tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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平成を跳んだ男

平成を跳んだ男

劇団世人

WAKABACHO WHARF 若葉町ウォーフ(神奈川県)

2025/05/22 (木) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

若葉町WHARFの一文化発信拠点たろうとする志に地縁者として共鳴する者だが、今公演もよく見ると(純粋貸し館公演でなく)劇場も絡んだ公演のようである。監修として館長佐藤信の名があるが、どの程度舞台の中身にタッチしたのか、と言うのはある部分で佐藤氏作演の近作(黒テント)を彷彿する「唐突さ」を発揮していたので。
(私の印象では1970年代アングラ演劇の一翼を担ったと言われる佐藤信の本質は舞台詩人(「詩人」の要素が強い)であり詩の自由さをそのまま舞台に投げ込むので、私の思う劇作家・演出家=舞台設計者という認識と違う。瓢箪から駒が出る事もあったろうがそう毎回は出ないんでは..と冷淡なようだが思ってしまう所がある。しかも意図的にどこかを壊しに掛からずに居れない性格?との疑惑も持っている。創作は自由であるべき!だけれども。)
閑話休題。映像をまじえた舞台構成は良かった。実際こんな事忘れていたな、という社会事象が男の語る過去の背景として紹介され、新鮮である。
が、テキストの部分で伏線不足の跳躍がラストにあり、些か置いてけぼり感は否めない。そこへ至る過去語りの時間は頗る面白かっただけに惜しいとの感想が残った。
「跳ぶ」ための力が、今この時点の「彼」に充填されていたのか、それはどこからもらったのかが不明で、もっと言えば彼は自死を選んだのか(事故に等しかったとしても深層ではその念慮があったのでは、とも)、走馬燈に見る自身の半生がどのように跳躍される事を我々は望む(事を促されている)のか、跳躍せずここに留まる事だ、と台詞を変えても成り立つ抽象性が、行き場なく漂った。タイトルありきで縛りを解かなかった?と想像したり。私としてはまた磨きを掛けての再演を是非観たい。

ネタバレBOX

会場には氏の所属劇団のボスの姿もあったが、時々稽古場で演出としてNOTEをメモしたくなる衝動を覚えるらしく、突然ガサガサと物音がしてたのには些か参った。(氏の舞台には敬意を寄せているけれども..)
銘々のテーブル

銘々のテーブル

制作集団・真夏座

シアターX(東京都)

2025/05/22 (木) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

以前耳にして刻まれていた脚本家の名(作品は不知)に惹かれ、前世紀前半に書かれた作品を吟味しに出掛けた。矢内文章が演出というのも後押し。
真夏座の事は知らねど、縁ある俳優何名かが立ち上げたプロデュースユニットか。新劇や小劇場の人脈から組まれた座組も中々で、作品の普遍的な魅力を発見する喜びに浸れた。
本編は二部構成。タイトルも窓際のテーブル、四番目のテーブルとあり、場面変わらずそれぞれ別個のエピソードとなっている。長期滞在用ホテルの食堂に、各自決まったテーブルにやって来て食事やお茶をする。各エピソードの主要人物以外は両方に登場する常連たち。支配人とメイド二人も共通。一幕の時点では結婚前のカップルだった二人が、二幕では赤ん坊を抱えた夫婦になっていたりする。一幕は紆余曲折を経た男女の愛の再生の物語、二幕は虚飾が剥がれた自称「元少佐」の人生の再生の物語。それぞれに味わいがあり、かつこの二つで一つの作品となっている事で「二度美味しい」だけでなく人間観察が深められて行く所があって、不思議な作品であった。

ネタバレBOX

二幕のその「元少佐」(ポロック)は、数日前街の映画館で起こしたスキャンダルで逮捕され一晩勾留されたのだったが、それが部数の少ない地方紙に載っていないかを気にしている様子。彼は映画館で隣の席の女性に肘を押し付け、訴えられたが、その映画の上映中彼は5回も席を変わり、いずれもご婦人の隣りだった、との証言もあった。何と(少佐でなく)中尉で除隊、との軍歴も。
このホテルはその性質上、一定の資産を有する高齢の者が終の住処としている風であるが、必ずしも客皆が富裕層とも見えず、英国の宿泊施設事情を調べたら何か判るかも知れぬ。一幕と二幕双方に登場する人物は引退組が三名、例外として若夫婦がいる。そして二幕には主のような風格の女性レイトンベルに娘シビル(三十超え、この時代ではオールドミスの範疇?)が同居人として加わり、病気で仕事を続けられず引っ込み思案な彼女は「元少佐」ポロックを慕い、毎食後に散歩に誘っている。
住人らは互いに深く干渉しないながらも良好な関係を成し、互いの特徴を知っているが、ポロックに関してはまだ正体を定めかね、「元少佐にしてはあんな事もこんな事も知らず」、何かと虚勢を張っているようだと男らも面白おかしく噂するが、当人はスキャンダルの露呈以上に、将校の呼称に値する「少佐」の階級が虚偽であった事の露見を恐れているらしい。
だが彼が隠そうとした記事は結局このマイナーな地方紙まで目を通しているレイトンベル夫人に読まれてしまい、彼が散歩から戻って来た時には既に皆が記事のことを知っていると、シビルから知らされる。
その前段では、レイトンベル夫人の「世間の代表」のような剣幕により、ポロックをホテルから締め出す事に皆が同意させられる。ただしそこに至る前、理性と論理によりそれは正しくないと説く若夫婦の夫ストラットン(妻ジーンは逆の立場)、教師時代に一人の学生を退学処分にした唯一回の経験を語りつつ、その後悔でなく処分の正しさをつい口にしてしまう男ファウラー、レイトンベルと付き合いの長い女性マシスンにも渋々ながらの同意の様子が見える。
貴婦人レイトンベルが一人悪役を担い、これがよく効いていた。彼女は自分の「力」もさりながら世間の評判や倫理観、法意識を味方に付け、彼を追い込もうと(正当な処分を下そうと?)する。これにより、小市民の彼らが小さいながらの抵抗を為す小気味良さが際立つ。
そしてこの作品の珠玉たる所以は、慕っていた相手の真実を見て絶望を抱いたシビルと、ポロックの会話の中でポロックに自分自身の弱さと向き合せ、同じ人間としての共感をシビルが手にするまでの変化を描いた事。彼は昔から心が弱く、人が怖かった、特に女性が怖かった、と告白する。パニック症状の発作を起こすシビルは、彼が「私は、暗闇でしか、女性に・・」と言い掛けるや「やめて!」とパニック寸前の状態を見せ、言葉を遮るが、観客にはポロックのそれが人間的な「弱さ」である事が伝わっている。
この逸話が想起させるのは恐らく、聖書の有名な箇所、姦淫の罪を犯した女性が「律法」に則って石打ちの刑に処せられようとした所へ、イエスが「これまで一度も罪を犯した事が無い者だけが石を投げる資格がある」と迫り、一人残らず去って行ったという逸話。
時を戻して問題の日の夕刻、戻って来たポロックが絶望に暮れ、ホテルからの退去を決めようとした所へ、支配人が来て彼に言う。「滞在するかしないかはあなたがお決め下さい。滞在を続けるならホテルにはその用意がある。その事を伝えに来ました」。ロンドンへ向かうなら7時45分の汽車がある。ポロックはシビルの今後への懸念を漏らし、クーパーは彼がここに居続ける選択肢を口にするが、ポロックはあり得ないとして退ける。が、ふと、9時の汽車もありましたね、と聞く。「9時32分です」とクーパー。「やはり7:45に乗ろう。間に合う」と部屋へ去る。
この次のシーンである。ここは演出の創意だろう、雨音が響く中、時代物の傘を差す客とメイドらが背後に一列に並んで立ち、青く浮かび上がる。その手前の食堂の一角のテーブルに、支配人クーパー(女性である)がこめかみに手を当て肘をついて物思う姿がそこだけ暖色のスポットに浮かび上がる。劇的でぞくぞくする絵である。この芝居、一幕、二幕共ドラマの陰の立役者としてクーパーの存在があり、ドラマの観察者として最も観客に近く、このシーンが挟まれる事でしっかりと自分をこの誠実な観察者に投影する事ができるのである。一晩という時間が、何がしかの変化を起こすに足る時間である事の示唆も(特に、雨の夜は)。
さて、朝食前の準備作業に当たる二人のメイドがポロック用のテーブルを撤去し、他の面々が食事を始め、口少なながらいつもの会話に勤しんでいると、ポロックが現れる。場がしんとなる。メイドが平謝り、注文を聞き直し、罪の無いあっけらかんとした空気がメイドによって作られる。ポロックが席に着き、沈黙の中、堪えきれずに若夫婦の夫ストラットンがおはようございます!と声を掛け、二言三言会話を交わす。「そうですね」「ありがとう」とポロック。次いで我が道を行く(歴史上の人物と天に向かって会話をする日々のルーティンがある)自由人の女性ミーチャムが競馬予想の話を、続いてファウラーがクリケットの話を。。
そこへクーパーが現れ、ポロックにテーブルの不始末を詫びた後、皆に等しく挨拶の儀。ポロックは、虚勢の言語を封印し、ただ礼を失さない返答をする。様々な感情を過らせているに違いないがそれは名状しがたく、観客は彼に言葉を掛けようとする者の心情となっている。マシスンも声を掛けずにおれず、思わずデザートのチョイスのアドバイスをする。その都度レイトンベル夫人が咳払いと睨み付けを繰り返すが、ついに立ち上がって食堂を退去しようと娘に声を掛けた時、初めてシビルがそれを拒む。ここで食事を続けます。説得を諦めて去る夫人の背中で、シビルがポロックに声を掛ける。「今日は天気が良いようですから、良ければ食後にでも、ご一緒に」

この話の温かいラストを見ながら頭を過るのは、山岸某という心理学者の日本人の集団内行動の検証だ。
学校のクラス(組織にも置き換えられる)で間違った決定がなされようとしているとしたら、味方が何人いれば声を上げる勇気が持てるか、との設問に対する回答である。他国の例では一人ないし数人といった回答(平均)であったのが、日本人は半数といった数字になった。
自身の考え方や哲学に従って生きる事が許されない社会では、自立は望みようがなく、空気を読み取ってそれに従おうとするセンサーが発達し、正しいか正しくないかとは関係なく「少数が負ける」原理に従って多数派に付こうとする。(勿論自分の利害が絡めば少数か多数を超えて利益の最大化を図る行動を取るだろうが、自分の利益が絡まない場合は「多数に付いた方が安全」という利害に従うという訳である。)
和をもって尊しと為す、の真相は多数派に右に倣えをするので「異端が存在しない」「だから対立じたいがない」状態が作り出されるという仕組みにありそうだ。潜在的対立が存在しないのではなく、空気によって、あるいは時には実力行使(裏で手を回しての)で対立を顕在化させない力学が機能していると推察される。それは往々にして権力を持つ側が様々な手段で権力維持のために非権力側を制圧、コントロールする形で行われる。つまり決して自然現象ではなく、ある力が働き意図的に方向付けられるという事であり、バランスが崩れた時に力学が変質する事はあっても、また周到に調整され、復活する。

弱肉強食の社会になるのには民の賢さは必要ないが、弱者への配慮、共助共生の理念を尊ぶ社会を目指したいなら、民は賢くなり、権力の意図を見抜き、自らの価値観に従って行動する自立を勝ち取る事は要件になる。演劇が砦だと思える理由は、演劇においては真実性のないものは淘汰され、真実が感動のよすがであるから、とは私見だが、演劇をやる人がまともな人間に見えるという直感は外れではないと思っている。(うーまたグダ書きしてしまった)
チョコレイト

チョコレイト

キルハトッテ

小劇場 楽園(東京都)

2025/05/21 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

今年に入って「初」の団体を中々の頻度で観ている(特に名のみ知る劇団の初観劇は感慨深い)が、こちらは中でも未知数度の高い一つで、「端正な作りをしていそう」なサイトの印象だけを頼りに(不安の面持ちで)観劇せり。
思っていた以上に作劇の工夫と饒舌さがあり、「書く人」なのだな、との印象。

ネタバレBOX

挙式を控えたヒナが婚約相手から「俺の歯全部差し歯なの」とのカミングアウトと共に婚約(一旦)破棄を告げられる・・と説明にあるが、「体の良い断りを入れて来たクズ野郎」ではなく実際の芝居では彼はパニクっており、傍若無人の逆パターンでの「男の独りよがり」に翻弄される女=私の内省へと入って行く物語のようである。
本作は「相手不在」のカップルの行方が現実的に辿られるリアルではなく、彼氏側に絡むのは「差し歯の治療をする」と申し出て女性歯科医。彼が十年前(十代の思春期)にかかった歯科医であったがその時彼は大人の女性への無邪気な告白をし、表面上軽くいなした女医の方はその事が心にわだかまっており、ストーカーよろしく大人になった彼の前に現われた格好。一人妄想を膨らませていた彼女は終盤事情を悟った相手に拒絶され撃沈するのだが(先般観たA.R.P.のボンゴレ・・に似た展開)。一方主人公ヒナの元には、彼女たちが思春期にハマった長尺の恋愛コミック(アニメ?)の主人公の男女が、連載が終ったのを機に「その後」の恋愛関係を続けようとした男に対し女が「やっと解放されたから外の世界を見てみたい」と現実世界へ飛び込んで来る、それを追って男もやって来るという展開(男女逆だったか?ちょっと忘れた)。ヒナはコミック彼氏と偶然出会って暫く同道し、漫画を知らないヒナの婚約破棄男はコミック彼女と出会ったりと、荒唐無稽ぶりが許容された世界が構築され、それなりに成立するのを眺めていた。
ただ差し歯にこだわる男とは何の隠喩であったか、彼のナイーブな態度の根っこの問題は解消されたのかと言えば、作者なりの決着はあったのかも知れないが、霧散した印象。たとえ不条理でも何かの隠喩である事はむしろ色濃くあり得るのであり、ギャグを磨くか人間洞察を深めて作劇に反映させるか、進化を求めたい欲求を持った。固有の世界観により磨きをかけられたし。
マライア・マーティンの物語

マライア・マーティンの物語

On7

サンモールスタジオ(東京都)

2025/05/17 (土) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観られて良かった。女性の集団であるOn7が「ある女」の物語を演る、という時点でイメージの幅が狭まるのだが、「客演を招いてでも」やりたい演目かと普段以上の期待もあって急遽席を確保して出かけた。
つい先日「マグダレンの祈り」(2002)なる映画をたまたま観て、女性が「性」関係において不当に貶められてきた歴史の断面を見せつけられたのだったが、逞しく生きる女性らの姿を通してこれが描かれる。とは言え敗北と紙一重である。植民地の歴史を持つ日本での在日の境遇も、アメリカにおける黒人、また先住民、日本にもあるそれら被虐の者たちの「声にならない叫び」に共鳴する感性は、多分映画に育てられたのだろう。
本作もその系譜と言える作品だが、冒頭から見入らせる。

ソファー

ソファー

小松台東

ザ・スズナリ(東京都)

2025/05/10 (土) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

台詞の仕込みは最小限、見逃すと振りが後で効かない(何かあったかも、と余白は残すが)面があってその分だけ精緻な演技を求める脚本という事になるが、出演者が宮崎弁のエキスパートばかりでない事は(方言が芝居にとって利点になる面はそれとして)幾分たりともハンディとの事実は否めない。という要素は恐らくあったのだがその前に、体調によるうつらうつらが不可抗力に襲い、前半は言語理解が追いつかず。桑野登場の少し前あたりから漸くちゃんと見れた。
終盤の強く印象を残すくだりがそれ単体で美しく、そこへ至る前段の空白を脳内で再構成し、諒解させるものがあった。而して台本を入手して答え合わせ。あっと言う間に読了、感動を甦らせている。

ネタバレBOX

終始心許なく登場していた妻(江間直子)が、ラストに至る場面で初めて、明らかに少し違う雰囲気を発し、目が醒める。若い頃にあった一コマだろうか、夫(佐藤達)が妻のリクエストに応えて奮発した豪華なソブァ上で、昼日中二人がそれぞれ寝そべっている図。やがて夜の店に勤めるママが朝帰りしての睡眠の時間と分かる。夫(父)はいつもソファで寝て母の帰りを待っていたな...。その台詞との符合。やがて夫婦の会話、同窓会の案内が来ていたね、出るの?出ない、友達いなかったもんね、話すやつなどおらん、いつもポツンとしとった、そうやった、私付いて行ってやろうか?え?・・うそうそ。その後、久々に「あの気」がもたげた夫に、妻は一瞬怯むも、弱気に退いた夫へ、妻が寄って行く・・。
と、末っ子長女の「ただいま」の声。そこから二人は、含羞の夫がソファの端で見守る中、妻が一人また一人訪れる娘息子や姻戚らを招じ入れ、コーヒーを振る舞い幸せそうに大家族の主然として囲まれるように座り、賑やかしくお喋りをする風景を作り出す(親戚にこういうおばちゃんいたなー、と思い出す。訪れる者皆に居場所を与えてやるお節介だが人の心の分かるテンションの高いおばちゃん・・)。母の「コーヒーあんたもいらんね」に皆も素直で断らない。皆で同じコーヒーを手にしようとしたが最後に入って来た次男と長男の前にポットが空になり、「あらーなくなっちゃったー(笑)」。
それは幸せの図なのだが、皆それぞれの用であっと言う間に舞台をはける。ちょっとした「残念」が運命を岐つ事も・・といった事の象徴か。
様々に過去を思い巡らして反芻し、時には仮想図をも思い描きながら妻を待ち続けていただろう「弱かった父」も、やがて舞台上を去った後、娘に小さなスポットが当る。父に最も近く父のあっけない無念の死への疚しさを抱え、その父が生涯思いを託しただろうソファを手放し難く家族会議を召集した娘。薄明かりが消えて、芝居は終る。
蠱惑的に心を疼かせる場面を時々どうにも描写したくなる癖があるが、中々難しい。
観劇を薦めるしかないが、保証の限りではない。
六道追分(ろくどうおいわけ)~第二期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第二期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/04/30 (水) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

キャストを替えながら8月までやり抜く気合の企画。その企画の軸に申し分ない演目でもあろうと期待を抱きつつ、最近興味を寄せ始めていた一座を鑑賞した。
少し前置きすれば・・時代物、と言えば濃淡は異なれど(恐らく歌舞伎を源流とする)あるイデア的な型が比較的濃く流れており、啖呵と見栄と笑いを紡いで固有のリズムを醸すあのノリが、自己目的化せず手段に徹して用いられているかは、リアリズム寄りの自分が気にする所である。さて本作。見込み通り?的確な演技と動線、役者を魅せるべく仕上げられたタイトな舞台であった。
歌舞伎が扱う物語、そして歌舞伎という芸能自体が、身分制度の中でままならぬ人間の自由を謳う反骨にあると(類型的ではあるが)認識しているが、本作はモチーフ(義賊)からして反骨であり、今の世の為政者を刺す台詞も何気に散りばめられている。肯うを快しとしない滅びの美学が物語の定型として本作にもあるが、滅びを踏み越えて行く先へ視線が強く注がれ、十分納得の内に幕を閉じた。
負けを認めるようだが(なんて言い方しなくても良いのだが)、別の回も観たくなった。
(第二期「龍」組鑑賞)

花いちもんめ

花いちもんめ

川口圭子一人芝居

OFF・OFFシアター(東京都)

2025/05/08 (木) ~ 2025/05/12 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

下北沢の玄関口OFFOFFでこの趣の公演は珍しいのでは。予習無しで観劇したがこういう題材のこんな作品があったとは不勉強であった。見れば宮本研脚本、初演が1982年。そして結構な頻度でしかもプロアマ問わず地域を問わず演じられている・・。

題材はズバリ中国残留孤児。テレビがこの話題を伝えていたのを微かに覚えているが、第一次帰国が1981年即ち本作初演の前年、以後90年代まで続いた帰国事業。
戦後36年、今に置き換えると阪神大震災・オウム事件が30年前。当時は既に戦争は遠くなりにけり、経済成長を経てオイルショック、低成長安定期に入り、バブル前夜。既にYMOがデビュー、ジャパンアズナンバーワンと言われる海外進出が始まる頃か。中国は中国で、建国後の比較的明るい時代から暗黒の文化大革命を潜り、ようやくこの問題に手が付けられる時代を迎えた・・。
残留孤児の大半が満州からの逃亡の途上での行き別れや、赤子を現地人に預ける形での離別と言われ、時代を超えて戦争の記憶を蘇らせる存在が出現した、といった衝撃的な出来事だったのだろう。
宮本研はこの題材を、お遍路の旅を行く女性に、供養という事に繋げて過去の体験を語り出す一人芝居にした。この形式が効果的である。無論一人芝居の難しさもある。語る出来事と当人の距離感、微妙な感情の揺れ・・記憶を幾度となく反芻し、湧き出す感情と付き合い、己の行為について自問し、弁明し、意味を問うて来て、お遍路という一つの「行動」でしか処し得ないその問題が、どう語られるのか。・・演じる人それぞれの形がありそうだ。今回のがどうだったとは(比較対象もないので)評しにくいが、川口圭子氏は想像以上の「妙齢」、持ち前の本人キャラだろうか?裏表のなさ・闊達さを滲ませ、OFFOFFの間近な距離の観客の目に身を晒し、引き付けていた。

「蜘蛛の糸」

「蜘蛛の糸」

Music Play Live

高津市民館ホール(神奈川県)

2025/05/06 (火) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

時間と交通費をかけて毎回都内に出かけて行く観劇の日々もそろそろ終止符をうつべか・・とふと思った雨の日。地元と言える場所で肩の力を抜いて味わうちょっとした非日常の時間がとても良い。(都内に勤務の者が少し足を延ばして下北沢の空気を吸いに・・と言うのも良き日常。頗る特別な時間も良いけれど日常性が大事に思うこの頃也)

ホールに入ると些か心許ない座席の安定感であったが、程よい広さの空間に程よい観客(もっと居ても良いが)、ピアノの置かれたステージを観ながら開演を待つ。
声楽とピアノ、クラリネットの三者が「出演」なので、俳優による熱演は期待せず、物語をどう紡ぐのかに関心。「蜘蛛の糸」は凡そ40分の出し物、原作のほぼ朗読だがどうやら「それ用」に書かれた譜面の演奏と共に語られ、言わば「既存の作品」であった模様。朗読については声楽家がゆっくりと、通る声で(歩いての移動程度の動きをまじえて)語って行くが、お釈迦様が糸を垂らす、カンダタが糸を登り始め、後続の者を蹴落としたら糸が切れた、といった部分だけは「間を挟んでガッと行く」位の「演技」はやはり欲しくはなった。
ただ何と言っても演奏が良い(巧いので後でプロフィールを読めば、中々の実力派のよう)。前段の演奏(ピアノ伴奏の歌、ピアノ伴奏のクラリネット、ピアノ演奏)特に二番目のクラリネット演奏が始まると胸に溶け入るようであった。三者とも選曲は童話チックな可愛らしい世界を狙っていたが、ピアノ独奏では技巧が優れていながら柔らかな感触。
ただ、音楽演奏で起きる拍手と、後段の「蜘蛛の糸」の後に起きる拍手では、違うのだな、という発見。技術的には演奏要素が秀でていた朗読ではあっても、紡がれたドラマが終幕した後に起きる拍手は熱が違う。コールで立つ三者の風情も違う。演劇が持つ「劇しさ」の種を見る思い。
この公演を認知したきっかけの俳優(今回の演出)森山太氏は表には出ず、インカムを持ちながら立ち動いていた。次もまた拝見したい(いつになるか分らぬが)。

音響劇『ドグラ・マグラ』

音響劇『ドグラ・マグラ』

半畳の宇宙

本妙院(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「狂気」と背中合せの原作に、中川佐織女史の一人芝居は見合っており、「一人で演じる」という形態と「巡って自分に帰って来る」原作の構図もフィットしていた。その点で見ると今回はその要素が「薄まった」とは言える。
ただ今回の「音響劇」の趣向への挑戦は、買える。本坊院の本堂らしき空間で、金色の装飾品が天井から吊され、正面(内側)に豪奢な物々が積まれた奥に僧侶の像(これが玩具っぽい)が鎮座。
音と映像(水に墨を落した水面を背景に映す)を担う人は、僧侶の像の逆側のステージ側(正面扉を閉めた面)の脇に控え、俳優は女性五名と男性二名。二方客席に挟まれた8畳程度の床と、脚立で高低を用いるステージ側の狭いエリアを頻繁に行き来し、動き、物々しい声を発して一章から五章までを語り演じて行く。
趣向の構成は、恐らくは原作通り、各章が描く世界を最終的につなぎ合せ、記憶喪失の主人公が見た夢として振り返り、その中の人物がじつは自分自身であったとの認識に至る顛末(だったと思う・・以前映画で見た時の記憶と若干ズレる気がするが)、これを順序立てて語り上げるという、堅実な構成であった。

なべげん太宰まつり『逃げろセリヌンティウス』

なべげん太宰まつり『逃げろセリヌンティウス』

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ナベ源劇団員の顔をやはり拝むべし。と本作を観劇。(高校生による「駈込み訴え」の一日公演もかなり気になっており、予定を賢く組み替えれば観られたと悔いたが気を取り直し..。)

さてこちらは「走れメロス」の翻案らしいとは想像されたが、実に巧い・・と観ながら感じ入っていた(「走れメロス」を骨抜きにせず生かしながらも大胆な翻案になっている)。
パロディ要素がある故、自然笑いもそこここに入って来るが、個人的には胸熱である。ナベ源特有の簡素な、高校演劇仕込みの機能性重視の舞台で「感情移入」へのハードルが元々ある所、原作の精神が畑澤氏の走らすペンに乗り移ったかのような饒舌振り。青森と言えば「太宰」、だから太宰まつり、と前説で紹介されて気づいた事であったが、何という事もないその企画背景に妙に心くすぐられている自分がいた。
お薦め、と敢えて書いておく。

いつかの日の

いつかの日の

こわっぱちゃん家

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初観劇続きである。「ちゃん」の付く他の団体とごっちゃであったがこの度明確に識別した。好感度は高い。小劇場(狭い空間)ならではの工夫のある演出と、ビジネスライクな関係での相手を刺す(懐に入る)台詞が何気に巧い。家族や友人と異なる「仕事」上の人間関係はある固有な距離感を持つが、この要素を対立でなく融合のベクトルでドラマに組み込むてえのは、リアリズムにおいては難度が高いと思う所、そこを雄弁に書いている(中津留氏などとも少し違うテイスト)。若い俳優達も良い仕事をしている。

ネタバレBOX

本作のテーマは台詞に頻出する言葉を借りれば「いつもの(日々)」。舞台は場面によって交錯するが主に「市役所」の市民課窓口のエリア。現在進行形の日本社会という下敷の上に、成長や競争の局面にも言及しながら形作られる「いつもの日々」が、ささやかに、またそれなりに波乱を帯びて描かれ、一つの極点を示すのだが、これが大転換を経た情勢に置き換えられるとは想像もせず。
ただし様相を変えて浮き足立つ「いつもの日常」が着地のしどころを求めてドラマが足掻きながら歩を進めた末、前半から貫かれるテーマがやはり浮かび上がる。
近未来場面では「設定の緻密さ」がハードルとなる所、説明を尽せない部分は残ったとは言え、観客の想像が補うに足るテキストになっていたのではないか。
人間の志を高く引き揚げ得る人物の描写が、私には素朴に響いて来た。「まあ、あの市長は、何と言うか・・人格者だよね」と雑談交じりに女性職員が会話をする、その当人が登場すれば、饒舌にその所以を示す台詞を吐かせる。

しかしこの自分の受け止め方は一般的なものだろうか・・とふと思う自分がいる。世の中それなりにちゃんと回ってるんであって、目くじらを立ててる人は「何に文句を言ってるんだろう」(日本の治安は何と言っても諸外国に比べれば格段に高いし、貧困率は高いと言っても皆がスマホを持てる経済状況だったりするわけでしょ)・・そんな風に現状を飲んでいる人がこういうドラマを見たらどう見えるだろう、と。不要な「熱さ」が舞台に横溢していると見えたりするものか・・。
会場にはやはり若く、かつ素朴な風情を感じさせる人達が多く居て、雰囲気は上々であったが。
オールライト

オールライト

ポッキリくれよんズ

上野ストアハウス(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

最近渋めの芝居を観に訪れてる上野ストアハウスで、若手劇団を初観劇。考えてみれば手掛かり殆ど無し、開演一発目の照明INから眼前の現象を物珍しげに目を凝らして見始めたのであるが、ダレる事なく(脳内では感想文の語句が浮んでは消えであったが)最後まで持って行かれた。
劇団の人となり(劇団となり?)を想像するのが好きである。当パンのキャスト表に役名が無いのは残念だったが写真は大きめに掲載で親切。「ポッキリ..」所属とあるのが3名、男。芝居の照明の中では一人だけ識別できたが他は観劇後に照合。その結果私は「きっと劇団員」と踏み、演技面でやや不足を感じた役がある中、客演の応援で成立、という全体図を勝手に描いたのだが、実はその逆。団員は主役風情を他に譲り、脇の要に就いて芝居を支えていた。
脚本担当がパンフに「こういう脚本はもう書かないだろう」とあり、その真意をつかみあぐねる自分がいるが、というのもドラマ性、スケール感とも出来た脚本で、役者がそのポテンシャルに届こうと汗をかく。この関係は理想であって、もう書かない等と言わなくて良いんでは、、と外野は思ってしまう。

さて芝居は、教科書に出てくる江戸時代のある著名人の界隈、それを映画化しようとした者たちの界隈、その映像を授業で観た女子高生演劇部員の界隈。三層を行き来する。芝居で「ある作品」を扱う場合のリスクは、それがどういう作品なのかに全く触れないのでは具体性に欠き、かといってそれを受け取った人物が登場する以上「それに相応しい作品」である必要がある。この芝居では、その史実上の人物に事実性を負わせながら(なぜその人物か、については確答はないものの)、命を賭して作品製作に臨む人間たちの群像を描き出す。この芸術における「命を賭して」エネルギーを注ぎ込む様相が、映画監督を通して、彼の執拗なこだわりや、平賀源内演じる主役に抜擢された男に具体的なダメも出さず執拗にテイクを重ね続け、遅れに遅れる撮影現場。とうに予算オーバーも、ただ彼の熱意への「信頼」のみで金策に走るプロデューサー、ロケ地の要望に応えようと探し歩くスタッフたち、彼らの奔走、疲弊、崖っぷち感がよく描けている(3層の一つではあり、観客、役者とも「逃げ場」はあるが)。

名前を見る度、旗揚げのあの時あそこを通り過ぎた若者、という記憶だけ甦らせノッキングしていた劇団を漸く観られた。他人ながら健闘していて嬉しい。

 wowの熱

wowの熱

南極

新宿シアタートップス(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

映像鑑賞

映像で「ジュラシック」を観た感触で実演観劇を目論んだが叶わず、映像配信ありとの事で再び画面通じての観劇。
とは言え「ジュラシック」同様(これは映像用に作った作品かと思った位で)カメラワークで語るタッチの作品に仕上がっており、成る程映像監督が劇団員に居り、無観客で映像仕様で作った「WOWの熱」になっていた。
ゆえに感想は言いづらい。面白くはあった。が、結語に物足りなさがある。この舞台コンテンツをリアルタイムな演劇舞台でやった時の熱量は半端なかろうと想像され、あれもこれもとやり抜いた後の心地よい疲労であの結語(ワオが最後に一人立って言う台詞)を言ったら、こっちもご苦労さんと言い、他の観客共々二時間の観劇をねぎらった事だろう・・と想像した。演劇とはそうしたものである、と。

SEXY女優事変ー完結篇ー

SEXY女優事変ー完結篇ー

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/30 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

毎回「今やってるぞ」と泡食って観に行くパターンだから公演も後半になる。芝居も熟して来た頃合いを観ていたのかも。
今作は前説からの前口上で望月六郎が「全く書けない」と団員の前で白状し「力を貸してくれ」と頭を下げた、という導入である(語りは名調子)。やんわり覚悟をおし、と観客に含める魂胆かと様子を窺いつつ、観る。
これまでは話がぶっ飛んでいようが捻じ伏せていた鉄壁が揺らいで(ドガドガにそれ言うかと突っ込まれそうだが)何かと大変な舞台であった。が大技も繰り出して作者の居直りのようにも。伏線は回収を拒んで引っくり返るし、がっつり感情移入させたかと思えば引っくり返すし、で骨格まで砕いちゃドラマが残らないでしょ、という。。
あとこれはガチな不服になってしまうが、楽曲と踊りのカタルシスがドガドガでは毎度訪れそれが私には買いであったが、今回は沸点を超えるものがなかった。私は楽曲そのものの問題と感じていて、今作が作曲家を駆り立てるドラマツルギーに欠いたせいかと考えたり、芝居のボルテージとの兼ね合いなのか踊りのキレの問題か「東洋館での最後の公演」と聞いた寂しさがそぞろな観劇にさせたのか、等とも考えてみるが、何とも。
生きる場の厳しさが折節に吐露されるのは毎回の事とは言え、今作ではリアルな今に重なり、更に現実の(素の)彼女ら彼らに重なるように迫って来た故だろうか。。
何故か俳優ら一人一人の生々しい姿が俯瞰でなく間近な距離に感じられ、心配などしてしまったりしているに及んでは、これはアイドルとファンの構図にシフトしてないか?という否み難い感覚が(元々その気が濃厚な劇団ではあるのだが、、。)。

しかし梁山泊ゆかりの石井ひとみや小檜山(かなり昔になるが)、唐組所縁の岡田吾一等ドガドガ舞台を毎度彩る面々の面白さも個人的には買いであり、ドラマの骨格も大事にね、と願いつつ今少し見守りたい劇団である。

天守物語

天守物語

ルーサイトシアター

ルーサイトギャラリー(東京都)

2025/04/26 (土) ~ 2025/04/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

浅草橋駅徒歩数分、川縁にある趣きある建屋。ギシギシと階段を上ったそこはやはり空間が絵になって居る。舞台側となる正面には窓。時折電車の走行音(橋を渡るガードを響かせる音も)が重なり、音的な効果も面白い。
リーディングは泉鏡花作「天守物語」、これは戯曲ではなかった。多分もう十年以上前に新国立劇場主催公演の大型舞台を観ているが、同主催「テンペスト」と同じく会場が中劇場かつ白井晃演出の大がかりでダイナミックな(しかし演目に即さない)奇抜な演出で、話もよく分らなかった(新国立で二本続けて観た印象から白井演出舞台を完全に警戒するようになった)。
という訳で原作も読んでおらず作品も今回初めて知る事に。
あゝ・・「海神別荘」や「夜叉ヶ池」また「高野聖」に通じる見事な「異界」の描出。泉鏡花を異才たらしめる筆致は(上記作品群では)異界と人間界との接点を描き出して人間への痛烈な批評的視線を滲ませる。本作が鏡花の代表作の一つとされている所以が得心された上質なリーディングであった。

鏡花には「歌行燈」「婦系図」「日本橋」といったリアルな作品群(映画で観た)もあって自分はこの作家世界を知る端緒にあるに過ぎぬが、今回これを美味しく戴けたことは誠に満足至極。

逆光が聞こえる

逆光が聞こえる

かるがも団地

新宿シアタートップス(東京都)

2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

かるがも初観劇。19:15開演だった事で観劇が叶った(平日都内の観劇は19時ギリギリだがこの曜日は5分ロスがおりほぼ諦めている)。

さてかるがも団地初の印象は想像していたよりも陰影が濃く、ドラマの密度も濃く魅入らせる舞台であった。
劇団名を認識した数年前から、堅調に公演を打ち、レビュー等からあるぼんやりしたイメージを持っていたが、勝手な推測をしてしまうのだが、従前の舞台より濃さが増しているのでは...。(きめ細かさは変わらず、より深くなったか、深さはあったが凝縮度が増したか。..要は私好みに寄っていた事は間違いなさそうである。)

過去が自分にじわじわと襲いかかる。いや、挨拶に来る。人は罰せられる前に、己の行動や態度の真意に気付かされ、自ずと頭を垂れる。性善説?いやそう生易しい話でない、と言外に言うこの芝居がもたらすカタルシスとは・・。客席を見渡せば若年層すこぶる高い率で驚く。終演後は笑い顔なく押し並べて神妙な表情であった。

遠巻きに見てる

遠巻きに見てる

劇団アンパサンド

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2025/04/18 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三鷹市芸文星のホールと言うと今は名物「城山羊の会」の小屋のイメージが強くあり、リアルな飾り込み美術と奥行き、これを可能にする空間(上も高くて広いので声が吸われる面はあるが)として上質の劇場ではないかと近頃思い始めている。
その城山羊と見紛う美術が、出現していた。屋外。低く落ちた水路の上を渡した短い橋と、ガードレール、電柱を支えるワイヤーの黄色いカバー、車の進入を阻むポール、自販機。橋の向こうは森があり谷底へ下る道が続いている風である。リアルなセットの中でナンセンス、過剰、意識の落差、発想の突飛さ、人間の寄る辺無さ、無法な空気の中に芽生える道義心といった諸々が生起する。アンパサンド最大の特徴である「阿鼻叫喚」へ誘う予期しない設定は、今回もあるが、現象と「絶叫」のリフレイン的なホラーな展開は退潮して、不条理系の会話劇の面が広がっている。城山羊の会を思い出したのはそのために違いないが、城山羊の意地悪な笑いにまでは至らず、絶叫は抑えられており、微妙な高さをふらふらと飛行し、軟着陸した印象。
安藤奎のホラーな世界観が健在であったので、次に何を仕込んで来るのか楽しみにまた観に出かけてしまうんだろうな、と思う。

楽屋より愛をこめて2025

楽屋より愛をこめて2025

劇団S.W.A.T!

「劇」小劇場(東京都)

2025/04/17 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

やっと観られたS.W.A.T!。2014年初演の演目との事。ルーキーver.を観劇。これぞ劇団也、ちょうどいい実年世代と若手がノリにノって客席に挟まれた空間に浮かぶ「楽屋」を行き来する。(通常客席から観た)上手に上がるのがジェットコースターの坂道を上がって止まり、後ろに降下するあの感じ。舞台を通して来し方よりの劇団の矜持と言うと大仰だが、天晴にも遊びに遊ぶ。
ハリウッド映画ポスター調のチラシ絵が前から気になっていたがその心を一応理解。とにかく色々と嬉しく発見させてもらった。
実は唯一他公演で(もう随分前)拝見した中友子が目当てだったりしたが、体型的な印象が若干変ったが期待に背かず面白がらせてくれ、我が意を得たりと満足。

リンス・リピート

リンス・リピート

ホリプロ

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2025/04/17 (木) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

家族劇。「問題」を抱えさせられた家族のあられもない姿。久々に実家へ戻って来た娘に対する父、母、弟それぞれの距離感、関与のニュアンスが繊細に表現できなければ味わいある劇として成立しない難しい戯曲と見えたが、私には十分に響いて来た。十代の娘が主人公。稲葉賀恵という演出家は<女性>らしさといった特徴を感じさせない硬派な印象だが、こうしたかなり微細な心理描写を求める作品で、その属性の強みを発揮しているのかも・・と想像する(想像しても分らないが)。終盤にもう一人の人物が登場し、娘の一見受動的・消極的と映る「態度」の中の能動性・積極性が、やにわに立ち上がって来る所、芝居の流れを明確にする目立てのようなものがなく、ただ自然に、漸次的に事態が移行している、進んでいる事の描写になっていて(そう見えていて)、何気に凄いと思った部分である。(若い演者の持つポテンシャルとはこういうものか。)
扱う題材は実はシビアで難物なのだが、家族それぞれのらしさが愛おしく、反芻に耐えるシンプルな「美しい」場面がそこここにあった。
音楽はサスペンスフルな重低音(コントラバスか)から入りそこに優しげな中音、高音が入る。両極のイメージを行き来する劇伴がドラマにも合っている。

ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡

ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡

レティクル座

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/04/18 (金) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

劇団名を知ってより10年目にして初観劇。スタジオHIKARIでやるというので親近感を覚えたのもあったが、横浜は初との事(うむそうだろう)。
二本立て上演。見た目も喋りもストーリーも明快で「お話を味わう」上で申し分ないが、最初の30分物はそのパリッと明快な事象が目の前で展開しながら(まあ恐らく体調であるが)寝落ちしまくり、話を掴んだとは言えない状態で終わってしまった。
二本目。ぬいぐるみ・おじさん・少女・・思いきり恋バナである。キャラ依存高めの筋立てにしては確かに作られた感のあるお話で、(自称してもいた)ナンセンスも組み込んでスッキリと終わった芝居。
付加価値を上げて行く流れに抗して?かは分からないが・・かく軽い味わいの芝居を軽く観られるのは悪くない。

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