僕は僕する 公演情報 劇団天動虫「僕は僕する」の観てきた!クチコミとコメント

  •  説明を読んである程度は感じていたことなのだが、寺山解釈云々よりも、演者たちと我々学生運動世代の背負ってきたもの、背負っているものの質的な違いが大きい。(以下の理由から今回評価点は遠慮させて頂いた)

    ネタバレBOX

    寺山は、三沢など米軍基地で米兵と日本人とがどのような関係であったのかを体験し、深く傷ついた世代である。自分も多くの者が米国を支持し始めていた時代にあって米国大嫌いであるのは、物心つく前に米軍将校たちと日本の女たちとの関係をうば車から見ていたせいだろう。それだけ屈辱的なものであった。
     こんな訳で自分であれば、パフォーマンスとしては寺山も良く用いたフリークスを用いるか、さもなければ土方 巽の創始した暗黒舞踏の動きを取り入れたに違いない。それが、敗戦後に生まれた日本人としての抵抗であり、自嘲であり、屈辱を屈辱として再認識した上で、アメリカに対峙する方法だったのだと考える。またそれが「僕は僕する」というタイトル。即ち自らを盾にした非占領者宣言でもあったハズなのである。
     だが、今回拝見した作品には、我々のような屈折は見受けなかった。一所懸命に体を動かしているのだが、日本人としての身体性を意識した土方の舞踏などは微塵も感じさせない、素直で西洋的なパフォーマンスであった。良いとか悪いとかではなく、そこに我らと現代日本を生きる若い人々との決定的なギャップを感じたのである。
    以上のような訳で今回評価点をつけることは遠慮させて頂くが、科白は原作に忠実なだけに演じ方・演出でこうも作品から受ける印象が異なるということを如実に示してくれたことには大きな意味があるだろう。

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    2017/05/04 00:26

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  • 藤江 千晶さま
    創造するには、想像することが肝心です。その想像の参考になるのが、時代を生きた者の感覚だとも思います。そしてその参考になるのがすぐれた民俗学(的)な書物かと。例えば”忘れられた日本人”宮本 常一著など。寺山に関しては、無論本人の書いた物や映画を中心に今ではサブカルという呼ばれ方をする、前衛的、開放的で自由を模索する態度を見ておくべきかも知れません。”襤褸の旗”のような映画や”薔薇の葬列”のようなATG作品(これも映画ですが)も参考になると思います。それと見る機会はあまりないかも知れませんが東大の安田講堂攻防戦を描いた映像も存在しているハズです。自分などは、この攻防に最後まで残った人が、友人たちの先輩にあたる関係で落城(城ではありませんがまさしくこのような感情を持ちました)の時には落涙しました。自分自身、機動隊とやりあって高校時代に新聞に載ってしまい、危うく退学でしたし。無期停学で済んだのですが。色々、生きている人々にインタビューすることも必要です。では。
                                     ハンダラ 拝 

    2017/05/15 12:25

    ハンダラ様

    とても貴重なご感想、ありがとうございます。
    今回寺山修司さんのコトバを用い、“僕は僕する”という題名の通り、自らの心と身体がその言葉を聞いてどう動くか…を感じる稽古を重ねてきました。
    動き(ダンス的な)に関しても、役者が言葉をきいて自由に感じたままに動いたところから生まれたものもあります。
    ですが、ハンダラ様のご感想を読んだ時、寺山修司の生きた時代・背景を考えた時に、ハンダラ様のようなご意見もあるのだと、学ぶところがありました。

    これからももっと多くを学び、深い表現をしていけるよう精進せねばならぬと感じております。

    ご観劇、そしてこの観てきたコメントへの貴重なご意見の投稿、本当にありがとうございました。

    2017/05/14 23:18

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