死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜 公演情報 世の中と演劇するオフィスプロジェクトM「死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    オスプレイの飛行高度
    いくつか指摘しておくべき点がある。先ず、リーフレットに書いてあることから。山上たつひこ「がきデカ」に関して記している文で「国家」への「信頼」が、まだまだ揺るぎない時代でもあったように思う。とあるのだが、山上は、「がきデカ」の前に「喜劇新日本思想体系」を描いており、その前には、「光る風」を描いていて、この作品で弾圧を喰らったという話が、当時流れていた。結果、彼は、国家をおちょくる路線に転じた、と観た方が自然なように思う。

    ネタバレBOX

     
      国家への信頼なんぞ、この国の民衆のしっかりした部分が持つ訳は無かろう。百歩譲って、敗戦で一応、精算されたと見做したとしても、少なくとも砂川事件で最高裁が、当時駐日米大使であったダグラス・マッカーサー2世からの指示で法を蔑ろにし、自ら憲法も、法の独立性も裏切って以来、法的にも完全に崩壊している。それ以前に、吉田 茂が、1951年9月8日、旧安保条約を米第六軍司令部の下士館クラブで調印したこと、更に現在の地位協定に引き継がれた行政協定は、1952年2月28日東京の外務省庁舎でひっそり結ばれた時点で、政治的には完全に終わっている。
      また、オスプレイの最低飛行高度について、刑務官が喋るくだりでは、航空法の規定通り最低飛行高度150mが述べられるが、オスプレイの飛行高度に関しては、完全な誤りである。劇作家協会プログラムと銘打った公演でこのような誤ちは、悪くとれば、情報操作の誹りを免れない。
    何故なら、日米地位協定によって、航空法第六章の規定は適用除外となっているからである。更に言うならば、米軍発表は“平均”150mで超低空飛行をするとなっていて、2010年3月の米海兵隊訓練マニュアルによれば、オスプレイには最低高度60mでの訓練が求められているのである。(これらの資料は、「日米地位協定入門」p.6~7、p.42~43、p122~123などから引かせて頂いた。)
    さて、本題に入ろう。今作の評価である。描かれている死刑執行者は、首切り浅と呼ばれた山田 浅右衛門、ムッシュ・ド・パリと呼ばれたサンソン、そして無名性を特徴とする現代日本の刑務官らである。
    一応、名前と綽名がある前2系統の流れは、己が主体性の下に罪人を処刑する。と同時に社会からは忌み嫌われる処刑者としての有象無象を背負わされてもゆくのであるが、社会機構の一部として機能する己の職分から来る苦悩と差別を社会的位置の問題として捉える視座を保つことができ、その責任の在り様を自覚することができる。即ち、アイデンティティーレベルでの不如意は、軽減されている。
    また、社会的にも独自の保証が為されている。(金銭面や、社会的地位という面で)然るに、刑務官の場合は、死刑囚を誰が殺したのか分からないようになっている為、刑務官は、自分が人を殺したという確証すら持てない。位の高い連中は、裁判官にせよ、法相にせよ、命令するだけで実際に自らが他人を殺す訳ではない。従って殺人を犯したという後戻りできない罪の感覚からかなりの距離を保つことが出来る。然し乍ら、最低辺で死刑を実行させられる刑務官は、実際に死刑囚を自分が殺したかもしれない、という可能性とそれに纏わる想像力によって自らの精神を苛まれるのであれば、最も、残虐な目に遭っているのは、刑務官だと判断した。また、上位にある者ほど、その苦しみから縁遠いシステムを構築し、汚れ仕事は総て下の者に押し付けて綺麗事を抜かす現代日本の為政者、支配層の下劣極まるテクニックと底意地の悪さに反吐の出るような実態を暴いた点を評価したい。

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    2015/01/22 15:40

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