渡りきらぬ橋
温泉ドラゴン
座・高円寺1(東京都)
2019/06/21 (金) ~ 2019/06/30 (日)公演終了
満足度★★★★
役者もやるが演出力あって演出に専念?と思えば、脚本も物し、脚色ばかりか完全オリジナルまで書く。演出・執筆とも劇団外からのオファー多数である・・。一定の才能は認められるが「これ!」という突出した舞台を観た記憶が私にはなく(「birth」凱旋公演も然り)、「きっとこの人は人脈作りに長けた人なんだろう。」というのが、いつの間にか出来上がったシライケイタ観であった。
で、今回・・この印象に大きな変更を迫られなかったが、なかなか面白い芝居だった。
オール男性キャストという特徴は、私には良い印象を残した。公演は趣向と合わせて記憶され、今後「性別と配役」問題を論じる際の貴重な参照事項を作ったと思う。つまりこのチャレンジは一応の成功を遂げた。
「蛇姫様~我が心の奈蛇~」
新宿梁山泊
新宿花園神社 特設テント(東京都)
2019/06/15 (土) ~ 2019/06/24 (月)公演終了
満足度★★★★★
夏の梁山泊 on 花園神社境内を今年も観劇。桟敷での観劇は苦行だったが甲斐有り。
雨を堪えた日の夕刻、外気は幾ぶん涼しいがテントの中はじんわり暑い。前方席につき、透明ビニルシートの具合を確認。頻回の水攻撃は防いだが、終盤血のついたナイフからの飛沫を被弾。
そのくだりを思い出すと、主役(男)が他人の台詞の合間を盗んで、左手からナイフを持つ右手へ何かが移るのを見て、オ、血ノリだな、と思い手元を凝視する。と、ヒロインが帰化書類の捺印に必要な印肉を提供するため、左手にナイフをあてがい、血糊を手元で絞ればナイフの刃に沿って皮膚上を流れるという按配であった。
そんな風にドラマ外のあれこれに注意を向けながら同時進行でドラマを味わうという脳内操作がほぼ全般に亘る。自分は何を見ているのか・・・問う前に躍動する自分を感じる。
難儀な物語説明は省き、幾つかのキーワードを。
・箱師(この界隈では掏りの事)
・主役(男)は山手線でスリを重ねた過去があり、名を山手線と言う。
・床屋
・エンバーマー、エンバーミング(遺体衛生保全)。ヒロインが日本で生きるために取った資格。最後に「帰化」を要求される。
・右の二の腕の痣=蛇のうろこ(ヒロインの幼少時の秘密。“山手線”に自分が蛇姫である由来を語り、「姫」と呼ばせる)
・小倉、キャンプ城野(ここで起った黒人米兵脱走事件もモチーフの一つ?)
・小倉砂津港を出た船(母が乗った船。遺体を故郷朝鮮へ運ぶ目的だったが、母は何人もの死体に犯されたという。ヒロインはその娘。)
・母の手帳(山手線から掏られたそれを取り戻し、母と自分の過去を探る旅をしている)
・スプーン(手帳に挟まってあったもの。癲癇持ちのヒロインが発作時に加える)
・バテレンさん(幼いヒロインを知る神父、やがて信仰を捨てる)
「姫」を演じる水嶋カンナが亡き母の過去、即ち己の出自を探りながらもその危うさに恐れおののく可憐な姿は、年齢がそう見せるのか知らないが役者の奥行きを感じさせ、殆ど幻影に等しい物語世界を観客の前に肉感的に立ち上がらせた。
ラストの屋台崩しは、お馴染みの男女コンビの片割れ、申大樹が降り注ぐ水の中へ立ち向かっていく姿、その先には長い胴をくねらせ天上へ昇る大鶴義丹演じる狂える蛇の化身。蛇の夢は縁起が良いとか。
危うい滑舌もキャラとなりつつある年々テント舞台にこなれて行くかの大鶴氏、ギター芝居も達者な(名前失念)、あられもなく肌を見せるも得体の知れない役柄に収める傳田圭奈(新人として紹介されたのは十年前だったか)、その犯罪姉妹の姉の方を演じた佐藤梟(捨てるものなどないかの如き)、梁山泊と歩いて幾年月、三浦伸子、といった面々に思わず声援であった。
ビューティフルワールド
モダンスイマーズ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2019/06/07 (金) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
モダン流人間讃歌。これを観に当日券客が数十名、通路段に案内するため開演5分押させて下さい、との制作からの挨拶。そう言えば千秋楽であったと気づいて。
散々な話であり、「20周年」な要素も特に見られぬが、楽日の終演は温かい拍手に包まれた。
「まつり」的要素はドラマの中に。・・「それ」を選択可能な環境で引き籠りから人を解き放つものは何か、に答えたドラマ。散々な痴態を露見した銚子のある家族と界隈の人々の、こんな顛末は現実には無い訳で(基本はリアルベースの芝居だが確率的には低い訳で)。ラスト近くの主人公の変化からの締めくくり方は一つのファンタジーであり、アニバーサリーに相応しい幕引きに納得しながらその余韻に浸ったような事で。
すべては原子で満満ちている
小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/06/14 (金) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★
昨年知って以来ニアミス続きのユニットと漸く相見えた。
いきなりだが、何か考えられているらしいのだが伝わって来ない理由を考えた。既成の物語の舞踊表現であればこんな感じにもなったろう形態に、オリジナルゆえにテキスト部分も加えられたというような出し物だ。まずもって客席が四面(通常の客席側のみ二列、他は一列)となっている。ところが幾何学的デザインのオブジェが4つ置かれている内の一つが柱の形状で手前にあると、まことに見づらい(私の座った席が結果的にそうだった)。柱の向こう側のエリアだけで一番手が踊る場面があり、柱には隙間があいてて様子は見えるものの、形の美しさを見せる意味合いではないにせよ、顔は見えないし不自由感この上ない。
その部分だけならスルーしてもいい。ただ、全体に動きと台詞の呟きの組み合わせられた抽象的な「形」を伝える表現において、見る場所によって図が異なる形態をとった理由が判らない。
演技が通常客席側を意識した形に見える箇所もあったが、恐らくそれが正しい。だが敢えて四面客席にした。その理由は・・開始数分後と、終演数分前のちょっとした演出にあると推察される。いやそれだけじゃないよと反論されそうだが私にはそう思えた。反則ギリギリを攻める的なその演出も「本体」あってのモノダネ、あれを仕組むための四面客席なら本末転倒。ああいう事でもやらなきゃ今の演劇は枯れコンもいいとこだ、との謂いなのだろうか。発される言葉には時折鋭い響きを認めたが、こう抽象に紛れさせては力の持ち腐れ、糠床に眠らせた拳銃を想像する。
私の角度からは、という限定付ではあるが、よく言えば隠し事の多い表現、悪く言えばワークショップでたまたま出来上がったのをさも価値あるもののように体裁を整えた表現、との印象だ。残念な初見であった。
THE NUMBER
演劇企画集団THE・ガジラ
ワーサルシアター(東京都)
2019/06/18 (火) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
THE・ガジラの「年間ワークショップ発表」が今年は「GAZIRA S.A.T」(=サテライト)と呼称が固有名詞になり、あな嬉しやいずれ「劇団」化も視野に?と想像を膨らませたが、説明のくだりには「鐘下による実験的公演」とだけ。「発表」というレベルでないな、とは前から感じてはいたが、見合う名称をという事か?
それよりも、鐘下流の「かなぐり捨てる」演技領域にまで身体を追い込む劇が、「劇団でもないのに」やれてる事に着目すべきかも?遠未来SFの独特な世界をワーサルに作りこんだ装置、照明、演出趣向もさりながら、俳優の貢献の比重は非常に高いと感じた。作品もユニーク。
2.8次元
ラッパ屋
紀伊國屋ホール(東京都)
2019/06/09 (日) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
面白い(知的)、楽しい(うきうきアドレナリン)、どこか懐かしい(バックステージネタ)、切ない(演劇界のある断面)、、、日本演劇史、殊に「新劇」をめぐっての言い尽くされたような「あるある」が、かくも新鮮に耳に響くのも2.5次元という当て馬の効果で、これは着想の勝利である。
冒頭に稽古場を訪れる高齢の「見学者」(劇団女優が勤めるスナックで知り合った)が劇団のすったもんだの風景を眺める観客に重なる第三者となり、かつ経緯から出演する羽目になる巻き込まれ展開、そして苦労の果てに成功裏に終えた公演後、夕日の射す稽古場の二階の開け放たれた窓の外を眺めながらの彼と女優との会話・・「座長にここで待てと言われて」「あ、きっとギャラを渡すつもりね」「ええ?そんな」「いや公演が成功したのもあなたのお陰。ただもう少し稽古すれば、もっと良くなる。続ければいいじゃない」と、夢でしかなかった舞台出演にかけ稽古に燃えた彼は、ふと沈思し「いや、それはやめときます。それを人生にする事は自分にはできない」・・この固辞する台詞に信憑性を感じられるか否かが、実は非常に重要なポイントで、これはくたびれた、と言えば失礼になるが新劇団の団員らが「劇団」を浮かれた気分でやっていない、やれない事情をそれぞれリアルに体現していた下地あっての信憑性でもある。大概「これきりでやめとく」なんて台詞は、本人がその瞬間どうあろうと舞台に棲む魔物の前では無力で無意味で信憑性がないと、演劇界の恐らく誰もが知るところだろうから、これを言わせても偽善的空気が流れないための芝居上の配慮が必要なのである。これをラッパ屋はさらりと言わせて、彼はそれでいいのだと観客にも納得させる要諦は、彼が精一杯これに打ち込み、舞台を謳歌し楽しんだことに尽きる。そして彼は自分の欲望の何であるかを知っており、自身と折り合いを付けて生きる事のできる強い人である。演劇を人生としてしまった人、とは他者の評価に餓え、欲しがってしまう人、であるかも知れない。それが許される特権を持つのが俳優である、とも言えるのかも知れない。
脇話が膨らんでしまった。
この定年退職組の見学者が、「ジャズが好きでね」と言うのが今回導入されたピアノ生演奏について「音楽面」で言及する唯一の台詞。そしてジャズ・テイストのBGMと、ホロリとさせるテーマソング、これを見事に歌うミュージカル女優の客演により音楽的に贅沢な出し物となった。これには文句が言えない。楽しい、面白い、ホロリ、楽しい。
『アニマの海』─石牟礼道子「苦海浄土」より─
劇団文化座
俳優座劇場(東京都)
2019/06/13 (木) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
文化座をたまに観るようになってまだ数年だが、金守珍、鵜山仁といった実力者を演出に招いた時は満を持しての新作である。今回挑んだ石牟礼道子の「苦海浄土」は劇団代表佐々木愛氏によればずっと高みにあった目標、でもやるなら今と思ったという。そして初の演出は栗山民也氏。
私が観た栗山演出舞台はこまつ座と新国立劇場公演を数える程度だが、サイズ大の舞台でインパクトある美術、視覚的な構図へのこだわり、粋な仕掛けといったイメージが占める。テント芝居や桟敷童子の<仕掛け>を知った目には、正直、費用対効果的にはイマイチな印象も(調べてみたら地人会新社「豚小屋」という小劇場での秀逸舞台もあった)。
だが、こたびの文化座公演、ハコとしてはやや小さい俳優座劇場の舞台にハッとするよな美しい絵が言葉以上の雄弁さで物語る瞬間があった。最初のそれは自然の雄大さ無慈悲さを示すモノトーンの息を飲む美しさ。最後のそれは、その自然の中に人が集まり寄せ合う心が織り成す光景の見事な構図(この絵を思い出すだけで泣けて来る)。
ある構図を成すことで何かを伝え得る事を思い知らせた本作は、演出家栗山民也の力を初めて実感させられた意味で突出した作品になった。
予言者たち
神保町花月
神保町花月(東京都)
2019/06/13 (木) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
神保町花月初訪問。ナカゴー組が吉本芸人(2人コンビ×2組4名の予定が1人事故により降板)と笑う舞台を作る。降板した1名の代打が東葛スポーツ・金山寿甲だったためか浅草九劇でのナカゴー「ていで」の光景が蘇り、また予言する女(高畑)も既視感あったが・・見て行くと過去作の要素を使い回しているものの大々的オリジナル作品であった。
85分。開演前の奇妙な場面紹介から、開演後一列に並んでの・・いや触れるのは控えるが、何しろケッサク。吉本芸人を知らない私には出来る役者としか彼らは映らなかったが、客は芸人の初動に笑いを返し、頗る反応がいい。笑い声が起きなくとも皆ニコニコ興味津々とばかりに目を輝かせている。良い劇場だな・・と、後で見れば役者の半数に当たる4名(予定では)が芸人、吉本プロデュースな訳である。ファンが観客と言って過言でなく、また芸人付きのファンとは限らず花月ファンというのも居そうである(終演後の声から推測)。そんな中ナカゴーテイストが芸人の芸達者の貢献もあってしっかり客席に受け止められたという感覚に、妙な温かさを覚える。
何なら家族ドラマ的展開では思わず泣ける場面にも見えた芸人のパワフル演技、金山の気持ちイイ江戸弁の亭主役も中々見せてくれ、ナカゴー看板女優連+川上友里の変わらぬポテンシャルも快感。
過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝
オフィスワンダーランド・(一社)演劇集団ワンダーランド
座・高円寺1(東京都)
2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
初見のワンダーランド・テイストをほぼ裏切らない二度目の観劇であった。明治以降の文化人を紹介する舞台がその仕事の全般と言って良い竹内一郎率いる「劇団」だが、演劇好きから見ると演劇という手段の勿体ない使い方をする集団である。言わば文章の立体化の域を出ない。もっとも文は演劇のドラマ性を導く重要な一方の車輪ではある。ただ竹内氏の文体が文学的でなく子供向け伝記シリーズのようで、よく言えば人間の内面にまで主観を踏み入れない叙述だからそうなるのかも知れない。それでも前作に比べ宮武外骨という傑物が題材だけにそれを味わう楽しみはある。前作への大いなる不満は人物紹介の素材である情報が薄く、風刺画の北澤楽天と岡本一平の漫画漫文の紹介があり、両者に対立や盛衰の図を当てはめる世間に対し、否前者から後者が生まれたのだ、それにホラ(ここはフィクション)ある公園で(確か楽天が生んだ漫画キャラの)片足の悪い少女を介して二人は出会っていた・・これで説明しきれる程度の内容で、似通った説明の繰り返しは少々きつかったがこれは題材の問題だったとは今作との比較で言える。が、その宮武外骨も、私の望むような演劇的高まりは見せない。あくまで文章で引っ張っていく、それを役者が立体化して判りやすく見せている。
前作のフィクション部分は漫画キャラの登場だったが、今作は宮武本人が現代のある風俗雑誌の編集室に突然現れる。というのもカメラマンが風俗店でたまたま撮った写真に政治家の裏取引の現場が写り込んでおり、これを公表するか否かで紛糾していたからで。現在の安倍政権による報道圧力を揶揄しているが設定自体には現実味はない。この設定にどういうこだわりを見せるかが、分れ目だろうか。
俳優は口跡よく噛まないし(噛みそうな人が約一名いたがノリで乗り切っていた)動きも明瞭、座高円寺の広さも気にならず、抜き板を組み合わせた抽象美術(松野潤)は風格があり、音楽も的確で分かりやすい。だがこの勿体なさは何だろう。
カケコミウッタエ
日本のラジオ
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2019/05/25 (土) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
日本のラジオ観劇も何気に回を重ねる中、間口の広いステージで観る新鮮さがあった。そして舞台のユニークな使われ方も印象的ではあったが、印象としての最大は屋代氏による翻案、原作『駈込み訴え』との絶妙な距離のとり方だろうか。文句を先に言えば、名瀬役の俳優の台詞が早口と標準語でない抑揚で聞き取れず、指定を誤っている(狭い劇場なら反響なく耳に届くだろう速度だったが)。そのせいばかりでないにせよ度々睡魔に襲われた、その上での以下感想。
原作の一人称の語り手(ユダ)に重なる粕井(フジタタイセイ)と、イエスに重なる名瀬(宝保里実)の構図の捉え方が面白い。特にイエス側からの(時間を超越して未来から語るような)応答が、ユダの屈折した感情が一方的に生れたのでなく関係の相互作用があった、という視点を示すところ(もちろんフィクションではあるが)。
「健康道場」なる宗教チックなサークルのような団体を設定し、そのメンバー数名(ひやかし会員含む)や共通の知人(独特なキャラを持つ兄弟)が交わす会話によって、健康道場やメンバーについての情報、またそれを通して人間の依存性や、宗教的側面や抗えない心情などメインテーマにどこか繋がるような視点を掘り起こす。そしてそこここにキリスト教のモチーフが鏤められている。
ちなみに健康道場は自然(の意思)という意味に近い「おひかりさま」なる存在をキーワードに、メンバーが話をしてそれを皆が聴くという儀式のようなピアカウンセリングのような時間を共有する、言わばサークル(信者を狭い教義に閉じ込めて搾取し団体勢力拡大を目指す新興宗教とは一線を画しあくまで「よい生き方」を目指す単純で純粋な団体という設定になっている)。
イエスに重なる名瀬は団体のリーダーでも多大な支持を集める存在でもないが、ユダである粕井は名瀬の天真爛漫さ、自由さを心中嫉妬を伴う感情で見ている。形象的には名瀬はアスペルガーや精神障害を想像させ、一見突飛だが何処か芯を穿った言動を行なう「天才肌」(見方によれば役立たずと一蹴されかねない)。その名瀬に作者は、健康道場での「話」はそれらしくアレンジした創作で、毎回メンバーを納得させる話を捻り出そうと努力した、との台詞を言わせる。だが頷くメンバーの中で粕井だけは違う反応をするのを「気にしていた」、とも語らせる。さらに名瀬は、自然を志向する健康道場で重んじられ発揮されるメンバーらの素直さを、粕井は「憎んでいるようだった」と言い、ユダなる粕井の人物像を捉えていた事を仄めかす。
終わってみれば、宗教や聖書や運動を揶揄するスパイスを時折まぶしつつ、自由な名瀬と些事に捕われる凡人粕井の構図をあぶり出し、互いに認識しあっていたというドラマ性によって溜飲を下げる中々上出来な作品に思えた。が、記憶は歯抜け状態。買って来た台本を読み直してみる事にする。
もーいいかい、まーだだよ
山の羊舍
小劇場B1(東京都)
2019/05/29 (水) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
かの別役実フェスでは、同劇団による同会場での「うしろの正面だあれ」が秀逸だった。「別役は面白い!」との発見をさせてもらった一つだったが、今回は当日の体調と、案内係の勧めに(心中抗いつつも)素直に従って後方席に座った事も手伝って睡魔に襲われ通しになった。
別役作品に特徴的な「丁寧語」でのやり取りには、可笑しみを狙った場合もあるが、何かを秘め隠す効果もある。この作品では最後に忌まわしい事実が暴露される、というオチがある。ただ私としては別役作品の世界は戯曲が「劇的」のために用意したオチに収斂していく構造ではなく、(最も難易度が高いが)その場その瞬間のリアルさ、空気・ニュアンスが立ち上る事が理想だ。それには余程役の人物の言動を「飲み込んで」おかなくてはならないが。
森山開次『NINJA』
森山開次
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/05/31 (金) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
第一弾「サーカス」は(昨年の再演も)惜しくも見逃したが、これに劣らず香しいチラシに手招きされ、第二弾を観劇。
日曜の正午、沢山の親子連れ。第一弾の美術・衣裳ひびのこづえは消え、今回は衣裳のみ。白木色の床(地色が見える瞬間は一度ある)に見事な映写術で映像が映し出され、ダイナミックな場面転換を照明共々映像がこなしてしまう。ダンス公演ではあるが「忍者」と題しただけあってストーリー性のある場面や、予測を裏切る多様な場面が展開(転回)し、休憩を挟んだ後半は舞踊の比重が大きいものの、目を奪われる「忍者」スペクタクルを花開かせていた。(子供がぐずる瞬間はほぼ無かったと思われる。)
獣の柱
イキウメ
シアタートラム(東京都)
2019/05/14 (火) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
不全感を残したにも関わらず☆5を打ちたくなる・・そのexcuseは一先ず省略。
本作初演は観ていた。またその元ネタを含む4短編から成る「図書館的人生」も10年近く前、放映されたNHKシアターコレクションで見た。これが私のイキウメ事始で、番組では他に昴「親の顔が見たい」、ミクニヤナイハラ、モダンスイマーズ舞台を紹介、劇団渉猟を始めた身にとってはNHK様様であったが、、僅か10年の間に日本最大のマスメディアがここまでの凋落ぶりを見せるとは思いも寄らなかった、当時が懐かしい。
は、ともかく・・星新一ではないがSFや超常現象モノの面白さは短編が最も適しており、アブダクション(宇宙人との接触)の可能性を示唆する現象に躍動する超常現象マニア2人+片方の妹の顛末を長編化した「獣の柱」初演は、気宇壮大な物語もいささか説明が勝って感覚面が追いつかず、悪い方の予想が当った格好であった。不出来に思えた作品、しかも再演は普段避けるところ、改良版「獣の柱」を見込んで予約した。冒頭浜田氏が客席に投げかける言葉そのままに、「言葉」を獲得する以前の感覚を探り、言葉での説明を先行させない事だけに注力したかのような、空気感を重視した舞台作りが今回の特徴であった。その意味で初演の影は跡形もない。この濃密な空気感は、巨大な廃墟のような具象と褐色系の照明、チェロ主体の旋律、「現象」を示す音響、そして俳優の絶妙な演技が作っているが、架空の世界に体ごと入り込んだ錯覚に観客をいざなう技が、星の理由。
久々のトラムだったが左右の壁に当日券客が立ち、「判らない」ながら好感触を残して帰路につく客を多く見受けたように思う。
らぶゆ
KAKUTA
本多劇場(東京都)
2019/06/02 (日) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
多数の客演でまとめ切った舞台・・と思いきや、殆どがKAKUTAメンバーだったのには驚いた。多田女史はなるほどだが、森崎氏までが。。他の初顔も実力派で、このたびの著名俳優四名をまじえての本多劇場舞台は、この分母あって「実」を伴うものになった、と思えた。何より嬉しいのは秀作『荒れ野』からポテンシャルを落とさず力作を生み出した作家桑原女史の仕事。彼女自身が出演する芝居ではしばしば、自力で芝居を回して閉じ繰りをつけようとする所が見られるが、今回は(タイトルに重なる台詞は背負わせていたが)自身の役どころを生き生きと楽しんでいた。冒頭からテーマ性の面ではトップギアで発進という感じ(映画「オーバーフェンス」を髣髴)、二場面(時空)並行で進むドラマが収束を見る事なく一幕を終えると1時間半、後半1時間で休憩含め3時間弱、それでも芝居にもっと浸っていたい思いが勝った。様々なテーマ満載だが盛り過ぎと感じさせずそれぞれの問題が絡まりながら、「彼ら」にとっての出所後ルネサンスの時代が、「本当にあったのか判らない・・いつか忘れてしまうんだろう」と終幕ある人物が冷たく振り返る日々が刻まれる。繋がりが紡がれていく順風な経過は、それ自体夢のようで、それ故忘れて行く劇中人物とは正反対に観客は、「架空の話」なのに「あった」ように脳裏に残っていく。
ボッコちゃん ~ 星新一 ショートショートセレクション ~
東京芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2019/05/30 (木) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
後でパンフを見て、ナショナルシアターという歴史ある劇団が韓国にあると知って小さなショックを受けた。韓流が近年の文化政策の成果だとよく言われたが、こと演劇に関しては1950年(朝鮮戦争の年!)に国営の劇団が設立された小さな事実は日本との大きな差を思わされる。日本で数少ない公立劇団は1976~兵庫のピッコロシアター、1997年~静岡のSPACとまだ歴史は浅い。
さて星新一である。ショートショート数編を順次上演して1時間半。スタイルは原作に適っていた。基本は小説の地文が語られ、会話が織り込まれる形で、地文と会話の比率も作品により様々。最初の「ボッコちゃん」は新しく作ったロボットの話で、説明の合い間にボッコちゃんの短い会話が時々挟まれる。観客は星新一のテキストにまんまと乗せられ、次はどんな会話が・・と前のめりに。上演スタイルの説明としても最適な滑り出しだ。天井を低く見せ、エピソードの変り目でシルエットを作るホリゾントや装置、その他照明や演出上の技術に加え、何より力量ある役者で舞台上が劇空間として十分豊かに満たされるので、小説のエッセンスを壊さないナレーション形式がむしろ適している事を実感する。
演出家はパンフに「星新一の作品はコメディ、寓話、悲劇の三つのカテゴリーに分けられると気づいた」と書いていた。原作は非常に簡略にストーリーを書き綴っているため、私がそうだったが悲劇的でもシニカル、コメディでも皮肉の視点がノイズのように混じり、寓話の教訓など本心ではあるまい、と処理したものだが、数年前に星新一作品を読んで魅了された(その後ほぼ全作品を読んだ)というこの演出家はストレートにこれらを舞台上に表現していた(まあ演劇にするとなればストレートであらざるを得んかも知れないが)。その姿勢が作品昇華されるのは終りに近い作品で、言葉が心奥深くに届いて来た。
字幕上演だと知って構えたが、比較的前方端席では字幕だけ追って舞台がおろそかになるのでは、との心配は杞憂であった。台詞の無い時間(ノンバーバル表現)も十分あり、全体として出し物の完成度を達成している。
「ボードゲームと種の起源・拡張版」
The end of company ジエン社
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/05/29 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
3331での試作版?に出演した役者(沈)を、ちょうど前日観た芝居で見て、一癖二癖あるあの役を誰がどうやるんだろう、なんて事をふと思ったが、拡張版は全く別の話であった(重なる役、エピソードは当然あるが)。拡張版よりは「完全版」、の語を当てたくなった。
登場人物も増え、「群像」が立ち上がった。ゲームが盛り上がりつい喜声を発する場面がある。それとは対照的な静かな場面が殆どだが。俳優に当て書きしたような風貌に応じたリアルなキャラが、説明の少ない台詞の背後を観客に読ませる。
試作版と「別物」と思わせた最大の特徴の一つは、ドラマ中のゲームの意味合いが増し、またゲームはルールが確立して(開演前から5人が楽しんでいる)本気でやっているのが分かる事。急迫の事態から逃れてきた者が「こんな時に」「だからこそ」との枕詞で語るゲームとは決して「価値ある重要なこと」の対極ではない・・人物らを少しばかり輝かせるラストの風景はその主張を実証するように形象され、一つの現代解釈を提示していた。
舞台はアゴラを横に使い、A3程だろうか白い板が折り重なるように壁一面に貼り付き、下手に高い段を作っている。出入りは従って正面奥(奥行きを感じさせる狭い隙間=エレベに通ず)、上手壁のドア、そして客席下手死角にある奈落の三つ。正面に当るバルコニーも効果的に使える。これは自由度が高く大変うまくした使い方だった。
骨ノ憂鬱
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/05/21 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
一面の草木、池、正面に木造家屋といういつもながらの山村あたりの舞台設定だが、飾り込んだ美術の前面や植物の所々に半透明ビニールが張ってある。今思えばビニルハウスの象徴だろうか。台詞の乗りもスタンダードな桟敷童子だが一点、ドラマ構造が違う。現代の男女二人(稲葉能敬、大手忍)の既に現実でない対話の中に回想として挟まれる男の幼少時代の出来事が大部分を占める。現代での出来事のあたかも手がかりとして展開するひたすら懐かしい過去の描写が、次第に胸を満たして行き、最後に現代へと引き戻された時、謎解かれる事のない不条理の現実が突きつけられる訳なのだが。
数年前劇団の転機とも思わせた『体夢』とも何処か通じる(風景はいつも通りなのに)シュールさがしっかりと桟敷童子の手の内にあるのを不思議な気分で眺めた。
音楽劇『11人いる!』
Studio Life(スタジオライフ)
あうるすぽっと(東京都)
2019/05/18 (土) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
独自な劇団Studio Lifeをこのたびタイトル&原作者に惹かれて初観劇。ホスト系な男優を揃え、売り出さんが為の劇団(会社)と思っていたが主宰の倉田淳は(文字だけ見て勝手に男を想像していたが)実は女性で一人社長、舞台ありきの集団と納得。もっとも劇団の歴史は長く、団員は一定年齢層(恐らく20~30代)に集中しているから何らかのシステムがあるのだろう。
さて舞台の方は開演後暫く、正直「男優アピール芝居」との先入観で珍物を愛でる心持で眺めていたが、違和感を味わっている内に心地よくなり、俳優らは大真面目にストーリーを紡いでいる。自然物語へ注意が向かう。頑張りの賜物で話の面白さに引き込まれていった(原作を知らない事もあって展開が気になる訳でもあるが)。
宇宙のファンタジーは受験競争という現代的要素と、チームプレーに伴う諸困難、そして名誉ある撤退を選ぶ勇気、ジェンダーの揺さぶり等ふんだんな娯楽要素を含んで織り成され、伏線(最大のそれは11人いる事)が回収された大団円とストーリー的には言う事なし。
Taking Sides~それぞれの旋律~
加藤健一事務所
本多劇場(東京都)
2019/05/15 (水) ~ 2019/05/29 (水)公演終了
満足度★★★★
2度目となる加藤健一事務所。風姿花伝で今年観たパラドックス定数蔵出しシリーズ最終公演がやはりフルトヴェングラーを題材にした主宰若き頃の本で、指揮者+楽団サイドの目線でナチとの攻防を描いた作品だった。一方「Taking Sides」は、戦犯裁判の前段、この指揮者のナチスへの協力という疑惑を追及する取調べの過程を取調官目線で描く。
国内外の名作を長年にわたって紹介し続ける加藤健一事務所の味はよくも悪くも座長・加藤健一の存在感で芝居をまとめてしまう所だろうか。演じる取調官は戯曲としてはもっと違ったキャラを想定しているように感じたが、これはこれで成立しているようにも見え、「加藤健一一座」という一つのシステムが既に確立しているのか知らん、とも思う。みれば鵜山仁演出。またも「演技は役者任せ」説を実証したような。
1001
少年王者舘
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/05/14 (火) ~ 2019/05/26 (日)公演終了
満足度★★★★
広い新国立での少年王者舘。ペーターゲスナー氏が評したアングラ精神の現代の正統な継承者(系譜は違えども)がこの小屋を自ら選ぶ事はないだろう。一年前速報を見て驚いたと同時に不安も実はかすめたが、果たして、クオリティ落ちのない舞台成果であった。天野天街的演劇はどれを取ってもリズムや世界観が同じで、思うに天野天街の芸術、というものが内部で進化しており、その進化過程を眺めるという事になっているのだろうと思う。従って変わらない部分は何も変わらず、しかしその中で奇想天外な発想が新たに加わる事で更新されている。「1001」は私の知る少年王者舘の集大成であり、部分的には腰を抜かし、腹筋を揺らした。幸福な時間を過ごせた。
新国立劇場で予め席を予約して観劇したのは初めて。初めてと言えば今回は新国立によるプロデュース公演でなく少年王者舘公演であり、(恐らく天野氏が出した条件だと思われるが)異例の事だ。