僕は僕する 公演情報 僕は僕する」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★★

    暗闇の世界に現れた何物にも染まらない白い言霊たちが発する
    偉大な作家が記した言葉の数々が心に突き刺さる。
    ノンストップで走り続け言葉を口にする事で生を感じさせその先に希望を見出す。
    何かの想いを投げかけるというより、役者の想いを引きだすような演出が面白い。
    八人の役者がこれから歩むであろう道、今抱えている想い、
    これまでの生き方をさらけ出すような濃密な時間。
    そんな天動虫の世界観がとても好きです。

    ネタバレBOX

    完成度の高いアフターイベントも面白い。
    毛皮のマリーの欣也と紋白。表現力抜群の2人の世界に引き込まれる。
    そして一人芝居のスクスクも妙な味に溺れる。
    役者陣一人一人の個性が生きる舞台を楽しめた。
  • 満足度★★★★

    鑑賞日2017/05/04 (木) 13:00

    私は寺山修司を作品(戯曲、舞台、詩、映像)として知らない。(人物としては、経歴などそれなりには知っているが)まあ、興味がない。なので、天動虫の公演でなければ(この劇団には「飛び火」でやられて、それ以降逃げられない)観なかったと思う。そうした個人の感想としては、それでも面白かった。

    1時間がもっともっと長く感じられた。終わったときに時計を見て信じられなかった。
    それだけ濃密な時間だったのだと思う。

    言葉はいくら引用だとしても、それを誰がどのように使って、何を表現しようとするかによって、本来の持たせられた意味や背景を逸脱していくものだ。学術の分野でそれは許されないが、創作の分野ではそれをしないことが許されないと思う。

    そうした意味では、帆足知子さんが寺山修司の言葉をコラージュし、声と身体表現で見せたのものだとして十分に楽しめた。

    帆足さん自身、私が観た時点で振付が固まっていないところが幾つかあると言っていた。役者の方々の動きに取り決めがあるのは当然として、多分に各人の情動に任されているのだろう。戯曲のセリフと違い、言葉のコラージュはその日その日の感じ方が違っていくことは容易に想像がつく。そうであれば、役者同士の感情表現の相互性が、常に新たな舞台を生成しているということなのだろう。

    私はそうしたパフォーマンス生成の連続が面白かったのだと思う。

    感想を書かれていたzeezoさん、ちなみに別売りのパンフにも、セリフの抜粋はありませんよ。でも、ご意見はごもっともと思いました。

    最期にジョニーさん、舞台共々パンフレット作製、大変お疲れさまでした。

  • 満足度★★★★

    寺山修司の詩を元に繰り広げられるダンス&芝居。こういったパフォーマンスタイプの作品は初めてだったので、表現する世界というものの深さに感心。最近言葉やその中身について考えさせられていて、その流れでこの作品に呼ばれた気がする
    何かについて思い考える時、頭の中では舞台上で繰り広げられた光景のように、言葉やその意味が不規則な動きで交差しそのほとんどが答えを出さずに泡のように消えてしまう。舞台上の役者達の表現から何か抽出し一つの答えを出せた気もしたし、夢現の中の思いつきの様でもある
    自分は寺山修司の詩とかは見たことがなかったのだが、この作品で流れてきた寺山修司の詩はサーカズムに溢れながらもまっすぐ目を見て問いかけられている様な気になるものだった。音楽と踊り、言葉の表現でそれらが舞台上に設置されると、問いかけの答えを探す僕は、石庭の縁台に座り様々な思案を巡らす人の様になっていた

    折角の詩なのに、台詞が聞こえにくい部分がいくつかあったのが残念

  • 満足度★★★★

    なかなか面白いパフォーマンスでしたが、言葉(台詞)が聴き取りにくいところがあったのが少々残念。
    寺山修二の名言(言葉)を全部知っているわけではないので、いくつか抜粋して当日パンフに記述があると更に楽しめたかなと・・・。
    あっ、もしかして別売のパンフに記載されていたんでしょうか?
    アフターイベントも充実してましたね。。。

  • 満足度★★★★

    パフォーマンス公演、と打ち韻文のような(自由)表現の断片を集めたコラージュのようで掴み難いもの。もっとも主宰・帆足知子女史はそんなことは承知しているかのように、当日パンフで「寺山修司さんの言葉に囲まれて、幸せだけど、中々手強く、過酷な闘いの日々でした」と記している。散文のような物語であれば、劇的な構造の意味、テーマを求めがちだが、ここでは寺山ワールド-詩のような台詞を紡いでいく。
    (上演時間1時間)

    ネタバレBOX

    舞台は素舞台で周りは暗幕で囲う。衣装は白基調の浮揚感あるもので、薄暗がりにボゥと浮かび上がる。どの世界という特定・限定させず、言葉と体だけで普遍的な”何か”を伝える。

    全体は「台詞」と「動作」の連動を意識した公演。役者は常時舞台におり、言葉(台詞)を言いながら体を動かしている。それは甘い言葉であり、怖い言葉、というように対照的な用い方。また鳥をモチーフに「自由」や「深淵」への解釈を思わせるような比喩もあり、寓意を思わせるものなど言葉の印象付けをする。もっとも寺山修司の原作・言葉であるから手強く、その紡ぎが難しいところ。解釈、理屈云々も大切だが、その世界観を大切にしたいところ。

    緊密な舞台空間という表現とは別の演出。動作については、アクションとも違い舞踊の類か?言葉と体の関係を目指した今回のパフォーマンス公演の見所の1つ。言葉と体で表現、どちらが後先という二者択一ではない。無条件に視覚・聴覚を刺激し、その心地良い雰囲気に身を委ねるだけで幸せを感じる。伝える言葉として、卒業時の呼び掛けのような連鎖を用い単調にさせない。動作も走り回転させ、縦・横・斜めという変化、個人技から肩・腕を組んだ集団技まで、観(魅)せる工夫をしている。

    最後に、改めて当日パンフの挨拶文…「お芝居のようなお芝居じゃないような舞台です。でもやっぱり芝居なんです。何かが流れています。それを感じていただけたら幸いです。」と、自分は楽しませていただいた。

    次回公演を楽しみにしております。
  •  説明を読んである程度は感じていたことなのだが、寺山解釈云々よりも、演者たちと我々学生運動世代の背負ってきたもの、背負っているものの質的な違いが大きい。(以下の理由から今回評価点は遠慮させて頂いた)

    ネタバレBOX

    寺山は、三沢など米軍基地で米兵と日本人とがどのような関係であったのかを体験し、深く傷ついた世代である。自分も多くの者が米国を支持し始めていた時代にあって米国大嫌いであるのは、物心つく前に米軍将校たちと日本の女たちとの関係をうば車から見ていたせいだろう。それだけ屈辱的なものであった。
     こんな訳で自分であれば、パフォーマンスとしては寺山も良く用いたフリークスを用いるか、さもなければ土方 巽の創始した暗黒舞踏の動きを取り入れたに違いない。それが、敗戦後に生まれた日本人としての抵抗であり、自嘲であり、屈辱を屈辱として再認識した上で、アメリカに対峙する方法だったのだと考える。またそれが「僕は僕する」というタイトル。即ち自らを盾にした非占領者宣言でもあったハズなのである。
     だが、今回拝見した作品には、我々のような屈折は見受けなかった。一所懸命に体を動かしているのだが、日本人としての身体性を意識した土方の舞踏などは微塵も感じさせない、素直で西洋的なパフォーマンスであった。良いとか悪いとかではなく、そこに我らと現代日本を生きる若い人々との決定的なギャップを感じたのである。
    以上のような訳で今回評価点をつけることは遠慮させて頂くが、科白は原作に忠実なだけに演じ方・演出でこうも作品から受ける印象が異なるということを如実に示してくれたことには大きな意味があるだろう。

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