じることができた。秘密保護法のために、基地の中を探ろうとする反対運動者が摘発されるかもしれないという怖さもきちんと描かれていた。

ビルマの竪琴

ビルマの竪琴

劇団文化座

俳優座劇場(東京都)

2021/04/15 (木) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/04/20 (火) 14:00

座席1階

竹山道雄の名作の舞台化。文化座創立80年記念の公演という。文化座は戦時中に創設され、満州にわたって演劇を続けた。引き揚げるときの苦労は、まさに他人事ではなく劇団のDNAとして刻まれている。この演目が創立80年として選んだのも、文化座の歴史を体現している。

それだけに、熱のこもった舞台であった。この演劇の肝ともいえる合唱シーンは卓越している。「埴生の宿」、ラストシーンの「仰げば尊し」。どの楽曲も見事な男性ハーモニーで心を打たれる。
主人公の水島上等兵を演じた藤原章寛の実直な演技が光る。隊長役の白幡大介もぶれることのない役どころで印象に残った。埴生の宿を敵味方が合唱するシーンは、物語の筋をわかっていても感動できる場面だ。

壮絶だった先の戦争でも、苛烈を極めたと言われるインパール作戦。無謀な作戦に犠牲を強いられるのはいつも末端の将兵である。無謀な外交の犠牲になるのも国民であろう。
当時の人たちはそういう考えに及ぶことはなかったと思うが、一体何のための戦争なのか、何のために死闘を尽くすのか。それは、教訓として残っている。戦争を避けるための道具が外交であるなら、今の日本の外交のファーストプライオリティーは「非戦」になっているのだろうか。戦いを避けるための努力が外交交渉の中で行われているのだろうか。首相訪米のニュースなどを見るにつけ、とても不安になる。
インパール作戦の教訓を未来のために学び続ける責任が、日本国民にはある。そうした中での「ビルマの竪琴」は、胸に刻むべき舞台だ。戦争に翻弄された歴史を持つ文化座だからこその力作に、拍手を送りたい。実際、私が見た回もスタンディングオベーションという空気の拍手が続いていた。

俳優座劇場の席は半減させての感染対策。客席の年齢層は高かった。本当にいい舞台だ。もっと若い世代に見てほしい。

どん底 ―1947・東京―

どん底 ―1947・東京―

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/04/08 (木) ~ 2021/04/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/04/09 (金) 14:00

座席1階

日本の新劇人は今も昔も「どん底」が大好きなのだという。最初は1910年の小山内薫、市川左団次だったというから、もう歴史の世界だ。極貧というのは演劇のテーマとして取り上げたくなるのだろう。パンフレットから学ばせてもらった。
民藝による今作は、新型コロナで1年延期になった舞台だ。まずは、何はともあれ無事に上演に至ったのを喜びたい。
設定は終戦から2年後の1947年、新橋の焼け跡。食べるものも着るものもなく、その日を生きるだけで精いっぱいの人たちのそれぞれの哀感、人生を描く。
生きるだけで精一杯なのだが、どの人もエネルギッシュである。そうでなければ生きていけない時代だったのだ。末端の警官がやくざとつるんで小金を稼いでいるのだから、頼るものは自分しかいない。それでもこの、どん底の簡易宿にしがみついている人たちは、仲間意識のような空気も持ちながら、前に進んでいく。
当時は当たり前だが、生と死は隣り合わせだ。この簡易宿でも、病気の住人が死んでいく。だが、死んでも弔う金が無い。つい2年前までやっていた戦争ではそれこそ街に死があふれていた。空襲で亡くなった人も、弔われることなくこの世を去って行った。その戦禍をせっかく生き延びても、尽きていく命はたくさんあったのだろう。食べ物も薬もないなかで、主人公の「正体不明の老人」が、重病の女性の身の上話を聞くシーンは印象に残った。

最初に「新劇」はどん底が好きだと書いた。今回の舞台、若い人の姿も客席に見かけたがこの「どん底」。今の小劇場ブームを支える若い演劇人たちに取り組んでほしい演目だ。

チムドンドン~夜の学校のはなし~

チムドンドン~夜の学校のはなし~

劇団銅鑼

銅鑼アトリエ(東京都)

2021/03/18 (木) ~ 2021/03/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/03/24 (水) 14:00

座席1階

沖縄の夜間学校を舞台とした物語。戦後の混乱期、米軍の占領下で学校に通うことができなかったおじい、おばあたちの学びたいという前向きな思いと、授業を心から楽しむ姿を描く。沖縄の夜間学校だから沖縄戦の話は避けて通れないが、山谷典子作なのだからだろう。ここにも真正面から切り込んでいる。
卒業式で、沖縄戦をテーマにした演劇をやることに。生徒たちが行うその演劇の台本を、インターネットで沖縄戦を調べるだけで今ひとつピンときていない沖縄の今の高校生が書くことになった。驚いたのは、沖縄戦を桃太郎に擬した、という流れだ。舞台で1人のおじいが「沖縄での戦争を桃太郎でなんて」と憤慨する場面も出てくるが、当然の思いだろう。だが、その答えはすぐにわかる。要するに、占領軍の米国、そして返還後の日本政府を鬼退治に行く桃太郎という設定とし、沖縄に対する加害者の視点から客席に考えてもらうのだ。
ようやく占領から開放されても、米軍基地はわが物顔で沖縄を蹂躙し続け、日本政府もそれに加担しているという歴史。途中の換気休憩後の第二幕はほとんどこの劇中劇に費やされる。言いたいことは十分に分かるのだが少し教条的な感じもして、自分は若干引いてしまうところがあった。
むしろ、前半部分で繰り広げられた「学び」の本当の意味を考えるというところをもっと見たかった。
東京で一流の進学塾の人気講師だったという女性が、夜間中学の教師をしている姉の出産に伴う代用教員として赴任する。覚える順番を教え、効率よく学習内容を吸収できるようにする、という女性の教授法が空回りする。こういう設定に、すごく共感が持てた。自分たちは何のために学んできたのだ、という人生の根源的な問いを真正面から突きつけるからだ。

この舞台はや「学びの意味」と「沖縄の思い」と二兎を追っている。座っているのがややきつい、2時間半を超える長さになったのは、そのためかもしれない。
沖縄戦の経験をひ孫のような高校生に語るおじい、おばあのところは確かに感動的だった。だが、これを夜間中学の学びの意味を考えるような設定で取り上げられなかったのか。後半の劇中劇は努力賞だと思うが、二兎を追った結果としては満足できなかった。

Don’t say you can’t

Don’t say you can’t

一般社団法人グランツ

ラポールシアター(神奈川県)

2021/03/13 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/03/14 (日) 13:00

知的障害者の演劇集団である横浜桜座が、青年座やテアトルエコーなどプロの役者たちを集めて一緒に公演するプロデュース公演。障害のあるなしにかかわらず、同じ役者として一緒の舞台に立つ。障害者が舞台に立つことが当たり前の世の中を目指す、劇団のパフォーマンスだ。これは障害者福祉ではない。舞台芸術なのである。

物語は、障害者施設を舞台に進行する。コロナ禍で自宅のパン屋が休業に追い込まれたシングルマザーが障害者施設で働き、そこでかつての恋人であり、演劇仲間であった男性に再会する。男性は頸椎損傷で車いす姿で、息子に付き添われて施設に来ていた。人生を投げているところがあった男性だが、施設内で演劇会を開いてはどうかという提案に盛り上がり、生き方が変わっていく。演出は青年座の磯村純。

出演する桜座のメンバーは、オーディションで選ばれた。自分の持ち場をしっかりこなしているという印象だ。主演のシングルマザー役は小飯塚貴世江。彼女は桜座の舞台を見て、「頭をたたかれるような衝撃を受けた」という。「自分は役者をやっていて、どこか上手に見せようという雑念がくっついていた。演劇をやるのに必要なものを、教えてもらったから」と話した。障害者とそうでない役者たちがお互いをインスパイアする存在として、今回の舞台に立っている。

自分は横浜ラポールシアターで見た。シモキタで多様性を体現した役者たちの舞台があるということが、小劇場文化の一つのエポックメーキングになってほしい。

日本人のへそ

日本人のへそ

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/03/06 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2021/03/11 (木) 12:00

座席1階

劇作家・井上ひさしの実質的デビュー作という。初演は1969年にテアトル・エコーが行った。こまつ座としては震災のあった2011年以来10年ぶり。演出の栗山民也は1985年の公演がこまつ座での初めての演出だったそうで、今回が4回目。いろいろ歴史のある井上喜劇だ。
見終わって、いや見ながら思ったのは、役者たちの大変さというか、これは死ぬ気で向き合わないと演じられないな、と。実際に、栗山は出演者たちに「これまでの自分を壊すような気持ちで」という趣旨の指示をしたというが、実力派俳優たちも自分がこれまでやってきた実績とか経験とかをすべて忘れて飛び込んでいかないと、それこそ舞台から弾き飛ばされるような勢いなのだ。
あのバイデン大統領もそうだったという吃音症を、さまざまな役を演じることによって治す試みだということを、学者役の山西惇が冒頭、説明する。「患者たち」が舞台を歩き回りながら唱える「あいうえ王」は、井上ひさしの言葉遊び。繰り広げられる劇中劇が、本作の舞台である。
劇中劇の一つが、昭和の香りが色濃く残る浅草のストリップ劇場だ。朝海ひかるや小池栄子らスタイル抜群の女優たちが長い手足をピンと上げての演技は圧巻である。SKDも顔負けの、脚が描く真っすぐな直線、ぴたりと合ったすばやい動きは拍手喝采ものだ。すばやいと言えば、各劇中劇で早変わりが連発するところはものすごい。一人何役も与えられているのだから、観ている方が目が回りそうである。「日本のボス」の劇中劇は、料亭政治を皮肉っているようなところがあって風刺も効いている。
「ハチャメチャ」と言ってしまえばそうなんだけど、劇中劇の一つ一つが非常におもしろくて、それが連続して繰り出され、客席もついていくのに必死という感じなのだ。
ラストのどんでん返しもいい。
出演した俳優たちを一回りも二回りも大きく鍛え上げるような、まるで道場だ。これをこなした出演者たちは、相当な自信を得たのではないか。

ウィーンの森の物語

ウィーンの森の物語

東京演劇アンサンブル

東京芸術劇場アトリエウエスト(東京都)

2021/03/06 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2021/03/10 (水) 14:00

座席1階

ドイツの作家ホルバートの作品。ブレヒト劇をやり続けてきた劇団だが、ブレヒトと同世代を生きた作家を「生誕120年」として取り上げた。
演出家の公家義徳氏がパンフレットに記したところによると、革命家たちを描いたブレヒトとは対極にあるように小市民の生活を描いた作家だという。
父の決めた嫌な相手との結婚から逃れ、駆け落ちした相手の男はどうしようもない輩で、主人公の女性は乳飲み子を夫の実家に預けて懸命に働く。当時はドイツだけでなく欧州も米国も日本もそうだったと思うのだが、女性が夫の所有物のような扱いで自分の人生を生きられなかった、ラストは救いようもない悲劇である。究極の児童虐待が起きるのだから。主人公の叫びが、何とも言えない重さを突き付ける。
この劇が今日性を持つのは、女性の貧困、抑圧が今もあまり変わっていないところだからだ。時代は100年近く回転して主人公のような女性の悲劇がなくなったかというと、そうではない。日本でもDVがあちこちにある。結婚して仕事を辞めるのは当たり前のように女性であった。非正規労働による貧困に苦しむのも多くは女性である。シングルマザーの苦闘は日本でも欧州でも同じであろう。
途中、2回の「換気休憩」が入って約2時間半。前段は若干、緩いペースだと思うが、後半は引き締まってくる。特に、主人公のマリアンネを演じた仙石貴久江が光った。若手の劇団員が育っているということなのだろう。長年慣れ親しんだ武蔵関のブレヒトの芝居小屋を出た今、新しい劇団になっていくためにもこうした女優さんがいるのは明るい。
アフタートークでは背景にある戦争の話も出てきたが、この舞台には戯曲が書かれた直後に出てくるヒトラー政権の空気も感じさせない。男たちはどこまでも身勝手なやつばかりだが、それでも戦争で抑圧される空気はないのだ。戦争とは一応、切り離されているだけに、現代社会での今日性が舞台に浮き上がってくるのかもしれない。

ネタバレBOX

シアターウエスト。座席を取り払って一つおきでした。
岸辺の亀とクラゲ-jellyfish-

岸辺の亀とクラゲ-jellyfish-

ウォーキング・スタッフ

シアター711(東京都)

2021/03/06 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2021/03/08 (月) 14:00

座席1階

2011年に初演の舞台だという。震災があった年だ。今年で10年目の再演。
中学校の女性教師のアパートの部屋が舞台。最初に出てくるのはこの女性教師と付き合っている彼氏で、洗濯物の女性下着を取り込んで、丁寧にたたんでいるという非常にシュールな場面から始まる。
最初に訪れる珍客は上階の部屋に住んでいるらしき中年男だ。泥酔して部屋を間違えるという設定だが、ここから果てしなく間違いが連続して起きていく。
その各々の間違いが微妙な糸でつながっていて、結局この部屋を訪れる人たちは、一見主人公と何の関係もない人たちであったはずなのに、結局何らかのかかわりが持たざるを得ないところまで追い込まれていく。何というか、これがまた微妙な「破局」につながっていく。
2時間余りの舞台だが、この舞台設定と物語を織りなす縦横の糸が非常にうまくできていて、目を離すことができない。要するに、この演劇は面白いのだ。
その面白さは、人間が誰しも持っている、他人のふるまいや出来事を「他人事」として話のネタにして楽しむような感覚だ。「眼鏡を掛けた地味なおばさんが万引きをしたところで目が合った。見つめられて気持ち悪かった」。いかにも、他愛のないエピソードなのだが、笑っているうちにこのエピソードに深くつながる災難に巻き込まれていく。都会の「他人事」の人間関係をシニカルに描いているのだが、実はドロドロの関係であったりする。

いろいろ書きたいが、書くものすべてtがネタバレになってしまうからこの辺で。残りは劇場で確かめよう。チケット代の2倍は楽しめます。

この舞台の教訓。アパートのドアを開けたら、ちゃんとカギをかけること。鍵さえかけていたらなあ(笑)

ネタバレBOX

舞台の途中で換気タイムがある。「トイレ休憩ではありません」と念押しされ、5分くらいの時間を過ごす。緊急事態宣言下、シモキタの小劇場で行う公演のお約束のようなものか。

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