ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

1161-1180件 / 3201件中
穴ザワールド

穴ザワールド

発条ロールシアター

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2017/11/16 (木) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

 久しぶりの発条ロールシアター公演、拝見だ。

ネタバレBOX

以前はよく、閉めてしまったタイニイアリスで上演していた劇団なので自分も観に行っていたのだ。今回は番外公演と銘打ち杉並車庫前のビルのB1にあるアトラクターズスタジオでの公演である。タイトルも穴があって地下のイメージだし、移転後のタイニイアリスも地下にあった、アトラクターズスタジオも地下だ。妙な符号があるのは偶然だろうか? 
 何れにせよ、何となくアングラの流れも持っている劇団の公演であるから、不条理演劇的表現が挿入されているシーンもあり、既に初老の方々には懐かしいシーンと言えようし、若い方々には新鮮に映るだろう。
 ただ、自分に若干気になったのは、まあ、舞台とは「嘘」の世界だという演ずる側と観る側の約束事があって成り立っている以上、そういう書割の中で組まれた仮想現実内の約束事は守らねばならないのではないか? という点であった。作。演の方に伺ったら、自分が齟齬を感じたシーンはイメージとして作っているということであったが、それが観客にキチンと伝わらないとそうは見えない。運送屋さん(鈴木さん役)に溜息でもつかせて「こんなに疲れる再配では夢と現実の境目すら・・・」と眠らせるシーンを瞬間的に儲けるとか、あくびをしている所に、配達先のコノシロさんにピンスポを当てて「あんなに疲れていちゃ白日夢でも見そう」のような科白を吐かせるとか、兎に角エッジを立てる必要があるように思う。
 面白いのは実父であるコノシロが、実の娘である新子に対してシンコサンと呼んでいる点である。この言い方に離婚していないが、女房から半分だけ愛想をつかされている、実はナイーブなコノシロの性格が見えてくる。
 物語の隠れた中心である鯵ヶ沢に纏わる穴掘りが、徳川の埋蔵金に関連ずけられ、コノシロの書いた嘘メモを真実かも知れないと半信半疑ながら、アプローチを掛けてくるスズキも現実的な人間の欲を示していて興味深い。
 反抗期の新子も、そんなにラディカルな反抗は見せないが、如何にも女子高生らしい、感覚が表現されていてグー。
 大家が現れるタイミングが、今作を喜劇として纏めている点でも楽しめる。アトラクターズスタジオの使い方にも驚いた。此処までこのスタジオで表現できるとは! という驚きであったが、それには、無論、舞台美術の工夫も大きく関与している。
 タイトルが持つ複数の意味についてはくどくど述べないが、自分は少なくともトリプルミーニングだとは思う。
くじらと見た夢

くじらと見た夢

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2017/11/17 (金) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

 鯨は起きていないと死んでしまうから、

ネタバレBOX

右脳と左脳を半分づつ使って生涯、起きている。そんな鯨のどちらの脳が起きている時が現実で、どちらの脳が寝ている時が夢なのか? その境界領域が在るのか無いのか、鯨ならぬ我々ヒトには類推するしかないのではないか? その半生を鯨への共感と共に意識的に歩んできた筆者が、沖縄名護、宮城鮎川、レンバダ島ラマレラ、和歌山太地を総括する作品。無論、沖縄では、普天間から辺野古への200年耐久の「米軍基地移設」という名の二重植民地化固定策動に嫌も応もなく関わらざるを得ない沖縄民衆の複雑な利害や思い、日本政府による新たな琉球処分問題などが、それと理解できる形でキチンと提示されると同時に、先に挙げたような生命体としての鯨の生存様態とその高い知的能力に関しての人間の勝手な解釈などの曖昧性を利用した、地球は誰のものか? に関する問いを孕んで物語は展開する。
鯨の話と並行して辺野古に海に生息していたとされる3体のジュゴンを含めての話では、地球環境破壊のメルクマールとして、またマーメイドのモデルとされるその知られざる生態に関わる夢として、更にはあらゆる生命の母、海の象徴とし、海の男に現れるニライカナイからの使いとして、夢と現のたおやかな繋ぎ手としての女性も描かれている。
そのことと、命を的に漁る漁師と鯨の戦いと漁価、浜に集まる女たち、そしてこれら総ての要素によって構成される持続可能な社会体制が提示され、その危機が描かれると同時に、終末時計を観客が自分の想像の中に設定するなら、目前に迫った終末をも同時に見ることができる。その上で、今作は、ディストピアを如何に生き延びるか? その方向を示して幕を閉じる。坂手氏渾身の作、必見!
三人義理姉妹

三人義理姉妹

年年有魚

駅前劇場(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ちょっと変わったレイアウトである。

ネタバレBOX

板を客席がLを90°左旋回した形で囲んでいるのだ。一段高くなった中央には、正面と上手側にソファが設えられ、どちらからも使い勝手の良い位置にテーブルが据えられている。この応接間の奥には欄間に透かし彫りを施した上に障子にも対角線上に矢張り透かし彫りを施した優雅な拵え。無論、障子の透かし彫り、意匠は異なる。応接間の左右に延びた奥の間へ通じる障子の手前には、地面の高さにフラットな空間がある。また、応接間へ通じるアプローチは、劇場入り口へ斜めに伸びて赤く彩られた通路を際立たせている。
 さて、このかなり豪華な家屋の設定は何を意味するのだろう? 一瞬タイトルに戻ってみよう。チェーホフのもじりであることは明らかなこのタイトルの下、この豪勢な屋敷の意味する物は、政治家の家である。それなりのエリートという訳だ。(言っておくが今作で描かれている政治家は、現在、日本を牛耳っている下司共とは一線を画している)
 その上で、政治家一家の用いる言葉、或いは言葉を用いた会話・対話とその家に嫁いだ庶民感覚を持った嫁との言語のコノタシオンの相違によるぎくしゃく、ギャップによる現実解釈の相違に至る意味深長を巧みに描いて、チェーホフの世相観察に迫るものがある。
 以上のことから当然に、政治家とその秘書との間に展開する権謀術数、スキャンダルを利用しての画策は当然のこととして、それが事件化するか否かの瀬戸際で、家族それぞれ、また使用人たちの態度に、リアリティーが感じられる所に今作の作家の才能を見ることができる。休止などせずに突っ走って貰いたい。
棄てられし者の幻想庭園

棄てられし者の幻想庭園

中二病演劇集団Schwarz Welt

中野スタジオあくとれ(東京都)

2017/11/17 (金) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

  チュウニ病という言葉がどこからどのように出て来たのか、自分は良く知らない。

ネタバレBOX

その定義も知らない。だが、今作がそのチュウニ病と言う単語のコンセプトによって創られているのであれば、それは草莽と近かろう。現代日本では絶滅した精神である。結果、世の中は下司ばかりになり、下司が大手を振って歩いている。これも思考する頭脳と恥を知る心を失い、金と金に繋がる効率だけを求めてひた走り、より根本的で大切なもの・ことを切り捨てて恥じない厚顔無恥と無思考の為せる業だ。
 そんなアホなポピュリズムとエポケーの時代に物申し、正鵠を射ている為にこそ、排斥の憂き目に遭っているのが、チュウニ病と名指される精神活動なのではないか? だとすれば、そのような精神活動はより活発にして誇るべきであり、断じて照れたり、自嘲して見せるべきもの・ことでもない。
 但し、より高き者は、憐みをも持つべきではある。あらゆる生物に於いて、各個体はその能力に差を持つ、優れた者は、生得的能力によって他を凌ぎやすいのである。但し、例えば先天的に有利な者であっても、努力を怠るとか、他のそれほど先天的能力に恵まれない者が努力し続けることによって生得的に勝る者を追い抜くことが起こるし、起こり得ることを実際に目の当たりにしてきた者は多かろう。それが現実の世の中である。
 今作が描いているのは、実際の世の中で理不尽な死を遂げた者が、その理不尽を糺そうと、己を常に陰に置きながら、現実社会で起きる様々な理不尽を少しでも減らし、何時の日か、人々が理不尽な思いをしないでも済むような世界へ向けて、一つ一つの理不尽を清算してゆくことである。表現形態は結構擬古典的でちょっとゴシックロマン的な調子を感じる人もいるかも知れないが、寧ろ、ギリシャ・ローマ的、キリスト教神秘主義的な要素が多い。例えば、ミッションのコードネームの付け方にしてもラビリンスは、無論ミノタウルスやアリアドネの糸を想起させるし、フェニックスとは、ポイニクスを指しギリシャにもその名を知られたエチオピア生まれの霊鳥、更に666の数字はキリスト教神秘主義で聖なる数とされている。神が6日で世界を創造したこと、その約数、1・2・3は足しても掛けても6になること、逆に2で割り3で割ると物事の基本単位である1が生まれること、引くと、∞を回帰する零という有とは別次元の概念を生むことなどから聖なる数とされたのである。オーメンで主人公の誕生日が6月6日6時とされるのも、サタントリスメジストはこの時に生まれるとされるからである。
 まあ、若い人々は、ゲームやアニメでこういったギリシャ・ローマ由来、或いはキリスト教由来の知識を援用したキャラ作りやコンセプトから、ある程度、今作のそれらをイメージできようし、我々のような年代は、ギリシャ・ローマからキリスト教、ペルシャ、ケルト神話、アニミズム研究を含む民俗学、クルアーンなどは読んでいて当たり前なので簡単に類推できよう。お勧めである。
煙が目にしみる

煙が目にしみる

パンドラの匣

TACCS1179(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

 火葬場には、野々村家親族、北見家親族が、係りの者に案内されてやってくる。霊前で各々が手を合わせた後、捌けると何やらお遍路さんのような扮装の初老の男2人が登場、上手奥に見事に咲いた桜を眺めて桜談義に花を咲かせている。(追記後送)

ネタバレBOX

あれこれ話すうちに、三途の川を渡る渡し賃の六文に触れることで、彼らが既に亡くなっていることが決定的になる。つまり、これから火葬に付される当人たちなのである。火加減が自分達に与える苦痛に関しても話をしていたりと笑わせながら物語は進んでゆくのだが、片や脳梗塞で亡くなった地元高校野球部の監督、片や娘と行きつけのビデオ屋の店長だけが来ている髭のおっさん。親族の集まり方が対照的な2人の火葬だが、監督の母は認知症をわずらっった為か、この2人の霊が見え、話をすることもできる。
 監督は、育てた生徒たちが初めて甲子園の土を踏み、1回戦で敗れたものの、終盤、5点差を1点差迄追い上げ、次の機会に希望を残した。髭のおっさんは腹上死、親子ほど年の離れた彼女との恋の果てであった。娘は、この恋人に嫉妬、霊と交信できるお婆さんの計らいで火葬場に現れた恋人に冷たい仕打ちをするが・・・。
 
THE LAST ALIEN

THE LAST ALIEN

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2017/11/09 (木) ~ 2017/11/13 (月)公演終了

満足度★★★★

 カラッとした作りになっている。花四つ星。{明日(13日・月)が楽だが、終演後若干の追記あり}

ネタバレBOX


 ウッディーシアター中目黒というのは、ちょっと変わった舞台構造になっているのだが、正面舞台の左側、歌舞伎で言えば花道の根本辺りにあるスッポンの辺り迄がL字を時計回りに90度回転させたような作りになっている。ちょっと型破りなのは、場転の度に、このL字の短辺を用いて演技をし、その間に正面の家具、丁度等を入れ替えて舞台転換をしている点だ。時間はごく短い。その間に、地元スーパーAAA(スリーA)事務室から喫茶店、或いは、小池家などへ見事に場転が行われ、散々動き回っているハズの出演者もいるだろうに、息が上がっていないことである。(これらの早業は、この劇団の隠れた特色で案外隠れファンが居るかもしれないが)
 前置きはこれくらいにしておこう。世の中には、不思議なことがたくさんあるものだが、そのうちの一つに超古代文明期に、当時の人間の技とは思えない技術を用いた様々な建築物が作られていたり、機械・機器などの製造物が出土したりしていることについての謎である。といった具合に最初の暗転の際、スッポン部分に以上のような具体例が写真などで映写されるのだ。登場するエイリアンは1人。数十年前に不時着したUFO乗組員唯一の生き残りである。
 筋に関して:AAAは、大手スーパーが、近所の駅近に大型スーパーが進出してきた為、本店ともう1つの支店の黒字とは対照的に既に赤字続きである。この赤字を1か月以内に克服する具体的なヴィジョンを1か月以内に提示できない限り、この店舗は閉めざるを得ない。父である社長に呼ばれた店長はこんなにシビアな状態を告げられ、宣告された。何としても起死回生の一手を打たなければならない。それも1か月以内でだ。店長はすぐさま、主任たちに非常呼集を掛け、会議を開く。その会議で出された最も有力な案は、枢要なスタッフだけでなく、関わりのある就業者全員から、意見を募ろうというものであった。その合理的な提案に、中々賢い店長は応じた。様々な案が出されるがどれも決定打とはなり得ていない。その中で、若いスタッフが意見を出した。その案とは、このスーパーのダメ社員、小池さんが作ったメンチカツを販売することであった。大型スーパーにはなく、惣菜コーナーを設ける為の大がかりな店舗改築やスタッフ増員、コーナー設置等々の問題も大きくないこの提案に反対する主任も居たのだが、兎に角、他に名案がない以上、チャレンジしてみようという話になり、小池さんがその任を負うことになった。然し乍ら、彼はその受け身な性格を女房に嫌われた挙句出てゆかれ、今、娘にも愛想を尽かされてただ独り、悶々としていたばかりではなく、地球人をサンプルとして持ち帰り、研究資料にしようとしている宇宙人と彼らの星に行く契約をしていた。もっと悪いことに、娘は街のごろつきにひょんなことから丸め込まれヤサグレてあわや風俗に売られる危険を孕んでいた。偶々、娘の同級生が、ごろつきの舎弟だったのだが、そして彼女を兄貴分に紹介することになってしまっていたのだが、彼女を命懸けで庇った。散々焼きを入れられても自分の命を張って彼女を守ったお蔭で、未だ売られずに済んでいた。
 ここから先は、本日、楽日の公演をご覧頂きたい。楽しめる作品である。
 
キャガプシー

キャガプシー

おぼんろ

おぼんろ特設劇場(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

 12月9日マチネに伺ったのだが、強風の為、テントが使えず、演者達は、観客の安全を優先、
苦渋の決断を下した。悔しかっただろう。それで、その後の公演が上手く開催できるか否か
危ぶんでいたのだが、こりっちのコメントを見ると、どうやら大丈夫だったようで安心した。
 代わりに演じられたのが「ズタボロ一代記」これは、観客はテント外で、拓馬が、丁度、テントと観客との境界領域で演じた芝居であった。あの状況の中で、皆良く耐え、頑張った。褒めて遣わす!
なお、今回、拝見した作品は、予定作ではない為、敢えて星評価はしない。ただ、スタッフ、出演者たちに、改めて「ありがとう」の言葉を送る。
 ところで、今までおぼんろを拝見してきた経験から、この劇団の作品は、お勧めである。

トロイア戦争

トロイア戦争

明治大学シェイクスピアプロジェクト

アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)

2017/11/10 (金) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★

 謂わずと知れたシェイクスピアが、トロイ戦争を扱った大作だ。これだけの出演者をキチンと纏め上げること自体が大変な作業だが、流石に明治大学シェイクスピアプロジェクト、良く纏めている。

ネタバレBOX

出演者は全員、現役の学生さんだから、老け役などは、演ずるのが難しいという点はあるにせよ、皆良く役どころを考えて演じており、清々しい感じが観ている観客にも伝わって良い雰囲気で観劇できる。演出、衣装、舞台美術、照明、音響それら総てが一つになって舞台を盛り上げてゆく。主役二人の純愛が、裏切りに変わる展開や、圧倒的な力の前にただ独り生き抜いてゆかねばならぬ女性の選択をジェンダー的視点から眺めてみるのも面白かろう。また、狂言回しや話の腰を折り、茶化す召し使いたちの言動が、シェイクスピアの抱えていた苦い現実認識を影のようにつかず離れずに伝えてくる点も、これはシェイクスピアの手柄であろうが脚本術として素晴らしい。
 更に、ホメーロスの描いた「イーリアス」での記述と今作のヘクトール対アキレウスの戦いの模様が全く異なる点にも注意を向けたい。今作で、ヘクトールは、倫理的にも非常に気高いトロイ方の英雄として描かれているが、アキレウスは極めて強いが激情的で人格も劣り、欲望に翻弄される俗物であり、同時に一種の卑怯者として描かれている。ここにシェイクスピアの、現実世界に対するアイロニーが込められているように感じるのは自分だけだろうか? 最後のシーンでも嘆きが聴かれるが、今作のうちに何度も聞かれるこの嘆きこそ、トロイの悲劇を通じて描かれた、世の中の強者(即ち人々の欲望に掉さす狡猾と力)支配に対する真っ当な人間の魂が呻くように呟くアイロニーではなかったか? 
クレシダの豹変を如何に解釈するか? という点と最後に挙げた点2点を良く表現している。
病院狂騒曲

病院狂騒曲

秘密結社Crymax

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★

  うーむ。人間というこの厄介な生き物の掘り下げがイマイチか? 

ネタバレBOX

然しながら序盤、結構、治験の見返りに報酬を受けていたりなど、実際にあることも、散見。
その中で笑わせてはくれる。肩の凝らない喜劇に仕上がった。
みごとな女

みごとな女

SPIRAL MOON

サブテレニアン(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

 必見! 花5つ☆。もう流石というしかない。いつもスパイラルムーンの芝居の素晴らしさには感心させられるのだが、常打ち小屋でない為、多くの苦労があったハズであるにも関わらず、脚本の良さを実に深く読み込んで細かい点にまで配慮の行き届いた演出は流石である。
 キャスティングも良い。何より、こういう演目を選んでくる所に鑑識眼の確かさを感じる。久しぶりに上品な日本語の対話を楽しんだ。(追記2017.11.12)

ネタバレBOX

 森本 薫22歳時の作品、1934年作だ。約60分と尺は短いが、実に濃密でスリリング、而も品のある作品である。伏線の敷き方が尋常ではない。高学歴女子の常として、炊事、洗濯、掃除等が苦手という理屈が通る現代とは異なり、大正ロマンティシズムやリベラリズムの残滓が残るとはいえ、まだまだ、女子は結婚して、子供を産み育てるのが当たり前とされていた時代、理化学研究所に入ろうとしていた研究者肌のあさ子、24歳(当時のことだからかずえだろう。現在なら23歳である)にもなって、結婚よりは、研究! に情熱を燃やすあさ子の縁談を考えてやらなければと思っている母、真紀。あさ子の幼馴染の文学青年、収。そして、あさ子の友人の兄で医者の弘。これが、前提である。
 さて、あさ子は、天真爛漫、だが恋愛を考えない訳ではない証拠に、理研への就職を母の反対で諦めて以降、娘の嗜みとして覚えておかねばならぬ裁縫、ピアノなどの他できれば華道、茶道といった習い事に精を出さねばいならないのに、人形を作ってその人形に着せる着物ばかり縫っている。おまけに袂を縫わせれば、袖口迄縫ってしまうというような、可愛らしい失敗をする。それを咎められると、ちょっと気の利いた返答をすかさず切り替えしてくるので、中々一般常識と捉えられていることも押し付けることができない。
 そんなあさ子に好意を持っている収は、どうしても好意を行動に変えることができない受け身の青年である。而も潰しの利かない文学青年だ。そんな収の心を読み取って、真紀は、彼に尋ねる。他の人を彼女に娶せて良いか否かを。収は、この時点でも行動に移すことができなかった。真紀は、十程年嵩だが、中々の好青年である弘とあさ子を娶せることにした。
 結果、弘が訪ねてくる。あさ子と真紀が席を外している隙に弘と収の間で、あさ子を娶るのがどちらかについての談義が交わされるのだが、この静かだが、緊迫そのものの対話が凄い。人間存在の総てと誇りを掛けて話された内容については、紳士協定として守ることを互いに誓うのだが、この道程が、実に見事で品のある日本語でその本質であるギリギリの折衝を包んでいる為に、紳士協定であることが納得されるという形で観客に伝わるのだ。更に結婚の話が纏まった後、あさ子の揺れる娘心が表現されている点も見逃せない。
冬雷

冬雷

下鴨車窓

こまばアゴラ劇場(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★

 幼くして亡くなった娘の1周忌を翌日に控えて、親族や縁の深い人々が、思い出の場所に集った。かつてあった山小屋は火事で焼失していたが、その焼け跡で。(追記後送)

ネタバレBOX


 肝は、亡くなった子の母と父の、子に対する距離感の相違からくる態度、対応の齟齬による行き違いである。
LIFE, LIVE ライフ、ライブ

LIFE, LIVE ライフ、ライブ

劇団フライングステージ

OFF OFFシアター(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★

弁護士、会計士、司法書士、行政書士など所謂士業にありがちなちょっと上品な所で纏めてはいるものの、実際にこれら士業の扱う案件は様々。(追記後送)

ネタバレBOX

弁護士などの中には暴力団の顧問弁護士もいるから、彼らのやっていることは、如何に法の抜け穴を利用するかくらいなことであり、それで自家用飛行機なども所有していたのだから随分なものである。ところで、今作の主役は行政書士、それもLGBTのG、つまりゲイの行政書士である。ゲイということもあり、カミングアウトはしていなかったのだが、いい年をして結婚もせず、子供も居ないことから、事務所のリストラ候補筆頭クラスに上がっていた。同じ事務所の司法書士資格を持つ女性から、このことを指摘され現在受けている案件を外注扱いにしてもらい独立して共同の事務所を開こう、という話に乗って独立してからの顛末が今作の内容だ。士業としての模範的な出来ではある。行儀が良いのである。
父母姉僕弟君

父母姉僕弟君

キティエンターテインメント

シアターサンモール(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

 大きなパテーションが正面奥に1枚、若干の間を空けて左右のパテーションは片仮名のハの字になるような感じで設えられている。内容的にはロードムービーならぬロードシアターだ。ちょっと変わったタイトルだが、このタイトルの不思議な感覚が中盤までずっとシュールな作り方として機能してゆく。(追記後送)

しゃべらない人

しゃべらない人

劇団東京ドラマハウス

明石スタジオ(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 中盤から終盤にかけての展開で心理学者、動物学者、旅行評論家などのコメンテーターが様々な角度からのアプローチが興味深い。(追記後送)

「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演

「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演

庭劇団ペニノ

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2017/11/04 (土) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★

 舞台美術が凄い。回り舞台に4つの場所が割り振られているのだが見事な造りである。(追記後送)

ネタバレBOX

 
 ただ、自分は、シナリオ重視なのでシナリオ自体に深みは感じなかった。以下、ウィキを参考に。仏教の十二因縁即ち、 (1) 無明 (迷いの根本としての無知) (2) 行 (無明に基づき,次のステップを形成する働き) (3) 識 (受胎時最初の念) (4) 名色 (子宮内で発達する心的なもの及び肉体的なもの) (5) 六処 (6つの感覚器官が整い、母胎を出ようとする状態) (6) 触 (物に触れて知る触感のみの状態) (7) 受 (対象を識別感受する状態) (8) 愛 (欲望によって対象を判断する状態) (9) 取 (己の欲望に執着する状態) その結果としての (10) 有 (生存) (11) 生 (12) 老死。あとのものの原因となっているのは、数字の若い方である。このの系列が釈迦の悟りの内容とされているという。苦しみを断つためには,その根本的原因である無明から順次に滅されなければならない、と考えられたという。
かたつむりは明日も夢をみる

かたつむりは明日も夢をみる

レペゼンかたつむり

北池袋 新生館シアター(東京都)

2017/11/04 (土) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★

 短編3作によるオムニバス公演(追記後送)

ネタバレBOX


1.「ふたりの生活」:2組のカップルが登場する。1組はユリとケンゴ、姉弟である。ユリはニート。姉が「表では結構上手くやる」と言っているケンゴは、姉の罵詈雑言と弟の前では恰もオブローモフの如く怠惰で、自らは何もしない姉の面倒を見なければ“姉は表で他人にどれだけの迷惑を掛けるか知れない”という「理由」から姉の面倒を見続けている。だが、自分の言葉に矛盾があることに気付いていない。∵外では結構上手くやっているのであれば、ケンゴが姉の面倒を見続ける必要は一切ないのである。ここから、ケンゴが姉の世話に拘るのは、彼のアイデンティティーが、この点に掛かっているからだということが簡単に分かってしまう。
 もう一組は同棲しているカップル、女はキララ、男はタクミ。タクミは、凡庸極まる連中が凡庸を毛嫌いするのをそのままそのキャラとしたような大学生で、ケンゴの友人だが、ケンゴが姉に我慢しきれなくなって殺害することを期待している。期待通りになれば、殺人犯の友人という珍しい立場になることができるからと考えるアホである。
 まあ、ケンゴは、己のやっていることの矛盾というか無意味に気付いていないのであるから、彼の頭の中では、姉の怠惰にウンザリしていると同時にその姉の面倒を見ることでアイデンティファイしている訳だから、此処にはアンチノミーがある。
 一方、1話の最後で、キララはたくさんの羽毛をまき散らすのだが、これは、本当は人間同士のカップルではなく、タクミが飼っている小鳥(オウムなど人の言葉を真似ることのできる鳥なら猶更よい)との間に交わされた独白だとキチンと示していたら、これはこれで都市に生きる独りの若者の狂気に近い孤独を表して面白かろう。
 何れにせよ、描き方が中途半端で矛盾を矛盾として書けていないのは、脚本家が、自分の頭で充分考えていない証拠だろう。作・演が分かれているのであれば、演出家はこういった点を作家に対して言うべきである。
サスライ7 パート1起ーサイカイー“ちょっとだけ改訂版”

サスライ7 パート1起ーサイカイー“ちょっとだけ改訂版”

東京アンテナコンテナ

南大塚ホール(東京都)

2017/11/01 (水) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

Bチームを拝見
 新進企業の御曹司誕生&副社長就任パーティーには、ヒーローショーの出演依頼を受けた面々が集まりリハーサルをしているが、突如、機器の不調でリハは中止。待機している面々に舞い込んだのは爆破予告であった。

ネタバレBOX


一方、かつてはTVにも良く出演し、アイドルとして持てはやされていたサエコも戦隊の主題歌を歌っている関係及び御曹司の元カノなどの絡みで呼ばれているのだが、彼女は不機嫌である。というのも今ではTV出演もなく、而も御曹司にはキャピキャピのギャルがあてつけるようにぶら下がっているのだ。
 だが、因縁はこれだけではない。戦隊の現レッドは、御曹司の小中の同級生、また御曹司の世話役は、皆に無視されるという苛めを受けながら小学校の時に転校してしまった同級生だったのである。御曹司は、小中時代、現レッドより格上のヒーローだったことが現レッドのコンプレックスを煽るのだ。
 ところで、下平さんとイジリーさんのアドリブはパート1から存在していたのだろう。現在のそれに比べると若干、ノリが悪いように感じた点でそうだと判断した。回を重ねる度にブラッシュアップされているのだと解釈した訳である。
流石と感じたのは、場面場面での桁外しの上手さである。この辺りはアンコンの独壇場と言えるように思う。何せ、お相撲さんのような体格の剣持さんやタカノハシさんまで、この桁外しに関わってくるのだから面白くない訳がない。
無論、アンコンの魅力は桁外しの上手さに留まらない。ダジャレやそれに対する寸評、ギャグ、アドリブ、そしてこれらの連携による重層的なお笑いシステムが、下平さんの脚本の根底に流れるとても温かなヒューマニズムに裏打ちされていることが凄いのだ。
今作でも同級生3人のメンタルなレベルでの誤解やコンプレックス、罪悪感や嫉妬等を乗り越えて連携してゆく爽快感などと対比されて描かれるのは、他人を罠に掛けたり裏切ったりしてのし上がってきた悪党が、サスライ7と同級生の連携によって明らかになり、最初の爆弾処理のからくりと2度目の爆弾を仕掛ける動機など事件の核心が明らかになってゆく中、同時に御曹司の優しさと真のヒーローの条件などが明らかになって行き、事件解決が為されてゆく過程に無理がなく、而もスリリングに描かれている点でまさしくヒューマンコメディーの王道をゆくという感じが在る。楽しめる上に生きてゆく活力が湧いてくる作品だ。

海岸線にみる光

海岸線にみる光

SKY SOART ψ WINGS

SPACE EDGE(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

映画監督新人賞を受賞した後は、心を切り取ると評された才能も発揮せぬまま四十路を迎えようとする最上と助手の珠水は、土佐の室戸へやってきた。(追記後送)

ネタバレBOX

顎足持ちで、製作費も負担してくれるという条件で映画製作を依頼されたからである。依頼主は癌で余命1年と宣告されたこの地の実業家未亡人。依頼内容は彼女の心を映像化して欲しいというものであった。
テネシーウィリアムズ短編集 vol.2

テネシーウィリアムズ短編集 vol.2

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

 T.ウィリアムズの作品4編と彼へのオマージュとして書かれた短編が1篇。場転以外に10~15分の休憩1回を挟んで約3時間半の長丁場である。他の観劇予定が入っている方は注意すべし。

ネタバレBOX

 5作総てが、場転に余り時間を取られないように、似たシチュエーションの舞台設定である。即ちどの舞台も総て安アパートの1室や共用スペースである。1作だけ、売春宿の1室という設定もあるが。
 第1話:ロンググッドバイ(有機座・訳)
癌だった母が、息子、ジョン名義でと兄妹に某かの金を残す為に自殺を遂げた後、小説家志望のジョンの部屋を訪れるのは失対事業で少し稼ごうと思っている友人のシルバビルだけだ。彼はジョンが窓から飛び降りるのではないか? と極めて最もな想像をして心配しているのだ。 一方貧乏臭い生活を嫌って出帆してしまい、今や堕落した生活をしていると思われる妹、マイラからは、1枚絵葉書が届いただけで実際どんな暮らしをしているのかは語られない。尤も、映画のフィードバック手法のように過去の再現シーンが何度となく登場するので、兄妹の過去の生活、母との別れ等々も自然に描かれるという寸法だ。
 ところで、今日はジョンの引っ越し当日。引っ越し業者の出入りもあって、様々な時間が同一空間の中で描かれる点で映画的な作りになっている。有名な作品だから内容はくどくど書かない。ただ、今作は有機座が自分達で訳したということが当パンに書いてあったので記しておく。良い原作を原文で読むのは楽しいことだから、こうやってどんどん自分達自身で訳すのも良いのではあるまいか。少なくとも彼我の差をある程度自分達の感覚に即して正確に知る為にも、本当は自分達で訳したいものである。無論、その為の語学習得や勉強は必須であるが。自分は今作を原文で読んでいないので口幅ったいことは言えないが、原作を原文で読むことの面白さは原文に用いられている各単語のコノタシオンの差から、湧き上がってくるイマージュの差、イマジネーションの差がくっきり見えるということがある。この辺りに彼我の差のかなりの部分が含まれると思うのだ。
 第2話:あるマドンナの肖像
 第3話:バイロン卿の恋文
 第4話:バーサよりよろしく
 第5話:扉の無いアパートメント
 この第5話が銀漱氏の作・演による、テネシー・ウィリアムズへのオマージュ。設定は1963年8月23日、安アパートの共有スペースでは、男2人が対話している。片や一度、新人賞を受賞したものの、後は鳴かず飛ばずの小説家で、人の集まる場所へ行っては人々の会話を聴くのが趣味という男、片や3年前に失職し、女房・娘に逃げられ部屋に引き籠って在りもしない工場の話やら、そこへ一足先に引っ越している女房・子供という嘘をでっち上げて、自らの傷を隠蔽している男、そして3人目の男は公民権運動に携わり運動に夢中になった為か、折角入った大学の奨学金を打ち切られた若者。この3人は、それぞれが自己正当化しながら生きていたのだが、互いの隠していた部分が、各々相互の揶揄によって次第に明らかになってゆくという作品。公民権運動の若者だけは、ワシントンでこの運動のリーダーだった者、(ハッキリ名指されてはいないが、キング牧師)の呼びかけに応えたムーブメントに参加すべく出掛けてゆくので、多少、未来が見える。何れにせよ、この3人の揶揄合戦で明らかになってゆく互いの実生活が、壊してゆく妄想のギャップが興味深い。惜しむらくは、テネシー・ウィリアムス自身が抱えていたような闇を、銀漱氏は個人的には持たない為、狂ってしまうまでの強烈なキャラクターとしては3人のうちの誰一人造形されていない点だろう。
一人芝居「バカの苦悩」

一人芝居「バカの苦悩」

町田一則×浅川芳恵

OFF OFFシアター(東京都)

2017/11/01 (水) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

 思考する所、愚か者が愚かであるのは、頭脳に優れぬというより、世界観が狭いことにあるのではないか? 

ネタバレBOX

見ている世界が狭いから、大所高所に立って世界を認識しようとしない。結果、優先順位の低いことに拘泥し判断を誤るのである。
 一方で、無論優劣の差は遺伝的、日常生活のレベル差など複合的要因によって決定されるであろう。古い歴史を持つ中国の言葉に“医食同源”があるが、この言葉などは当に生活レベルでのケアがいかに大切かを表しているであろう。何故なら、我らの体は日々新陳代謝によって更新されているからであり、食事がその内容によって身体に与える影響の大きさは、栄養学のみならず、様々なジャンルのデータによっても明らかだから。
 今作に描かれたキャラクターの判断ミスも、自分の受け身を反省していない。寧ろ、その受け身を肯定する為に優しさというキーワードに象徴される形で自己肯定を行っているのである。
 一方、受け身を置き換える単語は違っても、この手を使って人生から逃げている人々が如何に多いかは周知のとおりである。そのことを、このような形で描くことには、批評意識がキチンと働いていよう。重苦しい作品ではあるが、そのような視座を突き付けてくるという意味で興味深い作品である。

このページのQRコードです。

拡大