匿名家族 公演情報 劇団フルタ丸「匿名家族」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ラディカル
     作・演出レヴェルで考えさせる所の多い舞台だ。通常の舞台公演で感動するようなシーンも無論ある。ちょっと紹介しておこう。
    教授が息子の結婚式で述べるスピーチで「私は、彼の美質を一つしか知りません、それは、自分に嘘がつけない、ということです」という科白の美しさは格別である。

    ネタバレBOX

     一方、実験的な部分は、核になっている直系家族(作家志望の息子、父、母、祖父母)が総て非在という点だ。だが、この点こそ、最も評価の分かれ易い点でもあろう。(通常なら主役・主役級が居ないのだから)結果、主役級とダイアローグを交わす相手役がその都度、非在のキャラクターを立ち上がらせなければならない。観客も、その想像力を最大にすることを余儀なくされるのである。これが、実験でなくて何であろう? この実験を面白がるか否かで評価はハッキリ別れざるを得ないのである。チャレンジング興行と銘打たれているだけあって、実験は、何もこれだけに留まらない。サンモールスタジオという小空間で回り舞台というのも意表を衝く表現だろう。そして、その回り舞台を出演している役者陣が回すのである。その時、役者陣は四角いサングラスのような物を装着する、自分は、これを人形浄瑠璃の黒子と解釈した。その上で、彼らは、一種の狂言廻しもやってのけるのである。こうすることで、様々なレベルの観客にグラデーションのついた舞台を観せることが可能になっている。
     これら重層的でメタフィジカルな舞台作りが総て、この作品のタイトルや内容と結び付けられイマジネイションの適度な(乱)反射を作り上げている。シナリオの緻密、構成の巧み、意表を衝いた演出、良くできた舞台装置、卓抜な発想によって観客の想像力を最大限に引き出そうとする実験性、また観客の質を信じる度量には並々ならぬ力と可能性を感じる。
     更に深読みをするのであれば、地方と中央の、更には、最も日本的であるかも知れない、中央の核心部分の非在について読み込むことが可能である。
    (一応、誤解の無いように言っておくが、以下の見解は、ハンダラ個人の見解であって、劇団とは無関係である。文句が在る場合は、ハンダラ個人に言うべし)地理的に言えば、東京の中心にある江戸城及び吹上は、天皇の居住地・隣接地でもあり、ど真ん中に在りながら、最も東京らしさに欠けた謂わば東京の空白地帯であり、そこに居住する者たちは、当に存在ではない者・象徴なのである。そして、それ故にこそ、「存在し続けてきた」。このことの意味を我々は問われていると考えることさえ可能である。無論、これらの想像、解釈は、総て観客個々人に任されているのであり、それ故にこそ、この作品は所謂不条理劇ではないにも拘わらず、今後、様々な状況の中で、作品として生き延びてゆく可能性を秘めているのである。

    0

    2013/05/16 23:37

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大