海との対話 公演情報 東京演劇集団風「海との対話」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    倫理
     読み違えも多くなる舞台だろう。というのも、フランス語、日本語の言語差を完全に埋めているというわけではないし、通常の演劇文法を踏襲しているわけでもないからだ。

    ネタバレBOX

     どういうことかと言えば、フランス人俳優によって演じられる登場人物も、日本人俳優によって演じられる登場人物も各々の性格描写や劇中の役割を表現する為では無く、寧ろ、それを解体する為にこそ、演じているからである。そのような解体を通じて、名付けようの無い者、魂の影の部分への跳躍が試みられているのである。そして、これら、断片化され、非個性化されたダーザインの持つ逆説的一般性は、背景に流れるエレキギターの調和の取れた演奏によって、かりそめの安定感を付与されているように思えるのだ。
     同時に、日本を含む西側先進国の民が抱えるアンチセミティズムは、かつてその攻撃目標をアシュケナジーユダヤに置いていた訳だが、イスラエルが列強に承認され、シオニズムがユダヤ教を脱宗教化した現在に於いて、それは、アンチアラブの様相を呈するに至っている。総ての国際人権論は、パレスチナ問題の正義はパレスチナサイドにその多くが在る、とする。然るに、現実政治は、この主張が正なるが故に、否定的である。現在のガザ攻撃に対する、マジョリティーの悪辣さを見れば、それは充分納得の行くことであろう。他方、西側のマイノリティーには、これらの現実に真摯に向き合う人々があり、アーティストの多く、アクティヴィストの多くも虐げられる側に立とうとしている。今作は、そのような側に立とうとする人々から見えた、西側先進国のマジョリティーでもあろう。神経症的に、痙攣的に震えながら、自国内強者によって収奪され、自国内の更に弱い者から、或いは自国以外の弱小国やマイノリティーから収奪する己の姿を見、怯えている者としての大衆自身である。神は、彼らにとって最早全能ではない。唯、照らす存在であり、命の原点たる光ではある。その光に照らされた結果、我らは影を生み、その内面には闇を抱えるが、その闇の65%以上が水で占められており、水は生命の故郷でもある。そこに木霊する様々なフラグマンは、舞台と客席の境界を曖昧化する演出によって、当に観ている我々自身なのだ、とのメッセージも伝えられる。だから、各々への問いが発せられ、撃たれるのである。脈々と続く生命の河のような薄暗がりと光の境界で。

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    2014/08/22 11:48

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