ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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妥協点P

妥協点P

劇団うりんこ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

視座がドライ
 この感覚が気に入った。ドライにアイロニカルに突き放した視線が良い。
(追記後送)

ネタバレBOX

 高校の文化祭でクラスのダシモノとして演劇を選んだクラスがあった。「ロミオとジュリエット」を下敷きにした恋愛物であるが、設定は、教師と女子高生になっていた。これにいちゃもんをつけた教師があり、そのいちゃもんをおちょくる作者(高校演劇で賞の受賞歴あり)がいる。周囲の教師を巻き込んで侃々諤々の議論が展開されるが、話が煮詰まると妥協点を見出そうとする意見が優勢になりがちだ。然し、原則はどうするのだ? 
脱衣する蛹(さなぎ)

脱衣する蛹(さなぎ)

ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―

早稲田大学大隈記念講堂(東京都)

2014/08/29 (金) ~ 2014/08/29 (金)公演終了

満足度★★★★

境界
 今作は、早稲田大学と美濃加茂市文化交流事業の学生演劇公演として、早稲田で教鞭をとった坪内 逍遥の出身地、美濃加茂市の“みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム芝生広場(雨天エントランスホール)で9月6・7日の18時半から上演される作品の東京プレ公演と銘打って上演された。今回は大隈講堂で上演されたが、本番は、雨天以外は屋外での上演になる。美濃加茂市は名古屋からJR美濃太田駅迄特急で約40分。北口から、徒歩約17分で現地に着く。無料公演、予約不要の自由席だ。興味のある方は小旅行を兼ねて行ってみたら如何だろうか? 

ネタバレBOX

 さて、本題に入ろう。登場人物は男女各々1人の2人芝居である。
若い夫婦だが、子供は居ない。妻が、恐れているもの・或いは状況があり、彼女は、部屋に閉じ籠ったきりである。夫が、必要のあることはしている。無論、家内で出来ることをするつもりは妻にもあるが、どういうわけか、最後の夕日を眺めている。この夕日を限りに、夜の世界へ移行してしまうのだ。而も、妻は完全な闇には耐えられない。従ってランタンなり何なりの灯りは、常に夫の準備すべきものであり、燃料補給も彼の責任である。屋外が闇に包まれて以来暫くは、妻の精神状態も安定していた、かに見えた。だが、虫が増えている。夜ばかりになった世界で人工の火は、蛾を吸い寄せる。この部屋、ガラス窓にも、蛾が当たって潰れる様が見え、音が聞こえる。だんだん、それは繁くなる。女は、自らの体に、虫が入り込み、皮膚の下で成長し、内臓を喰われたり、脳を喰われたりする気配を感じる。現に、夫は、一度、脳に虫の幼虫が入り込み、彼の脳を喰らって大変なことになりかけたハズ。そのような虫が、地震後、至る所にできた罅割れを通して、キーバードの隙間から、人間には気付かれないあらゆる微小な隙間を通って人間の体に達し、その体の中を喰い散らげながら、成長して行く。女がこのように認識すると、女の外部たる夫は、ゴキブリのような虫に変容してゆく。元妻と元夫は、互いの真実を求めてか、追い掛け会うが、とどのつまり、この行為は2人の魂に何も齎さないどころか、反復行為しか意味しない。女は未来を失くした。そして、彼女おメンタリティーは透き通ってゆく。邸の外では、消防車のけたたましいサイレンの音、女の周りは業火の咆哮。それを女は、超絶した意識のように扱っている。最早、其処に生き残る為のなにがしかの行為、或いは知恵を働かせようとの意識も無い。唯、外界を対象化し、事態を正確に把握仕様との意識のみが屹立している。
 By the way,くどいようであるが念の為、今公演は屋内で上演されているから、女は密封状態の建物に、自意識の壁を守られている形をとるが、本公演では、森が実在しており、意識の世界は、イメージの跋扈する世界である。この違いだけではなく、屋外での、役者の発声法や何より閉鎖系ではなく、開放系の空間内で女の持つ心理の閉鎖系を如何に描くかという点も大問題たらざるを得ないので、できれば、両公演を観たいものだとつくづく思う。作家のスタンスが、常に、今迄に無かった物の見方、局面を、極めて正確に言語によって規定しようとするように思われるので、尚更、基本的コンセプトは同一であるはず、或いは、傾向は変わらないハズの今作が如何様に演じられるのか、興味は尽きないのである。
 間違いなく才能のある作家であるが、自意識のドラマのみならず、外界に出会うことを目指してみては如何だろうか? 無論、大きなリスクを伴う。然し、最高傑作になる可能性も大きいと思う。自分対世界の構図を世界の内なる自分にアダプトしてゆく作業だが、ある程度、アダプトした上で、自由を再確認したり、泥が泥をこねつつ明日を夢見る大衆の感覚に近いものは把握できるであろう。
赤と黒=RED&BLACK

赤と黒=RED&BLACK

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2014/08/22 (金) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

最も良い演技をしていたのは、余 華南役
 第二次世界大戦・及び太平洋戦争の終結は、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を認めた1945年9月2日である。無論、この日を敢えて名付ければ敗戦記念日である。8月15日は終戦記念日と呼ばれているが、これは、敗戦という事実から目を逸らせる為の詭弁に過ぎない。この「国」のまやかしを挙げれば枚挙にいとまが無いが、こんなことを書いたのは、今作の冒頭で、現代日本の高校生が登場してくるからである。如何にも、どこか緩んだ雰囲気が描かれるのだが、同時にヘイトスピーチ等が、国連でも問題にされるような状態で多発しているこの「国」の現状を、敢えて舌足らずな表現で表しているように思われる。(追記とりあぇず)

ネタバレBOX

 歌の中心を担ったのは、樺島 芳子役だが、いかんせん、リズム、音程どちらも狂う。できれば、歌わせたくない。シャンソンの語りのような歌唱法も、抜群の歌い手がやって初めてホントにできる唱法であってみれば、彼女には、申し訳ないが無理であろう。
 で、今作、自分は、シナリオ、個々の役者の演技、演出に焦点を絞って観た。結果、歌のマイナスを考慮しても、★5つをつけた。その理由は、もう少しお待ち頂きたい。
 時間がないので、肝要な点だけ。
物語は、表主役と、裏主役の2層構造。裏主役は余 華南だ。オープニングのダレダレは、全体の起承転結の中の起。ダレダレで始まるのは演出である。以上2点を指摘しておく。
アムステルダムの朝は早い

アムステルダムの朝は早い

劇団半開き

王子小劇場(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

拘置所19番の科白
 作家も自嘲気味に述べている通り、凶悪犯の話でも、死刑囚の話でもなく、軽犯罪の初犯の話であるから、ここ迄演劇的に要求すること自体ナンセンスと言われかねないが、矢張り、これだけ多くの新作が作られ、上演されて、そのうちのある程度の作品は拝見している身として言わせて頂いている。

ネタバレBOX

 要は、「女は愛されてナンボ」という拘置所19番の科白に象徴されてしまうのか? ということである。ケツを捲るというのは、この程度のことか? というのを問いたいのである。無論、現実にどうのこうのというより、見沢 知廉が獄中で受けた辱め(独房での糞尿垂れ流し放置や鉄条網上での正座等々)のようなことを敢えてミックスしてしまっても良いのではないかと考える。というのも、正確に日本の留置、拘置制度を書きたいのであればドキュメンタリーなどの方が鮮明に批判ができようし、アメリカとの比較もより客観的に出来るであろうからである。要は作家が何を描きたいかなのであるが。
日本の人権を無視した司法制度を効果的に描きたいのであれば、自分の挙げたような例をミックスするのもありかとは思う。まあ、司法からのクレームのことも考えなければならないから難しさはあるだろうが。演劇的には、よりエッジの効いた作品になるとは思う。
 自分はこのようなポジションなので、小じんまり纏まり過ぎているという印象を持った。
 どだい、アメ公にちゃちゃ入れられりゃ何が何でも従うチンケなオカマ野郎が、最高裁判所裁判官である。こんな茶番がまかり通る「国」の法なんぞにどれほどの意味・権威があるものか? 茶番に過ぎまい。官僚機構が冷たいのは、この茶番を隠さなければならないからであろう。一方、マッポが、ある意味、人間的なのは、彼らの職務がもともと、甲賀の下人に担われる類のものであったからではないのか? 忍びのうちで下人とは、無論、穢多、非人と同列の被差別民である。苦労の多い分、杓子定規で非人間的な日本の官僚共より、より人間的であるのかも知れぬ。
八月の雹(はちがつのひょう)

八月の雹(はちがつのひょう)

中津留章仁Lovers

タイニイアリス(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

流石
 中津留 章仁作品。重厚且つ意味深。二幕物という体裁で、3時間超か。然し時間の経つのを忘れさせるだけの緊張感に富み、ぐいぐい引き寄せられて観ているうちに、ラストまで来ていた。狭いタイニイアリス満席状態であっても良い舞台というのは引き摺りこんでくれるものである。(追記後送)

終電車脱線す

終電車脱線す

劇団俳協

TACCS1179(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/28 (木)公演終了

満足度★★★

極限状況って分かってる?
 一部、Wキャスト。Aチームを拝見。椎名 麟三の作品だが、時代設定は敗戦から2年後の1947年ということになる。山間で土砂崩れ等も起こる程の雨の後、鉄橋の手前でたった1両だけ稼働していた終電車車両が脱線事故を起こしてしまった。

ネタバレBOX

 鉄橋もいつ落ちるか分からない程、老朽化しているのみならず、つい2年前迄続いた戦争で補修もままならず、ガタが来ている。運転手は救助を呼ぼうと鉄橋を渡り掛けたが、鉄橋の泣く音を聴いて直ぐ引き返して来た。ちょっと前、夜間では無かったのに、次の駅迄、鉄橋を歩いて行こうとした鉄道関係の職員が濁流に呑まれていた。
 だが、乗車していた客は、矢張り様々である。どういう訳か、金も無いハズの浮浪児、何故だか分からぬが、矢鱈身勝手な癖に直ぐパニックに陥る40歳の女。カフェで知り合い意気投合して、そのまま温泉旅行へ出掛けた浮気者同士のカップル、鍛冶職人、魚の行商で生計を立てる中年女。そして老人。
 だが、この作品を良い舞台い仕立て上げるのは、並大抵のことではない。上演時間は、50~60分位の短い作品であるから、個々の役に、一々、性格設定を伏線等を用いてつけることも難しいし、ただ単に類型化したのでは、芝居としての面白さに欠けることになる。従って、個々の人物達の社会的位置を上手く対置して、其々の差異や特性を際立たせ、且つ対置された諸個人の相互関係をダイナミックに干渉させて、そこに起こるハレーションや様々な関係性の綾を紡いで行く他無かろうが、今回、今作の演出をした人は、自分自身で人間の限界状況を実体験した経験が無いのだろう。若手の役者陣は無論のことだろう。従って、演技に必要な間の取り方にリアリティーが無い。演出家が、そこを分かっていればもう少し工夫ができたハズであるが。この面子で、今作を良い舞台にするには、チト荷が重かったか。
空 -SORA-

空 -SORA-

劇団ZAPPA

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2014/08/21 (木) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

父子鷹
 晴を拝見。江戸城無血開城直前の薩長VS幕府。幕閣内部の政争。勝 小吉と海舟の家族、及びその人間関係を通して見る動乱の時代。舞台美術、構成、演出、演技、何より勝親子の人間的温かさを表して秀逸。(1回目追記2014.8.28:03:30)

ネタバレBOX

 小吉は、島田 虎之助、男谷 精一郎とつるんで、天狗狩りをやっている。天狗とは実力も無い癖に偉そうにふんぞり返っている馬鹿のことである。まあ、道場破りをさんざっぱらやらかしているのだ! 現在は、関ヶ原から徳川の家来になった勝家に婿入りしている。妻はのぶ、舅は、ばばと呼ばれている、長刀の使い手だ。無論、家の仕来たりには五月蠅い。この暴れん坊の父、小吉と海舟の話がほぼ交互に出て来て物語が展開して行くのだが、向かう所敵なしの小吉をKOした者があった。貧乏長屋に住む“そら”である。彼女は、幸吉の作った空飛ぶ道具で天に舞いあがり、小吉の真上に着地したのである。流石の小吉も天からの天狗攻撃には、虚をつかれのびて仕舞った。お侍をのしてしまったというので、貧乏長屋は大騒ぎ。小吉を介抱しつつ、手作りの酒と肴でもてなし侘びを入れた。初めて口にする酒が口に合わず驚いて怒る小吉であったが、長屋住人の貧乏を知り、肴の味にこの酒が合うことを発見して、長屋衆と仲良くなるが、そこへ、家賃の取り立てに来た男を脅しつけ、飛ぶ為の道具ではなく普通の傘を持たせて高い所から蹴落とし怪我をさせていたのだが、金が取れなかったので、若頭が、手下を引き連れて出張ってきた。
青春再来我愛你(セイシュンサイライウォーアイニィ)

青春再来我愛你(セイシュンサイライウォーアイニィ)

かのうとおっさん

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2014/08/22 (金) ~ 2014/08/25 (月)公演終了

満足度★★★★

青春再来
 総合タイトルに使われている「青春再来我愛你」と他の登場人物にスポットを当てたスピンオフ作品「いけいけのやまちゃん」「すみれ高校生徒会事件簿」「ハカセin USA」が、殆ど建て続けで演じられるスラップスティックな青春物だ。が、各挿話のリンケージは無論うっすらと見える。上手いな、と感じたのは、村田 勉役の河口 仁。ハカセ役の大沢 秋生。“かのうとおっさん”は、関西で普段活躍しているユニットで、ルナティック演劇祭始まって以来初めての三冠受賞を今年果たした。今回で2度目の東京公演だ。喜劇ユニットらしく立派な人間が出て来ない芝居作りをしている。独特で緩急のあるはずし方が、このユニットの上手さだろう。今後も関東に来て、関西の風を吹き込んで欲しいユニットである。

STYLE FREE vol.9

STYLE FREE vol.9

東京天然デザート

あさくさ劇亭(東京都)

2014/08/23 (土) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★

一所懸命に喰いついてくる役者は芽がある
 一応、90分で6本のオムニバスを演じるという前説の話であったが、シナリオで、まともだったのは、うち1本のみ。他は、シナリオ自体の目指しているレベルが低すぎる。レベルの低い大衆に演劇が媚びてどうするんだ! コマーシャリズムだけで動いているTV番組じゃあるまいし、演劇は演劇でしか出来ないこと、観客の視線を釘づけにするような素晴らしい芸や、TV等には流せない毒を含んだとんがった芸があって良い。まして、満席で、25位の小さな小屋なら尚更である。まともな1本は、役者の演技も上手く、シナリオも練れたものであったし、演出も気が利いていた。だが、このレベルを基準として底上げして欲しい。元々、歌舞くことでは生き馬の目を抜いた魔界、浅草が泣く。合格の1本のみ★4つ。あとは★2つ。一応、総合評価は3にしておく。次は、総合評価でおまけの無い4は目指して欲しい。

ままごとの次第

ままごとの次第

インプロカンパニーPlatform

ザ☆キッチンNAKANO(東京都)

2014/08/21 (木) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★

役者の日常
  インプロビゼイションを成立させる為の枠組みをオープニングとラストに作り、その中身をお客から貰ったお題で埋めて行くことによって、サンドイッチされた内容は、誰にも予測できない即興になるというメタ構造の作品作りだ。(従って、今回は、ネタバレで中味を先に明かして、構造を隠しておいた方が、素人さんには、面白く読めるかも知れないが、演劇ファンを前提とするサイトであるから、演劇に於けるメタ構造が何を意味するか位、自分で勉強すべし。幼稚園児じゃないんだから。)
 という訳で、構造を明かした。内容はその都度違うハズだから、各人、観に行って、お題を出し、其々楽しんで頂きたい。
 

六本木少女地獄

六本木少女地獄

劇団三日月座

横浜国立大学第一食堂下共用スペース3(神奈川県)

2014/08/22 (金) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★

シナリオの随所に若者らしい鋭角的な表現
 が見られるが、各々の状況下で人間という生き物が、どのような精神状態に置かれ、それは、身体にどのように現れるかという点についての表現に工夫と緩急の差が欲しい。(さらなる追記後送)

ネタバレBOX

 家出してポンギで売りをやっている女の子。彼女の祖父は心理学者だったので、家出少女としては、かなり分析的で、当然のことながら、自己分析もしている。そんな彼女が、狙った獲物は、同じ家出少年。唯、この少年、親とぶつかった訳ではなく、姉との確執から家出して来たのであった。
安部公房の冒険

安部公房の冒険

アロッタファジャイナ

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2014/08/23 (土) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

何度も観たい舞台
 現在のこの国の演劇状況と、安部 公房が生き、演劇にのめり込んだ時期から亡くなるまでの10年余の時を、描いた作品だ。当時世界で活躍するピンター、ベケット、イヨネスコらと共に、米ソでも人気の高かった安部が、新劇と言えば、千田 是也と言われた当時、新たな可能性として出現した寺山 修司、唐 十郎ら若者に支持された日本のアングラ演劇状況に於ける単独者として新地平を切り開いて行こうとする姿勢を描くことで、作品そのものを用いた現代演劇批評として観ることができる。

ネタバレBOX

 同時に、妻・愛人との繊細且つ濃密で緊張した愛の関係を通して、男と女、肉体と精神という永遠のテーマと同時に、三角関係自体の持つ心理的な綾と肉体の関係を精神対肉体という二元論に於いてではなく、生きた身体として捉え返し、身体同士のダイナミックな蠢きやその関わりから生じる新たな心身両局面の表現として、更には映画やTV他新たな記憶装置や記録装置の出現を人間化しようとしたようにも思われる、その進取の精神は、噂にきくピーター・ブルックの仕事にも近いのかも知れない。
 脚本は、いつも通り松枝 佳紀なのだが、いつもなら、演出も彼が務める所、今回は、荒戸 源次郎が担った。結果、説明過剰や情報量の過重が削がれ、その分、間の時空が増えた。つまり、作り手と見る側の間の想像的時空間が増えた訳である。このことが、作品に、よりヴィヴィッドでありながら、共感しやすい状況を作り出した。
 更に、アロッタファジャイナとしての連続性や転換点も観ておくべきだろう。今回は、佐野 史郎が、安部公房役なのだが、これは前作「かもめ」で彼がトレープレフを演じたことと二重写しになるだろう。恋人役の縄田 智子は、二―ナを演じていたし、妻役の辻 しのぶは、アルカージナを内田 明は、前回Wキャストだった関係で矢張り、トレープレフを演じている。男性俳優が2人ともトレープレフ役だったことにも注意したい。
ヴァルプルギスの羊

ヴァルプルギスの羊

EgHOST

pit北/区域(東京都)

2014/08/22 (金) ~ 2014/08/23 (土)公演終了

満足度★★★

アフターイベントが異なるので注意
 自分の拝見した回は、アフターイベントで短編の劇作品が1本入り、都合2作品を拝見した。日によってアフターイベントの内容が異なること、時間的に長いのは、全体タイトルに付けられているのとは別作品であることに、注意しておくこと。

ネタバレBOX

「Bz@may beせかい」
 ゲーテの「ファウスト」を下敷きにした、ということであるが、原作の精神性は総てスポイルされ、ただ、メフィストフェレスやホムンキュロスが登場するばかりで内容は全くの別物である。他人の為に生きる、という擬制を演じ続ける凡庸な男が、妻に離婚を迫られる。無論、妻には、既に男が居て、それも会社の同僚であるのだが、主人公である寿樹は気付いていなかった。凡庸な男らしく娘と遊ぶことを唯一の楽しみとしている。だが、離婚届を妻から突きつけられ、終に人生を降りるか否かの選択を迫られるのだ。そこへ、メフィストフェレスが現れて、契約を迫るのだが、寿樹は生きることを望んでおらず、大した夢も無い。
 然し、娘、真代にとって父は、特別の存在であった。姿の見えなくなった父を求めて、娘の魂は幽体離脱を起こし、父や、ホムンキュロス、悪魔や錬金術師、神とその僕たちのいる、亜空間へ迷い込むが。(上演中なので、ネタバレはここ迄)
★2つ
「ヴァルプスギスの羊」 
 10歳で母を失くした少女は、男を吸い寄せる力があったとみえ、人生の早い段階で男に教え込まれた。その後は、自らの魅力を武器に一人立ちし、女を武器の商売を選んだ。描かれているのは母が亡くなって10年後の彼女の暮らしである。街の名士は彼女の馴染み客。名士の息子は、矢張り彼女の客だが、父とも関係している彼女にぞっこん、結婚を迫っている。彼女は、自らが穢れていると認識しているから、また、彼女の母もまた娼婦だった呪われた血、或いはであるが故の矜持から、甘ったれた坊ちゃんの求愛を蹴る。然し、彼は、市長である父を市庁舎で監禁。事件を起こした。この場に居合わせた彼女は、彼の持っていた凶器を自ら奪い、彼を罪から救った。その後、自由の身になった2人。結婚を再び申し込む息子であったが、今回もまた、拒否される。然し、今回の拒否は、今は駄目、であった。
 直前に演じられた作品が一応、ゲーテの「ファウスト」を下敷きにしている関係でワルプスギスが出てくるのである。尤も、魔女の祭典というよりは、娼婦の、穢れを重々承知している娼婦の、それ故の寂しさを描いた作品と言えよう。正月、お盆は、娼婦の自殺率が跳ね上がる。そんな統計の内実とは、何処にも居場所の無い寂しさを抱えた娼婦という賎民の哀しい在り様である。そして、このような哀しみを感じることさえ拒否している現代の売春婦たちの救いようのない地獄である。★4つ
うみがめくれる

うみがめくれる

fragment edge

プロト・シアター(東京都)

2014/08/22 (金) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

ウィトゲンシュタイン
 出演者は全員、女性。舞台設定は女子校である。美術部が中心ではあるが、そこは姉妹関係や女子校の先輩後輩、レスビアン、ヘテロ女子の校外異性交遊等々が絡み合う。
 一方、海の中の物語も同時進行する。

ネタバレBOX

ほぼ交互に演じられる海の世界と女子校の世界を通したテーマは、因習と革新とでも名付けようか。要するに、それ迄、誰もが当たり前のこととして盲従して来た社会の在り様や、その中での自分の「位置」を見直し、実際に冒険に出掛けて行こう、という決意を作品化した舞台である。
 海中では、小さな魚が生まれた深い海から長く苦しい旅をし、終に、浅い海に近付いた時、自分と同じ夢を持ち小さく、傷ついた魚に出会って2匹で陸を目指す物語であるが、読みようによっては、これが両生類への第一歩とも取れ、更に出会ったのが♂と♀として捉えるならば、女子高生の話のテーマ、愛とも繋がると同時に、地球上の生命進化という壮大なイメージも孕む。
 自分は、作品を観ながら、ずっとRimbaud のLe Bateau ivreを思い出していた。無論、Rimbaudほどラディカルではない。その代わり、ウィトゲンシュタインが援用されていた。自分の最も気に掛かる哲学者の一人なのだが、未だキチンと読んでいないので、自分流の解釈はできていないのだが、それでも、彼のテーゼを乗り越えようとする姿勢には、そして、その為にシナリオに記された科白の正当性については、高く評価すべきものがあると予感した。
 半面、チャレンジすれば、実際にチャレンジした人々より先に行けたかも知れない可能性を秘めた人々が安定を求めた結果、求めた人自身の“或いは間違っていたかも知れない”と自省するあたり迄描いた若い才能を、矢張り評価したいと思う。
 今後は、独自の、自分の選んだ道を歩いて欲しい。
HARUKA

HARUKA

旋風計画

ザ・ポケット(東京都)

2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

総ての世代が腑に落ちる舞台
 キャラメルボックス成井氏の良く練られた深い科白。有坂 美紀さんの洒落た演出、演技陣の素晴らしさ、照明、音響など効果の巧さ。メンタリティーと道理との相克。どれをとっても素晴らしい。これだけの内容を子供にも分かるように表現している所に、この劇団の凄さを感じる。(追記後送)

海との対話

海との対話

東京演劇集団風

レパートリーシアターKAZE(東京都)

2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★

倫理
 読み違えも多くなる舞台だろう。というのも、フランス語、日本語の言語差を完全に埋めているというわけではないし、通常の演劇文法を踏襲しているわけでもないからだ。

ネタバレBOX

 どういうことかと言えば、フランス人俳優によって演じられる登場人物も、日本人俳優によって演じられる登場人物も各々の性格描写や劇中の役割を表現する為では無く、寧ろ、それを解体する為にこそ、演じているからである。そのような解体を通じて、名付けようの無い者、魂の影の部分への跳躍が試みられているのである。そして、これら、断片化され、非個性化されたダーザインの持つ逆説的一般性は、背景に流れるエレキギターの調和の取れた演奏によって、かりそめの安定感を付与されているように思えるのだ。
 同時に、日本を含む西側先進国の民が抱えるアンチセミティズムは、かつてその攻撃目標をアシュケナジーユダヤに置いていた訳だが、イスラエルが列強に承認され、シオニズムがユダヤ教を脱宗教化した現在に於いて、それは、アンチアラブの様相を呈するに至っている。総ての国際人権論は、パレスチナ問題の正義はパレスチナサイドにその多くが在る、とする。然るに、現実政治は、この主張が正なるが故に、否定的である。現在のガザ攻撃に対する、マジョリティーの悪辣さを見れば、それは充分納得の行くことであろう。他方、西側のマイノリティーには、これらの現実に真摯に向き合う人々があり、アーティストの多く、アクティヴィストの多くも虐げられる側に立とうとしている。今作は、そのような側に立とうとする人々から見えた、西側先進国のマジョリティーでもあろう。神経症的に、痙攣的に震えながら、自国内強者によって収奪され、自国内の更に弱い者から、或いは自国以外の弱小国やマイノリティーから収奪する己の姿を見、怯えている者としての大衆自身である。神は、彼らにとって最早全能ではない。唯、照らす存在であり、命の原点たる光ではある。その光に照らされた結果、我らは影を生み、その内面には闇を抱えるが、その闇の65%以上が水で占められており、水は生命の故郷でもある。そこに木霊する様々なフラグマンは、舞台と客席の境界を曖昧化する演出によって、当に観ている我々自身なのだ、とのメッセージも伝えられる。だから、各々への問いが発せられ、撃たれるのである。脈々と続く生命の河のような薄暗がりと光の境界で。
JOKERS

JOKERS

[DISH]プロデュース

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★

人工派・自然派
 好みで評価が異なってこよう。人工的なもの・作りを評価する人にとっては、良く出来たエンタメであり、自然に見える作りを評価する人にとっては、作り過ぎであざとく映るだろう。ここで、評価が分かれる。自分も、子供の頃は、人工的な作りが好みであったが、長ずるに及んで自然に見えるのが、良い、と感じるようになった。原因は苦労人をたくさん見、知ったからである。今作、自分にとって最も好ましく思えたのは、空役の吉田 珠子。大人達は、作った演技であった。

TangPeng30 B Group-(石榴の花が咲いてる。)×劇団11×プレス

TangPeng30 B Group-(石榴の花が咲いてる。)×劇団11×プレス

SAFvol.8 TangPeng30-B

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2014/08/19 (火) ~ 2014/08/26 (火)公演終了

満足度★★★

今後どうなるか
 シアターグリーンの学生芸術祭に参加している作品を3つ拝見した。何れの作品も30分程の短編である。拝見した劇団は、上演順に1.桜美林団学 プレス「家路をたどる」2.明治大学 劇団11「僕とキミの自転車周遊記」3.東京学芸大学 石榴の花が咲いている「距離感を見誤る♯」
 若い人たちの作品だから、今後、どう変わるかまだ分からないが一応、3作品をまとめると星は3つ。(追記2014.8.21)

ネタバレBOX

1:長女と長男は母親の浮気が原因で離婚成立後、母と共に働いて弟妹を育て、現在では、長女は、母及び二男と一緒に暮らし、長男は独立している。然し、二男のリョウはニートということもあり、現在母が再婚問題を抱える中で、今後の展望を探ろうと兄弟姉妹全員が集まった。三女のミサトは大学生だが、母親の浮気には嫌気がさし反抗的、ニートのリョウは、皆が甘やかして育ったのに、今頃、自立を求めるのは不合理だとして、仕事も勉強もせず、日々をやり過ごしている。長男のシュンはそんな弟を何とか自立させたいと思うが、勘当のような強権を発動するという発想も無く手を拱いている。長女は調整役は買って出るものの、それ以上は折れてしまう。二女ハルカも一所懸命調整役を務めるが、上手くは行かない。而も母親の再婚相手は、何処か温かい国から来て、矢張り温かい国々を渡り歩いた人だと言うことぐらいしか分からず、外国人らしい。どん詰まりなのに、家族という擬制が彼らを縛りつけていることから自由になれない為、一切の展望が無いことを呈示して幕。★3つ。
2:幼馴染のブンちゃんは、地元の大学でロボット工学を専攻しているが、ユリは東京の大学で文学を学んでいる。久しぶりに会った二人は、久しぶりに「最後の日の出」を見る為に、チャリンコで12km離れた海岸迄出掛ける途中である。チャリを漕いでいるのはユリ。今時の女の子らしく活発で屈託が無い。因みに2人とも大学4年生なので、就活だの、ブンちゃんの場合は、マスター受験を含めて留学も視野に検討中だ。
 ちょっと言葉の説明をしておく必要もある。「最後の日の出」についてである。今回、これは、幼馴染の2人が、夏休み終わりに東京へ帰るユリと最後に一緒に見る日の出を意味している。今迄にも卒業前のとか、ユリが大学に入って東京へ行く前のとか、何か区切りになることに出会う度に、2人で、12Km離れた海へ日の出を見に行ったのだが、その記念の符号のようなものである。
 今作でも、久しぶりに帰郷したユリが、駅周辺のお店の変化に驚いたり東京と比べて地方を茶化して見せたりしながら、他愛も無い話をしつつ、恋や、振られた時に、高校までは、何か食べに行ったり、カラオケに行ったり、友達に愚痴って寂しさを紛らわしていたのに、20歳を過ぎて酒が飲めるようになると、のまなきゃやってらんねえ、になったなどと、思春期から大人への、取りあえずの変化を比較してみたり、数十年後の自分達が、揃って最後の日の出を見に行く様を想像したり、とオーソドックス乍ら、光る視点を織り込んで、三作の中で、自分は最も完成度が高いと思った作品だ。★4つ。
3:3作の中で、最も破綻傾向の高かった作品。評価は、これを意識的にやっているか否かと、矢鱈、深層心理の忘却についての話が出てくるのであるが、自分には、既に心理学という学問領域そのものが、疑似科学としてさえ既に終焉を迎えた学問領域に思える点で、ホントにそんなものに理論的根拠を置いているのであれば、それが、今作の破綻の原因の第一だと考えられる点である。
 一方、喩でしか語れないレベルに20歳前後で居たりつく例は、今でもあるであろう。自分自身そうであったから、その程度のことは、表現する人間にとっては当たり前のことだと認識している。だが、自分の体験から見て、今作はそういうレベルに無い。喩として捉えたにしては世界認識が、余りにも表層的であるから、喩とそぐわないのである。
 但し、若い人というのは、これから様々な可能性を未だ秘めているハズであるから、今後、最も変わる可能性が高いのは、この劇団の可能性が高そうである。この劇団の今作の評価は★2つ。

僕と彼女と時々、犯人

僕と彼女と時々、犯人

祭りの準備

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2014/08/19 (火) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

緊張感とくすぐりのバランスがグ~
 変態と間違えらえれたのは、詐欺的な“彼女”に金をたかられ無理をしては貢いできた坂本 銀次郎。失踪した彼女を求めて彷徨い、漸く当たりをつけた先で、彼女を見付けた、と大喜びして追い掛けて来た先は、大財閥、立松 幸四郎の邸。彼女と思ったのは幸四郎の娘となった養子のもみじ。おまけに兄弟や関係者が皆集まっていたのである。幸四郎が亡くなって遺産分配の為、残された遺書を顧問弁護士立会いのもと、開封することになっていたからである。

ネタバレBOX

 推理小説仕立ての作品だし、初日の初回公演が終わったばかりだから、ネタバレは殺人事件が起こる、とでもしておこう。観てのお楽しみだ。タイトルの付け方が、作品の面白さに比例しておらず、拝見して予想していたより遥かに面白く、良い意味で裏切られたことに驚かされた。探偵物としても、シナリオで幾重にも巡らされた罠が、上手に観客の目を欺くし、トリックを看破ろうとする観客を飽きさせないだけの内容を持っているので、緊迫感があるのだが、その中に効果的な擽りが折に触れて入るので肩が凝らない。旨い演出である。無論、シナリオの良さに応えて役者陣の演技も良い。特に、主役を務めた銀次郎役のつるにし こうきが良い。
パイノパイ 添田知道を演歌する

パイノパイ 添田知道を演歌する

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2014/08/05 (火) ~ 2014/08/05 (火)公演終了

満足度★★★★★

梁塵秘抄からも
 前回、父の添田 唖蝉坊の演歌を演った土取さんが、今回は、息子の知道さんの演歌を中心に弾き且つ歌った。無論、元々、演歌とは、自由民権運動の思想を広める為に壮士達が歌った壮士演歌がもとになっているので、現在、歌謡曲で演歌と言われているものとは全然違う。但し、唖蝉坊・知道父子とその流れを汲む者の演歌のみが、歌として聴くに耐えるものであることは言うを俟たない。一般に壮士演歌は、がなれば良かったからであり、唖蝉坊は、この流れから距離を取り、独自の領域を切り開いていったのである。従って、彼の曲は、江戸時代の小唄、端唄から、梁塵秘抄の今様まで日本の民衆から湧き起こった曲であり、音階なので、自由でアナーキーな音楽である。分かり易く言えば、現代主流のコード進行などドレミで分割された音階より遥かに微妙で精妙な音階なのである。このような伝統的な演歌は、唖蝉坊・知道の二代で一般からは終えた。レコードなどmachine to humanの流れが起こる大正末期頃からは、西洋流の音階が中心となってゆくからである。
 そうはいっても、元々、政治性の強い歌詞が多く、当然、体制批判や庶民感情を映したものが多いのは、民意等無きが如くに構える、この糞みたいな国の為政者共の体質と弾圧癖から考えて当然の帰結である。それもあって、演歌師二代の演歌を聴きにくる聴衆がこうも多いのだろう。普段、土取さんは、パリで暮らし、ピーターブルックと一緒に仕事をしているから、今回の公演も1日のみであったが、実に興味深い公演であったことは無論のことである。

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