KEISOU 公演情報 ラゾーナ川崎プラザソル「KEISOU」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     表層をさらうだけなら演劇的には☆4つ、然し社会や歴史の見方という点では☆3つと評価したので評価は華3つ☆。なぜこう評価したかについてはネタバレ参照のこと。

    ネタバレBOX

     タイトルは漢字では「継走」、リレーのことだ。9人編成の輜重兵小隊が中国戦線で自軍の前線兵士に輜重{とは、糧食・衣料・医薬品(当然麻薬を含む)・武器・弾薬を始め作戦遂行に必要なありとあらゆる軍事関連物資のこと、これを運搬する役目を負わされた兵士が輜重兵である}を届ける為に奮闘する話とこの作戦中に亡くなった祖父・孝次を持つ短距離走日本代表走者・憲治が、祖父の戦友で生きて帰れた人物・庄司につばさと共に取材を申し込み、孝次・庄司が共に同じ小隊に属し従軍した時の話を訊きたいと掛け合う。今はフリーランスのライターとなった憲治と仕事に繋げてくれたつばさに対し「22歳時に庄司は同じ小隊で孝次と輜重兵として行動を共にした」と答え、逆に「22歳の時に憲治は何をしていたのか」を尋ねる。この質問が敗戦直前の日本軍の対中国戦線と現代のリレー走者を演劇的に無理なく繋いでいるが、イカンセン日本の軍隊の描き方が余りに実際のそれとは異なっている。先ず、伍長、古年兵と新兵らとの差が小さすぎる。こんなに民主的だったハズが無い。マルタと呼ばれた捕虜を用いた毒ガス、細菌兵器の為の人体実験、南京虐殺、中国人女性レイプや性奴隷化の他、所謂三光作戦、即ち焼光(焼き尽くし)、殺光(殺し尽くし)、搶光(奪い尽くし)を実行した訳であるから憲治が調達した様々な物も総て“三光作戦”の搶光に当たる訳だ。また、初年兵が中国人捕虜らを刺し殺すことによって戦争で侵略先の人々を殺すことに痛痒を感じなくなっていくような方法が積極的に取られていた。この余りにも惨たらしい所業故に中国人からは「東洋鬼」と呼ばれた日本兵の在り様が殆ど示されていない所に現代日本の「民主主義」の根本的弱点、即ち加害者責任無化問題があると思われる。

     一方、この部隊に対する作家の「優しさ」は、上に挙げた様々な事例は、登場する兵士たち自身が、同時に被差別者としての自らの鬱憤を転嫁していたこと、即ち9人の兵全員が東北の出身であることは“白河以北一山百文”の差別が続いていたことの例証であろうことに注意を払った為と考えることができる。が、矢張りこの日本自体の内的差別問題だけでは、史的事実の重さに対して表現として拮抗しえない弱さは否めまい。

     南が譫言にまで復唱する軍人勅諭五ヶ條(一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし 一 軍人は禮儀を正くすへし 一 軍人は武勇を尚ふへし 一 軍人は信義を重んすへし 一 軍人は質素を旨とすへし)と略しているが原文はタイトルなどを含めると2700字を超える文章だ。(演劇作品として尺の問題があるので致し方ない部分があるが、これが上官の命令即ち天皇の命令であるとされ、而も軍隊教育の中で徹底的に人権思想、自由、信教の自由などが弾圧された為、西洋では成立し得た市民という個人意識が育たなかった、恐らくそれが原因で日本人の大多数が己の加害者性を認識できずに今も生きている)。

     意地悪な見方をすれば福沢諭吉が欧米の民主主義の意義を充分承知の上で唱道した天皇を中心とした「強兵富国」策、「天賦国権」「国賦人権」論を踏襲することになりはすまいか? だとすればこれは河上肇がヨーロッパ近代を総括して「天賦人権」「人賦国権」と断じたのとは正反対の差別構造そのものの所業を温存することになりはすまいか?

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    2020/02/18 17:26

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