ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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君の名前を藍色の空に呟いた。【ご来場ありがとうございました!】

君の名前を藍色の空に呟いた。【ご来場ありがとうございました!】

劇団えのぐ

南大塚ホール(東京都)

2017/09/09 (土) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

 いつも心に残る作品を作り、観客に提供してくれるえのぐ。今回も心に沁みた。(追記2017.9.12)

ネタバレBOX

 男女の微妙な念をその切なさに於いて描いて心に沁みる。その淡い念と同時に純度の高い愛の受難、優しさと恋に於ける倫理の相克がこの作品の緊張感を生み出している。シナリオも演技もかなり自然な感じを出しており好印象だ。
 このような構成が可能になっているのは、幼馴染の仲良しグループを中心とした淡い恋心の生々流転を通した成長に、外界が関与した時に顕在化する激しく強い衝撃が描かれているからである。
 言語に於いて最も重要な要素は、代名詞を含む名詞と動詞であるが、この主語・述語の関係が実にバランス良く作品化されている。即ち個々のキャラクターが主部を、各々の行為が述部を為して結果としてのっぴきならないドラマを形作っている。実際、各々のキャラクターが迫られるのは、実に非常な実存的選択なのである。にも拘らず、各々は各々の選択をせねばならない。この切実さが、切なさの感情を痛烈に刺激するのだ。

屈曲:75時

屈曲:75時

不定深度3200

SPACE EDGE(東京都)

2017/09/09 (土) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★★

これから観劇する観客の為に
今作は表層を描いていない。
☆は花四つ☆。何故なら
作家の優れた知性故に、
大衆の心理の憶測に未発展な
部分を感じるからである。
故に、敢えて最高点を今回つけない。
自分の評価は実質10段階なので
通常の4ではなく、その上、花よつ星。
これは、作家の将来を信じてそのポテンシャルの
高さに賭けた。濃密な60分である。(追記後送)

ネタバレBOX

ところで今作解釈(筆者流の)ヒントをいくつか与えておこう。24時制が用いられている。それで75時。屈曲は説明を要すまい。更に、渋谷という街は蟻地獄型の空間、即ち擂鉢構造の街であり、最底辺には、少女地獄をはじめ、幼年地獄、幼少年地獄、被管理地獄ほか様々な地獄が蜷局を巻いている。因みに評者である自分は、被害者にならず寧ろ、そのような地獄を作り出す連中と敵対関係にあった一匹狼、所近の育ちである。そんな自分が、知的な作家に共鳴すること自体面白い。
笑顔。(すまいる)

笑顔。(すまいる)

劇団光希

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

 東京近郊(とはいえ東京駅から電車を乗り継いでたっぷり100分ほどだから芝居1本分の尺)にあるうどん屋の名店「たまや」の名物おかみ、アキの顔色が最近、優れない。周りは注意しなけりゃ、とそれなりの配慮を促すのだが、頑固で自分の仕事に自信を持ち、しっかり者と自他共に認めるアキは、ちょっとした会話の行き違いも冗談を装ってやり過ごす。然し(少し追記9.9 更に追記9.19)

ネタバレBOX


事態はそう甘くは無かった。還暦を迎え誕生を祝って貰った翌朝、アキは、皆の前で頓珍漢なことを言いだしたのだった。この日は冗談だと言い張り、一応の収まりは着いたのだったが、その後もアキの言動がおかしかったり、食事を摂ったことを忘れて食後間もなくまた食事の準備をしたり、自慢の饂飩作りで味が悪くなったりと兆候は誤魔化しようがなくなる。偶々、近所の病院に転院してきた脳神経科の女医がこの店の饂飩が気に入ってしばしば立ち寄るようになって居た為、皆の説得もあって受診することになったが、若年性認知症と診断されてしまった。
 高齢化が進み、日本の現代社会で、認知症の家族・親族を抱える家庭は多い。実際、どの家でもその家系に認知症になった人が居ないというのは珍しいだろう。認知症の主たる症状は、兎に角、忘れる、ということだ。丁度、耳の上辺りにある海馬と呼ばれる部位が記憶を司る中枢なのだが、この部位に縮小が起こったり、脳全体が委縮することで起こる。他人事ではない認知症の進行と、患者が自分の誇りを傷つけられることを恐れる余り、様々に取り繕ったり、素っ頓狂なことを言いだしたり、財布の置き場所を忘れた結果、出会った誰彼を泥棒扱いしたり、他人は愚か家族の顔も見分けられなくなって、家族の方が傷ついたり、徘徊を繰り返すようになったりと、兎に角、独りにさせておけないので、家族の誰かが必ず家に残っているか、施設に預ける外に道が失くなってしまう為、家族の心理的・経済的負担も並大抵ではない。
 一般的には以上のようなことが言える訳だが、その辺り、光希らしい内容になっているのは、アキの周囲が極めて温かく彼女を見守りサポートする姿が描かれているからである。忘れっぽくなったとはいえ、アキの人を見る目の確かさがスワ食い逃げ! と疑われた時にも、また詐欺に引っ掛かって店を失うという懸念が生じたときにも結局は見込まれた客の善意が返ってくるという展開で終息する。同時に彼女の認知症は増々進行し徘徊や、夜中に天麩羅を揚げだしてぼやを起こすなどが入れ子細工に演じられるので、観客は、展開に引き付けられ飽きることがない。またここで描かれることが、人を信じることの強さ・尊さに繋がってゆくので、庶民の生活感覚を伴いつつ描かれる顛末の温かさ、優しさが心を撃つ。光希劇団員の他、客演の役者陣も力のある役者が多く脚本、演出、演技もバランスが取れている。舞台美術もしっかり作り込まれ、ぼやのシーンでは屋台崩し迄表現してあったのもグーだ。無論、音響・照明の効果も良い。
さよならだけでは人生が、

さよならだけでは人生が、

みけねこ企画

絵本塾ホール(東京都)

2017/09/06 (水) ~ 2017/09/09 (土)公演終了

満足度★★★

板をコの字で客席が囲み、長辺下部をAコーナーとして、ここから時計回りにBCDと名付けたとするとB,Dには、ドアに見立てた白枠が組み建てられ出捌け口として機能している以外には、何ら舞台美術はなしの素舞台形式である。

ネタバレBOX

描かれるのは高校時代から、その8年後までの地方高校同級生の変遷だが、心中だの、苛めとその復讐としての殺人事件だの、教師との心中事件を起こし落命した女高生に恋していた男子生徒と女高生の霊との邂逅だのとかなり異常な世界が盛り込まれているにも関わらず、何ら劇的でない点、ドラマツルギーが成立するというより、TVドラマの出来損ない、といった体で今作の視座が設定されているのが特徴的である。各々の役に主体性が感じられず、生きている実感が感じられない。他者の目線で総てが処理されているので演劇である必要が感じられない舞台であった。
「売春捜査官〜ギャランドゥ」「熱海殺人事件」

「売春捜査官〜ギャランドゥ」「熱海殺人事件」

株式会社STAGE COMPANY

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/09/05 (火) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★★

 謂わずと知れたつか こうへいの大ヒット作だが、戯曲を脚本化しないことを続けていたつか作品はバージョンが極めて豊富である。

ネタバレBOX

何れにせよ、つか作品上演の難しさは、ずっと高いテンションを保ち続けなければならないことだと思っている。それだけ、体力・気力の充実が必要とされる舞台なのだ。チャイコフスキーが大音量で流れるオープニング、エンディングに負けないテンションの高さが必要なのは無論だが、その途中も含め一瞬の気も抜けないのが、つか作品の特徴であり鍵である。従って役者達に要求される熱量、瞬発力、集中と拡散の妙を使い分けることから来る落差によって示唆される社会の歪み、差別されることのひりつくような傷みと作家の共感がパッションの奔流となって降り注ぐ必要がある。これができる脚本だからこそ、様々に用いられる差別用語が決して表層でなく、寧ろ差別される者への温かい支えとして、作家の人間的温かさとして受容されるのだ。
 今回は、Stage Companyによる熱海初日だったのだが、若干、このテンションが下がる部分があった。笑いを獲りにきた場面が多用されたということもあろうが、寧ろここは、トラジェディック・コメディのようなニュアンスで演じさせた方が効果的だと思われる。その方が、自然に更に切なく差別の実体を浮かび上がらせるのではあるまいか。
ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2017/09/01 (金) ~ 2017/09/05 (火)公演終了

満足度★★★★★

 20世紀世界演劇の代表作とも目される今作は、今も世界中で上演される人気作品の一つであり、ベケット以降の世界中の演劇人に多大な影響を与えた作品であるが、ジャンルとしては、悲劇にも喜劇にも属さぬ所謂悲喜劇の傑作ということになるだろう。

ネタバレBOX

悲劇の只中には、自分達自身をシャレノメすことによってしか生きられない次元が存在する。その極めて微妙で而ものっぴきならない世界を描いたのがベケットという作家だったのではないか。その世界観は単純には表せない。
 今作でもこの悲喜劇の持つ哀しいのに寂しく笑える空気が満喫できた。登場人物は無論多くない。ウラジミール、エストラゴンの両名にポッツオ、ラッキーそしてメッセンジャーの少年のみであるが、シアターXのかなり広い劇空間をしっかり満たして迫ってくるホリゾントの使い方や、風の音の実に効果的な使い方、各俳優の出身地の差(発音や各地域相互の歴史的関係を)芝居全体に内包させるような演出によってホントに空気としか言えないような濃密な雰囲気を醸し出している。演出家の言によれば、ベケットに指定されたオリジナル通り、基本を守って演出すると作品の深みがより濃く出てくるような作品だということであったが、実際そうであろう。日本の劇団が演じると個々の演出家や役者の職人芸は見事だが、作品の本質は脇に置かれる場合がまま見受けられるのだが、流石にベケットの地元でも活躍する劇団だけあって、作家の本質を良く表現した舞台である。
vol.4

vol.4

ハナイトナデシコ

ギャラリーサイズ(東京都)

2017/09/01 (金) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★

 短編2編の上演。(Aティームを拝見)

ネタバレBOX

1本目は、姉弟と被害者の経営する会社の経理、そして健康保険制度を悪用して金をくすねてきた弱みを握られた為この社長の愛人にされている女医の4人による社長殺人計画を巡る話。完全犯罪を目指し利害を共有する4人がタッグを組んで犯行は実行される。無論、完全犯罪を目指したので本人直筆の遺書も入手しているが、被害者は自分が殺されることを既に知っておりそのことを記したもう一通の「遺書」が残されていた。最も冷徹なハズの姉が、最後に罪の意識に苛まれるのだが、女性は、男などより遥かにリアリストである。而も彼女は冷静で冷徹でさえある。その女が、高々、父が本当 のことを知っていたからとて泣き崩れるハズはない。また、板上で科白では救急車を呼ぶことが話されながら、而も携帯は在りながら、誰もその所作をしない。これは演出に問題があろう。全然、訴えかけて来なかった作品。細かい所で詰めが甘くリアリティーを失ってしまった作品ということができよう。
 2作目は、深夜喫茶の話なのだが、喫茶なのに酒を出す。これは、法的に明らかにオカシイ。まあ、作品自体は一種のファンタジーなので目を瞑るにしても、大人相手の芝居をやるのであれば、この辺りは設定をスナックにすれば良いだけの話なので少し常識の勉強をした方がよかろう。ファンタジーとしての内容自体は占い師の言説のような物言いで客を誑かすママの科白が、様々な不可能を現実化していき嘘が嘘として成立しているので、それさえ理解して観るならば楽しめよう。どのようなファンタジーであるかは観てのお楽しみだ。
ところで、こんなに小さな空間で馬鹿でかい声を張り上げる必要がどこにあるのか? 無論、最近は、あたり構わず大きな声を張り上げるバカアマをよく見掛けるが、それをそのまま真似ればいいというものではあるまい。もう少し芸を見せて欲しいのだ。
イジメがあったという事実は確認できませんでした

イジメがあったという事実は確認できませんでした

teamDugØut

明石スタジオ(東京都)

2017/08/31 (木) ~ 2017/09/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

 この日光の三猿の「国」らしき普遍的真理観の欠如がストレートに表現された作品。

ネタバレBOX

良く海外の一神教信者が、信仰なしにどのように倫理が保たれるのか? と疑問を呈すると言われるが(自分は直接そのような疑問をぶつけられたことはないが)、在る意味彼らの質問は必然であろう。日本人の多くが、一定程度のレベル迄は自己規制するのは、この国の歴史が、相互監視社会であったからであろう。どういうことかといえば、豊臣 秀吉の太閤検地と刀狩りによって、国民の大多数を占めた農民は人別帳を為政者に把握された上、抵抗権を剥奪された。その後江戸時代には儒教の中でも殊に為政者にとって有利な朱子学が体制側の指導原理として採用され、思想的にも徹底して押しつけられた。重税などにより抵抗せざるを得ない状況に追い込まれても武器を持たぬ農民の反乱(農民一揆)が体制側に痛手を齎すことは基本的にできず、御上に逆らうことは即ち犬死を意味した。一方、五人組制度などによって罪は連帯責任を取らされたので、当然のこと乍ら、親が子を愛すれば、御上に逆らうことを止めさせることが愛情の発露であった。同時に連帯責任を負わされることが無いよう、人々は互いに互いを監視し合った。このことによって日本の大衆は、奴隷根性を身に付けたのである。この間の数百年、日本人の体質は変わらなかった。その結果が、今作に描かれたようなアリバイ作り、共同の隠蔽工作、証拠隠滅、生活を理由の社会的正義扼殺、人倫否定及び差別構造の正当化である。この態度は、大日本帝国の戦後処理にも表れていた。ドイツは地続きということもあり、敗戦後直ぐに占領軍が入った為、自分達が大戦中、連合国側に与えた様々な打撃についての証拠を処分する時間が充分無かった。こういった事情もあったことから戦後現在に至る迄、その負の歴史の清算をし続けて現在に至っている。だが、島国の日本は、連合軍が入って来るまで約2週間時間があった。この間、日本がやったことと言えば、自分達に不利な証拠を、昼夜分かたず焼き尽くすことであった。現在、証拠が無いものが多いのはこれが理由である。戦後日本史の実資料は、個人所有のものを後研究者が発掘したものが殆どなのである。後は、日本の支配を脱却したエリアから関係資料が発掘されたことも無論ある。何れにせよ、都合の悪いことは、嘘や詭弁、利害を同じくする者同士の共謀による秘匿及び証拠隠滅、口裏合わせ、アリバイ作り及び忘却という言い訳によって面々と受け継がれてきたのである。この事実をある小学校の苛めをテーマとして描くことで、F1人災以降の被ばく者差別、苛めと、苛めを苦に自殺を図った小学校6年の男の子の残した明確な証拠を焼くという恥知らずな行為迄描くことによって告発した問題作である。
【第29回池袋演劇祭参加作品】『落語の国のアリス』

【第29回池袋演劇祭参加作品】『落語の国のアリス』

ラチェットレンチF

萬劇場(東京都)

2017/08/30 (水) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 開演前から、板上に設けられた高座では落語が演じられるサービスぶり、自分は開演10分前に小屋に入ったのだが、一席30分程度だとすると半時間前に行っても全然退屈せずに済む、ということになろう。かなり上手な話ぶりであった。(追記後送)

もう独りのSOS

もう独りのSOS

@art。

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2017/09/01 (金) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 普段は関西で上演している劇団の初関東上演。舞台美術も総て関西から持ってきている。そんな事情もあって実に良く考えられたものであった。(花四つ☆)

ネタバレBOX

舞台正面奥には平台が設けられて、一段高くなっており、其処に背の部分だけ高くなった立方体が3つ。それは時に椅子になり階段にもなる。開演前は、これらの装置が見えないよう前面に衝立が左右に設けられているのだが、衝立にはタイトルが記されている。この衝立も話の進展に合わせてバーカウンターになり、或いは通路を際立たせる建造物の一部になりと実に合理的な使われ方をしている他、ラストに近いシーンで設置される木枠に嵌め込まれたスクリーンが、非常に効果的に用いられているなど、感心させられた。
 お笑い芸人の芸については、まだまだ修行の余地ありと観たが、それでも脚本の骨太な構造は揺るがず、芸道の厳しさを追及するという点、一途な恋を描くという一点では強く訴えるものがあるのも事実。殊に脚本・演出をこなし今作で主役・浅井を演じた“ひみつのみつき”君の演技が素晴らしい。脇を固めたミサ役、相方の友田役もキャラが立ってグー。
若干、粗さはあるものの、その本質に於いて描かれている世界は、芸の為とはいえ、人の心を弄ぶ芸能のノリが人倫そのものを問うような深さを秘めて、上記二つのプラス価値(芸の厳しさ追及と一途な恋)と対立する構図となっている点で頗るドラマチックな作品になっている。
当然のこと乍ら、この対立が投げ掛けている問題の深さは観客に向けられた問いかけでもあり、この点が成功しているからこそ、この作品を観た者はこの物語の深化を己の心の中で果たすのである。創る側と観る側が、作品を通して一体化できる舞台であった。この劇団の今後に期待したい。
「月いち座布団劇場 八月篇」

「月いち座布団劇場 八月篇」

占子の兎

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2017/08/30 (水) ~ 2017/08/30 (水)公演終了

満足度★★★★★

十周年を記念しての月いち座布団劇場だが、今回のネタは3本。{ところで次回の宣伝をしておこう。10月11日午後3時と午後7時の予定だ。(行く場合は必ず自分で確認するように。)}

ネタバレBOX

序に「天狗裁き」破に「らーめん屋」そして急に「たちぎれ線香」の順で演じられた。元ネタが関東なのは破のらーめん屋、これを挟むようにして2本は上方落語である。何れも傑作という評価のネタばかりだが、この選定が良い。むろん、関西もものを関東に持ってくるわけだから、場所の名の変更や如何に上方の元ネタの持っている味を損なわずに関東風の味に仕立てるかは、詩を翻訳するような難しさがあり、大変な作業なのだが、この辺りの翻案も見事であり、本来が落語という独り芝居の権化のような作品をとても良いキャスティングで各キャラを立たせた通常のストレートプレイに仕立てている手際も良い。江戸の下町方言への転換もリズム感も見事である。(まっつぐ行ってしだり等々) 
 元ネタのセレクトの素晴らしさは、人間の本性というものを何れも良く描き出した作品であるということがある。誰しもが持つ感情の深部に分け入ってその魂を掴みとり夢中にさせたり、しみじみ感じさせる作品ばかりであるのみならず、天狗裁きでは、下げを少し変えて原作の笑いより、更にぐっと怖い無限ループを現出させて見せ、永劫回帰のような恐ろしさを表出させた。また、音響・照明などの効果も実に上手に使い役者達の演技を盛り上げている。
 真ん中を占めたらーめん屋は、故柳家 金語楼が、五代目古今亭 今輔に書き下ろしたという人情噺の傑作。原作の良さを見事に演じた面々の演技が素晴らしい。各キャラを演じる役者たちの間の取り方も絶妙で随所に笑いを誘いつつ、深くしんねり、人の心を撃つ。見事な演技であった。
 たちぎれ線香は、遊女と大店の若旦那の悲恋を描いた作品だが、これだけ性描写が流行る昨今だからこそ、この純愛の美しさ、哀れが際立つ。今作でもキャスティングが見事である。番頭役の厳しくも品のある佇まいが素晴らしい。無論、倉に監禁された若旦那への恋文が、八十日で途切れたことの意味する所、百か日の監禁中は、愛しい小糸(この名も恋とに掛けてある)からの手紙のことも一切知らずに過ごした若旦那ではあったのだが、解き放たれるや否や直ぐに置屋を訪ねた若旦那は、残酷な事実を知る。小糸の祀られた仏壇に手を合わせる若旦那に小糸の為に作らせ、今では供え物となった三味が鳴りだす。奏されるのは、若旦那の大好きな曲。だが、中途で音が途切れた。その訳は、線香が燃え尽きた為であった。
これが下げだ。何とも切ないではないか。
PTA

PTA

ホチキス

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/08/17 (木) ~ 2017/08/21 (月)公演終了

満足度★★★★

 奇妙な舞台設計である。建築家が好きに作った建物は使い勝手が悪くて仕様がない、というのは現代建築業界の常識であるが、この学校も建築家としては面白い建物なのであろうが、生徒が廊下で良く転ぶなどという話題が入ってくるので使い勝手は良くなさそうである。

ネタバレBOX

外装を目立たせないと人目を惹かないので、使い勝手が悪いなどということも良く起こるのだろうが、外装の無理は自ずと内部構造にも関わってくる。何れにせよ校舎の屋根の形や連山のように連なる屋根の波は斬新ではある。ところで、この建築家が設計した机は、組み合わせ方にフレキシビリティーがあってかなり自在に配置できる。この長所を有効利用しながら、話の展開に合わせて机が様々に組み替えられるのも面白い。
 ところで、現在この植民地の劣化は目を覆うばかりであるが、その原因は、吉田茂以降踏襲されてきた自民党保守派のイエスマン指向にあるだろう。今作では、そのイエスマンキャラが教頭に振られている。
 序盤の演技は作り過ぎてわざとらしさを感じたが、中盤以降自然な演技になったように感じられた。終盤、新任教師の論理性によって急速に問題群が繙かれQ.E.Dに至る展開 は見事だ。因みにQ.E.Dとは、数学や哲学で用いられる略号でラテン語の Quod Erat Demonstrandum(かく示された)が略されたものだ。今作では“証明された”と解釈している。
 物語の内容については、他の人のネタバレで明かされていよう。先述したが、日本の劣化の大きな原因の一つにイエスマンの組織内での出世があろう。能力が同等ならば、当然イエスマンが有利な訳だし、ノーマンの能力が上司たちの能力を遥かに超えていれば、上司たちにはノーマンの優れた能力は見えないことになる。この植民地社会では一歩先を見ただけで評価されない。評価されるのはせいぜい半歩先までである。従って本当に能力のある人々の多くが海外へ行ったまま戻らない。つまり頭脳流出である。この問題が気付かれてから既に長いのだが、アホしかいない植民地では、根本的な対策が取られてこなかった。現に、3.11人災を起こした東京電力で人災時、社長を務めていた清水が、政府に対して現場から逃げ出すことについて打診していたニュースを覚えておいでの読者も多かろう。清水はイエスマンの代表のような男で、彼の妻は、当時会長だった勝俣の娘である。その勝俣は人災発生時、多くのメディアOB、関係者を連れて中国外遊をしゃれ込んでいた。この事実も報道されていたからご存じの方々が多かろう。その他、人災時の副社長らも、人災後、長きに亘って海外逃亡していた。この辺りのことも知っている方々がかなり居ると思う。こんな無責任がまかり通り、のみならず再稼働だの、推進派である田中をトップに据えての茶番組織、原子力規制委の立ち上げ及び既成事実化など総てが、アメリカの意向にイエスと答える日本と言う名の植民地を牛耳る輩、つまり下司野郎どもの責任なのである。アメリカにとって植民地の人間などどうなろうと関係ない。それは、広島・長崎の被ばく少年。少女たちのデータが、米ソ冷戦体制下で、アメリカに敵対する総ての地域に対する核爆弾の投下によって、相手の戦闘能力を無化する為の基礎データとして用いられていたことを観ても明らかである。狂牛病でも押し切られ、自民党政府は、異議を唱えなかった。家畜人ヤプーそのものと化した日本の為政者どもは、アメリカに対して何らの盾にもなっていないどころか、進んで日本国民を売り渡している売国奴である。現在の地位協定の前身である日米行政協定を結んだ吉田 茂も無論国賊。そして、現在もアメリカの軍事行動に何も言えない判決(統治行為論によって、その後この最高裁判例を根拠に総てのアメリカ軍の組織的犯罪に対し、日本は判断を下していない)を下した、田中 耕太郎もアメリカの犬であった。彼はその後東大総長を務め、さらに国際司法裁判所判事迄勤めている。アメリカの犬であったればこその出世である。この事実は、アメリカサイドの公文書から明らかである。
 現在、教育の癌と言われるPTAもアメリカ流のものではなかったか? 示唆的なタイトルである。
言っておくが、未だにアメリカの犬はたくさんいる。安倍などがその最たるものであることは言うを俟たない。
金色夜叉『ゴールデンデビルVSフランケンシュタイン』

金色夜叉『ゴールデンデビルVSフランケンシュタイン』

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2017/08/18 (金) ~ 2017/08/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今回、寛一役で初の主演を務める中瀬古 健、二場で泣かせる科白を吐く宮役の古野 あきほ、演技の質がひと回り大きくなり存在感を増した女高利貸し・赤樫 満枝役のゆうき 梨菜、マッドサイエンティスト・大門 雷電役の座長・丸山 正吾らをはじめ、履物屋の娘・神田 細魚を演じた野村 亜矢、亜矢の世話役・葦原 甚八を演じた川又 崇功、新聞記者、秋津 金五役の岡田 悟一、女侠客&XX役の石井 ひとみ、その娘鯛子を演じた大岸 明日香、華麗なバトン技術を見せた小間 百華等々、芸達者が多く楽しみ満載。

 さて、原作の「金色夜叉」は尾崎紅葉の名を現代に迄伝える通俗小説だが、雅俗折衷体で書かれている為、現代の人が読むと殆ど途中で投げだしてしまうようだ。無論、明治時代の社会通念や価値観、今では廃れてしまった風俗・風習の違いによる分かり難さもその原因の一つだろう。更に、事件の顛末に論理的必然や因果究明を求める現代日本人には、不徹底と思える展開もあるであろう。その原作を換骨奪胎する為の前説として、一種の女義太夫に見立て、口三味の囃子で演じる石川 美樹の歴史解説演技もグー。その台詞は、日本の古代史から大化の改新、壬申の乱、戦国時代の朝鮮出兵、更には日清・日露戦争を経ての近代迄の歴史をも視野に入れ、単に歴史的視点のみならずジェオポリティックな視点まで組み入れて展開する。実に面白いエンターテインメントであると同時に、優れた社会時評にもなっている。ところで、様々な要素を織り交ぜた今作だが、物語に広がりと深みを与える秘訣がサブタイトルの”ゴールデンデビルVSフランケンシュタインに表れている点も見逃せない。(追記2017.8.21 05:33。8.24更にほんの少し追記)

ネタバレBOX

「フランケンシュタイン」は、詩人、パーシー・シェリーの妻、メアリー・シェリーの作品だが、原題のタイトルは「Frankenstein: or The Modern Prometheus」である。プロメテウスは、ギリシャ神話に出てくる、人間に火を与えた神だ。一方シェリーの小説に出てくるフランケンシュタイン生みの親、ヴィクター・フランケンシュタインは、今作に登場するマッドサイエンティストの原型を為すキャラクターだと言えよう。何れも先駆者ということになろうが、ここでプロメテウスの名を分解してみると、プロ(先に)メテウス(考える者)と分解できるので、先見の明を持つ者という意訳ができる。つまり、今作のタイトルは、金色夜叉をゴールデンデビルと訳し、フランケンシュタインと等価で対置することによって先見の明を持った科学者の視座とそのような科学者によって発明・発見された科学的技術の成果は、それを用いる他の多くの人々の判断や社会、地球環境或いはヒトが生きている環境の開発(宇宙や深海なども含む)にとってどのような結果を齎し得るのか? という実に現代的な問題提起にも繋がり得るものなのである。
 今作では、新たにフランケンシュタイン製作に成功するのであるが、原作をもとにした映画などで描かれているのとは異なり、様々な遺体の継ぎ接ぎと雷を利用した電気ショックなどによる遺体刺激だけでは、活性化し得なかった死者を、富を象徴するダイヤと人間の生への執着を表す祭りを加えることによって再生させて見せる所に意味がある。そしてそのような結論を導く為に用いられているのがヒンドゥー教の最高神・シヴァと欲に目の眩んだ宮である。先ずは、日本人には余り知られていないシヴァから。シヴァは破壊と創造そして再生を司る神であり、それは、軍によって破壊が齎されれば、破壊後に新たに創造し、失われたものを再生すると読み替えることができる。このシヴァの日本的代替が、大黒天である。この遷移は、インド密教にシヴァの化身であるマハカーラが取り入れられ、巡り巡って日本の密教に取り入れられた際、大国主命と神仏集合されて崇拝の対象になったと考えられる。宮に関するくどくどしい説明は不要であろう。ところでこれら総てを担う者としてマッドサイエンティストが機能しているとすれば、彼は当にシヴァ+宮と言う事になるが、そうはなって居ない所に今作の面白さが隠れていよう。
 実際、軍部によってフランケンシュタイン計画はフォローされる所であった。然し1体を創る為に必要なダイヤの量が余りにも多いので、費用対効果の面で採算が取れない、というのがその結論であった為に研究は中止されたのだ。その代替として登場してくるのが靖国システムである。亡くなった兵士を神に祭り上げることで、殆ど金を掛けることなく(実際には1銭5厘(昭和)・召集令状の切手代)神として祀るという触れ込みによって兵士になるインセンティブを高め、一般人を調達できるシステムこそ靖国だ。(この事実がさりげなく示されている点、実に頼もしいではないか)現実には、共謀罪が既に施行されている訳だから、この指摘も予めマッドサイエンティストの独白「右翼でも左翼でもなく、自分は真ん中で云々」によって政治的イデオロギーではなく、庶民の実体感覚として示されている訳である。当然のことながら、寛一の宮に対する妙に純なメンタリティー(それはストイシズムに由来してでもいるかのようだ)や、高利貸し・満枝の寛一に対する一途な愛、甚八・細魚の純愛(大店の娘とその使用人の恋・心中)という今作の底流を為す愛の形にも繋がる。
 そして、メインプロットである寛一・宮の恋譚が、甚八・細魚の悲恋、更には満枝の一途な愛というWのサブプロットで愛の奔流を為し、物語に深みと広がりを作り出していることにも作家の力量を見ることができよう。大団円に至る終末部は、観てのお楽しみ。
 早目に行っても、いつものようにサービス精神満点の愉しみがあるし、休憩時間の10分の間に流れる添田 唖蝉坊の演歌が、エンコの良さを偲ばせる。この辺りの演出も流石と言わねばなるまい。
昇天

昇天

U-33project

高田馬場ラビネスト(東京都)

2017/08/18 (金) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★

 序盤、わざと関係性を分からないように組み立てようとしている手際の余り良くない

ネタバレBOX

シナリオ・演出の展開を見せられて、眠気を誘われてしまった。ここは、観客を引き込むべきである。それには、擽りや考え抜かれた伏線を張ること、テンションンの高低差、現実から観客を引き離し、劇的世界に連れ込む仕掛けを用意しなければなるまい。
 わざと意味不明にしようとしていることから、感の良い観客は、そこがキリスト教流に言うならば冥界であることは直ぐ見抜いてしまう。従ってそのあとの登場人物たちのやり取りも退屈としか映らない。結果として眠らせてしまう。シナリオを練り直すことから始めるべきだろう。当然、演出や演技も変わらざるを得ない。
 ただ、役者として面白い味を出していたのは、バーテンダー役であった。若い人ばかりの劇団のようなので、今後、自分達をどんどん磨いていってほしい。
まいっちんぐマチコ先生

まいっちんぐマチコ先生

舞台版まいっちんぐマチコ先生実行委員会

ブディストホール(東京都)

2017/08/17 (木) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★

 興行を重視した公演に思えた。

ネタバレBOX

原作は、”ハレンチ学園”と双璧を為したお色気漫画と聞いている。映画化もされている。原作漫画は読んでいないのだが、映画は日本映画チャンネルで見たことがある。その舞台版ということでキャストの数もかなり多く、プロデューサーは作品の仕上がりより採算を重視したように思われる。映画でもお色気重視の軽い作品であったが、舞台化する以上は、精緻な脚本の魅力と優れた演出、滲み出るような色気で悩殺して欲しかった。芭蕉ではないが、本来文化的な“軽み”は、極めて特殊な瞬間にしか結実できないほど高度な技術。芸術的領域であり、それを目指さなければ態々舞台化することの意味は薄い。まあ、其処まで追求する意志も無かったであろうことは、パンフの中にアンケート用紙が入っていなかったことでも類推はできるが。
 役者として唯一上手いと思ったのは変態教師・山形 国男役、しいはしジャスタウェイ。
フィクション・モテギモテオ

フィクション・モテギモテオ

ライオン・パーマ

駅前劇場(東京都)

2017/08/17 (木) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

自分の拝見した回は満席であったが、昨夜時点で日曜日に未だ若干残席があるとのことであった。問い合わせてみることをお勧めする。観劇すれば芝居の醍醐味を満喫できるであろう。

ネタバレBOX

先ず、テーマを恋愛にしたのが、今作成功の秘密だろう。この問題、如何にDNAに命じられた行動・欲求とは言え、性差ある生物には死活問題であり、本能の衝動そのものであり、つまりは普遍的なテーマであるからだ。流行歌でも何でも兎に角、人口に膾炙する音楽一般の殆どは恋に関するものであるという単純な事実一つみても、このことは納得がゆくであろう。貴賤の区別も貧富の差もまして性差も知的優劣の差もない、我ら生き物の本質的衝動なのだ、ということを改めて思い知らせてくれる傑作。
 喜劇なので、必然的に順当な切り口はしていない。本能を逆手から切り込んでくる。モテない、それも半端でなくモテないタイプが主人公なのである。で、であるからこそ、その本能的欲求は極点に達しており、純化されている。喜劇の面白さに矢張り誰かが誰かをからかうという視座がある訳であるが、演劇における喜劇が成立するのは、舞台上で役者達が歌舞いている造形を観客がからかいの目で見ているという構図が成り立つだろう。今作は、この歌舞き(歌舞くという動詞から生まれた名詞)が、箍外し、大小様々などんでん返し(観客の読みを更に先読みして、ひっくり返す極めて知的な展開)などを、実にバランスよく、見事なキャスティングと演出、シナリオの完成度の高さ、それを具現化する役者陣の演技によって提示して見せた。
雨季

雨季

演劇ユニットG.com

王子小劇場(東京都)

2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

 先ず舞台設定がユニークだ。通常、舞台への入り口となる両開きのドアが、そのまま舞台にも用いられる。従って観客席は通常とは真逆の位置に設えられ、ロビーもまた、舞台となっているのだ。

ネタバレBOX

而も2階位置にある渡り廊下も、舞台として用いられている。この渡り廊下に留められた長短様々な角材が、音楽的なリズムを感じさせるような配置で設えられている。床まで届く角材もあれば、短いものもあるのだが、そうして作られた空間に、様々なセットが収められている。下手には、ホテルの応接セット、正面奥にはバーカウンターに椅子、そして上手壁際にはベッドである。出捌け口は、右コーナー奥と、通常ロビーと劇場を隔てる両開きのドアである。
 さて、時代背景は、スターリンからフルシュチョフ辺りまでのソ連であることが、容易に想像される。というのも、原作はA&Bストルガツキイの「みにくい白鳥」だからだ。作家は、下手をすればラーゲリ送りになることを常に意識しながら今作を書いていることは明らかである。(この辺りの事情を文学で知りたければソルジェニー・ツインの「収容所列島」辺りを読んでみると良い。スターリンの暴政についてはもう散々報じられているからいくらでも資料はあろう。)
 ところで、このような歴史的背景を知って今作を観るのと、そのような前提なしに観るのとでは、無論、解釈が大きく変わる。否、この前提なしに観れば意味不明な箇所や、読み違えがたくさん出てくるであろうことは容易に想像がつく。無論、そのような読み違いを含めて解釈されることが、芸術作品が生き残るたった一つの道であることは重々承知しているが、自分が生きた時代の生々しい知識のリアリティーを持つ世代とそうでない世代とでは、自然解釈に大きな隔たりは出てくる作品ではあろう。
 作る側も当然、その辺りのことは意識しているから、余り露骨にそれを出すことはしていない。一種の寓話として描いている、と言った方が適当だろう。ロシア語はからっきしダメなのだが、恐らく原文でもそのように描かれているのではないか、とは思う。世界観としては、オーウェルの「1984年」の世界を想像してみると良い。
 以上に挙げたような前提を満たすと、今作の傾向は、怖い作品ということになろうか? 無論、幽霊や怪物のような、異界の者が登場する怖さではない。現実の政治が人々に対して行使する権力によるリアルな恐怖である。そして肝心なことは、現在着々と、この極東の「小国」でも、この事態が進行していることであり、理不尽で何らの戦略・戦術・地政学的見識・人倫・判断力も持たぬ下司が、この「国」の支配者として君臨し、この国の針路を誤らせようとしていることである。その先にどんな世界が待っているか? 今作を他山の石としたい。
しょうちゃんの一日

しょうちゃんの一日

風雷紡

d-倉庫(東京都)

2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作は狭山事件を扱っている。この事件の扱いは、極めてデリケートな問題を含み、それは当に現在の我々の生そのものに深く関与している。だから、どう表現するのかが極めて重要になってくる。社会学的な観点からすれば、この点にこそ、今作を問う意味があるといっても過言ではないほど重く深い問題なのである。この難題を漢字表記は異なるものの、“しょうちゃん”と呼ばれる二人の16歳を迎える思春期の少女の、実に微妙な心理状況を梃に交感という超常感覚を用いて繋ぎ、考え得る様々な矛盾や、対立する証言の多様な解釈を尖鋭化し過ぎることなく纏めてみせている。この点が実に上手い。(追記2017.8.22)

ネタバレBOX


 一方、無論、部落差別のみならず更に般化した差別の在り様を役者達の仕草を通して、さらりと演じ分け、分かる者には着実に伝わるように仕組むと同時に、敗戦を経験し満州から沖縄へ移された兵士や、引揚者達の、奇跡的とも言える生存後に紡がれた人生とその家族関係を、これまた社会の因習や、弱者へのしわ寄せによって、己と親族だけは殺人事件という重大犯罪に関わりを持たぬ風を装い、剰え真の実行犯を隠し、冤罪を生む責任転嫁を行わせた社会的「実力者」の因循姑息な狡猾も描いて見せる。極めてバランスの良い作品だ。
 大道具の配置、即ち空間処理が見事で、様々なシチュエイションを演じる役者達の動きに自然な様子が見られることも特筆に値しよう。しょうちゃんを演じる女優のセーラー服姿も良く似合っている。登場する家族は全部で3家族であるが、主たるそれは2家族。そのそれぞれが、内部にちょっと事情を抱えており、殺害されたしょうちゃんの家族である日下部家の秘密こそが、この難事件の真犯人を隠すことになったのではないか? との解釈は自然な説得力を持つ。そして、捜査する側の家族・立花家の苦労をしてきた親同士の再婚の過程をさらりと描いて見せ、引揚者の特に幼い子供たちの必死な有様も簡潔に而も極めて適確に描いている点も見事である。
 無論、物語はこの二項対立のみでは終わらない。第三の家族の家長こそ、この事件の実際の黒幕ではないか? との示唆が為されているからである。己の社会的地位・権威を利用し、口先三寸で、容疑者として逮捕された者に自供させるよう、捜査担当に抜擢された元交通課巡査部長を籠絡して、冤罪を決定的にしたのみならず、日下部家の秘密にも或いは重大な関与をしていると深読みできそうでさえあるのだ。果たして真の悪人・罪人とは誰だったのだろうか? 
 バイアスを排し、得点稼ぎを焦って立件を目指すのでなく、あくまで事実に拠る実証的な積み重ねによって犯人を挙げようとした立花家家長である警部の目論見を潰したのも、この「実力者」であった。これが、この日本という社会の持つ病弊ではなかったか? そんな問題を突き付けてもくる作品である。精度の高いシナリオ、実力のある役者陣と演出・効果のタッグ。考えさせる作品に仕上がっている。

ナイゲン(2017年版)

ナイゲン(2017年版)

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/08/11 (金) ~ 2017/08/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

 兎に角、シナリオがしっかりしていることと、演出、演技、キャラクター設定などが秀逸である。(追記2017.8.22 )

ネタバレBOX

演劇の基本中の基本が、ダイアローグにあるのは誰でも承知していることであるが、ナイゲンは、当にこの演劇の王道を追及した作品と言うことができる。高校生の討論を通して見えてくる世相、そしてその変化と常に頭を持ち上げてくる問題に共通する傾向や普遍的な性向などのシナリオレベルでの選択も適確であり、演ずる時点での時世の傾向にも留意した演出のフィット感覚も優れたものである。
今回も最初、正面奥の緑板に対して対向方向に置かれた縦4列、横3列プラスこれらの椅子机に対して反対方向に向いていた教師用と目される椅子、机が開始早々、縦長のロの字にレイアウト変換される。こうすることで舞台を三方から縦コの字型に囲んだ、観客席のどの位置からも見切れを少なくしている。無論、単にそれだけではない。普段の授業スタイルから、ナイゲン用のレイアウトに変更したことを観客に意識させる為のレイアウト変更でもある。
このレイアウト変更と前後しての明転の際、壁奥に掛かっていた掛け時計の時刻が、会議当日(3日目)の会議開始時刻に合わされ、その後の緊迫した議論を視覚的にも無理なく時間化してゆく。この辺りの演出は見事であり、必須の仕掛けをキチンとこなした上で作っている確かさが感じられる。様々なギャグや諧謔、大人の政治社会への痛烈なアイロニーやパロディーも、このようにしっかりした細部のリアリティーがあってこそキチンと機能しているのだ。
会議の謂わばリーダー役である議長が、この手の会議は無経験だということも重要だ。何故なら、議長の役割とはあらゆるバイアスを排し、議会を催す際の約束事に従って議事を進行することだからであり、議事の進行についての偏りのない立場を貫き通せるということが最重要だからである。それには、寧ろ経験を積むことの無かった者の方が適確な場合も少なくはない。
縦長ロの字の上手には1年、反対側に2年、そしてロの字の底辺を為す位置を3年が占める。各学年、3人。1人、1団体の代表である。3年の反対側には、文化祭実行委書記、副委員長、議長、監査の4人が並んでいる。ナイゲン精神、規約、参加さ団体詳細については、入場時、客席に置かれた当パンの中に資料が入っているから早目に行って目を通しておくとよい。(無論見なくても分かる内容にはなっているが)
未だ多くのステージが残っているので、今日はこれくらいにしておく。後程、多少、追記をする予定だ。
論理的には矛盾のある点もあるのであるが、設定が高校生の議論となっている点、また、基本的な方向性としては、学生運動のあった頃の最も美しい目標、一人は皆の為に、皆は一人の為にが底流に流れているようにも感じられ、現在、大人が政治で姑息極まりない詭弁を用い、良識ある人々総てを絶望の淵に追い込んでいることへの痛烈なアイロニーとしてみるならば、実際の行動や生態は兎も角、人口に膾炙したハイエナのイギタなさに対する白鳥のような爽やかさも感じられる。

因習の村にて

因習の村にて

カスタムプロジェクト

調布市せんがわ劇場(東京都)

2017/08/11 (金) ~ 2017/08/13 (日)公演終了

満足度★★★★

 開演から終演まで150分とかなりの長丁場だが、内訳は、推理パートでの劇上演90分、謎解きは、観客自身。観客に与えられた推理パート時間30分、解決パート30分の都合150分。因みに8月11日マチネの正解は108名中3名。ソワレは、観客数の発表はなかったが正解は2名であった。劇場着席時、観客が観てよいのは、フライヤーと兎倉村地図や因習などが記されたリーフレット。入場時に渡される解答用紙入りの袋は指示のあるまで開けてはならない。
 今作は、観客参加型の推理劇なのでネタバレはしない。舞台の作りは頗るシンプルで正面奥にスクリーン、スクリーンの手前には平台を横に繋げ一段上げた作り。無論、その手前は舞台床である。この劇場は観客席の段差がかなりあるので、見切れは生じにくい。観劇諸氏の正解を祈る。

ネタバレBOX

かなり正解を出すのは難しいぞ!

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