満足度★★★★★
明日と聞けば誰でも未来を明るいものと見做す。これがポピュリズムの反映である。然しサブタイトルにはーが入りーの後には1945年8月8日・長崎―と入る。タイトルが見事に示しているように今作の本質はこの点に在る。 Bチームに出演もしているが、今作の脚本・演出を担ったのは女優として活躍してきた森下知香さん。初演時も一所懸命に取り組んでいらしたが、今再演では、原作の読み込みが更に深くなっていた。脚・演出がことと相俟って照明は無論のこと舞台美術、音響も実に良い。(追記2020.9.27:02:34・華5つ☆)
ネタバレBOX
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2020/09/05 06:29
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2020/09/28 01:34
2020/09/27 23:42
2020/09/27 11:38
2020/09/24 17:52
2020/09/05 06:51
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おっしゃる通りですね。
この物語の中心となる三浦家は、長崎市郊外に住む地方名士の家柄です。
時代性を踏まえ、この家庭内での力関係、価値観の違い、そして、それぞれの生い立ちや個性などを粒立たせつつ丁寧に描き、その軋轢から生まれるドラマをリアルに構築しています。
そこを感じ取っていただけて、とてもうれしいです。
※以下、多少ネタバレとなりますが、終演後ですので、書かせていただきました。
今後再演等をご覧になる方はご注意くださいませ。
石鹸を奪っていく隣家の女性。
はたからみれば、あさましい行為とも思われますが、彼女の側にたてば、それは不正をただす「正義」ともいえます。
しかし、仮にかの家が不正を働いていたとしても、それを隣人が責め立て、分け前をねだるのは、やはりおかしいです。
実際、コロナ禍の今も、こんな話は「あるある」ですね。
原作の中でも、とても考えさせられるエピソードなので、この芝居にも登場させました。
さて、「なぜ女は男を殺さねばならなかったのか?」
それをどう解釈するか、お客様によっていろいろなご意見がありました。
どれが正しいかではなく、それぞれが感じ取ってくださったものが正解だと私は考えております。
ひとつだけ書くとすれば…
原作ではこの女が娼婦であるとは、実はどこにも書いていないのです。
小説の中で、鬱屈した気持ちを抱えた石原は、女を求めて娼館の並ぶ道をさまよいながら入りあぐねている。
端まで来たとき、ふと暗がりから現れた「あまり娼婦らしくない女性」に導かれ、店にあがることになります。
状況からみれば、女は客引きしていた娼婦と思われますが、実はそうでないとも想像させられる。不思議な描写です。
作者があえてこの女を登場させたのには、必ず理由があると考え、私なりのストーリーを組み立ててみました。
お客様も、想像の翼を広げて、物語の世界を感じていただけたら幸いです。
ただ、おっしゃる通り、今回は踏み込んだ演出をしているので、かなりはっきりと伝わってくるものもあったこと思います。
(実は回によって、このシーンは多少表現を変えています。ご覧いただいた回は、ご指摘の通り、女性の菩薩的な面を強く意識して作った回でした。それを感じていただけてうれしく思います。)
先ほどの薩長のお話についてもありがとうございました。
これからも真摯に演劇に取り組んでまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
長文にて誠に失礼いたしました。