ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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タブーなき世界そのつくり方

タブーなき世界そのつくり方

アブラクサス

サンモールスタジオ(東京都)

2020/02/12 (水) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 史実とフィクションを綯い交ぜにし、差別とは何か? それを克服することは可能か? などを提起した問題作!(華5つ☆ べしミル)

ネタバレBOX


歴史の現実を見る限り、数百年単位の月日を通して差別自体は緩和をみてきたと言えよう。然し時にはより陰険、陰湿に目立たぬように実行されるケースも多い。今作でもヘレンの実母、ケイトは障害児であっても自分の娘であるヘレンには夫と対立してでも現代流に言えば健常児に対すると同じように人間として基本的に接しようとしているが、接し方が合っているのかいないのかが良く分からないことで悩んでいる優しい母である。が、有名になったケラーの家に同居することになったヴィニーと同じ手洗いを使うことに対して殆どパニックに陥ったような差別感情を爆発させる。差別の根深さが良く出たシーンである。また腹違いの兄、シンプソンが今作の登場人物中で最も差別的であるように見えるのは、単に彼がKKKの頭巾を被ったりするからではない。寧ろそのような恰好を選ぶ原因にこそ、我らの視点は向けられねばなるまい。結論から言えば恐らくシンプソンにはアイデンティティーの危機感がある。そしてこのことが差別が根深いことのもう一つの大きな原因だと言えるであろう。腹違いではあっても妹、本来は可愛がるハズだ。南部の男のプライドにかけても。だが恐らく事実はそれほど単純に働かない。自分にとっては継母であっても、女の子に比べて遥かに甘ったれなのが男の子というものだ。母には余計甘ったれていたい。然し三重苦を背負ったヘレンに母は掛かりっきりになることが多かったであろう。甘えたいのにそれが実際にはできない。そのことが、ヘレンに必要以上に辛く当たるように観客には見える原因であろうが、恐らく本当の男の子の反応に近い。このような精神状況を抱えながらシンプソンが育っていたとしたら? 古い帽子が度々出てきてシンプソンは異様にその帽子を大切にしている様が描かれているが、帽子が彼にとって何を意味するか? 考えてみても面白かろう。またアイデンティティーの危機からくる差別は、現在のネトウヨ等とも共通する心理であろうなどということも考えさせる。
 アブラクサスが、上演回数を増やす度に、更に多くのファンを獲得し、リピーターが増えるのは無論、作・演出・女優もこなす代表の実力もあるが、彼女の描く世界が持つ普遍的な世界観、その作品群が問い掛ける問題の解決必要性、問題が本質的であるが故に忌避されがちであることなど、実際に我々が生きている社会に対する鋭く、切実な問題意識がある。そういった大切なことが脚本に充分に練り込まれている為、演じる役者陣の役作りもインセンティブが高く、各々の役者が実に良い内面からの表出を舞台で出せている。ピーターの肌は白く白人と見分けはつかない。然しこれは隔世遺伝で肌が白いだけで父、母共に黒人奴隷であった。母系が白人にレイプされて肌が白いだけなのだ。その彼が、KKKに殺されそうになって南部を脱出、白人の振りをしながら北部でメディア関係の仕事をし、記者としても大きな影響力を持つに至っていたが、その彼が、肌が黒い同胞に対し「ここは黒人が来る所では無い」と言わざるを得ない。その彼の苦悩は、他の役者にスポットが当たり、自分のようにひねた観客が気を付けて観ていない限り、滅多に気付かれることのないような隅っこでも、キチンとその苦悩の深さ、辛さ、悲しさが本当に内面からのものとして表現されており感銘を受けた。ヴィニー役も良い。ヘレンの乳母だった彼女は、ヘレンが他の誰にも理解されていない時から、ヘレンが心を開いていた例外的な人間であった。そのことの意味する、雰囲気や人柄のようなアトモスフィヤをも見事に出していた。ヘレンを演じた羽杏さんや、アンを演じた紀保さんの演技の素晴らしさは誰しも褒めるだろうから、自分は余り書かない。分かり切ったことだが、中々実践されていないことに、細部までキチンと疎かにせず作った作品であるか否か、ということが大事だ。無論、今作はそういったことにも細かく配慮が行きとどいている。一例を挙げておくと中盤辺り、上手暖炉の上部辺りに南部連合旗がさりげなく壁に貼られている、流石である。
どさくさ

どさくさ

劇団あはひ

本多劇場(東京都)

2020/02/12 (水) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

 4回目の公演で本田劇場出演という早稲田大学の学生さんの劇である。(華4つ☆)

ネタバレBOX

第1回目公演(初演)も矢張り「粗忽長屋」をベースにした作品だったそうだが、初演の際は、後半部を結構メタ化して作っており今作とはまるっきり異なる作品だったとのこと。今回は落語のオリジナルといい具合に交錯している。
 舞台は能を意識したという。奥行きの2倍以上はある横幅の広い舞台がメインで逆凸型に客席側に中央部分が迫り出している。手前は5寸ばかり奥より低い。下と中央に沓脱石が一つずつ置かれ、更に客席側には丁度波打ち際に残る波跡のような塩梅に玉石が敷かれている。上手には生の三味線が入り、終始演奏者が舞台に居る。舞台下手手前は天地を逆にした箒が真っ直ぐ立てられその奥に柱、上手端は柱と箒の位置が下手と逆になっいる。この両端の合間に柱が各々3本、手前から奥へセンターを広く取った演技空間として2か所に並んでいる。これらの柱や箒によって区分された空間中央の天井からは、裸電球が吊り下げられている。このやや昏く侘しい照明の効果もグー。
 落語オリジナルに近い部分もあるから、当然死んだ粗忽者の当人は長い間己の死に気付かず、喜劇的言動を繰り返しつつ物語は進行するが、彼の勘違いを正すべく妙齢の女幽霊が現れたり、幽霊の本人と生きていた頃そのままの本人が同時に併存するといナンセンスは如何にも落語ならではの人を食った発想を活かし虚数空間的、或は量子力学的に面白い。
傾斜

傾斜

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2020/02/14 (金) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 作品タイトル通り正面奥には傾斜角38度、縦の長さ5間(約9m)幅8~9間の傾斜、登り切った所には踊り場があり、傾斜を降りた上手コーナーの窪みには後になって若い男がパフォーマンスを行える空間が設えられている他、傾斜手前には低い櫓の上に床面が設置され、音響操作機器や、今作の重心を務める男の演ずるパフォーマンス上演空間が設置されている。傾斜上部踊り場のど真ん中には大きな時計の文字盤。(無論、これは資本主義による収奪の象徴であろう)追記後送

明日に笑え!

明日に笑え!

劇団 深海水族館

北池袋 新生館シアター(東京都)

2020/02/13 (木) ~ 2020/02/15 (土)公演終了

満足度★★★

 劇団旗揚げ公演は4作品のオムニバス公演だ。

ネタバレBOX

2019年女子3人で結成。今回上演の1「抜き打ち父さん」2「抜き打ち母さん」は、同一作家による作品、1では、いきなり父が都会に出た娘の部屋を訪ねてくる話、2はその母親版で植物系息子の部屋を母が訪ねてくる話でキャストが異なる。1では単語レベルで話が通じない娘には記号的にしか認識できない昭和を生きた父と娘のディスコミュニケーションが前面に押し出された作品という印象を持つと同時に家父長制が見事なまでに崩れ去った現代日本のかつての家長・父と現代娘のジェンダーギャップの大きさに着目すれば、それなりの社会戯評として面白いが、いかんせん父を演じた若い演者の年を取ることへの認識不足や人生経験の浅さ、役者としての経験不足を感じた。無理からぬ面はありながらも課題は多い。

 通常の演劇評価基準、即ち演技評価の点からみると、先ず人生経験を積むということの意味する所を考えずに役作りをしているので、演技が表層的、即ち役者本人の実存レベルから内的表現の発露として身体を用いていないという決定的な粗が見える。「神田川」、「名残り雪」正式タイトルは知らないが拓郎の「人間なんて」などの歌の歌い方にしても声の質は良いのだが、ジャパンポップスの歌い方ではない。(当然、歌い方にも主張が込められている訳だから、)この辺りことは。ポップスが如何に出てきたのかという音楽史的知識も持っておいた方が良かろう。先日ある研究会で発表をした研究者が現代日本でロックが体制批判的な歌詞の歌を披露したらロックが体制批判するとは何事か! と抗議する聴衆がいた、と驚いていた。当然だろう。ロックにしろ、60年代フォークソングにしろ、ヒップホップにしろ、ラップにしろ全部体制批判を眼目として出現した音楽群なのだから。そんなことも知らずにトンデモ発現をしていること自体が“訓練された白雉”と揶揄される原因なのである。世界から日本を見る目を持てなければ、少なくとも世界に向かって雄飛することなど夢のまた夢であると知っておくべきである。一方、ヒットする力があれば、それを利用して一儲け企むの奴が出てくるのが資本主義社会だ。だから多少気の利く連中は体制・反体制関係なく上手に利用して儲け、あまつさえ著作権という作者にとっての人参を鼻先にぶら下げて、本来表現に許されていた本歌取り的な利用も制限することによって、著作権保護を名目に企業の独占権を強めている可能性は否定できまい。

 2では、母には完全植物系と見えていた息子の住まいを訪ねてみると、息子は同世代の女子と付き合っており、既に同棲迄しているということが信じられない。面白いのは、こういった親密な男と女の人間関係の中で(Ex.夫婦、親子など)男と女が敵対した場合、男は極端な場合、浮気した女房を殺すが、女は自分の男の浮気相手の女を殺すことが多い、という話を聞いたことがある。キチンとしたデータに基づいた社会学的に実証されていることを自分で確かめた訳ではないから、ハッキリ言い切れる訳ではないが、何となく、女性が大切にしている男に裏切られたと感じた場合、裏切らせたと感じた女を敵対視する傾向が強いようには感じる。この辺りの女性同士、男女関係についてもジェンダー概念を導入して考えてみると面白かろう。こういったジェンダーレベルでの関係があるからなのか、1より2の方が作品としても自然な仕上がりを見せているように思えた。従って単純に父と娘、母と息子というだけの単純対比作品とは捉えなかった。

 3は「コンビニ・ブルース」コンビニの夜間バイトをしている男女、女性は26歳、男の年はハッキリしないが年下である。この男、兎に角ズボラ。ズボラの塊のような男で、口から出るのは何ら根拠のない駄法螺と、己が何もしないで済ますため、相手の拒否できないような状況や念を利用して他人をこき使う下種な能力である。この若者は生まれて初めて就業しているのだが、実際に仕事は全然していないのは先述した通りである。そんなコンビニに、強盗が入った。金庫から金を奪おうとした犯人は、包丁を持って、客対応に出た女性を人質にとったのであるが、結局は簡単にノサレテしまった。若く狡い店員に首筋を手刀で一打ちされ伸びてしまったのである。店員2人は、強盗犯を生け捕ったお手柄店員としてTV報道されることに夢を馳せるが、実際に捕り物劇が進行したのはバックヤード、監視用カメラに映像は映っていないとして。犯人の被っていた覆面、上着を女性が着、前に撮られていたリアル映像を消し、再度演技した場面を撮ろうということになった。映像を撮り終える頃犯人は息を吹き返し、自己事情を話し始める。グローバリセーションが席巻する今日の日本、その犠牲者となった彼の話は他人の心を撃つものであったが、若い店員は如何にも狡猾なキャラらしく、金庫に入っていた60万を3等分して強盗犯に総ての罪を被せ、バイト2人で残りを山分けしようと女店員に持ちかけた。さて、ラスト、バイト2人には新たな難問が持ち上がるが。未だ上演中故、それは観てのお楽しみだ。

 さて、オムニバスのラストは、タイトルも如何にもいま風の4「幸薄い選手権」である。ノミネートされたのは、33歳、本厄、32歳前厄の▽商事事務職の先輩・後輩社員2人、2人のうちどちらがより幸薄いか、評価される対象が僅か2人というのはちょっと鼻白むので、決勝戦という設定にした方が良かろう。解説者などもきて“盛り上がって”いる訳だから。
 ところで、自分が如何にも今風と感じたのは、評価される側、評価する側、何れもが実際に自分たちが生きて死ぬ現実社会を、リアルに人間的で社会的なごった煮とは捉えておらず、ヴィヴィッドな闘争をしながら生きているというより、一見淀んで波風も立たず、生きているのか死んでいるのか既に定かとは感じられないような淀みの、緩い流れに浮かぶエパーヴよろしく漂う現代日本人の退屈まぎれの「ゲーム」という感覚に漂っている目出度さだけ。計算できるから楽しんでいるのではなく、否全く逆にフェイクや詭弁、嘘が多すぎ、最早1次情報からは余りにも離れた「情報」ばかりが飛び交う嘘八百情報氾濫地獄の中で、メディアリテラシーという基本技術も持たずに流され、己自身を批判的に検討するだけの知恵も欠いて人間の面を被った只の余計者として存在していることをまともに見据えることすら(つまり人間として生き残る可能性の最後の砦を自ら放棄した姿を己に突き付けもせず、鵺の一部を形成してゆく生きた振りをした精神的遺体)放棄していることで既にそれを演技すべき内実を喪失しているにも関わらず、演技を評価して評論家にでもなったつもりらしい。寂しく、愚かで、訓練された人畜、即ち日本人の戯画。そのような日本人の実態から目を反らしていること自体が、この「国」の本当の寂しさではないのか? そう捉えると面白い。
回遊魚たちのブルー

回遊魚たちのブルー

フェルフェン

新宿文化センター(東京都)

2020/02/09 (日) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 作品自体は結構面白く拝見したのだが、どうして公共施設で上演すると、劇団であれば制作が担当する部分が、これほど救い難いスタッフによって運営されているのだろうか? 役人がやっているのであれば、民衆をバカにしている。訊いたことに7回、8回平気でオームのように「申し訳ありません」を繰り返すばかりで尋ねていることに対する回答が一切ない。観客をおちょくっているのか、無能なのか❓ 或は想像力の残酷な迄の欠如を表しているだけなのか? いい加減にしてもらいたい! 作品に関してはネタバレで。

ネタバレBOX

 島に帰った1人の女優、彼女は妻子ある男との不倫で裁判沙汰を起こし15年ぶりに島に逃げ帰って1冊の本を書いた。或るプロデューサーがこれを読み「舞台化しないか」と言ってきた、という流れで物語が始まる。実際の物語で語られる話は、女優が人格障害を起こし、4人の人格を持ったのか、或はホントに物理的に島に戻り、自分以外の3人の女に遭ったのかは謎である。何故なら、この話を証拠立てる第3者は誰1人登場しないからである。近くの席に座っていた観客が「良く分からない」と呟いていたが、余り演劇を見慣れていない方なのだろう。
 作品中のテーマと感じたのは、女にとっての女の問題である。日本の伝統的対人関係の在り様に表と裏があるが、ジェンダー弱者としての女性は未だにこの国では不利益負担者であろうから、その分余計に互いの腹の探り合いは熾烈である。同時に子を産める体の変化というものがあり、それは男には矢張り体感できないものだから配慮の行き届かぬこと、気付かぬ故に負担を掛けることもあるかも知れない。という事情もあり訳の分からない部分をXと括って対象化できるような知性を持つ者は兎も角、とんでも無い対応を採る阿保な男も多かろうから、そういった被害・無神経からは女性同士団結できるにせよ、好みの男性が被り、その男と関わりたいと思えば敵対せざるを得まい。そのあたりの事情は、偶然という要素も入ってくるので中々一貫した論理的思考で生涯を過ごすことは難しいであろうというような状況の女性の話。ラストもそれらしくて良い。
舞台「盆栽」

舞台「盆栽」

ALPHA Entertainment

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2020/02/05 (水) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 隣室との壁が薄い為、隣りの住人の有様が直ぐに知れてしまうような集合住宅に住む夫婦の部屋(妻・編集者、夫・フォトグラファー)にはお隣さんが毎日のようにやってくる。(追記2020.2.10 0:14)

ネタバレBOX

こちらの亭主は企業勤めの中間管理職、女房は専業主婦だが、彼女も盆栽に興味を持ち5000$で一鉢購入し到着を待っている他、風水にも凝っている。この2組のカップルの他に、今度は英国の航空会社オーナーの子供(兄・妹)が上手隣人として加わった。兄は心気症を患っているのか、それともプレシオジテからか、他人の家にズカズカ上り込んでいるずうずうしいキャラの癖に椅子に掛ける際、必ずハンカチを尻の下に敷いて着座していたのだが、妹が機内に「ナッツが無い」と騒いで彼女の搭乗便はナッツを調達せんが為に空港に戻らざるを得なくなった、とのニュースで一躍その名を世界に知られることになったナッツ姫の醜態を晒してからは心気症的症状が出されなかったことを観ると、ブルジョワの貧乏人に対する差別意識とプレシオジテに過ぎなかったことが分かるなど可なりヨーロッパ的な感覚も取り入れた面白いコメディーだということができよう。因みに彼らの資産が875億円程度でしかないとすれば、アジアの金持ちレベルに合わせているのであろうし、ナッツ姫の話は韓国であった航空業界オーナーの娘の話をパロっているのは無論である。
 この3カップルのうち唯一のサラリーマン家庭。中間管理職・下手主人の様々なとりなし総てが八方美人的で主体性が無い、と非難される下りが、実に日本の社畜等のみならず主体性を隠し、寄らば大樹の陰と周縁に自らを合わせ続けることしか考えることのできないように訓練されたのみならず、訓練されていることすら忘れ果てて、己の立場がどのような人間的価値を守ろうとして取られているのかについての自己弁護すらできない日本人と、少なくともその程度のことはしようとするアメリカ人との差でもあろう。一方、収奪のみに明け暮れるグローバリゼーションの央に在って被雇用者として生きる我々の抱えるアンヴィヴァレンツ自体が我々多くの者に自明で無くなっているのは、無論我々自身の堕落懶惰の必然的帰結と考えねばならない。登場人物6人のうちまともな人間は1人もいない点に喜劇としての今作の真骨頂がある。念の為に付け加えておくと、無論まともな人間とは、己の自由の為に戦い己の実存と向き合い続けながら、自己検証し己の人としての進路を決定実践して行く者である。にゃんちって。
成り果て

成り果て

ラビット番長

紀伊國屋ホール(東京都)

2020/02/07 (金) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 満席状態であったが、場内整理も手際良くスタッフがテキパキ動き、適切な声掛けをしてくれるので大入りにも関わらず混乱がないのも良い。
 幕開き前には男女ペアの棋士による将棋解説も板上で行われ、将棋及び将棋界のアウトライン、ルールなどを分かるようにしている点もグー。幕開き後は、場転の殆どを1階、2階の明暗転でやっているので場面転換が非常にスムースに運び観劇しやすい。無論、こういった流れの中にも変化をつけている場面があったのは流石である。この劇団の演目は今の所一応4つということができようか、今回扱われている将棋、少し前から今後もこの国ではハッキリ傾向の出ている老齢化社会問題(殊に介護)、野球、そしてノワール(人間の自然破壊の齎す自然からのしっぺ返し)、更に5番目の用意もあると自分はみているが、今ここでは明かさない。(追記2020.2.9 23:46)

ネタバレBOX

 何れにせよこのホールに出られるということは、メジャー劇団として業界に認められたと言っても良かろうが、無論、表現者の世界はそんなに甘いものではない。この劇場の舞台に立ったということは、表現する者の宿命として現代ならワジディ・ムアワッド、エドワード・ボンドを始め、唐十郎、別役実などの現役先輩諸氏。寺山修司、井上ひさし、つかこうへいら亡くなりはしたが数多くの作品が上演され続けている諸先輩、阿部公房、木下順二、三好十郎、秋元松代ら錚々たる大先輩を含め今後、古今東西の劇作家の作品群(近松門左衛門、鶴屋南北、観阿弥、世阿弥、ソフォクレス、アリストパーネス、シェイクスピア、モリエール、ラシーヌ、チェーホフ、イヨネスコ、ベケット、サルトル、ブレヒトといった天才たちと)と戦う為のとば口に立ったということだ。総て才能ある表現者は、有史以来の時間・空間を相手に世界を見据えて戦う宿命を負う。日本という小さな国の現代だけでなく世界の時空で羽搏いて欲しい。座長のパースペクティブもかなり広かろう。若手もドンドンチャレンジし、座長を脅かす存在になるよう己の才能を磨き続けて欲しい。
 今作に戻ろう。時代は日本でも漸く電網空間(現在のサイバー空間)が意識され始める頃1990年代中盤に差し掛かる辺りから2000年辺りと考えて良かろう。ウィンドウズ95が発売され日本でも電網空間が一挙に拡大した前後であるが、ユニックスから発展したマックOS,ウインドウズOS,リナックスをはじめとした様々なOSの発展、CPUの発展が話の背景にあるのは無論のことであり、加えてネットワークの発展、ブラウザの発展も一々の説明は為されていないがあることは、観客の皆さんも体験上分かるであろう。(そう期待してもいる。)実際、良いか悪いかは兎も角、インフォーメイションとテクノロジーの進歩は最早止められない。量子コンピュータも配線を量子レベルにまで細くできれば実用化が見えてこよう。そうなれば現在のスパコンなど直ぐ博物館行きである。(オンオフに関しては既にラボ実験に成功例があると聞くし、先だっては量子コンピュータに有利な計算であったとはいえスパコンに買ったとの報道が世界を駆け巡ったことはご存じだろう。)
 但し、これらの技術的進歩を例えどれだけ緻密に正確に描こうとも演劇作品にはならない。人間が介在してこなければ、人々の共感を誘うことは難しいからである。「ターミネーター」のような傑作でも、そこに人間的ドラマを観客が読み込むからヒットしたのであり、それ以外ではない。今作でも、師匠・森の優しさ暖かさと、天野兄妹の兄・高志の森の影響を受けたような優しさや思いやりと勝負の世界の非情、将棋ソフト・ジーニアスを開発した山元と高志との微妙な関係、高志と桂子との切っても切れない関係と兄の無念を晴らそうとするかのように女流名人の座確実と言われながら敢えてより厳しい奨励会の道を選び然も女性初の奨励会出身プロ棋士となった桂子の活躍。最強将棋ソフト・ジーニアスを破りコンピュータとプロ棋士の対決に一役噛んだ高志開発の将棋ソフト開発と高志の癌による死など人生の重大事がこれでもか、という勢いで襲い掛かる。
 その果てラスト、師匠とコンピュータの対決、この劇団の本質、人間を描くことと技術文明の齎すもの・こと・利害との対決でもある。殊にこの作品のよって立つ時代に急速に伸長した新自由主義経済即ち新植民地主義経済は、人々の生活を利便化すると同時に最低賃金の値を世界水準にした。大分以前にも指摘したが、世界中に張り渡されたネットワークによって、ネットワークによって繋がれた殆ど総ての世界から、資源、労働力、運搬その他、製品化する為に必要な諸々を世界で最も安い所から調達できるようになったのである。この結果、製造業ではなく、作るから売れる製造業から、売れるから作れる販売業に資本主義自体がシフトし、更にそれら企業の金融面を管理する金融業が世界経済を仕切るようになったという訳だ。ところが、日本の阿保官僚及び自分の頭を用いて考えることも、民衆の心を理解できぬほど役立たずの政治屋どもも最早如何なる解決策をも導き出すことが出来ぬと思い込んで居る為に、軍事に走っているのだ。頭の悪い彼らにはお似合いだが、我ら主権者が付き合う必要などさらさらない。そのことを明文化し彼ら及び金融界、儲けることだけしか追及することのない資本主義を破壊、再創造せねばならない。現在我らが生きている社会の徹底的な再分析が必要である。このような人間的な価値を気付かせてくれる人間自身の作り出す営為の一つがちゃんと人間を描く演劇などの文化というものなのだ。
苺と泡沫と二人のスーベニア

苺と泡沫と二人のスーベニア

ものづくり計画

上野ストアハウス(東京都)

2020/02/05 (水) ~ 2020/02/09 (日)公演終了

満足度★★★

 余りに幼稚。中心になっているのは27歳の、それもリアリスト傾向の強い女性。この描き方では観客の期待する人間は見えてこない。

ネタバレBOX

 今回の作・演はものづくり計画2度目の勝又 悠氏。普段映画を作っている人だが、前回(2018年ものづくり計画主催の「夜を徘徊」で舞台演出家としてもデビューした。こういった経歴の人なので未だ小劇場演劇の舞台の奥の院についての認識はないようである。今回の作品も中心になる27歳の女子たちの余りの子供っぽさに呆れてしまった。日本人の多くは現在世界各国の同年代と比較して極めて子供っぽいと感じる。分かり易い実例を挙げてみよう。大人と子供の法的な差は、定められた年齢に達して主権者となっているか否かという点で区分できよう。 
 無論歴史的経緯や国籍などの要件で日本国籍を認められなかったりする場合もあるが、分かり易くする為、ここでは取り敢えず一般的なことのみ論ずる。ところで海外で何年暮らそうとも、日本人の殆どは日本人とだけ群れたがる。これでは海外で暮らす意味がない。で、このような海外経験しかできない日本人も、言葉が出来ない訳ではなく、そもそも自分の考えを己の意見として言うことができない傾向がある。それは己が一個の人間として生きる時、少なくとも民主的な社会では権利と義務を負った社会的な存在であり、己の頭で考え他の人々と共存して行く為に必要であり、また人間として当然守るべき倫理や生活態度全般に対し、己の信じる正しいもの・ことに照らして己の思考・行動を審理し、間違っていれば原因を究明して改め社会的責任を果たす主体的自由市民として行動し、生きることであるハズである。然るに今作で描かれている若者のキャラは、そのように当然な人間としての意識も、自由の主体としての市民意識も、己の頭を用いて世相を観察し己の社会的存在を自覚しつつ選んだ結果にも責任を持たず、寧ろ異論・反論がある場合にはぶつかることを避けて通るような情けない生き方のみが猛威を揮って、主体たるべき個々人を内外から腐食してまさしくアパシー的状態に追い込まれた情けないというか、生きながら死んでいる、精神のゾンビそのものであるようだ。こんな状態が招き寄せる未来が暗いのは必然である。
 本来、小劇場演劇の持っていた可能性は、このように腐り切った社会を苛烈な批判的精神によってぶった斬るような精神を持っていたハズである。かつてブレヒトが実践したように。今作はそれとは真反対の作品であった。若い人にはもっと戦って欲しいものである。自由を惨殺するような連中と。
トタン屋根でスキップ

トタン屋根でスキップ

ここ風

シアター711(東京都)

2020/02/05 (水) ~ 2020/02/11 (火)公演終了

満足度★★★★★

 小屋の使い方を観て感心してしまった。一般に舞台美術がしっかりしている劇団は作品の内容も良いという感触を持っている。(べしミル華5つ☆)

ネタバレBOX

物語の展開は町の喫茶店で進行する。従って舞台上の大道具は喫茶店の店内を模したものだが、面白いのは正面奥がガラス窓になっており、そこには一脚のベンチが背を客席側に向けて置かれている点である。このようなレイアウトにすることで舞台自体に奥行きが出て、進展する中で深まってゆく今作のシナリオと照応し合う。
 脚本は、適度な笑いを鏤めながら、ドンドン深まり、作家の人を見る目の確かさを証立てている。殊に苦労人や深い悩みを抱えながらその悩みに誠実に対応した人間のみが持つ正鵠を射た観察力の鋭さや、世の中を下から見る視点による世間解析の確かさなどが随所に見て取れる点もグー。無論、脚本のみならず、役者陣の演技自体、演出も良いことは、苦しみを抱えた人々の特性としてキチンと描きこまれ、表出されている点からも見て取れる。
 今作の作家・霧島ロック氏は北海道戯曲賞優秀賞を受賞しているとのこと。拝見して実際良い脚本であり、良い演出、舞台美術を含め、役者陣の演技は無論のこと良い舞台である。ところで普段北海道で活躍なさっているのだろうか? 霧島は九州の焼酎、それをロックで飲むのが好き、と解釈したが。
鳰の海

鳰の海

劇団TRY-R

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2020/01/31 (金) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 どんな物語か短く言うと、伊賀の里の伝承として、鳰の海の央に在ると伝えられた“沖の白石”と呼ばれる岩礁を発見した者は太平の世を戦乱の世に変えることができるとの言い伝えを巡る物語と言えようか。(華4つ☆)

ネタバレBOX

但し鳰の海が何を指すか定かではないし、実際に存在するのか否かも定かではない。基本的に5W1Hは一切分からない所から始まる。登場するのは、現にも夢にもあらぬ場所でアショカ王に仕える者ら、「奥の細道」の旅路の松尾芭蕉に供の曾良、安土城を建てた頃の信長とその親族として登場する信勝ら。後代魔王などとも評されることになる信長の新し物好き・短気という気性、天下布武に対する念と覚悟、無論その天才性などもキチンと示されると同時に極めて特異な城であった安土城がなぜ、琵琶湖畔に築城され、その目的は何だったのか? 通常の解釈とは全く異なる今作独自の解釈になっている点もグー。また、北を目指す思想は中国の思想でも儒教ではなく、道教だという点をベースにしているであろうことも面白い。
 芭蕉がわざと間違った振りをして口に出すのは杜甫の「春望」、国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪。に無論、芭蕉の生まれ故郷、伊賀の里を信長によって滅ぼされ、自らは老いた身で流浪する流謫の惨めを示唆すると同時に、日本の和歌などの伝統のみならず、漢詩にも素養のあった江戸期文化人の素養の質も示しているであろう。江戸期のみならず明治時代の文豪などの漢文力が頗る高かったことはよく知られている。当然のことだが、往時漢文の素読は勉強の基本中の基本であったから金のある町人や、村方・町方三役、武士は無論のこと、教養ある男子は漢文に長じていたのである。         
 一方、俗説で芭蕉が忍びであったという説を巧みに利用し、壊滅的打撃を被った伊賀の忍びが再度活躍できる時代を作る為に、曾良と別れた後芭蕉が、伊賀上人・百地三太夫の末裔としてその術の総てを尽くし沖の白石発見に挑む姿は見せ場の一つ、また芭蕉の忍者説程人口に膾炙してはいないものの、実際に忍びの為の旅であったなら、若い曾良が忍びで芭蕉は、そのカモフラージュに使われた、と解釈する説もあるとのことだからリアリティーとしては後者を取りたい。が、忍者説自体仮に本当だったとしても、秘密を明かさないのが忍びである以上、詮索に余り意味はあるまい。寧ろ、ところどころ、おちゃらけに芭蕉の句に間違いを意識的に仕込みながら、ちゃんとした教養の質を示し続け、信長の進取の気性と賢さ、海外に迄目を配る先見性などとも照応させ、知的レベルを下げずに話を進めていることを評価したい。
 さて、少し鳰の海についても解説しておこう。現実に存在しているのは琵琶湖であるが、鳰という漢字を分解してみると、“入”と“鳥”に分かれる。これは人が鳥のように飛ぶことを表していると解釈する。安土城の天守の真北に琵琶湖の丁度真ん中はある。道教の関係があるのであろうこの北信仰に絡んでか、精神世界が入り込む。仏教の六道輪廻や仏道の説話、仏も絡み、時空を超えるか、或は量子力学的な古典物理学とは異なる重なり合う世界のイマージュ(シュレジンガーの猫)に近い琵琶湖が鳰の海に変じる方途があるとされる。一つが先に挙げた北方に向け、鳥として真ん中に行き、沖の白石に辿り着く方法、もう一つが百地三太夫の採った北方へ潜ってど真ん中へ辿り着く方法である。二人は各々の方法で沖の白石を発見するが。伊賀の伝説はあくまで伝説であり、答えは普遍的なものであった。ところで曾良は、どのように空を飛んだのか? 信長が協力してくれたのである。安土城の天守閣には、ダヴィンチの考案した飛行用の鳥が置いてあったのだ。曾良は一足遅れたものの、師匠の発見した沖の白石を発見し、伝説の意味する所を解き明かした所で幕。
 照明、音響、衣装もグー。脚本も面白いが、作演も役者も基本的に若いので、脚本に書かれていることの身体化については、もう少し勉強する必要がありそうだ。殺陣が様式化しているのは悪いことではない。メインは脚本にやや重点を置いているだろうからだ。スモークの焚き方、タイミングも良かったし芭蕉が沖の白石発見時の戦争シーンも音響、照明共に効果的であり赤布も効果的に使われていた。
即興インプロ鍋

即興インプロ鍋

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/01/04 (土) ~ 2020/01/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 実は、この公演2019年のクリスマスイブにプレシンポジウムがあった。

ネタバレBOX

 堤中納言物語に登場する姫は13歳、当時13歳といえばやんごとなき女性は結婚をする年頃、眉毛を抜き、歯を鉄漿で染めてというのが高い身分に生まれた女性の常識であったが、この姫は、そんな慣習に頓着するようなウツケでは無い。それどころか掌に芋虫などを載せて良く観ている折「本地尋ぬる」とのたまう。これは仏教の概念だそうで本質を見るという意味だとか。芋虫が蝶々になれば誰しもが美しいとか、飛び方が素敵とか讃嘆の声を漏らすが成虫になって仕舞えば残る寿命は僅かだ。蝶々になれば美しいがその時、命は風前の灯、寧ろ姿は醜くとも蝶々になる為に懸命に生きている。このことが本質なのではないか? そのようにけなげな姿を見た時、命そのものを愛おしく思う心を、姫は“愛づる”という言葉で表現しているのだと、生物学者の中村 桂子さんはおっしゃる。そして姫の愛はLoveではなくギリシャ語起源のPhilosophyのsophyを愛する方だとおっしゃる。自分も先生のおっしゃることに同意する。科学や技術が凄まじい勢いで発展し我らの生活は便利になった。然しそれと引き換えに失われたもの・ことも実に多く例えば地球温暖化等も我々の化石燃料使用や原発の温排水等の影響も無視できるハズが無いこと明らかである。何となれば100万KW級の原発1基が稼働した状態では1秒間に70トンの水の温度を7℃上げる。河川名を具体的に挙げて示した方が良かろう。これは多摩川と荒川2本の河川の1秒の流量を合わせたほど膨大なものだ。無論、制御棒を差し込んで炉心の反応を停止させても崩壊熱が出続けるからエネルギー放出量は漸減しても0になるまで非常に長い時間が掛かる。これが福島第1原発人災の水素爆発の原因だということ位知っていよう。更に言えば地球上のCO2 の殆どは水に溶け込んでいる。こんなに水温が上がれば水中にあったCO2が大気中に出てくること位、子供にも簡単に分かる。3.11人災の実害を矮小化しようと国・政治屋(安倍以下利権政治屋の面々)(通算、文科、外務他の、公僕であるハズの官僚共)もチェルノブイリ・フォーラムに関わった推進機関(IAEA,FAO,UNDP,UNEP,OCHA,UNSCEAR,WHO,更に世銀。)他にICRP、放影研、福島医科大、沖電を除く電力会社、原発建設や原発そのものの製造、メンテなどに関わっている・いた企業(GE,ウエスティングハウス、アレバ、東芝、日立、三菱重工、ロスアトム、斗山重工業、各ゼネコン)こいつら総てが単に利権の為に子供、妊産婦の未来を台無しにしている。放射性核種がどれほど排出されたのか基礎的データは人災後随分時間が経った所で発表されたが、計算の起算日が約1週間遅れた時点から開始されていた。こんな初歩的なマヤカシですら見抜けない日本人が圧倒的多数であったろうことは、この人災について本を書いている人間以外自分は数十人に訊ねてみたが正解は1例も無かったことからもほぼ断定できる。訓練された政治的白痴の実例、大多数の日本人。実に残念なことだ。何れにせよ既に多くの子供、若い女性が深刻なダメージを受けていると考えて行動した方が良い。時代状況とこの「国」の特徴である非人間性がこのような状態であればこそ、中村 桂子さんの本質を観る目と深い知性に裏打ちされた認識周辺でだけ、何時まで経っても大人にはなれない男の子(おのこ或いはおのわらわ)らが歌い戯れることができるのだろう。それもこれもDNA自体の健康あればこそである。ところで放射線核種による被害は無論こんなことだけで終わってはいない。日本では一切が無視されている内部被ばくについてもその影響は如実に現れている。イラク南部のバスラ周辺では、米軍の使ったDUの影響としか考えられない癌、奇形児出産や死産、白血病等々が湾岸戦争終結から数年で多数みられるよういになったし、コソボでも似たような事例は多く報じられた。自分が実際に小児科や産婦人科の医師から見せて貰ったデータは、戦場カメラマンにも多くの友人を持つ、死体の写真には慣れているハズの自分が言葉を失う程凄まじい実例であった。無論マスメディアでは、余りにも痛々しくてこんな写真は発表できない。更にチェルノブイリ原発事故の真実を追い求め弾圧や投獄の憂き目をみながら真実を明かしていったウクライナ、ベラルーシ、ロシア3か国の被災の酷かった地域では2011年時点で、即ち事故後25年で大幅な人口減少が観られている。死亡率は死産を含めて出生率の2倍以上、地域差はあるものの人口率の減少は20%程度である。而も1986年4月26日に事故が起こった後、半径3Km圏内は翌日、強制退避、その後1~2カ月で半径30㎞圏内の者も退去させられ現在尚基本的に立ち入ることは出来ない。(少数のお年寄りなどが退去を拒否している例はあるが、年齢が高くなれば被ばく感受性は子供や妊産婦の数十分の一で済む。この原因は新陳代謝が不活発だからだ。良く共産主義や社会主義の何たるかも分からず、アナーキズムに至っては言葉だけを聞いたことがあるような人々が判で押したように共産主義は自由が無く抑圧的云々とのたまうが、今迄地球上で共産主義が実現した国は一つも無い。また、何も知らずに知ろうともせずに知的怠慢を貪りながら彼らが批判していたソ連ですらが、事故後の対応は日本などより遥かに迅速で時宜を得ていたし、日本は計測値が低くなるように細工をした上で空間線量しか計らない好い加減な計測だが、日本より遥かにマシで空間線量以外に土壌線量も計測している。ちゃんと生き物として人間を含む動植物に対しているのだ。文科省の官僚を議員会館に呼び出して疑義をぶつけたことがあるが、出席した2人の官僚は答弁としては何ら意味の無いことを何度も繰り返し応えるだけで、当に木で鼻を括った、人を人として扱わない下司の内実を見事に明かしていたし、元通産官僚だったという30代前半の奴と話をした時放射線核種による被害についてどう考えるか? 訊き糺した所、突然変異の可能性があると応えられた。無論、その可能性はある。然し生体が突然変異を起こした場合生き残る確率は極めて低いので、更に質問をした。子供は居るかを訊ねると、居るという答えだったので、じゃあ、お前の子を連れて福島や汚染の酷い地域に行って住めるのか? と問うとだんまりを決め込まれた。それでも自分の話した元通産キャリアの人物は多少はマトモな所があったのだろう。早くに見切りをつけて辞めた訳だから。
様々な所で仕事をしていた時、良く見掛けたのが公僕であることすら意識できない官僚が偉そうに、関係業者から接待を受け続け、矢張りデカい面をして政府方針などを押し付けるのみならず、天下りはし放題の状態だった。官々接待やノーパンしゃぶしゃぶなどの破廉恥行為も散々報じられた。何故こんな下司共に諂わねばならないのか? 彼らは公僕に過ぎないというのに。政治屋共も然り。税金で生かして貰っているのに、当選しちまえばこっちのものとばかりに利権・利害で動き、民意など一切反映しないのが自公などの下司だ、安倍晋三のように学生時代皆のパシリだったようなチンケでアホな人物が長期政権を担えるのは重厚長大産業(三菱重工、日立製作所、東芝、川崎重工、新日鉄等々とそれらを各グループで束ねる三菱UFJ銀行、住友等の金融機関との露骨な連携があるからだ。三菱重工を叩くにはローソンの不買運動なども効果的だ。ローソンの幹部は現在三菱系であるから戦車等の武器を作って海外の市場を狙うような三菱の息の掛かった店では買わない、と実践すれば良いだけのことだ。民意を舐めるとどういうことになるか思い知らせる必要がある。政治屋共を叩くには、現在の小選挙区制を大選挙区制に改める。現在、法で禁止されている直接民主制を導入する。政治家を人や党で選ばず公約とそれを実現する為のロードマップで選び実現できなかった場合は直ぐリコールできるようにする。また公僕たる官僚が民意を反映しない場合に任免権を国民が持つ、最高裁裁判官全員のこれまでの判決事例と判決趣意書を提出させ日米地位協定に対する立場を表明させる。マスコミはこれら総てに関してキチンと報道する。閣議決定は基本的に禁止、どうしてもという場合は関わった総理、閣僚総てが各案件に対して絶対的責任を負う。失敗した場合は個人財産は総て没収、政界を追放するのは第1弾に過ぎない。メディアは閣議決定に関わった政治家総ての氏名を閣議決定の度に総て発表することを法制化するなど。また民意を反映しない戦争への道に繋がるような政策に加担する政治には税金を払わない権利を法制化するなど。但し、国民は自らの選んだ政策が実現化した時には主権者としての責任を個々のレベルで負わねばならない。だいぶ横道に逸れたが、阿保な日本を変えるのもまた政治の力が大きいのだ。
残機尽きるまで私は戦う~再演~

残機尽きるまで私は戦う~再演~

U-33project

高田馬場ラビネスト(東京都)

2020/01/30 (木) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★

 高校を卒業して6年、久しぶりに仲間5人がみっちゃんの部屋に集まりパーティーを開くことになったが。(追記2月2日0時5分)

ネタバレBOX

みっちゃんを除く4人は他の1人に対してこれだけは許せない、と感じている所があり、その点でいつも喧嘩になる。それを止めてきたのがみっちゃんだったが、6年経って皆変わっているのでは? と期待していたみっちゃんの想いはアッサリ裏切られることになった。今やCIAのエージェントとして活動している彼女はC-4(プラスチック爆弾の一種、可塑性がありTNT火薬の1.34倍程度の爆発力があるが、爆弾として用いるときは一般に雷管や信管を用いる)。
当パンを基本的には敢えて読まずに観劇することを心掛けている自分が、その状態で感じたことを先ず挙げておく。みっちゃんがCIAエージェントだと分かったシーン以降が面白いと感じたのだが、理由は女性の生き方を一般的にいうと底を明かさないという方法だろうが、その社会的対応がそのまま表出され、狡さも含め、作家がその点を意識の俎上に載せている点を評価した。(当パン記載の作家名では男性・女性の弁別は判然としないと考えた。無論一応男性と読める表記ではあるが、小野妹子の名や紀貫之の「土佐日記」冒頭“男もすなる日記というものを云々”の例もある)然し帰宅後に当パンを読んでみると2016年7月の初演とある。かなり間が空いているのに、当パンの書きぶりだと余り内容は変えていないらしい。だとすれば問題である。これだけの時間がありながら社会に対する認識が殆ど変っていないことになるからである。みっちゃんがCIAのエージェントであることは、まあ良いとしよう。日本には正力松太郎を始め多くの売国奴が居た(る)わけだし。だが、スパイ組織ともあろうものが、たかが友人同士のいざこざ如きに介入するハズもない。スパイである以上、目立たぬことが第一であるから。この程度の認識は、多少知的戦いを経験したことのある者なら誰もが身に着けている基本である。(この点で現実認識に弱点があることが見て取れる)
一方、タイトルに用いられている残機という単語はゲーム用語で、最初音だけ聞いた時には“慙愧”などと随分難しい単語を知っているではないか‼ と驚いたのだがチケットの表記を見て、ハテ? となったのは自分がゲームには疎いからである。何れにせよ、ゲームでしか頭を満たしていないのであれば、足掛け4年の年月も何ら社会的知の拡大に繋がっていない状況が腑に落ちた。つまり作家は3年半というもの、相変わらず社会的成長を遂げていないという恐るべき状態にある訳だ。なるほどこれだけ悪い方へ極端に変わっている日本の政治状況を認識する術すら持たぬほど、そしてその危険に自らの力では気付けないほど訓練された白痴というものを作ることに専念しているのが、文科省が勝手に作っている指導要領の結果かとも思い、真面目にそんな馬鹿げた要領に反抗もしない「マトモ」な優等生的感性かとは思ったが、無論、教育は教科書だけで成り立つものではない。社会、マスコミ、人間関係や本人の語学力、情報収集能力や分析力、好奇心とイマジネーション等々様々な生きた経験の及ぼす力が大きい。だが今挙げたようなこと総て・即ち自分自身で自分を磨かなければならないということに気付ける能力とその開発に用いるべき時間がゲームのような蛸壺的な世界に代替されているとしたら、これは実に危険なことだと言わねばなるまい。下らない文科省指導要領に従っているようでは、人間的な成長は基本的に生まれようもないからだ。こんな自分の想像が正鵠を射ていないことを願うばかりだが、自分の想像通りであれば、実際に爆弾は炸裂し、その後のことが記された作品と読むことも可能だ。爆弾は、無論C-4ではない。空疎、否、より正確に表すなら空虚そのもの、即ち日本流に言えばこの爆弾の爆発の結果、鵺が蘇ったとでも言うべきか。訓練された白痴が自ら選び担う泥船の行き先、その明らかな被害者とその具体的被害状況のアウトラインも更に明確に見えてきた。残念至極!
ストリッパー物語

ストリッパー物語

URAZARU

オメガ東京(東京都)

2020/01/15 (水) ~ 2020/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

 余り一般の人々に気付かれないことから書いておいた方がよかろう。

ネタバレBOX

差別は実際には極めて微妙なものだ。ヘイトスピーチの如く、どんなに鈍感で自分の頭で考える力の無い者にも露骨にアピールする力だけある政治的言辞というものはある。しかし実際に差別を受ける者にとって差別というもの・ことは無論、ヴァイオレンスや虐殺が無いではないが、日常生活の只中で遥かに深く静かに被差別者の精神の屋台骨を蝕む獅子身中の虫、油断すれば己が思考さえ差別者の思考に重なる。当然のことながら差別する側の者の殆ど総てが差別のこういった構造に気付いていない。
 今作で最も緊迫した場面が連続するのは序盤から、彼女の病変にヒモが気付く辺りまでであり、終盤失踪した彼女が最後に大阪のストリップ小屋で発見される一件を除けば、終盤は、つかが一般向けに極めて分かり易く解説して見せているということになろうか。
 この辺りのことをキチンと読み取ることができる観客には、売春捜査官や熱海のように顕在化された差別ではなく、見えぬ差別の根深さと地獄をこれほど見事に描いた作品の名作ぶりが感じられるであろう。その証拠に「落ちて落ちてどん底迄落ちて選ぶことを止めた」と、選ばされることを逆手に取って起死回生の一手を打ったヒモの、総てを許すことによって、否それを自ら選び取ることによって、人間としての最後の証明、即ち優しさを命を賭けて獲得したストリッパーとヒモの差別構造そのものを相対化しようとする営為の持つ優しさの意味する所は分からない。
 演出、演技、照明、音響何れも高い評価を与えることのできる舞台であった。
全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

遊戯空間

浅草見番(東京都)

2020/01/29 (水) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 初日を拝見した際、30日は休演日ながら、ワークショップをやるというので、これだけ優れた舞台を作ることのできる方法、手法とは何か? と在り来たりな発想で伺うことにしたのだが。13時から17時まで途中10分の休憩を挟みあっという間の4時間。ただ、観ているこちらも参加型でもあり、全十一段を通した後は呆けたような状態であった。全身全霊、作品との格闘である。ワークショップも無論華5つ☆。(追記2月1日02:17)

ネタバレBOX

 役者陣に交じって朗読に参加した人達の中には、腹筋が痛くなったという方もいたぐらい、実は激しいトレーニングである。というのも全十一段のうち息抜きができるような部分が無い。七五調の古文によって描かれる台詞内容は、殆ど総ての段で命賭けの対峙である為、気の休まる暇もないのである。だから、ぼんやり眺めて居るだけなら立ったり座ったりと動作は大して大きくないように見えるかも知れないが、演じる者の内面では実に激しい精神的・知的・肉体的葛藤を通して内面化されたもの・ことを身体表現として表出すべく、将に格闘が行われているのである。それは、古語によって描かれた命そのものの葛藤と現代日本に生きる我々との真向勝負でもある。
パズル

パズル

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2020/01/28 (火) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★

  多くの日本の喜劇に言えることだが

ネタバレBOX

観客に阿って彼らを洒落のめす作品が極めて少ない。この点に日本人の自己批評の脆弱性を見る。この傾向は我々の日常のありとあらゆる側面に表れている。無論、喜劇である以上笑いを取ることは必要だが、それが常に体制内で許容される笑いだけなら、表現としては爆発的な力を持つまい。
 将に今、日本丸が泥船と化し沈没の危機にあるなら、この馬鹿げた世相の全容を洒落のめす作品が出てきてもよかろう。しかしそのような作品は極めて少ない。この傾向は今作に限らず、日本人の作り出す表現の殆どに通底する傾向ではないか? この一般的な日本の問題を除けばかなりよくできた作品だが、この小屋は」型に客席があり、拝見した回は、」の縦側に客は1人。横側はほぼ満席だった。が、シチュエイションを説明するスクリーンの向きが1人しか観客のいない側に見やすくなっていたように感じた。可能であれば、観客の多い方にスクリーンの向きを調整してもらいたい。
 作品全体の構造はオーソドックスで、様々な要素が一か所で同時に起こることによる滑稽が描かれており、これが基底を成す。場面、場面で桁外し、誇張など基本的な笑劇の要素が鏤められ楽しめる。
全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

全段通し仮名手本忠臣蔵(2020)

遊戯空間

浅草見番(東京都)

2020/01/29 (水) ~ 2020/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 必見、華5つ☆(1回目追記2月1日 10時35分、2回目追記2月2日11時5分)

ネタバレBOX

 雷門から浅草寺本堂左脇を越え影向堂が正面に見えたら左へ。境内を抜けると目の前に花やしき通りの看板が見えるから境内を出てすぐ右折、直進すると車通りの多い道に出るから信号を渡って真っ直ぐ。道右側を見ながら暫く歩くと浅草検番はある。雷門から男の足で10分程度は歩く。この小屋は初めて行ったが、渋い。演目は二階で演じられ、靴は一階で脱いで階段を上がると障子が連なり、客席に通じる中央通路には和歌を記した衝立。久しぶりに純和風の建物に入った感覚に普段は忘れていた風情を感じ打たれた。客席は最後列2列は椅子だが、殆どが座椅子である。
 何れにせよ、達筆な文字の書かれた額が正面に。舞台奥には六尺、六曲一双屏風が二つ。音響は生演奏の尺八、横笛、拍子木、太鼓など。この演奏も素晴らしい。が何にも増して江戸時代の言語で書かれたこの作品を上演する演者たち各々が古語をよく理解し、深く内面化させた上で内側から発現するような表現にまで身体化し得ていることに、ほとほと感心させられた。流石は遊戯空間の作品である。
 これだけの難物をよくぞ、ここまでと思わせるのは、自分は皆が一所懸命に勉強していた時に遊び呆けていたうつけ者故、古典の素養は無いに等しいのだが、その自分にすら、解説を読まずとも脚本の素晴らしさが生き生きと伝わってくる見事な出来であり、演出であり、音曲とのマッチングも実に微妙、精妙。打てば響くとはこのこと。むろん、衣装もよく考えて合理的に作られたもので、黒衣に白の襟を付けただけで討ち入りの陣羽織に変ずる優れもの。こういった細かい点にまで神経の行き届いた見事な作品である。
 前段最初に「難物」と書いたのも、例えば語り手はタイトル、「大序」から始まって十一段目まで総て声に出して読んでゆくのであるが、黙読を常としている我々、現代日本人の多くはタイトルを始め、大序、~段目などを殆ど無意識のうちに飛ばし読みしてしまうから、実際舞台に上がって直ぐこの習慣が完全に改まるか否かすら難しい。なんとなれば習慣とは第二の天性、本能ともいうべきものだからであり、改めるにこれほど難しいこと・ものは滅多にないからである。この辺りが先ず日常生活を生きる我々生活者と演劇表現に携わる人々との決定的な差であろう。更に例えば九段目をどう読むか? 古語としてクダンメと読むのが正しいのか、或はキュウダンメと読むのが正しいのか? といった実に単純な問いにさえ容易に答えを出せないのが素人の我々ということだ。無論、演じている役者陣、今回の脚本・演出を担当している篠本氏と雖も我らの同時代人、こういった基本の基本を含め総て日々の学習、鍛錬の結果身に着けてきた成果である。それがこのような形で花開いているのだ。観に行って損はない。否、是非とも観るべき作品である。
 無論、これだけ質の高い上演だから、照明も気が利いた腕前を見せている。何か所かでハッとさせるようなセンスを見せられた。
 当パンに記されていることと重複するが、今作の原作が書かれたのは史実の47年後。とはいえ幕藩体制は続いていたから、下手に目を付けられれば発禁、上演中止などというリスクを伴いかねないばかりか、原著者三名は入牢などもあり得ようから、態々「太平記」を設定に用い言い逃れ可能にしていることは火を見るより明らかだ。太平記の設定にしている以上、赤穂藩主・浅野内匠頭、家老・大石内蔵助などの名が出てこないのは必然であり、討たれる仇・吉良上野介の名も同様に出てこない。また、原作通りの脚本で全段通すと十時間を超える作品になってしまうから、現実に完全に原作通り演ずるのは殆ど不可能だ。そこで篠本氏が今回上演されるこの長さ迄原作を刈り込んで脚本化している訳だが、大切な部分は省略しておらず、全体の流れがよく見えるような形で脚本化しているので、歌舞伎などでは省略されがちな二段目と九段目との関係、太平記の筋と仮名手本忠臣蔵原作の筋二つの筋が絡み合い、作品を重層化している所が良く分かる点もお勧めだ。無論、原作の脚本も非常に優れた作品だから、丁度作品の真ん中を占める六段目、歌舞伎では勘平役を二枚目役者が演じ序破急の央を華のある場面にしている。
「朝日のような夕日をつれて」

「朝日のような夕日をつれて」

株式会社STAGE COMPANY

本所松坂亭(東京都)

2020/01/14 (火) ~ 2020/01/19 (日)公演終了

満足度★★★

 ベケットの「ゴドーを待ちながら」

ネタバレBOX

を何とか越えようと努力しているのは分かるが、ベケットにはある深刻さが飛んでしまって、内実の無い日常の耐え難さも精神をワヤにしてしまう地獄の‟待ち“も何ら表象できていないので、薄っぺらで表層的な作品に堕してしまった。この空疎と表層しか見ぬ態度、それで良しと己を納得させているのが、現代日本の姿であり、それが新自由主義と呼ばれているなら、その姿をアイロニカルに描けばよいし、そのような視座で作られていたのであれば、極めて面白い作品になったであろうが、残念である。元々、「ゴドーを待ちながら」は、サンドイッチよろしく中身はなんでもござれを許す作品構造を持っているのだから、この点をもっとシリアスに時代の迷妄を貫き通すほど強く、鋭く突き破って欲しかった。
 現代日本の体たらくは、自分の頭で考え抜き、根源・原理に到達したなら、それを如何なる形で社会に還元するかを考え、新たな世界観を創生して、自分の発想を現実化する為の現実的方法に思いを馳せてプロトタイプを作り実験を重ねて検証した後、世間に発表しその原理なり発想なりが世界に認められるか否かを問うわけだから、時間も費用も掛かる。だが、日本はこういうことをやってこなかった。更に悪いことにこのような発想をすることができ、現実化できそうなタイプの人材を寄ってたかって潰してきた。結果、数十年前から頭脳流出が激しく有為な人材の比率はどんどん下がってきたというのが現実だろう。このままではオリンピック迄は何とか誤魔化せても、泥船であることに変わりはない。現時点はフェイクだのズルだの嘘だの詭弁だのありとあらゆる卑劣な手を使って、真実を覆い隠しているに過ぎないことくらい小学生にも分かる。この愚劣が進む先を見せるのも演劇の大切な役割だろう。私とは他者であり、その視点でも己を見ながら異なる身体を持つ他者と、認め合う部分は共有し競合すべき部分はフェアに競合して自他共に作る社会を見る必要がある。
 無論、これがデキない社会だからこそ、今作を上演しているのであろうから、この無能な社会の非に警鐘を鳴らす為に、このようなヴィジョンを作品中の適当な箇所に埋め込んでおいて欲しかったのである。
はざま

はざま

Reading Bitter

ザ☆キッチンNAKANO(東京都)

2020/01/25 (土) ~ 2020/01/26 (日)公演終了

満足度★★★★

 仏教で謂う所謂「中有」から発想を得ているのかもしれないが、

ネタバレBOX

脚本から感じる感性の柔らかさからは若い女性作家という印象を持った。無論、キリスト教が西欧を席巻する以前の人々が死後赴く場所と後のキリスト教徒に考えられた冥界でもあるまい。
 面白いのは、中有と同じように“はざま”に滞在できる時間は限られており、はざまにいる間、個々の「主体」は何らかの特殊能力を持つ。ただどのような特殊能力が何時発現するかは神も答えを持たない。全能である神はすべての権能を持つが、余程の危機でない限り全能力を発現することは禁じられているからである。何となれば、その能力を発現せねばならないような危機は、神と敵対する勢力が、神の技を盗み使いこなす危険のある今、神や敵の存在のオーダーそのものをリセットしてしまう危険を伴うからである。
 ということになっている。だが、このシナリオに描かれてはいないが、決定的な欠点は表現する者にとっては最早語るも恥ずかしい、神の視座の問題を蔑ろにしている点である。即ち、ゲームを作る者の視座で書いていることの無視である。脚本の内側の、作家の意思でどうにでもなることを、恰も絶対的危機として単純に表明している所に難がある。こういった基本的な点を無視すれば、物語の展開はそれなりに面白いし、先に上げたように感性の柔らかさも評価できる。彼と彼女の関係にサスペンス要素と愛も埋め込まれていてかなり面白い。
 然しながら、台本を持ってのリーディング公演で噛む場面が何か所もあった。これは勘弁願いたい。
カラカラ。

カラカラ。

劇団もっきりや

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2020/01/23 (木) ~ 2020/01/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイゼツベシミル。(華5つ☆)

ネタバレBOX

差別・被差別の話だが、この問題を描くことには大きな困難が伴う。実に微妙な問題だからというのは無論のことながら、あっちやこっちから横やりが入るという状況をも意識せざるを得ないからである。その困難を押して作品を仕上げた作家に先ずは敬意を表すると共に、演出の意図を正確に読み取り自然な演技に昇華した役者陣の創造力・イマジネーション、身体性も高く評価したい。
 ところで、今作 成功の鍵は、直球で勝負している点にあろう。差別は、される側のほうがその本質を掴む。それは多くの場合、差別する側は、自分の頭を用いて深く考えずに、予断や習慣といった謂わば第二の「自然」に立脚して知的怠慢に陥るのみならず、それが知的怠慢でしかないことさえ気付かぬか気付かぬふりをするからだ。理由は、無論その方が楽だからであるに過ぎない。この辺りの曖昧さに対して、作・演出家は真っ向から向き合っているが故に、直球勝負なのだ。この姿勢には微塵も偏向や偏見がない。そして、この最も肝要な点を全員が理解し、創造していることから今作の素晴らしさが生まれている。本物の芝居である。
 無論、更に深読みすれば、差別が固定化することにより差別を受ける人々は、戦争の央であれ、或いはその準備の段階であれ、まっとうな意見を無視されるのみならず、故無きバッシングや恫喝、嫌がらせ、非人間的扱いなどありとあらゆる辛酸を嘗めさせられる。在日の方々、アジア・アフリカなどからの労働者、沖縄出身者やアイヌの血を引く人々などが、どれだけ不利で理不尽なもの・ことを押し付けられているかちゃんと目を見開き、バイアスをかけずにみれば誰の目にも明らかであろう。
 王は王であるがゆえに王であるわけではない。臣下や民が王と為すから王で居られるだけである。
イヨネスコ『授業』

イヨネスコ『授業』

楽園王

サブテレニアン(東京都)

2020/01/21 (火) ~ 2020/01/26 (日)公演終了

満足度★★★★

 16年前に上演したものの再演とのことだが、

ネタバレBOX


教授を演じたのが女性ということで、
男性が教授を演じるバージョンでは、男女の性を抉る演出になることが多いようだが、戦争が進行する世相や階級差などジェンダーに関する部分がより明確に浮き上がる作品になっていた。
 思えば2014年7月1日には、集団的自衛権が閣議決定され、完全に後戻り不可能にな
ったわけで、ここから先日本は行きつく所まで行ってなお目覚めない、阿保そのものの坂道を地獄まで落ちてゆく。秘密保護法が強行採決され、共謀罪が成立した段階で終わっていた。というか天下分け目の選挙で自民が大勝した時点で終わっていたにゃ。それが、今作の主張であればより面白かったのだが、そこまでの掘り下げはなかった。

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