実演鑑賞
満足度★★★★★
ベシミル。本日23日追加公演。(追記24日16:3)
ネタバレBOX
妖話会の5作目公演、桐生市での公演を終え、東京での公演は六本木ストライプハウスで行われている。この会場は上演空間に会場上からの階段がニュッと突き出ている。この階段と四国修善寺にある画家のアトリエに見立て敷物の敷かれた(絨毯と解しても良かろう)空間が今作の上演に係る空間である。階段下の空間には、楽器奏者、設楽 瞬山さんが座り敷物のある空間が主たる演技空間、階段の対面にナレーターが立ち、ナレーション及び画家の台詞を担当する。敷物とナレーターとの間の床部分には画家の作品群が並べられている。この劇空間の対面階段の更に奥が袖。出捌けはこの袖一カ所である。アトリエと袖に挟まれた空間が庭という想定で池がある。このように設定された長方形の劇空間を挟むように観客席。
上演作品は泉 鏡花の「山吹」、構成・演出は篠本 賢一さん。彼は人形師も演ずる。縫子役には加藤 翠さん(和服で出演)。巡礼で有名な四国は空海が往時に関ったとされる場所が多く残り現在も実在している物も在る。舞台となる修善寺もこの一つで空海創建の寺と言われる。
篠本氏の演技は流石に技術の高いもので、人形師の若い頃に侵した罪障が彼の内側から彼を苛み続け荒れ狂う力に心休まる瞬とてない様を、彼の良心と罪の意識との葛藤する様を、鏡花独特の美意識に貫かれた言語表現との鬩ぎ合いに対峙させようと身体化を図っているような演技に結実させている。酒を呑むシーンでは、一気に呷るように呑むが酒量はさほど多くは無い。然し痩せさらばえた身、歳も取っている上に乞食同然の暮らしぶりが伺われるから効くことは確かだろう。而もこのような身体で出会った縫子に頼むのは打ち据えられること、血を流すまでかんぷ無きまで叩きのめされることなのだ。縫子は子爵の妻であったが、舅、子舅らに責められ豊かな実家の財産を奪われる生活に完膚なきまでに叩きのめされ子爵家を出帆したのであった。そして娘の頃初めて恋の焔に焼かれた相手であった画家にここで出会った。娘の頃の心情、己の恋の在り様迄つぶさに語り死を望んでいることさえ告げた。然し画家は、彼女が死ぬことを諫めた。既に通常の生き方では己の罪障に耐えられなくなっていた人形師は、縫子の折檻だけが自らの罪障意識から精神を休ませることを告白した。縫子は漸く自らの生き得る道を見出し死を求めることを止め、池で死に腐りかけていた鯉を肴に人形師と祝言の盃を交わす。
実質、既に挙げた篠本氏の演技と加藤さんの女性らしいたゆたうようなある種自由を湛えた演技が腐りかけた鯉を共に食べる覚悟と絡み、二人の演技にナレーションと画家の台詞を述べる中村 ひろみさんの声が被さる。演奏の設楽さんが作品の流れに応じた極めてセンスの良い演奏で効果を高める。いつもながら完成度の高い作品だ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆ 断固観るべし。偶々22日17時開演の回は若干空きがあるとか。
ネタバレBOX
今回はギターとサックスの生演奏(FontanaDue)とのコラボ。シェイクスピアの「冬物語」を高村 絵里さんの上演台本で公演。前回の曼荼羅公演では演奏時のステージが主要な演劇空間として用いられていたが、今回はその手前の前回では客席になっていた部分の中央から曼荼羅入口辺り迄を通路や演劇空間としても用いている。何しろ登場人物は二十人には満たないがその9割近い、それを5人で演じるから役は衣装で基本的に見分けるスタイルだ。役者さん達は大変だが、高村さんの緻密で気の利いた演出で分かり易く、而もシェイクスピアという大天才の何たるか? が極めて良く判る作品に仕上がっている。つまり役者が演ずるという行為はどういうことか? 演劇をどのように上演すればその作品の本質を伝えることができるか? の解であるような公演であった。無論、観客には、シェイクスピアという劇作家の本質も良く判る創りになっており、役者さん達の演技も役を生きるという難度の高いレベルに達している者が中心を占め観やすく分かり易いと同時に質の高い公演になっている。
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆ 濃厚な約70分。
ネタバレBOX
会場レイアウトはL字を反時計回りに180度回転させた位置が客席、客席と会場壁に囲まれたスペースが劇空間である。椅子4脚が、台形の左端を三角形分切り取った各々の頂点に置いた風。登場人物は4名、何れも女性。(但し1名は未来型アンドロイド)
物語は宮澤賢治の作品群から採られた銀河鉄道や「雨ニモ負ケズ」が重要な要素として用いられている。実際に描かれているのは4名の乗った銀河鉄道が終着駅に到達する直前、彼女らの乗っていた車両だけが連結から離れ宇宙の直中に放り出されてしまった事故後の約1時間を描く。この1時間の間に脱出し救護されなければ彼女らの乗った車両はブラックホールに吸い込まれてしまう。尺は約70分弱。
登場人物の説明からしておこう、先ず博士(我々が実際に生きているこの現代でいえばロボット工学の最優秀研究者)レイ(博士の作った最新鋭のアンドロイド型、我らの体験しているAIの更に進化した状態のように自ら独立した思考を持ち、他にも様々な人間にはまねできない機能を具えた者)、アシュナ(火星の皇女、未解明の病原菌に侵され火星では受けられない高度なレベルのオペを受ける為終点の駅即ち星へ向かっているが、貧しい火星の民から漸く資金を調達して貰い命賭けで旅をしている。彼女が死ねば火星は亡びる)、ゴーラ(終着駅の星の住人、終点の星は金持ちの星、その星でも有数の大金持ちの妻で高価な銀河鉄道の運賃は問題にならない、但し金を稼げなければ敗残者の道を辿る他ないこの星でどこかへ行ってしまっても夫が追い求めてくれないという孤独に苛まれて旅をしている。即ち彼女の旅は彷徨、精神の死である)
さて以上の4人が遭難し僅か60分でブラックホールに呑み込まれそうになる中、彼女らの精神的ショックや混乱で18分は無駄に過ぎてしまった。残りは42分、この間に安全で効果的な助かる道を見つけられなければ死なねばならない。原因は、ゴーラのイケメン車掌への浮気にあった。無駄に過ごした18分間には、この責任問題もあったのである。銀河鉄道は各車両に1つ、緊急脱出用の装置が取り付けられているが、この脱出装置は既に使えない。車掌が既にそれを用いて脱出してしまっていたからである。生きるか死ぬか究極の選択が迫られる中で皇女アシュナは火星の運命を担いどうしてもオペを受け火星に戻らねばならない。博士は火星が滅ぶよりもっと多くの人々を救うことができる、と言う。博士が生き残るならば。ところで最も生き残れる可能性の高いのは、矢張り博士の開発した非常脱出装置であるが試作品で1人用。装置は1つのみしかない。博士は自分の開発したレイに自分に生き残る権利を与えるならば、レイ同様の「アンドロイド」をいくらでも作れると主張するが、既に自我に目覚めたレイはこれを認めない。この事故を引き起こす原因を作ったゴーラの主張は身勝手であっても誰が喜んで死んでゆくことを引き受けるだろうか? 議論している内に1人、また1人と命を落としてゆく。生きるか死ぬか、この究極の問いと自我の持つ必然的問い、私とは何か? 何故生きるのか? この答えは誰もが知りたい究極の問いだ。ブラックホールに引きずり込まれる瞬は刻々と近づく。その時、銀河鉄道の走る音が聞こえてくる。僅か70分弱の尺でこれだけ濃厚な内実の芝居は稀有。役者陣4人の迫真の演技と優れた脚本、演出。この作品をこのメンバーで成立させているfeblaboの池田さんも流石。
実演鑑賞
満足度★★★★★
素直に観るとタイトルから想像されるような詩的作品という解釈が成り立ちそれはそれで極めて印象的な作品である。先ずはこの自然に導かれる解釈からゆく。
ネタバレBOX
板上のレイアウトは板中央に2段の階段、2段目を上がった処は踊り場になっている。踊り場には4つ箱馬が点在し、この階段を挟み込むようにハの字型に衝立が置かれている。階段1段目下手に木製の塵箱、その下手に箱馬2つ。上手の階段1段目横にも箱馬1つ。因みに踊り場スペースは基本的に主人公及び妻の暮らすマンションの1室として機能する。
物語はある事件が起こったことを主人公が説明するシーンから始まるが、内容的には要を得ない。無論、態と焦点をぼかした説明をしている訳だ。この辺りはリアルタイムで理解できる創りだし、流石如月小春の脚本ということができる。無論、このある種の怠さを抱えたシナリオは観客の集中を途切れさせ易い。その辺りの事情は如月自身よく分かっていたのは確実だから可成り多くのブラックユーモアが埋め込まれ香辛料が気付け役を果たすように機能している。
ところで、この作品の特徴である焦点をぼかす手法即ち曖昧化は物語が終盤に入っても未だ続く。無論、伏線は巧みに織り込まれている。夫の母が居候を始めていたのだがその母が妻の不可解な行動について次のような証言をしていたのだ。愛しい夫を会社に送り出す前、トースターで焼くパンにさえ心情を転移している妻が不可解にも新たな男を“夫”と呼び生活し始め、遂には居候していた母を可燃ゴミとして廃棄した後、元々の夫であった息子に発見され助け出された際に述べた台詞である。妻が“夫”を送り出した後一日中トースターを抱いている時、不思議な穴が開いていた、と証言していたのがそれである。今作は、終盤のラスト2~3分で総ての要素が収斂してゆき、その収斂の様が余りに見事で感激の頂点に達するが、オープニングで語られた台詞の中で語られていたキノコ雲の話と総てが収斂するラストの話はそのまま連続していない。時空の歪が介在してくるからである。これを解決する為には、今作を不条理劇として解釈するのではなくSFとして解釈すべきなのである。そうすれば今作の捻れが解けると思われる。如月小春はこの辺りまで考慮していたのだとすれば? そんなことまで考えさせる作品だ。役者陣の演技は、皆さんしっかりしている、演出も良いし舞台美術の勘所を捉えてグー。お勧めである。それにしてもラストシーンで妻の抱えていたトースターから妻が取り出したモノは衝撃!
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日を拝見。観るべし!
ネタバレBOX
板上は下手、上手に丸テーブル各1,テーブルには丸椅子。下手側壁の観客席に近い場所が丁度ベンチとしても機能するような状態になっている。ここが物語の展開する銀座のカフェ ハルである。板中央奥が太い柱に挟まれてカフェへの出入口となっており、出捌けはホリゾント下手・上手の側壁から。因みにハルの直ぐ近くに有名なサロン・ハルが在り時折サロン・ハルを目指した客が間違えてカフェ ハルに流れてくる。
時は1932年、5月を中心としその約1年前から。因みに1932年は首相であった犬養 毅が海軍青年将校らが起こしたクーデタ、五・一五事件によって暗殺された年。犬養暗殺の要因は、農村部の極端な疲弊にあったということが出来よう。決起した青年将校らの姉や妹が貧しさの為に人買いに買われていた証言なども残っている。チャーリー・チャップリンが来日したのは丁度この時期、5月15日には首相官邸を訪れる予定が組まれていた。今作は偶々このカフェの客の1人であった櫻井の父がチャーリーの秘書・高野と知り合いであったことから様々な情報が櫻井に伝わり櫻井が実際にチャップリンが訪日する1年以上前から訪日に係る話をハルでしていたことが序盤で描かれる。常連客は地元の庶民が主体だ。とはいえ、銀座。モガは当時の流行であったから今作にもその服飾、髪型などに現れている。
史的には、5.15事件当日、チャーリー一行は、首相官邸を訪問する予定であったが、急遽取り止め相撲を観に行った、とされている。今作は何故、急にそんなことになったのか、その謎が描かれる。実際に起こった歴史的事件を背景にチャップリンに対する人々の憧憬やチャップリンその人のお茶目で優しくスマートな人間性、秘書・高野との信頼関係の深さとサポートの妙。庶民的ファンへのチャーリー自身の共感と的を射た想像力の豊かさ、深さが完結に幾つもの挿話として描かれる。これらのシーンは圧巻。興味深いのは、これらの展開に巫女として人々の問いに解を与える目黒。彼女の解は正鵠を射、時代の不気味な未来を正確に示す。その一方で互いに惹かれ合っているにも関わらず言い出せないカップルを繋ぐチャップリンのアクションの粋が、彼の映画でも使われていた話や、その映画が実は歌舞伎にも翻案されていたのではないか? との視点迄が盛り込まれつつ、先に挙げた謎が見事に解かれる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
スタンディングオベーション! 華5つ☆、必見!!
ネタバレBOX
今作は、歌舞伎とフラメンコのコラボ。江戸川 乱歩原作「人でなしの恋」をベースに脚本を人形役で出演なさっている歌舞伎の中村 壱太郎さんが担当。全12パートに分かれたシーンで展開する。
のっけから台座の上に乗った日本人形の態の和の“静”が板センター奥に、フラメンコの“動”が板の他の部分からやや遠巻きに、だが見事に対峙して幕が開く。この瞬間から惹き込まれるのは歌舞伎の静が単に静かに佇んでいる訳ではない“静”だからであろう。
歌舞伎のハイライトシーンに誰もが知る見得がある。これは型と取ることができる。その時、型になるほどの必然性がこの瞬間に存在している訳だが、その内実は何だろう。有名な「白波五人男(青砥稿花紅彩画)」の浜松屋見世先の場で盗人の弁天小僧が切る啖呵で見得を切るシーンがある。これは悪(犯罪者)と善(浜松屋)とが意地・力という背景に支えられつつ拮抗した結果一見“静”に見える状態にあるという事態だ。(それを見ている者にはこの内実がハッキリ伝わる)更に端的にこの構造が明らかになるのは、同じ演目の二幕目三場、稲瀬川勢揃いの場。この場面では盗賊五人と捕り手(権力・体制の象徴)が対峙する。
当然のことながらこのファーストシーンに籠められている意味は他にもある。洋の東西である。東は和で、西はスペインで代表されている訳だ。役者の身体の用い方も全く異なる。歌舞伎役者は人形を演じることで動かぬまま同じ姿勢・ポーズで台座の上に固定されているかの如く、恰も物体そのものであるかのように立つ。片やフラメンコダンサーたちは温暖な地中海性気候と透き通るようなスペインの青空に恵まれフラメンコ発祥の地であると言われシェリー酒の名産地としても知られるヘレス・デ・ラ・フロンテーラの陽気、軽やかさ、茶目っ気、情熱を炸裂させる。これらを極めて知的に対比させ演じて魅せることによって観客を虜にしてしまった。筝、ギター、津軽三味線、バイオリン、ビオラ、チェロ、篠笛、ボーカル、カンテ、附け打ち、パーカッションの生演奏・表現も素晴らしい。総ての演者に共通するのが、芸に賭ける真摯な姿勢である。殊にその鍛錬は、驚嘆すべきレベルのものだ。例えば真上にジャンプし落下時は安愚楽を組んで着地する。こんなことを素人が真似したら尾骶骨骨折等耐え難い痛みを伴う怪我を負うであろうことを難なくやってみせる。流石、役者とその底力に驚嘆した。
実演鑑賞
満足度★★★★
尺は途中休憩10分を挟み約150分。追記後送
ネタバレBOX
都内では最近、誘拐事件が多発しており警察は独自に対策チームを結成、捜査をしていた。然し首謀者は、実行犯に犯行に最低限必要な情報しか与えず、連絡も足のつかない方法で行い、犯罪基地を海外に置いている場合が多い為、捜査は難航を極めていた。更に悪いことにこの誘拐事件の影の主犯と目される人物は公安から特別な扱いを受け、実質的に警察から守られていたのである。而も表の主犯は、既に組織の罠に嵌められ消されている。
何故、このような事態に至ったのか? この謎を解く為、娘を誘拐されたカメラマン夫妻は警察から潜入捜査協力を打診され承諾して夫が組織の内部に潜り込むと同時に、夫妻で黒幕と思しい女(チカナ)が滞在するホテルで客室勤務をしながら事件の鍵となる物の行方を追っていた。
実演鑑賞
満足度★★★★★
いつも乍ら学生演劇とは思えないレベルの高さ、大学がバックアップしていることもあり、舞台美術の壮麗、衣装の豪華なことは特筆に値する。無論、肝心要の脚本も翻訳を学生が担っているが、翻訳の難しさは単に訳される言語だけではなく、訳された言語(シェイクスピア作品の英語から、相応しい日本語へ)双方への深い知識と素養・理解が必要な点である。これは重要なことだ。どちらか一方が欠ければ決して満足な翻訳にはならないからだ。まして戯曲の翻訳となれば言葉のリズムにも留意せねばならぬ。いくら役者陣が活舌を鍛えていても台詞のリズムが悪ければ覚えにくいし、観客にとっても不快になる。殊更、革新的な効果を狙うのでない限り、リズムを大切にすべきは常道であろう。この点に於いても翻訳がこなれていることは見事である。演者達の役作り、発声、挙措も手際の良い演出の効果もあり見事な出来、無論、歳老いた役柄を演ずるに当たっては、よる年波に相応しい姿・身体能力の衰えと経験に裏打ちされた表情を自然に表現するのは極めて難しいが。通常の学生演劇を凌駕する豪華絢爛とスタンダードな創りは、矢張り特筆すべきであろう。スタッフの対応も合理的で而も親切、感謝する。
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイトルからイメージしていたより遥かに良い出来であった。
ネタバレBOX
というのも、自分はロックという音楽ジャンルを創造し実際に活躍するスターたちの創造の原動力を基本的には少年・少女時代に抱いていた夢や希望、少年・少女時代に苛めや差別に遭い潰れそうになった辛い過去に対し、思春期以降増してくる自分達の体力や飛躍的な身体的成長を遂げた段階で自分達を虐げてきた人々に対し突っ張るという形を採り、自分達が抱えている精神的苦痛を、壊れてゆく夢の痛みを、自壊せざるを得なかった崩壊の音に託して表現した音楽と考えており、その痛みが未だ社会的経験に乏しい彼ら彼女らをカモる悪徳興行者らによって収奪されてゆく現実との対比に於いて極めて正確に描かれていたからである。若さとは端的に社会的な経験不足を意味し社会経験を積んだ連中がこのような若者をカモることは容易い。今作の太い柱は、この構造をクッキリ描き出した点にある。契約書の持つ社会的・法的意味、事件化する程手広くあくどいプロモーターを登場させ、警察・司法の介在を通して進行する社会的「正義」の意味等がしっかりした骨太の脚本によって実現されている。経年後の元バンドメンバーだった者達の現在をも活写している点も泣かせる、ギター片手に“Daydream Believer”を合唱するシーンは最高だ! 役者陣の演技、演出も良い。舞台美術も内容に応じて過不足なく合理的に機能している。いつもながらスタッフの対応もグー。お勧めの舞台である。
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆(追記後送)
ネタバレBOX
開演前には往時の様子が、ラジオニュース放送時のような形で流されている。板上の美術は至ってシンプル。上演はどちらかというと朗読劇的に感じられた。恐らく、作・演出の坂手氏自身がより演劇的手法で表現するより、実際に企業や自治体、日本国家(政治屋及び体制側官僚)、法と対峙しつつ最後迄戦い抜き、実質的勝訴(実際には罰金刑)を勝ち取った人々の態度、主張、理知的戦い方、優れた想像力、実践時の合理性と正確さ、彼らの主張と矛盾しない環境や人間の本質的権利等々に対する見事さ、連携した人々が最後迄共闘し得た内実等を能う限り忠実に再現したかったからだと解釈した。だが、このケースに見られる”成功例”は僥倖と言ってよかろう。此処迄は至らなかったものの、一所懸命に戦い諸々の事情(原爆症による死・闘病等)によって完遂は出来なかった人々の事情、社会的、職業的差からくる周りの人々の反応の差迄を描き、このような成功例が如何に例外的であり最後迄戦い抜いた人々と彼らに実質的エールを送っていた事件被害者や公害を引き起こした企業の第1組合を中心とするメンバーら実際の事情を識り内心臍を嚙んでいた人々の姿をも事実に近い形で知らせ、現実に成功する為に何が必要であり、どのように戦うのが実際に有効かを示す為にこのような表現形態を選んでいるように思われる。
実際板上に表現されている舞台美術はオープニング時、移動式テーブルを横一列に並べただけの質素なものである。これが場面に応じて移動、組み換えられ時には高台、津波時の避難塔となったりもする。演劇的な設定はタイムスリップものになっている点で、タイムスリッパー2名は2026年からスリップして来たピーファス被害の父と娘の2名。タイムスリップ着時点は同時期、地点はほぼ同じ場所であったもののやや離れた場所であった為、タイムスリップの影響で記憶喪失を起し中々記憶を取り戻すことのできなかった、父・娘(こちらは比較的早く回復)の邂逅は何か月遅れ、父・娘各々が地場で公害に反対するリーダーグループの世話になったり、公害企業で働くことになったりして公害を出す側と周辺住民、反公害の主張とムーブメントの消長等が対比されつつ展開してゆく。
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆
分かったようで分からぬタイトルだが、
ネタバレBOX
如何にも、一見脳天気な作品を装うこの劇団らしいタイトルでもあるから、今迄この劇団を観てきた観客には、時代の激変とそれに巻き込まれて右往左往している多くの人々にもこうして自分達の特性を今回の公演でも守っているこの劇団の健全性に心打たれるかもしれない。その一例がのっけから、まあ何故このタイトルなのか? に現れていよう。だが解は観てのお愉しみの1つだ。
今作を笑って観ることが出来るか否かが、観る者の健全性のバロメータになりそうな作品でもある。
観終わった瞬間は、ほにゃら! という感覚だが、妙に引っ掛かる。そこからメタ思考が始まり、様々なシーンを思い起こしてはその意味する処を詰めてゆく。そんな観劇体験を愉しめる作品だ。
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆
ネタバレBOX
「再生」を拝見、朗読形式なので美術は至ってシンプル。絵空箱の入り口に対しLの字を反時計回りに90度回転させた形で客席を設け対面の壁と客席に囲まれた空間が役者陣の陣地である。L字長辺の下手に箱馬型の照明器具が2つ役者を斜めから照らすように置かれ、丸椅子に座った役者を挟んで上手に骰子型の照明器具が1つ置かれている。演出家が、演者の発語していない時空をも表現の一部と見做して演出しているので、中々張り詰めた空気の中で、演者達の朗読が為され効果的だ。
物語は怪奇幻想譚といった雰囲気のゴシックロマン風の作品。登場人物は、大学教授兼作家の壮年男性と彼の大学に通う女子大生(22歳)との恋愛譚の形式を採る。2人のなり染めは精神科の待合室。教授はアル中の治療の為、彼女はクロイツフェルト・ヤコブ病治療の為来院していたが、受付で教授の名が呼ばれたのを機に彼女が彼に話し掛けたことがきっかけであった。2人は歳の差にも拘らず愛し合い結婚するに至ったが、彼女の病は間もなく彼女の身体を酷く蝕んでゆく。大学への就職が内定していたにも関わらず、教授は彼女を休ませる為、別荘に2人っ切りで引き籠り治療の為に止めていたアルコールに再び依存、遂には彼女の特性である再生能力に賭ける決断をし実行した。果たしてその結末は?
朗読乍ら、その悍ましさと悲惨にゾッとするシーンもあり中々良い出来である。尺は約90分。
実演鑑賞
満足度★★★★★
長尺ものの脚本を用いている為、短いヴァージョンに比べチェーホフの作品の持つ奥深さ、繊細性、先進性と往時のロシア社会とのギャップとがより明確に出而も痛切に観客の魂に刺さる。流石に新人会の公演。東京演劇アンサンブルの志賀さんの演出、新人会役者陣の上手さも光る。華5つ☆(追記後送)
実演鑑賞
満足度★★★★★
楽日拝見版。パソコントラブルで文章を入力することができず丸2日以上ロスしてしまった。劇団にお詫び申し上げる。(追記後送)極めてバランスの良い、傑作。華5つ☆
ネタバレBOX
初日のレビューは敢えてネタバレを書かなかったから、今回はネタバレを中心に書く。ストーリー展開のメインは漫画家と編集者との駆け引きの凄まじさである。無論、両者共に良い作品を本という形で読者に届けたいという念が共通している。その為に編集者は作家(今作では漫画家)と読者をどのようにすれば最善の形で結べるか? に知恵を絞り、作家はそれに応える為に徹夜の連荘も厭わず作品を創るのだ。このような生活が健康的である訳がないことは重々分かりつつである。一方、出版社も利益が確保できなければ倒産してしまう。雑誌でも本でも印刷・製本をせねばならぬしその前に紙面のデザイン・レイアウト、使用する紙の選別・調達、サイズに合わせての断裁等々もしなければならぬ。編集者も忙しいのである。無論、これらの作業の他に打ち合わせや編集会議は何度となく繰り返される。特に締め切りに間に合わなければ印刷に掛かる多大な費用の決済が滞り出版社、印刷屋の連鎖倒産も起こりかねないから創作者の責任は極めて重い。然し作家は本当に自分で納得できる作品が上がらなければ世に出すわけにはゆかない。こんな背景があるから締め切り期日は関ケ原の合戦の如き意味を持つ。ところで互いにプロであるから、以上の前提に立って編集者は予め早目の期日を作家に告げ、作家はその点を見越して対応するので両者の丁々発止は熾烈を極めるのだ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
発想の面白さ、脚本のしっかりした構造性、構成の妙、これらを活かす演出の細かい点にまで留意した点、演者達の若者らしさと爽やかさ、何れもグー。舞台美術も良い。(追記後送)
ネタバレBOX
学生演劇のようだが脚本の発想が面白い。脚本の構造がしっかりしているので物語の展開も理路整然として分かり易く合理的なのだ。オープニングで物語に登場する進化系ミミズ・ミミズαへの進化過程が流され彼らがどのように進化して来たのかが流される。舞台となるのは森に棲むミミズαの高校。何故、高校があるのか? も作中で語られるがミミズαへの進化は直接の先祖であるプラナリアの持つ能力からとされる。
実演鑑賞
板上は下手奥コーナーにバーカウンタ。丸椅子3脚、中央に円のセンターを色分けしたマークのついた扉、扉の直ぐ左手に貸鉢に植えられた植栽。上手には蓄音機。出捌けは上手側壁部の袖から。
ネタバレBOX
オープニング早々、吉本1年目というお笑いコンビが登場するが、寒い。余りにも寒い。芸の理想は夢と現の狭間で夢想空間を現出せしめることだと理解している自分にとって、これ以上の寒さは信じられないレベルの「表現」であった。
タイトルのカメレオン探偵も一種のSFであるが、内容は乏しく感じられた。残念である。全体の構成も良いとは感じられず、脚本も甘い。役者陣の演技はまずまず。開演後照明は昏め。尺は90分程。
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日を拝見。ライオン・パーマが何度となく再演してきた作品とのことだが、自分は初見。尺は休憩無しの約2時間25分。然し一瞬たりとも目を逸らすことが出来ない傑作だ。初日が開けたばかりなのでネタバレは極力控えるが必見の作品。華5つ☆。観るべし!
ネタバレBOX
板上は嵩上げされた奥のホリゾントセンターの幕のど真ん中に“万引きは極刑です”の張り紙、上手には“万引きを見つけたら金一封”、同様に下手には“本屋→警察→学校→親”と記された紙が目を引く。これだけで尋常ではない、笑いの種が撒かれている。因みに開演前にはサマータイム等のBGMが流れてセンスの良さを感じさせる。明転すると板中ほど上手は本屋の入口、小さな町の本屋で、店員が正面を向いて座っている。センターやや下手には引き戸式の手洗い、下手は書架が置かれている。嵩上げされた奥は、場面、場面で書店主が兼業している小さな出版社の編集部になったり、ラーメン屋のキッチンになったりとオムニバス形式の今作の物語の展開次第で様々に変容する。枢要なプロットは漫画家vs編集者、書店と常連客、張り紙に纏わる諸々、ラーメン屋の顧客獲得作戦と山奥に残る狼保護vsダム建設、瞬時伝送システムを持つ企業の実際、天才漫画家の闘病と後継者問題これらの挿話がくんずほぐれつしつつ終盤で一気に集約されてゆく。この手際の見事なこと。而も上質な笑いを誘うシーンが随所に鏤められ観客を擽る。無論、これだけの傑作、それだけで終わらない。一々の挿話自体が深く、隠されたテーマは各々大変本質的で喫緊の問題群でもあるが、これらを如何に非専門家の生活者に届けるか? についての極めて稀な成功例でもある。
実演鑑賞
満足度★★★★
over40’sの 顔見世公演である。出し物は「蠅取り紙」飯島 早苗さん、鈴木 裕美さん作。開演前とリーディンング中の効果音はアコーデオンの生演奏が入る。尺は途中休憩を10分挟み2時間10分。華4つ☆
ネタバレBOX
物語は山田家の5人兄弟を中心としたホームドラマ。未だ蝿取り紙が使われていた昭和30年代頃の話も思い出話として出てくるからそれから兄弟が大人に成る頃迄の話と考えてよかろう。因みに蝿取り紙とはガムテープ程の幅の赤茶色の紙の両面に粘着剤を塗って蠅を捕る為に使われた紙。鮮魚等を扱う店頭では上から吊るし巻き芯を錘として用いた。未だ日本は貧しく1$は固定制で360円。令和の現在より総てが荒々しく活気に満ちており都内の祭りでも喧嘩神輿の風習が残り時折死者が出た。然し近所付き合いは盛んで子供たちは近所の道や広っぱで缶蹴りやビー玉、メンコ、ベーゴマからかくれんぼ、鬼ごっこ、縄跳び、だるまさんが転んだ、ままごと、戦争ごっこ、けん玉、相撲、野球、木登りなど何でもやって遊んだ、今より遥かに自由でゆるやか、大らかな時代であった。無論、時々子供同士の喧嘩はあったが、大人が止めに入ると、「子供の喧嘩に大人が口だすんじゃねえ!」と啖呵を切る子供さえ居た。世の中は今よりずっと暮らし易かった。下町の長屋では、朝布団を質屋に入れて働きに出る親も多かったが、味噌や醤油、マッチが切れれば近所の部屋の何処に何があるかは子供が知っていたから親は自分の所に無い物を借りに行って賄いをし合うそんな融通が利くことが当たり前の、少なくとも精神的には相見互いの時代の了解が根底にあった時代の話である。
今思えば、人々の人生は現在より遥かに人間的で充実していたのではあるまいか。現在のように何でもかんでも禁止、それが如何に不合理であっても意図的に作られたトレンドであってもそれが時代のトレンドであれば、それに逆らったり敢えて無視したり、対抗・対向したりすれば否定的で無責任な匿名の非難、悪罵が殺到するという現象は無かった。
これに反し現代資本主義がスタグフレーションやリーマンの詐欺的手法の失敗以降更なる利潤優先を推し進めてきた結果、我が国でも人々の発言は二極化し片や非難しようのない毒にも薬にもならぬ用心深い表現に、片や非難している対象の内実で何が問題とされているか考えることさえせず唯嫌いだとか、己の狭い了見に合致せぬというだけでダメージを与えようとする意志と匿名で投稿するのであれば意味の無い自己顕示欲? を満足させる為だけにSNS等ネット上の表現方法を用いて叩く、寒いだけの時代を更に推進するだけの緩やかな自滅に加担する者達の群れに自らを進んで没入させる思考停止した人々の何と御し難い趨勢であることか!
より遥かに精神的に健全であるが故に暮らし易い、安寧な時代であった。そんな時代を描いた作品である。出演した皆さんの活舌も良く、間合いの取り方も上手い。初めての海外両行に出た父母だったが、ハワイへ向かう航空機内で不調を訴えていた母は到着して病院へ直行、入院する羽目に陥ったが原因は盲腸、オペは成功したが麻酔から醒めない。この状態で母は子供たちの集まっている自分の家へ帰還してしまった。子供たちはびっくり、実は母の生霊らしいということは推測できるものの、目覚めなければ大変なことになる。観劇中、生霊について自分はWミーニングで捉えながら拝見(拝聴)していた。つまり今作の母の生霊と源氏物語の六条御息所の生霊とを同時に思い浮かべつつ拝見(拝聴)していた訳だ。タイプが正反対の生霊なので実に得難い体験をさせて頂いた。と同時に良質なホームドラマを堪能させて頂いた。
実演鑑賞
満足度★★★★
板上に30㎝程の高さの平台を置き、中央に緋色の布を巻いた高座、噺家登壇の際は無論座布団を敷く。高座の奥ホリゾント壁から観客が観易い角度に調整されたスクリーン。その他、下手、上手に丸椅子と舞台美術は至ってシンプル。尺は約100分。因みにタイトルにある三道楽とは煩悩のうちの“飲む-打つ-買う”を表しているとのこと。
ネタバレBOX
師匠と弟子たちの話である。師匠は酒のせいで目を患い何度もオペを繰り返してきたが、一向に酒を断つことが出来ず、失明すると分かって居ながらことあるごとに弟子に酒を買って来いと命ずる。買って来なければ破門との要求に遂に新弟子が屈し飲んだ結果、片目の視力を完全に失った。それでも総ての弟子に月稽古をつけることを止めない。この稽古での出し物が演じられてゆくという作りになっているのだ。ピンの話芸が中心だが歌を交えるケースが多く歌の上手い役者が多い。その中で古参の弟子の地方に住む両親が歳を取り最後の面倒を見て欲しいとの切なる願いが伝えられ、芸の親と生みの親とに引き裂かれ悩む弟子の何とも言えぬ苦悩・悲哀が下敷きとなって、生前葬というシーンに仮託されて師匠が弟子が実家に戻ることを許す場として演じられ、終焉時実際に舞台を去ることが告げられるが悲喜交々の感情が去来する実際の役者さんの人生そのものが見えて観客の心を撃つ点が秀逸。
何れにせよ登場する役者個々人の個性が異なることが良く判る小劇場演劇の特性を活かした作りの作品であるが、歌の上手い役者が多い中で殊に上手いと感じたのが最も新しく入門した新米という芸名の役者、ギターも極めて上手いし楽器を大切にしている様も良く見て取れるのがグー。因みにこの師匠の芸名の名付け方は師匠自らを含め総て米絡み。ターザンのような衣装で登場する人物が歌うシャンソンの仏語も正確である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
東京公演初日を拝見、尺は途中休憩10分を挟み丁度2時間。お勧めの舞台である。(追記後送)
ネタバレBOX
今回の上演作品は、現在普段は九州で活動するうずめ劇場を主宰する矢張り東ドイツ出身のペーター・ゲスナーさんが先ず東京上演の後、ベトナムのニンピンでの上演を予定しているという意気込みからも窺える。
史実として、大ディオニュシア祭で今作が上演されたのは主たる戦争推進者であったアテネ将軍・クレオンとスパルタの指導者であったブラジダス両名が戦死した後の空僚をアリストファネスは如何にも喜劇作家らしい自由な視座から利用したと考えてよかろう。(この点も当パンに記された観点をベースに記している)近年ではチャップリンがヒトラー全盛期にヒトラーを茶化した「独裁者」を発表したことと似ている。
喜劇は現実の悲惨、耐え難い苦悩、人々の魂が負った深い傷をも、その原因となる元凶を茶化し笑いで無化する作用を持つ最もラディカルな表現手段である。そして最も大きな害を齎すものこそ戦争なのではないか? 先に挙げた害悪の最たるもの・ことは総て戦争の必然的産物に他ならない。気を付けねばなるまい。