明日ー1945年8月8日・長崎(2020年@シアターX) 公演情報 明日ー1945年8月8日・長崎(2020年@シアターX)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    初演で見た時よりずっと親しみやすく感情移入できました。
    ついリアルを求めてしまうのですが、それは自分の思い込みだったりするのだとは思うのですが・・・

  • 満足度★★★★★

    千秋楽・・・♪
    あっという間の四日間・・・もう終わってしまうのか♪
    イロトリドリノハナは初演から全部観させて貰っているのだが・・・いつもなら終演後にその日の感想を話せるのだけど・・・今回はコロナのせいでそれも出来ず・・・♪
    少しだけ・・・でも目一杯の感想を伝えたら・・・芝居は生き物だね~物凄く良くなっていた♪
    これが初日から出来ていたら・・・物凄い舞台になっていたのではないか♪

  • 満足度★★★★★

    三日目・・・♪
    ダブルキャスト・・・全く違った感じに観えるのだが・・・オヤジの贅沢な希望・・・Aのこの人とBのこの人を一緒の回で観たい・・・♪
    初演のKASSAIでは狭いのですべてがセットの中に詰め込んでの芝居になっていたが、今回はしっかりセットを作りこんでの他のシーンは上手側に別舞台を組んでの芝居♪
    動線もしっかり採れてゆったりした感じで観れた♪

  • 満足度★★★★

    二日目・・・♪
    初日の硬さは取れていたのだが・・・まさかの二落ち・・・♪
    初日を終えてほっとしたのか・・・台詞を間違えたり咬んだりが多々あった♪
    四季には「慣れ」「ダレ」「去れ」と言う標語が貼ってある・・・♪
    四季の役者さんのインタビューで印象に残っている言葉・・・「芝居は瞬間の芸術・・・二度と同じ芝居は無い」♪
    そう一期一会なのだ・・・♪

  • 満足度★★★★★

    ウイズコロナならぬウイズ戦争の中を生きる人々。
    オヤジ♪さん、ハンダラさんの感想にもあるように初演と比べて演出が、より丁寧に、より深く描かれていたと私も思いました。
    それでもって役者さんが大幅に変わったことで、
    初演でのシリアス感強めな雰囲気が、これまた一変。
    親しみやすい空気感多めになっていたと思います。

    Aチームを拝見し、間をあけてのBチームを観劇。
    自分的にはこれが大正解!
    1回目の観劇では全体像を把握。
    2回目ではダブルキャストの醸し出す違いを楽しむのは勿論。
    何より、決して難しいストーリーではないにしろ、人間関係の機微や政治的不安要素など、演出においては様々なニュアンスが随所に散りばめられているので、見落としのあったこれらを発見、なるほど!と噛みしめながら鑑賞できるっていうのはこの公演ならではの至福。
    う~ん、観察力、洞察力がもっと達者であれば1度の観劇で済むのでしょうが(笑)
    ラストに向けての追い込みが圧巻!

  • 満足度★★★★★

    初日・・・♪
    初演より倍くらい広い舞台・・・どんなセットになるか楽しみにしていた♪
    しっかりしたセットで一安心・・・♪
    強いて言えば床の間が上座に無い事か(笑)♪
    初演より細かい所まで描いていて判り易かったのではないか♪

  • 満足度★★★★★

     明日と聞けば誰でも未来を明るいものと見做す。これがポピュリズムの反映である。然しサブタイトルにはーが入りーの後には1945年8月8日・長崎―と入る。タイトルが見事に示しているように今作の本質はこの点に在る。
     Bチームに出演もしているが、今作の脚本・演出を担ったのは女優として活躍してきた森下知香さん。初演時も一所懸命に取り組んでいらしたが、今再演では、原作の読み込みが更に深くなっていた。脚・演出がことと相俟って照明は無論のこと舞台美術、音響も実に良い。(追記2020.9.27:02:34・華5つ☆)
     

    ネタバレBOX

     ファーストシーンは佐世保空襲である。現在にも引き継がれる佐世保の軍事施設は、無論この地が良港を持ち海軍基地としてふさわしい地の利であること。それ故、軍・軍需産業が密集し易いことに因っていよう。ファーストシーンにこの情景が描かれていることは極めて示唆的である。
     ところで原作にも書かれているのだろうが、所謂日本庶民の最も嫌らしい側面も、近所の主婦が石鹸を強奪してゆくシーンに端的に表されている。妹の結婚式に身重の体で参加した姉の居る直ぐ傍らでこのシーンが展開することの何という悍ましさ! 佐世保の空襲でトラウマを負った姉の姿を通して弱者にしわ寄せが最も端的に現れる戦争というものの悲惨と酷たらしさ、その酷さの意味する所を家族・親族の男衆は分かっておらず、特に父は封建的な価値観から抜け出ることもできなければ基本的には親族一同も体裁を整えることから逃れ得る程の本質的思考をすることが出来ていない。この点最もラディカルなのは、若夫婦であろう。新郎・新婦共に新婦の父の持つ価値観である封建制からは最も遠く、父より叔父と叔母の方がリベラルであるが、叔父よりは叔母がよりリベラルという具合で新郎・新婦についてもこの傾向は成立する。但し新郎は内気なので余り彼の賢さを表に出すことはしないということが、新婦の元彼であり、結婚式にも参列してくれた新郎唯一の友との関係を気付いていながら、結婚した新婦のみに明かす点から観ても明らかである。然し乍らまあ、この辺りは序論と展開部だ。肝心なのは、脱走した新郎唯一の友が最後の一夜を共にした将校未亡人との経緯である。殆どの観客が意識しないか理解できなかったであろう一夜を共にした大切な男を何故射殺したのか? についてだ。戦争未亡人は、決して娼婦では無い。傍目からどう見られ噂されようともプライドの高い賢い女性である。従って同衾したのは決して彼女の意志に反していない。であるなら何故、彼女は彼を射殺するに及んだのか? 今回、森下さんの演出は、その答えを出せる所迄踏み込んでいた。以下、自分の解釈である。二人は二人とも地獄を歩んでいた。因みに地獄とは、自分の主義主張を守る為に拷問に耐えることだけでは無い。不合理・不条理を明晰に見据えつつ、己の力不足の為変革できないことを己の思考に食い込む錐そのもの、つまり明晰そのものとして認識することである。男は、あの朝、長崎に原爆が落とされることの意味を知り、女は米軍の警告のビラによって原爆(新型爆弾・ピカドン)が長崎にも落とされることを知っていた。而も最後に愛した男が、それ故に地獄の庭でのたうっていることも分かっていた。彼女は、愛するが故に男を射殺した。何故なら、それが最後の最後に彼が受任せねばならぬ最悪の地獄だと知っていたからだ! 彼をこの意味で救ったのは、彼女の菩薩性というより男という性に対する女性の本来的な菩薩性にあると自分は考えている。
  • 満足度★★★★

    ずいぶん前に読んだ小説の舞台化。それも再演である。初演も観ているが、劇場が変われば舞台印象も変わる。
    初演に比べ横に広がりのある舞台は、物語の中心にある家族と、それ以外の情景を上手く描き分け、当時の状況・情景に広がりと奥深さを表す。
    (途中休憩を含め2時間15分) 【Aチーム】

    ネタバレBOX

    タイトルとサブタイトルから、公演の内容はほぼ把握できる。物語は終戦間際の1945年8月8日の長崎の情景。「明日」とは長崎に原爆が投下された8月9日のこと。カタストロフを「明日」に控えた大戦末期の長崎の一日を淡々と描く。戦時中とはいえ、空襲はわずかだけという台詞から、明日がくるものと信じている人々。しかしその日常生活が一瞬にして奪われる。

    初演に比べ広がりのある舞台だけに、上手・下手側に異なる情景を描き出す。まず、上手側では戦時下のおける人々の暮らし、それを点描していく。一方、下手側は三浦家の居間(結婚式)であったり、三浦ヤエと中川庄治の新婚家庭といった個人の心情を深堀する場面を展開する。上手・下手側の間には階段があり街路を思わせる。この昇り降りが淡々と描かれる暮らしの中に、わずかではあるが生活(躍動)感をもたらし、単調にさせない工夫を凝らす。また原作でも重要な”赤い月”をうまく照明を用いて、これから起きる悲劇を連想させる。やはり演出、舞台技術は素晴らしく、それを可能にしている舞台美術。それを劇場に応じて作り込む巧みさ。

    現実に密着した原作の舞台化、日常生活の背後に崩壊の予想を観ることになる。実は、今を生きる(演じている)人は8月9日の出来事を知っているが、原作(登場)人物はその予想ができず日常生活をごく当たり前のように送っている。その既知とまだ「明日」がくると信じている当時の人々の認識を埋めることは難しい。というか出来ないのではないか。だからこそ、描いている日常生活に敢えて異様な緊迫感を持たせるのは相当に難しい(小説ならば想像するが)。

    物語は結婚式を中心に、そこに列席した人達の生活等を次々と点描していく。それを通して各人が置かれている立場や抱えている心情がエピソード的に紡がれる。その語りは長崎の方言を用い、臨場感を漂わす。彼の地にいるようなリアリティを演出する上手さ。
    戦時下の生活は、最低最悪としての日常も現す。それは人への妬み(夫が戦地に出征しない)や、配給への強欲(嫌み)など、逆境ゆえに露わになる人間相互の不信感や排斥。普通(平時)の正義や正論では論じきれない悪意が現れるのも「戦争」ではなかろうか。本公演は、上手側での点描を通して戦争の不条理を浮かび上がらせていた。

    同時に全編を通して人の”生”の尊さも描いている。むしろ、本筋はそちらにあると思っている。公演では、下手側を中心にヤエの姉の出産(お手玉エピソード等を交えて)までを描く。小説では8月9日の未明に男の子が生まれている。そしてその数時間後に原爆が投下されるという不条理。初演ではラストを出産シーン+朱色照明(被爆イメージ)で余韻を残した。本公演では妊婦姿の姉は観られるが、”生”の尊厳が弱いというかあまり感じられなかったのが少し残念。

    この”生”が物語の根幹で、出産までの過程を縦軸とすれば、結婚式の参列者の点描が横軸。この両軸がもう少し相乗的に戦争=不条理を描き出せたらと思う。
    とは言え、小説の読み想像させる世界とは違い、舞台は観客の意識に関係なく視覚的に当時の情景を引っ張り込む。そこに小説では味わえない舞台の醍醐味をみた、そして感じた。
    次回公演も楽しみにしております。

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