踏切があがるとき 公演情報 神奈川県演劇連盟「踏切があがるとき」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    いつもの「国家」犯罪
     鉄道の効果音がくぐもったような部分を含めて再現されていて驚かされる。シナリオが実に良い。国鉄が民営化される前後のことを描いた作品だが、この物語で描かれた国家犯罪は、無論ごく一部である。

    ネタバレBOX

     実際、我が「国」の非民主性の酷さは、世界を旅してみればわかる。無論、パックツアーなどでは分かるまい。住む国の人々と日常的に接し、その国の人々と付き合い、生活をするという意味である。言葉? できて当然だろう。閑話休題:実際、この主人公、聡一の父修二のような目に遭った人々は、結構居る。完全な冤罪である。それもこれも、この国に民主主義が、根付いていないせいだ。実際、日本よりGNP,GDPが低い数々の国々に行ったり、生活したり、その地の人々と交わったりした経験から、我が国ほど、民衆が自分で自分の首を絞めている国は無いように思う。子供達の目に光が無いのは必然なのである。振り返ってみるがいい。バブルが崩壊して後、勝ち組、負け組と勝手なレッテル貼りをして得意顔していたのは、どこの誰だ? 自分の胸に手を当てて少し振り返ってみるがよい。この作品にも出てくるが1972年は、この国の民主勢力が決定的に衰退したメルクマールの時期に当たる。沖縄復帰の年でもある。新左翼と言われた左翼勢力がこの年を境に決定的に衰退して行った。それまで、価値とされてきた痩せたソクラテスはダサイ者・物の象徴とされ、太った豚として軽蔑の対象だったものが、価値になった。自分が、決定的に反旗を翻したのは、この時からだと思う。独りでも貫く覚悟を決めたのだ。この国の体制及び、それに追随する者は、俺の敵となった。無論、射程は、この国などというレベルに留まれない。この「国」は良く言って属国、実質、植民地であるから。真の敵は、宗主国であるアメリカである。今更言う迄もあるまい。ここが分かっていないと何時迄もこの「国」の在り様が見えないボンクラか、見えているから、大衆に見せまいとする「選良」と同等の下司になり下がるぞ。そういう問題なのだ。この作品でも描かれていたが、国労は、敵を見誤った。仮に正しく認識していたにしても、上手く行ったか否かは分からない。然し、正しく見ていれば、矢張り、現在が今我らの経験しているものとは異なっていたはずである。少なくとも、もう少し誇り高い連中の数が増えていただろう。ところで、君達は誇りを持っているか? 

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    2013/05/08 00:07

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