ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

601-620件 / 3239件中
ISLAND SONG

ISLAND SONG

Musical Current

溝ノ口劇場(神奈川県)

2020/02/19 (水) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★

 歌を聴くだけならお勧め。(追記後送)

ネタバレBOX

 非常に立派なパンフレットが用意され、全員音大の声楽科出身? と思わせるほど歌は頗る上手い。然し脚本は、凡庸だ。NYに出て一旗揚げようとしている男女10人の在り様を描いているのだが、ジュリアーニが市長になって以降劇的に治安は良くなったもののNYの闇の部分やソーホー地区、地下鉄で、その直前迄荒れ狂っていた暴力、殺人、恐喝やレイプといった犯罪、麻薬、アル中、ギャングの残滓は、都市の持つ腸として機能していよう。因みに自分がNYを訪れたのは1999年暮れ、中古の拳銃ならSWチーフスペシャルの値段は100$だった。3流ホテル1泊120~140$よりずっと安い。
「帽子と預言者」 「鳥が鳴き止む時-占領下のラマッラ-」

「帽子と預言者」 「鳥が鳴き止む時-占領下のラマッラ-」

名取事務所

「劇」小劇場(東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 パレスチナ人の書いた作品2本を上演。(追記後送)

ネタバレBOX

「帽子と預言者」

 ガッサン・カナファーニーの作品である。一般にパレスチナ人の表現は、自分たちを洒落のめすような作品が多いのが特質だが、そうでもしていなければ狂ってしまう。それがパレスチナ人が置かれている状況であり、日々彼らが味あわされている日常なのだ。だから、その根底には、凄まじい迄の自嘲が盤踞している。而もこれらの苦境の根本的原因を作ったのは、世界を思うがままに牛耳ってきた英仏米など列強であり、殊に英の有名な三枚舌外交の罪は極めて重い。無論、イスラエルを石油確保の為の橋頭保と位置付けて以降の米のイスラエル優先政策はトランプになって最早なりふり構わぬ癒着レベルに達している。
Pickaroon!<再演>

Pickaroon!<再演>

壱劇屋

DDD AOYAMA CROSS THEATER(東京都)

2020/02/25 (火) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 大阪を本拠地とする劇団だが“殺陣を観て痺れる”という感覚を持たせてくれる劇団は、この劇団くらいではないか?

ネタバレBOX

 殺陣の見事さという点では、他にもう一つの劇団を観たことがあるが。何れの演者も高い技術と身体能力を持つ優れた集団である。
舞台美術、照明、音響、衣装の見事なコラボと、為政者・佐久間の性質の悪さをしっかり描き込んだ脚本は、正しく政治の本質がキチンと描かれており、ピッカルーンの実に個性の強い7人の強者たちの要として機能する御姫の純粋と対比されるのでドラマツルギーが爆発的な力を持つ。同時に佐久間の手練手管によって好きなように操られる民衆が描き込まれていることが我らの生きる社会の縮図として観る者に迫ってくる点もグー。
殺陣の見事さで特に自分が気に入った方とその魅力の見せ方は、男虎を演じ、作・演、殺陣指導も手掛ける竹村 晋太郎さんの重量感と間合いの取り方、流麗な動き、キャラの作り方、更に袖に付けられた布の効果及び見事に殺陣の効果を高める照明・音響もあって迫力満点。また伊武の闘技用変身体になった時の、黒衣に身を包んだ石黒さくらさんの華麗な空手の技も見ものである。彼女の蹴りや突きの素早さ、的確さ、角度、連続性などまさしく流麗というレベル。見事なものである。
可愛くていとおしくて仕方がない

可愛くていとおしくて仕方がない

劇団メイギザ

明治大学和泉校舎第二学生会館地下アトリエ(東京都)

2020/02/23 (日) ~ 2020/02/25 (火)公演終了

満足度★★★★

 現在、日本に生きる若者の生きずらさ、地獄をキチンと描いて見せたオムニバス形式の作品。内容もほぼ同世代に設定しているので演者と役の年齢ギャップを作劇上で感じることもないのはグー。(追記後送華4つ☆)

ネタバレBOX

但し元カノが同じ店に居て「目をあわせちゃった」設定で、今の彼女候補が母親からの電話と言って彼との席を外し、(同じ店内で女子同士の内輪話を、元カノの座っているつまり元カレから丸見えの席でするハズがない。)にも関わらず、観客の視線を無視した矛盾を強いるのは矢張り認めがたい。演劇は論理だ。かなり頭の良い作家さんだから、これだけ言えば充分だろう。これが原因で5つ☆ではない。
色指南 ~或る噺家の恋〜

色指南 ~或る噺家の恋〜

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2020/02/22 (土) ~ 2020/03/02 (月)公演終了

満足度★★★★★

 野坂昭如の原作を望月六郎さんが脚本化、(追記後送)

ネタバレBOX

原作との大きな違いは雨之雀とうめのの関係及び雨之雀がガンギの録助に取材を敢行する点である。前者は、今作の最も抒情的な神髄を為す部分であるが、実に含蓄の深い而も恥じらいというものの持つ最良の形を演劇化し得たシーンとして心に深く染み入った。後者は、作品が観客に自然な形で届くように演劇的に脚色されている部分で脚本家としての望月さんの真骨頂でもあろう。
 雨之雀役の丸山 正吾氏、ガンギの録助役の岡田 梧一氏の魅力的な演技は無論、正岡イルカ役の那須野イルカ氏の品の良い知的人士ぶり、大人の演技が板についてきたうめの役の大岸明日香さん、看板女優という重荷と戦いながら二回り位人間的に成長したと感じさせる茜役・神田川侑希さんらは、無論、全体的に歌も踊りもレベルアップしてグー。
FACE

FACE

令和座

cafe&bar 木星劇場(東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/02/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

 今作の深さを為しているもの・ことは実をいえば現今のグローバリゼーションの根底にあるもの・ことではないか? (追記後送)

ネタバレBOX

 設定は住民数200人ほどの山奥の村、独特の言語を用いて対話し仮面を付けて生活するといわれる場所だ。この村に東京のラボで研究医療に携わる三澤という男がやってくる。この村の調査と医療ケアが仕事の内容である。そこで彼の見たものは、美少女・白濱が仮面を付けた村人に紙袋を頭から被せられ、差別・虐待される姿であった。彼女の棲家は焼かれた為、今は野外での生活を余儀なくされていた。三澤は彼女にも人権があることを彼女自身に気付かせ、差別する者たちから護ることで徐々に彼女の信頼を勝ち得てゆく。そこへやって来たのは同じラボで研究に携わる徳永だった。彼は可成り功利的な男で一度期に2人もこの村への派遣が為されたのは、研究だの医療ケアだのではなく左遷だと捉えていた。そして三澤とは異なるアプローチを試みる。彼は村の娘、カノンの顔の左側面の大きな痣を取り除き美しくしてやるという餌で彼女を口説き、村の秘密を暴こうとする。多くのことをカレンから聞き出した徳永であったが、鍵の掛かった、村の金庫と呼ばれる建物の中に一体何が入っているのか迄は掴めなかった。そんな時、ミイラのように顔中を包帯巻きにした男・フィムが現れる。村の中で唯一人顔に傷も痣もなく最も美しいが故に差別され続けてきた白濱と最も醜いが故に閉じ込められ続けたフィムは被差別者同士の本物を見分ける目と感性そして互いの持つ優しさと人間としての尊厳を傷つけられた者同士の共感により互いを人間同士と認め合い、信頼できる友となった。
願わくは、花の下にて

願わくは、花の下にて

劇団イン・ノート

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/02/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイゼツべしミル。華5つ☆。3回目公演で満席だけのことはある。作・演、演技、照明、音響、スタッフの対応何れも素晴らしい。(追記後送)

ネタバレBOX


 タイトルは西行の名歌から採られている。これは~取りという日本の詩歌の伝統を踏まえた表現技法のひとつであることは言うまでもない。内容的にも北面の武士としてエリートの街道を驀進した西行が何故、仏門に入ったのか? という西行ファンならずとも多くの人々が興味を示す史的事実を遠い木霊として、浦島伝説の在り得べきバージョンを制作している。
演劇まつり

演劇まつり

演劇サイト

高円寺K'sスタジオ(東京都)

2020/02/21 (金) ~ 2020/02/24 (月)公演終了

満足度★★

 演劇まつりと題されたコンペに参加している団体総数は8団体。うち2つを本日拝見。

ネタバレBOX

 1本目は「張り込み」というタイトルの作品であるが、どうも若い人達の作品には、書く必然性を作家が自分の内部に持っていないようなものが多い。これもショウアップされ、スターシステムによって資本の論理を隠蔽した上で形成されている現代の収奪形式の形態の一つではあるのだが、その結果は惨憺たるものであると言わざるを得まい。残念だ! 今作には、矛盾と取れる部分があった。

 2本目は「恋の守り犬」というタイトルの作品だが、今作も、作家の内面にホントに表現したい何ものも無いことを如実に示した作品で、その空疎を誤魔化す為に犬は殆ど人間として描かれていて、その描き方によって観客を迷わせようとの狙いがあるようには思ったが、2人称の世界だけが作用し合う、自分たちの生きている世界を全く視野に入れようともしない現代の日本の若者像が結果的には描かれているようで深刻な危機感を持った。夜は大学の演劇部の公演を拝見したのだが、2作品共に学生演劇の足元にも及ばない。
陰陽師

陰陽師

BACK ATTACKERS

シアターブラッツ(東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/02/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

 前説でかなりイケメンの役者さん2人がお茶らけたべしゃりから始めたので、ミスったか! と考えかけたが、これも良い意味でのケレン。大切なことはキチンと論理立てて述べているのを観て、しっかりした劇団だと判断した直後、別の前説が出てくるに及んで、この劇団、何かしらかなりおもろいことやらかすで、という確信に変わった。そして、この期待は裏切られなかった。お勧めである。(追記後送、おもろいで!)

 

ネタバレBOX

エンタメの形式を採っているから、ギャグレベルもグラデーションがしっかりつけてあり、観客の知性に応じて笑える場所が異なる。何れにせよ、総てのギャグを理解できる観客にとっても、別次元の社会的、社会科学的、そして政治を如何に哲学するか? といった非常に本質的な所に棹差した作品なので深読みができる。受け手に応じて様々な位相の解釈ができる点は、恰も芭蕉の句のようである。
アジア戯曲リーディング

アジア戯曲リーディング

亜細亜の骨

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2020/02/19 (水) ~ 2020/02/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 韓国の現代作家による中編、短編各1篇の上演。この尺でこれだけ深い人生を描き得る日本の現代作家を自分は知らない。この企画での作品上演、極めて優れた作品群と観た。(追記2020.2.23 )

ネタバレBOX

 韓国映画「パラサイト 半地下の家族」がアカデミー賞の作品賞など4部門を制した。実際、韓国演劇のレベルの高さは多くの人が認めるであろうし、TV番組(この数年自分はTVを全く見ないが)でも未だに高い質を保っているのであろうと想像する。受賞作でも格差社会が問題となっているそうだが、自分が今迄拝見した来日韓国劇団の演劇作品にも貧困が扱われている作品が多く、今回拝見した作品も2作品のうち1篇はこの問題を扱っている。韓国作品の多くが当に同時代の人々の生活感覚を写し取るような作品が多いのに比べ、日本の演劇界は、そういった生の感覚を削ぎ落とし、真正面から体当たりで表現する作品が少ないように思う。そのせいで作品から受けるインパクトの強度も弱いものが多いのだ。
KEISOU

KEISOU

ラゾーナ川崎プラザソル

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2020/02/14 (金) ~ 2020/02/24 (月)公演終了

満足度★★★

 表層をさらうだけなら演劇的には☆4つ、然し社会や歴史の見方という点では☆3つと評価したので評価は華3つ☆。なぜこう評価したかについてはネタバレ参照のこと。

ネタバレBOX

 タイトルは漢字では「継走」、リレーのことだ。9人編成の輜重兵小隊が中国戦線で自軍の前線兵士に輜重{とは、糧食・衣料・医薬品(当然麻薬を含む)・武器・弾薬を始め作戦遂行に必要なありとあらゆる軍事関連物資のこと、これを運搬する役目を負わされた兵士が輜重兵である}を届ける為に奮闘する話とこの作戦中に亡くなった祖父・孝次を持つ短距離走日本代表走者・憲治が、祖父の戦友で生きて帰れた人物・庄司につばさと共に取材を申し込み、孝次・庄司が共に同じ小隊に属し従軍した時の話を訊きたいと掛け合う。今はフリーランスのライターとなった憲治と仕事に繋げてくれたつばさに対し「22歳時に庄司は同じ小隊で孝次と輜重兵として行動を共にした」と答え、逆に「22歳の時に憲治は何をしていたのか」を尋ねる。この質問が敗戦直前の日本軍の対中国戦線と現代のリレー走者を演劇的に無理なく繋いでいるが、イカンセン日本の軍隊の描き方が余りに実際のそれとは異なっている。先ず、伍長、古年兵と新兵らとの差が小さすぎる。こんなに民主的だったハズが無い。マルタと呼ばれた捕虜を用いた毒ガス、細菌兵器の為の人体実験、南京虐殺、中国人女性レイプや性奴隷化の他、所謂三光作戦、即ち焼光(焼き尽くし)、殺光(殺し尽くし)、搶光(奪い尽くし)を実行した訳であるから憲治が調達した様々な物も総て“三光作戦”の搶光に当たる訳だ。また、初年兵が中国人捕虜らを刺し殺すことによって戦争で侵略先の人々を殺すことに痛痒を感じなくなっていくような方法が積極的に取られていた。この余りにも惨たらしい所業故に中国人からは「東洋鬼」と呼ばれた日本兵の在り様が殆ど示されていない所に現代日本の「民主主義」の根本的弱点、即ち加害者責任無化問題があると思われる。

 一方、この部隊に対する作家の「優しさ」は、上に挙げた様々な事例は、登場する兵士たち自身が、同時に被差別者としての自らの鬱憤を転嫁していたこと、即ち9人の兵全員が東北の出身であることは“白河以北一山百文”の差別が続いていたことの例証であろうことに注意を払った為と考えることができる。が、矢張りこの日本自体の内的差別問題だけでは、史的事実の重さに対して表現として拮抗しえない弱さは否めまい。

 南が譫言にまで復唱する軍人勅諭五ヶ條(一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし 一 軍人は禮儀を正くすへし 一 軍人は武勇を尚ふへし 一 軍人は信義を重んすへし 一 軍人は質素を旨とすへし)と略しているが原文はタイトルなどを含めると2700字を超える文章だ。(演劇作品として尺の問題があるので致し方ない部分があるが、これが上官の命令即ち天皇の命令であるとされ、而も軍隊教育の中で徹底的に人権思想、自由、信教の自由などが弾圧された為、西洋では成立し得た市民という個人意識が育たなかった、恐らくそれが原因で日本人の大多数が己の加害者性を認識できずに今も生きている)。

 意地悪な見方をすれば福沢諭吉が欧米の民主主義の意義を充分承知の上で唱道した天皇を中心とした「強兵富国」策、「天賦国権」「国賦人権」論を踏襲することになりはすまいか? だとすればこれは河上肇がヨーロッパ近代を総括して「天賦人権」「人賦国権」と断じたのとは正反対の差別構造そのものの所業を温存することになりはすまいか?
10 years after SC2

10 years after SC2

劇団サラリーマンチュウニ

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2020/02/14 (金) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 この劇団、全員が一般の社会人として働いている。(追記後送)

ネタバレBOX

それだけに社会に対する普通の感覚、普通の判断をキチンとベースにしながら作品を組み立てているので、本来為政者が持たねばならないような健全な社会意識とバランス感覚で社会に実際に生きる人々が何を望み、何を不安として抱えているかを見事に抉った上で舞台化している。演技は自然だからリアルであり、切実で社会の本質を上手に掬い上げている。
 今回は、小劇場劇団ならどんな劇団も実際にぶつかり悩む問題、即ち劇団存続を巡る様々な問題、どんな演劇人にも必ず訪れる劇団員の加齢による身体性の問題や、才能のレベルの問題以外に、生活し続けていけるか否かの問題、家族(親のアルツハイマーや子の病気、教育問題を始め本人の結婚、出産、子育て費用を含め生活費の深刻な悩み等々)の事情も絡み、劇団を続けてゆくことには多くの困難が伴い、才能はあっても諸事情から止めなければならない状況もあるという現実を背景に、座長の失踪と劇団崩壊の危機に対し、失踪前に座長が10年後の公演を予約した劇場での公演が為される。
塞いで蓋して

塞いで蓋して

Enjoy Stage MITUBAKO

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2020/02/13 (木) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★

 開園前には、えらくセンチな感情表現を予見させるようなBGMが流れて、

ネタバレBOX

舞台美術は恰も寺社の本堂内面を映したような印象の見事なもの。然しファーストシーンに出てきたのは現代のクリエイティブな職業に携わる人間が着るようなファッションの中年の男が上手から、外は雪が降るほど寒いのに薄手の生地のミニスカートの若い女がこの建物(温泉旅館)の下手アプローチから歩いてくる。これだけ舞台美術に金を掛けながら本来の用途では使わない和太鼓が正式のぶっちがえにした台に載せられてではなく、皮の張られた片面を床に接して荷物置きとして用いられているなどの不自然が重なる。これらのちぐはぐは中盤迄ずっと続くので、これを観ただけで演出家は何をやっているんだ? と思わざるを得なかった。伏線も下手だ。中盤、教師の川西とアイドルグループのメンバー、マリとの対話から漸く芝居らしくなった。
タブーなき世界そのつくり方

タブーなき世界そのつくり方

アブラクサス

サンモールスタジオ(東京都)

2020/02/12 (水) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 史実とフィクションを綯い交ぜにし、差別とは何か? それを克服することは可能か? などを提起した問題作!(華5つ☆ べしミル)

ネタバレBOX


歴史の現実を見る限り、数百年単位の月日を通して差別自体は緩和をみてきたと言えよう。然し時にはより陰険、陰湿に目立たぬように実行されるケースも多い。今作でもヘレンの実母、ケイトは障害児であっても自分の娘であるヘレンには夫と対立してでも現代流に言えば健常児に対すると同じように人間として基本的に接しようとしているが、接し方が合っているのかいないのかが良く分からないことで悩んでいる優しい母である。が、有名になったケラーの家に同居することになったヴィニーと同じ手洗いを使うことに対して殆どパニックに陥ったような差別感情を爆発させる。差別の根深さが良く出たシーンである。また腹違いの兄、シンプソンが今作の登場人物中で最も差別的であるように見えるのは、単に彼がKKKの頭巾を被ったりするからではない。寧ろそのような恰好を選ぶ原因にこそ、我らの視点は向けられねばなるまい。結論から言えば恐らくシンプソンにはアイデンティティーの危機感がある。そしてこのことが差別が根深いことのもう一つの大きな原因だと言えるであろう。腹違いではあっても妹、本来は可愛がるハズだ。南部の男のプライドにかけても。だが恐らく事実はそれほど単純に働かない。自分にとっては継母であっても、女の子に比べて遥かに甘ったれなのが男の子というものだ。母には余計甘ったれていたい。然し三重苦を背負ったヘレンに母は掛かりっきりになることが多かったであろう。甘えたいのにそれが実際にはできない。そのことが、ヘレンに必要以上に辛く当たるように観客には見える原因であろうが、恐らく本当の男の子の反応に近い。このような精神状況を抱えながらシンプソンが育っていたとしたら? 古い帽子が度々出てきてシンプソンは異様にその帽子を大切にしている様が描かれているが、帽子が彼にとって何を意味するか? 考えてみても面白かろう。またアイデンティティーの危機からくる差別は、現在のネトウヨ等とも共通する心理であろうなどということも考えさせる。
 アブラクサスが、上演回数を増やす度に、更に多くのファンを獲得し、リピーターが増えるのは無論、作・演出・女優もこなす代表の実力もあるが、彼女の描く世界が持つ普遍的な世界観、その作品群が問い掛ける問題の解決必要性、問題が本質的であるが故に忌避されがちであることなど、実際に我々が生きている社会に対する鋭く、切実な問題意識がある。そういった大切なことが脚本に充分に練り込まれている為、演じる役者陣の役作りもインセンティブが高く、各々の役者が実に良い内面からの表出を舞台で出せている。ピーターの肌は白く白人と見分けはつかない。然しこれは隔世遺伝で肌が白いだけで父、母共に黒人奴隷であった。母系が白人にレイプされて肌が白いだけなのだ。その彼が、KKKに殺されそうになって南部を脱出、白人の振りをしながら北部でメディア関係の仕事をし、記者としても大きな影響力を持つに至っていたが、その彼が、肌が黒い同胞に対し「ここは黒人が来る所では無い」と言わざるを得ない。その彼の苦悩は、他の役者にスポットが当たり、自分のようにひねた観客が気を付けて観ていない限り、滅多に気付かれることのないような隅っこでも、キチンとその苦悩の深さ、辛さ、悲しさが本当に内面からのものとして表現されており感銘を受けた。ヴィニー役も良い。ヘレンの乳母だった彼女は、ヘレンが他の誰にも理解されていない時から、ヘレンが心を開いていた例外的な人間であった。そのことの意味する、雰囲気や人柄のようなアトモスフィヤをも見事に出していた。ヘレンを演じた羽杏さんや、アンを演じた紀保さんの演技の素晴らしさは誰しも褒めるだろうから、自分は余り書かない。分かり切ったことだが、中々実践されていないことに、細部までキチンと疎かにせず作った作品であるか否か、ということが大事だ。無論、今作はそういったことにも細かく配慮が行きとどいている。一例を挙げておくと中盤辺り、上手暖炉の上部辺りに南部連合旗がさりげなく壁に貼られている、流石である。
どさくさ

どさくさ

劇団あはひ

本多劇場(東京都)

2020/02/12 (水) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

 4回目の公演で本田劇場出演という早稲田大学の学生さんの劇である。(華4つ☆)

ネタバレBOX

第1回目公演(初演)も矢張り「粗忽長屋」をベースにした作品だったそうだが、初演の際は、後半部を結構メタ化して作っており今作とはまるっきり異なる作品だったとのこと。今回は落語のオリジナルといい具合に交錯している。
 舞台は能を意識したという。奥行きの2倍以上はある横幅の広い舞台がメインで逆凸型に客席側に中央部分が迫り出している。手前は5寸ばかり奥より低い。下と中央に沓脱石が一つずつ置かれ、更に客席側には丁度波打ち際に残る波跡のような塩梅に玉石が敷かれている。上手には生の三味線が入り、終始演奏者が舞台に居る。舞台下手手前は天地を逆にした箒が真っ直ぐ立てられその奥に柱、上手端は柱と箒の位置が下手と逆になっいる。この両端の合間に柱が各々3本、手前から奥へセンターを広く取った演技空間として2か所に並んでいる。これらの柱や箒によって区分された空間中央の天井からは、裸電球が吊り下げられている。このやや昏く侘しい照明の効果もグー。
 落語オリジナルに近い部分もあるから、当然死んだ粗忽者の当人は長い間己の死に気付かず、喜劇的言動を繰り返しつつ物語は進行するが、彼の勘違いを正すべく妙齢の女幽霊が現れたり、幽霊の本人と生きていた頃そのままの本人が同時に併存するといナンセンスは如何にも落語ならではの人を食った発想を活かし虚数空間的、或は量子力学的に面白い。
傾斜

傾斜

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2020/02/14 (金) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 作品タイトル通り正面奥には傾斜角38度、縦の長さ5間(約9m)幅8~9間の傾斜、登り切った所には踊り場があり、傾斜を降りた上手コーナーの窪みには後になって若い男がパフォーマンスを行える空間が設えられている他、傾斜手前には低い櫓の上に床面が設置され、音響操作機器や、今作の重心を務める男の演ずるパフォーマンス上演空間が設置されている。傾斜上部踊り場のど真ん中には大きな時計の文字盤。(無論、これは資本主義による収奪の象徴であろう)追記後送

明日に笑え!

明日に笑え!

劇団 深海水族館

北池袋 新生館シアター(東京都)

2020/02/13 (木) ~ 2020/02/15 (土)公演終了

満足度★★★

 劇団旗揚げ公演は4作品のオムニバス公演だ。

ネタバレBOX

2019年女子3人で結成。今回上演の1「抜き打ち父さん」2「抜き打ち母さん」は、同一作家による作品、1では、いきなり父が都会に出た娘の部屋を訪ねてくる話、2はその母親版で植物系息子の部屋を母が訪ねてくる話でキャストが異なる。1では単語レベルで話が通じない娘には記号的にしか認識できない昭和を生きた父と娘のディスコミュニケーションが前面に押し出された作品という印象を持つと同時に家父長制が見事なまでに崩れ去った現代日本のかつての家長・父と現代娘のジェンダーギャップの大きさに着目すれば、それなりの社会戯評として面白いが、いかんせん父を演じた若い演者の年を取ることへの認識不足や人生経験の浅さ、役者としての経験不足を感じた。無理からぬ面はありながらも課題は多い。

 通常の演劇評価基準、即ち演技評価の点からみると、先ず人生経験を積むということの意味する所を考えずに役作りをしているので、演技が表層的、即ち役者本人の実存レベルから内的表現の発露として身体を用いていないという決定的な粗が見える。「神田川」、「名残り雪」正式タイトルは知らないが拓郎の「人間なんて」などの歌の歌い方にしても声の質は良いのだが、ジャパンポップスの歌い方ではない。(当然、歌い方にも主張が込められている訳だから、)この辺りことは。ポップスが如何に出てきたのかという音楽史的知識も持っておいた方が良かろう。先日ある研究会で発表をした研究者が現代日本でロックが体制批判的な歌詞の歌を披露したらロックが体制批判するとは何事か! と抗議する聴衆がいた、と驚いていた。当然だろう。ロックにしろ、60年代フォークソングにしろ、ヒップホップにしろ、ラップにしろ全部体制批判を眼目として出現した音楽群なのだから。そんなことも知らずにトンデモ発現をしていること自体が“訓練された白雉”と揶揄される原因なのである。世界から日本を見る目を持てなければ、少なくとも世界に向かって雄飛することなど夢のまた夢であると知っておくべきである。一方、ヒットする力があれば、それを利用して一儲け企むの奴が出てくるのが資本主義社会だ。だから多少気の利く連中は体制・反体制関係なく上手に利用して儲け、あまつさえ著作権という作者にとっての人参を鼻先にぶら下げて、本来表現に許されていた本歌取り的な利用も制限することによって、著作権保護を名目に企業の独占権を強めている可能性は否定できまい。

 2では、母には完全植物系と見えていた息子の住まいを訪ねてみると、息子は同世代の女子と付き合っており、既に同棲迄しているということが信じられない。面白いのは、こういった親密な男と女の人間関係の中で(Ex.夫婦、親子など)男と女が敵対した場合、男は極端な場合、浮気した女房を殺すが、女は自分の男の浮気相手の女を殺すことが多い、という話を聞いたことがある。キチンとしたデータに基づいた社会学的に実証されていることを自分で確かめた訳ではないから、ハッキリ言い切れる訳ではないが、何となく、女性が大切にしている男に裏切られたと感じた場合、裏切らせたと感じた女を敵対視する傾向が強いようには感じる。この辺りの女性同士、男女関係についてもジェンダー概念を導入して考えてみると面白かろう。こういったジェンダーレベルでの関係があるからなのか、1より2の方が作品としても自然な仕上がりを見せているように思えた。従って単純に父と娘、母と息子というだけの単純対比作品とは捉えなかった。

 3は「コンビニ・ブルース」コンビニの夜間バイトをしている男女、女性は26歳、男の年はハッキリしないが年下である。この男、兎に角ズボラ。ズボラの塊のような男で、口から出るのは何ら根拠のない駄法螺と、己が何もしないで済ますため、相手の拒否できないような状況や念を利用して他人をこき使う下種な能力である。この若者は生まれて初めて就業しているのだが、実際に仕事は全然していないのは先述した通りである。そんなコンビニに、強盗が入った。金庫から金を奪おうとした犯人は、包丁を持って、客対応に出た女性を人質にとったのであるが、結局は簡単にノサレテしまった。若く狡い店員に首筋を手刀で一打ちされ伸びてしまったのである。店員2人は、強盗犯を生け捕ったお手柄店員としてTV報道されることに夢を馳せるが、実際に捕り物劇が進行したのはバックヤード、監視用カメラに映像は映っていないとして。犯人の被っていた覆面、上着を女性が着、前に撮られていたリアル映像を消し、再度演技した場面を撮ろうということになった。映像を撮り終える頃犯人は息を吹き返し、自己事情を話し始める。グローバリセーションが席巻する今日の日本、その犠牲者となった彼の話は他人の心を撃つものであったが、若い店員は如何にも狡猾なキャラらしく、金庫に入っていた60万を3等分して強盗犯に総ての罪を被せ、バイト2人で残りを山分けしようと女店員に持ちかけた。さて、ラスト、バイト2人には新たな難問が持ち上がるが。未だ上演中故、それは観てのお楽しみだ。

 さて、オムニバスのラストは、タイトルも如何にもいま風の4「幸薄い選手権」である。ノミネートされたのは、33歳、本厄、32歳前厄の▽商事事務職の先輩・後輩社員2人、2人のうちどちらがより幸薄いか、評価される対象が僅か2人というのはちょっと鼻白むので、決勝戦という設定にした方が良かろう。解説者などもきて“盛り上がって”いる訳だから。
 ところで、自分が如何にも今風と感じたのは、評価される側、評価する側、何れもが実際に自分たちが生きて死ぬ現実社会を、リアルに人間的で社会的なごった煮とは捉えておらず、ヴィヴィッドな闘争をしながら生きているというより、一見淀んで波風も立たず、生きているのか死んでいるのか既に定かとは感じられないような淀みの、緩い流れに浮かぶエパーヴよろしく漂う現代日本人の退屈まぎれの「ゲーム」という感覚に漂っている目出度さだけ。計算できるから楽しんでいるのではなく、否全く逆にフェイクや詭弁、嘘が多すぎ、最早1次情報からは余りにも離れた「情報」ばかりが飛び交う嘘八百情報氾濫地獄の中で、メディアリテラシーという基本技術も持たずに流され、己自身を批判的に検討するだけの知恵も欠いて人間の面を被った只の余計者として存在していることをまともに見据えることすら(つまり人間として生き残る可能性の最後の砦を自ら放棄した姿を己に突き付けもせず、鵺の一部を形成してゆく生きた振りをした精神的遺体)放棄していることで既にそれを演技すべき内実を喪失しているにも関わらず、演技を評価して評論家にでもなったつもりらしい。寂しく、愚かで、訓練された人畜、即ち日本人の戯画。そのような日本人の実態から目を反らしていること自体が、この「国」の本当の寂しさではないのか? そう捉えると面白い。
回遊魚たちのブルー

回遊魚たちのブルー

フェルフェン

新宿文化センター(東京都)

2020/02/09 (日) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 作品自体は結構面白く拝見したのだが、どうして公共施設で上演すると、劇団であれば制作が担当する部分が、これほど救い難いスタッフによって運営されているのだろうか? 役人がやっているのであれば、民衆をバカにしている。訊いたことに7回、8回平気でオームのように「申し訳ありません」を繰り返すばかりで尋ねていることに対する回答が一切ない。観客をおちょくっているのか、無能なのか❓ 或は想像力の残酷な迄の欠如を表しているだけなのか? いい加減にしてもらいたい! 作品に関してはネタバレで。

ネタバレBOX

 島に帰った1人の女優、彼女は妻子ある男との不倫で裁判沙汰を起こし15年ぶりに島に逃げ帰って1冊の本を書いた。或るプロデューサーがこれを読み「舞台化しないか」と言ってきた、という流れで物語が始まる。実際の物語で語られる話は、女優が人格障害を起こし、4人の人格を持ったのか、或はホントに物理的に島に戻り、自分以外の3人の女に遭ったのかは謎である。何故なら、この話を証拠立てる第3者は誰1人登場しないからである。近くの席に座っていた観客が「良く分からない」と呟いていたが、余り演劇を見慣れていない方なのだろう。
 作品中のテーマと感じたのは、女にとっての女の問題である。日本の伝統的対人関係の在り様に表と裏があるが、ジェンダー弱者としての女性は未だにこの国では不利益負担者であろうから、その分余計に互いの腹の探り合いは熾烈である。同時に子を産める体の変化というものがあり、それは男には矢張り体感できないものだから配慮の行き届かぬこと、気付かぬ故に負担を掛けることもあるかも知れない。という事情もあり訳の分からない部分をXと括って対象化できるような知性を持つ者は兎も角、とんでも無い対応を採る阿保な男も多かろうから、そういった被害・無神経からは女性同士団結できるにせよ、好みの男性が被り、その男と関わりたいと思えば敵対せざるを得まい。そのあたりの事情は、偶然という要素も入ってくるので中々一貫した論理的思考で生涯を過ごすことは難しいであろうというような状況の女性の話。ラストもそれらしくて良い。
舞台「盆栽」

舞台「盆栽」

ALPHA Entertainment

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2020/02/05 (水) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 隣室との壁が薄い為、隣りの住人の有様が直ぐに知れてしまうような集合住宅に住む夫婦の部屋(妻・編集者、夫・フォトグラファー)にはお隣さんが毎日のようにやってくる。(追記2020.2.10 0:14)

ネタバレBOX

こちらの亭主は企業勤めの中間管理職、女房は専業主婦だが、彼女も盆栽に興味を持ち5000$で一鉢購入し到着を待っている他、風水にも凝っている。この2組のカップルの他に、今度は英国の航空会社オーナーの子供(兄・妹)が上手隣人として加わった。兄は心気症を患っているのか、それともプレシオジテからか、他人の家にズカズカ上り込んでいるずうずうしいキャラの癖に椅子に掛ける際、必ずハンカチを尻の下に敷いて着座していたのだが、妹が機内に「ナッツが無い」と騒いで彼女の搭乗便はナッツを調達せんが為に空港に戻らざるを得なくなった、とのニュースで一躍その名を世界に知られることになったナッツ姫の醜態を晒してからは心気症的症状が出されなかったことを観ると、ブルジョワの貧乏人に対する差別意識とプレシオジテに過ぎなかったことが分かるなど可なりヨーロッパ的な感覚も取り入れた面白いコメディーだということができよう。因みに彼らの資産が875億円程度でしかないとすれば、アジアの金持ちレベルに合わせているのであろうし、ナッツ姫の話は韓国であった航空業界オーナーの娘の話をパロっているのは無論である。
 この3カップルのうち唯一のサラリーマン家庭。中間管理職・下手主人の様々なとりなし総てが八方美人的で主体性が無い、と非難される下りが、実に日本の社畜等のみならず主体性を隠し、寄らば大樹の陰と周縁に自らを合わせ続けることしか考えることのできないように訓練されたのみならず、訓練されていることすら忘れ果てて、己の立場がどのような人間的価値を守ろうとして取られているのかについての自己弁護すらできない日本人と、少なくともその程度のことはしようとするアメリカ人との差でもあろう。一方、収奪のみに明け暮れるグローバリゼーションの央に在って被雇用者として生きる我々の抱えるアンヴィヴァレンツ自体が我々多くの者に自明で無くなっているのは、無論我々自身の堕落懶惰の必然的帰結と考えねばならない。登場人物6人のうちまともな人間は1人もいない点に喜劇としての今作の真骨頂がある。念の為に付け加えておくと、無論まともな人間とは、己の自由の為に戦い己の実存と向き合い続けながら、自己検証し己の人としての進路を決定実践して行く者である。にゃんちって。
成り果て

成り果て

ラビット番長

紀伊國屋ホール(東京都)

2020/02/07 (金) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 満席状態であったが、場内整理も手際良くスタッフがテキパキ動き、適切な声掛けをしてくれるので大入りにも関わらず混乱がないのも良い。
 幕開き前には男女ペアの棋士による将棋解説も板上で行われ、将棋及び将棋界のアウトライン、ルールなどを分かるようにしている点もグー。幕開き後は、場転の殆どを1階、2階の明暗転でやっているので場面転換が非常にスムースに運び観劇しやすい。無論、こういった流れの中にも変化をつけている場面があったのは流石である。この劇団の演目は今の所一応4つということができようか、今回扱われている将棋、少し前から今後もこの国ではハッキリ傾向の出ている老齢化社会問題(殊に介護)、野球、そしてノワール(人間の自然破壊の齎す自然からのしっぺ返し)、更に5番目の用意もあると自分はみているが、今ここでは明かさない。(追記2020.2.9 23:46)

ネタバレBOX

 何れにせよこのホールに出られるということは、メジャー劇団として業界に認められたと言っても良かろうが、無論、表現者の世界はそんなに甘いものではない。この劇場の舞台に立ったということは、表現する者の宿命として現代ならワジディ・ムアワッド、エドワード・ボンドを始め、唐十郎、別役実などの現役先輩諸氏。寺山修司、井上ひさし、つかこうへいら亡くなりはしたが数多くの作品が上演され続けている諸先輩、阿部公房、木下順二、三好十郎、秋元松代ら錚々たる大先輩を含め今後、古今東西の劇作家の作品群(近松門左衛門、鶴屋南北、観阿弥、世阿弥、ソフォクレス、アリストパーネス、シェイクスピア、モリエール、ラシーヌ、チェーホフ、イヨネスコ、ベケット、サルトル、ブレヒトといった天才たちと)と戦う為のとば口に立ったということだ。総て才能ある表現者は、有史以来の時間・空間を相手に世界を見据えて戦う宿命を負う。日本という小さな国の現代だけでなく世界の時空で羽搏いて欲しい。座長のパースペクティブもかなり広かろう。若手もドンドンチャレンジし、座長を脅かす存在になるよう己の才能を磨き続けて欲しい。
 今作に戻ろう。時代は日本でも漸く電網空間(現在のサイバー空間)が意識され始める頃1990年代中盤に差し掛かる辺りから2000年辺りと考えて良かろう。ウィンドウズ95が発売され日本でも電網空間が一挙に拡大した前後であるが、ユニックスから発展したマックOS,ウインドウズOS,リナックスをはじめとした様々なOSの発展、CPUの発展が話の背景にあるのは無論のことであり、加えてネットワークの発展、ブラウザの発展も一々の説明は為されていないがあることは、観客の皆さんも体験上分かるであろう。(そう期待してもいる。)実際、良いか悪いかは兎も角、インフォーメイションとテクノロジーの進歩は最早止められない。量子コンピュータも配線を量子レベルにまで細くできれば実用化が見えてこよう。そうなれば現在のスパコンなど直ぐ博物館行きである。(オンオフに関しては既にラボ実験に成功例があると聞くし、先だっては量子コンピュータに有利な計算であったとはいえスパコンに買ったとの報道が世界を駆け巡ったことはご存じだろう。)
 但し、これらの技術的進歩を例えどれだけ緻密に正確に描こうとも演劇作品にはならない。人間が介在してこなければ、人々の共感を誘うことは難しいからである。「ターミネーター」のような傑作でも、そこに人間的ドラマを観客が読み込むからヒットしたのであり、それ以外ではない。今作でも、師匠・森の優しさ暖かさと、天野兄妹の兄・高志の森の影響を受けたような優しさや思いやりと勝負の世界の非情、将棋ソフト・ジーニアスを開発した山元と高志との微妙な関係、高志と桂子との切っても切れない関係と兄の無念を晴らそうとするかのように女流名人の座確実と言われながら敢えてより厳しい奨励会の道を選び然も女性初の奨励会出身プロ棋士となった桂子の活躍。最強将棋ソフト・ジーニアスを破りコンピュータとプロ棋士の対決に一役噛んだ高志開発の将棋ソフト開発と高志の癌による死など人生の重大事がこれでもか、という勢いで襲い掛かる。
 その果てラスト、師匠とコンピュータの対決、この劇団の本質、人間を描くことと技術文明の齎すもの・こと・利害との対決でもある。殊にこの作品のよって立つ時代に急速に伸長した新自由主義経済即ち新植民地主義経済は、人々の生活を利便化すると同時に最低賃金の値を世界水準にした。大分以前にも指摘したが、世界中に張り渡されたネットワークによって、ネットワークによって繋がれた殆ど総ての世界から、資源、労働力、運搬その他、製品化する為に必要な諸々を世界で最も安い所から調達できるようになったのである。この結果、製造業ではなく、作るから売れる製造業から、売れるから作れる販売業に資本主義自体がシフトし、更にそれら企業の金融面を管理する金融業が世界経済を仕切るようになったという訳だ。ところが、日本の阿保官僚及び自分の頭を用いて考えることも、民衆の心を理解できぬほど役立たずの政治屋どもも最早如何なる解決策をも導き出すことが出来ぬと思い込んで居る為に、軍事に走っているのだ。頭の悪い彼らにはお似合いだが、我ら主権者が付き合う必要などさらさらない。そのことを明文化し彼ら及び金融界、儲けることだけしか追及することのない資本主義を破壊、再創造せねばならない。現在我らが生きている社会の徹底的な再分析が必要である。このような人間的な価値を気付かせてくれる人間自身の作り出す営為の一つがちゃんと人間を描く演劇などの文化というものなのだ。

このページのQRコードです。

拡大