ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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Manhattan96 LIVE ~Little Palette,Little Mam!~

Manhattan96 LIVE ~Little Palette,Little Mam!~

Manhattan96

吉祥寺スターパインズカフェ(東京都)

2017/05/25 (木) ~ 2017/05/26 (金)公演終了

満足度★★

 若干の奇術の後、オープニング早々ダンスが始まるのだが、演出家は稽古の際何をやっていたんだろう。

ネタバレBOX

ダンサーで無いメンバーが多いので歩き方がなっていない。これでは唯幻滅するばかりである。ダンサーだけに絞って躍らせるべきであろう。醜悪だ。観客層は若い男女から壮年迄の幅があったが、観客の目をなめた演出としか思えない。
 いくつか演目があるのだが、ダンサーがソロでタップをやっても、本当に難易度の高い芸は見せていない。否そこまでの実力はないのである。芸としてまともに思えたのはマジックとギターの弾き語りだ。但し弾き語りで歌われている老人はボージャンである。人々からそう呼び習わされている老人はダンサーであるが、年をとっても高いジャンプ力を誇り、誰からも好かれる芸人だ。人々はそんな彼に尊称としてbeau Jeanと呼んでいるか或いはbeau gensと呼んでいるのであろう。元歌が何処の国の歌か訊ねなかったのでハッキリしたことは分からないがシャンソンであるなら、自分の解釈が成り立つハズである。因みに歌った人は、固有名詞、ボージャンと捉え「変な名前ですね」と言っていたが、これは演出ではあるまい。単に知的怠惰であると判断した。一応、2部構成になっていて第2部はミュージカルという触れ込みであったが、これも出だしで引っかかる。ミュージカル仕立てにし、作品の概要を説明しなければならないなら、せめてシャイクスピアの「夏の夜の夢」に登場するパックのようなキャラを作って劇中でそれを告げる形にした演出位はして欲しいものである。ミュージカルと言いながら、いきなり録音を流すような酷い手抜きは、作る側の感性を疑われるだけである。
終のすみか

終のすみか

cineman

APOCシアター(東京都)

2017/05/24 (水) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★

 何を言いたいのか、当パンを読んでみても観劇後にもよく分からない作品である。描かれているのは、表向きの反応と内面に齟齬があり胸襟を開けない親子、男女、夫婦、内縁関係等々の関係を持つ人々のぎこちない距離感と鞘当、互いに居場所が見付からない者同士の苛立ちの応酬等々。

ネタバレBOX


そこに未だ還暦迄2~3年のこの複雑な家族構成を作った父親の認知症発症や、別れた妻の死後ふいに現れた娘とその夫(だが正式に離婚しているのか否かも曖昧)と関係総てが曖昧模糊とした中で展開してゆくので観ている者には不快感しか齎さない。といってディスコミュニケーションを積極的に描いている訳でもなく、曖昧模糊をそれ自体として問題化しているようにも見えない。総てが三人称的視点を欠落させているのだ。
役者陣の健闘はあるものの、本が徹底性を欠いていて、自分には評価できない。本の評価は1、役者の演技は4、演出は2、そしてスタッフの配慮が2。総合評価2とした。
浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982

浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982

東京アンテナコンテナ

ザ・ポケット(東京都)

2017/05/24 (水) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

 1982年の浅草の寂れた小屋を舞台に、東京アンコンの面々が、今回も笑わせてくれる。

ネタバレBOX

無論、笑わせるだけではない。人情の機微を随所に織り込みながら、ほろりとさせる場面も忘れない。この辺り、流石に下平 ヒロシさんの脚本・演出である。無論、アドリブセンス抜群のイジリーさんと下平さんの掛け合いは健在である。
 話は漫才ブームにすっかり客足の遠のいた大衆劇場、福の屋の小屋主の借金塗れの窮状を何とか救おうと1か月の公演を打つ人気劇団、松沢一座の面々と福の屋に地縛霊として住み着いている幽霊達の人情噺が基本となって、旅芸人たちと小屋主、そして幽霊の姻戚関係までが明かされてゆく中で親子の情が見事に昇華されている。
 1980年代初頭の浅草の雰囲気を、変に論理的に説明口調で喋るイジリーさんの科白が、地の雰囲気の中に鋭角的に刺さってゆく辺り、浅草のどこかキッチュで懐かしい場の雰囲気との対比がそれぞれを更に際立たせて印象ずける辺り、下平さんの筆の冴えを見るべきであろう。
 無論、劇中劇として演じられる松沢一座の芝居も、如何にも旅回りの役者の演じる芝居という雰囲気を実に良く出していて感心する。演目設定もそれらしい、問われた名を名のることができない渡世人となった息子と母、助けられた妹の話で、涙を誘う定番である。客からの御捻りも万札で拵えたレイなど実に旅回りの役者稼業の定番をキチンと押さえているのは、地元を大切にしているだるま座の、地場との深いかかわりと相互理解を示していよう。
 上演中のこと故、更なる感動を呼び起こすであろう場面のことは敢えて記さないが、これは観てのお楽しみ。兎に角、楽しめる。そしてジンとくる。
ブルーストッキングの女たち

ブルーストッキングの女たち

劇団櫂人(解散しました)

上野ストアハウス(東京都)

2017/05/24 (水) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

 シニア劇団櫂人の第3回公演だが、休憩を挟んで2時間55分の大作だ。描かれているのは1911年から1923年迄、平塚 らいてうらの雑誌「青鞜」や大杉栄 荒畑 寒村らによって発刊されていた「近代思想」と「平民新聞」、島村 抱月・松井 須磨子らが旗揚げをした芸術座など、新たな社会思潮が台頭した時代である。シナリオは宮本 研、演出は篠本 賢一である。
(追記2017.5.26) 必見 花5つ☆

ネタバレBOX

驚かされるのは、当に現代日本の鏡という点である。全然古びていないどころか、今、この国に起こっている事象を歴史的視点から俯瞰してみせてくれるような作品なのである。長尺の作品であり、役者が基本的にシニアということもあって稽古は9か月に及んでいるが、作品の選定は演出家の篠本氏による。慧眼というべきだろう。
 舞台は、時代を画した標記三グループの相互交流を通して、これら自由で斬新而も快々な思想・実践を容認できぬ旧弊な勢力・官憲らの弾圧の底に何が横たわっているのかを示唆する。それをラストで甘粕に対して述べる野枝の科白に観てとることができる。要はやっかみ、そしてコンプレックス(複合意識)である。この場面、無論、酷い拷問等によって殺された二人の死の史実とは異なる。そうまでして宮本 研が書きたかったことが科白として書かれているのである。そして、これは本質的なことだ。我らの暮らす現代日本に於いても、この科白が示した人間性に立脚した普遍的価値観を追求する姿勢に対する、日本の権力者、そして御上に逆らうことのできぬ民の発想は変わらない。このことが、現在に於いて尚、今作が聊かも古びない原因である。







さざなみ降る夏

さざなみ降る夏

劇団しどろもどろ

立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)

2017/05/18 (木) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★

 今作の作者は、虚構というものを描きたかったというのであるが、残念乍ら、演劇というものへの方法と理解がまだまだという感じが否めない。

ネタバレBOX

というのも導入部で完全暗転でもなく板に着き、観客の日常の時空から演劇的時空への飛翔を阻害しているからである。これなら開演前から板に着くなり、場見テープを貼って位置に着くなり、ちょっと費用が掛かっても良ければ緞帳を吊るすなりいくらでも方法はあるだろうに。
 余りにもモラトリアムにどっぷり浸かっていて、非現実と現実の決定的な差異を認識していないのではないか? そう感じたのは他でもない。冒頭にポリフォニックに演じられるさざなみ降る云々の科白群に対するリアルが何処にも提示されていないのだ。これでは、描きたかった虚構性は霞むだけだろう。そもそも演技をこととする演劇自体が虚構であることは明々白々なのであれば、虚構を演劇的に虚構化する為には、敢えてリアルを対置させる工夫が必要なことは自明である。だが、作者のアイデンティティーが、想像の域を出ていない為に、作者が現実だと思い込んでいる事は、実際には仮想現実であるにすぎず、結果、イマジネールな情報に対して、別箇の情報を対置することしかできていないのである。作者にお勧めしたいことは、そのモラトリアムを内側から破り捨てることである。
あなた、私と住んでみませんか?

あなた、私と住んでみませんか?

diamond-Z

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2017/05/19 (金) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★★

 前半、演技過剰で演出にダメ出しをしたいと感じたほどだが、脚本は悪くない。役者陣も後半佳境に入ってからは脚本の身の丈に合った演技をしてくれたので、原因は初日の緊張にあったのかも知れない。年1公演というペースだというから緊張するのは分からない訳ではないが、役者陣は自らを歌舞いて欲しいものである。

ネタバレBOX


 シナリオには、いくつか因縁話が絡み、基本はコメディーでありながら、涙腺を潤ませる人情喜劇に分類されようか。ヒロイン役の印象が、しょっぱなの反発から、良い感じに変わってゆく点、演じる者と観る者との相関関係を通じて、我らの日常の中での他者評価、互いに演じ合って生きている我らの生活を振り返らせて面白い。
はたらいたさるの話

はたらいたさるの話

劇団きらら

王子小劇場(東京都)

2017/05/19 (金) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★★

 役者たちが、熊本弁で喋り実に自然に、日常的だが極めて個性的なキャラクターを造形してゆく。花四つ☆

ネタバレBOX

スリリングに見えるのは、間の取り方が実に巧みで、脚本が人間関係というものの本質を捉えて提示しているからだろう。元々、九州の劇団ということもあり、舞台美術は箱馬と幅の狭い平台を用いただけのシンプルなものであるが、却ってこれが効果的である。本の良さと役者陣の演技、そして演出と効果という芝居の芯の部分に集中させる役割をも果たしているからだ。状況設定も良い。味のある、癖になりそうな舞台である。
めくる、くる、くる。

めくる、くる、くる。

インプロカンパニーPlatform

上野ストアハウス(東京都)

2017/05/12 (金) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★

 基本ファンタジーなので子供っぽい部分もあるが、一方童話が本来持つ残酷なリアリティーを取り込むことによって、苦い現実との邂逅をも呼び込んでいる点がグーだ。

ネタバレBOX

この辺り迄踏み込んでの作品作りなので、人生の諸相で我々が出遭うことになるもの・ことの本質を織り込むことができる。当然、シナリオの骨格はしっかりしており、役者達のアドリブセンスの良さも手伝って、軽めながらバランスの取れた作品に仕上がっている。
疚しい理由

疚しい理由

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/05/12 (金) ~ 2017/05/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

花5つ☆
 舞台は板が青、そこにやや右肩上がりに丁度卓球のラケットのように小豆色の平台を置いて二重舞台にしてあり、奥には黒いアコーデオン式の衝立に、赤い紐が抽象的な図形を為している。

ネタバレBOX

 凡そ正方形の平台の上には、これも平台に対して斜めにテーブルと椅子が置かれている。登場人物は3名。3人が3人とも実に上手い。演技に唸ってしまった。シナリオも抜群である。2006年初演ということだが、時代の流れに合わせてホンの少しいじっただけで、他は手を加えていない。これだけ完成度の高い脚本ならそれも納得。而も舞台美術から小道具に至る迄一切無駄が無い。平台やテーブルが、客席に対してやや斜めになっているのもシャープであると同時に観易い。演出も緊密なシナリオ、芸達者な役者陣の能力を引き出し終始緊張の途絶えぬ良い舞台に仕上げている。内容的にはミステリーなので種明かしはしないが、お勧めの舞台である。無論、照明・音響共にそつの無い上質のものであった。
お勧めである。
りんぷん手帖

りんぷん手帖

やみ・あがりシアター

王子小劇場(東京都)

2017/05/12 (金) ~ 2017/05/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

 この劇団を拝見するのは今回で3回目。今、自分が若手劇団の中で最も注目している劇団である。兎に角、切り口が毎回新鮮で斬新。
オープニングで明転すると、椅子やテーブルが段ボール製であることが即座に分かる。テーブルに至っては足の部分がミシュランのタイヤマンのように輪切りの円筒を積み重ねてあるのだが、重心をしっかり取った上で最大限相互がずれているのである。従って視覚的には非常に不安定でありながら、物理的には安定しており、その物理法則と視覚とのギャップが既に舞台上の緊張を先取りする形で提示されている訳である。(追記2017.5.15) 断固観るべし!! 花5つ☆

ネタバレBOX

ここに主婦友グループ、少女時代からの親友グループが交差邂逅するという劇の劇たる成立事情がさりげなく織り込まれている。実に本質的である。
 だが、一方で描き方にも捻りが加えられている。時系列を敢えて混乱させているのである。当然、関係は、不確かになる。即ち存在の裸形、儚さが強調されるという訳だ。その儚さこそが、生命の営みの本質であるなら出会いは即ち切なさそのものである。その切なさを面倒くさい、と遠ざけていた間、山口(アロエ)は存在感を保っていられたのだが、面倒を避ける為に合理的であった彼女は、松田(もんしろちょう)の嘘をきっかけに桜田(マロニー)の嘘も含めて人間の負の部分にも気付かされ、抽象的世界観から具体的世界観への窓を開かれる。すると、儚さそのものであったもんしろちょうとの関係が逆転する。ここには、蝶が卵・幼虫・蛹・成虫へと変身してゆくイマージュがある。同時にマロニーが商っている麻薬と鱗粉、麻薬の齎す幻覚などのイマージュが微妙に交差しつつ、ジャンクフードを食べる階層とドラッグの関係も透けて見えるのだ。更にサッカー選手を夫に持つ森(運動嫌いちゃん)は、華やかに見えるスポーツ界・芸能・マスコミ界等の虚妄性を示唆してもいよう。みー、けいの女友達同士もかなり擦れ違い要素を持つ。儚い命を懸命に守ろうとする者が絶望の果てに総てが嘘だ! と断定したくなるような、世界の只中に唯一登場する男性、ともくんは、主婦友と同級生との蝶番。で何を訴えているかというと、今回は、切なさを描いて秀逸! そう自分は捉えた。
想い出を消しながら君は恋をする

想い出を消しながら君は恋をする

inlandsea インランドシー

ザムザ阿佐谷(東京都)

2017/05/12 (金) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★★

 幾重にも跳ね返される展開の底に潜む病の深刻さが、物語の本質、恋を純化してゆく点に今作のシナリオの良さがある。

ネタバレBOX

恋とは微妙な成り行きだ。釦の掛け違え一つで、それは命に或いは命より大切だと思える何かを破壊し去ってしまう。そんな状況を病と生命そのものの炎の鬩ぎ合い、時として魂の崩壊を齎す事例として提示した。


絶句するコンテクスト

絶句するコンテクスト

劇団なのぐらむ

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2017/05/11 (木) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★

舞台美術とそこで演じられる内容との齟齬を感じた舞台。

ネタバレBOX

 色々な意味でアンバランスである。舞台美術と役者数がマッチしていない。話の進行する場は職員室なのであるが、使われない道具類が多すぎる。(コピー機、上手壁際に置かれた段ボール箱、体育教師の机横の塵、上手奥のロッカー等々)。また、職員室が中心で話が進むなら先生方の席はそれぞれ決まって居るハズ。ところが、殆どの教師が、誰の席か分からない所に腰かけたり、登場する教師数と机の数が食い違ったりして、虚構の成立する場としての舞台空間に安定性が無いのである。このことを含めて“絶句するコンテクスト”なのだとしたら、この設定は失敗と謂わざるを得ない。絶句するほどのコンテクストを表現する為の舞台設定には絶対的バランスが必要だからである。それさえあればシナリオが活きてくるだろう。その為には、舞台はもっと抽象的であっても良かったかも知れぬ。そして職員室でなくても良かったかも知れぬ。例えば、体育館。それも災害があって皆が其処に避難しているという情況設定にして、仮に作られたプライバシー保護空間での出来事、などとするのである。
イタイ☆ホテル

イタイ☆ホテル

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2017/05/10 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

ほどなる。タイトルにも捻りがあった。祝20年!

ネタバレBOX

。舞台の作り込みにもセンスを感じる。センターに応接セットと利用案内のパンフレット、珈琲マシンなどの接客用備品を配し、ここを中心にシンメトリカルに部屋が各1。上手・下手の壁際が出捌け口になっている。シンメトリックな部屋が良く整頓されているのに上手の椅子が一脚だけ、手前に倒れている。これだけでドラマが成立しているというセンスの良さに先ず感心した。無論シンメトリーは、安定感とホテルとしての品格をそれとなく表現してもいる。
 或る程度の数、舞台を拝見していると舞台美術を見ただけで、作品の質が評価できるものだ。良い舞台を作る劇団の作品は基本的に質が高い。今作もこの原則を裏切らなかった。
 シナリオが抜群である。オープニング数分間の演技で鈴木 幹子役が少し演技過剰と感じたが、この点を除けば役者の演技、演出の付け方も素晴らしい。初日でちょっと硬くなった点もあるだろうし、笑いを取りに来ている側面もあったので、或いはわざとあざとい演技をさせたのかも知れないが。ヒロイン平沢 夏美役の熱演も素晴らしい。
 ところで、シンメトリックに配置されたルームには仕掛けがある。顧客カードで、このホテルの御泊り客が出入りするのである。その模様がどんなものかは想像してのお楽しみ。ヒントは“タイトルにも絡む”。この仕掛けで動く装置が、それらしくてスマートなのも見所の一つ。
 さてさて、此処から先は、ネタバレが多いので、先に観劇したい方は、先ず、観劇することをお勧めする。
 シナリオの良さには、エンバーミングとその行為への深く適切な知識や新人研修という形で多くの業界用語を知らせ、観客にその特殊性を深め納得させる一方、同時に般化し普遍化している点に齟齬がなく、掛かるが故に人情の機微を上手く溶かし込んで、実にスムースにバランスよく、それでいて物語の山・谷を随所に鏤めながら仕上げていることが評価できる。
 照明、音響などのタイミング、効果も上手い。役者の演技レベルも高い。
空焚き

空焚き

劇団カツコ

中野スタジオあくとれ(東京都)

2017/05/05 (金) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★

 全面黒の板上にやや右肩上がりに組まれた平台や箱馬。観客席側はマンションのベランダ。この窓辺からは、近隣の工場の高い煙突が見え、風下に当たることが多いこのマンションには、臭気が漂ってくると、さくらは言う。

ネタバレBOX

臭いがあるから原発関連ではないが、人間が作り上げた技術の齎す害という意味では共通項がある。而も空焚きというタイトルや締め切った部屋で暮らす「主婦」、さくらの精神的崩壊をも考慮に入れるなら、原発人災の検証として創造的に構築し、且つ想像力的にマッチングさせた方が、更に刺激的且つ風刺の効いた作品に仕上がったであろう。
 何れにせよ、結婚詐偽師、さくら(かな)の虚ろな心象に映りこむもの・ことが本当にあるのか否かについて、劇団の傾向もよく分からないまま今作だけで即断することはできないが、原発人災や人間の作り上げた技術の齎した虚ろの抱える退廃だけは確かなものであるように思われる。
オープニングのケンジの独白にリアリティーが無いと感じたが、物語の進行につれて、これはこれで良いのではないかと考えるに至った。何故ならここではケンジの受け身の姿勢を強調する今回の演出で良いと思えるからだ。ところで、随所に挿入されるボレロの使い方もユニークである。通常、ボレロが掛かるシーンでは感情を最大限盛り上げてその高揚と共に音響も高鳴ってゆくのだが、今作では掛かる度にその意味合いが異なる。而も総てに共通しているのは、通常の用い方の箍を外すという方向性である。即ち、空虚に飲み込まれてゆく総ての人間的努力の空しさを補完するような形で用いられているのである。考えさせる作品である。
熱狂パンク

熱狂パンク

ソラカメ

王子小劇場(東京都)

2017/05/05 (金) ~ 2017/05/09 (火)公演終了

満足度★★★★★

 死んだフリをしているつもりか、多くの者が死の彷徨しかしていないこの植民地で、久しぶりに高校生ものらしい健全な精神の作品に出合った。花5つ星 断固観るべし!

ネタバレBOX

大人たちは矛盾だらけだということは、三歳の子供の目からもハッキリ見て取れる。寧ろ三歳は遅い位だ。それでも大人が自分の犯している矛盾に気付き、精神的な葛藤をしているのなら未だ救いもあろうが、大抵の大人は、そんなことに関わって思い悩むことは「大人げない」ことだとして一切向き合おうともしない。その結果が、現在、この植民地の体たらくである。無能で冒険主義的而も無責任この上もない安倍某とかいう嘘吐きキ印を頂点に置き、恬として恥じることすらない。こんな芸当ができるのも、彼らが本当はその精神に於いて死んでいるからにほかなるまい。そして、多くの思春期の少年・少女たちが、この悪しき影響を受け、謂わばゾンビの檻の中で生かされているのだが、今作は、この生きながらの死を打開すべく立ち上がった高校生を描いて秀逸である。実に良く高校生の雰囲気が出ており、教師たちの対応もそれらしい。何より所謂秀才と謂われる者達の本質が、社会の歯車として行儀よく・合理的に生活し、協調力に富み且つ上意下達に都合の良い人間でしかないこと、そしてそれが唯一の正解であるかのように押し付けてくる社会に対する異議申し立てこそ、若者が最初に為すべきことであり、若者のそのように健全な反発が失われると社会は急激に老い停滞する。掛かるが故に造反有理なのである。このような若者精神を見事に造形化した。
グリーンミュージカル「LADYBIRD,LADYBIRD」

グリーンミュージカル「LADYBIRD,LADYBIRD」

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2017/05/03 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトルのLadybird Ladybirdは魔法の言葉。

ネタバレBOX

森の中では”ネエ”と呼ばれていた名無しのアンがお母さんから教わった魔法の言葉。親を目の前で惨殺されたアンが、前のめりに生きてゆく為の魔法の言葉。
 大人から子供迄幅広い人々に観てもらうことを前提としたつくりだから、シチュエイションは単純である。森、虫篭の中、そして屋根裏。脱出口としては窓。開演時舞台中央奥には、虫たちの飼い主渡辺さんの家の窓が設えられているが、森に大きな捕虫網を持ってやってきた渡辺さんに囚われたアンとエリーの話に移るや、この窓は取り払われ、代わりに手前に設置してあったL字型が、適宜90°回転して窓枠になる。この仕掛けで虫篭の中の世界が舞台全面に広がる訳だ。と同時に閉じ込められているという現実が提示され続けるのである。
 ところで、どこの世界にも皆の世界観に入ってゆけない者が居るものだが、此処にも一匹デペイズマンというよりは、自意識の罠に捉えられたアゲハチョウの若虫が居る。彼女は、屋根裏から降りてきた蜘蛛の誘いに乗ってその住処へ出掛けてゆく。他にも都会育ちの♀カブトムシが同行。虫が居なくなったことを知った渡辺さんは半狂乱を呈する。この騒動を解決しようとアンは屋根裏へ出掛けてゆくが、蜘蛛の提供する好みの食べ物と自由に浸った脱走者達は容易に虫篭に戻ろうとはしない。無論、蜘蛛がおいしい餌を与えるのは太らせて食べる為であるが、その道理もすっかり肝を抜かれた脱走者達には通じない。そんな中、アンは初めて、Ladybirdの歌の意味、目の前で惨殺された母のことを語ることになる。こうして森の中からの友情を漸く取り戻した虫たちは元の虫篭に帰ってきた。
 この物語を主筋に、二夏を過ごし、既にボロボロのツクツクボウシのゲンゴロウや、娘を失くした離婚カマキリ夫婦、♀カブトムシに似ているか居ないか素っ頓狂な話で箍を外す、ゴキブリ&♀カブトムシ、5万数千匹の働き蜂の中の上位4匹、森の仲間であったが女王蜂になったハナの盛衰、強烈な臭気で皆を従えるカメムシ等々の逸話が絡んでストーリー的にも楽しませてくれる。多くの少女たちがダンサーとして登場するが、一所懸命に踊る姿が健やかで可愛らしい。
Rは決して爪を噛まない

Rは決して爪を噛まない

かーんず企画

千本桜ホール(東京都)

2017/05/03 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★

 AIの定義は、未だ定まっていないのでかなり想像にも幅がある。

ネタバレBOX

自分はシンギュラリティーを超えたレベルでのAIが人間なんぞに媚びを売る必要は一切ないと考えているが、今作のような展開も可能性は低いと考えるものの、描かれている内実に関しては極めて興味深いものがある。ロシア革命以前のロシア貴族を描いた「オブローモフ」を挙げるまでもなく、人間というものは際限なく堕落し得る存在である。その退屈の果てにとんでもないことをやらかし得る存在であることも、サド作品などを読めば明らかであろう。尤も日本のサド裁判では、澁澤龍彦が指摘した通り、最も肝要な部分を裁判官たちは判断せず、下らない風俗紊乱などで断罪したのは、彼らの文化的レベルの低さを見事に表していて悲惨そのものであるが。
 閑話休題。今作の興味深い点は、シンギュラリティーを超えたレベルのAIが搭載されたヒューマノイドが、人間らしさに憧れ、それを身に付けようと努力し且つ進化して、人間をサポートした結果、人間はその本能以外に何ら自らの意思で社会に発現する道を閉ざされることによって壊れてゆく過程を描いていると同時に、そのような欠陥をしも真似ようとする優秀なヒューマノイドが今後を担ってゆくことが最後に示唆される点である。その人間存在の闇を能力の高い者が実践したら、ガイアは確実に終わる。そのような不気味をキチンと提示している点が非常に興味深いのである。この人間というガイアのウィルスが滅びる必然性を、不気味の谷に通じるようなテイストで表している点に共鳴する者としない者で評価は正反対になるであろう。
僕は僕する

僕は僕する

劇団天動虫

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2017/05/03 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

 説明を読んである程度は感じていたことなのだが、寺山解釈云々よりも、演者たちと我々学生運動世代の背負ってきたもの、背負っているものの質的な違いが大きい。(以下の理由から今回評価点は遠慮させて頂いた)

ネタバレBOX

寺山は、三沢など米軍基地で米兵と日本人とがどのような関係であったのかを体験し、深く傷ついた世代である。自分も多くの者が米国を支持し始めていた時代にあって米国大嫌いであるのは、物心つく前に米軍将校たちと日本の女たちとの関係をうば車から見ていたせいだろう。それだけ屈辱的なものであった。
 こんな訳で自分であれば、パフォーマンスとしては寺山も良く用いたフリークスを用いるか、さもなければ土方 巽の創始した暗黒舞踏の動きを取り入れたに違いない。それが、敗戦後に生まれた日本人としての抵抗であり、自嘲であり、屈辱を屈辱として再認識した上で、アメリカに対峙する方法だったのだと考える。またそれが「僕は僕する」というタイトル。即ち自らを盾にした非占領者宣言でもあったハズなのである。
 だが、今回拝見した作品には、我々のような屈折は見受けなかった。一所懸命に体を動かしているのだが、日本人としての身体性を意識した土方の舞踏などは微塵も感じさせない、素直で西洋的なパフォーマンスであった。良いとか悪いとかではなく、そこに我らと現代日本を生きる若い人々との決定的なギャップを感じたのである。
以上のような訳で今回評価点をつけることは遠慮させて頂くが、科白は原作に忠実なだけに演じ方・演出でこうも作品から受ける印象が異なるということを如実に示してくれたことには大きな意味があるだろう。
大神家の一億

大神家の一億

劇団ハッピータイム

ブックカフェ二十世紀(東京都)

2017/04/22 (土) ~ 2017/04/23 (日)公演終了

満足度★★★

 タイトルからしてパロディーなのだが、他にも映画をパロッた内容が随所に盛り込まれ、シナリオを重層化させている。

ネタバレBOX

だが、最も基本的な主張であるハズの格差社会自体を今一つパロッてみると非常に強いメッセージ性を持つように思う。その意味で、非正規雇用者の昏い情熱や社会の底辺で蠢く悔しさなどは出すより、痛烈に作品内でその位置を自嘲して見せることによって、アイロニーとしての毒で作品内のキャラクターをメタ化し痛烈なメスで観客を突き刺すような意識は弱まってしまった。観客へのサービス精神で悩むことも大切ではあるにせよ、作家の内的な葛藤を鋭い刃に磨きあげて欲しいとも思う。
 
あきこのアナの中 〜Again〜

あきこのアナの中 〜Again〜

劇団☆錦魚鉢

テアトルBONBON(東京都)

2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★

 この危なっかしいタイトルに惹かれて観に来たのだが、

ネタバレBOX

体内細菌や諸々の機構、防御網などの代表的なものに一つ一つキャラクターを与え、擬人化した上で、外部からやってくるウィルスや体内細菌同士の干渉作用、エネルギー源としての食物摂取や細胞膜内に取り込まねばならない水分摂取など生命維持に必要な諸手続き、それを阻害するダイエットやメンタルな影響を各キャラの争闘とギャグによって構成した作品。
 体内がミクロコスモスとして表現されている訳だが、TV番組の超人モノ的なキャラ設定が、物語を宙ぶらりんにしてしまった。もっと科学的なセンスで勝負する方が良かったような気がする。描かれている内容は、ミクロコスモスとしての人体なのだし、それはそれ自体、科学として面白い話なのだから。

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