明日ー1945年8月8日・長崎(2020年@シアターX) 公演情報 演劇企画イロトリドリノハナ「明日ー1945年8月8日・長崎(2020年@シアターX)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     明日と聞けば誰でも未来を明るいものと見做す。これがポピュリズムの反映である。然しサブタイトルにはーが入りーの後には1945年8月8日・長崎―と入る。タイトルが見事に示しているように今作の本質はこの点に在る。
     Bチームに出演もしているが、今作の脚本・演出を担ったのは女優として活躍してきた森下知香さん。初演時も一所懸命に取り組んでいらしたが、今再演では、原作の読み込みが更に深くなっていた。脚・演出がことと相俟って照明は無論のこと舞台美術、音響も実に良い。(追記2020.9.27:02:34・華5つ☆)
     

    ネタバレBOX

     ファーストシーンは佐世保空襲である。現在にも引き継がれる佐世保の軍事施設は、無論この地が良港を持ち海軍基地としてふさわしい地の利であること。それ故、軍・軍需産業が密集し易いことに因っていよう。ファーストシーンにこの情景が描かれていることは極めて示唆的である。
     ところで原作にも書かれているのだろうが、所謂日本庶民の最も嫌らしい側面も、近所の主婦が石鹸を強奪してゆくシーンに端的に表されている。妹の結婚式に身重の体で参加した姉の居る直ぐ傍らでこのシーンが展開することの何という悍ましさ! 佐世保の空襲でトラウマを負った姉の姿を通して弱者にしわ寄せが最も端的に現れる戦争というものの悲惨と酷たらしさ、その酷さの意味する所を家族・親族の男衆は分かっておらず、特に父は封建的な価値観から抜け出ることもできなければ基本的には親族一同も体裁を整えることから逃れ得る程の本質的思考をすることが出来ていない。この点最もラディカルなのは、若夫婦であろう。新郎・新婦共に新婦の父の持つ価値観である封建制からは最も遠く、父より叔父と叔母の方がリベラルであるが、叔父よりは叔母がよりリベラルという具合で新郎・新婦についてもこの傾向は成立する。但し新郎は内気なので余り彼の賢さを表に出すことはしないということが、新婦の元彼であり、結婚式にも参列してくれた新郎唯一の友との関係を気付いていながら、結婚した新婦のみに明かす点から観ても明らかである。然し乍らまあ、この辺りは序論と展開部だ。肝心なのは、脱走した新郎唯一の友が最後の一夜を共にした将校未亡人との経緯である。殆どの観客が意識しないか理解できなかったであろう一夜を共にした大切な男を何故射殺したのか? についてだ。戦争未亡人は、決して娼婦では無い。傍目からどう見られ噂されようともプライドの高い賢い女性である。従って同衾したのは決して彼女の意志に反していない。であるなら何故、彼女は彼を射殺するに及んだのか? 今回、森下さんの演出は、その答えを出せる所迄踏み込んでいた。以下、自分の解釈である。二人は二人とも地獄を歩んでいた。因みに地獄とは、自分の主義主張を守る為に拷問に耐えることだけでは無い。不合理・不条理を明晰に見据えつつ、己の力不足の為変革できないことを己の思考に食い込む錐そのもの、つまり明晰そのものとして認識することである。男は、あの朝、長崎に原爆が落とされることの意味を知り、女は米軍の警告のビラによって原爆(新型爆弾・ピカドン)が長崎にも落とされることを知っていた。而も最後に愛した男が、それ故に地獄の庭でのたうっていることも分かっていた。彼女は、愛するが故に男を射殺した。何故なら、それが最後の最後に彼が受任せねばならぬ最悪の地獄だと知っていたからだ! 彼をこの意味で救ったのは、彼女の菩薩性というより男という性に対する女性の本来的な菩薩性にあると自分は考えている。

    5

    2020/09/05 06:29

    1

    2

  • ハンダラ様、早速追記いただいてありがとうございます。
    おっしゃる通りですね。
    この物語の中心となる三浦家は、長崎市郊外に住む地方名士の家柄です。
    時代性を踏まえ、この家庭内での力関係、価値観の違い、そして、それぞれの生い立ちや個性などを粒立たせつつ丁寧に描き、その軋轢から生まれるドラマをリアルに構築しています。
    そこを感じ取っていただけて、とてもうれしいです。

    ※以下、多少ネタバレとなりますが、終演後ですので、書かせていただきました。
    今後再演等をご覧になる方はご注意くださいませ。

    石鹸を奪っていく隣家の女性。
    はたからみれば、あさましい行為とも思われますが、彼女の側にたてば、それは不正をただす「正義」ともいえます。
    しかし、仮にかの家が不正を働いていたとしても、それを隣人が責め立て、分け前をねだるのは、やはりおかしいです。
    実際、コロナ禍の今も、こんな話は「あるある」ですね。
    原作の中でも、とても考えさせられるエピソードなので、この芝居にも登場させました。

    さて、「なぜ女は男を殺さねばならなかったのか?」
    それをどう解釈するか、お客様によっていろいろなご意見がありました。
    どれが正しいかではなく、それぞれが感じ取ってくださったものが正解だと私は考えております。

    ひとつだけ書くとすれば…
    原作ではこの女が娼婦であるとは、実はどこにも書いていないのです。
    小説の中で、鬱屈した気持ちを抱えた石原は、女を求めて娼館の並ぶ道をさまよいながら入りあぐねている。
    端まで来たとき、ふと暗がりから現れた「あまり娼婦らしくない女性」に導かれ、店にあがることになります。
    状況からみれば、女は客引きしていた娼婦と思われますが、実はそうでないとも想像させられる。不思議な描写です。
    作者があえてこの女を登場させたのには、必ず理由があると考え、私なりのストーリーを組み立ててみました。
    お客様も、想像の翼を広げて、物語の世界を感じていただけたら幸いです。
    ただ、おっしゃる通り、今回は踏み込んだ演出をしているので、かなりはっきりと伝わってくるものもあったこと思います。
    (実は回によって、このシーンは多少表現を変えています。ご覧いただいた回は、ご指摘の通り、女性の菩薩的な面を強く意識して作った回でした。それを感じていただけてうれしく思います。)

    先ほどの薩長のお話についてもありがとうございました。

    これからも真摯に演劇に取り組んでまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
    長文にて誠に失礼いたしました。


    2020/09/28 01:34

    みかんさんへ
    ハンダラです。
    今日は、お話できて楽しく過ごせました。
    ところで薩長側に立って江戸攻めの軍略を練った人物の名前を
    思い出したのでお知らせします。大村益次郎という人です。
    お知らせ迄。ではまた。

    2020/09/27 23:42

     みかんさんへ
     ハンダラです。
    追記大変遅くなって申し訳ありませんでした。
    アップしてあります。ご笑覧下さい。
                   机下
                      

    2020/09/27 11:38

    ハンダラ様、いつも丁寧なコメントをいただき、本当にありがとうございます。
    いつもながら、その洞察力の深さに感じ入ります。
    おっしゃる通り、前回は全ての出来事をサラッと描き、観る人に想像の余地を残すような、美しい風景画のような演出をしておりましたが、今回はそこから一歩踏みこんで、お客様を楽にさせないような、こちらに引き込むような方向を目指しました。
    故に作品の重さや社会性なども、強く感じていただけたものと思います。
    特にこのコロナ禍の中で、「マスク警察」などにも現れている同調圧力など…
    そんなモヤモヤとした不条理なものを、突きつけてみたいと思いました。
    この頃も、そして今も残されているであろう問題に、観る人が思いを馳せてくださることを祈りつつ…

    追記、楽しみにしております。
    どうもありがとうございました。

    2020/09/24 17:52

     作品の重さがキチンと伝わって、内容の凄まじさに改めて圧倒されました。追記は既に書いてありますが折をみてアップします、九州に於ける朱子学の徹底も見えて面白いですね。長崎は鍋島藩の領地の一部を含み地理的にも近いですし、武士道を追求した書・「葉隠」を書いたのは鍋島藩の家臣でしたから、出島に近い、この地が逆に当時の異質性と直に触れ合うことで己の位置を再確認するというような思想的ムーブメントもあったのかも知れません。

    2020/09/05 06:51

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