満足度★★★★★
「双子の星」2020.10.18 オンライン公演 J-Theater
ネタバレBOX
心が洗われる賢治童話は、その擬音の用い方も巧みである。またチュンセ童子、ポウセ童子を演じる二人もキチンと役を生きている殊にポウセ童子役はその度合いが高い所が素晴らしい。蠍を助ける時の二人の命懸けの共闘は、単に仲が良いというレベルではなく殆ど一心同体の運命共同体の理想形を為している。この辺りの描き込みも流石に賢治ならではの強さを持つ。(第一話)
ポウセ童子とチュンセ童子の二人を裏切り・誑かして海に落とした箒星の減免を願う二人の星たちの優しさが観ている我々の魂を浄化してくれるような作品。海に落ちた二人が雨の上がった天の川を見るシーンの切なさが心に沁みる。(第二話)
本当に二日間のみの公演が勿体ない。ぜひ再演して頂きたい。
満足度★★★★★
「虔十公園林」2020.10.18 オンライン配信版
ネタバレBOX
昨日、生で拝見したが、本日はオンライン版で拝見。矢張り臨場感が随分異なる。虔十の衣装に若干差があった。腰に巻いた縄が自分の目が悪くなったせいもあってか、昨日はハッキリしなかったのだが、本日はくっきり見えた。最も変わった点が、本編終了後の「永訣の朝」朗読である。より賢治の悲嘆が強く表現されていた。惜しむらくは、次に読まれた「雨ニモマケズ」の朗読との間にもう少し長く間を取って欲しかった点である。「永訣の朝」の悲嘆を観客がじっくり味わう為に。
満足度★★★★
オンラインで鑑賞。台詞が聴き取りにくい点があったが、全体の調子としては、欺瞞を生み出す社会構造に目を向けず、
ネタバレBOX
結果分析もせずに漫然と暮らした結果、状況に翻弄され自己解体を余儀なくされた現代の、知恵の無い若者の陥る陥穽に落ちた精神の荒廃をそれなりに正確に描いた作品と解釈した。現実をしっかり見極めることが治療薬になる。其の為には、先ず精神的に裸になることが第一歩となろうが、踏み切る為の足場建設が必要かも知れぬ。何れにせよ、死に目を向けていること自体が、思弁性に逃げることになる。足場を築く為にも目を向けるべきは生きる現実である。現実は死より遥かに辛いこと、苦しいことが無限にある。そこに飛び込み裸の精神をキチンと鍛え上げることこそ肝心だろう。
満足度★★★★★
「双子の星」この舞台も2日間だけで終えるのは勿体ないと感じた舞台である。
ネタバレBOX
双子星には、可愛らしいチュンセ童子とポウセ童子がそれぞれの宮を持ち、星巡りの歌に合わせて陽が沈むと銀の笛を毎夜吹奏していた。双子の星だからか、賢治は二つのお話を書いて一篇の作品としている。何れの話の内容も素晴らしく甲乙つけがたい。話の内容は措くとして、上演関係者について書いておくとしよう、チュンセ童子を演じた三浦 小季さん、ポウセ童子を演じた松尾 美羽さん、お二人とも若い女性である。お二人の息の合った朗読からは、チュンセ童子、ポウセ童子の愛らしく、純粋で優しく健気な童子たちの性格が見事に表象されていて好感を持った。水先案内役を務めた高橋 恵子さん(こちらはCD音声)の立ち位置は、賢治を客観的に捉え、提示するという姿勢を感じた。水産高校出身の自分の知る水先案内人というのは、甲種1級免許を持ち、長年世界の海を船長として航行してきた当に最高のプロフェッショナルである。(因みに今は法律が変わってこういう資格そのものが無くなったかもしれないのだが、要するにどんなに大きな船でも、地球上のどの海域を往く船でも船長になれる、バイクで言えば限定解除の船長だ)客観というのを厳密に捉えれば、無論、物理法則とか、数学の定理とかになるだろうが、ここでは、修羅場で常に正しい判断をし得た人が多くの他者から信頼され次の判断を任されるような人物の判断基準と一応しておく、高橋さんのナレーションには、少なくともそれを目指している態度を感じた。その背景上で、若い二人の女性が舞台上でいとけなさ(*ここでいう“いとけなさ”は所謂辞書の解釈ではない。人間は100に生まれ、1になって死ぬというようなことをヴァレリーも言っているが、存在の持つ可能性を指している。そして存在とはあらゆる論理に対し先んじて在り、存在そのものに対して現在の我々の知性は殆どその実体を解明していない。故に誉め言葉としてここでは用いている。)を出した演技が過不足なくチュンセ童子、ポウセ童子のキャラクターに呼応していた。
無論、今作でも多くのベテラン俳優が声の出演でサポートしているが、こうやって若手を送り出す努力を続けてきたJ-Theaterの活動にも賛意を表したい。
満足度★★★★★
虔十公園林を拝見。2日間しか上演しないのは、惜しいと思わせる舞台である。
ネタバレBOX
演者は1人、虔十を塩田 貞治氏。未だ若い役者さんだが伸び代はありそうだ。語りは西田 敏行さんがCDに録音して下さったものを用いている。他の様々な登場人物も矢張り声のみの出演である。西田さんの語りは、この作品を読み取った西田さんの哲学的な話から始まる。哲学と聞くと堅苦しい感じがするかも知れないが、そんなことは無い。賢治の魂の本質を実に良くまた深く捉えた西田さんの言葉は誰にも分かる平易な言葉で実に深く安らぎのある、そして本質をキチンと踏まえた語りである。塩田氏とは終演後、少々、話をすることができた。本当なら明日の公演も拝見したい所だが、生憎予定が入っていて拝見する訳に行かぬが舞台側面とホリゾントの手前に虔十の植えた杉の木が在る他はほぼ裸の舞台に照明が季節の移ろう光を作り出してくれる。原作の内容の素晴らしさを西田さんの語りが、そして他者の意見を聞く耳を持つ若い演者、塩田氏のまともな感性が、それらを包み込むような音響が引き立たせてくれる。
満足度★★★★★
「エデンの園」2020.10.15 演氣者塾
事故で10年間、眠り続けた妻を
ネタバレBOX
安楽死させた夫のこれも夢幻能を思わせる創りの作品、舞台内容は、始源の時空を求める夫の、妻との関係を幻影として想起した作品と言えよう。このユニット・演氣者塾は、極めて強い指向性を持つが、その指向性とは、己の理想を実現する為に諦めずに夢を追い続ける姿勢だ。この姿勢を追い続ける為にこそ、自分達の拠点を持ちそこで実践的に演氣を追求している訳だ。当然のこと乍ら極めて厳しい道である。夢は現実と相容れないケースが殆どだ。然しそのような状況に身を置かなければ、鋭く深い表現は生まれてこないのも事実である。
さて作品論である。夫のキャラクターは、妻の言うことを何でも聞く主体性のない人物である、だがその妻も自己主張することに何ら意味を見出さない女である。この2人は日本人の典型を類型化したキャラクターだと解釈できよう。つまり我ら日本人の行く末を暗示した作品でもある訳だ。オープニングは微妙に体を傾けたように立つ妻が長時間台詞無しで立つシーンだ。その立ち姿の手前を重い荷を背に担ぐように横切り、倒れ込む夫の姿が明暗の微妙な差によって舞台化される。照明は暁闇レベルで見えるか見えないか程だから逢魔時にも通ずる。何れにせよ、ここから夫婦の深い愛に満ちた会話が交わされるが、この会話は対話形式を採り、常に閉じた2人称の形で進む。妻は、夫のものの感じ方、想いが好きである。始原に留まろうとして“永遠”に閉じこもろうとして夢幻の世界の象徴である蝶の姿を後追いするイマージュは極めて美しい。直前、雪が降るシーンが挿入され、その純白のイマージュに重ねて夫の大切な価値観、純粋へのこだわりが表現されていることも蔑ろにできない。その直後の春の蝶、このイマージュには無論自分の意志で先立たせた愛しい妻への追慕が重なるのは明確であろう。自分の解釈が的を射ているとすれば、今作の中心人物は、妻ではなく夫ということになり、存在様態として非本質的な男性性が問題とされ、かかるが故に能の形式に近い今作の形式が必然性を伴ったとういうことも納得できる。また今作の、空間だけあって時間は空間に溶け去ったような、相対性理論に合致しない時間感覚も生まれてくる。即ち閉じられた空間に於ける、始まりも終わりも無い、換言すれば無限・永遠を喚起するのだ。これこそ、愛の理想ではないか? 惜しむらくは、女優の台詞には聞き取りにくいものが多かった点だ。(死者の幽けさをこそ表現しているのかも知れないが)
満足度★★★★★
「神風吹くひと」2020.10.15
『きけわだつみのこえ』に登場する特攻兵が、かつて恋人と待ち合わせたメルクマールの古樹を仲立ちとして恋人の曾孫に邂逅する物語。
ネタバレBOX
因みにこの古樹は、1945年の3月10日にカーチス・ルメイの命令に拠って実行された僅か数時間の間に女子供老人ら10万人以上が生きたまま焼き殺された東京大空襲の惨禍の生き残りだ。樹体には当然、深い傷がある。ここを訪れた一人の若い娘に彼女の曾孫の恋人であった特攻兵が逢う物語だ。何故特攻兵が彼女の前に現れたのか? 75年も経った2020年に。それは、己の死が犬死であったかもしれないという疑念に責められ続けてきたからであった。
今、このような作品を上演するのは、無論安倍政権によって数々の亡国法が現実化し、菅内閣は、無論これを更に推し進めようとしている。当然だろう。安倍政権では官房長官を務めた菅と自民党幹事長を務めた二階の二人が安倍の政治屋レベルでの黒幕だったと考えられるからだ。この状況を無幻能に近い発想で表現している。痛烈なアイロニーと言わねばなるまい。使われている曲がシャンソン、賛美歌、アメリカンポップスと変化いているのをみればそれは明らかであろうし、照明も見事である。
ところで10月26日からは通常国会で種苗法改定案が審議される。日本では殆ど報じられなかったこの亡国法は断固阻止されねばなるまい。知らなかったでは済まされない。田中正三の有名な言葉『亡国を知らざれば、これ即ち亡国』を胸に刻みたい。因みに北海道を始め多くの県・自治体が(現在約半数の県)独自条例によって種苗法に反対の決議を条例化している。危険を知った市民が各自治体に請願書(自治体議員に紹介状を書いて貰い、請願書を提出すれば、議会で必ず審議しなければならないから、陳情ではなく請願書を提出すべきである。何故なら陳情は無視されても無視した者を訴追できないから。)
種子法の問題点については、10月31日(土)11時半及び14時半から日比谷図書文化館B1の日比谷コンベンションホールで完成披露上映会がある。一般・シニア・学生1000円 高校生以下500円だ。タイトルは「タネは誰のもの」。必見の映画である。監督は農業ドキュメンタリーを撮り続けてきた原村正樹氏、必見。
満足度★★★★★
流石、東京演劇アンサンブル。優れた原作を選んでいる。(タイゼツベシミル華5つ☆)
本日、25日(19時開演)はLow Price Dayでもある。
ネタバレBOX
老境を迎えた老人ニルスと彼の暮らしを支えるホームの老人たちに少年2人(ベッラとウルフ)の殆ど奇跡的な出会いを通じて描き出される老境と少年期との対比作品。誰しもが持つ少年期の様々な悪戯や遊びを通してそれぞれの日常が描かれる。少年らは、前記の事どもがリアルタイムで、ニルスにとっては自らの少年時、亡くなった最愛の妻との思い出、戦争に取られた2人の息子、生まれなかった孫故の現在の孤独が、祖父を持たぬベッラの願い“おじいさんになって下さい”に応え実の祖父と孫として過ごす人生最後の大輪の花火の如く変容し輝く。換言すればニルスの若い時代の記憶がまざまざと蘇り、総てが上手くゆかなかった人生ではあったが、2人の少年に出会ったことでホントに若返ったかのような溌剌とした様が見事に描き出される。殊に少年たちのフレッシュで率直でちょっと悪戯な発想に鼓舞されるニルスの精神の活性化、即ち若返りが描かれることで老いの深みが実に味わい深く描かれる詩的作品。ラストシーンも予測は無論できるが、実際に描かれることの衝撃は極めて大きく胸を打つ。少年を演じた女優さん2人の演技も可成り自然だし、ニルス役が上手いのは当然として、ニルスの友達で元教師のトーラ、ホームで介護などを担当している優しく的確な判断を下すマリアンヌら脇を固める女優さん達の演技もグー。様々なお店を短時間の早着替えで演じ分ける店員さんの動きの早さがコミカルで面白い。また、舞台美術にも極めて優れた工夫が凝らされており、演じる役者さん達の演技が自然に見えるレベル迄キチンと演出が機能している点、照明も含めて雨のシーンの表現の素晴らしさ、歌や口笛が大事なテーマなので音響を的確に抑えている点も見所だ。
満足度★★★★★
流石、東京演劇アンサンブル。優れた原作を選んでいる。(タイゼツベシミル華5つ☆)
本日、25日(19時開演)はLow Price Dayでもある。
ネタバレBOX
老境を迎えた老人ニルスと彼の暮らしを支えるホームの老人たちに少年2人(ベッラとウルフ)の殆ど奇跡的な出会いを通じて描き出される老境と少年期との対比作品。誰しもが持つ少年期の様々な悪戯や遊びを通してそれぞれの日常が描かれる。少年らは、前記の事どもがリアルタイムで、ニルスにとっては自らの少年時、亡くなった最愛の妻との思い出、戦争に取られた2人の息子、生まれなかった孫故の現在の孤独が、祖父を持たぬベッラの願い“おじいさんになって下さい”に応え実の祖父と孫として過ごす人生最後の大輪の花火の如く変容し輝く。換言すればニルスの若い時代の記憶がまざまざと蘇り、総てが上手くゆかなかった人生ではあったが、2人の少年に出会ったことでホントに若返ったかのような溌剌とした様が見事に描き出される。殊に少年たちのフレッシュで率直でちょっと悪戯な発想に鼓舞されるニルスの精神の活性化、即ち若返りが描かれることで老いの深みが実に味わい深く描かれる詩的作品。ラストシーンも予測は無論できるが、実際に描かれることの衝撃は極めて大きく胸を打つ。少年を演じた女優さん2人の演技も可成り自然だし、ニルス役が上手いのは当然として、ニルスの友達で元教師のトーラ、ホームで介護などを担当している優しく的確な判断を下すマリアンヌら脇を固める女優さん達の演技もグー。様々なお店を短時間の早着替えで演じ分ける店員さんの動きの早さがコミカルで面白い。また、舞台美術にも極めて優れた工夫が凝らされており、演じる役者さん達の演技が自然に見えるレベル迄キチンと演出が機能している点、照明も含めて雨のシーンの表現の素晴らしさ、歌や口笛が大事なテーマなので音響を的確に抑えている点も見所だ。
満足度★★★★★
第30回メモリアル公演おめでとうございます。
良くこんな発想が出てくるな、と唸らせるようなシーン満載。(追記後送)
ネタバレBOX
ベースにあるのは無論、この劇団の笑いの精神だが、今作で初めてホラーに挑んだ。舞台設定が天才漫画家がそれ迄描いてきた恋愛物では無くホラー作品に挑むという設定になっていることもそこから来ては居よう。だが、Covid-19対応の政治的拙さによって殆どの民衆の明日が奪われている現在の日本で、人々は矢張りホラーを観ることで明日の無い現実の怖さをうっちゃろうとしているかに見える。
こんな世相だから、怖さの質も通り一遍ではない。輪廻を遠い木霊のように下敷きにしてはいようが、単に霊異譚の怖さという形では敢えて出さぬ、因果応報。先ずは観るべし。
満足度★★★★★
極めてチャレンジングな作品だから、可成り好みが分かれそうだ。舞台美術もちょっとユニークな作りだし、演出も一風変わっている。ネタバレでは、少しだけ深読みしておく。観る前にネタバレは読まないでにゃ。
ネタバレBOX
先に演出がユニークだと書いたが場転で爆発音のような効果音が轟く。タイトルに在るようにCovid-19 以前、現実に棹差す技術もリアルとヴァーチャルを区分する術も、またそれらを対象化し得る根拠律も喪い唯épaveの如く彷徨う世代。芯も無ければ真をも求めず、無明しか持たぬ哀れなヒトをこそ描いているように思われる。実際、世界に飛び出して暫くあちらで暮らしてから日本に戻るとショックを受ける。人々の目に輝きが無いことにである。もう20年ほど前になるが、世界最貧国の1つに赴任していたことがある、大人は基本的に堕落していて淀んだような目の人が圧倒的に多かったが、子供たちの目だけは輝き人懐っこく直ぐに打ち解けることができた。自分たちの屋敷は1000坪ほど、電気もネットも水道も通っていたが、周囲にはネットは愚か、電気/自家用発電機(年中停電が起きる為)、水道も無い。民衆の家は日干し煉瓦で円形の壁を作り、天井には植物を葺いてタイヤ等を重石としている。中は総て土をならしただけ、家長の寝場所だけがベッドになるよう長方形に土盛りがされ、中央に周辺から拾って来た少し大きめの石で組んだ竈が設えられている。燃やすのは枯れ木等、夜は竈の火が消えれば真っ暗である。蝋燭1本つけることができる家は裕福な部類に入ろう。こんな状況だから自分たちが住む屋敷の門灯の周りには陽が落ちると毎夜、近所の村人が集まってきた。貧しい以上、治安も良くないという側面があるから、ビビりの所長は銃を持ったガードマンを雇い入れていた。自分の安全保障策は、先ず子供たちと仲良くなること、子供たちと仲良くなれば親たちが自分たちを受け入れる素地ができるから。こうして門灯の下に集まる地域住民とも摩擦を起こすことなく身の安全を保つことができた。無論、我々の屋敷で雇っていたコック、お手伝いさん、運転手等は皆現地人だし、仕事で雇っている現地技術者、出入り業者もフランス語で謂うピエノワールを含め、現地の業者を下請けとしていたから、現地従業員と対で契約条件交渉や要望聴取と彼らの要望をできるだけ叶えるべく本社との交渉、現地所長との直談判なども散々やった。
然るに今作で描かれている現在日本の若者には、自分が体験していたような己の頭で考え、考えた結果が正しいと思えば上司と喧嘩し、賄賂を要求する現地役人と喧嘩し己の力の及ぶ範囲で最大限現実を切り開くという当たり前のことが無い世界だ。生きている意味を感じることが出来ないのは寧ろ当たり前過ぎる程に当たり前なのである。
ところでこのような無明を生きる現代日本の比較的若い人々が採り得る態度は、女性であれ男性であれ、その基本には本能が来る他あるまい。所在無さを常時抱えながら尚生きるような生き方は、生きながらの死に似る。つまり夢を夢見ることすら忘れた人間は、所在無さ故の地獄に於いて、奇妙にも最も根源的な本能の1つである性に逢着する他無い。無論、彼ら・彼女らをここ迄追い詰めたのは、画一を強制する教育や日本社会特有の同調圧力、それらに「抗する」為に形成された陳腐極まるステレオタイプ。だが、今作の主張はそんな所にはあるまい。若者たちの内面はとうの昔に壊れ命を新たにすること即ち“革命”もそれを為す為の最も基本的な態度としてのラディカリズムも根こそぎ収奪され商品化された今、最後に残された己にとっての自然・身体の昏く根深い本能的欲求に従うことこそが彼らに為し得る唯一の抵抗である、とは言えないだろうか? 上っ面だけ眺めるなら、彼らはそれこそ、乳繰り合いながらラアラアと日々を腐らせているようにしか見えないかも知れないが、この虚脱の央で、己自身の指向に気付きアイデンティファイして行く為にカミングアウトする行為・換言すれば裸形になる選択は、両刃の剣。言ってみれば、suicide bombingによって世の硬直した大人達に抗議する作品と捉えることもできる。場転に使われる強烈な爆発音は、その姿を暗示していよう。
満足度★★★★
戦国物だから結構殺陣のシーンは多い。然し乍らホントに殺陣の決まっていたのは、鴉丸を演じた古田龍さんだけ。(追記後送華4つ☆)
ネタバレBOX
蚊喰を演じた方と鳳役、小夜役は合格点、木兎、嘴電隊は準合格他の方は殺陣はまだまだだ。唯、殺陣での圧倒的な力量不足をカバーする為と怪我を防ぐ為に狭い小屋の板上での乱戦模様をスローモーな動きで表現した演出は褒めるべきであろう。未だ3回目と若い劇団のようだし、これからの伸びしろは大きいと感じたので、前半三分の二くらいまでは冗長な部分があったものの、全体として優れた脚本であったし、自分独自の評価で星マークを付けてある。{観てきたコーナーの最終部分の()内で華4つ☆となっていたら、通常の4より上だが、5でも華5つ☆でもないという意味だ)}要は通常のコリッチの星の数に☆マークが付いて居ればコリッチの星+αという意味である。脚本はかなりの出来だが、台詞が上滑りしてしまい行為の説明になってしまう傾向が若干ある。注意されたい。殊に鳳を演じている役者さんは可成りの表現力があると見た。にも拘らず彼の可能性を活かしきれていない気はした。もし大根であるなら、何にでも合うその特性を生かせるだけのシナリオにして\欲しい。
満足度★★★★★
明日と聞けば誰でも未来を明るいものと見做す。これがポピュリズムの反映である。然しサブタイトルにはーが入りーの後には1945年8月8日・長崎―と入る。タイトルが見事に示しているように今作の本質はこの点に在る。
Bチームに出演もしているが、今作の脚本・演出を担ったのは女優として活躍してきた森下知香さん。初演時も一所懸命に取り組んでいらしたが、今再演では、原作の読み込みが更に深くなっていた。脚・演出がことと相俟って照明は無論のこと舞台美術、音響も実に良い。(追記2020.9.27:02:34・華5つ☆)
ネタバレBOX
ファーストシーンは佐世保空襲である。現在にも引き継がれる佐世保の軍事施設は、無論この地が良港を持ち海軍基地としてふさわしい地の利であること。それ故、軍・軍需産業が密集し易いことに因っていよう。ファーストシーンにこの情景が描かれていることは極めて示唆的である。
ところで原作にも書かれているのだろうが、所謂日本庶民の最も嫌らしい側面も、近所の主婦が石鹸を強奪してゆくシーンに端的に表されている。妹の結婚式に身重の体で参加した姉の居る直ぐ傍らでこのシーンが展開することの何という悍ましさ! 佐世保の空襲でトラウマを負った姉の姿を通して弱者にしわ寄せが最も端的に現れる戦争というものの悲惨と酷たらしさ、その酷さの意味する所を家族・親族の男衆は分かっておらず、特に父は封建的な価値観から抜け出ることもできなければ基本的には親族一同も体裁を整えることから逃れ得る程の本質的思考をすることが出来ていない。この点最もラディカルなのは、若夫婦であろう。新郎・新婦共に新婦の父の持つ価値観である封建制からは最も遠く、父より叔父と叔母の方がリベラルであるが、叔父よりは叔母がよりリベラルという具合で新郎・新婦についてもこの傾向は成立する。但し新郎は内気なので余り彼の賢さを表に出すことはしないということが、新婦の元彼であり、結婚式にも参列してくれた新郎唯一の友との関係を気付いていながら、結婚した新婦のみに明かす点から観ても明らかである。然し乍らまあ、この辺りは序論と展開部だ。肝心なのは、脱走した新郎唯一の友が最後の一夜を共にした将校未亡人との経緯である。殆どの観客が意識しないか理解できなかったであろう一夜を共にした大切な男を何故射殺したのか? についてだ。戦争未亡人は、決して娼婦では無い。傍目からどう見られ噂されようともプライドの高い賢い女性である。従って同衾したのは決して彼女の意志に反していない。であるなら何故、彼女は彼を射殺するに及んだのか? 今回、森下さんの演出は、その答えを出せる所迄踏み込んでいた。以下、自分の解釈である。二人は二人とも地獄を歩んでいた。因みに地獄とは、自分の主義主張を守る為に拷問に耐えることだけでは無い。不合理・不条理を明晰に見据えつつ、己の力不足の為変革できないことを己の思考に食い込む錐そのもの、つまり明晰そのものとして認識することである。男は、あの朝、長崎に原爆が落とされることの意味を知り、女は米軍の警告のビラによって原爆(新型爆弾・ピカドン)が長崎にも落とされることを知っていた。而も最後に愛した男が、それ故に地獄の庭でのたうっていることも分かっていた。彼女は、愛するが故に男を射殺した。何故なら、それが最後の最後に彼が受任せねばならぬ最悪の地獄だと知っていたからだ! 彼をこの意味で救ったのは、彼女の菩薩性というより男という性に対する女性の本来的な菩薩性にあると自分は考えている。
満足度★★★★
子供も楽しめそうな作品。(華4つ☆)
ネタバレBOX
軽業師が地獄の様々な刑罰をみなクリアして鬼たち、閻魔の鼻を明かす、という民譚が確かあったように思う。有名な絵本も恐らく発想はこの民譚に負っているのではないだろうか? 何れにせよ、COVID-19の影響をしょっぱな無観客の劇場内部、関係者以外立ち入り禁止の看板、スタッフの移動や、楽屋の模様等々で描き、そうべえの軽業をトリッキーな映像処理で巧みに描いている点、子供たちが描いたお化けの絵を映像表現に取り入れ、子供たちにとって等身大のリアル感覚を上手に取り込んでいる点でも評価できる。因みに監督は2人、スズキ拓朗氏は他に振り付けと演出を、もう1人の監督である青山健一氏は、撮影・編集とアニメ・CGを担当している。登場する地獄の亡者は、大工、汚穢屋、殿、楽師、呉服屋、医師、山伏及び軽業師・そうべいの8名。三途の川を渡る際、身ぐるみ剥がされ三途の川を渡るのだが、渡し船は大工が作り、閻魔に最初に送り込まれ千年を過ごした糞尿地獄では汚穢屋の大活躍で極めて清潔で優雅な暮らしを営み、次に送り込まれた釜茹で地獄では、温度を調節して“いい湯だな”で過ごす。針地獄では、呉服屋が針に糸を通し、そうべいが針で貫かれた人々を抱え上げて糸の上を軽業で易々と渡って救出、遂に閻魔は人呑鬼に皆を喰らわせてやると鬼の棲む地獄へ送り込むが、殿の髷はブーメランになっておりそれを人呑鬼に向かって投げると鬼はそれを喰らったが、髷は鬼の体内のあちこちを傷つけさしもの人呑鬼も遂に降参してしまった。流石の閻魔でさえ音を上げて全員生き返らせる。
落語にもなっている話だそうで、構えて言えば“死と再生の譚”であるから、COVID-19が、政治と官僚の不作為や無能、科学的・合理的思考の欠如によってこれだけ非合理的な施策を打ち出し、人々の間に非寛容と疑念、自己と家族の安全のみを優先させるような不信を育む時代、子供たちも含めて笑える作品を提示していることの意味は大きいと言えよう。随所にスズキ氏がChairoiPLIN時代から育んできた構成力とセンスが光る。青山氏の映像・編集・アニメ/CGのコラボもグー。
満足度★★★★★
極めてチャレンジングな公演なのでできれば総ての演出家作品を拝見したい所であったが、(追記第1弾2020.8.26 01:01)
ネタバレBOX
自分のような貧乏人には到底叶わない夢なので、最も異色な演出作品と思える公演を選ばせて頂いた。演出が女性で役者陣が男性という舞台だ。結果的には非常に興味深い舞台になっていた。今回を含め、今作は十数回、様々な劇団や演出家の舞台を拝見してきたが、日澤氏の演出が矢張り、No.1 (下北の劇小劇場で公演)、今作がNo.2という高いレベルである。この作品が上演されることは頗る多いのだが、如何に観客に届けるかについては極めて難しい作品だと自分は思っている。無論、チェーホフ作品を演じる花形舞台女優とその楽屋に地縛霊となって「生き」続けているプロンプターとが絡み、更にプロンプター同士の実績、現役時代が絡み、互いの「業績」に対する評価、見得と嫉妬が実に緻密にまた執拗に描かれその内実が役者自身が生きる中で深く共鳴し得る本音であればこそ、今作はこれだけあちこちで演じられ、当に名作と唸らせるだけの内容を持っているわけだ。而も劇中で演じられているのは、チェーホフ。
舞台美術が素晴らしい。実際、小屋に入って舞台美術が素晴らしければ基本的に内容も良い。今作もセンスといい、機能性といい、上演作品の内容にピッタリ合ったコンセプトといい、美しさ及び劇内容を補完し膨らませ、観客のイマジネーションを上手く更に異次元の時空へ誘う手法といい、見事なものであった。一端を示しておくと上手のホリゾントと板手前の中ほどにはかなり大きく洒落たカーペットが斜め右上がりにプロセニアムアーチに延びている、更にプロセニアムアーチの上手上部コーナーには天井から伸びた豪奢な布がその奥へ向かって垂れ、手前には鏡台が正面に付いた化粧台と椅子が各2セット。更にプロセニアムアーチの向こう側に2セット。鏡台の縁は電飾で飾られているが、鏡は無論嵌められていない。これらの手前にレコードプレーヤーを載せた台がある。翻って下手、下手奥コーナーは、袖口へ向かう開口部、その直ぐ右手にソファ、次に衣装賭けに掛かった衣装、その手前には照明用スタンド、クロスの掛かった小型のラウンドテーブルが置かれ、下手壁際には上手と同じタイプの鏡台セットが2つ並んでいる。鏡台に鏡が嵌っていないのは、鏡に映り込む像が作品に乱反射効果を与えることを防ぐ為であろう。と同時にこの美術の凄さは、プロセニアムアーチに鏡が嵌め込まれているような錯覚を覚えさせる点にある。何故こんなことを言うかといえば奥に手前と瓜二つの鏡台セットが設えてあることに注意を喚起したいからだ。最初、鏡台に鏡が嵌っていないことを見抜いた観客を更に幻想的な時空へ誘う為にこそ、次なる手が打たれていると読むべきだろう。地縛霊も出てくる話だから幻想的な設定は是非必要なのである。こういった所まで舞台美術家が読み込んでいればこその工夫、見事である。
満足度★★★★
ところで、ハンバーグって子供人気メニューの肉料理1位じゃなかたっけ?(追記後送)
ネタバレBOX
てな質問をしたくなるような内容の作品であった、という訳では無い。どういうことか?
観客の誰にも最初に分かることは、フライヤーに描かれたキャラと登場人物の(敢えて1人と呼ばせて頂くが)1人が瓜二つということだ。無論、自分はその覚悟の見事を褒めたい。
内容的には、緩やかな連携のあるショート作品をオムニバス形式で綴った作品ということになろう。結構逆転の発想などが嵌め込まれたナンセンス作品という体を為している、然し世の中には“宣伝の一環じゃない”だの、“目立ちたがり屋にしては賢いけれど、それだけ”などと捉える向きもあろう。然し自分は、“鈍いね~~~~。決まってるじゃん、無定見・無責任・嘘つきの安倍ノッペラ・ノータリンボーが、菅/二階の操り糸の下、唯でさえ今迄の御上の狡さに対向してそれなりに狡くセコク、ずる賢くなっている大衆が正確な情報を持ち得ないように更に綿密に法整備をした挙句、とうの昔キチンと批判できる勢力は居なくなったと高を括って、不正、不公正、隠蔽、証拠隠滅、虚偽報告、行政による司法・検察支配、国際社会に於ける不正義を堂々とやってのける恥さらし”になっているに過ぎないのだと。因みにこの程度のことに気付かぬ市民ばかりだと思っているとしたら日本の政治屋は全くのミムメモである。
満足度★★★★
日本のスパイ組織と言えば、誰しも内調を思い浮かべるが、
ネタバレBOX
いやいや、それだけじゃにゃい! いや~~良く調べましたにゃ。流石に忍守さん。自分が付き合いのあったのは外務省の官僚たちばかり(無論、他の省庁からの出向組も居ましたが)だけれども、日本の官僚の殆どは、皆が思ってるほど優秀ではにゃい! 実に残念なことではあるけれど、ホントに優秀な連中はさっさと辞めてしまうし、残りの殆どは下種。これも極めて残念なことではあるけれど、自分の友人も自分と同意見。彼は官庁に出向していたこともあり、自分より多くの官僚と付き合いがあったのだけれど、ホントどうしようも無いのが多すぎる。
シナリオはキッチリ仕上がっているものの、アクションシーンがそれなりにあるのに動きは完全に素人、できれば実際に格闘技経験を持つ役者が演じてくれれば。また、何れのスパイも中々優秀に描かれ過ぎているので、日本のどうしようもない腐れ官僚をおちょくるのと同様にアイロニカルに描いてみても面白いとは思った。まあ、今作、主筋が真面目な作品なので、齟齬が生じてしまうが。何れにせよ、役者陣も皆一所懸命に演じていたこと、COVID-19対策もしっかりしていたことには、好感を持った。忍守さん自身が憎まれ役を演じていた点も優しさを感じさせる。ところでお名前に忍びが入っているのですにゃ。
満足度★★★★★
楽日公演を拝見、期待は裏切られなかった。朝からレモネードと豚肉のソテーを食べただけなので、これから食事を作る。長い食後になってしまったが2020.8.15追記。
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融通の利かない人、つまり固定観念に凝り固まっている人には向くまい。そんな下らないことは打っちゃっておける人、アホ過ぎる世界に飽き飽きした人、而も同時に真を追い求め、独り事実と向き合うことによって普遍に至ろうとする本当の少数者にとっては極めて心地よく遊べる作品として評価されるであろう。少なくとも、新たなもの・価値に真っ向から向き合う為、人は既存の価値観を一旦捨て去らなければならない。一回、総てを更地にして新たな原理を考え、創造して初めて世界のパラダイムをシフトすることができるのだ。この時、肝要なことは、一旦今までの価値観や価値体系を捨てる時、更に一段掘り下げてそれらを支えているものの脈絡を見出し、それを支えている根源を探り出して疑い、それでも最後の最後に残るものがあれば、それを特定しそこから始めるという立場が在り得る。お気付きの方もあろう。DescartesのCogito ergo sum.の立場同様の立場である。21世紀にもなって未だデカルトと言っているようではハッキリ言ってパラダイムシフトなどに言及する資格等無かろう。当然だ。だが、これは考え得る1つのポジションに過ぎない。この程度のことは前提に出来るようにした上で新たなパラダイムが思考されなければなるまい。
満足度★★★★★
一見、凡庸の一言で片付けられてしまいそうな(追記2020.8.15 )
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価値観と世界観に生きている日本の庶民、無論、そんな凡庸な人々も、否人々だからこそ小さな幸せを求めて奮闘している。その必死な有様をその発想の凡庸と類型的な思考・行動パターンに載せて終盤迄引っ張ってゆく力業。当然、アルアル感満載な悲喜劇が展開するのだが、この作業の中に緻密に伏線が敷かれ終盤一気に爆発する。このような作劇法はありそうで滅多に無い。役者陣の演技レベルも高く笑いの中に苦悩を忍ばせ、藻掻く姿に徒な夢を見せて作品に深みを与えている。興味深いのは、彼らの苦悩の原因を合理的・政治的に突き詰めない彼らの視座である。余りにもアカラサマな現実に目を向けず、鵺の正体を明らかにすることも目指さない己の姿とこの国を引っ張っているハズの総理大臣を始め、自民党幹部の能無しブリを見ようともしないことで自分たちが鵺社会を支えていることから逃れている。その根底に蜷局を巻いている蛇こそ、かつてはエリート中のエリートともてはやされたキャリア官僚の無責任・退廃だ!(言っておくがキャリア官僚は我々の血税から高給が支払われているから、いくら無責任とはいえ一捻り表現に「工夫」は凝らしている。で今回の新型コロナ対策でも現在既にエピセンターと化してしまったであろう東京・大阪のパンデミックに於いても、またここまでの過程に於いても対応を誤った人災という側面での追及をも逃れるつもりであったのであろうか、彼らの用いた常套手段とは即ち不作為である。こんな姑息な手段しか用いることのできない下種は他人の上に立つべきでないのは無論のことだ。まして我々が生かしてやっているのである。制裁与奪の権利を行使すべきであろう。政治屋にした所で同じである。彼らが使える武器、即ち金は、指示団体からのものなど極一部、大半は我らの血税である。これをこのような三枚舌の国賊に自由に使わせて良いハズは無かろう。一掃すべきである。日本という国が官尊民卑をいつの日からか定着させ民衆を臣民と為し皇天を自身が自らに敬語を用いるような人としてあるまじき「存在」と措定するのみならず、これを神格化し、姿を見た だけで涙腺が緩むような臣民と化したのだ。何をかいわんや!
満足度★★★★★
「ボス村松のプリズンブレイク」2020.7.24 15時
表題作の他4篇。都合5篇の短編が上演された。
ネタバレBOX
上演順に1:「ボス村松のバカンス」2:「ボス村松のプリズンブレイク」3:「屋代秀樹の積層冥界波(作・屋代秀樹日本のラジオ)」4:「ボス村松のピクニック」5:「ボス村松のエピローグ」
上演前から出演者が板上に上がって雑談をしているのだが、小ネタを上手に織り交ぜつつ、コロナ時代の我々の状況、演劇界の状況、上演時の手配の詳細(マスク着用、手指の消毒など余りに当たり前のことは省きつつ、常時換気については換気音が態々聞こえるようにしてあるなども解説、3密は避けてあるが、フェイスシールドは観客の意志に任せて使いたい方は使って下さい。というのもグー。ボス村松さん、暫くぶりに拝見したら、随分スリムになってらした。めちゃくちゃにシャイな方なのに、どこか自己主張したいところがあって、このギャップが彼の魅力だと自分は思っているのだが、作品のタイトルにもそれは現れていよう。1は、バカンスで出掛けて行く場所が面白いローカライズされた作品。2は、良くジョークで結婚を牢獄に例えるが、このことに纏わるオハナシ。3は、作者が異なるので使う小道具等も違ってくる所迄含めて面白い。因みに猿蟹合戦がベースのスペースファンタジー調コメディ。4は、台詞を翻訳劇風に創った作品。5は、1と微妙にシンクロしつつ、他の3作品をサンドイッチした作品で、コメディでありながら、ホントにこのようなことがあったら実に深刻という内容を孕みつつ全作品を統括し、而もキチンと1とシンクロしつつオチに繋げている所は流石である。