ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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結婚プレイ

結婚プレイ

シアタージャパンプロダクションズ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2015/02/04 (水) ~ 2015/02/07 (土)公演終了

満足度★★★★

生演奏のピアノ、二十弦琴などの演奏も聴ける
 エドワード・アルビーリーディングシリーズの一環として、日本では未紹介だった今作の上演である。

ネタバレBOX


 ジャックとジリアンは30年連れ添った夫婦だが、ジャックは入ってくるなり「俺は出て行く」と言い放つ。然し、ジリアンは読書していて歯牙にも留めない。これで焦ったのは大きな体躯のジャックである。その大きな押し出しのきく体とは反比例して、存在感が霧消してゆくのが手に取るように分かるのが哀れを誘う。反対にジリアンは、泰然自若、小さな体とは打って変わった充実感で存在感を増して行く。
 余りにも当たり前のことだが、カップルというものは、同じ目標を追求することが出来続けさえすれば一つに溶け合ってゆこうが、通常は、互いのぶつかり合いや誤解が、個々を益々、孤立させ、孤独な個に仕上げてゆく。この作者流に言えば、良いカップルほど、一人、独りになる。女は、益々、存在感を増し、男は益々、非存在に傾きながら、互いの僅か1歩の距離に潜む永遠の隔たりの前で佇むのだ。
ゲンジツパビリオン

ゲンジツパビリオン

ゲンパビとこゆび侍

ギャラリーがらん西荻(東京都)

2015/02/03 (火) ~ 2015/02/08 (日)公演終了

満足度★★★★

ぐりこ
 ゲンパビ主催の阿部 ゆきのぶのシナリオ2本、1:「ハコ舟センチメンタリズム」2:「明日が見えない」の2本立てを1は、こゆび侍主宰の成島 秀和が演出、2は、阿部が演出も担当した。グリコみたいな企画である。こころは、無論、一粒で2度おいしい! である。2本に共通したテーマは、追い詰められた若者、だと解釈した。早目に行くべし(見切れ注意)(追記2015.2.11)

ネタバレBOX

 1は、アイデンティティーに関わる問題だが、通常ならアイデンティファイできる所で齟齬が生じている。人間はサルトルが指摘した通り他者を見て自己確認するのであれば、アイデンティティー形成に関しての必要条件は他者である。その他者が、自らが生まれ落ちた環境内で在るのが家族を成立させる成員であろう。この物語では、この家族の内、父母は既に亡くなっているので、現在、殆ど人間関係のない姉、弟にとって、最も身近な他者とは、互いの存在である。だが、姉弟は、思春期の早い時期から、未だ生きていた父母が、父、母を演じており、自分もまた、子供を演じている、という強迫観念に纏わりつかれ、この観念から自由になれないという悩みを抱えているのだが、その悩みを対象化できずにいる。姉にとって、それは、弟へのタブーを越えた愛の形を取り、弟には、タブーを越えてはいけない規制はあるものの、足場を失ったカオスとしての存在基盤を示した。その結果、弟は出帆、宗教組織の合宿所に入り2年間を過ごすが、問題は一切解決されず、ただ、本質に出会うことが出来なかったという事実だけが覆い被さってくる。仕方なく実家へ戻るが。姉の歪んだ愛情表現は、変わっていなかった。姉の望んでいるのは、実の姉弟の相姦である。
 然し、外に出て、少し大人になった弟は、キチンとタブーの意味する所を理解し、小学校の頃からおかしな縁のあった塔子との個人的関係を通して姉にノンを突きつける。感受性が豊かで、決して非理性的ではない姉も、弟に指摘された通り高校時代の同級生で、家に帰る途中の喫茶店の岡田を嫌いでないことを悟り、少し大人になった。自らの道を歩んで幸せを目指せる道を見付けたのであった。
 2は、“Bonnie and Clyde「邦題:俺達に明日はない」”のシーンと実在した、この銀行強盗に憧れる“さき”と彼女の彼でバンドマンの“恵太郎”との逃避行が、フラッシュバックの手法と映画のシーンと日本での彼らの逃避行を織り込み乍ら進展してゆく。さきが、ボニーとクライドに憧れるのは、彼女が不治の病を病んでいる為だが、彼女がどちらかというと積極的に破滅にのめり込んでゆくのに対し、恵太郎は、自分にはできないと日和る。唯、ボニーとクライドとの映画の会話しかしなくなったさきに「ボニークライド役でない彼女と話したい」と言う恵太郎の寂しさ。侘しさ、辛さは痛切。
 一方、今作には、日米のインテグリティーの差も現れているように思う。作品としては、2の方が好みだが、残念だったのは、見切れ場面が多かったことだ。見切れのないような小屋で、再度、じっくり拝見したい。役者は二人とも良い演技をしていたので尚更である。
アガルタの虹

アガルタの虹

劇団 CAT MINT

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2015/01/29 (木) ~ 2015/02/03 (火)公演終了

満足度★★★

Mチームを拝見
 アガルタは地底にある理想郷だ。ここで暮らすのは、ヒトに良く似た身長30cm程の生き物。パックルと呼ばれている。かれらは歌って踊って笑っているのが大好きな友好的な生物だが。(追記2015.2.2を11日に)

ネタバレBOX

  或る時、彼らの天井が抜けて大きな音と共に、見たことも無い生き物、アフリカウシガエルが落ちて来た。この生き物は、かなり凶暴で家来のシマアメンボに暴力をふるったり、パックルたちにも襲い掛かって怪我を負わせたりするのだが、友好的なパックルたちは、何とか友達になろうとする。
 然し、落ちて来た者達のボス、王は、我が物顔にアガルタを荒らし、その妻は、パックル達の食べ物を食い荒らす。それでも、王と妃には苦しいことがあるのだろうと友好的に接するが、妃が出産の後他界してしまうと、哀しみに任せて荒れ狂った王は、パックルの謂わばお母さん役をしていた者、ダシャを殺してしまう。流石にこれには腹をすえかねたパックル達だったが、彼らの優しさが勝り、王を元の国に返してやることになった。
 この物語に最初から登場していて、唯一パックルで無い生き物は、バビーと呼ばれるシカイノシシだが、彼の科白には、この物語を単なる子供用お伽噺で終わらせない謎の発言が幾つも出てくる。無論、発言内容は、わざとぼかしてあるのだが、一、二例を挙げておけば、パックル達の殆どは兄妹なのだが、長兄が見当たらない。その長兄は、昔、魔物と戦って、これを封印した時、天との間に蓋が出来て仕舞い行方不明になった、という話がある。
一方、パックルを食べた者は、永遠に生きることができる。バビーは死ねない体である。つまり、こうなったのは、パックルを食べたせいであることが示唆されている。
これらの科白は、殆どが、独りごととして語られるのだが、これらの科白が、この物語を単なるファンタジーで終わらせていないことも事実なのだ。
パックル達は、このバビーと現在は共棲しているのだから。而も、彼らのモットーは、みんな友達という思想なのだ。因みにこの物語に登場する他の生き物は、神と崇められるアルビノの孔雀とその従者であるが、本質に関係ないので割愛する。
拝見しながら、人質事件のことを考えていた。
 安倍は新聞報道によれば、何とかの一つ覚えを繰り返している。
以下東京新聞WEB記事より一部抜粋:安倍晋三首相は二日午前の参院予算委員会で「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、最高責任者は私」と述べた。首相が積極的平和主義と称して、集団的自衛権の行使を含む外交・安保政策を進めることで、日本がテロの標的になると問われたが「テロのない社会をつくるため、積極的平和主義を進める」と強調した。自衛隊による在外邦人救出を可能とする法整備にも意欲を示した。引用終わり。
 彼が完全では無い迄も、もう少し地政学的に物事を認識する能力を持ち、世界情勢を客観的に判断できるだけの知性と見識を具えているなら兎も角、リーダーとして必要なこれらの資質のひとかけらも無い阿保なればこそ、現在の地位に居ることを考えれば、彼がリーダー面して決定されることの総ては、本物の第三者機関による(即ちアメリカの利害を最優先するCIAエージェントやその取り巻き日本人を総て排除した)検証をした上で再討議し、公正、公平、違法性のないこと、私利私欲との無関係性の証明、虚偽のないことがなければなるまい。
プロモーターズ!‐セカンドチャンス‐

プロモーターズ!‐セカンドチャンス‐

劇団メイカーズ

スタジオアルタ(東京都)

2015/01/28 (水) ~ 2015/02/02 (月)公演終了

満足度★★★★

演出がグ~
 シナリオは、紀伊国屋ホールで掛かる「悪」の岡本 貴也。場所も“笑っていいとも”で使われていた新宿のスタジオアルタで、話の内容も芸能プロダクションの話である。如何にもしっかりしたプロデューサーの設定という感じではないか? 

ネタバレBOX

  だが、無論、ことほど左様に単純ではない。捻りがある。業界関係者はすれっからしばかりだから、大抵のことには驚かない。従ってこういう人々を唸らせるには、相当の戦略、戦術を立てねばならぬことは明白である。而も旗揚げ。一度しくじったら二度目は無いのが常識。それが分かった上でのチャレンジであろう。役者はしっかりした演技のできる者を多く揃え、演出も鮮やかである。シナリオも皆の想像する業界の半歩先を歩んでいて上手い。問題はアイドルダンスユニットの踊りをどう評価するかなのだ。肝心な所で彼女達の踊りは輝いているのだが、それ迄は、くすんでいる。このギャップを本当に演じているのなら、これは凄いことなのだが、自分はこの見極めがつくほどこの手のダンスに詳しいとは言えないので、演出の手際と観た。ファーストシーンで踊っている彼女達は、営業用の笑みを浮かべた状態で終始踊っていて、そのわざとらしさが鼻についてとても嫌な印象を持ったのだが、肝心な所でそんな所は一切無かった。寧ろあったのは世間の不合理に対する若者らしい怒りの姿であり、彼女達の自然な体捌きが、照明や音楽と見事にマッチして本当に美しく観えたのである。これが演技でそうできていたのであれば、星5つだが、演劇の三要素の内、物語の主人公であるアイドルユニットの演技不足を演出がカバーしたと見て星は4つ。然し楽しめる舞台であった。
「蛍よ……妖しの海を翔べ」

「蛍よ……妖しの海を翔べ」

劇団ギルド

座・高円寺1(東京都)

2015/01/29 (木) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ずれは感じるが
 義経の様々な伝説(死なずに海を渡ってチンギスハンになった)をベースに貴種流離譚として、民衆の持つ幻想を舞台の浪漫にして見せた作品。

ネタバレBOX

 35年前に初演された作品なので、
「愛の嵐」でシャーロット・ランプリングが胸をはだけて踊るシーンがそのテーマソングと共に演じられたり、ラストに舞台奥に映し出される映像が日本の学生運動の映像だったりという点はあるが、学生運動が実質的にこの国で完全敗北したのは、1972年沖縄闘争だと思う自分から見ると、感覚が8年ずれている。愛の嵐も1973年の映画だ。
 そんなことより、この作品でユニークなのは、弁慶の描き方である。豪勇無双の豪傑としてイメージされがちな弁慶像が、今作では、知略に長け、冷静沈着で参謀も務める文武両道の達人として描かれていることだ。五条の橋での闘いでも勝ったのは弁慶ということにされており、千本目の刀を入手することもできた、と示唆されている。然し、彼は生涯ただ一度、本気で愛した盲目の人妻を妻が、夫をも愛していた為に、殺す羽目になってしまい、以来、己の将来を閉ざした人物として描かれている。(劇中、それは別の人物だ、との表明はあるが、常識的に考えて嘘だと判断した)ただ、本当にそれほど優れた人物であったのなら、何故、義経に賭けたのか? その辺りの説得力がやや弱いと感じる。たかだか伝説を作る為に他の総てを犠牲にするという発想が、非合理的である為、納得がゆかないのである。
 天下布武を目指した頼朝と人情に踊らされた義経の差を政治感覚の差として描いている点は評価して良い。(但し、ここでも、その差を知り抜いていた弁慶が、表に立たないことの不如意が生じるのだ)閑話休題。螢と義経の影武者、杉目小太郎行信の関係が哀れで心を打つ。
6人の法則

6人の法則

劇団平成商品

タイニイアリス(東京都)

2015/01/30 (金) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★

序盤のパフォーマンスは必要?
 祖父の余命は後幾許も無い、と告げられた家族4人と長女の親友夫妻の関わりを扱った作品。

ネタバレBOX


 夫婦と娘2人の4人家族で祖父は父方である。祖母は既に亡くなっており、祖母と二人で作った裏庭の手入れが、現在、祖父の生きがいになっている。姉は、優等生であったが、就職先も良かったのだが、現在は仕事を止めている。妹は、2年前、妻ある上司との不倫がばれて失職。現在はフリーコラムニストをしている。だが、この時の不倫が、家族や実家の近所に迄漏れ、家族は居たたまれぬ思いをしたとして姉は、妹と殆ど口もきかなければ、顔を合わせようともしない。父母は、祖父の容体が悪くなってから妹を責めるようなことはなくなった。妹はこの状況に乗じて失点回復を目指している。
 一方、姉の親友と結婚したのは、祖父の主治医である。然し、彼は、最近妻に隠れてメールや電話をすることが多く、不倫を疑われてもおかしく無い。結果的には、妻の猫アレルギーを心配して、自分の母に暫く飼い猫を預ける相談をしていたにすぎなかったが、これも、妹の不倫問題と絡んで話を膨らませている。
また序盤、作品と関わりの無いパフォーマンスが多すぎ冗長な感じを与える。タイニイアリスは、良い作品を上演するし、企画力もあり、積極的に地方、亜細亜、中東等の劇団も呼んで公演してきた劇場で最も気に入っている劇場ではあるものの、今回、多くの席に座布団が置かれていなかった為、お尻が痛くなった観客も多かったのではないか。唯一、この劇場の欠点が、長丁場の芝居で出てしまった。普段、北海道で公演を打っている劇団ということだから、余り知らなかったのかも知れないが、必然性のあるシーンなら兎も角、それが感じられないパフォーマンスで此処まで長引かせるのは、矢張り酷である。余分な部分を削れば、30分以上はカットできるはずで、通常の2時間位の作品になっただろう。
キジムナー・キジムナー

キジムナー・キジムナー

劇団俳協

TACCS1179(東京都)

2015/01/29 (木) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★

沖縄の心
 キジムナーとはガジュマルに棲む精である。浜比嘉家には、大きなガジュマルの木が生えているのだが、大戦中、爆撃が余りにも酷いのでやんばるに棲家を移したキジムナーが、時々、古い棲家を懐かしんでやってくるのである。ところで、この家には20歳になる引き籠りが居た。そして彼だけにキジムナーが見えたのである。(追記後送)

といろいど

といろいど

劇団あんぶれら

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2015/01/28 (水) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★

pedantry
 この訳の分からぬタイトルにもぺダンティックな趣味が現れているようである。

ネタバレBOX

toyに“~のようなもの”を表す接尾辞のoidをくっつけた合成語らしい。
 一応、宗教という形で出てくる慣習が、若者達を縛り、彼らはその縛りから抜け出ることが出来ずに、世間の認める、或いは、彼らの宗派の認める人間関係を唯々諾々と認めて行く。アリバイ作り程度の抵抗はするものの、インテグリティーの試されるようなレベルではない。今作で捉えられている“宗教”とされるものに宗教の持つラディカリズムも本源も無い。それは単にオーム真理教が、嫌悪の対象としてイメージされた程度の謂わば大衆の玩具である。その意味ではタイトル通りだろう。だから、科白が、上滑りしてしまって身体化されていないのみならず、演劇と詩の区別もキチンと整除されていないのだ。
アルマ

アルマ

THE TRICKTOPS

ザ・ポケット(東京都)

2015/01/28 (水) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

文句なく面白い
 情報が最大の武器であることを既に知っている程度の知性と、秀でた者の
孤独の深さを同時に知っている人が喜ぶ作品。(追記後送)

つくづくな人間

つくづくな人間

マニンゲンプロジェクト

小劇場 楽園(東京都)

2015/01/28 (水) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

Someone like you
 2月1日17時迄の8回公演の初日。良い舞台を拝見した。シナリオ、演出、演技そのどれもが、設定の良さに調和し過不足なく伝わってくる。描かれているのは、ドブ泥の中で生きているような人々、別の表現をすれば殆ど個人名を持たない人々、つまり我々に似た誰かである。(更なる追記後送)

ネタバレBOX

 世の中を見ようと思えば、下から見上げるのが良い。この際、気をつけるべきは、バイアスを排すことである。
ここにいる!?

ここにいる!?

BIG MOUTH CHICKEN

劇場MOMO(東京都)

2015/01/27 (火) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★

Aチームを拝見
 シックスセンスを身につけた霊児の周りに集まるのは、奇妙な人々と霊ばかり。唯一、まともなのは、最近できた彼女だが。彼の特殊な能力と良く見る夢とも現とも知れぬ世界には、信じられないような因縁が潜んでいた。

ネタバレBOX

 様々な霊を活かすか殺すか判断し、決められた世界へ送ることを生業とする死分、怨霊化しそうな思念の強すぎる霊を自らに取り込んで浄化することのできる魔子。二人は現在、上司と部下の関係である。上司は魔子。
 死分と魔子が、元カレ・元カノの関係で、表面上は面も見たくない、というフリをしているものの、未練たらたらなのが、傍目にも丸見えのシチュエイションという設定だが、組み立てが若干甘いようだ。序盤に登場するギャグの質が低いのである。ここ数年、殊に目立つ不自然な発音やイントネーションを用い、粋でもなければ通でもない、単なる駄洒落と楽屋落ちレベルのギャグもほぼ同時に出てくるのだが、彼らの恋が一方の中核を為すこの作品で、この構成はないだろう。
 本来、若者たちが、伝統的な表現形式や言葉を変えて行く背景には、先代たちに対する異議申し立てや、批判があったハズである。今作で序盤に用いられている現代日本の若者表現もまた然り。
だが、今作では、その表現法を此処で用いているだけで、中盤からは普通の表現に戻る。そのことに対して、序盤の、先代たちの表現やそれによって示される価値観を批判していた地平から、批判対象の用いる表現に戻す何らの必然性も説明されていないのみならず、何故、序盤でそのような表現をしたのかについて、納得のゆく科白もない。TVなどの三流番組じゃあるまいし、舞台に掛ける科白であれば、シナリオライターはもっと言葉に対して真摯に向き合うべきであろう。
中盤は、まったり感が強い。流石に終盤だけは、キチンと作品を盛り上げてゆくし、思い掛けない上質のギャグシーンと人間関係が見出せるだけに、指摘した点を改善して欲しい。
義務ナジウム

義務ナジウム

公益社団法人日本劇団協議会

劇場MOMO(東京都)

2015/01/23 (金) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★

正攻法
村社会としての日本を描いた作品。

ネタバレBOX

 従って村八分になることを恐れて、言いたいことも言えぬ状況が描かれている。つまり理屈の通らない社会がそれを支持する者、反対する者、他所から来て、関わろうとする者の構造を通して描かれるわけだ。
 然し、描き方が正攻法なので、あんまり真面目過ぎて楽しむ要素には乏しい。無論、キチンと見つめなければならない大問題を提起しているという意味で良いシナリオだし、上演することにも大きな意味のある作品である。だが、芝居の楽しみを考慮するなら、ミステリー仕立てにする、という手もあったのではなかろうか。今のままでは、余りに生々しい。
議題:ギタイ

議題:ギタイ

多摩美術大学卒業制作展 めっけ!

シアター711(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

センス抜群
舞台の始まる前に、中央奥に映し出されていた、昆虫の頭をイメージさせる赤い映像は、舞台側面に位置をずらされ、而も1灯ずつ灯されて、昆虫の複眼を拡大したようなイメージに変わる。それ迄、流されていた鳥の囀りや獣の鳴き声、牛の鳴き声などの代わりに、蠅の飛翔音などが、時折流れる。

ネタバレBOX

 
 注目すべきは、この不愉快な感覚が、何とも言えぬセンスの良さを感じさせる点である。そう言えば、舞台のある2階へ上がると入り口に左側頭部に等身大の面をつけた女性が出迎えてくれる。この趣向も大変気に入った。シナリオ、演技、演出、美術、音響など総て独りでこなした古澤 禅は、身体の鍛練も相当キチンとやっているのが、その機敏な動作や柔らかくしなやかな動きから分かる。静止の時、バランスが若干乱れた所があったが、これも訓練次第でどうにでもなろう。
 身体パフォーマンスにかぶさる映像・照明や音響とのコラボレーションも素晴らしい。また、古澤 禅が、他でも無い蠅の飛翔音を問題化しているセンスに注目すべきであろう。当然、パスカルが「パンセ」で指摘した集中を途切れさせる不愉快な音と黴菌を撒き散らす恐れ、神学的には、サタンの副官・ベルゼブブをイメージしてもいよう。所謂「蠅の王」であり、ゴールディングの小説のタイトルにもなっているから、知っている人も多かろうが。
 更に、地球上で唯一、絶対悪を生み出す存在として、人間を扱っているのが良い。その人間という生き物は、頭の中が空っぽで収奪など悪知恵だけを働かせて、他の総ての生き物に大きな打撃を与え続けているのだが、唯一の救いは、その人間にも天敵が存在するという事実である。而も、その天敵が如何なるものかは、敢えて観客の想像力に委ねられている。
『鬼切丸』再演

『鬼切丸』再演

タンバリンステージ

あうるすぽっと(東京都)

2015/01/24 (土) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★

エンタメ
人気漫画の舞台化。再演である。主人公は、鬼の屍から生まれた少年。名は基本的に無い。ただ、その手にする名刀、鬼切丸の名で呼ばれる。純血種の鬼でありながら、角が無く、同族を殺し尽せば人になれる事を信じて、鬼を斬る。

ネタバレBOX


 こう書けば、己のアイデンティティーに悩み、心理的深みを具えた傑作というイメージが湧く。自分にも、そういう期待があったので、観に行ったのだが、残念ながら、心理的な深みはこの舞台作品には感じなかった。鬼役のアクションは、身体機能の高さで充分楽しめたし、裏ソウジャの陥った苦海、女人を鬼に変えてしまう力を持つ結城など、魅力的な設定のキャラクターはたくさんいるのに、どれ一つとして、精神的な掘り下げが為されていない点に物足りなさを感じた。これらの点を改めれば、遥かに良い作品になろう。
FUN

FUN

Instant garden (インスタント・ガーデン)

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2015/01/23 (金) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★

Aチームを拝見
 これだけ、時代が狂いまくっているというのに、どういう感性をしているのだろうか? イスラム国が、日本人を捉えてから、人質として身代金を請求してくるまでに随分時間が経っている。このような事件が起こることは、無論、イラク戦争の時、小泉が、ブッシュ政権のあからさまな国際法違反を、即座に支持した時点でとっくに懸念していたことである。まして、安倍如き政治音痴が、アメリカの完全奴隷として登場して来た後は尚更である。更に、左翼イデオロギーを恐れてか、命の問題である原発・核問題を嘘と出鱈目を用い、環境問題や経済問題にすり替えて愚衆を洗脳している昨今、表現する者が、これを叩かず誰が叩くのか? 一つだけ、現実に彼らが敢えてミスリードしている問題を挙げておこう。CO2 に関してである。原発は、発電に際してCO2 を出さないから、CO2削減に役立っているという説である。
 だが、現在主流の100万キロワットの発電能力を有する原発の生み出すエネルギー量は、電気に換算すると300万キロワット分である。では、残りの200万キロワット分はどこへいってしまうのか。海辺に立つ日本の原発では、海水を温める為に使われている。では、どのくらいの海水を温めるのか? 答えは、70~80トンの海水を1秒に7度上げる。因みに1秒に70~80トンの流量というのは多摩川と荒川を合わせた程の流量である、と小出 裕章さんも指摘している。従って海水中に溶け込んでいたCO2は、大気中に放出される。結果、大気中のCO2濃度は高まるのだ。コーラを温めたらどうなるか? 幼稚園児でも分かろう。この手の稚拙な嘘が相変わらず大手を振っている、この「国」の異常を笑わずに何をやっているんだか。
 

in Ophelia ~Interview of Her~

in Ophelia ~Interview of Her~

未熟者、

シアター711(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★

トンガリ
 ミレーによるオフェーリアの絵に触発された作品であるが、無論、それをなぞった訳ではない。会場で配られたリーフレットに入っている絵ハガキの絵も、ミレーのものとは異なる。然し、インスパイアされていることは確かである。
 いろんな意味とんがっているのだが、若いうちはとんがでっているくらいが良い。若いうちにとんがらなきゃ、何時とんがるんだ!

ネタバレBOX

 
 物語も、注意深く聞いている必要がある。居酒屋と思しき場所で3人の若い女性のガールズトークが為されるが、その場所は、舞台奥に占められ、観客席に近い側の上手、下手其々に3人の知り合いが登場して、その来歴を語ってゆく、という構造である。更に、時折、舞台奥のスクリーンに映し出される映像によっても、補足的情報が流されるという作りだ。
 其々の語りは、殆ど意味の無いガールズトークの空白を埋めるように、知り合いの発言が、空白の核(即ち事件の本質)の周縁を埋めてゆき、最後の最後で核部分が示唆される作りになっている為、観客は、霧の中を好奇心や探究心の炎だけで彷徨うことになる。仕掛けも結末もちょっと変わっていて中々に楽しめる。
空飛ぶ帽子

空飛ぶ帽子

妖精大図鑑

Geki地下Liberty(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★

妖精たちの居る場所
 「追川君と風」「トニーと牛乳2」「宇宙人の穴」「ハコをハコぶことになった事の運び」「さちかあそび そのさん」「芽生えて枯れて」6つの小品から成るオムニバス。淡く儚く悪戯好きの妖精たちと、魅入られた少年を若い感性で創作した感じがグー。

ネタバレBOX


 縦糸に少年から妖精が奪った帽子、横糸に其々の小品が絡む構成で、原因と結果が、第一話と第六話で明確に対応し、その他のエピソードは、因果関係にエピソードを添え、話を膨らませる関係にある。
 天井から垂れさがるオブジェは、樹木の根のようであるが、其処に広がっているのは土壌ではなく空洞である。この空洞は妖精たちの棲家でもあるようだ。因みに妖精は4人。少年は1人。
 六話では、少年が取り返そうとした帽子の代わりに、少女たちがセーラー服の胸につける赤いスカーフを持ちさることで、妖精たちが次々に倒れ、滅んでゆくシーンで終わるのだが、少年の成長で妖精の世界が滅んでゆくことを暗示していよう。
全公演完売!「RUN」

全公演完売!「RUN」

劇団お座敷コブラ

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2015/01/22 (木) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★

う~む
 出演者数が多いので消化する必要があるのだろうが、不必要なダンスやギャグが、全体の構成を更に狂わせている。

ネタバレBOX

  シナリオに深みや普遍性が無いので、唯でさえ構造が甘い所へ余計なものが入って来、必要な伏線などが蔑ろにされているものだから、作品が表層的になってしまっている。シナリオライターは、もう少し観察眼を磨くことから始めるべきだろう。ラストの曖昧な終わり方は、伏線をキチンと張っておかないから、間の抜けたものになってしまっている。シナリオライターが、事物・人間関係を適正な距離をとって観ていない証拠だろう。
死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜

死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜

世の中と演劇するオフィスプロジェクトM

座・高円寺1(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★

オスプレイの飛行高度
いくつか指摘しておくべき点がある。先ず、リーフレットに書いてあることから。山上たつひこ「がきデカ」に関して記している文で「国家」への「信頼」が、まだまだ揺るぎない時代でもあったように思う。とあるのだが、山上は、「がきデカ」の前に「喜劇新日本思想体系」を描いており、その前には、「光る風」を描いていて、この作品で弾圧を喰らったという話が、当時流れていた。結果、彼は、国家をおちょくる路線に転じた、と観た方が自然なように思う。

ネタバレBOX

 
  国家への信頼なんぞ、この国の民衆のしっかりした部分が持つ訳は無かろう。百歩譲って、敗戦で一応、精算されたと見做したとしても、少なくとも砂川事件で最高裁が、当時駐日米大使であったダグラス・マッカーサー2世からの指示で法を蔑ろにし、自ら憲法も、法の独立性も裏切って以来、法的にも完全に崩壊している。それ以前に、吉田 茂が、1951年9月8日、旧安保条約を米第六軍司令部の下士館クラブで調印したこと、更に現在の地位協定に引き継がれた行政協定は、1952年2月28日東京の外務省庁舎でひっそり結ばれた時点で、政治的には完全に終わっている。
  また、オスプレイの最低飛行高度について、刑務官が喋るくだりでは、航空法の規定通り最低飛行高度150mが述べられるが、オスプレイの飛行高度に関しては、完全な誤りである。劇作家協会プログラムと銘打った公演でこのような誤ちは、悪くとれば、情報操作の誹りを免れない。
何故なら、日米地位協定によって、航空法第六章の規定は適用除外となっているからである。更に言うならば、米軍発表は“平均”150mで超低空飛行をするとなっていて、2010年3月の米海兵隊訓練マニュアルによれば、オスプレイには最低高度60mでの訓練が求められているのである。(これらの資料は、「日米地位協定入門」p.6~7、p.42~43、p122~123などから引かせて頂いた。)
さて、本題に入ろう。今作の評価である。描かれている死刑執行者は、首切り浅と呼ばれた山田 浅右衛門、ムッシュ・ド・パリと呼ばれたサンソン、そして無名性を特徴とする現代日本の刑務官らである。
一応、名前と綽名がある前2系統の流れは、己が主体性の下に罪人を処刑する。と同時に社会からは忌み嫌われる処刑者としての有象無象を背負わされてもゆくのであるが、社会機構の一部として機能する己の職分から来る苦悩と差別を社会的位置の問題として捉える視座を保つことができ、その責任の在り様を自覚することができる。即ち、アイデンティティーレベルでの不如意は、軽減されている。
また、社会的にも独自の保証が為されている。(金銭面や、社会的地位という面で)然るに、刑務官の場合は、死刑囚を誰が殺したのか分からないようになっている為、刑務官は、自分が人を殺したという確証すら持てない。位の高い連中は、裁判官にせよ、法相にせよ、命令するだけで実際に自らが他人を殺す訳ではない。従って殺人を犯したという後戻りできない罪の感覚からかなりの距離を保つことが出来る。然し乍ら、最低辺で死刑を実行させられる刑務官は、実際に死刑囚を自分が殺したかもしれない、という可能性とそれに纏わる想像力によって自らの精神を苛まれるのであれば、最も、残虐な目に遭っているのは、刑務官だと判断した。また、上位にある者ほど、その苦しみから縁遠いシステムを構築し、汚れ仕事は総て下の者に押し付けて綺麗事を抜かす現代日本の為政者、支配層の下劣極まるテクニックと底意地の悪さに反吐の出るような実態を暴いた点を評価したい。
誘拐

誘拐

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2015/01/19 (月) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★

Aちーむを拝見

 何と演目は、矢代 静一の「誘拐」矢代 作品を観るのは初めてなので、とても楽しみにしていたのだが、期待は裏切られなかった。

ネタバレBOX

 時代設定は敗戦20年の1965年。東京オリンピックの翌年、東京の一等地に立つ洋館の応接間で総てが進行してゆく。正面には、軍刀と、戦時中には英仏駐在武官も務めた現住人の父で海軍大佐の肖像画が掛かっているが、敗戦の将の戦後は立ちゆかず、邸は荒れ放題で現在ではソファーの中味がはみ出す有り様。
今年は、この館で暮らす長男・長女の父であった大佐の13回忌である。兄妹は、2男1女の3人だが、独立して生計を立てているのは二男のみ。その二男の会社も不渡りを出し、差し押さえ目前。社員達の救済もままならない。
そこで、この窮地打開策として兄妹が考えたのが誘拐であった。資料は、2007年迄刊行されていた「日本紳士録」である。この本の記載事項は、人物の生年月日や出身地のみならず現住所迄載せられていた為、こういった計画にはうってつけであった。長男が、適当に選びだした名前で被害者は決まったが、件の家に、自分達素人の手に負えるような子供が居るか否か、リスクの多い実行犯には誰がなるかなど問題点は様々にあったが、倒産間際の会社を抱えている二男には時間が無い。誘拐は、女たらしの長男にぞっこんの有閑マダムが担当、金の受け取りは二男が担当することになった。
結果、誘拐も金も上手く行ったのだが。後は観てのお楽しみ。

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