ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

2801-2820件 / 3202件中
ペコラムートンの羊(再演)

ペコラムートンの羊(再演)

劇団MAHOROBA+α

遊空間がざびぃ(東京都)

2013/05/17 (金) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議なテイスト
 “と”:歩が、金に変わるように、~と~の間に在る繋辞、“と”の物語。時には対立項として、時にはアウフヘーベンすべきもの、概念として。
(未見の人はネタバレ見ると観劇の際つまらなくなります)

ネタバレBOX

 世界を変ずる祭、観客の背景にあった幕が落ち、役者達が大声で騒ぐシーンは、驚かされた。
砂漠の密室

砂漠の密室

劇団BOOGIE★WOOGIE

秋葉原アトリエ「ACT&B」(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/18 (土)公演終了

満足度★★★★

演技力
 人間が考え出した思考の中で最も不合理で間尺に合わないものは? と問えば、正解は、無論、宗教である。従って、理性的に思考することが出来ると自負する人間にとって、宗教とは、赤子の頃から刷り込まれたのでない限り、滑稽でしか無い。但し、世界は不条理に満ち、その不条理を負わされ呻吟する多くの人々が、それに頼らざるを得ない現実というものがあるのも事実なのである。この辺りの事情を演技力とシナリオの良さ、本質を衝いた演出で見せる。(追記 5.18)

ネタバレBOX

 理知と弱さ、この双方を理解し、悪知恵に長け、而も複合的意識を常に脳中に活性化し得る人格が、他者を己の欲得の道具として物象化することは容易い。無論、縁なき衆生を救うため、実際、命賭けで倫理を守り、人々の命を守ろうとする聖者を自分は否定しない。実際、自分の尊敬する宗教者の中に、このような聖者は何人もいる。現代の名僧知識である。だが、彼らは一様に、教理にドグマティックに拘るような愚か者ではない。在るがままを真っ直ぐに見つめ、命の論理に最も大きな価値を見出す知恵者である。
 然し乍ら、今回、今作で描かれた「宗教者」、神楽坂 向陽は松本 智津夫などをモデルに作り上げられたキャラクターであり、偽物。もっと端的に言えば、単なる詐欺師である。周りに居た信者達はどうかと言われれば、ストックホルム症候群の患者達と考えれば筋が通ろう。そうでない者は、松本と同類で、更に悪賢い詐欺師乃至は洗脳された者である。何れにせよ、自らの劣等感を生みだす原因となったもの、或いは知の導くままに真相を追い、明らかになった事実の前に、自らの力で立つことができなくなったり、自らの力で克服できずに居る人々である。
 他方、詐欺師が詐欺師として成功する条件は、基本的には頭の良さである。ここに登場する神楽坂 向陽もそのネーミングからしてこの「宗教」の崇拝の対象、天照 大神を己の名に取り込むテクニックを見せ、更に、科白にあるように、宗教がその信者に信じさせる信仰の本質を言い当てている。即ち、「宗教は謎を中心にし、一方で真理を探究する」謎を解明する為には真理の探究が必要不可欠であるから、謎めけば謎めくほど宗教は、威光を増し、有り難がられるのである。この真理探究と謎の無限のループこそ、信者をして宗教の虜にする本質であることは、多少自らの頭脳で考える習慣を持つ者であれば、誰しも到達するレベルの思考だろう。そして、この程度のことが、宗教と名指される総ての思考に共通するコンセプトである。
 教理問答はこの程度にしておこう。ここは、観劇に関するコーナーであるから。本作が、芝居として面白いのは、密室に閉じ込められた5人の心理状態や人格崩壊の緊迫感を、身体感覚に落とし込んで描いている点にある。詳細は、無論、公演を観て感じて欲しいが、主役の神楽坂 向陽を演じている佐藤 秀樹の演技が殊に迫真に迫り、自分は好きである。無論、他の役者陣も、良い演技をしている。何と言っても、自分のように理屈っぽい無神論者が、新興宗教を扱った作品に引き込まれたのは、役者陣が、演技でどんどん引っ張っていってくれたからであるのは、明白だから。
匿名家族

匿名家族

劇団フルタ丸

サンモールスタジオ(東京都)

2013/05/11 (土) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

ラディカル
 作・演出レヴェルで考えさせる所の多い舞台だ。通常の舞台公演で感動するようなシーンも無論ある。ちょっと紹介しておこう。
教授が息子の結婚式で述べるスピーチで「私は、彼の美質を一つしか知りません、それは、自分に嘘がつけない、ということです」という科白の美しさは格別である。

ネタバレBOX

 一方、実験的な部分は、核になっている直系家族(作家志望の息子、父、母、祖父母)が総て非在という点だ。だが、この点こそ、最も評価の分かれ易い点でもあろう。(通常なら主役・主役級が居ないのだから)結果、主役級とダイアローグを交わす相手役がその都度、非在のキャラクターを立ち上がらせなければならない。観客も、その想像力を最大にすることを余儀なくされるのである。これが、実験でなくて何であろう? この実験を面白がるか否かで評価はハッキリ別れざるを得ないのである。チャレンジング興行と銘打たれているだけあって、実験は、何もこれだけに留まらない。サンモールスタジオという小空間で回り舞台というのも意表を衝く表現だろう。そして、その回り舞台を出演している役者陣が回すのである。その時、役者陣は四角いサングラスのような物を装着する、自分は、これを人形浄瑠璃の黒子と解釈した。その上で、彼らは、一種の狂言廻しもやってのけるのである。こうすることで、様々なレベルの観客にグラデーションのついた舞台を観せることが可能になっている。
 これら重層的でメタフィジカルな舞台作りが総て、この作品のタイトルや内容と結び付けられイマジネイションの適度な(乱)反射を作り上げている。シナリオの緻密、構成の巧み、意表を衝いた演出、良くできた舞台装置、卓抜な発想によって観客の想像力を最大限に引き出そうとする実験性、また観客の質を信じる度量には並々ならぬ力と可能性を感じる。
 更に深読みをするのであれば、地方と中央の、更には、最も日本的であるかも知れない、中央の核心部分の非在について読み込むことが可能である。
(一応、誤解の無いように言っておくが、以下の見解は、ハンダラ個人の見解であって、劇団とは無関係である。文句が在る場合は、ハンダラ個人に言うべし)地理的に言えば、東京の中心にある江戸城及び吹上は、天皇の居住地・隣接地でもあり、ど真ん中に在りながら、最も東京らしさに欠けた謂わば東京の空白地帯であり、そこに居住する者たちは、当に存在ではない者・象徴なのである。そして、それ故にこそ、「存在し続けてきた」。このことの意味を我々は問われていると考えることさえ可能である。無論、これらの想像、解釈は、総て観客個々人に任されているのであり、それ故にこそ、この作品は所謂不条理劇ではないにも拘わらず、今後、様々な状況の中で、作品として生き延びてゆく可能性を秘めているのである。
ブリの照り焼き

ブリの照り焼き

劇団C2

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2013/05/14 (火) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

人間味
 不思議なタイトルに惹かれた作品だったが、裏切られなかった。隠し味のように微妙な按配を見事な科白と巧まざる演技で表現して見せた。巧まざると表現したが、観客にそのように見えるということは、シナリオ、役者の佇まい、演技共に最高レベルである。実際、このシーンで、舞台がぐっと引き締まった。(追記 5.16)

ネタバレBOX

 このシーンとは、営業成績トップの内海に対して、店長の阿部が、二人がぶつかった仕事の話をするくだりである。当時、店長は、利潤優先に陥り、営業として最も大切なこと、即ち、顧客の立場に立って最善の手を選ぶ手伝いをすることを忘れかけていたのだが、内海の顧客本位の姿勢に初心を思い出させられた、と語る。その上で、彼女と全然成果を上げられない新入社員、菅野が似ていると告げる。また、上司とぶつかった時の彼女の主張が、営業を生業とする者にとって、全面的に正しかったことも告げるのである。
 これらの行程を経たうえで、菅野の面倒を見てくれと頼む。何と深い心理洞察に満ちた遣り様だろうか。無論、これだけのシナリオを上げてくる作家、演出家である。キャスティングの妙、主役(西川 俊の爽やかさと良い意味での若者のナイーブな面を表現した時の“らしさ”)、(内海役、渡部 愛の人情家であるが故の厳格)店長(阿部役、松山 コウの温かさに現れる心理洞察の鋭さ)など素晴らしい演技を引き出している。言うまでも無いが、役者陣もこの演出に見事に応えた。
既成事実

既成事実

小西耕一 ひとり芝居

RAFT(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★

浮気と嫉妬
 浮気症の彼女に惚れた嫉妬深いコキュの顛末。

ネタバレBOX

 実父と育ての父、自分が惚れた女と浮気相手の間の子を引き受ける等、父母の代からの因果を描く。かなりぐちゃぐちゃな男と女の話。
 おまけに、嫉妬に狂った挙句、会社の先輩と初めて浮気をしたコキュは、性技としての首絞めに失敗、殺害してしまう。きちんとしたアリバイ作りもせず、逃げ延びていた彼であったが、自らの子では無くとも、惚れた女の宿した命を父と同じように引き受けようとする矢先、パトカーのサイレンを聞く。
 科白をもっと具体的なイメージとして、身体化して欲しい。科白が上滑りしているような印象を受けた。そのように科白を身体化する為には、己の更なる客体化が必要だとも思う。
谷根千キャッツ!!

谷根千キャッツ!!

STUDIO D2

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/05/11 (土) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

おにょれ カーチス!! にゃこに未来はあるにゃ
 当然のことながら“某劇団のキャッツ”に関し何らかのメッセージが含まれているのであろうが、ゲル貧の自分は、そちらを拝見していないので、この点に関しては沈黙。悪しからず。
 By the wayそんなことを知らにゃくても充分楽しめるにゃ! インターネットは全世界展開だから一応、谷中、根津、千駄木界隈について説明しておくにゃ。
 カーチス・ル・メイの命令による日本全土の空襲の中で1945年3月10日、関東大震災で大打撃を受けたとほぼ同じ地域が、大空襲を受け僅か数時間のうちに10万人以上の方々が、生きたまま焼き戮された。カーチス・ル・メイの命令を下す時の様子が、伝えられている。「日本の家屋は、竹と紙でできている。良く燃えるぞ」と嘯きつつ、彼は嘲笑っていたそうだ。この「国」は、そんな彼に勲一等を与えている。恥を知らない「国」、否、植民地である。因みに隅田川に掛かる橋には、未だに、当時焼かれた人々の生身の体から出た油が沁み込んだ跡が確認できる場所がある。話がそれた、ここから先は、自分で調べて欲しい。幾らでも資料はある。
 そんな大空襲の中で焼け残った家屋が多かったのが、谷中、根津、千駄木である。当然、亡くなった方の数も少なくて済んだ。そのせいで現在も、自民党のイデオロギーによって「復活」されたのとは一味も二味も異なる下町情緒が残っているのが、この界隈なのである。
 前置きが長くなったが、この程度のことは最低限知って居ないと、この作品の雰囲気が伝わらない。
(追記5.18)

ネタバレBOX

 集合を掛けられた日から満月までの日々、今年も恒例の祭りが行われる。この祭りの間、猫達は人に楽しみを与え、奉仕すらするのだ。谷中、根津、千駄木界隈は、森 まゆみさんの優れた地域雑誌・谷根千による知名度アップ効果もあったであろうが、本当の意味で温かく細やかな下町の人情を残す土地だからであろう、猫が住みやすい街なのである。結果、夕焼け段々などの猫名所が、訪れる人々の人気スポットの一つにもなっている。この作品は、当然のことながら、こういった背景が実際にあることから生まれてきた。
 作品の展開は基本的に時間軸に沿っている。早朝、昼、夕方、夜間といった具合である。ここを見逃してしまうと、作品の解釈はできなくなってしまうだろう。猫と人の関わりで有名なのは、猫に小判の元になった江戸時代の実話であろう。両国の回向院にある猫塚は、この悲劇の猫を祀ったものである。隣に鼠小僧次郎吉の墓が在るのを御存知の方も多いだろうが、江戸っ子の洒落である。猫塚の猫は病気の主人に孝養を尽くした結果、殺されてしまった猫の話であるが、後に、この猫を殺した犯人が、事情を知り、憐れみと後悔とから塚を作ったと伝えられている。その例に因んでというのでも無かろうが、この作品でも猫の人助けの話が出てくる。有機栽培、拘りの水、バター、塩などを使って仕上げたクロワッサンは、店の努力にも拘わらず、高過ぎる、と一つも売れない。それを手助けしたのは猫だった。鯛を加えて店長の前を行ったり来たり売り出し、インスパイアされた店長はヒントを得て鯛入りのパンを考案、大ヒット商品となった。あの手この手で売ろうと試みたが失敗に終わったクロワッサンであったが、猫の手を借りるきっかけにはなったのだった。
 エピソードは他にもある。日本武尊が創建したと伝えられる根津神社へは、受験生やオーディション合格祈願者なども訪れるが、受験生は東大の受験票を落としてしまう。受験できない、と嘆く彼を救ったのも猫であった。おまけにオーディションの合格祈願に来ていたダンサーとのカップリングもこの流れの中で成立してしまった。
 唐突だったのは、パーカッション奏者の墓地への登場。無論、この界隈は寺が多いので、有名な墓地もある。谷中霊園は、桜の名所としても著名人の墓が多いことでも知られるが、夜の霊園にパーカッションが響くと、墓の中から現れたのはゾンビならぬ幽霊達、パーカッション奏者を真似て墓石を叩き始める。今では、幽霊だけで毎夜セッションを開いているとか。因みに、出が唐突ではあるが、このパーカッション、聴く価値は充分にある。
 猫同志の内輪話あり、猫に餌をやるおばさんもあれば、毒殺する連中もいる話あり、更に、アラサー女史の迷いや遅すぎる決意等々の挿話もふんだんだ。ミュージカル素人の自分には、結構、楽しめる作りにはなっているように思えた。
割れて砕けてキラキラ落ちる

割れて砕けてキラキラ落ちる

演劇企画ハッピー圏外

TACCS1179(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/05/14 (火)公演終了

満足度★★★★

もう一つの換骨奪胎
 オムニバス形式の3本立てだが、総てのストーリーを第3話で纏めてみせた。織り込まれた古典にはソフォクレス在り、シェイクスピア在りという如何にもこの劇団らしい内容なのだが、有名な科白やシーンを取り込むことに汲々とするより、次回は、古典の持つ構造を考察して取り込むという方が、大きな効果を持つように思う。

ネタバレBOX

 つまり、古典が古典として生き残って来た原因を考察することによって、構造的な換骨奪胎を図るのである。こうすることによって、スケールの大きい、普遍性を具えたドラマツルギーが成立するのではあるまいか。
 その上で、今作で見せたような、照明の効果で死神と落ち武者を異界へ旅立たせたり、梅子一家が、落ち武者の末裔であることを苗字で示唆したりという細かな配慮を見せれば尚のこと作品が活き活きしたものになるのではないだろうか。演技では、皆、しっかりした役作りをしていたが、死神役の大串 潤也、落ち武者を演じた中川 敏伸、ザムザ祖師谷を演じた家紋 健太郎らが、特に気に入った。
 梅子を演じた彩島 りあなが、見せる立ち姿に、時に華を観たのは自分だけではあるまい。
ハッピークイーンとイバラの姫

ハッピークイーンとイバラの姫

カラスカ

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

脚本の良さ
 脚本が良い。適度なおかしさも入れてあり、真面目に捉えると本当にシンドイ問題を緩急をつけ、ギャグでいなしてシリアスにし過ぎない。同時に、内容の深刻さをネグレクトするわけでもない。良い按配でシナリオ化している。これだけ、関係の見える作家・演出であるので、楽しみながら観て同時にぐいぐい引き込まれる。エンターテインメントとしても楽しめるが、シリアスに取っても充分楽しめる。満足できる心理サスペンスである。
 2週間後には、シナリオだけ同じでキャストと演出が変わるバージョンの公演も予定されているそうである。できれば、こちらも観たくなった。

祭よ、今宵だけは哀しげに

祭よ、今宵だけは哀しげに

東奔西走企画

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2013/05/11 (土) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★

謎の魅力の方が
 「銀河鉄道の夜」を下敷きにした創作だが、原作の持っている謎を合理的に解釈しすぎるきらいがあるように思った。謎解きし過ぎるとイマジネーションが限定化され、賢治の恐らく目指していた無限の広がりとそれに対峙するように佇む実存的人間の絶対的孤独を、そこいらに転がっている陳腐なザインに変えてしまう。カンパネルラの死が、としの死に重なるであろうことに思いを致すべきだろう。「永訣の朝」の悲痛を同時に考えたい。

【全ステージ終了しました!ご来場ありがとうございました!】ハロー!新宿ちゃん。

【全ステージ終了しました!ご来場ありがとうございました!】ハロー!新宿ちゃん。

なかないで、毒きのこちゃん

新宿眼科画廊(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/05/15 (水)公演終了

満足度★★★

小粒
 総てが2人芝居で、総数4話のオムニバス形式で進行する。無論、各挿話は、各々独立しており、話としての相関関係は感じられない。また、タイトルと各挿話との関係も感じられなかった。
 シナリオ、演技、仕掛けで最も面白く感じたのは第1話。仙台に帰ってしまう女の子を演じた女優の演技は、Goo。また第3話で女子高生を演じた俳優の軽妙な所作が気に入った。

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2013/05/08 (水) ~ 2013/05/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

安定感が出てきた
 世界に浸蝕された体験を持つ作・演出の塚田 朋揮が、終に在る地点に達した作品と見ることができる。その地点、地平とは、所謂第八識、西洋流に言えば集合無意識である。誤解を恐れず更に平たく言えば、人々の心の奥底に在る共通項とでも言えばいいだろうか。ある種の普遍性であり、その中に総ての個を含むと同時に、個の中に普遍性を含むレベルの精神世界である。個にして遍く、遍くして個であるような在り様を指す。これ迄、5回の公演を重ねて得た作品の存在感と脈絡が、恐らく作者を救っている。無論、劇団で一緒に活動して来た、総ての関係者との関係を通して掴んだもの・ことを通して作家の世界が遍くして個的、個的にして遍き世界に達したのである。(追記後送)

もうひとつある世界の森に巣喰う深海魚たちの凱歌

もうひとつある世界の森に巣喰う深海魚たちの凱歌

あなピグモ捕獲団

シアター711(東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

熱演
 この作家の傾向として記憶のディテールへの拘りが、舞台上で表現された観念連合や森の正体なのだろう。そして、キリンQは、作中で指摘された通り、主人公自身であろう。つまり自己認識の為に主人公が析出した自己の影だ。以上の解釈が正しいとすれば、この作品は、自同律とその不快を表現したものだろう。

トラブルマスターズ

トラブルマスターズ

劇団 浪漫狂

シアターサンモール(東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

ドンデン
 途中まで、本当にありきたりのエンタメかと思いきや、ラストのドンデンが見事。伏線をしっかり見ておくこと。(追記5.11)因みに星4つはラストの見事さから。

ネタバレBOX

 世界の複雑性を、悪と看做されかねないマッチポンプ方式で照らし出した手法が面白い。流石に30周年を迎えるだけの力を持った劇団である。

松ぼっくりⅢ

松ぼっくりⅢ

植吉劇場

「劇」小劇場(東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/13 (月)公演終了

満足度★★★★


 命の論理、命に向き合う者の倫理、この双方が原点だ、という姿勢に賛成だ。それにひきかえ、原発人災の結果を受けて尚そのことに気付かない原子力推進派の愚かなこと!!(追記5.11更なる追記5.17)

ネタバレBOX

 親方、松山 吉郎の妹、千代美は長野で無農薬林檎栽培を手掛けている木村 次朗に嫁いでいるが、珍しく1週間も植吉に居座っている。その折も折、次朗が、小枝を1本持って訪ねて来た。林檎の小枝である。蕾が良い具合に膨らんで良い林檎が収穫できそうである。それが伝えたくて、長野から17時間掛け、ヒッチハイクとランニングでやって来たのだ。何故、そんなに小枝1本を女房に見せたかったのか。 林檎は、一度、失敗すると次の年も実をつけることはない。これまで、千代美が、帰宅しても直ぐ戻らねばならなかったのは、無農薬で育てる林檎の木にたかる毛虫などを枝1本ずつ手でしごいて、駆除することに忙しかったからである。だが、何万匹という「害虫」を苦労して駆除しても、林檎は実をつけなかった。悩んでいた次朗は、ある発見をする。それは、自然のあるがままに、雑草や「害虫」の駆除もせず、樹木の本来持つ生命力を高めることによって、おいしく安全な林檎を作ることであった。その実践を始めて初の成果だったのである。無論、問題は、これのみに留まらなかった。次朗の畑の周りで農薬を用いて林檎栽培をしている農家からもクレームが入った。曰く「お宅で農薬を使わないからうちの畑に害虫が飛んでくる」というものであった。次朗は、その隣人を自分の畑と隣人の畑の境界へ連れて行き、虫達の動きを観察する。すると隣の畑から、次朗の畑へ虫が飛んでくるばかりで、次朗の畑に一旦入った虫が、隣に戻ることは無かったのである。隣人も気付いた。そして、自分の畑の林檎の木を総て伐採してしまった。「農薬を使った自分の畑の林檎が、次朗の畑の林檎に悪影響を与えてはならない」というのがその理由であった。次朗は、隣人のこの態度にいたく感銘を受け、枝と共にこの話をすることになった。本来、百姓という言葉は、百の命をまんべんなく育てることを意味する。その為には、駆除するのではなく共生することが大切なのだと次朗は悟ったのである。植吉も庭木を扱う職人として日々命と向かい合って生きる人間の一人である。次朗の話の真髄を即座に合点した。
 一方、植吉は、問題を抱えていた。先代から受け継いだ日本庭園を、父亡き後イギリスから戻ったオペラ歌手の娘夫妻が、壊すというのである。先代の思いや、自分達が込めた丹精と長い時間が蔑ろにされる決定であるため、植吉、職人らは、何度も施主説得を試みるが、イングリッシュガーデンに拘る娘は頑として言うことを聞かぬ。どうしても施主が折れないので、散々、庭の手入れをし、丹精を込めた自分達の手でケリをつけることを選んだ。これは特徴的なことである。即ちどうしても生命あるものの命を断たねばならなくなった時、それを実行するのが、その命に最も近い者だということである。ここには、命と命を賭けて向き合ってきた者のみが持つ責任の取り方が現れていると見ることができよう。
 蛇足になるが、イングリッシュガーデンと俗に言われている庭園概念の歴史は浅い。無論、フランスやローマのシンメトリックな庭園技法はずっと古いのだが、現在、日本で言われているイングリッシュガーデンのコンセプトは、たかだか18世紀以来である。ポープに批判されて、シンメトリックなそれまで流行りの流れが変わったのである。それに引き換え、日本庭園の歴史は、無論、古代中国、朝鮮半島を経て伝わって来た庭作りを源流に、東洋的宇宙観を背景に創られている。一例を上げておこう、借景という技法がある。これは、庭園に石一つ置くにしても、周囲の山々や海川、丘陵などとの関係に於いて庭作りをするということである。仮に、三角形の石を庭の何処かに置いてあるとすると、その延長線上に冨士山が見える、といった具合だ。親方が劇中で言っている、日本の庭は宇宙を表す、というのはこういう意味である。
ばたふらい

ばたふらい

ソラリネ。

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/05/07 (火) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

普通って
 普通の女の子の普通の恋愛を極めて普通に描いている点が良い。因みに、普通のことを普通に演ずるということは、一般に考えられているほど容易なことでは無い。

ネタバレBOX

 スタニスラフスキー理論の中核にあるものが、transparence and effectである理由もそこにあるだろう。即ち俳優が、その全存在によって役柄を舞台上の身体に滲みださせる時、自ずから其処に“普通”の表現が成立するのである。このような“普通”が最高度の表現であるのは、言うをまたない。
 本作で、今日、かおり役を演じた永井 友加里は、ソラリネの代表を務めるが、その職責に充分見合う才能を見せた。殊に印象に残ったのが、3年間付き合った彼に別れを告げられるシーンで、自らのスカートの裾を掴み、何度も、掴んだ指で揉みしだくような切ない表現と、ラスト、閉店後のアルバイト先で、女性店長と二人きりの時、当たり前の会話の後に感極まって泣くシーンである。泣く姿に凝縮された、胸の詰るような、身悶えを、観客はここに感じる。
踏切があがるとき

踏切があがるとき

神奈川県演劇連盟

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

いつもの「国家」犯罪
 鉄道の効果音がくぐもったような部分を含めて再現されていて驚かされる。シナリオが実に良い。国鉄が民営化される前後のことを描いた作品だが、この物語で描かれた国家犯罪は、無論ごく一部である。

ネタバレBOX

 実際、我が「国」の非民主性の酷さは、世界を旅してみればわかる。無論、パックツアーなどでは分かるまい。住む国の人々と日常的に接し、その国の人々と付き合い、生活をするという意味である。言葉? できて当然だろう。閑話休題:実際、この主人公、聡一の父修二のような目に遭った人々は、結構居る。完全な冤罪である。それもこれも、この国に民主主義が、根付いていないせいだ。実際、日本よりGNP,GDPが低い数々の国々に行ったり、生活したり、その地の人々と交わったりした経験から、我が国ほど、民衆が自分で自分の首を絞めている国は無いように思う。子供達の目に光が無いのは必然なのである。振り返ってみるがいい。バブルが崩壊して後、勝ち組、負け組と勝手なレッテル貼りをして得意顔していたのは、どこの誰だ? 自分の胸に手を当てて少し振り返ってみるがよい。この作品にも出てくるが1972年は、この国の民主勢力が決定的に衰退したメルクマールの時期に当たる。沖縄復帰の年でもある。新左翼と言われた左翼勢力がこの年を境に決定的に衰退して行った。それまで、価値とされてきた痩せたソクラテスはダサイ者・物の象徴とされ、太った豚として軽蔑の対象だったものが、価値になった。自分が、決定的に反旗を翻したのは、この時からだと思う。独りでも貫く覚悟を決めたのだ。この国の体制及び、それに追随する者は、俺の敵となった。無論、射程は、この国などというレベルに留まれない。この「国」は良く言って属国、実質、植民地であるから。真の敵は、宗主国であるアメリカである。今更言う迄もあるまい。ここが分かっていないと何時迄もこの「国」の在り様が見えないボンクラか、見えているから、大衆に見せまいとする「選良」と同等の下司になり下がるぞ。そういう問題なのだ。この作品でも描かれていたが、国労は、敵を見誤った。仮に正しく認識していたにしても、上手く行ったか否かは分からない。然し、正しく見ていれば、矢張り、現在が今我らの経験しているものとは異なっていたはずである。少なくとも、もう少し誇り高い連中の数が増えていただろう。ところで、君達は誇りを持っているか? 

ING版「戦場のピクニック」

ING版「戦場のピクニック」

劇団ING進行形

d-倉庫(東京都)

2013/05/05 (日) ~ 2013/05/06 (月)公演終了

満足度★★★★

多様な表現
 息子の戦うバトルフィールドへ父母がバイクでピクニックに来る。父は、かつて矢張り戦場にあり、敵の騎兵と戦った。また、若い頃には走る地下鉄から何度も飛び降りたことがあるのが、自慢である。息子は、前線に父母が来ては危険だと、帰るように頼むが、馬耳東風!。ご存じアラバールのスペイン内戦を扱った作品だ。

ネタバレBOX

 同一テキストを全部で15の劇団が、其々の方法で舞台化、自分は、その最後のパート13劇団目から15劇団目迄を拝見したわけだが、いや、驚いた。2次元のテキストが、3次元になるということは、これほど大きな差を生むのか、ということにである。実際、各々の劇団で出演する演者の数も異なれば、作品解釈も異なる。どの部分を強調するのか、各劇団の、今迄演じて来た方法論を、この作品に如何様に映すのか、予算や規模の範囲内で、ベストな表現は何か、というのを真剣に考えた結果だろう。どちらかと言えば、オーソドックスに創る者、アナーキーな迄に、不条理性を野生味に置き替えエネルギーを爆発させる者、エネルギーポテンシャルを保ったまま、溜めを使って抑え、その緊迫感を美しさに迄高めた者、それぞれが、其々の仕方で作品を構築した。面白い試みである。また、3作品の上演の順番も良く考えられていたと思える。3作品中最もソフィスティケイションされていたのは、最後に演じたING進行形だろう。ダンスの動きなども得意な集団だが、敢えて抑えを効かした演出で締まった舞台になった。衣装のセンスもこの演出に合うきりっとしたフィギュアであり、色であった。それにしても、これ程、多様な表現に結実する不条理劇の底知れぬ深さと広がりに改めて感心した。(因みに、このようなことは、ゴドーを演出した、外国の天才的演出家も言っていたし、今回、ゲネで総ての作品を観た演出家も、「不条理劇だから、ここ迄、印象の異なる作品化が出来た」という意味のことを言っていた。以上、二人の演出家に近い自分の感じ方を、自分流の表現で言ってみた。)
 今後も、今回のような企画をどんどんやってほしい。
斜い人 (はすいひと)

斜い人 (はすいひと)

ナイスコンプレックス

サンモールスタジオ(東京都)

2013/05/02 (木) ~ 2013/05/08 (水)公演終了

満足度★★★★

外国との比較も具体的に取り入れたら
 上演前、客席にはピッ、ピッ、ピッっという電子音が鳴り続けている。
 「銀河鉄道の夜」をベースに引用しながら捨て子問題を扱った作品だが、最近の作品なら乳幼児遺棄に関して「コインロッカーベイビーズ」を思い出さない人は居まい。

ネタバレBOX

 堕胎されるかも知れぬ危機感を孕み乍ら、原始海洋の成分に似た組成の羊水に漂う胎児の母との絆を、海鳴りにも波音にも似た心音を表す心電図の電子音に仮託して表現した。深読みすれば「ドグラマグラ」からの借用も感じる。
 長い間、作家があたためてきたテーマだとか。取材もしっかりしているのだろう。誰にも言えない悩みを抱えている女性からの相談に応える為に設置されたSOS救援電話を24時間体制で支えるスタッフの覚悟を語る言葉にはほろりとさせるものがあるし、相談の場面での科白は事実だけが持つ重みとリアリティーを獲得している。
 だが、この「国」の腐りきった政治、司法、報道、官僚、御用インテリ等々の人権無視、人命軽視の在り様を、いくら似て非なる状態や遅々たる歩みで示しても、批判の矛先と劇的効果は弱い物に留まろう。それは、この方法ではメタレベルの訴求力が弱いからである。寧ろ、折角、ドイツから、この制度を学んでいるのだから、ヨーロッパ諸国の遥かに進んだ人権意識や人命尊重とフランクなメンタリティーの具体的事例を、登場したジャーナリストに語らせても良かったのではないか、と考える。この方が、ジャーナリストが初代・公式捨て子であったにしても、記者のキャラクターにより深い陰影が加わるだろうし、ドラマツルギーの強度も上がるのではないだろうか? その上で、今回上演されたように、この「国」の不甲斐ない遣り口を延々と続けたら、アイロニーとして面白いのではあるまいか? 
 また、山田など特別切符を持つ役をもっと掘り下げる必要も感じる。作家は、真に宮澤 賢治を超える努力をして貰いたい。
 他方、理屈で諸状況に対応しない・できないタイプの人々が描かれていたことにも興味を覚えた。態度表明ができない人は、実際に居る。そのようなタイプを表す伏線として、「笑点」のお題の場面で、件の女性役を演じた女優は、一切、応えずに通した点も面白い。但し、この世で貧乏くじを引くのはこのような人々ではないか、という気がするのも事実である。色々な意味で考えさせられた。
SHOOTING PAIN

SHOOTING PAIN

コロブチカ

横浜美術館レクチャーホール(神奈川県)

2013/05/04 (土) ~ 2013/05/06 (月)公演終了

満足度★★★

作・演出が浅い
 精神病院の話である。発狂の背景にあったもの・ことの中に現在の問題を嵌め込み、一応の時代性を確保した。

ネタバレBOX

 例えば、苛め、大黒柱発狂後、社会保障の限度も切れて借金を背負い未来を喪失し妊娠した若妻に、実生活が破綻した夫が狂気と正気の境界線で向き合う話、実在しない子供を中心に生活する母、一旦、患者とされた者は正気であっても薬漬け、拘禁衣などによって自由を奪われ監禁生活を余儀なくされる話、ちょっと茶化し気味な躁鬱など深刻な問題を扱っているのだが、作・演出に難があるように思う。恐らく、この作・演出家は、深い哲学や精神医療に対する知見を持たないばかりか、役者のキャスティングも間違ってしまった。結果、身体と精神との相関に気付かないような者に、疾患を持つ役を振っている。精神疾患を患う者が、発作を起こす場合などは、心拍数や血圧上昇等々の著しい亢進が見られ、昂った精神と肉体のアンバランスがホルモン分泌などにも影響を与える結果、心は熱しているのに、殆ど無感動としか見えないような醒めた頭脳を持っているような気になっていると同時に、酷い偏頭痛に悩まされるなどということが同時進行したりしているはずである。そう言ったことに想像が及ばないようなキャストならば、少なくとも患者役をやらせるべきではない。豈主役を乎、である。
 薄っぺらな表面しか見ていないから、良い役者がいても活かしきれていないように思う。演出家は、演ずる身体について、この作品では狂気についても、また社会学や哲学についても、もっとしっかり勉強して欲しい。
 役者で良かったのは、真理子役の湯口 光穂、中園役の一色 洋平の身体能力は図抜けている。パプア役の菊沢 将憲も中々であった。小春役のコロは、もう少しいじましさを出しても良かったのではないか。
愛とその他

愛とその他

劇団東京乾電池

アトリエ乾電池(東京都)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/06 (月)公演終了

満足度★★★★★

頗る知的
 土の上には床があり 床の上には畳がある 畳の上にあるのが座布団
その上にあるのが らくと言う らくの上には何もないのでしょうか
どうぞ お敷きなさいと言われて らくの上に 座る 云々という歌詞が 開演前には流されていて、歌詞の内容は無論、これから始まる劇の内容を暗示している。

ネタバレBOX

 幕開けに女が1人登場する。電動式鉛筆削りと鉛筆、座布団を1枚持っている。女は、鉛筆を削り続けている。次の女が登場、互いに座布団の位置を調整し合う。この行為によって、通常演劇で用いられる“間”を時間軸に沿わずに寧ろ、空間軸に焦点を当てる方向に転移させている。3人目の女が登場、ノートを持っている。この家の主婦の妹である。彼女は、家計簿をつけ、野良猫の観察をし、面倒を看ている。3人は、最初空間に於ける“間”の問題に関わっているが、次に如何にも日本的なKY(空気を読め)的な情況を演じる。それが煮詰りそうになると、やがて1人が口を開き、会話が始まる。3人目に登場した女は、仕事が決まる迄の間、姉夫婦の家に厄介になっているのである。徐々に3人の関係が明らかになって行くが、彼女達は、幼馴染で妹が引っ越して以来会っていなかったので、あてど無い旅に出た{女1、女2(登場順)}序に立ち寄ったのであった。
 次々に女客が訪れる。隣家の女は、外国土産のチョコレートを持参、姉にお茶を勧められて飲んで行くことにする。その後、姉のアルバイト先のレジ仲間が3人やってくる。彼女達も茶を振る舞われ、井戸端会議を始めるが、いつしか話題は町内会紛糾問題に移って行く。町内会の勢力争いが嵩じて終には、対抗勢力同志がスパイを送り込む泥試合になっているのである。どちらにも属さないで来たレジ仲間ではあるが、近所づきあいの関係で、4人のうち2人が、会派の異なるグループに属すことになった。だが、レジ仲間の間では不問に付すことにする。ただ、町の空気としては、疑心暗鬼が渦巻いているのである。無論、ここでは、この井戸端会議を通して、日本という「国」が持つ、ムラ政治型の問題を炙り出している。
 順ぐりに深さを増してゆく蟻地獄のような舞台展開は、知的で諧謔に満ち面白い。場ハケも設定が見事。また、姉タカコを3人の女優が演じるのは、主婦の家庭に於けるSE性(System Engineer)を示しているととると面白い解釈が可能だろう。
 閑話休題 大きな芋虫が登場するシーンも不条理演劇を通って来た、劇団の歴史的、時代的状況を反映するとともに、箍外しをしつつ、それら不条理を笑うようで興味深い。或いは自嘲を込めた苦い笑いもあるかも知れないが。
 終盤、終にスパイ問題が嵩じて、女同志の喧嘩になるが、クッキーが出来上がったことで一件落着。この辺り、女性が絶えずDVなどの物理的暴力に怯えている情況の中での、力に対する弱者の対抗・判断を示唆し、落とし所を笑いと本質に於いて提示、リアルな生き様を示して痛烈である。

このページのQRコードです。

拡大